@zauri8836
準備不足は正直に認めよう。言い訳が許されるなら急なことだったのだと言わせて欲しい。
休日の街で耳にした怪しい噂話はその場で警察を呼べるほど具体性のあるものではなかったが、それでも確かに危険な匂いのするものだった。危険に首をつっこむことに不安はなかったし、捜査の対象が向かったクラブが今夜は二人組の入店しか認めないと知ったときも、僕とアーロンなら問題ないと思った。条件は二人組であることだけで二人の関係を証明することは求められないと知っていたからだ。
今夜このクラブはカップルナイトを称するイベントを行なっている。イベントのことを教えてくれた女性たちは、女性二人でもナンパをされず過ごせる最高のイベントと言っていて、付き合ってないっぽい人たちもいるよと教えてくれた。実際、フロアを眺めていても入場している二人組の全てが恋愛関係にあるわけではなさそうだった。一方で愛し合っていることがあからさまな二人も当然いる。
フロアの恋人たちは年齢性別も様々で僕たちが浮くことはなかった。だからまさか、こんな追い詰められ方をするとは思ってなかったのだ。
「お兄さん可愛いもの飲んでるね。」
無事入店しターゲットを見つけた後、これでも飲んでろの言葉とともにアーロンから渡されたグラスに入っていたのはジュースのような飲み物で、女性が言っているのはそれのことだった。
「え、あ、はい。美味しいです。」
もっと具体的な感想を言うこともできたが食べ物について話す時の僕はリアクションが大きくなりがちで、目立つわけにはいかない今は無難な言葉だけを口にだす。というかなんで話しかけられているんだ?ナンパじゃないよな?カップルナイトだし!僕だし!
彼女のパートナーを探す僕のそぶりを察したのか、女性は恋人が飲み物を取りに行っていて暇なことを教えてくれた。そして彼女はだからちょっとおしゃべりしない?と続けた。
「お兄さんの彼氏、あの人?かっこいいね」
フロアに響く音楽は賑やかで、その中での会話は通常より近い距離で行うことになる。
聞き込みを行なっているのはアーロンだ。エリントンの問題に彼の手を煩わせるのは申し訳なかったが、捜査では適切な人材を適切な相手にぶつけることが大事なのだと僕たちはよく知っていた。
小さなスタンディングテーブルを囲むアーロンたちから少し離れて壁際に移動し女性と並んで話し始めるとアーロンがちらりとこちらを向く。何やってんだと語る瞳と目があったので問題がないことをジェスチャーで伝えた。3メートルも離れてはいないがこの喧騒だと言葉は届かないだろう。
「私と一緒で放って置かれてるのかと思ったけど彼氏さんちゃんと気づいたじゃん。」
アーロンのことを彼氏と呼ばれるのはなんとも複雑な気分だが否定するのはまずいだろうと曖昧な相槌を打つ。
「ね、いつから付き合ってるの」
そう言って楽しそうに僕を見上げる彼女の頬は、酒気でわずかに上気している。フロアを照らす色とりどりの照明を反射して輝く瞳が印象的だ。追い詰められたというのはこの質問にだ。この場にいる人たちの多くがカップルということは、こういう種類の会話を求められる場合もあるのだと知った。
「いつから、というか…」
付き合ってない、というのも今はおかしいだろう。もっとちゃんと設定を詰めてくるんだった。そう焦っていると背後から肩に手がかかり、ぐっと引き寄せられるままに重心が傾いだ。アーロンだ。
「こいつがなかなかうんっていわねぇから、まだオツキアイはしてねぇんだよ」
柔らかな声でそう行ったアーロンは、そのまま視線を合わせるように僕の顔を覗き込む。引き寄せられたまま近づく顔に慌てて上体を反らせば肩に置かれた手は抵抗なく外れた。からかわれているのはわかっているがあまりにも手馴れている。
「カップルナイトなのに?」
「俺は、今日からでも今からでも構わねぇんだがな」
その言葉に女性が楽しそうに笑う。そのまま会話の主体はアーロンと彼女に移った。
アーロンは僕のことをよくクサいというけど君も大概じゃないか!?そう声に出したい気持ちはとりあえず見ないふりをした。
「そろそろ帰るか?」
二人が続ける応酬は軽やかで、思いもよらないアーロンの一面に僕が目を白黒させているとそう声がかかった。
アーロンがここにいるということは聞き込みは終わったのだろうから確かに後は帰るだけだ。しかし時間はまだ23時を過ぎたばかりでイベントのメインは24時以降にも予定されている、ここで帰るのは不自然に思われないだろうか。
「あぁ、お兄さん日付変わるまでに帰んなきゃだもんね」
アーロンの提案にクスクス笑う女性が何に納得したのかがわからない。
女性の言葉に短く笑ったアーロンは指先を彼女の肩の向こうに向けた。
「あんたのツレ、来たぜ。かわいそうに恋人が男二人に絡まれて焦ってやがる」
「こういうとこ、慣れてないの」
女性は目線をアーロンに向けたまま、そう答える。
「だからアンタをほっといて酒を取りに行っちまうわけだ」
「わたしの分をね、可愛いでしょ。」
女性が恋人ーーアーロンの示す先で人に流されそうになっているメガネの青年ーーへ顔を向けるのと同時にアーロンがひらりと手を振り彼女から一歩距離を取る。別れを伝えるのと逆の腕は気づけば僕の腰に回っていたので僕の身体も彼に促されるままに移動した。
簡単な別れの挨拶の後の「彼氏さん、頑張ってね」というのが女性が最後に僕らにかけた言葉だ。
「アーロン、君めちゃくちゃ手馴れてないか!?」
「耳元でデケェ声出すな」
店から出て角を一つ曲がったところで驚きのままそうたずねるとアーロンはうるさそうな顔を隠さずに体を離した。すれ違ったカップルが僕の声に振り返る。身を寄せて歩く二人の目的地は僕らがさっきまでいたクラブだろうか。
「酒出す店での振る舞いなんてあんなもんだろ」
アーロンが女性のあしらいに慣れているという話はモクマさんから聞いたことがあるがいざ目の当たりにするとやっぱり驚く。あの、アーロンが!
まぁ聞き込みをしていたのもアーロンだったし必要に迫られて訪れた場所で不機嫌を表に出すような奴ではないのはよく知っていたけれど。
少し歩き、クラブからある程度離れた通りであたりを探るように見回すとアーロンが先にある路地を示した。夜のエリントンで酔っ払いも路上生活者もいない場所を探すのは少しばかり手間なのだ。
路地に人気がないのを確認して情報を整理する。アーロンが聞き出してくれた情報は、事件につながるかもしれない事実の確かさと緊急性の低さを同時に裏付けるものだった。
「それなら急ぐ必要はなさそうだな」
「今から出勤じゃねぇのか?」
「いや、今の話ならこんな遅くに行くよりは明日情報共有した方が良さそうだ。今日は帰るよ」
「そうかよ」
「だから明日の朝はちょっと出てくる。せっかくの休みなのにごめん」
アーロンの訪問に合わせて撮った連休は五日で今日が初日だ。特に出かける予定を立てているわけではないがせっかくの客人をないがしろにするのも気が引ける。
アーロンたちに出会う以前の国家警察ならいざ知らず、最近の同僚たちなら情報だけ伝えれば適切に処理をしてくれるだろう。朝ならば皆が揃っているので情報を広く伝えることができる。 明日も昼にはアーロンと合流できるはずだ。
お前の休みだ、好きにしろよ。というアーロンの言葉は優しい。
「そういえば、彼女が言ってたのどういう意味だったんだ?」
「あ?」
メトロを降りてうちに向かう道中、思い出したことをそのまま呟く。疑問の答えをアーロンは知っているはずだった。
「ほら、別れ際に彼女、僕のことをシンデレラって呼んでなかったか?」
別れの際、惚気を聞いてやれなくて悪りぃなと告げるアーロンに、シンデレラのエスコートは大事だものと意味ありげな笑みで返していた女性を思い出す。日付が変わる前に、ってのはそういう意味だったんだよな?
「あー、テメェがうまそうに飲んでただろ、あの甘い汁」
「そんなに甘いばっかりじゃなかったぞ?爽やかで飲みやすかったしー」
「あれの名前がシンデレラっつーんだよ。」
ちょっとした疑問は、答えを聞いてしまえばなんてことない話だった。
「…あれ、お酒じゃなかったよな?」
「てめぇは飲むと記憶飛ばすだろ」
「え、そんなことあったか?」
潰れるほどお酒を飲んだことはないと思うのだけど、アーロンとは家で飲むことがあるし気でも緩んでいたのだろうか。迷惑をかけたのなら悪いことをした。
つまり今の話を踏まえると彼女の微笑ましいといわんばかりの表情は、だ
「なんか僕、君にめちゃくちゃ大切にされてる恋人みたいに思われてたんだな?」
少し恥ずかしくなり笑い飛ばしてしまおうと隣を歩くアーロンを見上げる。
「ソーデスネ」
不自然な棒読みで応じるアーロンは眉間に深い皺を寄せていた。
「なんでそんな顔するんだ、君がやったことだろ!?」
「帰るぞ」
それだけ言って先を行くアーロンはいつもより早足だ。
「照れることないだろ?僕は嬉しいよ!」
「うるせぇわ、黙れ!」
「だいたい、うんって言ってくれないのは君なのにあの言い方はずるくないか?」
家に帰ってシャワーを浴び、あとは寝るだけの状態でアーロンの後ろ姿に話しかける。シャワーを先に済ませたアーロンはリビングのソファにかけたままこちらを振り向いた。
「……出かけてる最中に急に仕事を始めた男にしてはずいぶん自信があるんだな?」
「う…それは、そうかもしれないけど」
アーロンだって見過ごすことはしなかっただろうに卑怯な言い方じゃないだろうか。
答えあぐねているうちにアーロンがソファから立ち上がりこちら側に回り込む。首を上体ごと傾げて僕を見上げてくる目に宿るのは揶揄いの光だ。
「それとも、お前は俺がどーでもいいやつとヤるほど餓えてるように見えるのか?」
「またそういう言い方を…。」
眉間を押さえながら唸っていると視界の端でアーロンの腕が動くのが見えた。首の後ろに伸ばされたアーロンの指先がくすぐるようにうなじを撫でる。呼び起こされるのは性感だ。
「彼氏サンはがんばらなくていいのかよ」
それでいてクラブで話した女性の言葉を持ち出すのだから僕の彼氏はタチが悪い。明日の朝は、本当なら起きるのが何時になってもよかったのになんてことを思い出す。
「別に、言葉がなくても君のことは信頼してるから。君のぶんも僕が君のこと好きだっていえばいいんだろ?」
「言ってくれたら嬉しいって顔に書いてあるぜ、ドギー」
仕返しのように投げかけた言葉は否定できない言葉に叩き落とされた。アーロンの腕はすでに彼の体の横に戻っていて、今日はおそらく別々のベッドで寝ることになるだろう。
「でも君に無理やりいわせて喜ぶようなことは僕はしないからな!」
口角を上げたままのアーロンの手の内で転がされるのが悔しくて言葉を重ねる。会話を終わらせるのが惜しいのも本音だ。
「案外、テメェが忘れちまってるだけだったりしてな。」
耳元に寄せられた口から出た言葉に心当たりはなかった。
「明日、帰りに肉買ってこいよ」
姿勢を元に戻したアーロンにどういう意味だと尋ねるのに口を開いたら遮るようにそう言われた。
「その後一歩も家を出なくていいくらいな。」
その言葉の意味を咀嚼している僕にアーロンは一言、いい夢みろよと告げて上階の寝室へと足を向けた。おでこへのキスのおまけ付き。子供じゃないんだぞ。
明日、一歩も家を出なくてもいいくらいという言葉の言外の意味は子供に向けるには不適切だ。僕らは子供ではなくて、久々に会う恋人同士なのだから適切なのだろう。
その後は今日得た情報を明日どのように的確に、簡潔に伝えてここに帰るのかを考えるのに必死だった。アーロンのかけていたソファーの後ろを意味もなく往復して考えをまとめる。
とりあえず、皆の勤務開始時刻は待たなくてもいいだろう。