@nabibi47
善悪、その概念は簡単に割り切れるものではない。
たとえば、ここに一組の家族と一人の男がいる。
父母に子供の三人家族、仲睦まじいあたたかな家庭。
そんな家庭に一人の男が乗り込んできて、父母に手にかけた。
一見すれば男は悪なのだろう。
しかし、それは家族側に立った場合の話だ。
男側に立った時、事情があったとしたらどうだろう。
男が、この父母に家族を手にかけられていて、むごたらしく家族を殺されたが故の復讐劇だったとしたら、この男は只管に糾弾される悪か。
しかし、復讐は正義か。
ならば、泣き寝入りは正義か。
どちらを上げても際限はない。
善悪は、割り切れない。
自分がどちらの側に立つかで簡単に傾く概念であると思う。
角度が変われば、善にも悪にもなる。
いっそ、そう、悪意を持って誰かを損なわせようとする人間のほうが余程わかりやすい。
傷つけたかった。悲しませたかった。苦しませたかった。
それだけの理由に奮われる暴力は、わかりやすく悪だと割り切れる。
けれど、世の中はそう簡単な暴力に満たされてはいない。
いっそ、悪意はなくただ自身の信じる正義に従い起こす行為に人と人のかかわりに軋轢を起こす。
一番に厄介なものは、正しく生きようとする人間の営みだ。
大義を持った善人と、そこらに転がるチンピラ風情の悪人なら、前者のほうが余程俺は恐ろしい。
信念を持つ善人は折れない。
掲げる芯を持たない悪人は簡単に折れる。
確実に、頭のイかれ具合は前者に大きく振り切れるのだ。
厄介、けれどだからこそ、平穏さは保たれて、理不尽に言葉を噤むこともある。
ハッピーでグロテスクな世界、こんな場所で善性だけに生きることは難しい。
難しいから、きっとこの少年は美しいのだろう。
「ネズ、頼む」
深刻な顔をして俺の前に現れた少年は、ガラルという地方の王座に君臨する。
リーグの興行試合、年に一度のチャンピオンカップ。
俺の活躍により地元が盛り上がるならよし。
何よりも、今年は妹も応援してくれた。
最近おしゃべりが上手になった、最愛の妹。
ふにゃふにゃまだまだ舌足らずに、にしゃがんばえ、たった一言それだけで俺は準決勝まで駆け上れたのだ。
準決勝では辛くもカブさんに敗北したが、その後決勝戦は見届けた。
ここ数年、お馴染みとなった対戦カードは絶対王者とその牙城を崩さんとする竜の軍勢。
観客のボルテージは最高潮、全く嫉妬も沸かないほどの清々しい激戦だった。
さて、決勝が終わればもう知ったことではない。
この後の懇親会など、顔を出す必要もない。
脳裏をよぎる善人の皮をかぶった底知れない男、胡散臭い笑みの委員長の姿。
あの男に、会いたくもない。
悪人ではない、のだろう。
悪意を持って踏みにじることはない。
あくまでも、自身の正しさに従い歩むあの男の道行が、ただ無意識に多くを踏みにじっているだけだ。
最近持ち出されるスパイクタウンの移転の話に、苦いものがこみ上げるのをやり過ごす。
身支度を整え帰ろうかとシャワールームでざっと汗を流した。
そうしてブースを出てラフな格好にロッカールームにあるベンチに腰かけていた。
リーグが準備する空飛ぶタクシーが到着するまで、今日の応援風景ですとスパイク商工会の職員から送られてきたマリィの写真を眺める。
顔を真っ赤に、必死に短いぷくぷくした手足をばたつかせ、声を張り上げる姿。
こんなに一生懸命、応援してくれたのか。
それだけのことがとても嬉しくて、可愛らしくて、宝物で、俺は百枚は優に超える写真データを一つずつ大切に噛み締めた。
そんな最中、現れた少年王。
顔を上げて見上げたままでいれば、彼は思い詰めた表情でいた。
しかし、次には何か強い決意が迸る瞳を見せる。
思わず、俺は怪訝に眉を顰めたのだった。
「俺に、悪というものを教えてくれ」
「……なんですって?」
齢十五の王様はまじめな顔をして教えを乞う。
頼む、繰り返し直角の頭の下げ方はあまりにも丁寧だ。
その姿勢はよし。
しかし、望んだものの似合わなさに眉をしかめた。
悪を教えろ、それはポケモンの話ではないのだろう。
面倒事の気配にベンチを立とうとした。
けれど、立ち去る気配にいち早く気が付いた王様が慌てだす。
両手を伸ばして俺の肩を掴む華奢な掌。
最近は大きくなったようだが、それでも未だ子供の手だった。
ぱちくり目を瞬かせれば、手の先、むぐぐっと顔をへしゃむくれにも王様は言い募る。
「俺はっ、わるい男になるんだ!」
決意は固く、声は大きな叫びとなって宣言したのだった。
反抗期にしては随分と遅れたものである。
半ば呆れながら、溜息を一つ。
精一杯に主張する悪を知らない美しい少年を見つめていたのだった。
正直、あの男の秘蔵っ子に時間を費やしたくはなかった。
しかし、ふと思った。
この後の懇親会、こいつが行方をくらませようものならどうなるかな。
二十歳も迎えたいい大人がするいたずらではない。
いっそスポンサーへの挨拶に顔も出さないチャンピオンなどリーグへの損失はいかほどかと考えないでもない。
だが、先に言い出したのはこの少年であるし、何よりも悪への教えを願っていた。
思考を埋めた悪だくみに、現在、俺はシュートにあるカフェテリアにて少年王、ダンデと向かい合っていた。
彼はこのカフェテリアの期間限定フルーツパフェを目を輝かせてほおばっている。
一応、子供らしいところもあるのだなとなんとなしに思いながら、クリームをつける頬をとんとん指で指して見せる。
ダンデは俺の仕草にテーブルのナプキンを手に取ると、頬をぬぐう。
それからはっと大きく目を見開いたのだった。
「俺たちがしてること、全然、わるい男じゃない!」
「おや、お気づきですか」
けらけら笑ってやれば、ダンデはがんっとショックを受けた様子で俺を見つめる。
いっそ、懇親感をふけったことは大層悪どい事なのだがそこには触れない。
俺は自分の手元にあるティーポットに手を伸ばした。
そのままティーカップにとととっと注ぐ煌めく茶葉の香りを広げる紅茶に目を細める。
そう、ダンデをこっそり連れ出し、足を運んだ場所は健全な遊び場だった。
ポップでキュートなスイーツショップ、ポケモンたちと大いに遊べる会員制アスレチック、布地からオーダーメイド可能なキャップの専門店その他諸々、健全に子供が楽しめるだろう場所ばかりだ。
ただ楽しそうにはしゃぎまわる王様をエスコートしたに過ぎない。
静かにカップに口をつけた俺に、ダンデはスプーンをからぁんとテーブルに落として頭を抱えるのだった。
「これじゃ、楽しいだけだ」
「よかったじゃないですか。お前も年相応にはしゃげるようで安心しました」
「楽しかったが!こうじゃない!」
一体俺にどんなイメージを持っていたのだろうか。
いっそ、スパイク商工会に迷惑はかけられないし、今日連れて行ったところもマリィが喜ぶだろうとアンテナを張り巡らせた中の一端である。
可愛らしいものが好きで、おしゃれが好きで、ポケモンを愛している、最愛のマリィ。
きっと、あの子も喜んでくれるだろう。
ふふっと笑みを浮かべながら、目を伏せる。
悪タイプを扱うし、見た目からしてワルイ遊びというやつを嗜んでいるとでも思ったか。
残念ながら、俺は妹を悲しませるような兄ではない。
あの子の前で、後ろ暗くなるような真似をするわけにはいかないのだ。
目を眇める俺に、ダンデはうぐっと顎を引いた。
不満をあらわにぶすぅとしながらまたスプーンに手を伸ばしたダンデはパフェに戻っていく。
結構な高さのあるそれは、既にほとんど食い尽くされている。
早食いが過ぎないだろうか。
ぱくぱくすごい勢いで消えるフルーツとクリームを見送った。
不満たらたら、そんな姿に俺はカップをテーブルに戻したのだった。
「」