@shikanoko_aki
ああ、なんて美しいのだろう。そう嘆息せずにはいられないほど、男は目の前の女性に心酔していた。名を司馬懿と言った。
どちらかと言えば高齢の彼女は、近くで眺めてみれば、目尻の皺やほうれい線が目立つ。立ち振る舞いには気品があり、高貴さを伺えるも、目を見張るような美人というほどではなかった。
「よく、やってくれた。お主の働きは感謝している」
「そんな。滅相もございません」
なのに、何故だろうか。男は前述の通り、その初老の女に深く心酔していたのだった。それはもはや、魔力とさえ思えた。彼女が深紅の瞳を細めて、微笑むようにこちらを見つめれば、たちまち男は地に額を擦り付け平伏したいという衝動に駆られた。
昂る気持ちを必死に抑え、男は感動に打ち震える唇で応える。すると、司馬懿は皺の多い骨張った手で、男の手をそっと包み込んだ。そうして、あろうことか、愛おしげにギュッと握り締めたのだった。彼女の予期せぬ行動に男が平静で居られるはずもなく。
「し、し、しば、司馬懿様っ…!?そ、そのような、いけません……!」
憧れの人の体温が直に伝わる。そんな状況で、狼狽えるなという方が無理というもの。このまま死んでも構わない。そう思えてしまうくらいに、彼女は触れることすら畏れ多い人だった。
「構わぬ。本当に感謝しておるのだ。なにか礼をせねば、わたしの気が済まぬ」
「いいえ!いいえ!そのような。決して、褒美が欲しかったわけではございませぬ。ただ、貴方様のお役に立てれば、自分はそれで……」
ブンブンと強く首を横に振り、男は司馬懿の申し出を固辞する。こうして、目の前で言葉を交わしているだけでも、感動でどうにかなってしまいそうなのに。これ以上の報酬など、求めるべくもない。
「…なんと。殊勝な青年だろうか。ますます、何か与えてやらねば。でなければ、わたしの評判に傷が付いてしまうことだろう」
「……そんな!司馬懿様は疑うべくもなく、ご立派なお方でございます!!」
司馬懿がフッと、憂いを帯びたように表情へ影を落とす。途端に男は動揺して、衝動的にその肩を強く掴んでしまっていた。彼女の悲しむ顔は、どんな鋭い刃物よりも、強く男の胸を引き裂いた。
「であれば、わたしの顔を立てると思って。どうか、褒美を受け取ってくれ」
「貴方様がそこまで仰るのでしたら。自分に拒絶する理由はございませぬ」
司馬懿の熱意に男が折れる。すると、彼女の表情はたちまち、ぱあっと明るくなり、花の綻ぶように微笑むのだった。その笑顔だけで、幾億の大金よりも価値があった。
「では、何が欲しい。金か?地位か?わたしに与えられるものならば、なんだって与えよう」
司馬懿は何もかもを有していた。湯水のように湧く財産。その辺の政治家など足元にも及ばない地位。その気になれば、言葉通り、本当になんだって男に与えてくれただろう。
しかし、いざ欲しいものを述べよと言われても、男にはすぐさま思い浮かぶものがなかった。金も地位も欲しいとは思わない。男が心から求めて止まないものは、ただ一つ。目の前の司馬懿その人なのであるが、それこそ畏れ多すぎて、口が裂けても言えるものではなかった。
「………あの、」
長い沈黙の後、震える声で男はおずおずと申し出る。
「なんだ。申してみよ。なんでも叶えてやろう」
「その……」
魅入られたように司馬懿の瞳に釘付けだった視線が、徐々に下へと下がってゆく。膝上丈のタイトなスカートに包まれた、彼女の細身な脚。うっすらと肌が透ける、絶妙な薄さの黒いストッキングに包まれた蠱惑的なそれが、男の目に留まった。
「……貴方様の、その……い、いま身につけていらっしゃるストッキングを…い、頂けませんでしょうか……?」
「これを……?」
なんとも変態的な要求である。そんなことは男も承知であったが、なにせ、ちっとも冷静ではなかったのである。神のように崇拝する人に手を握られ、求められ、咄嗟に出た言葉がそれだった。その行為を罪だと、誰が咎めることができようか。
恥辱的な申し出を突きつけられた司馬懿は、細い目をきょとんと丸く、大きく見開いて驚いた。珍獣でも見るかのような奇異の表情は、男を少し興奮させる。
「………なんだ。こんな物で良いのか?」
軽蔑され、罵倒されても文句の言えないような、無礼な発言をした自覚はあった。だからこそ、その後に続けられた殊更に優しげな声音の許容は、男を天にも舞う心地にさせたのだった。
「なんとも、欲のない男だ。望めば、なんだってくれてやるものを」
「それが、それが良いのです!司馬懿様の香りの染み付いた、そのストッキングが…!!」
望みの品を得られる兆しを感じ取るや、男の興奮は最高潮に達する。もはや、なり振り構わずという態で、その薄っぺらい布切れを必死に求めた。
「……少し、待て」
鼻息も荒く、今にも彼女の華奢な足首に飛びつきそうな勢いの男を制して、司馬懿はようやく握っていた手をそっと離す。その指は瞬く間、品の良い所作で、彼女のスカートの内側へと忍ばされる。
わずかに前屈みになった司馬懿の太腿の、かなり際どいところまで、スカートの丈がズリ上がる。男は思わず息を呑んだが、計算し尽くされたようなギリギリのラインで、その中身を拝むことは叶わなかった。
「フフッ。汗でベトついておって、なかなか脱げぬわ」
焦らすようにゆっくりと、黒いナイロン生地がズリ下がって、その下から健康的な肌色が露になる。太腿の最も太い箇所で弛んだ布が、男には心底から神々しいものに見えた。
膝まで脱げてしまえば、後はするりと滑るように、それは足首まで落ちる。まずは右足。低めのヒール靴を片方脱いで、司馬懿は右足からストッキングを抜き取る。
「……あまり、ジロジロと見ないでくれ。少し、恥ずかしい」
そう告げた司馬懿の表情は、ちっとも羞恥を感じているようには見えなかった。
同じように、左足からもストッキングが抜き取られる。人前で着衣、それも下着に近い品を脱ぎ捨てるという下品な行動すらも、彼女の優雅な立ち振る舞いの前では、美しい舞も同然だった。
「……ほら」
脱ぎたてのくちゃくちゃに丸まった黒い布の塊。先ほどまで、彼女の脚を包んでいた。決して、触れることの出来ない禁忌の部分に触れていたものが。今まさに、男の前に差し出されていた。
緊張と興奮で馬鹿みたいに震えた手を、男はおずおずと差し伸べる。それが指先に触れてからの行動は、光のように早かった。
「……ああ、……ああっ―――!」
半ば奪い取るように鷲掴みにしたストッキングの塊を、男は即座に己の顔面に押し付けた。鼻と口を塞ぐように、丸ごとその布で包み込んで、そうして一気に空気を吸い込む。
司馬懿の匂いがした。汗の酸っぱい匂いと体臭と、そして、何か甘く蕩けるような甘美な香り。気が狂いそうになるくらい、至高の芳香だった。
「これこれ。そんなに乱暴に扱っては、すぐ壊れてしまうぞ。そんなに気に入ったのか?」
彼女の忠告など耳に入らぬという態で、男は一心不乱にストッキングを吸い、頬擦りし、最後にはすっかり口の中の含んでしまう。その変態行為を、司馬懿はただ慈愛に満ちた優しい微笑みを向けて見守ってくれていた。
「……どうだ。わたしのストッキングの味は」
「さ、最高…最高です……司馬懿様っ……!」
とうとう男は泣き崩れて、その場に膝を折ってしまう。その視線を追うように、司馬懿もまた、屈んで生足の膝を地に着けた。
「ならば良かった。では、これからもこの司馬懿のために身を粉にして励んでくれるか…?」
「もちろんでございます!自分はこの身も心も、貴方様に捧げる所存です!!」
迷いのない、真っ直ぐで光に満ちた瞳だった。司馬懿は満足げに微笑んで、そっと男の肩を抱く。男は更なる感動で慟哭するのだった。