第1回ダンユウwebプチオンリー参加作品。
ホームシックになったユウリちゃんをダンデさんが癒してあげるお話。
@oboro73672367
あの日、私はダンデさんを倒してチャンピオンになった。
チャンピオンになれたことはとっても嬉しいのだけど、そのあとは大変だった。
ただの13歳の女の子だった私に、チャンピオンと英雄という称号がのしかかる。それまでの私の生活はあっと言う間に消えて無くなり、チャンピオンの生き方に塗り替えられていく。それまでの、のほほんとしてきた自分が消えていくよう。
それでも私は頑張った。ジムチャレンジを勝ち上がって、ダンデさんを倒すと決めたのは自分だから。あの時の自分の気持ちを裏切らないように、精一杯頑張った。
そのかいあってか、徐々に私はチャンピオンの役目を上手くこなせるようになった。
ジムリーダーのみんなは「頑張ってるね」って褒めてくれる。ホップも「凄いな、頑張ってるんだぞ」って認めてくれる。私を応援してくれるファンの人達も増えてきた。
そして、私は2度目のチャンピオン防衛を果たした。お仕事も大分慣れて、卒なくこなせるようになって来た。
ダンデさんは「これでもう、キミの基盤も盤石だな」って笑ってくれた。
全ては順風満帆……だったら良かった……ね。
◆◇◆◇◆◇
『そいつ』は2ヶ月に1回くらいの頻度で突然やってくる。
まず食欲が無くなる。ご飯が味気なくなったり、お腹がすかなくなったり。「食べたくない」から「食べられない」に変わっていく。喉につっかえた様に、ご飯が飲み込みにくくなるんだ。
次に、眠れなくなる。なんとなく眠たくなくなって、布団に入るのが遅くなる。時には、お日様が昇る前に目が覚めたりする。ひどくなると、夜中に目が覚める。早く眠らなきゃって思うのに、ちっとも寝つけなかったりする。
最後にはキーンと耳鳴りがしだす。ああ、まずいな、って自覚するんだけど、ここまでの症状が出てくると私一人の力ではどうにもならない。
放っておくと力が出なくなって倒れて、入院する羽目になるので、その前にお薬をもらいに行かなきゃならないのだ。
私を苦しめるこの症状。
それは重度の「ホームシック」だった。
その特効薬はバトルタワーにある。
「……こんにちは。オーナーの執務室に行きます。アポは取ってあります」
バトルタワーの受付のお姉さんに、いつもの挨拶をする。よほど酷い顔をしていたのだろうか。お姉さんが気づかわし気に私を見つめて、「お聞きしています。どうぞ」と、エレベーターに私を案内してくれた。
エレベーターが動き出す。重力に逆らって立っているのもしんどくて、ちょっとだけ、と思いながら私はその場に座り込んだ。
ピン。と聞きなれた音がして、私の意識は覚醒した。どうやら上階フロアに上がるこの短い時間に眠ってしまっていたみたい。壁に手をかけてよいこらしょ、っと立ち上がると、開いたドアの向こうに見慣れた人影があった。
「うわ。ダンデ、さん。こ、こんにちわ」
私がこれから会う予定だった、ポケモンリーグ委員長であるダンデさん。彼はその端正な顔に怒りの表情を乗せて、腕を組んで私を見下ろしていた。そして足早に私に近づくと、私を横抱きに抱えて、執務室に向かって歩き出す。
「だ、ダンデさん。自分で歩けますから!」
「エレベーターの中でへたり込んでいたじゃないか。こうなる前に、もっと早く来るようにと言っているだろう。酷い顔をしているぜ」
「だって、迷惑かと思って……」
「確かに、キミが一人で解決できるのが理想的だ。だが、症状が悪化してまた倒れられる方が迷惑なんだぜ。余計な気遣いはしなくていい。キミのことをフォローするのも、リーグ委員長の務めだ」
気遣いはいらないと言いながら、ダンデさんの声色は厳しくて固い。いつものことなんだけど、今みたいに弱っている時はもっと優しくし欲しい。情けなくて、泣きそうだ。お仕事とはいえ、私の存在は迷惑なんだろうな。そう思うと、ずんと心が重たくなった。
ダンデさんは、私を抱えたまま執務室へと入っていく。後ろで、豪奢な扉がガチャリと閉じる音がした。
「今日は急ぎの書類があるんだ。仕事をするから、後ろからな」
ダンデさんはそう言うと、私を椅子の上に置いた。私は「はい」と返事して、足を大きく開き、椅子の奥深くに腰掛ける。そして私の前にダンデさんが、私を潰してしまわないように、少し浅めに腰掛けた。
ダンデさんがオーナー室で普段使いする椅子はとても立派で大きく、小柄な私と、大柄なダンデさん、二人が一緒に腰掛けることが出来る。
机に向かい、書類に筆を走らせ始めたダンデさんの大きな背中に、私はそうっと寄りかかった。静かに深呼吸すると、少し炎で燻されたような匂いと優しい男の人の匂いがして、私はほうと安堵の息を吐く。そのままダンデさんのお腹に手を回し、耳をつけてダンデさんの心音を聴いた。とくとく、とくとく、規則正しい音と私よりも高い体温。それが、私の心を落ち着かせる。
これがホームシックになった私の特効薬。見知らぬ土地での一人で暮らしで、誰とも触れ合えなくなった私の寂しさをダンデさんが受け止めてくれるのだ。……私の上司として、お仕事の一環で。
もちろんダンデさんは忙しいので、私だけに構っている余裕なんてない。いつもダンデさんはお仕事をしながら、私が触れるのを許してくれている。今も私はダンデさんにへばりついているが、書類と睨めっこをしているダンデさんの動きは止まらない。
紙が捲れる音がして、時折ペンの音が聴こえる。ここ最近の、私のお気に入りの音……。
「落ち着いたか?」
ダンデさんの背中に頭を預けていた私は、その言葉で目を覚ました。いつの間にか眠っていたようだ。
気分は悪くない。不安感もないし、呼吸も楽。でももう少しこのままでいたくて、私は少し甘えてみた。
「だいぶん楽になりました。もう少しで、完全復活できると思います」
「食事を取れる程度に回復したなら、先に食事にしなさい。薬も用意してある。このままキミが寝入って、この前みたいに服によだれをつけられても困るからな」
「……はぁぃ」
ダンデさんの椅子から降りると、部屋の中央のテーブルにイエッサンが食事の用意をしていた。
ミネストローネに薄いふわふわ食パン。そしてオボンのみが入ったヨーグルト。いつもと同じメニューで、私用の一人分だけの食事。ダンデさんの分はない。時刻はまだ6時で、彼の夕食にはまだ早いのかもしれない。
一人で食べるのは寂しいけれど、あまりわがままをいう訳にもいかない。私は座ってスプーンを手に取った。
ダンデさんはこちらの方を見るわけでもなく。一回大きく伸びをすると、また新しい書類を手に取った。まだまだお仕事をするのだろう。
肩に乗っていた重苦しい何かが無くなってお腹も膨れてくると、私は無性に眠たくなってきた。
「眠くなってきたので、そろそろお暇しますね」
目をこすりながら帰ろうと立ち上がると、初めてダンデさんがこちらを向いた。
「眠たいなら仮眠室で休みなさい。キミはエレベーターの中で眠りかけていたんだぜ。そんな状態で帰ってはいけない」
「……帰宅時間ですし、誰か同じ方向に帰るスタッフさんとかいませんかね」
送ってもらえれば大丈夫なのに。呑気にそう考えたけれど、ダンデさんは首を振った。
「まだ完全には良くなっていないのだろう?眠ってから帰りなさい」
「……はぁぃ。仮眠室、お借りしますね」
私は肩をすくめてダンデさんに従った。意外とダンデさんは頑固なのだ。めったに私の意見を聞き入れてくれない。不満も少しあるけれど、今の私にはダンデさんに立ち向かう元気はなかった。
イェッサンが仮眠室への扉を開いて、お茶の入ったポットとタオルを用意してくれた。彼はとても頼りになるポケモンだ。
張りのあるシーツの上に転がると、洗い立ての洗剤の香りに包まれた。微かにダンデさんの匂いも香る。それが、先ほどまで触れていた温もりを思い出させてくれて、心がぽわんと温かくなる。
昨日までの不眠が嘘のように、あっという間に私は夢の中へと落ちていった。
薄明りの中私は目覚めた。空がほんのりとピンク色だ。ぼんやりと時計を見た私は、その時刻に目を見開いた。
4時半!嘘!10時間近く寝ていたの?
やらかしてしまった。どうしてダンデさんは起こしてくれなかったんだろう。
慌てて部屋から飛び出そうとして思いとどまり、私は自分の鞄からブラシを取り出した。仮眠室の小さな鏡の前で、顔を洗って髪を撫でつける。
「あれ?虫……さされ?」
首元と鎖骨の下にポツポツと二箇所、赤い痣のような点がついていた。不思議とかゆくはない。こんな高層ビルの最上階に近いところにも虫はいるんだね。そんなことを考えながら、私は身支度を整えた。
そっと扉を開く。薄明りの中目を凝らすと、来客用のベッドの上に大きな塊が毛布にくるまっていた。ダンデさんだ。私が仮眠室のベットを取っちゃったから、こんなところで寝てるんだ。
ベッドを使ってもらうために起こそうかとも考えたけれど、私が使った皺だらけのシーツを使ってもらう訳にはいかない。イエッサンもこんな時間はモンスターボールの中だろう。
仕方なく、私はダンデさんを起こさないようにそっと執務室を後にした。
「はぁ。いつまでもダンデさんに迷惑をかけるわけにはいかないよね」
ため息をつきながらこめかみに手を当てると、事情を知っているホップは不思議そうに首を傾げた。
「迷惑……か?アニキは結構楽しんでると思うんだぞ」
「それは勘違いだよ。だってダンデさん、いつも難しい顔して仕事してるし、怖い顔でお説教するし、ため息ばっかり吐いてるし」
「それは、ユウリが無理した挙句に倒れるからだろ」
ホップは怖い顔を作って私を睨んでくる。その表情はダンデさんそっくりで、さすが弟だと感心してしまう。だけどすぐに顔を取り繕うのをやめて、美味しそうにパフェを頬張った。
今日はホップがわざわざシュートシティに遊びに来てくれたのだ。ダンデさんを含めた3人で、買い物をしながら過ごす予定なんだけど……。
「やっぱり、ダンデさん来ないね」
「いつもの迷子なんじゃないのか?連絡はしたから、返事を待つんだぞ」
「そだね。パフェを食べ終わってから、探しに行こう」
私もホップも慣れっこなので今更慌てない。のんびりとパフェに舌鼓を打つだけの余裕があった。
「そんなことより、私はホームシックをどうにかしたいの」
「うーん。確かにもう一人暮らしも3年近くになる、な。まだ慣れないのか?」
「一年目より酷い気がするんだよね。一年目は忙しすぎて、ホームシックになってる余裕もなかったもん。余裕が出てきたからかな。寂しい。一人ぼっちの家に帰るのが嫌になっちゃう」
シュートシティにある私の家のことを思い出すと、とたんに目の前のパフェが味気ないものに思えてきた。私は首を振って陰鬱な考えを吹き飛ばす。
大丈夫。今はホップがいるから寂しくないんだ。そう自分にも言い聞かせる。
「じゃぁ、ちょっと忙しくしてみたらいいんじゃないか?」
「忙しく、する?」
言葉の意味がわからなくて首を傾げると、ホップはパフェを食べる手を止めて私を見た。行儀悪く、長いスプーンを私の鼻先に差し向ける。
「そ。旅行に行ったり、引っ越したりして、忙しくしてみればいいんだぞ。気分転換にもなるし、人と会えば寂しくないだろ。ユウリは体調が悪いからって休日は家に籠っているみたいだけど、それがかえって良くないんじゃないか?」
なるほど、確かにホップの言う通りかもしれない。チャンピオンになってからは、遠くに遊びに行くことも減ってしまった。でも、ジムチャレンジをしていた頃の私は、自転車一つでガラル中を駆け回る元気っ子だったのだ。あの頃の自分に戻りたい。そう、思った。
「ホップの言う通りかもね。また、自転車で旅に出てみようかな。元気になれるかも」
「でも、ユウリは体調を崩しやすくなったんだからな。ちゃんとアニキに相談するんだぞ」
「え?ホップは一緒に行ってくれないの?ホップがいれば大丈夫だよ」
ジムチャレンジの時みたいにホップと旅をしたい。そう言うと、ホップはぱちくりと目を瞬かせて、そしてにっこりと笑ってくれた。
「オレでいいのか?アニキも忙しそうだもんな。うーん。今週末なら……3日間ならいけるんだぞ。それより後は講義と研究会が入っているから無理、かな」
早速色よい返事をもらえて、私も自分の予定を思い起こした。
今週末は、ダンデさんと次回のエキシビジョンのネタ出しを兼ねた食事会の予定だ。でも、ネタを幾つかレポートにして提出すれば、打ち合わせしなくても大丈夫だろう。ダンデさんも私に付き合わなくていい。この後、ダンデさんに会う予定だし、予定の変更を伝えて、旅行の許可ももらっちゃおう。
そう考えると、久しぶりに心が弾んでわくわくしてきた。しばらく消えていたやる気が、私の中に戻ってくる。
「じゃぁ、決まりね。わぁ、楽しみだな。ワイルドエリアでカレーを作ってキャンプしよう。なんだか、引っ越しもしたくなってきた。あの部屋よりも、もっと明るくてこじんまりとした小さな部屋に住みたいな」
「ちょっと元気が出たみたいだな。でも、無理は禁物だからな。倒れないように、ちゃんと食事と睡眠時間は確保するんだぞ」
「わかったよ。ありがとうね、ホップ。大好き」
さすが、長い付き合いの幼馴染だ。私のことをよくわかっている。
ホップは「ユウリが笑顔になって嬉しいぞ」と笑って、最後のパフェを口に入れた。
それから私はダンデさんに経緯を説明して、長めのお休みをもらった。
休暇は私がまた元気になるため。気合を入れて引っ越しの準備をしながら、私は旅行に備えた。
新しい家はすぐに決まった。今のポケモンリーグから紹介された物件とは違い、自分の目で確認した物件に愛着もわいてくる。チャンピオンになってからやたら増えた贈り物をガンガン処分して、部屋も心も広く軽くなった気がした。心地よい疲労感に、お腹もすくし、ぐっすりと眠れた。
こんなに気楽で、落ち着いたのなんか久しぶりだ。もっと早く行動すればよかった。
明日は、待ちに待った旅行の日で、それから帰ってきたら引っ越しだ。
はやる気持ちを抑えながら、私は忘れ物がないかチェックして、ホップにメールを送り、布団に入った。
ホップの助言に従った結果、見事に私はホームシックを克服した。
食欲も戻り、休みの日はホップやジムリーダーの友人たちと、積極的に出かけてポケモンバトルを送る日々。本当にジムチャレンジのころに戻ったみたいに、私はとても元気になった。もう辛くて泣きそうになりながら、バトルタワーに行くこともなくなった。
◇◆◇◆◇◆
「ホント、ユウリが元気になってよかったな」
シュートシティの控室で、ユニフォームを着替えながらキバナさんが笑った。
今日は定例トーナメントの日。絶好調の私は、準決勝でキバナさんに快勝した。次は決勝戦。対戦相手はダンデさんだ。
「ご心配おかけしました。でも、もう完全復活したから、大丈夫ですよ!」
元気印のVサインを向けると、キバナさんはくしゃりと私の頭を撫ぜた。
「これでまたオマエに勝つことが一段と難しくなったな。もう少しへこたれていても良かったんだが」
その瞳の優しさから、私をからかうための冗談だとすぐにわかった。だから、私も口をとがらせてぽこぽことキバナさんを叩く。
「酷い!あんまりですよ!私はあんなに真剣に悩んでいたのに!」
「でも、本当に元気になって良かったわ。みんなで心配していたのよ」
ルリナさんが私とキバナさんのじゃれ合いの中に入ってきた。隣にはヤローさんとカブさんもいる。
私は心配をかけたお詫びを言って、ホップの助言のおかげだと説明した。
「そうだったんですね。何か協力できることがありましたら、僕たちにも遠慮なく言ってくださいね」
「キミは決して一人ではない。頼れる大人が周りにいることを忘れてはいけないよ」
ヤローさんとカブさんの優しく、頼もしい言葉に心の中がほわんと暖かくなる。「はい。ありがとうございます」と力強く返事をすると、彼らの後ろにこっちをじっと見つめているダンデさんの姿が見えた。
その顔はこちらを厳しく睨みつけているようで、真剣な表情をしている。
これから決勝戦だし、闘志を高めているのかな。さすが、ダンデさんだ。私もいつまでも楽しく談笑しているわけにはいかない。
私はジムリーダーの面々の輪から外れて、集中を高めるために、大きく深呼吸をした。
私が元気になったのはホップのおかげだけど、辛かった私を支えてくれたのはダンデさんだ。チャンピオンを続けられているのは、ダンデさんのおかげ。それは間違いない。本当はダンデさんに改めてお礼を言うべきなんだろうけれど、辛い時を乗り越えた私は、もうホームシックだった時の出来事を思い出したくなかった。
当時は必死だったんだけれど、ダンデさんに縋って、甘えて、泣いていた自分の姿を思い出すのはとてつもなく恥ずかしい。出来たら、きれいさっぱり忘れてしまいたいくらいだ。
バトルタワーに立ち寄るのも嫌な記憶を思い出すから気が進まない。ダンデさんにお礼を言えないまま、彼に頼っていたことも思い出さないようにして、私はバトルタワーからも距離を置くようになった。
そんな私がダンデさんからバトルタワーへの誘いを受けたのは、ホームシックが解決して3か月ほどたった時のことだった。
もう間もなく今年のジムチャレンジが始まる。バトルタワーから何人か推薦状を渡したいトレーナーがいるので、戦績を確認して欲しいと言われたのだ。
チャンピオンの私の意見を聞かなくても、ダンデさんが判断すればいいのに。そのためのオーナーなんだから。そう思いもしたけれど、断るほどの理由でもない。私は久しぶりにバトルタワーのエレベーターに乗り込んだ。
当たり前だけど、バトルタワーの中は当時と何も変わっていない。私は大きく重たい扉を開いて、ダンデさんのいる執務室へと入って行った。
「失礼します。こんにちは、ダンデさん。約束の時間ですよね」
窓の方を眺めていたダンデさんはゆっくりとこちらを振り返った。すっとその目が細められる。その表情にひっかかりを覚えながらも、私はいつものようにソファーに腰掛けた。
「久しぶりだな。ユウリくん。呼び立てて悪かった。体調の方はもう大丈夫か?」
ダンデさんの言葉に、禄に説明もお礼もしていなかったことを思い出した私は、慌てて佇まいを正した。
「はい。その後の連絡をしなくてごめんなさい。もう大丈夫です。食欲もありますし、眠れています。すっかり元気になりました」
「そうか。それは何よりだ」
ダンデさんがニッコリと笑って、紅茶を差し出してくれた。キッチンの方にはイエッサンが見える。懐かしい彼のちょっと高級なお茶を私はゆっくりと口に含んだ。
仕事のお話はすぐに終わった。もともと対した用事じゃないのだ。印刷された今年のジムチャレンジャーの一覧を確認して終わり。だから、私がバトルタワーに呼び出されたのは他にも用件があるんだと思っていた。
「お話はこれで終わりですか?」
私は首を傾げてダンデさんを見上げた。ダンデさんは仕事用の穏やかな表情をくしゃりと歪め、苦笑いをした。
「全く、キミは鋭いな」
そう言って、ダンデさんは立ち上がった。
「今日、キミに来てもらったのはお願いがあったんだ」
「お願いですか?」
ダンデさんのお願いなんて予想がつかず、私は戸惑う。そんな私の隣にダンデさんは腰を下ろした。すぐ近くの大きな金の瞳が私を見つめる。その目に籠った何かに嫌な予感がして、私はほんのすこし少し後ろに下がった。
「ダンデさん、ちょっとちか、い……」
「オレもキミと同じ症状になったみたいなんだ」
「え?」
予想だにしなかった言葉に、私はまじまじとダンデさんを見つめた。私と同じ……症状?
「キミがバトルタワーに来なくなったら、眠れなくなってしまってな」
ダンデさんが、私の髪の毛にさらりと触れた。そして、見たこともない甘い表情で薄く微笑む。
「キミが他の人と楽しそうに会話しているのを見ると、食欲がなくなるんだ。そして、呼吸が苦しくなる。これはキミと同じ症状、だろう」
ダンデさんはしゃべりながらどんどん私の方へ身を乗り出してきて、私はソファーから降りることもできず、後ろにのけぞった。そんな私の背中に手が回される。ダンデさんは私を抱き寄せ、その顔を私の首筋に埋めた。
熱い吐息が首にかかり、その意図を悟った私の肌に鳥肌が立った。ダンデさんは、私を女として求めている。
「……や、離し、て」
私が身をよじっても、ダンデさんの腕はびくともしない。私を包み込んだ彼の体は驚くほど熱かった。
「あの時はオレがキミを癒しただろ?」
言い聞かせられるように耳元で囁かれて、私は自分が辛かった時の出来事を思いだす。確かに、あの時はダンデさんに触れて安心した。私にとって、ダンデさんは無くてはならない存在だった。
だけど、それはダンデさんで無くても良かった。信頼できる人物だったら誰でも良かったのだ。それだけ、私は切羽詰まっていた。そして私はダンデさんを選んだ。私にチャンピオンの責務を全うさせるために、彼なら無条件で甘えさせてくれると考えたから。
だけど、こんなことになるなんて。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです」
ダンデさんの手が服の中に入ってくる。私は必死に首を振った。嫌だ。私を守ってくれる大人だと信じていた。厳しくても頼りになるお兄さんだと思っていた。そんな彼から欲を向けられるのは、とてつもなく怖かった。
「違うんです。違うの、……や」
混乱で自分が何を言っているのかもわからなくなって、涙があふれた。
ダンデさんの指が私の涙を掬う。「違わないよ。オレはキミが好きなんだ」優しいその声が、私には死刑宣告に等しく聴こえた。
「好きで好きで……苦しくてたまらないんだ。今度は、キミがオレを癒してくれ」
ダンデさんが私の首元に吸い付く。熱い舌が鎖骨を舐める感触に、ひぅっと喉が鳴った。
ふぃに腕がほどかれて、私の体はソファーに倒れた。間髪入れず、ダンデさんの大きな体が私にのしかかってくる。微笑んでいるはずのダンデさんの顔が怖くて堪らなくて、私はぎゅっと目を閉じた。
お腹や太ももに何かが触れる感触がする。唇に何かが触れて、それは私の口をこじ開けて中に入ってきた。
何が何だかわからなくなって、ふっと意識が遠くなる。
やっぱりこれは夢。きっと夢。そう自分に言い聞かせていると耳元でダンデさんの声が響いた。
「キミが欲しいんだ。キミの、全てが、欲しいんだ」
それは聞いたこともないくらい、優しく、甘い声だった。