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空に落ちて、掴め

全体公開 2556文字
2021-08-28 18:50:11

ハイパー落書きタイム
はすみさんちの🟦さんの気配が若干する
関連→https://privatter.net/p/7822812

Posted by @acht8811

 外はあんなに青く晴れているのに、この部屋は暗く黒く沈んでいた。折れた木炭。飛び散った絵具。叩きつけた筆。塗りつぶされたキャンバス。黒、影、陰、闇。
 おれは窓に背を向けて、体をうつぶせにベッドに投げ出していた。思考も投げ出して、目を瞑って、見るに耐えない醜い気持ち悪い最悪の自分と自分の作品とから目を逸らしていた。外の青さが嫌味なほど美しくて、それも嫌で、嫌で。せめて夜になって欲しかったが、時計はまだ午前だった。必ず朝はやってくる、などと言ったのは誰なのか。夜闇に隠れていたい人間は、どこに行けばいいのか。おれに、居場所はなかった。
 おれを居ないものとして扱いながら、出来上がった絵をこれ見よがしに叩き壊す父親。ヒステリックに叫び物を投げつけてきたかと思えば、泣きながら抱きしめて謝る母親。見下せる弟だからと優しくするが、少しでもおれが上達を見せると攻撃的になる姉。ないことまみれの噂話と、些細な嫌がらせを積み重ねる侍従たち。何を言っても首を横に振り、諦めの視線をおれに向ける師。
 みな本当は悪辣ではない人間だ、というのは薄々思っていることで。おれにあるべき才能がないせいだと、みなを狂わせてしまったのはおれだという感覚がずっとある。おれの居場所を奪っているのは、おれ自身なのだと。そう思い至る度に胸のうちが万力で潰されるように痛んで涙が出て、でも泣くような権利もないように思えてそれをまばたきで押し込めていた。出ない涙は熱い鉄の塊のようにまた胸に落ちて戻ってきて、それが余計に苦しかった。
 休日は家を出ることも許されず、かといって家の中も息苦しくて、自室は檻のように狭くて暗くて、逃げこめる場所もどこにもなかった。眠りの中の夢すらも、すっかり目醒めている身体に阻まれて逃げ場所にはなり得ない。
 うつぶせの体勢すらすこし苦しく思えてきて、おれはゆっくりと寝返りを打った。
 ちいさな窓から、青が見えた。
 嫌味なほどきれいな色。
 届かない才能の象徴。
 いつもなら、あの空が目に入るたびに俯いて目を逸らしていた。けれど今日は、なんだか違っていた。なんだか逸るような気持ちがしていた。膝をつき、ベッドの上に立つ。空が、青がほんの少し近づく。窓に身を乗り出す。またほんの少し、あの色に近づく。身を乗り出す。空に惹かれているのか、闇から逃避しているのか、それすらも分からずに。身を、乗り出す。重力すらも、忘れて。
 ああここ、二階だったな。
(上に落ちて行けたらいいのに)
 どうせ下に落ちて、侍従に見つかって捕まって、家族に冷たい目を向けられて、あるいは向けられすらしなくて、それで終わりなのだけど。
 庭木の枝と葉が俺の腕やら腹やら背中やら顔やら、とにかく全身を引っ掻いて、そして低木に受け止められて、下に落ちて、俺は止まった。折れてしまった枝に申し訳なかった。一階にいて気づいた侍従のひとりが、怒鳴りながらこちらにくるのが見えた。
 けど、けど、それもあんまり気にならなくて、ただひとつの思いつきが、おれの頭を支配し始めていた。
 ──上に落ちて行けたら。
 
「お父様。僕の勝手な行動で、大変ご迷惑をおかけしました。以後、……
 ティータイムにやってきた、木炭屑が何かを言っていた。それよりも今は新聞を読む時間だった。追わなければならない事柄、負わなければならない責務。それらは無数にあって、あの屑を構っている時間などない。
 が。
 いつもなら聞こえる逃げるように去っていく足音がなくて、思わず、ちらとそちらに目を向けてしまった。
 木炭屑は顔を上げてこちらを見て、そして目があった。しかし何も言わず、だが逃げるでもなく、ゆっくりと立ち去っていた。
 私は無言で新聞に目を戻した、が、あの顔がちらついて離れない。
 不敵ですらあるあの視線が、彼の、息子の顔が、脳裏に焼きついてしまったようだった。私は首を振って、それを振り払った。
 
 父は無関心だった。母は褒めるか貶すかで、おれのしたことではなくて自分の気分で振る舞っていた。師も、突然魔術に打ち込み始めたおれを呆れた目で見るばかりで咎めはしなかった。街にいる冒険者を捕まえては話をしたがるおれに関心を示すような友人はいなかった。姉だけはおれが魔術を会得し始めたことに苛立っていたので、彼女の振る舞いを上達の目安にするようにした。
 彼女がおれに優しくするようでは足りなかった。無視されるくらい、嫌がらせされるくらい、罵られるくらい。
 強く。
 三年前のあの日嵌められた鉄格子を、[絵具]で描き足した爪で切り裂く。窓を割り、夏の青空を直視する。ゆったりと吹く風は、熱くとも新しい空気をこの部屋に運ぶ。いい、風だ。おれは筆を手に取った。
 自分を塗りつぶしていく。上書きする。大量の[絵具]と魔力と精神力、集めてきた魔道具、これまでの研鑽、すべてを使う。塗って、塗って、塗り込めて。黒を撒き散らし、描いていく。おれの人生の最高傑作を、描いてやる!
 出来上がるのは大きな、不恰好な、下手な、大鴉の絵だった。部屋の姿見を振り返って、醜いカラスもどきに変身した自分を見て、やっぱり下手だ、と笑みが溢れる。何が最高傑作だ。ああ、これでも三年間、街や森に出向き剥製まで手に入れて、カラスの絵ばかり練習してきたというのに。
……まあいいか)
 上手い絵である必要はない。
 必要なのはただ一対の翼。
 風。
 あの青。
 異変に気付いたであろう侍従、あるいは姉が、ドアを叩き叫んでいるのが聞こえる。部屋中の家具とベッドとキャンバスとをかき集めたバリゲード、あと五秒は持ってくれ。窓枠に足をかける。身を乗り出す。空が近づく。
 ああ。今だけは絵画の神に祈る。
 これで捕まればきっともう次はない。鉄格子では、済まない。どうか、どうか、墜落しませんように!
 バリゲードが姉の[絵具]に吹き飛ばされるのと、おれが窓枠を蹴るのは同時だった。翼が、空気を掴み、はばたく。浮かび上がる。いや、落ちるのだ。上へ。
 地面が、生家が、窓枠から身を乗り出して叫ぶ姉が、ぐんぐん遠ざかる。そして空が近づいて、それでもあの青はなお遠くて。
 それが嬉しくて、笑った。


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