一応、笙主です。男部長固定、自分の所の部長設定。
原作にはないけど、部長のキャラエピ1〜2くらいのイメージの話。
2025.10 加筆修正
@mizukisakuya
笙主です。まだどっちもぎこちないし笙+主くらいの感じですが笙主です。部長視点。
自分の所の主人公設定で書いてます。
名前だけでなく自分の所の部長として物語の中で動かしやすいよう、ODで帰らない選択がある理由として部長の現実での絶望も色々と設定していたりするので、そういうのが苦手な場合は見ない方がいいかも知れません。
部長のキャラエピ的な感じの話、まだ始まったばかり。聞けば答えられる部分なので、踏み込んでるようで踏み込んでない表層部分。
全員図書館クリア後くらいのキャラエピ進行度?
前の話
https://privatter.net/p/7525581
次の話
https://privatter.net/p/8595215
部長設定
https://privatter.net/p/7440140
あの時から心にぽっかりと空いたまま埋まらない穴があり続け、ずっと、泣く事すら出来ずにいた。ただ自分だけが無意味に生き残り、穴の空いた心と不自由な体を抱えて孤独の中に突然放り出されてしまった。災害だからどうにもならなかった、両親は不運だった、両親に生かされたその命を大切にしろ。周りの人間は無責任にそう言いながらも、重荷を背負うのを嫌がって奏と関わらないように離れて行くか、傷だらけで両親もいない世間一般とは違う異端な者として虐げた。
両親を喪ってからは、友と呼べるような存在も、保護者と言えるような存在もいない。奏はただ毎日虚ろな目で孤独に息をして、やがて知っていたはずの温もりも忘れていった。周りの人間たちはただ綺麗事を言いながら、名の売れていた母のようになれと奏に母の面影を重ね能力を期待し押し付け、出来なければこの程度も出来ないのかと失望し、出来ればあの母の子なのだから当然と評価するだけだった。
誰も、奏の事を見ていなかった。傷を見るか、親の代わりとして見るか、虐げてもいい存在として見るか、かわいそうな存在として見るか。周りから向けられるものは、それしかなかった。
何年経とうとそれは変わらずむしろ悪化していき、目を閉じ耳を塞いで全てから逃げようとしても、常に奏の傍にあるものは孤独と押し付けと悪意と絶望だった。どう生きるのが正しかったのかわからず、心はいつしか折れて全てを諦めてしまっていた。
もういい、もう嫌だ……ここにはいたくない、こんな世界もこんな命もいらない。誰かの身代わりとしてしか存在を許されず、誰にも愛されず必要とされない。誰も俺なんて見ていない。面影を、理想を、見たいものを、重ねられているだけだ。ただひたすら、哀しくて苦しくて痛くて辛いだけの世界だ。どうかこの心が完全に壊れる前に、この世から消えさせてください。きっと、死んだら両親に会える。少なくとも、この地獄は終わるはず。
そう思い、ぼんやりとしながら奏が死に場所を求めて街を彷徨っていた時、ふと、耳にどこからか流れてきた歌が聴こえた。どこから聴こえてきたのかはわからない。ただ、心に深く突き刺さる棘のような、誰かの愛と嘆きと憎悪の入り混じった心の悲鳴のような歌が、とても印象に残った。
『……大丈夫、悲しい事や苦しい事ばっかりの所に、もういなくていいんだよ』
気付けば、目の前に美しい白い天使のような少女がいて、優しく微笑んでいた。どこなのかもわからない空間で、その少女はそっと優しく奏の頬に触れて、すぐにこちらの心を読み取ったように表情を曇らせる。
『こんなに心がボロボロになるまで頑張ってたんだね、間に合ってよかった……もう頑張らなくていいんだよ』
「……俺は、死んだの?」
目の前の少女からどこか人間味の薄い美しさと純粋さを感じた。白いこの少女はもしや死者の魂を導く天使なのだろうか、自分はいつの間にか死ぬ事が出来ていたのか。そう思って問いかけると、彼女は慌てたように首を横に振ってから、優しい微笑みを浮かべて言う。
『ううん、ちゃんと生きてるから安心して。でもね、そんなに悲しい気持ちになる現実になんてもう戻らなくていいんだよ』
「戻らなくて、いい?」
『うん、ずっとここにいていいんだよ。わたしが楽園に連れてってあげる!』
そう言って白い少女は優しく微笑んで、こちらに手を差し伸べてきた。その手を戸惑いながら少しの間見つめ、奏は恐る恐るそっと手を重ねた。
『わたしはμ、ねえ、君の名前を教えて?』
「俺は、えっと、しののめ…かなで…。東雲奏だよ」
最初に手を差し伸べてくれたのは、優しく純粋な白く美しい天使のような、人に作られたμという名の歌姫だった事を彼は後に知る。そうしてμは、奏を歌姫たちと人間の願いで出来た虚構の楽園……傷付き、疲れ果ててしまった者たちの魂を閉じ込めた箱庭へと連れて行ってくれた。現実という地獄から逃げてどこかへ行ってしまいたかった奏にとって、そこは確かに楽園だった。目を覚ましてしまうまでは。
歌姫の作った温かく幸せな胡蝶の夢に、何も考えず彼女の望むよう永遠に揺蕩っていられたなら、それはそれで幸せでいられたのかも知れない。けれど、夢は夢……いつかは醒めてしまうものだ。
それでもたとえ夢だとしても、その箱庭が本物ではなかったとしても。純粋に助けようと手を差し伸べて居場所を与えてくれた歌姫の優しさも、彼女に救われた命も心も嘘ではない。現実を思い出したとしても、そう思っている。
そうして幸せな夢から醒めて、目にしてしまったホコロビと、笑いながら異形のような……明らかに超常の力としか思えないような姿を見せた少年に混乱しきって、思わず入学式から逃げ出してしまった。
そんな奏をわざわざ追いかけてまで手を差し伸べてくれたのが、佐竹笙悟という人だった。まさか混乱しきっていたとはいえ、初対面で突然頭突きをされて痛みで正気に戻されるとは思わなかったし、ちょっと怖い人かと思ったけれど、話すうちにすぐその人が優しい人だとわかった。
奏にとっては、初めてただ純粋無垢に何の欲もなく助けてくれた存在がμなら、笙悟は両親を喪ってから初めて手を差し伸べてくれた人間だった。もちろん、人命救助の人や医者や看護師など誰かを助ける職業の人に命を助けられた事はあった。その職業の人達がいなければ、確実に死んでいただろうし、感謝はしている。けれど、それ以外で奏に手を差し伸べてくれる人間なんて、あの時から誰もいなかった。
笙悟はμのようにただ純粋に無邪気に奏の事を助けた訳ではなかっただろう。人間には色んな思惑があるものだから、それでも別によかった。ただ、助けようと思って手を差し伸べてくれた、その事実だけで充分だと思っている。
「本当に俺が部長でいいの?」
「むしろお前以外の誰が、部長出来そうだと思うんだ?」
だから、部長を何故か譲られた時驚いたけれど、笙悟がそうしたいならそれでもいいかと思った。出逢ってから……いや、きっとそれよりずっと前から、笙悟は帰宅部の部長として頑張ってきたのだろう。彼の声はどこか気を張って、いつもピンと糸を張り詰めたような精神状態を表している声をしていた。もう限界なのに、それを誰にも言えずにいるような声のように聴こえて、ずっと気になっていたから。
「……わかった。経験のない事だけど、何とかやってみるよ」
奏がそう答えると、笙悟は本当にホッとしたような表情をしていて自分の方まで何だか嬉しくなった。部長を引き受けたのは、笙悟に助けてもらった事を返したかったからだ。少しでもその心が軽くなるなら、それでいいと思った。
誰かとちゃんと関わっていたのは小学生低学年の頃までだった自分に、果たして部長なんてものが出来るのかはわからなかったけれど。それでも笙悟を、帰宅部のみんなをちゃんと支えられるような、頼りになる存在にならなくては……奏はその時にそんな決心をしていた。
そうして奏が引き継いだ後はアリアの助言に従い、部長として帰宅部のメンバーと交流しようと努力していた。そうして少しずつ少しずつみんなに付き添い、時には追いかけてまで一緒に行動し、メンバー全員の悩みを聞くようになっていった。ちゃんと出来ているのかは、正直に言えばわからない、何せ現実ではひとりぼっちだったから。それでも、みんなを支えたいと思ったのは本当だ。
何でそんな話になったのかはよく覚えていないが、ある日確か鍵介に、感謝したい人はいるかというような事を問われたのだった気がする。別にその程度なら隠す事でもないだろうと思い、奏は軽くメビウスに来たきっかけと、入学式で逃げ出した後の事を話し、感謝したい相手の事を言った。まぁ、目の前にその感謝したい相手の一人である笙悟がいるので、少々気恥ずかしいような気はしたけれど。
「……そんな訳で、俺はμにも笙悟にも心の底から感謝してるなぁ」
そんな言葉で締めくくって黙ると、何やらドン引きしたような困惑したような表情で笙悟と鍵介に見られていた。どうしてそんな表情をされていたのかわからず、奏はついどうかしたのかと首を傾げる。そんな表情をされるような事を言ってしまったんだろうか。
「感謝はいいんだが、お前……それは、俺達に話していい事だったのか?」
「え、うん、俺は別に話してもいいんだけど。何か二人ともドン引きしてるっぽいな、ごめん」
「ドン引きというか、死のうと思って街を彷徨ってた時にμの曲を聴いてここへ来たんだ。とかごく普通の事みたいな顔であっさりと言われたら、そりゃ僕らだってびっくりしますよ、先輩」
鍵介の言葉に、ドン引きされていたのはその部分だったのかと奏は理解する。帰宅部で行動するようになってからは、よく誰かと交流するようにはなった。しかし、そもそも他人とマトモに会話したり交流したりする事を思い出したのがメビウスに来てからなので、色々と加減が難しい。こういうのがあるから、自分の事はあまり話すのが得意ではないのだが。
「そうか…そういうものだっけ。どの辺まで話すのが普通で、どういう部分は話さないものなのか、正直よくわからなくて。そこは言わない方がいい部分なんだね」
「まぁ普通はあんまり言うものではないかと。先輩って何か無防備ですよね」
「そう?俺としては帰宅部のメンバーなら、別に知られても困る事は特にないと思うし。今いるのは笙悟と鍵介だけだから、まぁいいかと判断したんだけど。うーん…確かにそういうのって話さないものだったような気もする?」
「俺たちだけだからいいって、その判断基準は何なんだ」
「何だろ……俺が割といつも頼ってる相手、とかなのかな。多分?」
「どうしてそんな曖昧なんです?」
「自分でもよくわからなくて。そもそも、誰かを頼るという感覚を思い出したのが帰宅部に入ってからなんだ」
「思い出すってレベルなんですか?」
「現実では頼るような相手なんて、ずっといなかったからね。そもそも、普通にこうして誰かと話すのも、話しかけられるのもかなり久し振りなんだ……俺とマトモに会話する人なんていなかったし」
ここが現実ではなく、同じ目的があるからとはいえ、久し振りに出来た仲間という存在に、どう接したらいいのかわからない。どの程度なら嫌がられたりドン引きされたりしないのか、奏には正直判断が難しかった。特に自分自身の事は、どこまで話していいものなのか全然わからない。別に自分の事を話してドン引きさせたい訳じゃない、でも多分、自分の現実は他人にとってはあまり普通ではない事なんだろう。
それでも一応部長になったのだから、出来る限りは頑張ってみんなが頼れる部長というものにならなきゃと思っている。どう頑張っても他人とは微妙に感覚や発言がズレているようで、自分のコミュニケーション能力の足りなさばかりをいつも実感してしまうが。
「……お前はどうしてそんなに無防備なんだよ」
「俺には、守るような所なんてないからね。別にいいんだ、俺の事なんてどうでも」
どうせただ無意味に自分だけ生き残ってしまった命だ。いつも母の面影や相手の望む事を重ねられていただけの人間に、守るような部分なんてないし、隠したって仕方ない。問われれば答えるし、望まれないなら誰にも言わない。誰かに罵倒されようと傷付けられようと、もうこの心に傷付く所なんてないだろう。
そう思っていたし、これまでだってずっとそういう風に生きてきた。けれど、本当か?と問うような笙悟の視線に心のどこかが怯えるように震えたような気がした。それがどうしてなのかわからず、自分の胸にそっと触れてみるけれど、もちろん心になんて触れられないからわからない。
ただ、どうしてなのかわからないけれど、この辺りが痛い……気がする。それに、少しだけ何かがこわい。
「先輩、顔色悪いですよ、大丈夫ですか?」
「え……ああ、大丈夫。ちょっとぼんやりしてしまって。顔色は元からそんないい方じゃないし平気だよ」
「特に急ぐ活動もないし、無理せず今日は帰っとけ。……お前は、普段も戦闘でも無防備に自分を扱いすぎなんだよ」
「え、そう、かな」
「まぁ先輩って確かに脳筋って訳でもないのに、普段から素でノーガードですよね。戦ってる時もそれが出てる感じですし。自分がダメージ受けても構わない感じがする戦い方というか。部長が倒れたら困るんですから、せめて戦闘ではちゃんとガードくらいしてくださいよ」
「基本がカウンターなのは鍵介も同じなのになぁ」
「僕はガードもしてますし、無理はしませんよ。先輩のは無理矢理ゴリ押しです」
「確かに。武器は銃なのにすぐ前へ飛び出していくし、自分が多少ダメージ食らってもその前に倒せればいい、と思ってそうなゴリ押し戦法だな」
「俺、ちゃんと予測もしてるし考えてるのに、ゴリ押しとかひどくない?」
そう言いながらも、二人の表情から心配そうな色が少し薄れたのを見て、心の中でホッとする。心配をかけたかった訳ではないし、自分でもよくわからなかったので、何か聞かれたとしても答えられない気がしたから。
「ま、ゴリ押しかどうかはともかく。俺が部長を半ば無理矢理お前に押し付けたせいで、余計に負担かけてるかも知れんしな」
「笙悟先輩にも、部長押し付けた自覚はあったんですね」
「別にいいよ。一応偶然とはいえ、カタルシスエフェクトを最初に出したの俺だったし、割とひとに色々押し付けられるのは慣れてるから」
「慣れてるって、それはそれでどうなんだ……というか、リーダーとして期待されたとは思わなかったのか?」
「リーダーとかになれるほど、俺はそんな目立つ存在ではないし、優秀な人間でもなかったと思うし」
「入学式で壇上に立てるくらいには真面目だったり成績も優秀な優等生だったのでは?……まぁ、残念ながらその後の方がかなり目立っちゃいましたけど」
「俺が半泣きで入学式から逃げ出した事は、そろそろ忘れてほしい」
「半泣きだったのかよお前」
あんなよりによって一番目立ってしまっている時に、しかも実は楽士だった鍵介を目の前にして『卒業』してしまったなんて。夢から目を覚まして現実を思い出してしまうにしても、せめてもう少しタイミングを考えてほしかったと奏は思う。もちろん、そんなものを選べる訳はないけれど。
「半泣きだったし、俺の人生でも上位に入るレベルですごいパニックになったし、何か追われてるからホラー映画かと思ったよ。まぁ、だからこそさっきも言ったけど、笙悟には心底感謝してるんだ」
「そんなに感謝されるような事はしてないけどな。結局その追っ手を倒したのもお前だったし」
「その時にはまだ楽士側だったんで仕方ないんですけど。先輩をパニックにさせてた原因の一つだろう僕としては、少々申し訳ない気持ちもあったりなかったりしますね」
「そこはあったりだけでよくない?」
どうやら、笙悟に感謝をしてもイマイチ素直に受け取ってもらえないようだ。その表情に僅かに浮かんでいるのは、罪悪感か、それとも自嘲だろうか。両方かも知れない。読み取って、相手に圧迫感や緊張を与えないよう奏はそっと目を伏せる。どうも、自分はじっと見つめてしまうのが癖のようで、相手に威圧感や緊張を与えてしまうみたいだから、メビウスでは気を付けるようにしていた。
「今日は特に活動ないんだったよね。笙悟の言葉に甘えて、今日は休むついでに何か食べて帰るかなぁ。もう少ししたらアリアも迎えに行かなきゃだろうし」
「いつもより静かだと思ったら、そういや珍しくお前の傍にアリアいないんだな」
「何か女子組で甘い物を食べに行くって言うんで、俺は遠慮したんだよ。俺も甘い物は好きだし、あまり性別自体気にしない方ではあるけど、流石に女子会って言ってるとこに男子一人で入り込む勇気はないし。多分終わる頃にでも連絡来るんじゃないかな」
「ええー、女子の中に男一人とか羨ましい状態だと思うんですけど」
「まぁ鍵介にとってはそうかも知れないけど。俺にはちょっとハードル高いよ。多分、話してることもよくわからなそうだし」
「部長でもそうなるのか。お前は誰相手でも緊張せず自然体で接して溶け込んでる感じに見えるけどなぁ」
「そうか……そう見えるならよかったのかも。頑張ってるから」
みんなが何となく頼れる存在を求めてるのは感じるし、支えるためにも自分でもそうありたいとは思う。たとえ現実の自分がそんなに強い存在ではなく、むしろ弱い存在だったとしても。現実でもここでも求められているのは『自分』ではなく、誰かの理想の面影を重ねたものだとしても。せめてここにいる間は、頼れる存在としていられるように。
「多分年下だろうにしっかりしてるよな、部長は」
「別にしっかりはしてないと思うけどね、そう見えるように頑張ってるだけで。年齢はまぁ、現実でも今と同じだったはず」
「余裕で部長の方が年下だな」
「僕よりも年下とか……」
「では笙悟先輩と鍵介先輩ですね」
「今と全く変わってねえな」
「僕にはちょっと新鮮です、先輩が後輩な感じは。ついこの間まで僕の方が先輩だったはずなんですけどねぇ」
「鍵介たち後輩組が先輩だったのが、俺もう想像出来ないんだけどね」
「僕も既に先輩たちが後輩だった感覚はないですね……メビウス全体にかかってるμの影響力かな」
ここではずっと高校生を繰り返している以上、学年が変わる時かこの世界に来る時、無意識に刷り込まれてるのかも知れない。洗脳ではないものの、軽い暗示や刷り込みのようなものでもこの世界を作ったμがかけたのなら、それは心に影響を与えるだろう。
そんな事を考え込んでいると、ふと気になったのか鍵介が話を変えてくる。
「そういえば、先輩って寮住まいですか、それとも家?」
「両方かな、一応。まぁ、NPCの両親がいるから、今は家の方には時々しか帰らなくなってるけど」
「あー……ホコロビが見えるしな」
「うん、それに『卒業』する前から何か違和感があって。少し離れたいなと思ってたらμが来て、不思議そうにしながら寮の部屋もくれた。家の方は記憶の通りにしてくれて、寮は一人部屋なのに割と広い」
「あっさり部屋を用意出来るのは流石μというか。まぁ僕らその恩寵から出ようとしてるんですけどね。って事は、先輩は寮とはいえ一人暮らしみたいなモンですか?」
「うん、現実でも一人暮らしみたいなものだったし。まぁ、今は基本的にアリアが一緒にいるから実際には一人ではないし、アリアと話したりご飯作ったり食べたりしてるから、寂しくはないけど」
最初は女子と一緒の方がアリアはいいんじゃないかと思ったが、結局奏と一緒に行動している事が多い。一応アリアに自分と一緒でいいのか聞いてみたら、部長の傍は何か落ち着くし、ポケットの居心地もいいからとか言われたので、多分いいのだろう。奏としても、元気でしっかり者の妹か姉でも出来たようで楽しいし助かっている。
「作ったり、って事は先輩って自炊出来るんですね」
「現実にいる時から自炊はしてたから、そこはあまり変わらないかな。難しいものとかは作れないけど」
「一緒に料理、ねぇ……部長とアリアならまぁ馴染んでるしいいんだろうけどな」
「きっと笙悟先輩とか鼓太郎先輩だったら、何かこう、ヤバイ絵面になってそうですね」
何で絵面がヤバイのかよくわからず首を傾げたものの、WIREの通知音にハッとして確認すると、どうやら女子組の用事は終わったらしい。
「っと、ごめん。女子会終わったみたい。アリア迎えに行ってそのまま今日は帰るよ。二人とも会話に付き合ってくれて助かった」
「ああ、ちゃんと休んどけよ部長」
「どうせ基本的には暇ですから、いつでも会話くらい付き合いますよ」
「うん。笙悟も鍵介も、今日はゆっくり休んでくれ。俺、ついつい頼ってる事が多いと思うから、二人とも疲れてしまってるかも知れないし。いつもありがとう、助かってるよ」
「お、おう…笑顔でさらっと言えるのがすごいよな」
「多分素ですよアレ」
そんな事を言っているのを聞きながら、奏は帰宅部で勝手に使っている部室から出て一人校内を歩く。学校内にもあちこちの施設にも、デジヘッド化した生徒は普通にうろついている。油断は出来ないが見つからなければ一人でも平気だし、弱い相手なら奏だけでも対処出来るから問題はない。
一応デジヘッドに見つからないようにしながら学校を出て、アリアを迎えに待ち合わせた駅前へと向かう。
「部長、わざわざ来てもらってごめんね。待たせちゃった?」
「笙悟と鍵介が話に付き合ってくれてたから大丈夫。女子会楽しかった?」
「はい、甘い物色々食べました!」
「お話も出来ました」
「ならよかった。アリアも満足?」
『満足!YOUもくればよかったのにー』
「流石に俺が女子会に混ざるのは、ちょっとかなり異物感があると思うんだ…一応男子ではあるし…」
『YOUは何と言うか、綺麗系?美人系?の顔で結構中性的だから、女子に混ざっても見た目的な意味での異物感とかは、正直あんまりないような?』
「アリア、そういうのあまり気にしてない俺でも、ちょっとは凹むからね?」
飛んできてそんな事を言いつつひょいっと奏の胸ポケットにおさまった小さな歌姫に、つい苦笑を返す。そうして女子組にさよならの挨拶をして軽く手を振って、適当な方へ歩きだす。
『あれ、いつもと方角違う感じ?』
「何となくお腹空いた感じするし、寮に帰ってから作るのも面倒だし、何か食べて帰ろうかなーと。アリアは甘い物食べたならいらない?」
『食べるー!』
「メビウスでも、腹は減るし喉もかわくんだから何か面白いよね。でも、もしかして現実よりは飲まず食わずのままでも耐えられたりするのかな」
『確かに心の持ちようで少し変わる可能性はあるけど、やっちゃダメだからね!』
「疑問に思っただけだから大丈夫、試したりしないよ」
流石に戦いもある上に、一応仲間を率いて行かなきゃならない帰宅部の部長が、そんな事を軽く試す訳にもいかないだろう。
『部長は基本的にしっかりしてるのに、何か時々変な所で危なっかしい感じなんよ』
「それって、笙悟や鍵介が言ってた無防備とかノーガードとかと同じなのかな」
『そうそう。会話でも戦闘でも、自分を守る事を考えてなさげな感じ?』
「そんなつもりはないんだけどなぁ。でも、特に戦闘では足を引っ張りたくはないしなるべく気を付けるよ」
そんな風に言われるという事は、きっと周りから見るとそうなんだろう。自分では正直よくわからないのだけれど、言われたからにはなるべく防御にも気を付ける事にする。自分がダメージを受けるだけなら別にいいが、仲間を危険にさらす訳にはいかないのだから。自分が死ぬだけならいいけれど、仲間には死んでほしくない。
「アリアは何食べたい?」
『今日はお魚な気分?』
「じゃあ和食とか魚料理の店にしようか」
『賛成ー!』
アリアの元気な声に微笑んで、魚料理がありそうな店を検索しながら歩き出す。その時ふと視線を感じた気がして振り向くと、笙悟の後ろ姿が少し遠くに見えた。声をかけようか迷っているうちに完全に遠くなってしまって、奏は少しだけ寂しいような気持ちになる。
『ん、どしたの?』
「ううん、何でもない。ちょっと方向がよくわからなくなって」
『このお店ならあっちだと思うよ』
「ありがとう、じゃあ行こう」
心にあるその気持ちを振り払って、アリアが教えてくれた方へと向かう。ずっと独りだったから、独りでも平気なはずだった。なのに、もっと帰宅部のみんなの事が……笙悟の事が知りたい、そう思ってしまうのはどうしてなんだろう。両親以外の誰かの事を考えるのなんて初めてで、奏にはよくわからなかった。
ホコロビが見えるようになってからも、一応なるべくは真面目に授業などにも出ていたものの、時にはどうしても面倒で投げ出したくなってしまう事もある。歌姫の作ったこの箱庭では高校生を繰り返す事になる上に、停学や退学なんてものも存在しない。その事に気付いてしまえば、いくら普段真面目にやっていてもたまには面倒にもなる。
帰宅部の部室に行ってもいいのだけれど、何となく奏は一人、学校の屋上へと足を向ける。帰宅部メンバーも少しずつだけれど増えて、よくも悪くも集まっていると騒がしいくらいだ。それが心地いい時もあれば、一人静かに考え事をしたくなる時もある。そういう時は、みんなの邪魔をしないよう別の場所にいた方がいいだろう。もし何か用事があれば、WIREなどで呼び出されるだろうし、大丈夫なはずだ。
「そういえば、これもやっぱり学校の屋上のイメージの複合なのかな」
この世界にあるものの大半は、恐らく歌姫たちが一般的なイメージを複合して作ったもの。それ以外の特徴的な場所はここに来た誰かが望んだもの、あるいは……楽士たちが望んだ場所だろう。
残念ながら、今はアリアと離れている状態なのでそれを聞く事は出来ないのだが。授業の間は奏の邪魔しないように、サボってる帰宅部メンバーといるか部室にいるか、デジヘッドたちに見つからないようにしつつ学校内をウロウロしてみているらしい。
「流石に誰もいないか、よかった」
今日は何となく、空が見たくなった。この空が本物の空ではないのはもうわかっている。μに誰かが願わない限りは、基本的にいつもただ晴れた空があるだけなのも知っている。むしろ、願われなければいつも変わる事のないメビウスの空を見て、安心したいのかも知れない。
ホコロビが見えるようになる前から、自分のここでの姿や環境が現実とは違っている無意識での違和感のせいだったのか、それとも『卒業』してしまう前兆だったのか。何か余計なものが見えた気がして、学校内や人のいる場所に疲れてしまう事が時々あった。そういう時、人が来る事が少ない屋上でぼんやり空や街を見ていると心が落ち着いた。
景色を見るのに転落防止のフェンスが少々邪魔で、少し考えてから屋上の更に高い所へ梯子で登っていく。そうして無事に上へと辿り着き、ここなら空も街もちゃんと見えると奏は微笑んで、しばらくそこでぼんやりと空を見上げる。
「メビウスの中でもちゃんと風があって、夜も朝もある。なのに、雨とか嵐とか天候の変化が基本的にないのは、それが嫌な人が多いからかな……嵐とか台風もないのは助かるけど。冬とかなら、害がない程度に雪が望まれたりするんだろうか。クリスマスの時期とか」
屋上を吹き渡る風がふわりと制服や髪を揺らしていくのを感じながら、首を傾げ奏はそんな事を考える。季節のそういうイベントも、多分望まれるから取り入れられているだろうし、現実よりは緩やかながら暑さや寒さはあるから、そんな事もあるかも知れない。
傷のある現実の自分では、恐らく梯子なんて登るのは不可能だから、こんな景色はメビウス内でしか見られないだろう。ここでしか見る事は叶わないその景色を、ただ何となく覚えていたいと思う。現実に帰ればきっと、もう見られないから。
しばらくそうしてただぼんやりと、そこから見える空と街を眺めていると、不意に下から自分以外の存在の声が聞こえた。
「奏…っ、お前、そんな所で何やってんだ!」
「え?」
最近では聞き覚えのありすぎる声に突然名を呼ばれ、思わずびくっとして声がした方へ視線を向ける。いつの間にか屋上へ来ていたのか、笙悟が何故か青くなりながら下からこちらを見上げていた。何で笙悟がそんな顔をしているのかわからず、不思議に思いながらも一応問いかけに答える。
「何って、何となく空を見たくなって…」
「いいから、まずはそこから降りてこい、いいな」
「……わかった、ちょっと待って」
笙悟のその表情に余裕はなく、言葉は命令のようでありながらどこか必死な様子で懇願してるように見える。一体どうしたんだろうと怪訝に思いつつ、奏は頷いて素直に梯子を降りて彼の傍へ行く。理由はわからないが、今いるこの屋上より更に高い場所だと、笙悟が何故かとても気にするという事だけはわかった。
「あの、笙悟……大丈夫か?」
「それはこっちのセリフだ」
笙悟のいる所まで行って顔を覗き込むと、割と容赦ないデコピンを食らった。頭突きより痛みはマシだったものの、不意打ちだったせいで思わず涙目になった。
「いきなりひどい…頭突きよりはマシだけど。今は普通に正気なんだけどなぁ」
「余計に悪い。それで、何であんな所に登ってたんだ?」
「空が見たいなーと思って。ここからだとフェンスあるし、見るのにちょっと邪魔だから、あそこからならもう少し見やすいかなって」
「……落ちるとは思わなかったのか」
「落ちたとしても、フェンス越えてる訳じゃないから屋上に落ちても多少怪我する程度で大丈夫かなと。……いや、ごめん、登った時は割とぼんやりしてたしそこまで深く考えてなかったかも」
両肩をしっかり掴まれ、至近距離で睨まれて思わず降参する。しかし笙悟の顔色は悪いままで、そのまま奏に縋りつくような抱き締めるような状態になって離してはくれない。
「……笙悟?」
驚いてそっと名を呼んでも返事はなく、ただ青い顔をして崩れ落ちそうな状態で縋りついている。自分より背の高い笙悟にほぼ全体重をかけられしがみつかれているような状態で正直結構大変ではあったが、自分が倒れたら笙悟まで道連れになって怪我をしてしまうかもしれないから、何とか笙悟が倒れてしまわないようにする。
高い場所と、落ちるというのが、笙悟の何か辛い記憶と結びついてしまったのだろうか。偶然とはいえ、もしもその心の傷に僅かでも触れてしまったとしたら軽々しい事は言えない。奏は何も言わずただ笙悟が動けるようになるまでそっと背中を撫でながら、倒れないようその体をしっかり支えるくらいしか出来なかった。
「……もう大丈夫だ。重かったろ、すまん」
「謝んなくていいよ、ちょっとびっくりしたけど多分俺のせいだろうし。俺の方こそ悪かった。その…もうあんな所へ登ったりしないようにする」
「そうしてくれ、心臓に悪い」
「誰もいなかったし、気にする人とかいないと思って……ところで、笙悟もサボり?」
「ああ、まさか珍しい先客が、危なっかしい謎の行動してるとは思わなかったが」
「ただ空を見てただけなんだけどなぁ……じゃあ、危なっかしい事はしないし、邪魔はしないから一緒にいてもいい?」
「別にいいが、許可とる事でもないだろ」
「何となく。一人でいたいから、部室じゃなくここに来たのかなと思ったから」
危ない事はしないと行動で示す為に、壁に寄りかかるようにして座ると、少し考えてから笙悟も隣に座った。
「まぁ、そうだな。お前なら静かだし邪魔にはならんし、構わねぇよ」
「ありがとう」
先程の事は許してもらえたのかわからないが、とにかく一緒にいるのは許してもらえたらしい。奏は少しホッとして、微笑んで礼を言ってからまたぼんやりと空を見上げる。さっきまでより空は狭くなってしまったけれど、笙悟が近くにいるのは不思議と心が温かくなるような感じがして、どこか安心した。
「メビウスの空であって、本物の空じゃなくても見たかったのか?」
「……わからない。現実では空なんて見てる余裕とかあまりなかったし。何も変わらないメビウスの空だからこそ、見たかったのかも」
「これは、その、詮索とかではないし部長が言いたくなければ言わなくていいんだが」
「前に言ったように、俺には守るべき所なんてないから、笙悟が何か気になる事があるなら聞かれれば答えるよ」
「どうして、死にたいと思った……今もまだ、そう思ってるのか?」
笙悟の声が僅かに震え、どこか怯えているような苦しんでいるようなものに変わる。そっと表情を見てみても、今は俯いているのでどんな表情をしているのかはよくわからない。でも、その声が苦しそうだったから、答える事でマシになるのかはわからないけど答えようと思った。
どこまで聞かれてるのかもわからないけれど、奏はなるべく淡々と、感情的にならないようにそっと深呼吸をして声を落ち着けてから静かに答える。
「俺がそう思ってしまった理由はまぁ、色々あるよ。現実では小学生の時に災害で家が潰れて両親を亡くしたし、自分も命は助かったものの後遺症はあるし。全身あちこちにその時の傷痕が残っているから気味悪がられるし、周りの誰にも好かれも愛されもしなかった。両親に守られ、遺された命を大切に、そう言われてきたけど……多分、俺はもう、生きる事に疲れてしまったんだと思う」
話していると何故か、頭と胸がずきりと痛む。奏のその気持ちを知っているのは多分、現実には誰もいないし、メビウスでは心を読み取ったμだけだろう。そういえば、アリアにもここまでは見せていなかった、気がする。
どうして頭が、胸が、こんな風に痛むのかわからない。何故こうして話していると、あの時の事を同時に思い出してしまうんだろう。もう昔に終わってしまった事で、思い出したってどうにもならない事なのに。……そんな風に思い出しても、自分はずっと泣く事すら出来ていない薄情者なのに。
「疲れて、終わらせたかったんだろうね……自分の全部を。両親の所に逝きたくて、もう、そこにいたくなくて。だからきっと死にたいと思ったんだ。結局、そうする前にメビウスへ呼ばれちゃったんだけどね」
「……そうか」
「今は、正直わからない。終わりたい気持ちは捨てきれてはいないと思うけど、自分でも今はどうしたいのか、よくわからないんだ。わからないから探して、とりあえず帰宅部のみんなを知って、帰したいからここにいる。……笙悟の聞きたかった事かどうかはわからないし、俺のこんな話なんてあまり聞きたくなかっただろ、ごめん」
「不用意に聞いたのは俺の方だろ、何で…お前はそんな風に…どうしてお前の方が謝るんだ」
「いつもそうだったから。周りの人から両親の事とか傷の事とか色々聞かれて…答えないでいるとしつこく何度も聞かれるし、話せって言われる。でも、ちゃんと答えると今度はドン引きされたり、そういう話聞きたくなかったって。きっとみんな、そういうものなんだろうから。こんな話、きっと笙悟も聞きたくないだろうなって思って」
「……だから、お前は、聞かれたら答えるし守るようなものもないって言ってたのか。心を踏み荒らされてもいいのかよ」
「別にいいんだ、慣れてるし。ただ、ちょっと……何故かいつも、体調が悪くなるんだ。不思議だよね、ただ話しただけなのに」
「それは、不思議でもねぇだろ、傷を自分で抉ってるようなもんだろうし」
「そういうもの……?よく、わからなくて」
現実では、特に転校した時やクラスが変わった時に、色々な事を聞かれる事が多かった。だから慣れているはずなのに、いつも体調が悪くなった。でも今は、どうしてなのか笙悟に自分の事を少しでも知られてしまった事が不安で、怖くもあるような気がする。
今までは遠巻きにされても、周りの人が離れていっても、嫌われても仕方ないと思ってきた。それなのに、帰宅部の人たちに……笙悟に嫌われるのは寂しいし哀しいと思ってしまう。聞かれたら話すしかない、それが嫌な事だとしても。けれど話したらきっとまた人が離れていく、だから諦めるしかない。ぐるぐると思考だけが空回りして、余計に頭と胸が痛くなって、奏は胸の痛む辺りを押さえる。
「そんな顔色になってるのに、わからないのか?」
「顔色は…元からそんなによくはないし…」
「言っとくが、明らかにさっきまでより蒼白だからな。体調も悪くなってるんじゃないのか」
「……えーと、頭と、あと何か胸のこの辺が、ちょっと痛い。もしかして、カタルシスエフェクトじゃなく、本当にここ突き破って花と黒い杭が生える前兆?」
「その状態で素でボケてるのか、物理的に生えそうなレベルで痛いのかどっちなんだよ」
呆れたような苦笑するような笙悟の声からは、それでも拒絶も嫌悪もない事に少しだけ安心した。そこで殆どの気力が尽きて、奏は壁に身を預けてそっと深呼吸をする。早く普段と同じようにしなくては、これ以上足を引っ張らないように、邪魔だと思われないように、早くいつもみたいに……必死にそう思うけれど、なかなか体調が戻ってはくれない。
と、いつの間にか先程までより傍にいた笙悟に軽く引き寄せられて、その肩に、体に寄りかかるような状態にされてしまった。
「……笙悟?」
「あー、何だ、その……男に寄りかかるとか嫌かも知れんが、壁よりはマシだろう」
自分のせいで部長が体調を崩したと思ったのかも知れない。別に笙悟のせいではないと思うし、本当はそんな事をする必要はないんだけれど……どうしてなのか、そうして寄り添うのは、何だか心地よくて安心もする。触れた部分から笙悟の体温を感じて、温かくて気持ちがいい。現実ではこんな風に誰かと寄り添った事なんて、両親がいる頃くらいしかなかったから、他人の体温が気持ちいいなんて知らなかったし、奏にとっては両親がいなくなってから初めて与えられたひとの温もりだった。
そんな風に感じるのは、帰宅部のメンバーを親しい相手だと認識しているからなのか。それとも、他の誰でもなく笙悟に対してだけなんだろうか。考えてみても、よくわからない。
「嫌じゃない……むしろ、何か心地いいよ。笙悟の方こそ重いだろうし、俺とこんな風に寄り添ってるような状態で、嫌じゃないか?」
「お前なら別にいい。それより、どうせサボってるんだし無理せず少し寝とけ」
少しぎこちなく優しい手が頭を撫でて、気遣ってくれる静かで低く心地よい声が寄り添う身体を通して響く。それだけで、驚く程に安心してしまう。そんな風に優しく誰かが触れてくれたのは、両親とここへ来た時のμや、あとはアリアくらいだった。笙悟に迷惑をかけたくないと思いながらも、その感覚がとても心地よくてつい身を預けてしまう。
これは何なんだろう、温かくて心が満たされるような気持ちは。奏は心の中で首を傾げるけれど、やはりよくわからないしそれ以上に頭も働いてくれない。ぼんやりとして眠くてふわふわした気持ちで、ふと思った事を口にした。
「笙悟の声って…気持ちいいな…」
「なっ!?」
笙悟の驚いたような焦ったような声を聞きながらも、瞼がもう重くて意識もどんどん沈んでいってどうにもならなかった。
『朝、じゃなかった。お昼だよー!お、き、ろーっ!』
「ん…ん、アリア…?」
耳のすぐ傍でキンキンと響く聞き慣れた声に意識が浮上し、何とかうっすら目を開く。その目に映ったのは、すっかり見慣れた妖精のようにふわふわ浮いている、二人の歌姫のうち、妖精のように小さくなった片割れ。そして……晴れ渡った青空。空、何で空?とまだ眠気でそれ以上は何も考えられないまま、ただぼぅっと空を見ていると、すぐ傍から声がかかる。
「まさか爆睡されるとはな。どうだ、少しは気分マシになったか」
「……笙悟」
聞こえた声を追うように見上げると、やはりすっかり見慣れた、少し強面にも見えるが優しい男の顔。それを見ながら、どうしてこうなってるのかをぼんやりしている頭で考え、少しして奏はようやく思い出す。屋上で色々あって、笙悟に寄りかかって寝た記憶が確かにあった。しかし、何でいつの間にか笙悟に抱きついてたのかはわからない。多分、寝てる時にでも抱きついてしまったのだろうけれど。
「……っ、ご、ごめん、俺どれくらい寝てた?」
「一時間…半くらいか。昼だしそろそろ起こそうと思ったんだが、大丈夫か?」
「うん、大丈夫…というか、いつの間にか何故かアリアがここにいる…?」
まだイマイチ働かない頭を押さえつつ、何とか少し身を起こして改めて笙悟を見て、それから寝る前にはいなかったアリアを見る。寝ている間に合流したんだろうけれど、何か緊急の用事だったりするのか。しかし、アリアが焦ってる様子はない。そんな事を奏はぼんやりしたまま考える。
寝たおかげか頭や胸の痛みはおさまっていたけれど、どうにもならない疲労感は残っているようだ。それが精神的なものなのか、こんな所で寝たせいなのかはよくわからなかった。
「お前が寝てる時に、アリアがWIREで部長探してたから知らせたんだ」
『こっそり教室見てみたけどいないし。どこ行ったのかと思って帰宅部のメンバーにWIREで聞いたら、何故か屋上で笙悟といるって言うし。サボって寝てるって言うし!』
「体調悪そうだったんでな、寝かせてやった方がいいだろ」
「……何も間違ってはいないんだけど、部長なら今俺の隣で寝てる、ってグループのWIREで伝えるのはどうなの」
アリアの言葉を聞いてWIREを確認すれば、その時の会話のログが残っていた。笙悟の言葉の後にメンバー全員が反応し、主に鳴子や鍵介によるツッコミが入っているのを見て苦笑するしかない。もちろん、実際に笙悟の隣で寝ていたのだから、何も間違ってはいないけれど。
『ちなみにその言葉のせいで、帰宅部のほぼ全員が見に来たから。YOUは寝顔を見られちゃって、鳴子にはしっかりバッチリ撮られてたよ』
「まぁ、そうなるよね。というかその時点で起こしてほしかったな…」
「ちょっと起こしてはみたんだが爆睡してたんで、もう少し寝かせといてやろうってなったんだよ」
「申し訳ないような、いっそ爆睡してて何も気付かなくてよかったような。まぁいいか、見られて困るようなものでもないし。それより笙悟お腹減ってない?」
「減ってるがどうした?」
「寄りかかって寝てたお詫びとか…あと色々と、まぁお詫びとお礼も兼ねてご飯でも奢ろうかなって思って」
「そりゃありがたいけど…いいのか?」
「もちろんいいよ。アリアもお腹空いたよね、寝ちゃっててごめん」
『いいよいいよ。部長も部員がみーんな個性派揃いで大変なんだろうし、疲れが出ちゃう時だってあるってば』
立ち上がって伸びとあくびをして、軽く体を動かしてみる。どうやら、寄りかからせてくれていたおかげかそこまで痛い所はなさそうだ。同じように立ち上がって、軽く腕などを動かしている笙悟を見上げて礼を言う。
「笙悟のおかげで、体も痛くならずに少し体調よくなったよ、ありがとう。笙悟の方は大丈夫か?」
「俺は筋肉痛になりそうな気もする。しかし、体調よくなったなら、抱き枕になってやったかいがあったな」
「うん、助かりました笙悟先輩。何ならヒーリングしようか?」
「そこまでじゃねぇし、そもそもヒーリングで治るモンなのかコレは」
やった事はないので正直言えば効果範囲がどこまでなのか、奏にはよくわからないが。何せカタルシスエフェクトが使える帰宅部か、またはデジヘッドや楽士にしか使えないだろうメビウス特有の不思議な力だ。出来る気もするし、出来ない気もする。
「アリア、どうかな」
『うーん、微妙なとこかなぁ。ダメージ判定なく、疲労扱いとかならヒーリングでは難しそうかも?』
「いや、そこまで真面目に考えなくていいんだけどな」
「考えるよりやってみた方が早いか」
どうせなら試してみた方が早いだろうと、奏は笙悟にヒーリングをかけてみる。ふわりと癒しの力が笙悟を包み、スキルもいつも通りに発動した感覚はあったけれど。
「笙悟、どう?」
「……治ったような治らんような。多少楽になった気もするが」
「気休め程度には効くって事かな。使わないよりはマシって感じ?」
「そんな所だな」
「やっぱりメビウスでも、そう都合よく何でも完全に治ったりはしないか。μなら相手が生きていれば、ある程度何とかなるかも知れないけど」
「まぁ、外見や性別すら変えられるくらいだしな。その辺はμなら何とか出来るだろ」
「帰宅部だから頼る訳にいかないし、そもそも体の疲労程度で頼れないね。あ、もし辛かったら肩たたきとかするよ」
「もし筋肉痛になったら頼むわ」
そうして笙悟が貝を好きだと言っていたのを思い出し、話しているうちに何故かカキフライにしようという事になった。店を検索して駅前の方にある洋食のお店に向かう為に、とりあえず二人で学校を出て歩き出す。行く途中、少食な事や食事が美味しく感じるようになったのは最近だった事などを、アリアが笙悟に暴露してしまったので、何だかちょっと恥ずかしい思いをするはめになってしまったけれど。
今日は笙悟に弱い姿や変な場面ばかり見られている気がする。呆れられていないといいのだけれど。そう思い、チラッと笙悟の顔を見上げてみると、どうやら呆れてはいないようでホッとする。むしろ優しい笑みを浮かべて見られていて、何故か余計に照れくさい。
「ん、どうかした?」
「いや、何でもない」
ふと笙悟の瞳に何か仄暗いものが宿っていた気がしたけれど、気のせいだったろうか。メビウスにいる人間は自分も含めて殆どが何かを隠しているか、精神や肉体に何らかの問題や傷を抱えている事が多い。笙悟の中にあるそれが、危険なものや急いで何とかしなくてはならないものでない限り、今は様子を見るべきかも知れない。
一度目を伏せて、気持ちを切り替え微笑む。彼が何か悩んでいるなら話を聞くとしても、慎重にしなくては。
「あ、ほらそこの店だよ」
「ん?ああ、昔ながらの洋食屋って感じだな……お前よく見つけてくるなぁ」
「俺じゃなく、鳴子とか美笛ちゃんとかだけどね、情報元は。鳴子は全体的に色んな情報に強いし、美笛ちゃんは美味しいお店とか教えてくれる」
「性別も年齢も問わず、幅広く交流出来るのはすげぇよな」
『部長は人タラシなタイプだよねぇ』
「そんなタイプとかじゃないよ。ただ単に、メビウスでは目に見える部分のマイナス点がなくなってるから。現実では上手く出来なかった事をやってみてるだけというか」
店に入って席について、アリアの言葉に苦笑しながら奏はそう言う。
「マイナス点?」
「現実の俺、全身あちこちに傷痕があるんだよ。背中とか片足とかのも結構ひどくはあるんだけど、特に顔のこの辺にザックリと、右目の上から頬までいくつか顔の右側に目立つ傷があるから。それが怖いか不気味みたいでね。幸い、右目の機能自体はそこまで落ちてないから問題はないんだけど」
「お前、またそういう事をアッサリと」
「あるものは仕方ないからね。ここではμが傷とか全部消してくれたから、そういう意味ではマイナスからのスタートにならなくて助かるよ」
メニューを見ながら、そう答える。笙悟の表情を見るのが何となく怖いような気がして、何を食べようかという方に意識を向けておく。誰に何を聞かれても気にならなかったのに、どうしてなのか笙悟や帰宅部のメンバーに現実での事を知られるのは怖いような気がした。
現実の自分を知られるのが怖い。誰かに嫌われるのが怖い。また独りにされるかも知れないのが怖い。今まではそうなったとしても諦められたのに、どうしてこんな風に怖くなってしまうんだろう。わからない、こんな事は初めてで……どうしたらいいのかもわからなかった。
「……部長、どうした、大丈夫か」
「え?あぁ、ごめん。ぼんやりしてた、何か話しかけてたりした?」
「注文決まったかって聞いてたんだが。メニュー見たまま何かフリーズしたみたいに停止してたから、どうかしたのかと思ったぜ」
どうしてかわからないけど、自分の事を知られるのが怖くなりました、なんて言う訳にもいかない。何とか誤魔化して、笙悟とアリアに確認してから店員を呼んで注文する。
「アリアと半分にするんだろうに、大盛りとかにしなくていいのか?」
「それで丁度いいから」
「なるほど、本当に少食なんだな」
『これでもまだ食べるようになった方なんだけどねぇ』
「食べる事にまだあまり体が慣れてないからね、急にいっぱい食べるのは難しいよ」
「ま、無理しない程度に、少しずつ慣れりゃいいだろ。ここでも、現実でも」
「うん……そうだね」
帰宅部の部長なんてものをやっているのに、現実の事を考えると一瞬竦んでしまいそうになる。びくりと体が震えてしまった事に、どうか笙悟とアリアが気付いてませんようにと心の中で思いながらも、奏は意味もなくまたメニューを眺める。
他のみんなと違って、自分は本当に現実へ帰りたいのかよくわからない。そういう意味では鍵介と近いのかも知れないが、鍵介は迷い悩みながらも何か掴もうとしているし、見つけようとしているから、自分と一緒にしては失礼だろう。
「お前は、本当に現実へ帰りたいのか?それとも、俺や帰宅部のメンバーを現実に帰したいから、帰宅部にいてくれようとしてるのか?」
どうやら、動揺を気付かれてしまっていたらしい。笙悟にそう問いかけられて、苦笑しながらどう返答するか考えてみる。しかし、やはりわからないから、素直に答える事にした。
「正直、本当にわからない。みんなは現実に帰りたい理由があるのかも知れないけど、俺にはみんなを帰したい以外の明確な理由はないんだ。ただ、ここから逃げ出したいだけなのかも……顔のわからなくなったNPCの家族とか、襲ってくるデジヘッドとか楽士とか。そういうものから目をそらして、ただ逃げたいだけなのかも知れない」
「部長も、逃げたいとか思うんだな」
「みんなからは俺がどんな風に見えてるかはわからないけど、割とよくそう思ってるよ。ただ、現実でもここでも、結局逃げられなかっただけで」
逃げたいと思っても、いつも動けなくなってしまう。そうして逃げてきたはずのメビウスでも、結局いつの間にか自縄自縛の状態になっている。母の面影と重ねられる事はなくなっても、部長としてみんなの理想を重ねられているうちに逃げる事も出来なくなった。そんな風に前を向く事も現実と向き合う事も出来ない自分は、果たしてどこへ行くべきなのか。
「普通以上に動けて傷痕もないこの体に少しでも違和感があるうちに、早く帰らなきゃいけないとは思ってる。完全に慣れてしまった後で現実に戻るのは、きっと余計辛いから…」
「……傷が、あるんだったな」
「うん。だから現実では、その、走ったりとか出来ないんだ。歩くしか出来ないしゆっくりしか動けないし、痛みもある。だから、動けるこの体に慣れちゃうと、きっと戻った後かなり辛いと思う。まぁ、それくらいしか俺には帰る理由がないんだけど」
上手く笑えているだろうか、わからない。でも泣けもしないし、こうなったのが誰のせいでもないのだから、怒っても恨み言を言っても悲しんでも仕方ない。どんな表情をしていても、どうせひとに嫌われていくなら笑うしかなかった。
「……それはお前に染み付いてるんだろうな」
「え?」
くしゃりと少々乱暴に頭を撫でられる。雑で髪の毛がぐしゃぐしゃにされるような撫で方で、けれど優しく温かな笙悟の手。奏は思わずきょとんとして顔を上げ、笙悟の方をようやく見る事が出来た。彼の表情は怒ってもいないし嫌ってもいない。ただ少しだけ哀しそうに見える穏やかな目がこちらを見ていて、つい戸惑ってしまう。
『いいんだよ無理に笑わなくても』
小さな体でそっと奏の手を抱き締めるようにして、アリアが優しくそう言う。それにも戸惑ってしまって、奏はどうしたらいいのかわからず、ただ困ってアリアと笙悟を交互に見つめた。
「……あの、優しくされると、どうしたらいいのか、わからないんですけど」
『うんうん、少しずつ慣れていこうね』
「優しくされる事に?」
『あとはそうだねぇ、無理しないとか。帰宅部のメンバー……とりあえず笙悟やアタシでも頼ってみるとか?』
「もう頼ってるよ?」
『YOUの頼ってるって、多分全然頼ってないからね?必要最低限だと思うよ』
「えっ」
『戦闘中の任せたとかそういうのも、頼ってるというより敵倒す為の流れみたいな?そういうのだし』
かなり頼っていたつもりだったのに、どうやら頼っていなかったらしい。よくわからなくて首を傾げ、アリアと笙悟の方を見ると苦笑されてしまった。
「人の事はあまり言えんが、まぁ慣れるしかねぇだろうな」
『まさか誰より人と交流して帰宅部のメンバーの助けになってる部長が、実は人慣れしてないとは。アタシも気付かなかったわ』
「何に、慣れれば?」
『そうだねぇ……うーん。餌付けとスキンシップとかから慣れてみる?』
「……え、俺がされる側なの?餌付けとスキンシップを?」
「野良猫か?」
『ちょうど元部長がここにいる事だし。協力してもらっちゃおうか』
ごく自然に笙悟が巻き込まれている。確かに笙悟は帰宅部の前部長ではあるけれど、部長とは一体何なのか。よくわからなくなってきて、謎だなぁ、と奏は考え込んだ。
「部長ってそういう役割なんだ?」
「俺が部長の時はそんなのやってねぇよ」
『大丈夫。笙悟の懐が寒いのは知ってるから、餌付けはまぁしなくてもいいよ』
「金がねぇのは確かだが、事実でも非常に複雑な気持ちになるからやめろ」
『そんな訳で、人タラシなのに全く人慣れしてない、自己評価メチャ低な威嚇しない野良猫現部長を、元部長に構い倒してもらおう!』
「野良猫にされた」
「褒めてんだか貶してんだか。まぁ、俺はそうしても別に構わねぇけど、部長はそれでいいのか」
「何が何やらよくわからないけど、別にいいよ?」
「お前は少し断る事も覚えていこうな…」
そんな話をしているうちに、注文したものが来て、とりあえず話は後にして食事に専念する事にした。笙悟もアリアもカキフライを食べたかったようなので、何なら二人にそれを全部譲ってもよかったのだけれど、ちゃんと半分は食えと二人に叱られてしまった。
「いつもこうなのか」
『こうだねぇ……食事に対する欲がちゃんと働いてないっぽくて』
「餌付けもしとくか」
『うんうん。甘い物以外への、食べ物への欲もちゃんと思い出してもらいたいとこだよ』
「少しずつ思い出してはいると思うんだけどね、多分。美味しく食べる事は出来てると思うし」
両親がいなくなった後の奏にとって食事は、必要最低限仕方なく栄養をとる為のものでしかなかった。美味しいとかマズいとかではなく、生き残ってしまったから、親の分まで生きなきゃならないから、周りに迷惑をかけない為に義務で食べていた。少なくとも、メビウスに来る直前までは。その頃にはもう味もよくわからなくなっていたけど、今は何故かちゃんと美味しいと感じている。
アリアの言っていたように、独りだったから寂しくて味すらわからなくなっていたのか。それとも、仕方なく義務として食べていたから段々と美味しく感じなくなったのか。どうしてなのか今でもよくわからないけれど、何にしろここで少しずつ変化しているのかも知れない。
「ごちそうさまでした……今日はアリアより、ちょっと多く食べられたかな」
『頑張ったのはえらいぞー。でももうちょい食べたらもっといいよ、育ち盛りの男子高校生!』
「部長の胃の容量を、せめて平均レベルにしたい所だな」
『先は長そうだねぇ』
「そんなに少ないかなぁ」
「男子……に限らず、他の帰宅部メンバーと飯食ったり、その時に相手の量見たりしたか?」
「どうしても話を聞くとか、その話について考える方に集中しちゃうから。量とかそういうのは、正直見てないし、あんまり覚えてない」
誰かといる時は基本的に相手の顔を見て話すようにしているし、話に集中するようにしている。そのせいか、よほど特殊な物でもなければ印象に残らない。アンキモ何たらとか、とつい思い出して微妙な気持ちになってしまった。
『今度、男子メンバーでご飯行ってみたらどう?女子会ならぬ男子会的な?部長の奢りで』
「……別にいいけど」
「いいのかよ」
「あんまり自分の事でお金使わないから」
『部長ってば、本と音楽くらいにしか使わないんだよねぇ』
「本も、すごく大きい図書館見つかったからもういいかも」
「アレはデジヘッドだらけの、楽士のいる領域なんだけどな一応。お前なら大丈夫そうだけど」
「つい話ズレちゃったな。えーと、別にその男子会?とか俺が奢るのはいいけど、男子メンバー来てくれるのかな」
「峯沢はお前の説得次第だろうが、他は来るだろ」
「維弦も?それは難題だ。まぁ頑張ってはみますが」
維弦の場合は断られる可能性の方が高い気がするものの、まぁ頑張って当たって砕けてみるのもいいだろう。しかし他は来るというのもよくわからない。ひとの奢りでのご飯なら来るって事だろうか、と奏は考えつつ首を傾げる。
「実現したら楽しそうだね。俺、そういう経験なんて小学校の頃くらいしかないから」
「そういう、って、男子メンバー複数人と飯食うとかの事か?」
「男子に限らないけど、うん。基本的に一人だったし、学校でもご飯一人で食べてたし」
「……それ全部伝えて誘ってみろ。ほぼ確実に来ると思うぞ」
「ん?えっと、誰かと食事なんて小学校の頃くらいしかしてなくて、基本一人だったから、男子会というのが実現してくれたら楽しいって伝えるの?」
『あとは、すっごく少食だって言われたから、普通どれくらいの量を男子が食べるものなのか見たいとかも言っとくといいよ。維弦も多少興味持つかも知れないし』
「うん?わかった」
何が何やらよくわからないけれど、二人が言うならきっとそうした方がいい理由があるんだろう、多分。と考えた所で、ごく自然に男子メンバーに声をかける役目を任されている事に気付いて思わず怪訝な顔をしてしまう。
「……俺が誘うんだ?」
「俺から言うよりは、お前の方がいいだろ。現部長だし、何だかんだお前は自分から全員と関わりに行ってるだろ」
「それはまぁ、そうなのか。わかった、お願いしてみるよ」
『あと、笙悟は部長を構い倒してあげちゃって』
「そりゃ別にいいんだが、部長は本当にいいのかそれで」
「あ、それ本当にやるやつだったんだね、冗談かと。いいよ、むしろ付き合わせてしまってごめん」
『さらっと冗談としてスルーしようとしてたんだね』
じとりとアリアに見られて、図星だったので奏はとりあえず笑って誤魔化す。まさか本当に構い倒させようとするつもりだったとは思わなかった。巻き込まれてしまった笙悟には申し訳ないような気もするけれど、それで本当に人慣れする事が出来るなら助かるとは思う。
「でも、構い倒すって、具体的には何をするの?」
『……うーん、撫でるとか?その辺は笙悟に任せるけど』
「……なるほど。お任せします笙悟先輩」
「何でそこでこっちに判断ぶん投げてくるんだお前ら」
『アタシには親しい人間のスキンシップとか、何となーくしかわかんないし?』
「俺には人間がよくわからないし?」
「お前まで真顔でバーチャドールみたいな事言うなよ部長……というか、俺だってそんなもんわかんねぇんだがな」
「その、笙悟が困ってたり嫌とかなら、無理しなくていいんだけど。人慣れなんてしなくても、会話は出来てる……と思うし、多分」
笙悟が困っているように見えたのでそう言ってみると、お前は自分の事をもっと気にして見てやれと何故か苦笑された。
「人に慣れてねぇのは俺も同じだ。お互いに慣れる為と思えばいいんじゃないか?まぁ、お前の場合はむしろ、会話も交流も誰とでも上手く出来てしまうのが、ある意味では問題なんだけどよ」
「問題なの?」
「そんな奴が、実は人に慣れてないし人間の事よくわからねぇと思ってるなんて、想像も出来ねぇからな。むしろ社交的というか、人慣れしてるようにしか見えなかった」
「仕方ないよ、想像出来ないのは。人間は見たいものだけを見てしまうものだし、相手の内面なんて目に見えないものだからね」
「その妙に諦めがいいというか、悟ってるというか、そういう部分もな……まぁ、何にしろ後日だな」
「うん、付き合わせてごめん……いや、ありがとう、かな」
謝ってばかりなのは変かも知れないし、あまりよくないだろう。それに笙悟は協力してくれるのだから、きっと感謝の方がいい気がする。そう思い言ってみると、その方がいいと言うように優しい笑みが返ってきた。その表情に何故か急にドキドキして、奏はよくわからず自分の胸に触れる。
「どうした、また痛いのか?」
「あ、違う違う、大丈夫」
何だかドキドキしましたとは流石に言えず、慌ててそう返す。自分には今まで親しい人間がいなかったし、優しくされると何となくドキドキしてしまうのかも知れない、奏はそう結論づける。これからはそういうのにも慣れていけるだろうか、わからない。
その後、食べ終わったしそろそろ店を出ようかという事になって、自分と笙悟の分も支払って店を出る。笙悟は少し申し訳なさそうにはしていたものの、こちらが迷惑かけてしまったし、人慣れする為にこれから付き合ってもらったりするんだから払わせてと言って、奏がまとめて会計をした。そうして、一応学校に戻る事もこのまま帰る事も出来るよう駅の方へと歩く。
「奢ってくれるのは助かるが、現実でも年下らしい後輩に奢らせるのは、流石に少し悪い気がするな」
「気にしなくていいよ。さっきも言ったけど普段はあまり使わないし、どうせ貯めてても現実に戻ったら消えるお金だろうからね」
「それはまぁ、現実に戻っても残ってたら驚くな」
「話せるし感覚もあるのに、ここは夢のようなものだから。きっと物とかは何も残らないだろうけど……それでも、みんなの心に何かは残るといいな」
もしも、μを説得出来て現実に帰れて、そうしてみんなとはもう二度と会えないとしても。ここで優しくしてくれた人たちがいた事や、関わってくれた人たちがいた事。それを忘れないでいられたら、きっとここに来る前よりは、心に温かなものを抱えていける気がする。……寂しさは、増してしまうかも知れないけれど。
そんな気持ちを振り払い、誤魔化すように微笑んで笙悟を見上げる。
「笙悟、これから学校戻る?」
「いや、正直面倒くせぇな」
「じゃあ、μの情報とかも目ぼしいのはなかったと思うし、特に急ぎの用もなかったよね?今日は解散にしとこうか。WIREでみんなにも言っておく」
「ああ、頼んだ」
WIREでみんなに『今日は解散、自由に過ごして』と送っておく。そういえば結局サボったり寝てたりしたから、今日は何も真面目にやってなかったんじゃないだろうか、と奏は考えて苦笑する。
「……俺、今日の朝以外は授業サボってつい寝てたし、その上普通にお昼ご飯食べて帰る人になっちゃうな」
『部長が悪い子になっちゃったねぇ』
「真面目な優等生だったのに、すっかり悪い子だな」
「それはきっと、お手本の先輩がサボってるからかなぁ」
「さて、どこの先輩だろうなぁ。ま、たまにはいいんじゃねぇか、サボるのも」
「そうだね、たまにはサボって気分転換するのもいいかな。優等生を続けていたって、どうせ楽士やデジヘッドから見たら異端な訳だし」
「好きで優等生やってる訳じゃないって事か?」
「うーん、勉強は嫌いじゃないし、本を読むのは好きだけど。優等生になろうと思った訳じゃないし、気付いたらこうなってて抜け出せなくなってた、って感じかな」
なるべく反感を買わないようにしていたら、いつの間にかこうなっていただけだった。それでも嫌われる時は嫌われるし、好かれる訳でもないけれど。
「お前は真面目すぎるんだろうな」
「真面目……なのかな。ただあまり勇気がないだけのような気がするけど」
「勇気がない?」
「何と言うか……授業や勉強真面目にやらないとか、誰かに反発するとか。何かからはみ出したり、線を越えたり、抵抗するのって、結構勇気がいると思うから」
「……そういう所が、真面目なんだと思うんだがなぁ。大体は感情のままにそうしてるだけで、そこまで考えてねぇよ、多分な。しかし、そんな風に考えるなら、帰宅部にいて今異端者みたいな扱いされてるのは、実は結構嫌だったりするのか?」
「嫌というか、怖さや不安は正直あるよ。でも夢から醒めてしまった以上、見てみぬフリも出来ないし。デジヘッドや楽士たちに攻撃されても、反撃出来る力があるだけ、現実よりはずっとマシだ」
「帰宅部に入らなきゃよかった、とかは思ってないか?」
「むしろ感謝してるよ。あのままならパニクってデジヘッドに囲まれてボコボコにされて捕まるか、または何故か俺に注目してたらしいカギPだった鍵介に捕まって洗脳されて、俺もデジヘッド化コースだったんじゃないかな」
アリアにも笙悟にも出逢う事もなくあのまま逃げ続けていたら、きっといつかは追ってきたデジヘッドに囲まれて捕まるか、楽士だった鍵介に捕まっていただろう。何せ状況も全くわからず、ホコロビが見えて現実を思い出して混乱する一方だった上に、あんなに目立つ所で『卒業』してしまったせいで顔を知られていたのだから。きっとアリアや笙悟と出逢えた自分は、あの状況の中では運がいい方だったのかも知れない。奏は出逢った時の事を思い出しながらそう考える。
「帰宅部に入らなければよかったと思った事はないよ。帰る事にまだ迷いはあっても、みんなに出逢えてよかったと思うし」
「そう思ってるならいいが……帰宅部へ勧誘したのも部長任せたのも強引だったろうし、実は嫌だったんじゃねぇかと思ってな。お前は何と言うか、あまり断らなそうだからな」
「特に断る理由もなかったからね」
笙悟はどうにも納得していないような表情をしていたけれど、その頃には駅前まで戻ってきてしまった。
「笙悟は家の方角あっち?」
「あ、ああ、そうだけどよくわかったな」
「女子会行ってたアリア迎えに行った時、笙悟があっちの方へ行くのを見かけたから。もしかしたら、そうなのかなと思って」
「……見てたのか」
「視線を感じた気がして振り返ったら、ちょうど帰ってく所だったんだけど」
バツが悪そうな表情の笙悟を見て、もしかして言わない方がいい事だったのかなと思いながらも、言葉にしてしまった以上はどうにもならない。
「その、気のせいだったら悪いんだけど……もしも何か遠慮したとかなら、今後は気にせず話しかけてくれていいから。寂しいだろ」
「寂しいのか?」
「え?あ、えーと……寂しい、みたいです」
ポロッと溢れてしまった言葉に自分でも驚く。笙悟に意外そうに問いかけられて、あの時振り払った筈の気持ちをしっかりと自覚してしまった。そう、多分寂しかった。こちらを見ていたようなのに何も言わずに去っていく笙悟の背中を見送るのも、その後ろ姿も、何だかとても寂しいと感じた。
そんな事を言ってしまっては、自分がひとに構ってほしいみたいでとても恥ずかしい。どことなくニヤニヤする笙悟とアリアを見て、奏はこの状況の不利を悟って、とりあえず今は逃走する事にする。アリアは一緒にいるから逃げ切れる訳ではないけれど、二対一ではどうにも分が悪すぎる。
「と、とにかく、俺に対しては遠慮いらないから。それじゃ、笙悟先輩、また明日!」
「逃走の判断早ぇな…おう、また明日な」
そのままの勢いで奏は走り出す。そうして走りながら、自分が現実に帰る事を迷うのはどうしてなのか、理解してしまった。親しい誰かと話せる事、また明日なんて言い合える事……現実では失われてしまったそういう温かなもの。それが嬉しくて、楽しくて、心が温かく満たされて。だからこそ迷ってしまうのだろう。
ここが虚構の楽園だったとしても、この世界が偽物だとしても。帰るのが正しい事だとわかっていても、いつかは帰らなくてはならないとしても。それでも、この虚構の楽園で少しずつ心を癒され満たされている自分がいるのは真実だったから。