@kohakky_n_zwei
空堵→パチュリー→ヨム→理雨、の順。
それぞれでの視点の為、内容重複有り。
★side:空堵
ある日。目的を再確認した日。
一体のジャームと取っ組み合いになった。こんなとき、いつもならパチュリーが敵の背後から脳天を銃で撃ち抜いているだろう。しかし、今は彼女がいない。
右手の異形で男の頭を掴んだ。力を籠めようとして、手が動かない。
(それはまだ、できない)
……頭を握り潰すなんて真似は。
腕の痛みに思わず手を放してしまった。刺されたらしい。気づけば、男の姿は消えていた。
(逃がした……)
自分の不甲斐なさに少しだけ、苛立った。溜息を一つ吐き、腕を元に戻した。
彼女の声を思い出す。
助けてあげられない。
そうだ。これからは助けなしで戦わなければならない。一人で任務をこなすことは以前にも数回あったが、生死が関わるような内容じゃなかった。
彼女のサポートなしでどこまでやれるだろうか。
手段を選り好みしていれば、きっと死ぬ。それは駄目だ。まだ罰が足りない。もっともっと、俺は自分自身を罰しなきゃならない。
刺された腕の傷を確認する。治りが遅い。
(今回はこの辺にしておかないとな)
こんなところで正気を失うわけにはいかない。正気を失えば、自分を苦しめられなくなる。
無理をすればまだ動けるだろう。しかし、深追いするのをやめた。
(帰ろう)
死に急がない。正気を保つ。
全ては、自分自身を許さない為に。
ある日。悪戦苦闘した日。
ノートに文字の練習をしていると、隣に理雨がやってきた。
「あれ、空堵って左利きだったっけ?」
「あ、いや……」
何と言うべきか。
周りを見渡す。他には誰もいない。
「右手はほら……殺したから。使いたくなくて」
そう、俺はこの右手で――異形で日下昴と同じ姿をした少女を殺した。
「それで練習してるの?」
「まぁ、な。……支部長には言わないでくれよ?」
「内緒?」
「詮索されたくない」
「わかった。内緒にしとく」
理雨は大丈夫だろう。喋る可能性があるとすれば、レネコだ。
「レネコはいないのか?」
「寝てると思う。さっきあくびばっかりしてたから」
「そうか」
話している間もひらがなを書いてみているが、何も見ずに書こうとするとこれが難しい。どちらへ曲げればいいのか、はらえばいいのか、わからなくなる。
(ひらがなでこんな調子じゃ、カタカナや漢字なんて当分書けそうにないな……)
先は長そうだ。
ある日。居づらさを感じた日。
「ヨム大変!空堵の手がまっかっか!」
レネコが騒ぐ。
やめてくれ。放っておいてくれ。
言ったところで無駄だろう。レネコは何も知らないのだから。
何故俺が右腕を引っ掻いているのか、パチュリー以外には恐らくわからない。いや、支部長と理雨はなんとなく検討がついているのかもしれないが。
部屋のドアが開いた。視線をやると、支部長が救急箱を持ってそこへ立っていた。
「詳しい話は聞こうとしませんから、傷の手当だけでもさせてくれませんか?」
心配そうな顔で、反応を待っている。
俺は何も言わない。
「救急箱、ここに置いておきますね」
そう言うと、支部長は入口横の棚に救急箱を置いて出ていった。
廊下から、三人のやり取りが聞こえる。
「ねぇねぇ、空堵どうしたの?」
「大丈夫よ」
「ほんとに?」
「駄目だよ、レネコ。触れちゃいけないことってあるんだから」
「聞いちゃいけないの?」
「空堵が可哀相だよ」
「でも真っ赤……」
「駄目なの」
「むぅー」
……居づらい。そう思ってしまった。
ある日。塒を変えた日。
任務からの帰り道。ふと、足が止まった。
(このまま支部に戻ってまたレネコに騒がれるのも嫌だな……)
俺が右腕を引っ掻かなければいい話だが、やめようとしてやめられるものでもない。何せ引っ掻いている間はパニックを起こしている状態なのだから。
(支部に戻らないとすると、施設か家……いや、待てよ?)
そういえば、パチュリーから鍵を貰っていた。
(正直、気が引けるけど試しに行ってみるだけなら……)
メールにあった住所に行き、アパートの号室を確認する。表札には、Patchouli Evattの文字。
インターホンを押してみるが反応がない。
(留守?)
貰った鍵でドアを開けて中に入り、静かに内鍵を閉めた。
土間には靴が一足。パチュリーがいつも履いているものだ。
(あれ、いるのか)
リビングに行くと、ソファで眠りこけているパチュリーの姿があった。その近くで流矢も寝ている。
(風邪ひくよな……)
隣にあった寝室から毛布と布団を運び、それぞれ二人にかけてあげた。
部屋を見て回っていると、一部屋だけ生活感の感じられない片付いた部屋があった。パチュリーの言っていた、空いている部屋とはここだろうか。清潔に保たれたベッドが一つ、隅に置かれているだけの部屋だ。
枕の上にメモがある。
『使ってください。 パチュリー』
(わざわざ書いたのか)
律儀というか、なんというか……。
荷物を足元に置き、メモを退けてベッドに倒れ込む。
(そういえばここのところ、ろくに眠れていなかったな)
疲労が溜まっていたのか、すぐに意識は途切れた。目が覚める頃には日も落ち、すっかり部屋が暗くなっていた。
(大分寝たな……)
顔でも洗おうかと部屋を出ようとして、何かに躓いた。明かりをつけて見てみると、ドアの前に膨らんだビニール袋が置かれている。
「起きたの?」
声に顔を上げると、パチュリーと目が合った。
「着替えを、買ってきたの。服、血がついてる」
「あ……」
(そういえば)
任務をこなしてきた――ジャームを殺したままここへ来たのを忘れていた。そのときについたのだろう。よく警察に見つからなかったものだ。
「お風呂、沸かしてあるから、着替えるついでに入ったら?」
「悪いな」
「気にしなくていい」
いつもシャワーで済ませているせいか、少し湯に浸かっただけでのぼせてしまった。頭が働かず、ふらつく。
部屋に戻ってぼーっとしていると、パチュリーが様子を見に来た。
「ありがとう、毛布」
「あ、あぁ……」
「ご飯食べる?そんなに量はないんだけど」
「少し、貰おうかな」
正直食欲はないが、彼女のことだからどうせ俺の分もちゃんと作ったんだろう。
(そんなにあれこれしてくれなくていいのに)
四苦八苦しながら左手で食事をする。やはり箸の持ち方がまだぎこちない。そんな俺の様子を、パチュリーは何も言わない。
「やっぱり、これじゃぁ居候だし、悪いよな……すぐ出てくよ」
とはいえ、他に行くような場所もないのだが。
「いいの。私が使っていい、って言ったから」
「でも」
「じゃぁ、その代わりに男手が必要になったときは手伝ってほしい。買い物、とか。流矢と一緒だとあまり重い物持てないし」
……それならまぁ、いいか。
ある日。後悔が麻痺したのを自覚した日。
頭の痛みで目が覚めた。寝返りを打とうとして、隣に誰かいるのに気づいた。身を起こしてみると、パチュリーが横で眠っていた。
(なんでこんなとこでお前が寝てるんだ)
しかも裸で。
(……俺も裸のままってことは、そういうことなんだろうな)
記憶が全くないが、どうやら彼女としてしまったらしい。
(とりあえずシャワー浴びて着替えよう)
パチュリーに毛布を掛け直してあげて、着替えの服を持ち、風呂場へ。
シャワーを浴びていると、不意にあの感触が蘇った。俺は右腕を掻き毟る。必死に異形の幻を、血で滑る感覚を、引き剥がそうとする。消えろ。消えろ消えろ消えてくれ――。
程なくしてそれは治まる。薄紅色の水が排水口に吸い込まれていく。左手の爪の間に残る、血と肉片。
あの少女を殺したときと同じように殺し続けたら、この感触にも慣れるかと思っていたが、寧ろ悪化しているような気がする。戦闘中、ふとした瞬間に体が強張ることだって増えた。
だからできるだけ任務以外の時間は眠り続けるようになった。薬と酒を使って。
悪夢に魘されることはあるが、辺りを血だらけにするよりはパチュリーの迷惑にならない筈だ。
濡れた髪で部屋に戻るとパチュリーが起きていた。
「ごめん」
彼女は何も言わない。
「全然記憶にないけど、多分、俺が襲ったんだよな……何か用だったか?」
「いいの。大したことじゃない」
彼女は少し俯いた後にそう言い、脱いだ服を手に取り裸のまま部屋を出て行った。
パチュリーとしてしまったというのに、感情が動かない。酔っていて記憶がなかったとはいえ、だ。事後の光景を見れば沸き起こるものがあるかと思えば、全くない。河野靖音とのときのような罪悪感も、後悔も、何も感じない。
きっと自分の中の何かが死んでしまったのだろう。
俺はそう思いながらベッドに座り、温い酒の缶を開けた。
ある日。自分の行ないの是非を疑った日。
パチュリーがスプーンを静かに置いた。
「何を入れたの?」
思わず手が止まる。
「な、何が?」
動揺が隠し切れない。
「乳鉢が出しっぱなしだったから」
「睡眠薬を、少し。……疲れてるように見えた」
俺の目から見ても、最近のパチュリーは明らかに疲弊しているように見えた。これは無理矢理にでも休ませた方がいいのではないか、と。
「ここ数日、流矢の夜泣きがすごかっただろ。寝てないんじゃないかと思って」
流矢が泣く度に起こされていたなら、と思ってのことだったのだが……していいことではないだろう。薬を盛るなんてこと。
パチュリーに食事を突き返されると覚悟していたが、彼女は何事もなかったかのように食べ始めた。
「おい……」
「何?」
「睡眠薬が入ってるって」
「最初からこうさせるつもりでいたんでしょう?」
「ちが……わない、けど」
だからって、睡眠薬を入れられてるとわかってるものを口にするか?
(まぁ、いいか。寝てくれたわけだし)
薬で眠ったパチュリーを抱きかかえて寝室へ運び、ベッドに寝かせる。
(……本当にこんなことしてよかったんだろうか)
彼女に布団をかけてあげて、ふと、千夏に言われたことを思い出した。
自分勝手なお人好し。
(わかってるよ)
心の中で反論する。
(これがエゴだってことくらい)
暫くの間、千夏の言葉が頭を離れなかった。
ある日。命が終わる日。
左足の感覚がない。さっきの冷気をまともに食らったせいだ。他の場所も動きが鈍い。
標的を追っていて見失い、物音に誘われてやってきた閉所。それが罠だと気づいたのは、囲まれたあと。
この程度のこと、少し考えればわかっただろうに。いかにこういう判断をパチュリーに任せていたかが、よくわかる。
二体仕留めたが、捌き切れるだろうか。こんなところで時間を食ってる場合ではない。
飛んでくる弓矢を、すんでのところで避けた。避け切れなかったら、左目が潰されてただろう。
一体、姿の見えない奴がいる。恐らくエンジェルハィロゥだ。矢は、そいつからの攻撃。
視界外から迫ってくる影。反射的に手が動いてくれた。自分の異形が相手の腹に、相手の刺突が自分の腹に。じくじくと、刺された場所が痛む。
動きの鈍い体を意地で動かして距離を取る。
やはりいつもの姿ではまずい。
全身を更に変化させる。もっと硬い鱗を、鎧のような体を。
姿が見える敵は後回しでいい。まずはあの厄介な弓使いを何とかしなければ。
体全体の鱗が硬化していくのを感じながら、目を凝らす。どこだ。どこにいる。
(いた)
姿が一瞬見えた。
そいつに向け、投げ槍の要領で影を放とうとして、首に衝撃が走った。伏兵は、まだ他にいた。
手に力が入らない。滑り落ちた影の槍は形を維持できなくなり、霞んで消えていく。
引き抜かれる感覚から、先程首に走った衝撃が刺されたものだと理解する。
別のジャームからの攻撃が来るが、反応が間に合わない。勢いに押され、視界が傾いだ。
追撃。重い一撃に息が詰まる。
(まずいな……)
まだ死ねないというのに。
どうにかして立て直さなければと手足に力を入れようとするが、自分の体は思っていたよりも重かった。
弓矢が数本、刺さる音がした。恐らく全て命中しているだろう。しかし、どこを射られたのかさえ、わからない。
影に気づいて力なく見上げた視界の中、刃が振り下ろされて――。
★side:パチュリー
ある日。我儘を自覚した日。
気づくと夕方だった。ソファに座ったまま眠ってしまっていたらしい。
洗濯物を取り込もうとして立ち上がると、身に覚えのない毛布がずり落ちた。
(もしかして)
玄関の土間を見ると、靴がもう一足あった。空堵の靴だ。
空き部屋のドアをノックしてみる。反応がない。
「空堵?」
応答なし。
「……入るよ?」
静かにドアを開けて中に入ると、ベッドの上に彼の姿があった。その体は小さく上下に動いている。眠っているらしい。
布団をかけてあげようとして、服に目がいった。血だらけの服に。
(どこか怪我――なわけないか)
もし傷口が塞がっていないのなら、今頃玄関や部屋にも血が垂れていた筈。それがないのだから、この服についたものはただの返り血だろう。
ふと、空堵の言っていたことを思い出す。
あのときと同じことを繰り返したら、同じように殺し続けたら、殺した感触にも慣れるかな。
「………」
(同じように、殺したんだろうか)
あの少女を殺したときのように。
「ねぇ」
これからも自分自身を苦しめ続けるくらいなら、今ここで貴方を殺してあげた方がまだましなのだろうか。
眠っている彼の、その無防備な首へと両手を伸ばし――そして、はっとした。
(私は、一体何を……?)
「ごめんなさい」
反応のない背に謝罪を投げ、部屋を出る。ご飯の買い出しついでに着替えを用意してあげなくては。
流矢を抱っこ紐で前に固定して一歩踏み出すと、バランスを崩しそうになった。やっぱりまだ慣れない。それに、また一段とこの子は重くなった。
買い出しから帰り、支度が終わり、部屋へ様子を見に行こうとしたところで空堵と鉢合わせた。
「起きたの?」
声をかけると彼と目が合った。心労の出た目。それにまだ眠そうだ。
「着替えを、買ってきたの。服、血がついてる」
「あ……」
「お風呂、沸かしてあるから、着替えるついでに入ったら?」
「悪いな」
「気にしなくていい」
後片づけを終えて、空堵のいる部屋へ顔を出す。
「ありがとう、毛布」
「あ、あぁ……」
そう言う彼の髪は濡れたままだ。
(あとで部屋にドライヤーを持っていってあげよう)
「ご飯食べる?そんなに量はないんだけど」
「少し、貰おうかな」
残飯を冷蔵庫にしまい、飯台の方へとやってくると空堵はいつもとは逆の手で箸を持っていた。食べ物を口へ持っていくさまが、たどたどしい。
(あれ空堵って右利きなんじゃ……そっか、そっちの手は)
殺した手なんだものね。やっぱり、使いたくないんだろうな。
「やっぱり、これじゃぁ居候だし、悪いよな……すぐ出てくよ」
「いいの。私が使っていい、って言ったから」
「でも」
「じゃぁ、その代わりに男手が必要になったときは手伝ってほしい。買い物、とか。流矢と一緒だとあまり重い物持てないし」
卑怯な引き留め方。
ある日。自制できなかった日。
漠然と、一人でいるのが怖くなった。たまらなく不安で寂しいのだ。生理の前だからだろうか。人肌が恋しくて仕方ない。
流矢の顔でも見ていれば落ち着くかと思ったけど、駄目。落ち着かない。
無意識のうちに空堵が眠っているであろう部屋の方を見つめていた。
(駄目。何考えてるの)
頭を振る。でも、気づけばふらふらと彼のいる部屋の前へと私はいた。
(……空き缶を回収しなきゃ)
最近、彼は酒を飲むようになった。眠れないからと睡眠薬を飲みだしたのがその前。今ではそれに酒を追加するようになった。しかし、そのおかげで彼の腕を引っ掻く頻度が減ったので、やめろとは言えず。
(そう、空き缶を回収しに来ただけ)
自分の中で言い聞かせながらドアノブに手をかける。鍵が閉まっているならそれで構わないと思っていたが、鍵は開いていた。
何度も頭の中で繰り返す。私は空堵としない。ゴミの回収に来ただけ。
部屋に入ると、生温い淀んだ空気が充満していた。明かりは豆電球だけがついていて、中はあまり明るくない。
ベッドの辺りがもぞりと動いて空堵がこちらを向く。無気力な目が私を見た。
「起きて――んんっ」
近づいて声を発した途端、空堵に腕を引っ張られてバランスを崩した。私は彼の上に覆い被さるようにして倒れ込む。
目が合った。心労が出た目元。何も見ていないような瞳。
「ごめんなさい。今退くから」
必死に平静を装う。
退こうとするが、空堵は腕を放してくれない。それどころか強く彼の元へ引き寄せられた。
なんで私を止めてくれないの。
「したいんだろ?してやるよ」
酒のにおいがした。酔っているのだろう。
空堵が唇を重ねてくる。そして体をまさぐり始め――。
目が覚めると、毛布がかけられていた。
シャワーの音が聞こえる。空堵が使っているらしい。ベッドには彼の姿がない。
脱いだ服に目がいった。
(何やってるんだろう、私)
「ごめん」
声に気づくと空堵が部屋に戻ってきていた。
私がその意味を理解しかねていると、彼は言葉を続けた。
「全然記憶にないけど、多分、俺が襲ったんだよな……何か用だったか?」
私は答えに詰まる。
違う。襲おうとしたのは寧ろ私の方。空堵は悪くない。謝らなくていい。
「いいの。大したことじゃない」
だけど本当のことが言えず、逃げるように風呂場に入った。シャワーを捻り、頭からお湯を浴びる。
わずかに血のにおいがする。また彼は腕を掻き毟ったのだろう。
片手で腹部に触れた。
もし、子供が出来たら空堵は喜んでくれたりするだろうか。
いや、そんなわけない。逆だ。
私がこれで孕みでもすれば、彼は自責の材料をまた一つ得ることになる。ピルで凌がなければ。
(……いつになったら、空堵は自分自身を許すようになるんだろう)
彼の負担にならぬよう見守るしかないのは、とても、歯痒い。
ある日。手を上げそうになった日。
流矢が離乳食を食べようとして、少しこぼした。
たったそれだけのことなのに、私は流矢を叩こうとした。そんな自分に困惑して手が止まった。
――今、私は何をしようとした?
流矢が口の周りを汚しながら不思議そうに私を見る。
「おいしい?」
手を下ろし、できるだけ笑顔で言った。自分の顔が引き攣っているのがわかる。
ニカッっと笑いながら頷く流矢。
その顔が彼――桐生嚆矢と重なる。
(あぁ……笑った顔が本当にそっくり……)
でも、違う。この子を嚆矢の代わりにしてはいけない。
無理矢理にでも頭を切り替えようとする。
じゃなきゃ、空堵のことを言えなくなる。河野靖音に日下昴の面影を重ねた彼のことを。
自分の子に手を上げようとして、それだけでなく、嚆矢のことを重ねて見るなんて。
私は、親失格だ。
ある日。疲労に気づいた日。
口へ運びかけたスプーンを戻す。
「何を入れたの?」
空堵の手が止まった。
「な、何が?」
彼が今日は自分が夕食を作ると言うから、任せたけど。
「乳鉢が出しっぱなしだったから」
反応から見るに、図星らしい。
「睡眠薬を、少し。……疲れてるように見えた」
疲れてるって……貴方だって充分疲れた顔、してるのに。
そう言いそうになって、口を噤んだ。
「ここ数日、流矢の夜泣きがすごかっただろ。寝てないんじゃないかと思って」
(だからって薬を盛ることないじゃない……)
とは思ったものの、彼に言われて腑に落ちた。道理で流矢に手を上げそうになるわけだ。
私は黙ってスープカレーを口へ運んだ。
「おい……」
「何?」
「睡眠薬が入ってるって」
「最初からこうさせるつもりでいたんでしょう?」
私を無理矢理にでも休ませるつもりで。
「ちが……わない、けど」
程なくして、薬が効いてきたのかくらくらして立っていられなくなる。眠気というよりも眩暈に近い感覚。
空堵は一体どのくらい入れたのだろう。これはどう考えても少しの量じゃない。
彼に聞こうとしたが、そこまで持たずに意識が途切れた。
ある日。聞こえない告白をした日。
空堵のいる部屋へ行って、空き缶回収のついでに薬の箱を開けて中身を確認する。減りが早い。
起こさないように彼の右袖を捲った。薄っすら残る傷跡が複数。戦闘での傷だろうか。それとも。
(ねぇ、空堵)
やっぱり、無理して任務に行くことない。自分のこと、苦しめることない。
自分自身が許せないのはわかってる。だけど。
いつかでいいから自分のこと、許してあげて。
そのいつかが、早く来てほしい。
袖を静かに元に戻し、口元にかかった黒髪を退けてあげた。そして、そっと頬に口づけを。
「……好き」
殆ど息だけの、小さな告白。
きっと、眠っている彼には聞こえていないだろう。それでいい。反応がほしいわけじゃない。
布団を掛け直してあげて、床に置かれた空き缶を回収する。
ドアを閉めようとして、振り返る。
「おやすみ」
どうか、いい夢をみていますように。
ある日。二人目を失った日。
「――え」
手から滑り落ちた携帯が足元で音を立てた。
「死ん、だ……」
空堵が、死んだ。
電話の相手は、鷹栖英司。彼は私が電話に出るなり、動揺するかもしれないから覚悟して聞いてくれと前置きをした上で、空堵の死を伝えてきた。
そんな、まさか。
「嘘……です、よね?」
「本当だ」
携帯を拾い直して鷹栖に聞いたが、嘘であってほしいという気持ちはいとも簡単に砕かれた。
「俺が彼の遺体を見つけて、回収するよう手配をした。……酷い有様だったよ」
言葉が出なかった。
「どうする?念の為に彼のものかどうか、確認するか?」
「そうですね。そうします」
確かめないわけにはいかなかった。
もしかしたら、別の誰かかもしれない。……嚆矢だって、遺体が見つからずにいて、生きていたんだから。
何かの間違いであってほしい。そう強く思った。
空堵の遺体を預かっているという施設に出向くと、鷹栖もそこにいた。
「鷹栖さん、支部長には?」
「これから連絡するとこだ」
「そうですか」
「子供は?」
「さっき、職員の方に預かってもらいました」
「そうか。……一緒に行ってやろうか?」
「一人で平気です。鷹栖さんは支部長に連絡を」
「わかった。しておくよ」
保管されているという場所に案内され、覚悟をしてから布を捲った。
痛ましい姿の遺体だった。任務中に命を落とす者の姿が酷い有様であることは珍しくないが、この遺体は一際酷く見えた。
死んだ後も、痛めつけられたのだろう。黒い獣であることはわかったが、殆ど原型を留めていない。
首につけていたというものを施設の職員から渡され、この遺体が空堵であると、わかってしまった。
渡されたのは、ロケットペンダント。日下昴本人と、その彼女と同じ姿をした少女がしていた装飾品。そして、彼女達の死後、空堵がつけていたもの。
中を開けてみると、日下昴とその父である日下孝三と思しき男性の姿。
救えなかった分、傷つけた分、殺した分、苦しまなきゃ。……だろう?
忘れるわけがない。あんな言葉と一緒に、彼がつけているのを見せられたこと。
そっとペンダントを閉じ、遺体に再び目をやった。
彼は、最後まで抗ったのだろうか。生き延びようと足掻いたのだろうか。
どうして。どうして?
どうして空堵はこんなに無残な姿にならなきゃいけなかった?
(なんて、惨い……)
気づけば数歩、後退っていた。死体など、もう嫌と言う程見てきたというのに。
ある日。命を終える日。
彼が使っていたベッドにペンダントを置いた。
よりにもよって、こんなものが遺品になるなんて。
流矢を支部に預けて買い出しへ出かけた。
洗剤類に、目張り用のテープ。
周りの人間に悟られぬようにそれぞれを別の店で買い、一旦家に置いてはまた別のものを買いに行く。
死にたいという明確な気持ちがあったわけじゃない。気づけばそうしていただけ。
悲しいも、辛いも、何もない。……何も。
流矢、弱い母親でごめんなさい。
ヨム支部長、せっかく普通の生活を与えてくれたのにごめんなさい。
そう書いた紙を、飯台に置く。
風呂場に行き、ガムテープで目張りをして事に及んだ。
目に、鼻に、火傷をしたような痛みが来て、吸った息の刺激にむせた。その拍子に更に吸い込み、喉に、気管に、激痛が走る。
気を失っては痛みで意識が戻り、戻っては失神。その繰り返し。
苦しさから思わずドアの取っ手に手を伸ばし、そこで意識が完全に途絶えた。
★side:ヨム
ある日。不甲斐なさを感じた日。
「ヨム大変!空堵の手まっかっか!」
大騒ぎで私を呼びにきたのはレネコ。これでもう何度目だろうか。
救急箱を持っていくと、空堵は右腕と左手の先を真っ赤に染めていた。
どうしたのかと尋ねたこともあったが、彼は決まって何も言わない。
「詳しい話は聞こうとしませんから、傷の手当だけでもさせてくれませんか?」
彼からの反応はない。
「救急箱、ここに置いておきますね」
仕方ないので、今回も救急箱を置いて部屋を出る。
「ねぇねぇ、空堵どうしたの?」
レネコが近づいてくる。この子は何も知らないし、知らせない方がきっといい。
「大丈夫よ」
とはいえ、このまま放っておくわけにもいかない。鷹栖英司からお願いされたのもある。
(やっぱり、無理矢理にでも話を聞いた方がいいのかしら)
そういう心の問題のことは、素人が首を突っ込んではいけないと知ってはいるけれど。
不甲斐ないわね、私。
ある日。幸せを見つめた日。
「次、二人三脚ですよ、支部長」
支部の女性職員の声に、少しでもよく見える場所へと日傘片手に急ぎ足。
理雨とレネコの番が来た。ピストルが鳴る。
スタートがやや遅れたが徐々に周りに追いつき、しまいには追い越してゴールした。
レネコが飛び跳ねながら両手を振っている。微笑みながらそれに手を振り返す。
昼食に関する連絡が流れ始めたタイミングで元いた場所へ戻り、さっきから一言も喋らない黒髪の少女――萩原千夏へ話しかけた。
「ご迷惑じゃありませんでした?」
「暇潰しにはなってますよ」
「それなら誘ってよかったです」
「兄は……」
「はい?」
「兄は、どうしてますか?」
「答えるのが難しいですね……大事に至るようなことにはなっていませんが、元気とも言えず……」
彼女の兄である空堵は、任務から無事に戻ってきてはくれる。その代わり、敵を見逃してしまうようなことが増えたが。
深入りを避けて大事なく戻っていることを喜ぶべきなのか、それとも、支部長として多少無理を強いてでも多くの犠牲を防ぐよう指示すべきなのか、悩ましい。
本当は任務に行かせたくない。……あんな様子の彼を。
エージェントになるのだって、正直反対だった。しかし、任務でいてくれて助かることもある。もどかしい。
「そうですか」
「やっぱり、気になります?」
「べつに。どうでもいいですよ、あんな偽善者」
そう言って千夏はそっぽを向いた。
(口ではそう言っているけど、心配なのね)
レネコと理雨がやってくるのが見えた。
「頑張ったわね、二人とも」
「ヨム見てたー?理雨と一緒に一番取ったんだよー」
「ええもちろん見てたわよ、レネコちゃん」
嬉しそうに語る彼女はとても微笑ましい。
「千夏も来てたんだね」
「悪い?」
「ううん」
もう、理雨ったら。
「理雨、呼び捨てじゃなくてお姉ちゃん呼びしないと」
「いいですよ、呼び捨てで。気にしませんから、私」
(そうは言っても、年下なのだし……)
やっぱり私が気にし過ぎなのかしら。
「あの子、忘れてない?これ」
昼食の片づけを終え、声に気づいて振り向くと、千夏が持っていたのはレネコの水筒だった。
「あら」
応援席の方に視線を向けるとレネコと理雨がこちらを見ていた。
「忘れてるわよレネコちゃん」
水筒を見せると、レネコが走って取りに来た。
「えへへー、忘れちゃった」
「転ばないようにね?」
「うん」
水筒を渡してあげると、彼女は小走りで戻っていく。
こけることなく無事に理雨の元へ戻れたのを確認し、ほっと息をつく。
すると、千夏から思わぬ問いかけがきた。
「ヨムさんは、今、幸せですか?」
「幸せなのかもしれません。理雨や支部の人達がいて。……そう言う千夏さんはどうなのですか?足掻いた末に、元の生活を手に入れて」
私の言葉に、千夏は押し黙る。
「あっ……お気を悪くされたのなら、ごめんなさいね」
「……いいえ。ただ」
「?」
「何が幸せなのか、わからなくなってしまって」
そうこぼす彼女の表情は暗い。
「元の暮らしに戻れたのは、最初のうちは嬉しかったし幸せだったんです。でも、時間が経つにつれてそれが当たり前になっちゃって、その有難みも感じなくなって。……幸せって、何なんでしょう」
その問いは今の私には難しく、「そうですねぇ、何でしょうか」と彼女の言葉を繰り返すことしかできなかった。
ある日。体に異変が起きた日。
異変が起きたのは突然のことだった。
画面の文字がぼやけて見える。
(あら?)
瞬きをしたり目頭を手で押さえたりしてみるが、変化はない。
(根詰め過ぎちゃったかしらね)
ノートパソコンの電源を落として椅子から立ち上がり――そこから意識が途絶えた。
目が覚めると、寝室の天井と理雨の顔が視界に入った。彼女は泣きそうな顔で覗き込んでいる。
「どうしたの?理雨」
そんな顔をして。
「それはヨムの方だよ。お店で倒れてるなんてどうしちゃったの?」
記憶を思い起こす。どうやら、作業を一時中断して立ち上がった際に倒れたらしい。
「大丈夫、少し疲れただけよ。休んだら治るわ」
理雨に言われるまま熱を測る。体温計を見ると微熱があった。
「ヨム起きたのー?」
レネコがやってくる。彼女は何故かエプロンをつけていた。
「レネコはあっち行ってて。騒いでヨムの邪魔したらやだ」
「はぁい……」
項垂れてレネコは部屋を出ていく。
「どうしたの?エプロンして」
「ヨムの代わりに他の人とご飯用意してるの」
「それ私のお仕事なのに。他の人に任せちゃ悪いわ」
起き上がろうとして理雨に止められた。
「駄目。ヨムは寝てて。具合悪いんでしょ」
「はいはい、わかったわ。お休みしてるから」
「ご飯食べれる?お粥がいい?」
「お粥にしようかしら」
とは言ったものの、食欲が全然ない。
「わかった。言ってくる」
あ、そうそう、と理雨は言葉を付け足す。
「ノートパソコン持ち込んでのお仕事も駄目だからね」
「あらあら、バレちゃった」
書類がまだ途中だったが、彼女に釘刺されては仕方ない。
部屋に一人残され、思案する。
(きっとこれはただの疲労ではないのかもしれないわね)
立て続けに支部の人――家族が死んだ。空堵が任務中に死亡し、パチュリーが自宅で自死した。
ふと、思う。
(私のせいかもしれない)
空堵に一人で任務へ行かせなければ、彼は死なずに済んだかもしれない。
パチュリーに自分の願いを押しつけなければ、彼女は自死することもなかったかもしれない。
振り払ってもネガティブなことばかり浮かんでくる。自分で思っているよりも、二人の死がこたえているらしい。
「……ごめんなさいね」
涙は、出てこなかった。
★side:理雨
ある日。変な努力を見た日。
白い猫――ブランを追いかけて店の方にやってくると、カウンター席で空堵が何かしている。あたしはその様子に違和感を感じた。
「あれ、空堵って左利きだったっけ?」
隣の席に座り、空堵にその違和感を確認する。確か彼は右利きだった筈。
「あ、いや……」
ノートを覗き込むと、拙いひらがなが並んでいた。
(なんでひらがな?)
「右手はほら……殺したから。使いたくなくて」
以前、彼は右手で――異形で日下昴と同じ姿をした少女を殺している。
「それで練習してるの?」
「まぁ、な。……支部長には言わないでくれよ?」
「内緒?」
「詮索されたくない」
気を遣われたくないんだろうな。でも、あたしだけが黙ってても、こんなとこで練習してたら絶対誰かから聞かれるだろうに。
(空堵、変な努力してる)
彼の様子を見ながら、「ひらがなから始めるよりもカタカナから始めた方が楽なのに」と言いそうになった。
「わかった。内緒にしとく」
ヨムにも、他の人にも。
「レネコはいないのか?」
「寝てると思う。さっきあくびばっかりしてたから」
「そうか」
きっと、レネコは「なんで?なんで?」と問い詰めた挙句、周りに言いふらすだろう。彼女は何も知らないのだから。
会話の最中も、彼はひらがなを書き続けていた。
ある日。最善策がわからない日。
「ヨム大変!空堵の手まっかっか!」
レネコが大声を上げ、空堵のいる部屋から飛び出してきた。また彼が自分の体を傷つけたのだろう。
あたしは前にも、同じように右腕を引っ掻いて血だらけにした空堵の姿を見たことがある。その理由も大体わかってる。きっと、ヨムもおおよその検討はついてると思う。
部屋から出てきたヨムにレネコが近づく。
「ねぇねぇ、空堵どうしたの?」
「大丈夫よ」
「ほんとに?」
「駄目だよ、レネコ。触れちゃいけないことってあるんだから」
「聞いちゃいけないの?」
「空堵が可哀相だよ」
言いづらいことを言わせるのは、可哀相なこと。それに、何も知らない彼女を納得させるのは、難しい。だから言わない方がいい……と、思う。
「でも真っ赤……」
「駄目なの」
「むぅー」
そう言ってレネコは口を窄めた。
このまま皆で見て見ぬ振りをするのがいいのか、それとも本人に何か言うのがいいのか、あたしにはわからない。
ある日。友達の有難みを感じた日。
足の紐を結び直してスタートラインに立つ。
「ゆっくり走ろうか?」
「ううん、大丈夫。できるだけ理雨と同じくらいに走るよ」
でも、あたしがレネコより足が速いのは確かだ。少しだけゆっくり走ろう。
ピストルが鳴った。そのあとは夢中になって走った。
「一番?一番?やったー!」
レネコの声で、自分達が一番にゴールしたのだと気づいた。
足の紐を解くと、彼女は待機場所で座らずにキョロキョロと辺りを見回している。
「ヨムはどこにいるのかなぁ」
「昇降口の近くにいたよ?」
「昇降口?……あ、ほんとだ」
レネコが飛び跳ねながら両手を振ると、それを見たヨムが手を振り返してくれた。
「ねぇ、理雨。隣に知らない人がいるよ?」
「空堵の妹だと思うよ、あれ。レネコは会ったことないんだっけ?」
「うん。なーい」
「ヨムが誘ったんじゃないかな」
「ふーん」
そんなことを話しているとピストルが続けて鳴った。最後の組がゴールし終わったらしい。続いて昼食に関する連絡が放送で流れ始める。
水筒を抱えて二人で昇降口の近くへ行くと、ヨムが笑顔で待っていてくれていた。
「頑張ったわね、二人とも」
「ヨム見てたー?理雨と一緒に一番取ったんだよー」
「ええもちろん見てたわよ、レネコちゃん」
「千夏も来てたんだね」
「悪い?」
あたしが黒髪の少女へと言葉を投げかけると、彼女は不機嫌そうに答えた。
「ううん」
「理雨、呼び捨てじゃなくてお姉ちゃん呼びしないと」
「いいですよ、呼び捨てで。気にしませんから、私」
ヨムの指摘を、やんわりと止める千夏。
「いっつも機嫌悪そうな顔してるね、千夏」
「なにそれ」
「深い意味はないよ?」
「あっそ」
せっかく元いた家に帰れたのに、嬉しくないのかな?
あたしが元の家に戻ったって、もうあそこには誰もいない。皆、死んじゃった。
家に誰かがいる千夏がちょっと羨ましい。……支部が嫌なわけでもないし、ヨムのことは大好きだけど。
(千夏、変なの)
ヨムの手作り弁当でお昼を済ませ、応援席に戻るとレネコが何やら探し物をしている。
「あれ?ない!ない!」
どうやら、水筒を探しているようだ。
「ヨムのとこに置いてきたんじゃない?」
「あ!」
レネコにつられてヨム達のいる場所を見ると、ヨムがレネコの水筒を持っていた。
「取ってくる!」
彼女はそう言うと、急いで水筒を取りに行く。その姿を見ながら、思う。
(もし、レネコが学校に行こうって言わなかったら、ずっと支部でヨムのお手伝いばっかりしてたんだよね)
こうしてまた学校に通えて、運動会に出ることも、きっとなかった。
「ただいまー!……どしたの?理雨」
「ううん」
レネコと友達になれてよかったな、って。
ある日。家族の支えが潰えた日。
バタリという音に気づいて店へやってくると、床で倒れているヨムの姿があった。近づいてゆすってみるが、起きない。怖くなって慌てて他の人達を呼んだ。
「理雨もヨムの代わりにご飯作る手伝いする?」
「ううん、あたしはヨムの傍にいる」
ご飯作りの手伝いはレネコに任せて、あたしはヨムの眠るベッドの傍へ椅子を置いて座った。
不安で仕方なくて、思わずラウアールに話しかけた。
『ねぇ、ラウアール』
『なんだ?』
『ヨム、どうしちゃったの?』
『我に聞いてどうする』
『わかってるけど怖いの』
話していると、ヨムが目を覚ました。あたしは身を乗り出す。
「どうしたの?理雨」
(どうしたのじゃないでしょ)
「それはヨムの方だよ。お店で倒れてるなんてどうしちゃったの?」
「大丈夫、少し疲れただけよ。休んだら治るわ」
そう言ってヨムは力なく笑う。
体温計を渡して熱を測ってもらうと、微熱があった。
「ヨム起きたのー?」
エプロン姿のレネコがパタパタと大きな音を立てて部屋へ入ってくる。
「レネコはあっち行ってて。騒いでヨムの邪魔したらやだ」
あたしは強めに言う。
「はぁい……」
項垂れてレネコは部屋を出ていく。
「どうしたの?エプロンして」
「ヨムの代わりに他の人とご飯用意してるの」
「それ私のお仕事なのに。他の人に任せちゃ悪いわ」
ヨムが起き上がろうとするから、あたしは必死で止めた。
「駄目。ヨムは寝てて。具合悪いんでしょ」
微熱ある人は休んでなきゃ駄目なのに。
「はいはい、わかったわ。お休みしてるから」
「ご飯食べれる?お粥がいい?」
「お粥にしようかしら」
「わかった。言ってくる」
あ、そうそう。思い出した。
「ノートパソコン持ち込んでのお仕事も駄目だからね」
こうでも言わなきゃ、絶対何かしらの仕事をしそうだから。
「あらあら、バレちゃった」
やっぱり。
「ヨム、お粥がいいって」
キッチンでご飯の用意をしている人達に伝言を伝えると、レネコが振り返った。
「ヨム、だいじょーぶかな?」
「大丈夫だと、思いたい」
「理雨、泣いてる?」
「泣いてなんかないよ」
視界が滲んでいるのに気づいて、袖で拭う。
今までこんなことなかったから、すごく不安。すごく怖い。
ある日。空虚に嘆いた日。
ヨムの声が弱々しい。こんなヨムの姿、見たことない。とても不安。怖くてたまらない。
あたしが大泣きしてたらレネコが傍に来て一緒に泣いてくれたけど、なんであたしが泣いてるのかはわかってないみたいだった。
食欲がないなんて言ってお粥も少ししか口にしないヨムは日に日に弱ってく。
ヨムの手ってこんなに細かったっけ?
支部の雰囲気も暗くなってく。
ヨムの分まであたしが頑張らなきゃ。
ねぇ、どうやったら皆元気になる?元の明るい支部に戻る?
空堵の馬鹿。パチュリーの馬鹿。どうしていなくなっちゃうの?
二人が死んじゃってからヨムの様子がおかしいんだよ。
もう、やだよ……これ以上支部の人が――家族がいなくなっちゃうの。
- END -