@shikanoko_aki
お前、いい人はいないのか。酒の席で同僚から投げかけられた、何気ない一言。「いい人」という言葉が何を意味するのかくらい、色気がないと仲間内で揶揄されるオレにだって理解できた。恋仲の相手、もしくは、それに相当する想い人の有無を問われているのだ。
「いない」
一瞬も考える余地なく返答して、手元の薄い酒を煽る。同僚からは、つまらんなどといった野次が飛ぶ。
「そう言われても、興味がないんだ」
そう答えるや否や、奇異の視線がオレに集中するのだ。皆、信じられないという目でこちらを睨んでいた。
そんな異常者のような扱いをされたとて、それが紛れもないオレの本音なのである。オレ、張儁乂は色恋沙汰というものに、あまり関心がない。今はそんなことよりも、武功を挙げて出世することの方が、武人たる己にとっては重要だった。
「……おだてるな。別に、モテてない」
その顔なら、女の方から寄って来るだろうに。冗談めかして、酔っ払い共が囃し立てる。友の評価を即答で否定して、オレは更に注がれた酒を喉に流し込む。自分の容姿の良し悪しなど、よく分からなかった。
「好みの、タイプ…?」
ならば、どういう女性が好みなのか。また、別の同僚が絡むようにオレへと問い詰める。正直に答えるまで、離さぬぞという強い意志で、酒臭い顔が迫り来る。
「……そうだな。しいて言えば、お淑やかで気立ての良い人、かな」
少し照れ気味に、しかし、率直に回答する。朴念仁とすら称されるオレにとって、こういう話題には不慣れだった。
答えてから、ふと思った。そういえば、オレの想定する理想の相手は、あの人とはまるで正反対であると。
あの人とは、端的に言えばオレの上司に当たる人物である。軍師、名を郭図と言った。では、何故この会話の流れから、その人が唐突に、オレの脳裏に思い浮かぶのか。その理由について、順を追って話してゆこう。
話はひと月ほど前に遡る。その日も、オレは今日のように同僚と酒を酌み交わしていた。と言っても、仲間内だけの気安い酒席ではなかった。その日は軍内の親睦会のようなもので、将軍も一兵卒も関係なく、同じ卓を囲んでいた。つまりは、その宴会には上司である軍師の姿もあったのである。
……うわあ、もう出来上がっているな
オレの座る卓と軍師のいる場所とは、比較的離れていた。にも関わらず、遠目でも分かるくらい軍師は酩酊してしまっていた。どうやら、酒には弱いらしい。そのくせ、まだ盃を煽っているし、それを止める者は誰一人としていない。
前提を述べておくが、オレはこの郭図という軍師があまり得意ではない。などと、誰に聞かれるわけでもない独白なのであるから、婉曲的な表現を用いる必要はないか。であれば、ハッキリと明言する。かの軍師は扱い辛く、厄介であると。
あの人の周囲だけ、人が避けて通っている……
そう思っているのは、オレ一人というわけではない。その証拠に、彼のいる場所には明確に人が寄り付かなかった。あの軍師とわざわざ関わりたいという危篤な人間は、いないということが一目瞭然。無論、オレも例に漏れず。
軍師は率直に評価すると、性格が悪い。性格が悪いと一言に述べても、様々なタイプがあるが。では、軍師がどのような人物であるか。語らずとも、実際に見てもらう方が早いだろう。
「……飲み過ぎです。軍師」
卓上に項垂れるその男の肩を、オレは溜息混じりにポンと叩く。念を押してもう一度述べるが、オレはこの人がさほど好きではない。ならば、わざわざ自ら声を掛けるなど愚行である。そんなことは、自分でも分かっていた。
しかし、残念ながらオレはこの男を放っては置けないのである。腐っても彼は上司である。上司の欠点を補うのも部下の仕事だ。軍師を無能だと一蹴するのは容易いが、それを支えてこその将ではないか。そう思えば、無碍にも扱えない。
「……うるさいぞ。張しょーぐん」
眉根を顰めたくなるほど酒臭い軍師は、心配して様子を見に来た部下へ、開口一番、呂律の怪しい口で文句を言う。この時点で、既にオレの不愉快ゲージはわずかに増加していた。
軍師の欠点その一。素直さがない。人が心配して声を掛けてやっているというのに、礼を言うどころか不服を露わにされれば、誰だって腹も立つというもの。
「ほら。もう、お飲みになるのは止めて……」
「あーっ!私の酒を奪うなあっ〜!!」
彼の手元から強引に酒を奪う。すると、その上司はまるで子供みたいに、ポカポカとオレの胸を叩いて抗議するのだった。酔っ払いの、そもそも貧弱な軍師の攻撃など、大した痛みではなかった。それはそれとして、オレの不愉快ゲージはまた少し増加する。
軍師の欠点そのニ。人の意見に耳を貸さない。常に自分が正しいと思い込んでいる彼は、部下であるオレ如きの進言など、プライベートはおろか、職務に於いても聞き入れようとはしない。そんな上司が、下に慕われるものか。
「いい加減にして下さい。周りから見捨てられているのがお分かりになりませんか?」
軍師の欠点その三。人望がない。彼の周囲に人が寄り付かないのは、当然、厄介事に巻き込まれたくないからというのもある。が、一番の理由は純粋に、この男が嫌われ者なだけなのだろう。
「……おい。ちょっとそこに座われ」
「ちょっ…!?ぐ、軍師……!?」
軍師の欠点その四。こっちの話など、ちっとも聞いちゃいない。酔っ払いの上司はオレの腕をグイグイと引っ張ると、強引に自分の隣へ座らせようとする。本気で抵抗すれば、彼の腕など容易く振り解けたが、仮にも上司なのでオレは渋々と素直に従うしかなかった。
その先が、どのような展開になるかなど、だいたい想像が付いた。
「だいたい、お前はいつもいつも私に反抗的だぞ…!」
ほら、面倒な説教が始まった。この上司は、酔うと厄介な絡み酒になってしまうタイプなのだ。そして、こうなると長い。軍師の欠点その五。常日頃から話が長い上に、面白くない。
「貴様は策を与えても、すぐに失敗してくるし……」
軍師の欠点その六。とにかく、上から目線で話す。いや、事実上、彼の方が立場が上ではあるのだが。それにしても、過剰に偉そうなのである。自分が優秀であると慢心していなければ、あんな態度には普通ならない。
「それは軍師の失策なだけでしょ」
黙ってチクチク小言を言われ続けるのも癪なので、オレはボソリと本音を漏らす。不愉快ゲージはかなりの増加量に達していた。幸い、オレの限界値が高いおかげでまだ耐えられているが、短気な者ならとっくにキレていたことだろう。
「んん?何か言ったか…?」
「いいえ。何も」
何故、こんな軍師の下に配属されてしまったのか。自分の不運を呪いながらも、真面目すぎる性格故、邪険にもできない。ぞんざいに扱いつつも、結局のところ、オレはダメな上司の面倒を看てしまうのだった。
と、そんなこんなで、どれほどの無駄な時間が過ぎ去っただろうか。酒のせいでいつも以上にクドい軍師の説教、からの自慢ばかりの昔話。もちろんオレは生返事で相槌を打ちながら、右から左へ聞き流していたので内容は記憶にない。
いつまで続くんだこれ……
さすがに、オレの我慢も限界に達しつつあった。周囲はもはや宴もたけなわといった様子で、宴席に残っている者の姿はまばら。大方は早々に撤収し、今頃は各自の部屋でゆっくりしていることだろう。正直、オレも早くそれに倣いたい。
「……軍師、あの」
いいや。もう耐えられない。痺れを切らしたオレは、とうとう軍師へと苦言を呈する決意をした。その、直後の出来事である。
「あ…れ……?」
ほんの数分、いや数秒前まで、呂律の怪しい口調で延々と管を巻いてはずの男は、オレが一瞬目を離した隙に卓上へと突っ伏していた。先ほどまで、煩いくらいに動き続けていた唇から漏れるのは、今は安らかな寝息のみ。
「コイツ、寝てる……」
思わず、オレは上司に対してあるまじき呼称を口走っていた。だが、どうせ相手は既に夢の中。聞いていないなら遠慮する必要などなく、オレは大袈裟な舌打ちと共にやり場のない怒りで堅く握った己の拳をわなわなと振るわせた。
今、この拳を馬鹿上司に振り下ろせば、彼にバレることなく幾分かの憂さは
を晴らせることだろう。けれども、オレにはそんな卑劣な真似は出来そうにもなかった。
「……このまま、捨て置いてやろうか」
間抜け面で眠る軍師の赤ら顔を眺めていたら、そんな本音がポロリと漏れた。宴会場で酔い潰れて眠った男として、翌朝恥でもかけばいいのに。
「………はあ」
などと、意地の悪い考えを巡らせながらも、オレは毎度ながら建前を優先してしまうのである。なんとも、お人好しである。
というわけで、損な性格をしているオレは、酔い潰れた軍師の身体を致し方なく担ぎ上げる。ひょろっこい体格の男は、それほど労せず持ち上がる。
「重っ……」
とは言え、眠っている人間というのは実際よりも重く感じるというもの。オレは幾分かの皮肉を足して、少し大袈裟に悪態を吐いた。まあ、どうせ彼には聞こえていないのだけれど。
そんなこんなで、オレは付き合いの宴席という特に楽しくもない酒を飲まれた上に、面倒な上司の絡み酒に付き合わされた。散々に説教を食らった挙句に、寝落ちた軍師の介抱までやらされ、本当に踏んだり蹴ったりだ。
「ほら。着きましたよ。軍師」
「う、う〜ん……」
彼の自室に辿り着いたオレは、兎にも角にも、腕の中の重たいお荷物をベッドの上へと乱雑に転がす。ぼんやりと意識があるのか、それともただの寝言か。軍師はオレの呼びかけに、唸り声で応えた。
「じゃあ、オレは帰りますんで。……おやすみなさい」
甲斐甲斐しい部下ならば、きっと、その衣服を夜着へと着せ替え、きちんと布団をかけて寝かしつけでもしただろう。しかし、オレがそこまでしてやるほどの義理は、事この上司に対しては一切無い。ので、このままさっさと退散する。
「軍師…?」
……のはずだった。
「張、将軍……」
酔っ払いにしては随分と力強く、グイとその袖を掴み引き止めるのは、半分夢現な軍師殿。すっかり据わったその目は、真っ直ぐオレに向けられていたものの、ちゃんと焦点が合っているのかは怪しいところ。
「……はあ。まだ、何か御用がおありで?」
盛大な溜息を、オレはもはや隠しもしない。こっちだって、さっさと帰って眠りたい。すっかり、時刻はド深夜だ。それなのに、これ以上、オレはまだこの上司のお守りをせねばならないのか。そう思えば、溜息も出て然るべし。
「はいはい。なんですか。どうか、手短にお願いしま……」
ここで彼の機嫌を損ね、余計にグズられても厄介だ。だったら、素直にわがままを聞いてやって、一刻も早く解放されたい。そんな思いで振り返った、オレの思考の更に上を、平気で超えていくのが、この迷惑軍師なのであった。
「………す」
この間、一秒足らず。意表を突かれたオレは、身動きすることさえ許されなかった。こんな貧弱軍師に遅れを取るなど、不覚なこと、この上ない。
………は?は??
全力で、オレは脳内に無数の疑問符を浮かび上がらせた。本気で、何が起こったのかを理解し兼ねた。ようやく冷静さを取り戻した時、最初に沸き起こった感情は憤怒だった。
この、酔っ払い……
キスされた。酩酊した人間はタガが外れ、時に突拍子もない行動に出る。脈絡のない彼のその行為も、恐らくはその類だろう。
別にキスくらい、どうだっていいのだ。単純に、この上司に振り回されてしまっていることが癪に障るだけで。
「悪酔いが過ぎますよ。軍師。さっさと寝……」
「……したい」
酒で体温の上がった軍師の身体を、追い払うようにベッドへと押し返す。けれど、相手は大人しく横になってはくれなかった。逆に乱暴な手つきで、オレはその襟首を掴まれてしまう。
「したいって、何が。お酒はもうダメですよ」
だんだんと、対応がおざなりになってゆく。なにせ、彼ほどではないものの、こちらだって上司や同僚にしこたま酒を飲まされ、それなりに酔っているのだ。オレは下戸ではなかったが、酒豪と豪語できるほど強いわけでもなかった。
「えっち……」
「………はい??」
あまりにも信じられない単語を耳にした気がして、オレは思わず彼の言葉を聞き返してしまう。幻聴か、でなければ酔っ払いの戯言だ。そう自分に言い聞かせる間もなく、その酒臭い唇が再び接近する。
「ちょ、ちょ、ちょっと待った…!」
すでに軍師の腕は、オレの身体をベッドの中へと引きずり込もうと試みていた。さすがに焦りを感じたオレが慌ててストップをかけたところで、酔っ払いが人の話を聞くわけも有らず。
落ち着け。その気になれば、オレは軍師ごとき一捻りの内に伸せる。それより何より、問題なのは己の身体がその気になっていることである。
いや、嘘だろ!?ないないないない
自身の身体に起きた反応を、オレは全力で否定した。どちらかと言えば、好意より嫌悪が勝るような男相手に、性欲なんて起こるはずがない。
これは別に、軍師に反応しているわけでは断じてない
この勃起は酒のせいだ。そう、自分に言い訳する。酔っ払っていると、身体は勝手に生理現象を起こすものだし、なんとなく、そういう気分に陥り易い。
先日、女には興味がないような旨を友人述べたが、それは惚れた腫れたの話。欲望はそりゃあ、男として人並みにあるわけで。となれば、もっぱら性欲処理は自慰行為になりがちである。そういえば、最近忙しくて抜いていなかったっけ。
「……将軍、はやく」
耳元で艶かしく囁く声は、いつもの軍師の声なのに、まるで違う雰囲気を醸し出していた。下半身に、血液が集まる。本能的に、射精したいという欲求がオレの脳内に生じた。
その瞬間、酔い、疲れ、眠気、怒り、あらゆる要素が合間って、オレに全てをどうでも良くさせた。端的に言えば、理性が本能に負けたのである。
「……ああ、もう。クソッ」
悪態を吐くと同時、オレはその男の貧弱な肩をガシと掴んで、瞬く間に形勢を逆転させていた。押し倒した軍師は、酒で頬が上気していて妙に色っぽい。勢いでならば、ヤれる気がした。
というか、この状態に陥ってしまえば、正直言って、相手がブスだろうが嫌な上司だろうが、ヤれるもんはヤれる。男など、そんなものだ。
「どうなっても、知りませんからね」
ある意味、それは自分自身に向けた忠告だったのかもしれない。十中八九、翌朝になって悔いるのはオレ自身である。だとしても、ここで引き返せる冷静さが残っているなら、そもそも可愛げの欠片もないこの軍師殿を、本気で組み敷いたりしていないわけで。
ああ、酔った勢ってこういうことを言うんだな。身を持って知ったオレは、予想通り、全裸のまま彼の隣で目覚めた翌朝に、強い後悔に襲われたのだった。
というわけで、冒頭に話が戻るわけなのだが。要するに、うっかりと、オレは軍師と一夜を共にしてしまったのである。
ところが、その翌朝の彼の様子が不可解なのである。まあ、驚くほどにいつも通りだったのだ。具体的にどう、いつも通りかを述べよう。彼は起床と同時に憎まれ口を叩いたかと思えば、次の瞬間にはオレをこき使っている程度には、絶好調にいつも通りなのだった。
もしかして、昨夜のことを覚えていないのか?
そんなベタな。と言いたくもなるが、その可能性は大いにあった。けれど、ならばオレが全裸で共寝をしていた状況に、どう説明を付けたのだろうかという疑問が残る。
となれば、やはり覚えていて尚、あの平然さだったということだろうか。記憶にないのは腹が立つが、何事もなかったかのようにスルーされるのも、それはそれで釈然としなかった。
「……あ、軍師」
噂をすればなんとやらである。昨夜遅くまで、友人達と酒宴に興じていたオレは、少し気怠い身体で、朝の調練に向かう道中。偶然にも、その男と鉢合わせする。
相手は上司である。当然、目が合えば挨拶くらいするわけで。オレは背筋をピンと伸ばして、行儀良く会釈をした。
「おはようございます。軍師殿」
おじぎしているのだから、オレの視線は必然的に足元へと落とされる。そうしている最中にふと、思ったのだ。そう言えば、軍師と顔を合わせるのは久々ではなかったかと。
別に積極的に会いたい相手でもないため、気にしていなかったが。ほぼ、ひと月ほどオレはこの上司の姿を見ていないし、言葉も交わしていない。具体的に言えば、そう、あの過ちの朝以降、ずっと。
シカトかよ……
相手の返しを待っていたというのに、一向に軍師の声は聞こえてこない。痺れを切らしたオレは、嫌味ったらしいくらい長い会釈を止め、面を上げた。すると、どうだろう。
どうやら、オレは無視されたわけではなかったらしい。何故なら、軍師は未だそこに佇んでいたのだから。オレがその姿を視界から消す直前と、寸分違わぬ位置で。
「……お」
「お……?」
オレと目が合うや、軍師は呻き声にも近い声を発する。それはまるで、心臓をひと突きにされた兵の断末魔にも似ていた。
奇怪なのは、その表情である。なんだ。どうしたというのだ。普段は憎たらしいほどに、余裕綽々とほくそ笑んでいるはずのその顔が、いつになく動揺を露わにしているではないか。
彼の生っ白い肌は、あの日の酩酊した姿を思い起こさせるほどに、耳まで真っ赤であったのだ。熱でもあるのだろうかと、本気で心配してしまうくらいに。
「お、お、お、お…おはよう!……ち、ち、ち、ちょ、張将軍……!!」
すごい吃りっぷりだ。ちなみに、この上司に吃音癖など皆無である。いつも、ムカつくくらい流暢に嫌味ったらしく喋る。
要するに、軍師はめちゃくちゃ動揺していたのである。しかし、何に、という疑問が生じる。彼の前には自分しかいない。けれど、オレはただ普段通りに挨拶をしただけ。
……もしや、
そこで、オレは一つの可能性を見出す。もしかして、この上司はあの日のことをめちゃくちゃ気にしているのではなかろうか。それ故の動揺であれば、納得がいく。
その推論を確信的なものにするため、オレは自ら話を切り出した。
「軍師。あの夜のことは……」
「な、なんだ!張将軍!?わ、私はこれっぽっちも気にしていないぞ…?」
「……まだ、何も言ってないんですけど」
めちゃくちゃ気にしていた。一瞬、交わったはずの視線は、とっくに明後日の方を向いていて。ちっとも、オレの顔を見ようとしない。あたかも、生娘のような反応ではないだろうか。間違いなく、軍師はオレと一夜を共にしたことによって、オレを意識していた。
なんだ。やはり、忘れてなどいなかったのか……
酔っていて覚えていなかったわけでも、この程度のこと、歯牙にもかけていなかったわけでもなく。恐らく、プライドの高いこの上司は、心中穏やかでないことをオレに悟られまいとして、懸命に平然を装っていたと見える。
にしても、たかだか部下と酔った勢のまま、一夜の過ちを犯したくらいで、過剰な狼狽ぶりであるように思える。それほどまでに、オレとヤってしまったことを悔いているのか。あるいは……
「もしかして、軍師はオレのことが好きなのですか?」
その真逆か。ふと思い浮かんだその可能性を、オレはそのまま声に出してしまっていた。口にしてしまった後で、その軽率な行為を悔いることになるのであるが。
「は、はあ〜〜!?す、好きなわけがあるか!?こ、この私が!貴様などを!!う、自惚れぬな…!?」
ほら、予想通りの返答。だって、この男は超が付くほど強情で、素直さなど一切ない、クソ面倒くさい男なのだ。たとえ、本当にオレに好意を持っていたとて、それを容易に認めるはずがなかった。
自惚れなんて欠片もない。至極、冷静に状況を鑑みて導き出した仮説がこれなのである。だって、そう考えれば全てに合点がいくではないか。
「いや、ですが……」
軍師はやたらと、オレのことをコキ使う。他にも部下はいるだろうに、執拗にオレばかりを。それは職務の範疇はおろか、時にはプライベートにまで及んだ。
正直、嫌われているのだと思っていた。嫌がらせのつもりで、オレにだけ露骨にキツく当たっているのだと。しかし、その逆の可能性もあったのだということに、オレはたった今、気付いてしまったのだ。気付かなかった方が、幸せだった気もするが。
「も、もう良い!私は気分を害した!失礼する!!」
「は、はあ……」
オレがそれ以上何かを言う隙も与えず、軍師はキレ気味に捲し立てるように怒鳴った。相変わらず、その頬が赤いままなのは、怒りのせいではないだろう。
対面から歩いて来たはずの彼は、こちらへ向かうはずではなかったのだろうか。それなのに、逆方向へと踵を返すと、ドスドスと大袈裟に地面を踏み鳴らして、逃げるように去ってしまった。嵐の後の静けさのようなものだけが、オレと共に取り残される。
―――わっっかりやっっっす!!!!!
危うく、己の胸中を叫びそうになった。それくらい、我が軍師は露骨にオレのことを意識していた。その態度はもはや、言葉も不要なほど如実に本音を吐露してしまっていた。だが、そのことに、本人はちっとも気付いてはいないのだろう。
「まあ、でも。嫌われているよりはマシ……なのか?」
わざわざ、上司に嫌われたいという部下はおるまい。好かれている方が、働くに於いて有利ではあるのは間違いないのだから。
なのに、なんだ。この釈然としない気持ちは。本当にこれでいいのか。これから、オレは一体どうするべきなのか。頭の中で、ぐるぐると様々な考えが渦を巻いた。その結果、己の導き出した答えは……
「……まあ、いいか」
よくよく考えれば、相手の態度は以前と差したる変化はないのだ。オレは相変わらず、理不尽に罵られ、ぞんざいに扱われる。そこにある感情が憎悪であろうが好意であろうが、正直どっちでもいい。
つまりは、今まで通り。オレと軍師の間には何も起こらなかった。オーケー?などと自分に言い聞かせつつ、オレは笑いが込み上げそうになるほどの、上司の動揺顔を思い出してみたりなどする。
……案外、可愛いところもあるものだ
ふと、そんな感想を抱いた。が、秒でその錯覚をオレは全力で否定した。あの厄介軍師に限って、可愛いなどあるわけがない。どう贔屓目に評価したとことで、腹立たしさの方が勝つというもの。
どうやら、オレは疲れているらしい。そうだ。そういえば、昨夜は飲みすぎて、寝不足なのだったっけ。ならば、正常な判断ができないのも止むなし。
ということで、この話題はこれにてお開きにしよう。この一件によって、この先、オレと軍師の間に何が起きるかは、また別のお話であるのだから。