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空に落ちる、前に

全体公開 1 2816文字
2021-08-21 20:38:17

はすみさんちの🟦画家さんに幻覚をバチバチに見ている。幻覚捏造妄想オンリーにつき、親御さんのツッコミ待ち

Posted by @acht8811

 疲弊しきった帰り道に、二本の足を引きずって歩いた。顎をつたう、こめかみを濡らす、髪を滴る、汗、汗、汗。焦げついてしまいそうな光が、ざんざんとおれを睨め付けて目を逸らそうとしない真昼だ。道の両脇の家々も街路樹も、夏に閉口しているのだった。
 午前の写生大会は、いつも通りに散々だった。聞こえるように言われる陰口や、見ているくせにこちらが見ると逸らす眼や、気づいていないと思って指す指や。
 “絵画の魔術の名門、████家の長男が、あんな、子供の落書きのような絵しか描けないだなんて!”
 あの場にいた何人が、そう思わずにおれを見ただろうか。おれは恥で泥で道化で笑い物だった。そうでしかなかった。
 長い坂の陽炎すらもおれを笑っている気がするなどというのは、どうしようもなくネガティヴで、笑えるような妄想だけど。それでも、その陽炎に向かって登っていく足は重くなるばかりだった。家は遠く、迎えなどなかった。
 三叉路に出る。真っ直ぐ行けば家に着くが、今日も右に行く。ほんの少し、遠回りをする。この太陽の下ですら、あの家よりは居心地がいいのだから。少し進む、と、目に入る白亜の建物。陽光を反射して迷惑なくらいに輝くそれを、目を細めて見る。
 またいる。
 白い病院の、二階。控えめに開く小さな窓、その中の白い部屋。風に揺らぐ白い髪。そこにいるのは、同い年くらいの、子供だった。無意識に足が止まる。いつのまにか、その白い頬を見ている。日差しを受けてなお白いそれを。
 そいつがこちらに気づくことは──無論気づいて欲しい訳では全くないが──なかった。毎週、毎度、こうして土曜の昼に通りかかり見かけていたが、一度としてこちらに目をやる様子はなかった。ただ、一心に外を見て、手元を見、なにか手を動かし、また外を見る。それを繰り返しているばかりだった。
 それが何をしているのか。この遠目からでは、分かるやつは少ないだろう。だが、おれには分かる。分かってしまう。今まで幾度となく繰り返し、繰り返させられてきた動きだから。
 絵を、描いているのだ。
 きっと。誰に言われたのでもなく、強制されるでもなく、ただただ、(理解に苦しむが、)描きたくて、描いているのだろう。あるいは病室に他の楽しみは全くないのかも知れなかったが、それにしてはあまりにもその動きは一心不乱だった。外を見る、目を凝らす、手元を見る、形を描く、色を塗る。いつ見てもそうだった。いつ何度見ても、その動きを自律人形オートマトンよろしく繰り返しているのだ。
 あるいは、本当に人形なのかもしれない。その整った容貌と白い肌はどうにも人工美めいていて、揺れる陽炎とゆだる暑さも加わって、それはなんだか変な夢みたいな光景だった。
 なんとなく、そのまま立ち止まっている。見ている。夢を見ている。いつもより長く。どうせ、気づかれないのだから。
 汗が首を伝っていく。夏がじりじりと降り注いでいる。暑い。視界が眩んでいる。頭がぐらぐらしている。
 だから。変化に気付くのが遅れた。
 いつのまにか。前触れなく、あの子供が、窓から身を乗り出していた。外になにかを見つけ、惹かれ、そのまま飛び出そうとしたかのように。二階だというのに。身を、乗り出し、すぎている。重力すらも知らないかのように。
(あ)
 落ちる。
 上に。
 上に? 自分がなぜそう直感したのかも分からないまま駆け出している。魔力を巡らせる。脚に身体強化、病院と外とを隔てる柵を跳び越え、走る。間に合え。
 走りながら、鞄の中身をぶちまける。間に合え。絵具が宙を舞う。赤緑橙。どれも要らない。筆入れを破かんばかりに無理矢理こじ開ける。筆を、とる。大嫌いな絵筆を。握り込み、叫ぶ。間に合え!
「[色素collrr凝集agglu]」
 嫌な、感覚。ずるり、と自分の黒髪から色が抜け落ちるのが分かる。
「[色素collrr励起exccc]」
 魔力を展色材に、集めた色を顔料に。絵筆が黒く、染まる。
 “黒”魔術color : black展色set
 走りながら描き殴る、宙に筆の痕を刻みつける。間に合え。尾、後脚、尻、上半身、前脚。線だけでできたそれは、絵とすら言えないような、巨大ななにか。頭の代わりに、丸と点で巨大な眼球を与える。
「──行け!」
 叫ぶと、落書きの獣は地を蹴り割って飛び出した。落ちる、あの子供に向かって。下に落ちている、なら間に合う、間に合え!
 落書きが子供と地面の間に割って入り、黒い絵具は弾け飛びながら子供を受け止めた。おれは遅れて追いついた。四散した黒から、じわり、と色素が髪に戻ってくる。
 見れば子供は無傷のようだった。持っていたらしいクレヨンは四散し、いくつか折れてしまったようだったが。子供と、抱きしめていたスケッチブックは無事だ。荒い息を吐き出す胸を、ひとつ、撫で下ろす。
……大丈夫か」
 返事はない。
 子供はその瞳を大きく見開き、ただ、呆然と見つめている。上、を。思わずその視線を追ったが、そこには夏の空があるだけだった。いささか晴れすぎたような、暴力的な青の空が。
 訳が分からなくて、おれはまた視線を落として子供を見る。そいつも視線を落として、また、絵を描き始めている。様々な色でぐちゃぐちゃに汚れた手に、今は青を握っていた。
 そのクレヨンは根本から折れてしまっていて、それでもそいつは、根本に残った青を一心に紙に擦り付けているのだった。
(あ)
 またあの感覚。
(落ちる)
 上に。
 知らず、そいつの左手首を握っている。つと振り返ったその瞳が、頭上に広がるすべてと同じ色をしている。思わず息を呑んでしまう。しかし咎めるでもなく何か言うでもなく、また視線を戻し、クレヨンを右手に持ち替え、その根本をスケッチブックに擦り付け始めた。
 俺はその左手首をまだ握っている。呆然としたまま。
 あの眼の色。この空の色。たぶん、こいつは、今この手を離したら、落ちていってしまう。上に。そうして青に溶けてしまって、もう二度と帰ってこなくなる。
 そんな馬鹿げた妄想が頭を埋めて、おれはそいつの左手首を捕まえたまま動けないでいる。そうして絵を描くところを眺めている。クレヨンを擦り付けているだけのはずの紙面には、何故か、青空が出来上がっていく。塗りつぶしているようで、塗りつぶしているのではなくて、描いている。空を。利き手と、逆の手で。クレヨンがすり減り、空へと変わっていく。おれの魔術なんかより、ずっと魔法のような光景をしている。
 空からは太陽が、腹の底からは妬みがおれを灼くようで、おれはなにも言えなくなって目を閉じた。左手首は離さないよう、強く握ったまま。そのままそうしていた。騒ぎを聞きつけた大人たちが、ばたばたとやってくるまでは。


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