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The Cure

全体公開 9 4337文字
2021-09-07 17:58:57
Posted by @uk_plus_

 起床からそのままの格好で、ベッドに潜りスマホをぼんやり眺めていた。時刻は朝の九時五十二分。未だ開かれていないカーテンからうっすらと白い光が差し込む中、私は熱い体とヒリヒリ痛む喉にうんざりしていた。

連絡しなくちゃ。

 意識を覚醒させてから早三十分。薄く点灯するガラスの画面をようやくタップして、今日の予定を埋め合っていた相手にそれをキャンセルすることを伝えようとする。カツンと当たった指先が、するりと愛しい名前を表示した。


 予定の為に外出の準備をしていた越知のスマホが一度だけぶるりと震えた。デスクの上に放っていたスマホに視線をやりながら締め切っていないシャツのボタンを全てかけ終えて、越知はそれを握る。そこにはこの後会うはずだった彼女からのメッセージが表示されていた。

ごめん、風邪ひいちゃったみたい。今日無理っぽいや。

続けて綴られたごめんという言葉に落胆よりも心配が圧倒的に湧いて、越知は素早く文字を続けた。

おはよう。水分は取ったか?熱はどれくらいだ?

脳髄からそのまま思ったことを打ち終えたあとに、あまりにも矢継ぎ早であったことに越知は少し後悔した。それだけ今言葉を交わしている相手を自分が思っている証拠であることにも気づいて、気恥ずかしさも感じてしまう。

ああ、測ってないや。起きたばっかりで。今測るよ。

自分の感情に少々困っていると、すぐに答えが返ってきた。その言葉に越知は眉を顰める。これは恐らく一人にしてはいけない状態であると、彼の中の勘がぴんと働いた。
 しばらく思案した後に、越知はすっとメッセージを打って鞄を持った。



 少しずつ荒くなってきた呼吸を深めに布団へ潜ることで収めようとしていると、十分ほど時間が経ってからメッセージを受けた音が私の耳に響いた。

今からそちらに行く。

ぼんやりとする視界で捉えたそれに、驚いた気持ちとは裏腹に体は重いまま動かない。どうしよう、こんな格好なのにという気持ちは恐らく伝えたところで、問題ないと今から来るであろう彼に一蹴されるだろう。
 嬉しい気持ちと恥ずかしいという気持ちとない交ぜになっては、私の重たい頭に木霊してより体の熱を上げたようだった。
 その時丁度脇に挟み込んでいた体温計が硬く細い音をあげた。すっと取り上げればそこにある表記は三十八℃五分。ああ、これは本格的に辛いものだ。そこまで考えて、体温計を握る手と私の意識はぱたりと布団に落ちた。



 体躯を揺らす電車を降りて名前の住む家まで行く間に、越知は近くのスーパーで必要になるであろう物を買い揃えた。スポーツドリンク数本、みかん入りのゼリー、のど飴。とにかく思いつく限りで入り用になりそうな物を持って、足早に家を目指した。
 そして歩きながらちらりとメッセージのツリーを見て、ざわつく胸を越知は抑える。向かうことを告げたものに既読がついていたが、そのあとに続く返答がなかった。
 迷惑だったろうか、眠っているのかもしれない、返答もできないほど消耗しているのだとしたら。たくさんの繋がった感情と思いが尚足を速めさせる。慌てたところで自身の歩幅に変わりなどないことは頭ではわかっている。けれどこんなにある歩幅も役に立っている実感が湧かないほど、越知は内心焦っていた。
 名前の家まであと少し。珍しく全てが面倒になって、越知はその長い足で駆け出した。



 がちりと何か金属が打たれる音がして、私はひっそりと目を覚ました。ああ、眠っていたのか。そう理解して目を擦れば、先ほどよりは幾分か気分がましになっていた。しかし体がじんわりとかいた汗で不快だ。
 とりあえず着替えようと布団から足先を出すと、そばに放っていたスマホが長く震える。着信だった。震える画面に表示される名前にそういえばと喉の奥から声が出てしまった。最後に見たメッセージに対して何も返答していないことを思い出したのだ。熱で未だに震える手で応答すれば、スピーカーから聞き馴染んだ低く優しい声が聞こえてきた。

「起きていたか」
「ああ今さっき起きたの。ごめん」
「何がだ」
「その、私、寝ちゃってて」

掠れた声でやり取りしていると、労わるような声音の彼の言葉がじんわりと痛みに沁みた気がする。やはり弱っている時はどこか気が滅入るのだろうか、私は今日初めて体の力が抜けたようだった。

「熱があるのだろう。仕方ない。ああ、それと

続けられる言葉をぼんやり耳にしていると、思い出したように月光が言った。

「今玄関の前に来ている。すまないが開けてもらってもいいだろうか」
「えっ」

スマホを当てたまま玄関の方を見やっても、もちろん当の本人が見えるわけではない。しかし私は慌ててベッドから降りて、玄関へ続く廊下までバタバタと走ってしまった。

「慌てないでくれ」
「で、でも、え、いつから?え、ご、ごめん」
「問題ない。丁度今来たところだ」

嘘だ。先ほどの金属音を思い出して、私は月光が扉の前で逡巡していただろうことに気付いてしまう。彼の優しい嘘に肩を落としながら私は申し訳なさでいっぱいになった。
 付き合い始めてから知ったことが数点あったが、一番驚いたことが彼は自愛のない嘘を容易に吐くことだった。そう、きっと気付かなければ問題ないことばかりで、それは私だけでなく周囲の全ての人にもたらされているであろうこともわかった。最早それは彼の性なのだろう。
 私は急いで自室に戻りチェストのひとつを開きながら月光にひとつ伝えた。

「本当、ありがとう。汗がすごいから、すぐに着替えて開ける。待ってて」
「ああ」

簡単な返事を聞いて、私は通話を切る。そしてなるたけ綺麗な寝間着を選んだ。



 切れた通話画面を見ながら、越知はほっと胸を撫で下ろしていた。とりあえず何か取り返しのつかないことが起きていないと確認できたからだ。
 自分では開けられない扉の前に到着した時はその先にいるだろう名前に電話をすることを躊躇ったが、迎え入れてもらえなければそれこそ役になど立てるはずもないと越知は通話ボタンに指をかけたのだった。二十分ほど考えた後に。
 そして通話が切れてからおよそ五分後に、扉の先から小さな足音と彼女のくぐもった声が微かに聞こえた。

「開けるね」

カチリと回る鍵とドアノブ、手前に押されたその先にいつもより解けた目元をしている名前がいた。赤くなっている頬はまだ熱が下がり切っていないことを教えている。

「辛いところすまないな。勝手にさせてもらうから、布団へ入れ」
「ああ、うん、でも

未だ玄関先で申し訳なさそうにする名前の額をそっと触ってやれば、いつもの彼女よりもだいぶ高い体温が越知の掌に伝わってきた。

「高いな、まだ」

ひんやりとした己のそれに細められた彼女の瞳を見てしまって、越知は慌てて名前の肩をやんわりと押した。自分は彼女を看病しにきたのだからと。



 冷たい掌を額に添えられた時のドキドキを抱えたまま、私は布団に入っていた。彼が用意してくれた濡れたタオルが、先ほどの掌よりも冷たく私の頭を冷やしている。このまま気持ちも落ち着けたらと思っていると、キッチンで何やらしていたらしい月光が買ってきてくれた飲み物を持ってやって来た。

「このまま飲めるか」
「うん、それでいいよ」

優しく問われてからすでに開けられたペットボトルを受け取ってゆっくり一口だけ飲み下せば、相当喉が渇いていたことが自分でもよくわかった。熱だけのせいだろうか。

「ありがとう、すっきりした」
「そのままもう少し休め」
「うん」

今一度ペットボトルを月光に渡して生温い布団に戻れば、前髪からちらりと見えた慈しむような目が私に注がれていることに気付いた。それをこそばゆく感じてふふと小さく笑えば、どうしたとまた優しく彼が聞いてきた。

「ううん。なんかだいぶ元気になったかもなーって」
「油断するな」
「わかってるよ。もう少し寝る」
「そうしてくれ」

また冷たい月光の掌が今度は私の頬に触れて、それを合図に瞼を落とした私は驚くほどすんなり意識を手放した。




 「名前」

呼ばれた名前に気付いてふっと目を開けると、大きな影の月光と、ふわりと炊かれたお米の匂いがした。

おはよう。どれくらい、寝てたかな」
「一時間ほどだろうか」
そっか」

告げられた時間に気の抜けた返事をため息と共にすれば、それにつられてか月光も息を吐いた。だいぶ心配をかけていたようだ。

「大丈夫、朝よりはいいよ、ありがとう」
「ならいい」
「うん」
「腹は減っているか?」
「朝よりはすごく、空腹かも」

自然に聞かれたことに答えれば小さな声で彼が粥を作ったと言ってきて、私は一瞬目を丸くする。

「月光が?」
「ああ」
「なんかありがとう」

そこまでしてくれるとは思っていなかった部分もあって、また気の抜けたようにお礼を言ってしまった。

「食器も勝手にさせてもらった」
「ああ、うん」
「熱いから気を付けろ」

渡されたお粥入りの取り皿とスプーンを受け取ってまじまじとそれを見つめれば、たしかにそれはお粥だった。それが不思議だったのか気恥ずかしかったのか、そばで黙っていた月光がぽつりと言った。

「一人で食べられないか」
「そんなことはないので」
「即答するな」
「え、それはがっかりって意味の返答なの?」
「断じて違うが」
「わかってます。いただきます」

ほんのり茶化しながらも皿に向かって礼を払えば、少し呆れながら月光はキッチンへ戻っていく。その背中を見送りながらひとつ苦笑していると、そばのテーブルに置かれた彼のスマホが点灯したままでいるのに気付いた。

なんだろう。

覗き見はよくないがなんとなく気になってちらりと視線をやれば、そこには検索ボックスにいくつか言葉が打ち込まれていた。

「お粥作り方ご飯

キッチンの彼には聞こえない程度の声で呟きながら、私は冷蔵庫に昨晩の冷ご飯が一杯分だけ余っていたことを思い出す。そして声を出さずに笑ってから今一度目の前のお粥をゆっくりスプーンで掬うと、温かな湯気が立ち上った。
 熱いスプーンの先を冷ましながら口へ含めば、恐らくこの世で一番美味しい味がした。




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「笑うほど美味いか」
「まあね。とっても」
「それはよかった」


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