@nabibi47
目が覚めた時、私は視界を埋めたライラックに飛び起きた。
うおっと驚いた拍子に出た声を彼は落とした。
ぼさぼさだろう髪もそのままに私は言葉もなく震える指先を持ち上げる。
指した先、彼は、ダンデくんはにっかり笑って見せた。
「よぉソニア、キミが寝坊とは珍しいな」
寝坊だなんて、いっそ、あなたのほうが、この、どれだけ人に心配を、あぁもうこのおばか。
言いたいことはたくさんあるのに、それをちゃんと言葉にできなくて、私は両手を広げた。
そのまま勢いよく飛び込んだ先、ダンデくんは易々私を受け止めた。
分厚い胸板に、目一杯の力を込めて拳をぼこぼこ叩き込むのだった。
「ばかばかダンデくんのばかぁ!ほんっとにばかぁ!」
「いたたた、ソニアわかったから、グーは痛いぜ」
「もうやだぁ、よかったぁ、ばかぁ」
泣きそうになりながらその胸板に顔を押し付けた。
ダンデくんはよしよしと私のぼさぼさの頭を撫でる。
その手の優しさは温かい。
温もりがあって、私の声に答える声があって、戻ってきた日常を知る。
ぐずぐず鼻を鳴らして顔を持ち上げる。
ダンデくんはどこか晴れやかな笑みでもってそこにいる。
全部、うまくいったのかな。
どうだろう、それを詳しく聞くには野暮が過ぎるような気がした。
そっと視線を落とす。
ダンデくんの腰には既にホルダーがある。
リザードンたちはそこにいた。
ぱちりと目と目が合った。
この子たちは、私にもよくよく懐いてくれている。
ダンデくんを家族みたいに大事に思ってくれているこの子たちの不安を、私は知っていたと思う。
ずりずりダンデくんの胸板に顔をこすりつけた。
背中を覆った大きな手はぽんぽんと私を宥める。
落ち着きに、息を吐きだして私はゆったり体を離した。
「ダンデくん、元気?」
端的な質問にダンデくんは首を傾げながらも頷いた。
むしろ、今は私のほうが満身創痍だという自覚はある。
しかしここでまた寝こけるわけにはいかない。
睡眠はしっかりとった。
もう大丈夫、途中で意識が落ちることもない。
にぱりと笑って、私は窓の向こう側を指さしたのだった。
退院準備も整ったとみた。
いつもの真紅のオーナー服に繕われた身姿を改めて確認し、私はベッドから足を出した。
「外、出たいな」
「ソニア、キミ寝不足で倒れたのに」
「大丈夫よ、ゆっくり寝たから」
ダンデくんは慌てて手を貸そうとしてくれるが、私は片手をあげて大丈夫と軽く手を振った。
足元には出歩くためのサンダルが鎮座している。
それに足をつっかけてゆっくり立ち上がる。
眩暈もないし、足から力が抜けることもない。
手を組み合わせぐぐっと背伸びをしてやれば、筋が気持ちよく引っ張られた。
ぱきぽき関節が軋む音を聞きながら、ダンデくんににっこり微笑みかけた。
「お散歩、いこ」
こうと決めたら、私もあまり譲らない。
ダンデくんもよくよく知るところだろう。
だから、ちょっぴり困った顔をしながらもダンデくんは一つ頷く。
「わかった、でも少しだけだからな」
肩をすくめた仕草の大人びた様子が、何か面白く見えた。
にんまり頷きエスコートされる廊下は、昼前の穏やかな木漏れ日に温められてあったのだった。
◇◇◇
さて、病院の庭はポケモンたちがほのぼのと過ごしている。
セラピーの一環で、性格の穏やかな個体と触れ合うスペースにもなっていた。
庭か、個室以外では個人のポケモンたちは出ることができない。
院内にいるポケモンは、あくまでも病院登録がされている個体だ。
幸いにして、今ここに人はいない。
ワタシラガが風に吹かれてそよそよその身を空に遊ばせる。
庭に広がる草木の中にアマカジがころころ転がり、あまい香りに穏やかな心地を運んでくれる。
優しい場所に目を細めた。
つと、私は隣を歩くダンデくんを見上げた。
にこっと笑えば、ダンデくんも理解していない様子でにこっと笑う。
反射の笑顔にうんうん頷いた後、私はとたたっとダンデくんから距離をとる。
首を傾げるダンデくんは気づかない。
私が一瞬、ボールの中の彼らと目配せしたことに気づかない。
だから、私は助走がつけるだけの場所で足を止める。
そうして深く息を吸う。
さぁあぁと吹き抜けた風に、私の声は流されない。
吐き出す息は、大きな声に代わる。
「リザードンっ!ギルガルドっ!オノノクスっ!ドラパルトっ!」
呼び出した名前は今、ダンデくんのボールに収められた相棒たち。
ぽかんとするダンデくんをよそに、ぽぽんっと四体は飛び出した。
目を剝くダンデくんを追いつかせはしない。
私とリザードンの約束なのよ、きっと皆もちょっぴり怒ってる、だからたまにはやり返してやるんだから。
私の隣に並んだダンデくんの相棒たち、彼らは少し拗ねていた。
そっとリザードンの首を撫でれば、くるるっと甘い声を上げる。
心配だったよね、何もできない悔しさは大きかったよね、いつだって平気な顔ばっかりする困ったやつだよね。
私は眦を下げてさりと太い首を撫でた。
指先を外した。
それから腰を落として前のめりになる。
彼らも私に倣って身を屈めるから笑ってしまう。
何も言わなくても伝わるのは、この十数年の積み重ねかな。
私はクラウチングスタートの姿勢をとって、片手を大きく振り上げた。
そうして、そのまま振り下ろした手にもう一度声を張り上げた。
「みんなぁ!」
「そに、ソニアっ!おい待て」
「たいあたり!」
一斉に走り出す。
助走はたっぷり、いっそとっしんになってたかもなんて思う。
だけれど、もう止まらない。
ダンデくんはぎょっとして動きを固めていた。
そこを狙って四体と一人は突撃だ。
「うっうわぁあぁ!」
どっしぃんと巨体がダンデくんに乗りかかった。
抱えきれない重量に、ダンデくんはめしゃっとつぶれる。
芝生に転がったダンデくんの長い髪のライラックが広がった。
あまりの勢いにぎゅっと目を瞑ってしまった。
私も巻き込まれてぎゅうぎゅうになってしまう。
そろりそろりと目を開いていく。
ぽつ、ぽつ、濡れる感触に、視線を流した。
相棒たちが泣いている、大きな体のこの子たちが、ダンデくんをぎゅっと抱きしめ泣いている。
頑張ってたんだもんね、怖かったよね、大事な人が目覚めてくれない七日間、どれだけ怖かったことだろう。
リザードンなんて翼を縮まらせ、きゅぅと掠れる鳴き声に涙をぽろぽろあふれさせる。
臆病なのにしゃんとして、いつだって強さに向かっている子だった。
それは他の相棒たちだって変わらない。
ギルガルドの金属が不格好に軋む音、オノノクスの鱗が重なり合って震える音、ドラパルトの冷えた尾が揺れる音。
ぽろぽろぽろ、ぽろぽろぽろ。
涙は芝生に落ちていき、草木をしょっぱく濡らしていった。
ダンデくんはびっくりしながらも、緩やかに微笑んでそれぞれを撫でてやる。
「ごめん、ごめんなぁ。俺がお前たちに心配をかけた」
私は身を起こした。
人のいないポケモンたちが息づく場所で、トレーナーの宥める声と相棒たちの泣き声が庭を埋めていた。
そっと体を退けて、立ち上がる。
ダンデくんの腕でも回しきれない大柄な体が身を震わせる。
いつも強いこの子たち、だけど、弱さだってちゃんとある。
よかった、ちゃんとぶつかれてよかった。
ほっと息をつき、ダンデくんの顔の隣に腰かけた。
私を見上げるその顔は、眉を下げてできあがる。
「ほかの子たちの分は、また今度」
情けない顔に目をすがめて、その額を小突けばおとなしく受け入れた。
一度頷くその様子に、多少なりとも心配をかけた自覚を持ってくれたようだ。
溜息が、かすかにこぼれる。
安心に漏らした吐息だった。
そっとダンデくんの目元にかかる前髪を指先でどかしてやる。
広く見える瞳は、太陽の色をしていた。
リザードンたちは、当然にダンデくんの人生に食い込む存在だろう。
彼らなしでは、きっとダンデくんは生きていけない。
だけど、知ってほしい。
そういうものは、広くにあるのだと知ってほしい。
目を伏せる私に、ダンデくんは視線を上げる。
重なり合う瞳の虹彩に呟いていた。
「私もね、ダンデくんが思うよりずっと、キミの世界に生きてるの」
「そう、なのか」
ぼんやりとした返事に笑ってしまう。
予想外なんだ、そっか、ダンデくんは本当に案外抜けている。
私がそこにはいないって、思うことで自分を守っていたのかな。
だけど寂しいって言ってくれたから、私はちゃんと今からでも向き合いたい。
そうだよ、頷いて額から頭を撫で上げた。
ダンデくんは目を細めて私の手を受け入れる。
そよぐ風に、私の髪が揺れる。
それを片手に抑えて、ふにゃりと笑う。
小さい頃、伝えられなかった言葉を今度こそ、私自身が伝えたい。
「私も、ちゃんといるよ」
止まり木で、いられればいいと思ってた。
それでもダンデくんの中では宙ぶらりんになっていた気持ちがあった。
本当は恨み言だって言いたかったのに、私が選んだ道を尊重してその寂しさを隠したままでいてくれた。
その優しさに、甘えるだけはもうやめる。
だから、今度こそはっきり言葉にしよう。
ダンデくんは目を見開いていく。
のそりのそりリザードンたちも身を起こした。
彼らの瞳は未だ濡れていたけれど、これ以上涙が溢れることはない。
顔を寄せれば、この子たちは私の頬に鼻先や頬を寄せ合う。
触れ合う温度に、瞬きをした。
この子たちがいる、だけど、ダンデくんはもっと広くにも手を伸ばしていた。
もう寂しいなんて、ダンデくんに思わせたくはない。
一つずつ、足りなかった空白を補うように言葉は積み上げられてあった。
「リザードンたちも、私も、ちゃんといる」
「あぁ」
「忘れちゃ、いやよ」
「……うん」
「いなくなったり、しないんだからね」
みんなでダンデくんを覗き込んだ。
ダンデくんは私たちの顔を見回すと、くしゃりと目元をへしゃげさせる。
感情をかみしめるその顔に、リザードンがまず動いた。
べろんっとダンデくんの顔をリザードンが舐め上げた。
続けてギルガルドがダンデくんの胸板に体を押し付ける。
わちゃわちゃと折り重なる相棒たちに、私は少し体を離れさせる。
そうするともみくちゃにされたダンデくんから、笑い声が聞こえた。
「ふ、ふふっ」
堪えきれない様子に目を丸くする。
首を傾げていれば、リザードンが大丈夫と判断したのだろう、体をどかす。
それでもぴっとりくっつかれたままのダンデくんは腕で目元を覆っていた。
笑う口元だけが見えていた。
「いや、すまない、ふ、ふふふ」
不自然な笑い方、そうっと四つん這いによって行く。
その先で、ダンデくんの頬に涙の粒がぼろりと落ちた。
ぎょっとする。
ダンデくん、泣いてる。
なんで、えっ、私そんな強くいった、うそ、え、やだ、どうしよう。
子供の時だって、ダンデくんは泣いたりしなくて、笑顔が似合う男の子だった。
いっそ、初めて見るくらいの状況にざぁあぁと青ざめる。
私は慌ててダンデくんの肩に手をついて、ゆすゆす揺するのだった。
「やだ、ちょっとダンデくん、泣いてる!?ごめん!私言いすぎて」
「ちがう、ちがうんだソニア」
腕がどいていく。
現れた顔がある。
きらきらきらめく目元は涙に濡れているのに、そこにあるのは笑顔だった。
下手な笑みになるけれど、清々しくも出来上がる。
どうしたのだろう。
理解が追い付かず、首をひねるばかりの私にダンデくんは小さく笑う。
見回したリザードンたちは、ただ静かにダンデくんを見つめていた。
「俺は、ずいぶんと惜しいものを知らなかったんだなぁ」
言葉が足りないのは、ダンデくんの悪いところだと思う。
眉を寄せる私にダンデくんの手が伸びる。
私の手を握りしめた大きな掌、それを無意識に握り返した。
それだけでダンデくんは安心したように笑うから、なんだかかわいい。
懐かしい日、私が手を引いていた迷子のダンデくん、そんな彼を見つけた気がした。
「俺はとても、恵まれている」
その恵みを、きっと、ダンデくんは自らの手でつかみ取ってきた。
なのに、まるで与えられたもののように言う。
伏せられた瞼を見送りながら、さわさわ流れる風に頬を撫でられた。
ダンデくんは屈託なく、笑っていた。
「ありがとうソニア、俺はもう、寂しくないぜ」
いつかの幼い頃、あなたを置いていった私がいる。
寂しくさせたことすら知らず、逃げ出すようにいなくなって、痛みも何もない顔をさせてしまった。
後悔はあったの、だけど、そんな後悔をダンデくんは柔らかく解してくれた。
ありがとうは私のほうだよ、ダンデくん。
救われたのは私、救ってくれたのはダンデくん。
だけれど、今ここでそれをいうのは何か違う気がして、私は只管に硬く手を握る。
幼い頃、握手は別れの挨拶だったけれど、今ここでは違う。
私も目を伏せて、一度頷いた。
「うん、それなら、よかった」
これからも、私たちはまた続いていく。
続く道のりが違うものでも、同じ空の下、私たちは行く。
そんな心地に、私たちは握りしめた手を大切につないであったのだった。
愛らしきカジッチュのお嬢さん、可愛い可愛いリトルレディ、あなたは守られておいでなさい、あなたはナックルの宝物庫に飾られる麗しのプリンセス。
大切に、大切に、それはもう大切に、宝物のように愛されてきた。
家族の愛情が、温かくて優しくて、私は甘く煮詰められるようにして育てられた。
そんな自分はとても幸福で、恵まれた者だと理解していた。
けれど、私はそんな自分を好きにはなれなかった。
だからそう、これは甘やか可愛い私に反骨する獰猛でありたい私の叫びだったのだ。
「うぅうううぅう!また負けたぁ!」
コートに大の字に大きく転がる。
悔しくて悔しくて、泥だらけになるのも構わずに転げまわった。
ひょこっと私を覗き込むスイートレディは、その甘い香りを振りまいて胸元に体を寄せた。
ぴこぴこ耳を跳ねさせたタルップルにぐじゅっと目を潰した。
続けてぺしょっとすぐそばに腰かけたタツベイは項垂れながら私の頬をぺちぺちたたく。
傷だらけの相棒たち、私が未熟なせいでまた敗北を与えてしまった。
しょんぼりと眉を下げる私を慰めて、タルップルとタツベイはきゅむっと首元に顔を押し込む。
タツベイはぐりぐり額を首筋に押し付ける。
続けてふわりと届く甘い香りを態と漂わせるのは、カジッチュのころからの彼女の優しさ。
七つのころ、この子は私を選んでくれた。
同年代の子たちよりも小さくて、お人形さんみたいに可愛らしいねと愛でられてきた。
そんな私を選んだ竜、それはそれは可愛いカジッチュだった。
選ばれる竜さえも愛らしいと皆は微笑ましそうに私を撫でた。
けれども、だけど、でも、だって。
そんな在り方を私は望まない。
私は、この子たちの強さを世界に証明したい。
小さいときに、目標ができた。
絶対に倒してやろうと野心を燃やした。
だって、私はナックルに血筋を持った竜が荒ぶる場所に生まれた女よ。
私だって、獰猛な自分を奮いたい。
強さに、相棒たちの誇りを証明したい。
荒ぶる膂力を見せつけて、そうして、この人を。
ぎっとにらみ上げた先、四十は後半にも差し掛かった仇敵がにこにこ皺を見せる目元を朗らかに下げていた。
ぐわりと歯を剥く私に、仇敵は恐れも見せないでいた。
「うははは、頑張ったなリトルレディ。今日はちょっぴり肝を冷やしたぜ」
「嘘つき!嘘つき!嘘つきぃ!今日もフライゴンにみんなやられたもの」
「フライゴンも一撃もらっちまったんだ。びっくりしたよ」
届いたものはたったの一撃、私を信じてくれるこの子たちに申し訳もたたない結果だ。
私を選んでくれたタルップル、そうしてホウエンの遠い地より送られたたまごから孵ったタツベイ、二匹は私の大切な相棒だった。
飄々として私に微笑むは仇敵、お母様の弟君、現役ナックルジムリーダードラゴンストーム。
ぎぃっと威嚇の声を上げたとて、ひるむ様子もない。
飛び上がる私に、ころりとタルップル達が転がった。
それを両手で受け止めながら、ぎぃぎぃ歯ぎしりをした。
しゃがみ込むドラゴンストームに、眦は吊り上がっていく。
ナックルジムは血筋をもとにして脈々と受け継がれてきた。
彼には、子供はいない。
だから次のジムリーダーとして、彼の姪と甥である私たちが挙げられた。
けれど、この人は譲らない。
オレさまを一度でも倒せたら、ジムリーダーの座を譲るよ。
軽い調子にそういったのは、一番上の兄のころからだったという。
長男である兄は、フカマルに選ばれた。
しかして、挑み続けて三年目、心根の優しい兄は、これ以上は相棒たちが可哀そうだと諦めた。
長女である姉は、ミニリュウに選ばれた。
しかして、挑み続けて五年目、美しいものを愛する姉は、これ以上は相棒たちの綺麗な身姿が損なわれると諦めた。
諦めて、挑むことをやめた。
きっと私たちの代では越えられない。
次の代が、この人を越えるだろう。
皆そう言って、諦めた。
ドラゴンストーム、おじさまは私が七つのころに抱き上げて優しく微笑み告げていた。
「お前も、好きに選ぶといい。オレさまは、生きてる限りここを守っていくからな」
それは優しさであり、傲慢であったと、当時の私は感じた。
可愛い、可愛い、リトルレディ、誰もが見た目の可愛らしさに私を愛でた。
だけど違うのよ、私はそんな可愛らしさに生きたいわけではないの。
強さが美しさでしょう、強さが正義でしょう。
私が憧れたのは、強靭な牙を奮って戦場を吹き荒れる、ドラゴンストーム。
生まれるよりもずっと前、ドラゴンストーム復帰戦、そこで見た苛烈な勝利に雄たけびを上げる姿が網膜を焼いて未だ離れない。
憧れた、こんな風になりたかった、野蛮で綺麗で、目が離せなかった。
荒々しい、最強の称号が私は欲しい。
だから、諦めない、諦めたくない。
ジムチャレンジも近づいてきて、そろそろ週末に毎回試合をしてもらうこともできなくなってくる。
また一年、この人へ挑戦する権利がお預けになる。
ぐぬぬと奥歯を嚙み締めた私に、おじさまはぽんぽん頭を撫でてくれるのだった。
「こらこら、可愛いお顔が台無しよ」
「っ、かわいいなんて言わないで!私きっと勇ましくなるんだから」
「もぉ、こんなに汚してぇ、お前の姉さんに怒られるのオレさまなんですけど」
いつまでも、子供扱いで嫌になる。
むすぅとむくれた私の服をぱすぱす綺麗に整えてくれる。
大きな手、お父様よりもずっと大きい。
別に、嫌いなわけではない、尊敬してる、だけど、早くその座から引きずりおろしたい。
憧れを越えたい、それは大いにあったろう。
だけど、それだけじゃなくって。
ほら立って、促されてのそのそ立ち上がる。
ナックルジムのユニフォームはまだまだ私には大きくて、くるぶしあたりまでハーフパンツの裾が伸びている。
ぱんぱん砂を払われながら、そっとおじさまを見た。
大切にされてきた、おじさまも、私を大切にしてくれた。
向けられた優しさを私も返していきたい。
相棒たちの誇りを証明したい、だけど、同じくらい大きな気持ちは私の中にある。
タルップル達が私の足元による。
腰のホルダーからボールを外して二匹に向けた。
ぱしゅんぱしゅん、戻っていく彼らをホルダーに戻して近づいてくる足音に目をやった。
私の前にしゃがみ込んでいたおじさまがぱっと顔を輝かせる。
嬉しそうな煌めく横顔に、私はやっぱり早く超えなきゃと思うのだ。
「ダンデ!」
はしゃぐ声は、めろめろにかけられたポケモンたちの鳴き声に似ている。
恥ずかしいくらいに好意を隠さないおじさまは勢いよく立ち上がり、そのまま大股で足音のほうへ向かった。
その先で、おじさまをめろめろにしたダーリンが両手を広げて微笑んであった。
「キバナ、キミ砂だらけだぜ」
「んっふふ、朝ぶりのダンデぇ」
「話聞いてるか?」
言いながらも飛びつくおじさまを拒まないあたり、同罪だと思う。
人目もはばからない二人のハグに、私はやれやれと肩を竦めた。
ダンデおじさまの後ろからやってきたお兄様はのんびりドリンクを見せて寄ってきて、その横に控えたお姉さまは顔を真っ青に救急箱を抱えて駆けてくる。
お兄様はいいとして、お姉様もそろそろ慣れてくれないかしら。
うっと顎を引く間に姉は悲鳴交じりに救急箱を開いて見せたのだった。
「いやぁ!プリティなお顔にこんなに傷を作って!おじさま酷いわ!あぁやだぁ!せっかく可愛く三つ編みしたのにぼさぼさぁ!」
「ほら喉乾いたろう、サイコソーダだよ」
「糖分過多よ!お兄様!」
きゃんきゃん声を張りながらもてきぱき姉は手当てを終えていく。
私のせいだけれど、姉は本職の方並みに手当てが上手になっていった。
傷跡が残らないように様々な手法も身に着けていて、将来はジョーイさんにだってなれると思う。
ありがとうと返す私に、姉はにこりと微笑んでちゅっと軽く頬にキスをしてくれる。
優しい手先と温度に、ふにゃりと笑えば姉は嬉しそうにうなずいた。
兄が準備してくれた飲み物もキャップを外されて渡されるからありがたく口にする。
たくさんの愛情を注いでくれる兄と姉、二人が大好き。
そうして、勝てなくて悔しいだけで、おじさまのことだって。
そっと見やった先、ダンデおじさまの腰に腕を回してうっとりするくらい甘い顔つきで抱きしめるさまを見た。
そう、大好きだけれど、ダンデおじさまを前にしたこの人は骨抜き過ぎてみていられない。
溜息交じりに私は呻いてしまうのだった。
「おじさまは、ダンデおじさまを前にするとただの惚気じじぃですよね」
スパイクのおじさまが、げんなり口にしていた単語を使う。
私の口ぶりに姉は、汚い言葉!なんて悲鳴を上げるが、おじさまは気にした風もない。
照れもしないで、えへえへ無邪気に笑うと、すっぽりダンデおじさまを抱きすくめたのだった。
「そーなのぉ、オレさまダンデを前にするともうめろっめろのとろっとろなお惚気じじぃなのよぉ」
嬉しそうにできる理由は知れないが、こういうところがスパイクのおじさまが嫌がる部分だと思う。
基本的には尊敬しているが、この状態のおじさまはちょっぴり嫌だ。
耳が解けそうなくらい甘い声音に思わず目が白ける。
腕の中に収められたダンデおじさまはといえば、困ったように眉を寄せていた。
そのままぐんっと腕力にものを言わせて、おじさまの体を引き剥がす様は頼もしい。
それでも尚、身の内に広がる愛情を丸出しに、蕩ける声を続けるおじさまはあまりにも強かだった。
「愛しい人、朝のお前も綺麗だけれど、夕暮れに照らされるライラックも素敵だね」
「あぁうん、わかったわかった。お前はいつまで俺を口説けば気が済むんだ」
「死がふたりを分かつても、足りないよ」
ダンデおじさまは、おじさまにだけ少し言葉が乱暴だ。
私たちにはとても紳士的で穏やかな話し方をするけれど、おじさまは別らしい。
おじさまがダンデおじさまの手を取って、そっと唇を寄せる仕草は王子様のようだ。
うっとりするくらいに美しい所作ではあれど、それがここまで折れずに迫っているとなれば少し怖い。
兄妹三人、あきれながら見ていれば手を取られたダンデおじさまが少し照れたように視線を逸らす。
ほのかに色づく頬の色に、兄妹三人、顔を見合わせて溜息をついた。
一方的に見えるのだけれど、実際のところそうでもない。
二人は各々、存外にべたぼれなのである。
あぁ全く、まったくもって、私は早くおじさまを倒さなくてはならない。
私が憧れた、強さの象徴は二人ある。
一人はガラルがナックルのドラゴンストーム、一人はガラルが頂上を行くオーナーダンデ。
未だ現役、二人の試合が組まれるとなればチケット争奪戦は熾烈を極める。
華やかな舞台の上、競い合う二人の姿は強くて美しい。
だけれど、それとは別に、なんて思う。
ダンデおじさまは、そっとおじさまから手を引くとまごまご唇を動かした。
「口説くなら、その、帰ってからにしてくれ」
それはたぶん、私たちの前では満足に甘えられないからだと思うのだ。
私は小さいときから今もなお、でろでろに甘やかされてきた。
だから、人前でも気分が乗ればめちゃくちゃに甘えつくのも恥ずかしくはない。
だけど、ダンデおじさまは違うと思う。
本当はたくさん甘やかされたいのに、人前にあるとそれができない。
たくさん、たくさん、たくさん、それはもう、たぁくさんに私はおじさまたちにも優しくしてもらってきた。
だから、私がそれに報いるには下すほかない。
私が、ドラゴンストームを下すほかないと思うのだ。
だって私は二人の時間も大切にしてほしかった。
そうするには、おじさまをナックルから追い出してシュートのダンデおじさまの元に追いやるのが一番だと考えた。
子供の私ができることなんて、これくらい。
むぅっとむくれる私に、ボールが揺れる。
かたかた揺れるそこを見やれば、タルップルとタツベイがむんっと力強く私を見てくれる。
だから、次こそと頷きあった。
ひょいとおじさま方に目をやれば、ダンデおじさまの言葉にぱっと顔を輝かせて唇を寄せるおじさまがいる。
それにかっかっと熱を上げながら、ダンデおじさまはどすっとおじさまの脇腹に拳を突き出した。
前のめりに崩れ落ち呻くおじさまを尻目に、こほんと咳払いをしてダンデおじさまはこちらへ寄ってきた。
しゃがみこんでにこりと微笑む顔は、未だどこか照れを滲ませてあった。
「やぁリトルレディ、怪我の調子は?」
「平気よ、ダンデおじさま」
「あまり無理はしてはいけないよ、お兄様もお姉様も心配する」
「おじさまも?」
「あぁ、俺もだ」
大きくうなずく様子はとても穏やかで、コートの上で見せる恐ろしさはない。
優しくて暖かい、ぬくもりに満ち満ちた人。
この人が大好き、とっても大好きな家族。
ダンデおじさまは、私たちの叔父の大切な人。
私が生まれた年、二人は結婚した。
二人にとって祝い子だと言われることは私の小さな誇りで喜びだった。
お父様ともお母様とも違うけれど、私にとっての二人はバトルにおける父だった。
ちょこちょこ寄っていき、その胸元に体を埋めた。
兄も姉も私を止めはしない。
大きな体に手は周り切らないけれど、きゅっと抱き着いたのだった。
「ごめんなさい、またおじさま倒せなかった」
倒してやれば、きっと二人の時間はもっと増えるのに。
それこそ二人だけのコートの上、競う時間はたっぷりとれる。
今もなお、興業として試合は組まれることはあるけれど、誰のためにするでもない二人だけのバトルだっていっぱいさせてあげたかった。
悔しさに顔をしかめた先、ダンデおじさまは眉を寄せあげて見せたのだった。
「キミの優しさは獰猛だなぁ」
「?そうかしら」
「キバナに似ているよ」
「おじさまには?」
「ふっふふ、そうだな。俺にも似ているかもしれない」
そう言ってもらえると嬉しい。
むふんと鼻を膨らませた。
私を可愛いではなく、獰猛だと評するのはダンデおじさまくらいなものだ。
だから、大好き。
私を見てくれる、ダンデおじさまは私を見ていてくれるから、とっても大好き。
にこにこ笑って見せた私に、ダンデおじさまはぽりぽり顎先を掻いた。
それから未だに痛みにうずくまるおじさまに目をやって、控えめに笑う。
私たちをこっそり寄せるよう手招きをする。
その仕草に、兄妹三人、耳を寄せ合った。
ひそりと囁く、これは秘密だぜ、小さな声に頷けばじわりと焼けるダンデおじさまの目元を見た。
「コート上の彼を、俺は一等愛しているから、もう少しこのままでいい」
惚気じじぃ、その単語が頭をよぎる。
どちらともなくそうなのだ、二人はお互いにぞっこんというやつで、骨抜きである。
兄妹三人、顔を見合わせ深く溜息をつく。
それから白けた目を向け苦く呻いて止められなかった。
「おじさままで惚気ないでくださいな」
「羞恥心ってないんですか」
「少しは隠したほうがいいのでは」
三者三様、しかして、結論としては少しは好意を隠してくれという気持ちである。
こちらが恥ずかしいくらいの一直線さに、とろとろ胸のあたりが甘ったるくなる。
ダンデおじさまはそんな私たちに穏やか笑う。
幼い出来の笑顔は、くしゃりと皺を作って私たちに向けられていた。
「言いたいことを、言いたいときに言えることは、幸福だと俺はよぉく知っているんだ」
その言葉には、ほわほわとした温かさがある。
ほこりと和らぐ心地に、ダンデおじさまははにかんだ。
ダンデおじさまには私たちはどうにも弱くて、つられてふにゃりと笑いあう。
そんな視界に、ぬぅっと出てくる大きな腕に目を瞬かせた。
いつの間に復活していたのだろう。
大きな腕は、そのままきゅうっとダンデおじさまを抱き寄せる。
すりとダンデおじさまの頬に自身の頬を寄せたその大柄な姿に私たちは眉を寄せたのだった。
「フフッダンデ、オレさまも愛してるよ」
「お、前っなぁ」
真っ赤になって震える姿は、怒りではなく喜びにできていた。
だからきっとその頬はふやけて見えるのだと思う。
兄妹三人、またもや顔を見合わせて、思わずふはりと噴出した。
ここまでくると、全くもって笑えてしまう。
だからもう、これ以上は何も言わないの。
二人はお互いを大好きで、これ以上にないってくらいに惚気て見せる。
恥ずかしげもなく愛しい人を愛しいと呼ぶ、その在り様に少しの憧れがある。
けれどそれを言うときっと調子に乗るだろうから、私はいつものようにおじさまに宣戦布告で終えるのだ。
「おじさま、次こそ、ナックルが竜はドラゴンストームを吹き止ませる!」
両手を持ち上げ、がおと威嚇のポーズ、私は大きく牙をむく。
そんな私をおじさま二人は、どこかまぶしそうに見つめては優しく微笑み受け止める。
いつの日か、超える私を見せてやる。
決意に私は折れない心で、立ち向かい続ける。
きっとそう、ずっと長く、未来は未だ終わりを見せず、恒久と結ばれる。
ずっと、ずっと、ずっと。
私たちが、繋いでいくのだ。