了遊(付き合ってない)。
往生際が悪い了見さんの試し行為的な何か
@d9_bond
コーヒーを手にリビングに戻ったところで、了見は気がついた。
(これは、あまり良くない状況ではないか?)
自問する。
手にしているマグのひとつは自分の、もう一つは来客──藤木遊作のための物だ。鴻上邸のリビングのソファにかけた遊作は、傍らのスクールバックから自身のタブレットを取り出したところだ。
ソファ前のローテーブルにコーヒーを置けば、ありがとう、と淡い笑みを見せる。
紆余曲折の後に連絡先を交換してから遊作は、しばしば適当な理由で了見へ連絡してきた。やれ変わりは無いか、新作ホットドックは食べたか、最近スターダストロードは見えたか等々。
そうして声をかけてくる遊作とやりとりするうちに了見は、遊作との会話に慣れ、顔を合わせることに慣れ、行動を共にすることに慣れ──今やこうして互いの家に大した用もなく行き来している有様だ。この過程と現在の状況を顧みて了見は、自分が完全に遊作に絆されていることに今更気がついた。そう、今更だ。
今更気づく程度に平静を失っていたわけだ。暗澹としながら心中で毒づく。
(──これでは友人か何かのようだ)
何かも何もない、既に藤木遊作は自分を友人と見做していることは明らかだった。いまだ人付き合いが不得手な彼が何でもない人間と頻繁に行動するわけがない。遊作のことだ、リンクヴレインズを舞台に巻き起こった一連の事件の決着が付いた今、禍根を超えてようやく十年前のあの日繋ぐはずだった関係を築けているとでも思っているだろう。
今日もそうだ。遊作は、一緒に見たい動画があると学校帰りにやってきた。
動画自体は別に急ぐ物でも貴重な物でも何でもない、先日リンクヴレインズで行われたデュエル大会のものだ。特別な大会ではない定期イベントである。ちょっと面白い試合があったからなどと言っていたが、要するにその程度の用だ。
そして放課後寄っても良いかと問われて承諾したのは了見である。付け加えればそのこと自体を特に深く考えず、遊作が来るならとスケジュールを調整して時間を空けた。明日出来ることを明日に回した程度の調整だが、つまりそういうことだ。
(断るべきだったか……いや、今の状況では後日になるだけだ)
返す返すも迂闊だった、と心中で歯噛みする。友人面して隣に座れる立場ではないというのに、差し出されたからと親愛を享受していた。どうしようもない。しかも今の今まで自覚していなかった。
遊作の方は了見の動揺など知るよしもない。目当ての動画を表示して了見へ画面を見せる。
「この対戦だ。後半の応酬も面白いんだが──」
「あ、ああ」
言われるままに了見が画面を覗くと、顔を寄せてきた。単にタブレット画面の都合で二人で見ようとするなら多少身を寄せ合うことになる。だから遊作に他意はない。
(そうだ。他意はない)
自分に言い聞かせる。あるのは了見の側のみだ。
了見はしばらく前から遊作へあまりよろしくない感情を抱いている。
そんなつもりはなかった。いや、元より藤木遊作は了見にとって特別な存在ではあったが、それは過去のしがらみや数々の戦いを経ての事であり当然だ。本当に、そんなことを考えたこともなかったというのに──あまりに無防備にこちらへ親愛を寄せるものだから、構える間もなく心をさらわれてしまった。為す術もなかった。
とはいえ、了見は自身の抱く想いを伝えるつもりは一切ない。なんといっても今までの所業がある。現在の立場もあり、同性と言うこともある。こんなもの遊作にとって百害あって一利なしは明白だ。
気づかれない自信はある。何せ向こうにとって自分は友人なのだから。
もちろん将来良い相手と幸せになるなら祝福するつもりでいる。覚悟はしている。この感情自体は了見の中で完結しているので問題はない。
──と、そういうつもりでいてもこの状況は如何ともしがたい。
連絡先を交換したのは失敗だった。その時はなんとも思っていなかったのだから仕方ないとはいえ、自覚して後もたまにやりとりするくらいなら、と軽く考えて──結局この有様だ。目も当てられない。
了見はひとまず、動画の方へ集中することで深く考えないようにする。動画のデュエル自体は確かに、なかなか面白い展開をみせていた。
「──なぜ効果を使わないのかと思えば、そういうことか」
感心しながら返せば遊作は、ふふ、と小さく笑いを漏らす。
「どうした」
「いや、大したことじゃない」
淡い笑みを浮かべたまま遊作は言う。
「お前とこうやって過ごせるのが、嬉しかっただけだ」
以前より格段に感情を表すようになった彼の笑みは攻撃力が大きい。了見は心中で念仏を唱えながら努めて真顔で同意のみ返した。アバターと違い表情筋の連動を切るわけにいかないので必死である。
もちろん遊作は了見の動揺に気づくわけもないので、次の対戦も好カードなんだと普通に話を続けている。
続けて始まったデュエルを眺めながら、了見はこっそりため息をついた。
呆れ混じりに遊作を見やる。
自身の土俵ではいくらでも器用に立ち回るくせに、現実ではろくな友人もいないものだからこんな人間のところへ無警戒にふらふら寄ってくるのだ。了見は、もう敵じゃないなんて一度だって言ったことはないのだが。
画面に見入るその横顔を、真摯な眼差しをうつくしいと思う。
うつむいているせいか白い頬と同じほど白い首がやけに目に入った。遊作はいつも制服を着崩しているのでそのせいもあるだろう。
案外細いな、と思いながら了見は手を伸ばした。
指先が触れると当然ながら遊作は驚いて、ひゃ、と小さな声を上げて身を引いた。
「なんだ、了見?」
了見は応えず再度手を伸ばし、遊作の首に触れた。遊作は戸惑っているようだがそれ以上逃げはしなかった。それを良いことに指先を白い喉へ滑らせると、くすぐったそうに身をすくめる。
触れる肌はしっとりと滑らかで、手の下でかすかに震える喉は温かく柔らかい。簡単に手折れそうだ。
遊作は不思議そうな顔をしていたが振り払うでもなく制止するでもなく、ただ了見を見ている。無防備に急所を他人に預けて、こちらの目的も分からないくせにされるがままだ。
(どうせ、私がお前を害するなど微塵も考えていないのだろうな)
そしてそれはここではなく、例えば真夜中の路地裏だろうとリンクヴレインズだろうと相手が自分である限り変わらないのだろう。どうしてそう思えるのやら理解しがたい。自分は遊作に対して碌な事をしていないというのに。信頼されていると言えば聞こえが良いが、了見にとってそんなものは盲信とさして変わらない。
遊作は自分の行動が他者に与える影響を軽くみている。だから自身の知る姿でしか相手を測れないのだ。
考えながら了見は指先で首の付け根から鎖骨を辿る。
指の背で喉からおとがいまで撫で上げれば、小さく息を詰めた。指先を滑らせ後ろ髪の生え際に触れたところで耐えかねてか声を上げる。
「了見、やめ……っ」
困惑しながらも遊作はようやく制止しようと思い至ったようで、タブレットを置くとくすぐったいと訴えながら了見の手を押さえた。
「何だ急に」
「ずいぶん細いと思って、気になった」
しれっと言えば遊作はいくらか拗ねたようだった。
「別に普通だろう」
言いながらじっとこちらの首を見る。
それから押さえていた了見の手を外し、自分と手のひらを合わせる。合わせた手は了見の方がいくらか大きいし、シャツから覗く手首も並べれば明らかに遊作の方が細い。了見が鍛えているわけではなく遊作が平均より細めなのだ。
見るからに分かることなので、遊作は更に拗ねたようだった。口の端をいくらか下げる。
「生活習慣を疎かにするからだ」
「前からちゃんと食べているし寝ている」
恨めしげに言って、遊作はぎゅっと了見の手を握った。
「俺だってあと二年もあればお前に追いつく」
「……だと良いがな」
同じ年になれば対等になるなんて、本当に思っているのだろうか。
了見は苦笑してからするりと手を離し、代わりにタブレットを手にした。話を引っ張っても不利と悟ったのだろう、画面のシークバーを適当に戻して続きを見ようと促してやると遊作は素直にタブレットを受け取った。
了見は考える。
遊作には幸せになってほしいと思う。これまで奪われ、傷つけられた分以上に幸福を享受してほしい。彼を傷つけるものは手の届く限りこちらで払いのけてやる。
そうやって大切にしたいと思うのに、一方で、自分のこの度し難い想いを全部ぶちまけてどんな顔をするのか見たくもある。拒絶は当然だが、あんな風に無防備な様を見せるから万が一にも赦されはしないかと期待してしまう。拒絶されるくらいなら滅茶苦茶に壊してやりたいような衝動もある。
それもこれも結局、自分がこの距離に満足していないからだ。
さりとて今更距離をとろうとしても遊作は諦めずに寄ってくるだろうし、それを拒み続けられる気はしない。
詰んでいる。
一番良いのは、遊作に自分以外のもっと親しい友人や恋人が出来て自然と離れていくことだ。そう思うのだが。
(……本当に私は覚悟できているか?)
冷ややかな思いで自問する。
──やはり、良くない状況だ。
了見は隣の温度から少しでも気をそらそうと、ぬるくなっているであろうテーブルのコーヒーに手を伸ばした。