@uk_plus_
散乱する書籍。大きな棚。背の高い君。両腕の檻。見上げる自分。見下ろす君。お互い放心したまま見つめ合ってしまっていた。
図書室の本棚。高いところにある本を取ろうとしていた私を、通りかかっていた図書委員の越知くんが助けてくれた。たったそれだけのことだったのに、どうしてこんなことになったのだろう。それはきっと抜き取った本に別の本が引っかかったから。書籍の真下にいた私を彼が庇ってくれたから。彼がとても優しい人だったから。
呼吸も止まってしまったのではないかと勘違いしてしまうほどに、私は切迫していた。書籍同士の擦れる音がしたと思えば越知くんが少し慌てて私を抱き寄せ、そして落下音が聞こえてきたのだ。そこで初めて私は守られたことに気付いく。目を瞑ることしかできなかった私はゆっくりと目を開きながら、同級生の名前を静かに呼んだ。
「お、越知くん…」
「すまない。驚かせた」
「ち、違うよ!越知くんは大丈夫なの―」
すると全く自愛のない言葉が聞こえてきて私は弾かれたように声をあげた。そして目に飛び込んだ光景に、言葉が喉の奥に引っ込んでしまう。視界に広がる男子生徒の白いシャツと赤いタイ。それは呼吸を伴って静かに上下していて。圧倒的に広い胸を知覚してしまうと、嗅覚が一気に押し寄せた。清涼な香りの奥から、女友達とは違う微香を感じて一寸目が眩んだ気がする。
ひとつひとつをゆっくりと認知して、私は頭上にある彼の顔を見上げた。端整な顎のラインから流れるように唇と鼻筋が見えた時、くっきりとした眼光を私は見つめてしまった。かちりと合ってしまった瞳に、越知くんが息を飲むのがわかった。シャツから伸びる彼の、案外と逞しい首筋で喉仏が動いたからだ。
認めていく全てが、自分とは違う性の存在を知らしめては私の心音を早めていく。そしてそれはどうやら対峙する彼も同じようだった。私を抱き寄せている解かれない大きな両の腕に、ゆっくり力が入っていたから。
倍は大きな越知くんの背がほんの少しだけ屈めらるように動く。それは一種の合図であり、そしてその意味を理解しないほど私は幼くない。見上げている顔を誘われるようにもう少し持ち上げて、私は一寸だけつま先で立つ。二つの視線が混ざって、鼻先が触れそうになった時だ。鮮烈な音で予鈴が鳴った。昼休みはあと十分で終わってしまう。
「ご、ごめん」
「―いや」
どちらからともなく体を離して、気まずさで顔を逸らした。
―私は、私たちは今何を…。
熱くなる顔面を両手で鎮めていると、本を拾っている越知くんが視界に見えた。私は慌ててそばに寄り一緒に拾い始める。
「越知くん、色々ありがとう」
「…いや、さして問題ない。こちらも、時間を取らせてすまない」
「う、ううん」
散らばった本を片付けながら越知くんの表情を盗み見るも、彼の顔色は特別変わっている様子はなかった。自分だけがざわついているのかと思うと、なんだか寂しく感じた。
//////////////////////////////////////////////////
「それじゃあ越知くん、ありがとう」
「ああ」
別れ際に見た彼女のまだ少し赤い頬が、越知の何処かに深く突き刺さる。
貸出カウンターの方へ足早に戻ると、机上を綺麗にしていたらしい同学年の図書委員が越知を見てああと声をかけた。
「越知、遅いって。授業間に合わないかもよ~」
「すまない」
「俺先行くけど?」
「構わない」
彼はそうぼやきながら戻ってきた越知より先に図書室を出た。自分も早く教室に戻ろう。わずかに残っていた庶務を簡単に済ませて、越知も図書室を後にした。
図書室から教室までの道、越知は先ほど起きた鮮明な時間を反芻していた。
女子生徒。
散らばる本。
抱き寄せてしまった小さな体。
温かく柔らかな体温。
初めて近くに感じる繊細な存在。
甘い香り。
咄嗟にしてしまったことだった。眼前より少し上の書籍が落ちると思った時には、咄嗟に自分より真下にいる彼女を庇わなくてはと体が動いていた。問題はそのあとだった。腕の中の彼女がぴくりと体を震わせた時、越知は自分がしてしまったことに気付いたのだ。本当ならすぐにでも謝罪をしてその腕を解くつもりだった。しかしそれは彼女が越知を見上げたことで、叶わなかったのだ。
初めて得てしまった感覚に越知は当惑していた。
―あのあと自分は、彼女に何を…。
一歩一歩教室へと近づいて行くが、一向に答えは出てこない。ただ理解できたのは、彼女の目から視線が逸らせずに体と同じように柔らかそうな、あの唇に触れようとしていた自分がいたということだ。
―…何を、なんてことをしてしまったんだろう。
しかし越知にとって幸いなこともあった。彼女とはクラスメイトだったが、部活をしている自分とはスケジュールがほぼ合わない。彼女が図書室を利用しない限りは二人きりになることもない。例え彼女がここへ来たとして今日のようなことは自然には起こり得ないだろう。
―このまま、このままでいいのだろうか。
悶々と考えたまま越知は教室のドアをがらりと開ける。丁度本鈴が廊下に鳴り響いた頃合だった。