@kiritoro_428
暑さが翳りを見せ、街を行き交う人々の中では半袖と長袖が入り混じり、中途半端に色付く街路樹と同じ表情をしている。元来寒がりな彼――南本裕貴は、通っている深陽学園の制服をいち早く冬服へと移行した。帰宅途中の日が落ちかけた道でも、快適に歩くことができる。――あくまで気温に限った話だが。
「……俺としては、その生徒の間に繋がりがあったと思うんだよな」
信号を待ちながらぼんやりと立っている裕貴は、こちらの機嫌などお構いなしに話し続ける隣の男をうんざりといった調子で睨め付けた。男は道路の向かいの信号辺りを見ているため、裕貴の視線には気づかず、喋るペースにもなんら変化がない。くたびれたスーツのポケットに手を突っ込みながら、手入れのされていない短い癖毛を揺らし、どこ吹く風といった様子だ。
裕貴はポケットの中でくしゃくしゃになっているだろう男の名刺に思いを巡らせる。たしか名前は長谷部京輔と言っただろうか。フリージャーナリストであり、ある事件について話を聞かせてもらいたいと言われたときは、突然舞い込んだ非日常感にそれなりに心を踊らせたものだった。まさかこんなに鬱陶しいとは思わなかったからだ。ポケットから取り出した名刺を広げて、連絡先の情報を改めて見つめる。
「ああ、職場に苦情入れようとか思ってるのか? 生憎俺はフリーだし、懇意にしてる会社もないからそいつは難しいぜ。それに、学校にはちゃんと許可取ってるしな」
長谷部は裕貴の思考を読んだかのように、先回りして釘を刺してきた。先ほどから何度もこうして先手を打ってくるのが、居心地悪さの原因のひとつだ。裕貴は小さく舌打ちをして、また名刺をぐしゃりとポケットに捩じ込んだ。帰ったら細かく破いて捨てるつもりだ。
「あの、なんなんですか。知ってることは全部話したと思いますど」
苛立ちを隠そうともしないで長谷部に尋ねると、長谷部はだらしのない無精髭を右手で掻きながら、「やれやれ」とでも言いたげな苦笑を漏らす。何故俺が呆れられなきゃならないんだ、と裕貴は密かに憤慨した。
「さっきから言ってるだろう、君の意見を聞きたいって。まだ知ってる情報しか貰ってない」
そう、ずっとこの調子だ。長谷部はことあるごとに裕貴の所感を尋ねている。裕貴が頑なに事実しか述べようとしないため、長谷部自身の思いついたことを一人で喋っているような状態だった。
「君だってまったくの無関係じゃない。十年前の事件……」
「だから――」
「いや、御山早苗について」
名前を聞いた瞬間、裕貴は目を見開き、怒りに唇を震わせながら、赤くなった顔で叫んだ。
「いい加減にしろよ! これ以上付き纏うなら、警察呼ぶからな!」
タイミングよく青くなった信号を一瞥もせず、裕貴は横断歩道の向こう側へと足早に駆けていく。同じく信号待ちをしていた周囲の人々はにわかにざわついていたが、裕貴はそれを気にせず去っていった。そしてそれは長谷部も同じだ。
「間違いないか……」
長谷部は自分だけに聞こえる声で呟くと、騒ぎに興味を失った群衆へとあっという間に紛れていき、姿を消した。
***
(あれは確か、イディオティックと言ったか――何を企んでいる?)
戦闘用合成人間フォールンは、人混みで見えなくなった長谷部の方向を注意深く窺っている。彼女は長谷部京輔の二つ名を知っていた。彼女の所属する組織――あまりに巨大であるために、システムと呼ぶのが相応しい――統和機構では、その存在がまことしやかに噂されているからだ。統和機構に所属しておらず、時折現れては意味不明な調査をして去っていく”協力者”。その様子から、イディオティックと呼ばれるようになった。滅多にない中枢直々の命によって、あらゆる行動を不問とされている、得体の知れない男らしい。
(なぜこの件を調べている……機構の上層でも動きがあるということか……?)
フォールンはフードを目深に被った状態で、すらりとした長身を自在に操りながら人混みを難なく歩いていく。頭ひとつ抜きん出ている上に顔を隠した怪しい格好をしているため、人混みの中では目立っており、不審そうな目を向ける者もいたが、すぐに目を逸らして意識の外へと追いやってしまう。みな、胸中で思い思いの言い訳を立てていることだろう。彼女は嘲るように鼻を鳴らした。
フォールンもまた、十年前の事件を調べていた。いや、十年前の事件から逃げるために、調べざるを得なかったといった方が正しい。彼女にとっては終わっていた事件が、思わぬ形で改めて浮上してきたからだ。つい一ヶ月ほど前、件の少女――御山早苗の通っていた深陽学園に非常勤として配属された教師が、当時の事件の再調査を学校側に求めたとして、小さく話題になった。大事になるほどの騒ぎではなかったが、機構の中でも不可解な点が多い事件として記録されていたため、末端の構成員のいくらかが深陽学園へと送り込まれているという噂を耳にした。フォールン自身にはなんの声もかかっていない。なぜなら彼女もまた、調査の対象だったからだ。
「……チッ、やりにくいったらない」
歩道脇の階段を下って、地下鉄のホームに立つ。今このときも、機構の監視は続いている。彼女が事件においてなんの問題もないと判断されるか、あるいはほとぼりが冷めるまで。
そしてあるいは、彼女の大きな裏切りが白日の下に晒されるまで。
「――早苗……」
遠くを見る瞳とともに一人ごちても、電車の轟音にかき消されて、誰の耳にも届くことはない。
***
南本裕貴はまばらに人が歩く街道を、あてもなく駆けている。少し涼しいだけのそよ風では身体の熱を取り去ってはくれず、じとりと張り付く長袖を呪った。
裕貴は逃げていた。先ほど啖呵を切って分かれた長谷部が追いかけてくる様子はない。しかし、どうしても逃げてしまいたいという衝動が、街の中を駆け抜けていく。すれ違う通行人は切羽詰まった様子で走る高校生をちらりと見やるが、すぐに目を逸らす。
裕貴の頭の中には懐かしい声が木霊していた。
『そうやって目を逸らしてると、殺されちゃうよ』
声を振り切るように頭を振る。彼女――御山早苗は殺された。裕貴はその事件の詳細を何も知らない。幼い頃の話だったのは建前で、彼女に関するあらゆる情報を遮断してきたからだ。
(何も見たくない、何も聞きたくない)
裕貴と早苗が当時よく遊んでいたことを知れば、誰もが同情的になって、裕貴に事件のことを話さなくなる。しかし、裕貴が抱いていたのは悲哀ではなく、彼女を殺したのは自分でもあるという罪悪感だった。
繁華街には道行く人で溢れていたが、それでも裕貴は逃げるように早足で歩を進めた。周囲の人々をかき分けるように歩いていると迷惑そうな顔をされたが、裕貴の内心で湧き上がる衝動に比べれば、些細なことだった。隙間を縫うように強引に進んでいる途中、思わぬ方向から真正面に出てきた人物にぶつかり、裕貴は大きくよろけてしまう。
「いっ……すいません」
立ち止まってぶつかった人物の向かった方向を見やるが、人混みに隠れて見えなくなっていた。いや、むしろ元々どんな人物にぶつかったのか、まったく覚えていないというのが正しい。裕貴の謝罪に反応する者は誰もおらず、煮え切らない感情のやり場がなくなってしまった。ふと足元を見ると、一枚のカードが落ちている。名刺くらいの大きさで、薄青く色づいた無地の厚紙だ。ぶつかった人物の落とし物だろうか。顔も背丈も覚えていないから返しようがないな、と思いながら裏返す。
『手首に緑色のものを巻くと、見るべきものが見えるようになる』
そっけない字体にそっけないインクで、ただ一言そう書かれていた。
「おまじない……いや、ジンクスか……?」
裕貴はしばらくその場に立ち止まって、カードの文面を眺めていた。不思議と、そのカードは落とし物ではなく、自分に宛てられたものだと感じたからだった。さっきまでの衝動はすっかり落ち着いていて、頭の中に反響する声も聞こえなくなった。
「見るべきもの……」
カードの隅には、小さく掠れたインクで『Oxygen』と書かれている。
***
「ああ、南本裕貴もまた彼女に縁のある人物だ。しかも、どうやら後ろ暗い――え?」
人のいない並木道をくたびれたスーツの男が歩く。先ほど南本裕貴に付き纏った末激昂された長谷部京輔が、携帯電話に向かって何かを話している。電話の向こうの声は、電話越しであることを差し引いても、ボソボソとやや掠れていて聞き取りづらいものであったが、長谷部は特に気にしていない様子だった。
「もう接触したのかよ……早いな。そんなに気にかかっているのか?」
どこか呆れたような声色で返事をしつつ、上着の内ポケットから小さい手帳を開きぱらぱらとめくる。何者かの氏名と連絡先等が書かれたページで指が止まった。
「とにかく関係者にあたってみるしかない。俺は当時の事件記事を執筆した奴に会ってくる」
取り出したペンで、『村山順一郎』と書かれた名前に丸をつける。携帯電話から意外な名前が聞こえて、長谷部は眉をひそめた。
「フォールン? たしか、当時の調査で特におかしなところは出なかったって話だが……」
返事をしつつ、手帳のページを送ると、フォールンの簡単な情報が書かれている。名前、経歴、そして御山早苗の監視役だったこと。
「いや、たしかお前は直に接触してなかったな。何かわかるかもしれない」
改めて手帳に軽く目を通したあと、再度内ポケットに仕舞うと、長谷部は側にある建物の塀に背中を預けて寄りかかる。俯いた視線の先には、ひと足早い落ち葉がまばらに散らかっていた。
「それにしても、お前がこんなにこだわるとはな。よっぽど気になったのか」
長谷部は軽く笑いを零すが、穏やかな表情に反して声色はどこまでも空虚で、哀しみさえも湛えている。
「中枢の後継者にと、目をかけていた矢先だったからな――」
電話の向こうの沈黙は重い。お互い二、三言だけ交わすとそのまま通話を終了した。
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8/5更新分
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村山順一郎は、しがない雑誌記者である。いわゆるゴシップを中心に取り扱っている小規模な会社で、細々と記事を書きながら生活していた。普段は彩りのない世間に小さなアンテナを張って、なんでもないことを大げさに書くことを生業としているが、ここ最近は熱心に取材に勤しんでいる。深陽学園で十年前に起きた事件の再調査を求める記事だ。
看板に『トリスタン』と書かれたカフェで、ノートパソコンに向き合っている。空いた時間で少しでも情報をまとめるためだ。
「いやあ、お待たせしました」
注文したコーヒーがぬるくなった頃、順一郎の席の向かいに一人の男が座った。短い癖毛と無精髭をそのままに、くたびれたスーツを身に着けた、少し軽薄そうな見た目の男だった。男はウェイターにコーヒーを注文すると、懐から一枚の名刺を取り出す。
「連絡した長谷部です」
順一郎も名刺を取り出して、お互いに交換し合った。
「どうですか、そちらの調子は」
長谷部がなんとも煮え切らない質問を投げかける。順一郎は苦笑しながら答えた。
「あまり進展してはいないですね。……あなたはなんだかやりにくそうだ。敬語はなしで構いませんよ」
「そりゃありがたい。あんたも好きにしてくれ」
「まあ、ほどほどに」
くたびれた印象そのままに、長谷部はくだけた話し方をする。順一郎にとっても、まどろっこしさがなくてありがたい。長谷部はいつの間にか運ばれていたコーヒーを一口啜ると、単刀直入に切り出した。
「御山早苗の件について聞かせてほしい」
「そのつもりでしたから。どこから話します?」
「……えらく素直だな。大事な情報じゃないのか?」
順一郎は窓の外を見やる。
「私にとっては……なんだろう、義務のようなものなんですよ。この事件を知らなきゃいけない。だから、あなたも何か知ってたら私に教えてほしい」
長谷部は頷いた。それがすべてを教えるという意味でないことは順一郎にも察せられたが、それでも望みをかけるしかなかった。順一郎の得られた情報量は、十年前とほとんど変わっていない。
「概要は知ってますよね?」
「ああ、通学路の公園で御山早苗の遺体が発見された。犯行方法や犯人の情報が明らかにならないまま、不自然に収束していった」
それが統和機構による情報統制であることをもちろん順一郎は知らない。順一郎は長谷部の簡潔な説明に頷く。
「そうです。そして、私も未だ犯人に関する情報を掴むことはできていません」
長谷部には、統和機構の監視下にある順一郎が、確信の情報を掴めていないことはわかっていた。掴んだ途端に消されてしまうからだ。
「ですから、今回再調査を訴えた――非常勤講師の人に、お話を聞こうとしたんです」
「聞けたのか?」
「いえ、実は警戒されてしまってて……ですが、彼女――須崎茜が御山早苗の元クラスメイトであることは知っています」
「何か縁があるような口ぶりだな」
順一郎は気まずそうに俯く。一拍置いて、沈痛な面持ちで話し始めた。
「須崎茜の父親の事件を、記事にしたことがあったんです。そのとき、御山早苗に強く抗議されました」
初めて耳にする情報を前に、長谷部は顎の無精髭を掻いて「ほう」と声を漏らす。
「須崎茜の父親については、初めは良いネタになるという軽い気持ちで調べていたんです。ただ、御山早苗に抗議されたとき、なにか使命感のようなものが湧いてきて……結果、どの雑誌よりもセンセーショナルに書き上がった。須崎茜にとっては、何よりも疎ましい存在だったはずです」
「それは初耳だ」
「あまり言いふらしたいことではないですから」
ばつが悪いのか、順一郎はすっかり冷めたコーヒーを一気に煽る。
「須崎茜と御山早苗は仲が良かったのか?」
「私が調べた限りでは、そのような事実は出てきませんでしたね。そもそも御山早苗にはあまり友人がおらず、敬遠される存在だったとか」
御山早苗は物言いがはっきりとしていて、正義感が強かったという話とは裏腹に、クラスメイトからは避けられる対象だったという。曰く、「全部暴かれそうで怖い」とのことだ。
「仲良くもないのに、須崎茜はどうして彼女のことを?」
「それが……当時のクラスメイトが言うには、御山早苗が須崎茜を庇ったことがある、と」
「庇う? 父親のことでか?」
「わかりません。どうにも言いにくいのか、濁されてしまって」
なるほど、と長谷部が一言呟くと、彼らの席に沈黙が落ちる。概ね話し終わった、という合図だ。
「最後に一つだけ。あんたはなんで御山早苗にこだわる?」
問われた順一郎は顔を強張らせると、机に置いた手をもぞもぞと動かす。浮いた視線は、言葉を探している仕草だった。
「私は、仕事だから……生活があるからって、人の事情をあれこれ探って、会社に言われるままに書いてきました。仕方がないと思っていた。けれど彼女に抗議されたとき初めて――仕方ないとか、どうにもならないみたいな気持ちがなくなって、強く自分の感情と向き合えた。いつもそうはいられないけど、彼女に関する記事だけは、その気持ちを持ち続けていたいんです」
内心を吐露する順一郎は、ひどく疲れた顔をしていたが、同時にすっきりしたように微笑んだ。
長谷部は礼を言って席を立つ。順一郎の注文分と一緒に会計を済ませて、店を出た。少し歩いた先で振り向くと、先ほどの席から窓を見ていた順一郎と目が合い、軽く会釈する。順一郎はすぐにノートパソコンと向かい合った。その視線は必死とも言えるものだ。
(御山早苗の"能力"――彼女が一体何を考えてたのか、知る必要があるな)
長谷部もまた、ある種の使命として、事件の真相を追っていた。
***記憶-1
「早苗ちゃんはさ、なんでそんなに強いの?」
ずっと昔、幼い俺はそう尋ねたことがある。
俺と早苗ちゃんは、人気のない公園でブランコに揺られている。そこは小学校の近くに建てられた公園だが、すぐ側に交通量の多い道路が通っていて危険な上に、五分ほど歩けば真新しくて設備も整った広い公園があるため、穴場のような状態になっていた。今や朝の運動の休憩に使う人くらいしかいない。遊具もところどころサビが目立つ始末だ。
そこは俺と早苗ちゃんの遊び場だった。十ほど上の彼女は「早苗姉ちゃん」と呼ばれるのを嫌がっていたから、早苗ちゃんと呼んでいる。近所のよしみでよく遊んでくれる高校生のお姉さんだった。
「強い? あたしが?」
隣のブランコから俺を見下ろした早苗ちゃんが、心底意外そうに目を丸くする。
「だって、なんでもはっきりしてるからさ。言い訳とかしないで、自分の思ってることしっかり言うし。他の人にも正直に言ってって、言うし」
俺はつい最近にあった出来事を思い返していた。
俺の母は、早苗ちゃんのことをよく思っていなかった。早苗ちゃんははっきりした物言いをする明るい人なのに、近所の大人は気味悪がっていた。母は俺を、「もうあの子と関わらないで」と叱った。理由を聞いても教えてくれなかった。それが悔しくて、俺が隠れて早苗ちゃんに相談すると、早苗ちゃんは肩をいからせて母へと直談判しに行った。その時の母の正直な言葉が、俺は強く印象に残っている。
『本当は、私に近付かないでほしいの。あなたのことが怖いのよ』
なんてひどいことを言うんだ、と思った。けれど早苗ちゃんはどこかホッとしたような、肩の荷が下りたような顔をしていた。結局、極力母には会わないよう遊ぶという形に落ち着いていたと思う。
「あたしは別に強いわけじゃないよ。むしろ怖がりなくらい」
「うそだあ」
俺は心底信じられなくて、あははと笑った。誰にも物怖じせず向かい合う早苗ちゃんのことを、子供ながらにとても強い人だと疑わなかったからだ。早苗ちゃんは少しだけ困ったような笑顔を見せて、正面に顔を向ける。俯き気味な視線が遠くを見ていた。
「怖がりだから、弱いから、内心を知ろうとするんだよ。気持ちを隠すことで身を守る人もいるのに、あたしはそれを無理やりこじ開ける。強い人は、こんなことしなくていいの」
わかんない、そんなことないと思う、という返答は、早苗ちゃんの寂しげな横顔には不釣り合いだと思った。「そうなんだ」とだけ言って、戯れにブランコを軽く揺らした。窮屈そうに座る早苗ちゃんとは対称的に、俺の足はギリギリ地面に擦れるくらいだ。
「ねえ、裕貴はどう思う? 人の本当の気持ちって、汚いと綺麗、どっちだと思う?」
今にして思えば、それはひどく抽象的な問いで、早苗ちゃん自身の気持ちをひどく曖昧にしたものだっただろう。だからこそ、その問いは無意識に縋るための手を伸ばしてるように思えた。
「……わかんない」
伸ばされた手を、掴むことができなかった。幼心にも、"逃げてしまった"と後悔したのを覚えている。早苗ちゃんはなんでもない顔をして笑った。
「あたしは、どっちもだと思う。それで、綺麗なほうがちょっとだけ多いといいなって」
うん、とだけ返事をしたら、彼女は満足そうに頷いた。