@uk_plus_
へんてこな状況になることなど、今に始まったことではない。
「何しに、何をしにいらっしゃったんすか!」
「顔を見に来た」
「いやちょっと待ってちょっと」
タイムタイムと言いながら開け放たれそうになる玄関のドアノブを、私は汗ばむ両の手で強く握る。ぶるぶると震えてきた己の十本の指と手首は、そろそろ限界に来ていることを知らせていた。しかしそんな私の様子を知ってか知らずか、ドア一枚挟んで目の前にいる男―越知は涼しい顔のまま反対側のドアノブを片手で掴んでいた。それは微動だにしない。なんなら手よりも大きな左足先がほんのり開いたドアの間に突っ込まれているのも見える。
「いや力つっよ!」
「ただ掴んでいるだけだが」
「いつも何割のパワーで生きてらっしゃるんすか!?」
ちょっとだけ開いたドアの間から一瞬だけ“うるさいな”とでも言いたげな越知の表情が見えた気がした時だった。拮抗しているように見せかけられていたドアはいとも容易く開かれてしまって、私の視界がぶわりと開けた。
「うっわ」
「入るぞ」
ドアノブに貼り付いていたせいでその勢いのまま外へと体が倒れ込んだ私を抱きすくめ、越知はずかずかと玄関に入ってきた。
「言うや否や…」
「何か言ったか」
「…なんでもないっす」
巨人にずるずると引きずられながら文句を言えばとんでもない圧の視線が私に刺さった気がしたので、いよいよ私は諦めて体の力を抜いた。
いつぞやのように散らかった部屋の中、その時と同じように越知は辛うじてスペースのある床にすとんと腰掛けた。そして私も同じように立ち尽くして彼を見下ろす。
「あの…」
「なんだ」
「ご連絡した通りなんですが…」
「ああ」
「今日は無理ですって私は言ったんですけど!?」
「だいたい予想はついていた」
狼狽える私とは対照的に、越知は冷静に言葉を返しながら私を見上げた。巨躯の越知を見下ろすこんな珍しい景色も、今はとても懐かしく思う。
本日は特に越知との予定は作っていなかったが、数時間前に突然彼から会わないかと打診の連絡が来た。それが全ての発端だ。
自分と越知の関係性はいつからか恋人というものになっていたが、だからといって私の“悪い癖”は健在でたとえ彼氏である彼であろうと私の“逃避癖”の対象外ではなかったのだ。
―無理です。
たった一言そう返して、とりあえず後の返信を待とうかと今一度布団を頭まで被った瞬間、けたたましく着信音が鳴り響き、そして渋々取った電話の先でいの一番に聞こえてきた言葉はひどく断定的なものだった。
―駄目だ。
先ほどまでのやり取りをぼんやり反芻してから、私は堪らずに布団にぐるりと包まりうずくまる。そして出せるだけの声で喚いた。
「拒否権って知ってますか!?」
「ない」
「ある!人間である以上あるの!越知にもあるなら!私にもある!」
「ならお前の拒否を拒否しよう」
「屁理屈!」
「何とでも言え」
「強情!」
平たい語彙力で思いつく限りに喚き散らしても、対峙する彼は一切動じない。そんなことなど付き合う前からよくわかっていることなのに。この時期の私は“何からも逃げてしまいたくて堪らない”のだ。恐らく愛しているはずの、彼に対しても。
この悪癖を唯一吐露した人間は越知しかおらず、それはある意味で安息に繋がるのではなんて淡い期待を抱いていた時期もあった。たしかにあった。けれども状況はより悪化するばかりで、つまり私がこの癖を発動する度に越知は“絶対に私を独りにしてはくれない”のだ。
「本当に何しに来たの~…」
「会いに来た」
「いやそうなんだけど、そうじゃなくて…」
―…わかってるくせに。
依然布団に体全てを包まったまま、絶対に聞こえないだろう声量で呟いたつもりだった。布全てがその細い音を吸い込んでくれたはずだったのに。
「わかるつもりはない」
どうやら越知の鼓膜に届いてしまったらしい小言は、いつもより強めに拒否されてしまった。そして彼は同時に私の最後の防壁である布団まで剥がしにかかってくる。急に明るくなった視界に目を細めるとすぐ目の前に越知の前髪が垂れていて、一寸私の鼻先を掠めた。
「…どうしてなの」
「前にも言っただろう」
―俺が我慢ならないからだ。
すぐ目の前の動いた唇と揺れる髪先から越知の清潔そうな香りがした気がする。気がするに留まったのは、越知が吐露してから私を抱きしめてしまったからだった。そして半歩遅れてから、吸い込む空気全てに越知の香りがした。
「…ずーっと強情ですね」
「ああ」
「なんでなんすかね」
「好きだからだ」
「…へぇ」
臆面もなくすらりと繋がれた言葉に何か気恥ずかしさを感じてしまって、私の息のような返事は尻すぼみだ。
抵抗もせずに広すぎる体躯に黙って抱きしめられていると、そのうち大きな片方の手が私の後頭部をゆっくりと撫でていた。その自然な行いになんとなくため息を吐いてから、掠れた声で私は越知に問う。
「ずっとこうしてるの?」
「お前に必要ならそうしていよう」
それはきっと本当なのだろう。以前も同様に私を抱きすくめながら二時間も無言を貫いた彼のことだから。
たくさんの同じような時間を思い出して、私は顔を上げて越知を見た。
「オムライス」
「?」
「オムライス、食べに行きたい」
「…ああ、そうしよう」
青色と白色の髪の隙間から見えた目が、優し気に細められた。
「え!?最初から勝手に来るつもりだったの!?」
「そうだ」
「え、じゃあもう全体を通して本当に茶番では?」
「そう思いたいのなら思え」
「……ありがとうございました!!」
見慣れた皿に鎮座する温かなオムライスに私は力強くスプーンをぶっ刺した。