観柳編。剣+薫
御庭番衆が神谷道場を襲撃した翌朝の剣心と薫ちゃんの会話。
剣心にお願いされなくても、きっと薫ちゃんは恵さんを留めたと思うんだなぁ。
@tachik_k
恵の処方した解毒剤が効いたらしく、毒を受けた弥彦の容態は夜が更ける頃にはだいぶ安定していた。
しかし、そう簡単に意識が戻るはずがなく――そんな弥彦の寝ずの世話をかって出たのは薫だった。
自分がいちばん何もしていないからと、寝るように言う剣心の勧めを断って、弥彦の枕元にいると言い張った。
普段、ケンカばかりしている二人だが、薫が弥彦のことを大切に思っていることは知っている。近しい分、目を覚まさない弥彦の様子に、薫が心を痛めているのは違いない。
無理はしないようにと言い含めて、左之助や恵と共に弥彦の部屋を後にしたのが数刻前。
翌朝、陽が昇り始める直前になって、剣心は再び弥彦が眠る部屋を訪れた。
「薫殿」
「……剣心?」
障子越しに呼びかけると、間を置かずに返ってくる小さな声。
「開けてもかまわぬでござるか」
「うん、いいわよ」
多少の疲れは混じっているものの、思ったよりしっかりした声に内心ほっとしつつ、剣心はすらりと障子を開けた。
ほの暗い部屋の中にささやかに差し込む、明け方の薄い太陽の光。
その光の中、弥彦の枕元に座る薫の姿を認めて、剣心は穏やかに微笑んだ。
「おはようでござる、薫殿」
「おはよう、剣心」
まだ朝早い時間であること、何より未だ意識の戻らない弥彦をおもんばかって、常よりも小さな声で薫に告げる。薫もささやくような声で剣心に応えた。
「弥彦の様子はどうでござるか」
「落ち着いてるわ。呼吸も静かだし、熱もずいぶん下がったし……後で恵さんに診てもらわないと分からないけど、もう大丈夫じゃないかしら」
「そうでござるか」
弥彦に注がれる薫の視線には、慈愛と優しさが溢れている。普段、弥彦にガサツと言われている薫の、紛れもない一面。
そして、彼女が何気なく使った「恵に診てもらう」と言う言葉に、剣心は内心で微笑んだ。
薫はなんだかんだと言っても恵を信用している。弥彦を救ったのが紛れもなく恵の腕だったからと言うことはもちろん、薫の懐の深さもあるのだろう。
「薫殿」
改めて呼びかけると、薫は大きな瞳が不思議そうに瞬かせながら首を傾げた。
その仕草のあどけなさに、剣心の胸がわずかに疼く。
「拙者、今から朝餉の支度をする故、もう少し弥彦を頼めるか。朝餉を食べたら拙者が代わろう」
「でも」
「容態は安定しているのでござろう。薫殿は一晩寝てないのだから、少し休んだ方がいい」
実のところ寝ていないのは自分も同じだが、それは言わない。
そもそも一晩付きっきりで弥彦の様子を看ていた薫とは違うし、自分にとって一晩くらいの徹夜など徹夜の内にも入らない。
薫は少しの間悩むように視線をさ迷わせたが、やがてにっこりと微笑んだ。
「ありがと、剣心。じゃあ、お言葉に甘えてもいい?」
先程のあどけなさとは一転して、年相応よりもどこか大人びた薫の笑顔に、剣心は深く頷いた。
「ああ、もちろんでござる。……弥彦は朝餉の前に恵殿に診てもらうのでいいでござるか」
「……そうね。まだお日様も昇りきってないし……それでいいんじゃないかしら」
たとえ恵が寝ていなかったとしても、弥彦の容態が安定している今、無理に呼んでくることもないだろう。
「では、朝餉ができたら呼びにくるでござるから」
「うん。お願いね、剣心」
「承知した。――それから、薫殿」
厨に向かう前に、薫に言っておかなければならないことがあった。
「なぁに?」
「昨夜は、勝手に事を進めてしまってすまない」
ぱちくりと薫が大きく目を瞬かせる。何を言っているか分からないと言いいたげな様子は、予想通りと言えば予想通りだった。
とは言え、本当にこの娘は。
思わず漏れそうになったため息を、喉の奥に押し込める。
その代わり、彼は申し訳なさそうに眉を下げた。
「壁も壊してしまったでござるし」
そこに至ってようやく、剣心が何を言いたいのか思いついたらしい。ああ、と首を縦に振った薫は、しかしすぐにその眉をつり上げた。見上げてくる視線の強さは、まるで睨まれているかのよう。
……まるで、ではないかもしれないが。
「別に剣心のせいじゃないでしょ」
薫の言葉がどこか固く聞こえたのは、きっと聞き間違いではないのだろう。
――実際、薫が多少なりとも腹を立てていたのは事実だ。
それも黒幕らしい武田観柳と言う男や、ワケアリの恵ではなく、目の前ですまなそうな顔をする剣心に対して。
屋敷の外壁を壊したのは襲ってきた御庭番衆とやらであって、けっして剣心のせいではない。
何より、昨夜も数日前にしても、剣心の「恵を神谷道場に留まらせてもいいか」と言う問いに頷いたのは、他の誰でもない薫だ。
だから剣心が気に病む必要はまったくない。それなのに剣心ときたら、まるで自分ばかりが悪いように言う。
胸の奥のモヤモヤを持て余して、薫はぷいっと頬を膨らませた。剣心の他人行儀さが悔しい。
「私だって困ってる人を追い出すようなマネなんてしないわよ」
「そうか。そうでござるな。……すまない、薫殿」
「もう、また謝ってる!」
ますます薫の頬が膨らむ。
剣心は曖昧に微笑んだ。
――やはり、薫は人並みはずれたお人好しだと思ったのは黙っておく。
それを言えば、彼女がさらに機嫌を損ねるのは分かり切っていたから、笑う以外に方法がなかった。
恵を連れ帰った日はともかく、昨夜に関しては、きっと薫は頷くだろうと思っていた。彼女は恵のような境遇の相手を放り出せる性格ではない。
それは自分が身を持って知っている。
ただ、まるで彼女の人の良さを利用したようになってしまったことに、なんとも言えない後ろめたさも感じていた。
だから――――
――薫殿は拙者が必ず守る。
恵を連れて帰った翌日に薫に告げた言葉。
気づかれぬようにひっそりと、剣心は自嘲に唇を歪めた。
そう。
だからせめて、薫を安心させなければ――――と。
そう考えてしまう自分は、きっとずるい人間だ。
つん、とわざとらしく不機嫌を表していた薫が、ちらりと伺うように剣心を見やった。
ぶつかった視線はすぐにそらされてしまったが、代わりに言葉が投げかけられる。
「それに」
「それに、なんでござるか」
少しだけ柔らかくなった薫の声。
「……私のことは、剣心が守ってくれるんでしょ」
「……」
どこかすねたような口調は、きっとまた照れているから。
目を丸くした剣心は、やがて、いつもの穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「もちろんでござる」
自分のずるさは分かっている。
それでも――どんな理由であろうと、薫は自分を信じてくれている。
その事実が嬉しかった。
朝餉の支度をするからと、剣心は厨へと下がっていった。
再び弥彦と二人きりになった部屋の中、薫はそっと息をついて少年の顔を見下ろす。
障子越しでも徐々に明るくなり始めた室内は、行灯の灯りがなくても弥彦の顔をはっきりと捉えることができた。
昨夜――毒を受けた直後は苦悶に歪んでいた顔も、今ではすっかり穏やかになっている。
よかった。この様子なら起きあがることはできなくても、今日中には目を覚ますだろう。
胸の内に訪れた安堵は、他のことを考えるだけの余裕も薫に連れてきた。
先ほどの剣心の様子を思い出す。
「すまない」と眉を下げて困ったような顔をしていた剣心。
本当に剣心はずるい。なんでもかんでも自分のせいにしてしまう。
恵を屋敷に留めたのは、薫自身が選んだことでもあるのに。
思い出せば偽抜刀斎事件の際、喜兵衛の素性は聞いていないと答えた薫に、剣心は「のんきでござるなぁ」とあきれた顔をしていたっけ。
そう言われても仕方がないところは、確かにある。実際、喜兵衛の時も今回も騒動に巻き込まれているのは間違いない。
でも。
「……でも、ほっとけないじゃない」
小さな呟きが、朝の薄ぼんやりとした部屋に落ちる。
昨夜目にした、恵の寂しそうな表情。
その表情が「拙者はよした方がいい」と困ったように笑った剣心に重なって見えた。
自分よりずっと年上なのに、まるで迷子の幼子のようで――剣心に言われなくても、自分は恵に屋敷に留まるように勧めただろう。
――剣心が人助けを止めないように、自分も困っている相手を放り出すなどできそうにない。それが手の届く範囲にいる相手であるのなら、なおさら。
のんきだと言われようがなんだろうが、それが『神谷薫』だ。
覚悟を決めるように再び深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
弥彦の額に乗せていたぬるくなった手ぬぐいを替えながら、薫は心に誓った。
とりあえず――――
この騒動が終わったら、壊れた壁の修理代を武田観柳にキッチリ請求しけなければ、と。
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