6/6頭割りにて頒布予定の短編集。
誰でもない人から見た英雄たちのお話。時たまNPCが居たり、現在のゲームの仕様とは変わっているものを題材にしたり。5.3までのメインストーリー、ジョブクエスト等のネタがあります。
@14_rome_
1
暑くて寝付けない。窓を開けても、外から流れてくるのは生温い風。こんな夜に思い出すのは、母から聞いた昔話だ。母は昔、とある英雄に会ったことがある。その英雄は、光の戦士と呼ばれていた。何故、光の戦士と呼ばれているのか母に尋ねたが、母もその名の由来を知らなかった。
母がまだ父と出会う前。ある夏の日、光の戦士が母の働く宿へやって来たそうだ。その日も今日みたいな蒸し暑い夜で、生ぬるい空気と共に、その人は宿を訪ねてきた。光の戦士は、来て早々、こう言ったそうだ。
「今日は凄く蒸し暑いですね」
蒸し暑いのが当たり前だった母は、すぐに光の戦士が他所から来た人だとわかった。
「あら、異国から来た人? ここ連日、毎晩こんな熱帯夜よ」
「そうなんですか? ひんがしの国は雪も降ると聞いていたのですが」
「本島の方はね。シシュウは比較的温暖で、この季節は湿度もあって蒸し暑くなるのよ」
「へぇ……大変ですね」
「本当、幽霊でも化けて出たら涼まないかしら?」
「こら! 店の従業員がロクでもない事を言うでないよ!」
途中、厳しい女将に叱られたそうだが、母は懲りずに光の戦士へ言ったそうだ。
「でも、本当に。ぐっすり寝付けるのなら幽霊にでも出てきて欲しいわ」
そんな母の態度に、なら、と苦笑しながら光の戦士は母に提案した。
「私がもし、どこかで死んだら。幽霊になってここへ化けて出てきますね。その時、幽霊が来たら本当に涼しいのか、感想を教えてください」
「貴方、面白いことを言うのね」
「お前は、いい加減に仕事へ戻りな!」
「はぁい」
再び女将に叱られて、ようやく母は仕事へ戻ったそうだ。その後、店の従業員の噂話で、その人がドマや西の国を救った英雄だと母は知った。その光の戦士に会ったのはそれ一回きりだったが、噂になっている英雄と直接話をした母は、暫く光の戦士の話を少々派手に語り続けたそうだ。
結局、光の戦士が母の枕元に立つことは一度もなかった。英雄様を語り継いでいた母も、少し前に老いで人生の幕を静かに降ろした。喪に服す期間も過ぎて、初めての夏。今日も変わらずこの街は、熱帯夜に包まれていた。ぼんやりと窓の外の星を数えていると、生温い風が家の扉を揺らした。
〈母から聞いた英雄の話〉
2
「そんな事してると、あの時の光の戦士みたいになるよ!」
ママがおこった。ぼくはしってる。あのときの光のせんしが、どんなにかなしい顔だったのか。夜ごはんにクリームマッシュルームがあったときの顔をしていた。ママにむりやり、にがいおくすりをのまされたときの顔をしていた。となりのおうちのみーくんに、なでたらひっかかれたときの顔をしていた。
そんな顔で、あのとき、えいゆうさまは、おちたアイスを見てた。だからぼくは、ゆっくり歩いて、このアイスがおちないよう気をつける。
えいゆうさまはね、チョコが好きなんだって。
〈少年がみた英雄の話〉
3
「やあ、君も冒険者かい? 僕の名前はミューヌ」
この森には、魔女と呼ばれている人物が居る。グリダニアの窓口、カーラインカフェを営んでいる店長のミューヌだ。この森の人々へ憩いの場を提供するだけではなく、冒険者ギルドの顔役でもある彼女は、冒険者や街の人々との仲を持ち、誰にでも心休まる紅茶を淹れてくれる。その紅茶を飲んで思わず、ほっと息をついてしまうのは、余所者の冒険者も街の人々も変わらない。確かに彼女は、人の心を操る魔女だった。
私がまだ駆け出しの冒険者だった頃、そんな魔女から聞いたとある話だ。
「僕は、とある英雄に呪いをかけたんだ」
その英雄は、初めは私と変わらない、ただの駆け出しの冒険者だったそうだ。
「ある日、その英雄はチョコボキャリッジに連れられ、この森に降り立った。まだ右も左も分からない冒険者の卵で、このカフェの前でベルテナンに追い立てられていたっけ」
自分も初めてグリダニアへ来た際、ベルテナンに小言を言われたのを思い出して、思わず苦笑した。今となっては彼の態度も少しは丸くなったが、この森のエレゼンは少し余所者に厳しい。
「どこにでも居る冒険者だった。けれどもその人は、いつの間にかグリダニアだけではなく、エオルゼア三国を渡る冒険者になった。その内、蛮神問題に巻き込まれたと思ったら、次々に各国の蛮神達を倒し、英雄と呼ばれるようになったんだ」
その英雄の話は、彼女に聞く前から知っていた。ただの冒険者がエオルゼアの英雄となり、暁の賢人たちと蛮神達を鎮め、帝国と戦い、あのイシュガルドも開国させ、今ではエオルゼアを飛び出し、色んな国を冒険していると聞く。冒険者なら誰もが噂する英雄様だ。
「でもね、その人を『英雄』と、一番最初に呼んでしまったのは僕なんだ」
魔女は懺悔するように目を伏せ、両の手を胸の下で交差させた。
「その人は、決して初めから英雄ではなかった。それでも、その人の活躍を見て聞いて、僕は英雄だと思ってしまったんだ。誇らしかった。右も左も分からなかった冒険者が、この森の門戸を叩き、この森で成長し強くなっていく姿が、とても誇らしかったんだ」
そう語る魔女の顔を見て、僅かながらにも後悔した。彼女は嬉しそうだった。誰にでも公平に紅茶を淹れてくれる彼女も、そんな顔をするのだと思ってしまった。
「だから僕は呪いをかけた。『君は英雄だ』と。その言葉がその人を縛ることも知らずに。ただの冒険者を、英雄へと変えてしまった」
「……アンタは後悔してるのか?」
思わずそう問いかけてしまうと、彼女は少し驚きながらも「いいや」と首を左右に振った。
「僕が後悔してしまえば、心優しい英雄様は、その心を痛めるだろうからね」
だから自分は紅茶を淹れて出迎えるのだ、と。魔女は一杯の紅茶を淹れた。それは、頼んだまま手つかずになっていた、ラプトルシチューの横に置かれる。いつの間にかシチューは冷めていた。紅茶の湯気が魔女のため息で揺れると、柔らかなハーブと花の香りがした。
「君も冒険者なら、英雄様を目指すかもしれない。けれども、僕は呪いをかけないよ。僕の呪いはひとりにしか、かからないからね。だから君は、君だけの冒険を楽しむんだよ」
人の心へ寄り添う魔女に、そんな顔をさせる英雄様は、きっと色んなことがあったのだろう。辛いことがあったのかもしれない。胸を裂くような別れを経験したのかもしれない。それでも、英雄と呼ばれる道を進んでいる。何故なら今、この時も、その人は英雄と呼ばれ続けているからだ。自分はそんな英雄になれるのだろうか。それは、冒険者を始めて暫く経った今でもわからない。
確かだったのは、ラプトルシチューは冷めてしまってもおいしかった。
〈魔女に呪いをかけられた英雄の話〉
4
あれは殺戮である。
鳴き声が聞こえる。それは、同胞がいとも容易く命を刈り取られるときに上げる声だ。
鳴き声が聞こえる。それは、同胞が必死に立ち向かって子どもを逃がす叫びだ。
鳴き声が聞こえる。それは、同胞が無残にも身体を削がれる音だ。
我々は怯え、震える。為すすべもないまま、或いは必死に命の最期まで抵抗をしながら。それでも、我々は生きている。明日終わるかもしれない命を必死に守っている。
今日も我々は、あの人間を見て震えるのだ。
『カラクールの粗皮×3を入手しました』
『フリース×2を入手しました』
『カラクールの……』
〈雪の影から見た英雄の話〉
5
あの日見た星の数も、私はきっと覚えているでしょう。
兄と逸れた星の降る夜。草陰を揺らす風に怯えながら、縮こまっていた私に声をかけてくれた貴方。私の右手を引いてくれた手は、決して華奢なものではなかった。心細かった私の心は、その指先に触れた途端、内側から確かに熱を帯びていきました。それまで怖かった夜の草原が、貴方と一緒に歩くだけで、あんなにも綺麗なものだと知ってしまった。
草と土の匂いを運ぶそよ風も。地平線に沈んだ赤々と燃える夕陽も。この広い草原へ雨のように降る星の煌めきも。それらはきっと、あの出会いを彩る装飾品でしかなかった。私はあの時、初めてこの素晴らしい人生を祝福しました。
嗚呼、私、貴方を好きになったわ!
貴方は冒険者。この草原に囚われない踊る草花のように、貴方は風に舞って行ってしまうのね。貴方を求める私以外の声に導かれて、沢山の世界を見に行くのでしょう。私はそんな貴方を想いながら、このひとりで歩くには大きすぎる草原で、羊の世話をし、布を織り、星を数え、きっといつか貴方に忘れられてしまうのね。それでも構わないわ。それでも私は貴方を好きで居続けるわ。そよ風と共に、つむじ風と共に、嵐と共に世界を歩く貴方のことを想い続けるわ。だって貴方の目は、あの夜のどの星よりも輝いていたのだもの!
届かない私の一番星よ、いつまでも見守っていてね。私もいつまでも見守るわ。夜空に貴方が居ないことを確かめて、きっと何度も泣くのでしょう。それはきっと、とても素敵な時間だわ。だって、貴方は輝いているのだから。
でもね、もし貴方がこの広い草原を愛していたのなら。騒めく原っぱに、笑う川の音に、笑みを落とす太陽に、貴方の故郷に似た何かを感じていたのなら。きっとこの草原へ戻ってきてちょうだいね。私のことは忘れていてもいいから、貴方を私たちの流儀で迎えさせてね。昏きに落ちる前に素敵な夢を見ましょう。兵隊蟻の足音は、きっと規則正しい針の音だわ。山羊乳酒で微睡みに落ちた貴方を、後ろからぎゅっと抱きしめて。そして耳元でそっと囁くの。
「貴方のことが、好きでした」って。
でも、決して貴方は振り向かないでね。私はきっと醜いでしょうから。寂しいけれども、決して貴方は振り向かないの。
嗚呼、私、貴方のことが好きなのよ。
〈草原の乙女から見た英雄の話〉
6
賑やかになったイディルシャイアで、ひとつの噂が立っていた。
『低地ドラヴァニアの木人近くで、どうやら亡霊が出るらしい』
グールなら倒せばいい。冒険者がよく集うイディルシャイアでは、そう考えるのが普通だ。しかし、その亡霊は誰かを襲ったという報告はなかった。木人を叩いている冒険者の側でじっと見つめていたり、はたまた誰も居ない木人前で棒立ちをしている事もある。その亡霊が居るからといって、何か被害が出たわけではない。
しかし。ある日、たまたまその亡霊を見かけたイディルシャイアの住人は気づいてしまった。その亡霊が、いつか自分を助けてくれた光の戦士だったことに。
「どうすればいいかね……」
その光の戦士に助けてもらった事がある人たちは、皆頭を抱えた。助けてくれた恩がある。何か伝えたい事があるのならそれを聴きたい。しかし亡霊は、ただただ木人の側に居るだけなのだ。
「別に被害が無いなら放って置いてもいいが、他の冒険者に倒されてしまったらな……」
「実際には木人を叩いている冒険者達から、邪魔だと苦情が出ている。何とかせねば……」
助けてくれた光の戦士に何も出来ずにいると、ある日、たまたまその会話を聞いていた別の光の戦士が声をかけてきた。
「その亡霊は、ずっと木人の側に居るんですか?」
身なりでその人物が冒険者だと分かると、すぐに助けを求めるように返事をした。
「ああ、あの亡霊が出てきてもう大分経つが、木人付近でしか出てこないんだ」
「そうですか。……そしたら、今度その亡霊と出会ったら言ってみてください。『ご飯食べた?』と」
「は? ご飯?」
「はい、一度言ってみてください」
別の日。イディルシャイアの住人は言われた通りに亡霊へ伝えた。すると、今まで無反応だった亡霊が目を伏せたまま、静かに頷いたのだ。
「でも、それっきりだったんだ」
「そうですか、……そしたら、次は『薬割った? 装備の更新はした?』とお伝えください」
また別の日。イディルシャイアの住人は、言われた通りに伝えた。すると、また亡霊は静かに頷いてみせた。
「では、次は『アーゼマあげる』とお伝えください」
また別の日。イディルシャイアの住人は素直にそう伝えた。すると今度は、亡霊が首を左右に振ったのだ。
「あれ? 火力じゃなかったのか。そしたら、『サリャクあげるから平気だよ』とお伝えください」
また別の日。イディルシャイアの住人は亡霊を捕まえて伝えた。すると、また亡霊は首を左右に振った。
「ヒラじゃないのか。そしたら、『ハルオは連環計とリタニーに合わせるね』とお伝えください」
またまた別の日。イディルシャイアの住人は、縋るようにそう伝えた。すると、亡霊は顔を上げた。その顔を見た人は、思わず固まった。その亡霊は驚きながらも、とても嬉しそうな顔をしていたのだ。そして、満足そうに微笑んで消えていったという。それを見届けた人は、泣きながら急いでイディルシャイアへと戻って行った。
「そっか、クリティカルが欲しかったのかぁ。その方、詩人さんだったんですね」
その冒険者は何故か、死んだ光の戦士が吟遊詩人だと知っていた。
〈零式に敗れた英雄の話〉
7
「光の戦士? この国の英雄サマのことかい? なぁんだ、アンタ知らないのかい?!」
「この国には、それはそれは凄い光の戦士がいるのさ! 最初はただの冒険者だったんだよ。街の人たちの手伝いをしてるだけだったのに、いつの間にかこの国を飛び出し、今や世界を飛び回ってる! そんな凄い光の戦士がこの国で育ったのさ! 本当、同郷のアタシ達は鼻が高いわ!」
「……ご近所だったのよ、英雄サマと。よく、お母さんの手を抜けて迷子になっては、ピーピー泣いてたっけねぇ? あんな小さかった子が今ではどうだい? 世界を救う英雄サマなんて、あたしゃ涙が出てくるよ……」
「え? なんだい、父さん? はぁ? あの子は死んだって?……あぁ! そうだった、そうだった! ごめんね、旅人さん! 勘違いしてたわ! 今話した子は、イシュガルドの戦争に巻き込まれて戦死したんだったわ! いやぁ、よく間違えるのよ。何せこの国には、光の戦士なんてごまんと居るからねぇ……さぁ、何を買ってくれるんだい?」
〈とあるおばさんから聞いた英雄の話〉
8
聞き慣れた海鳥の鳴き声、鼻孔を擽る嗅ぎ慣れた潮風。頭上から照りつける太陽の日差しが、水面へ反射しては目の端を掠めていく。変わらない日常、何もない一日。リムレーンのヴェールに覆われたこの街の波は、今日も穏やかだ。
午前中を汗水垂らしながら過ごすと、昼食の時間はあっという間にやってくる。今日の昼食は、緋汐海帰りの船に乗っていた、あるポポトを使ったイールパイだ。いつもより粘り気の強いマッシュポテトとウナギにかぶりつくと、口いっぱいに香ばしい香りが広がる。エールでも片手に食べ進めたいところだが、まだ午後の仕事が残っている為、仕事仲間とお喋りをしながらその欲を濁らせた。
「そういえば、知ってるか? このポポト、イディルシャイア産のものだが、イディルシャイアにこのポポトの種を持ち込んだのは、かの英雄様らしいぞ」
「……英雄って、あの光の戦士のことか?」
この都市に、いや、このエオルゼアに住む人なら、どこかしらで聞いたことがある話だ。第七霊災から語り継がれているこの国の英雄。名前も知らない彼らのことを、自分たちは光の戦士と呼ぶ。見たことはない。でも、自分たちの知らない所で、彼らはこの国を蛮神や帝国から守っていると聴く。
「なんでもこのポポト、第七霊災前に育ててたメークインポポトなんだってさ。交配に使いたいからって、わざわざひんがしまで行って採ってきたらしいぞ」
「どこか懐かしいと思ったら、メークインポポトだったのかぁ」
自分も馴染みのある舌触りに納得した。輸出していたものが、まさか東方で育ち、また故郷へと帰ってくるなんて。何だか奇妙な縁を感じた。
「そういえば英雄様で思い出したが、ブルゲール商会のスプリットクラウドも、その英雄様が広めたらしいぞ」
「え? あれは百鬼夜行の頭目が広めたんだろう?」
スプリットクラウドとはイシュガルドの雲海で釣れる雲海魚だ。雲海を泳ぐ魚だなんて、そんなものが居るのかと少し前は疑っていたが、イシュガルドとの貿易が徐々に緩和されてきた今では、疑う余地もない話となっている。そのスプリットクラウドは、なんでもイシュガルドでは立身出世の願掛けによく好まれて食すらしい。それを百鬼夜行の頭目であるカルヴァランがブルゲール商会から仕入れ、最近リムサロミンサを始めとする三国へ広めているのだ。噂では東方にも輸出先を延ばしていると聴く。
「あれは確かに美味かったな」
「話を広めてるのはカルヴァランらしいが、商会の仕入れ元は英雄様なんだってよ。英雄様が釣りあげなければ、商会も雲海魚なんて信じなかったらしい」
「なんでい、国を守ってるのかと思ったら、俺たちの食卓まで守ってるのかい」
それは笑い事ではなかった。冒険者は楽でいいなと、思わなかったわけではない。地道に、汗水を流し、働いている自分たちには家族が居る。妻も子供も、養わなくてはいけない大切な家族だ。自由気ままに冒険をしている暇などはない。この街にはたくさんの冒険者が往来している。今日はどんなモンスターを倒した、今日はどんなダンジョンで冒険をした。普通に生活をしていれば、海鳥の鳴き声と共に耳にする話し声だ。そんな自分勝手に生きる冒険者達を、疎ましく思う日もなくはない。羨ましいと思ったこともある。
「……自分の命張って、更に人の生活に入りこむなんて、根っからのお人好しなんだなぁ」
そう誰かが口にした言葉が喉に刺さった。ウナギの骨は、粘り気の強いマッシュポテトに包み込まれたまま、喉を通っていく。きっと、仕事仲間も考えてることは同じだ。誰だって、一度は自由な冒険者に憧れを持った。でも、自分たちは冒険者ではない。自由気ままに、波のように流れる冒険者では居られない。自分の大切なものを守るために、風を読んで帆を動かさねばならない。でも、帆を動かし進路へと進むには、穏やかな波が必要なのだ。
「……そろそろ再開するか」
「今日はさっさと終わらせて、美味いもんでも食いに行こうぜ」
「そうだな! よし、今日も頑張るか‼」
きっと明日になっても、十年経っても、自分たちは英雄様の名前を知ることが無いのかもしれない。それでも自分たちは、これからも毎日、変わらない日々を過ごすのだろう。冒険などといった刺激は一切ない、平凡で何もない日常を。その陰に、顔も名前も知らない英雄様の存在を感じながら。
今日もこの街の波は穏やかだ。
〈国と食卓を守る英雄の話〉
9
「最近、俺の部屋の真上に水晶公の知り合いが住み始めたんだ」
俺の部屋の真上は、俺の部屋と違って見晴らしが良いし、デカイ部屋だったんだけど、何故か、なかなか住み手が見つからなくてな。そしたら、どうやら水晶公があの友人の為に、ずっと取って置いた部屋らしいんだよ? いや、本当本当! グリナードがそう言ってたって! まぁ噂かもしれないけど、お前も見たって言っただろ? あの人が来た時、水晶公がクリスタリウムを走って迎えに行ったって!
あぁ、話がずれたな。いや、水晶公の大切な人だってのも気になるけどさ! 俺、聞いちゃったんだよ。夜空が戻ってきてから、俺ずっと窓を開けて過ごしてるんだけどさ。お前らもそうだろ? あんな綺麗なもんずっと見てたいよな?!
その日もヒトデを探すのに必死になっていたら、声が聞こえたんだよ。俺の部屋の両隣は岩肌に囲まれてるから、聴こえてくるのは上の部屋からの声だけなんだ。つまり、あの人の声だ。最初は、独り言でも言ってんのかなって思ったんだけどさ、どうやら誰かと一緒に居るらしい。でも、その相手の声が全然聴こえなくてさ。水晶公かと思ったんだけど、公の声なら気付くだろうし、他の客人の声もしねぇの。夜が戻ってからやけに静寂ってモンを感じるようになったし、誰かと話してるにしては静か過ぎるんだよな。でもそれが、何度も続いたんだ。
……ある日さ、泣いてたんだよ。なんかあの人、遠いところでも辛い目にあってたらしい。しんどいとか、もうやめたいとか。本当だってば! あの人もそういうこと言うんだよ。俺たちの前では、決してそんな素振りを見せないのにさ。でも、少しだけ沈黙が続いたなって思ったら、ハッキリ言ったんだよ「ありがとう、あるばーと」って。多分話し相手の名前だと思うんだけどさ。公の客人に、その名前のやつ居なかったよな? でも、その声がやけに、なんていうんだ? 優しいというか、その、凄い……暖かかったんだよ。笑うなよ! でも、本当にそう感じたんだよ! 家族に言うでもなく、友達に言う感じでもない、なんて言うんだ……?
あ、いや、違う! また話が逸れた! いや逸れてはいないんだけど、そうじゃないんだ! 言いたかったのは、そのあとのことなんだよ! 俺、その声聞いたら、なんかソワソワしちゃってさ。ちょっとあの人に声かけてみようかな、なんて思いはじめちゃって。酒も飲んでたし、勢いで上の階に行ったんだ。そしたらその階に上がった瞬間、タイミング悪く、何かあったのかあの人が部屋から飛び出して行ったんだよ。すれ違って「ごめん!」って言われて。俺さ、確かにひとりだったんだよ。その人もひとりだった。廊下に誰も居なかったの確認した。そんで凄い急いでたのか、あの人の部屋がさ、開いてたんだよ。でも、さっきまで中にいた「あるばーと」が居るなら、そいつが部屋の扉を閉めるよな? でも、ずっと見てても閉まらないんだわ。あの人と一緒に誰も出て行ってないんだぜ? 俺、確かに見たし、あそこの見晴らしの良い階段で分からない訳ないじゃん? ずっと扉開けっぱだから、俺さ、中の「あるばーと」が気づいてないんだと思って、声かけたんだよ。「扉、開いてますよ」って。そしたら、何の返事もないの。迷ったよ? 俺、めっちゃ迷ったけど扉開いてるじゃん? ちょっと部屋の中を覗いたんだよ。「あるばーと」がどんなのか見たくて。……でもさ、中に誰も居ないんだわ。本当、本当! 思わず中に入って確認しちゃったもん。いや、ちゃんと俺、次の日謝ったぜ?! 扉開いてて思わず中見ちゃいましたって、正直に言ったよ! でも、本当に誰も居なかったんだよ……俺、謝った時も、なんか怖くて聞けなくてさ。あの人、誰と喋ってたんだろ。
――え? 妖精? ピクシーと契約してる? え? まじ? お前見たの? え? 公とピクシーと一緒に居たって? ちょ、おま、まじさ〜〜! 先言えよ! 俺、すっごいドキドキしてたんだけど?! なんだよ、妖精ならそりゃ見れねーじゃん?! わかんねーわ! はいはい、ドキドキした俺が馬鹿だった! 俺さぁ、てっきり………もう! 笑うなよ! グリナード、酒追加! はいはい、こんな俺を笑い者にした「あるばーと」に乾杯! ラリホ~~!
〈妖精にされた英雄の話〉