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なにも知らない4

全体公開 1 3 5814文字
2021-10-16 00:33:47

△関係

名前変換
Posted by @uk_plus_



 「うわ、すごい時間」

湿った夏の空気は気付けばカラリとした秋風に変わった頃。学校では文化祭の準備が始まっており、帰宅部の名前も有り余る放課後を利用してクラス内の準備に貢献していた。
 没頭していた作業から視線を教室内の時計に移すと、高校生活で過ごしたことのない時間帯を針が指していた。名前はそれに驚愕しながら手元の作業を中断し片付けを始め、周囲を見回してみた。どうやら皆各々片付けを始めていたようで、友人に別れを告げて教室を出る者もちらほら見かけた。

 「名前一緒に帰ろうよ」
「ああ、うん!今片付けちゃうね!」

すると一人の友人が声をかけてきたので、名前はいそいそと鞄に帰り支度を始める。しかしその時、ノートの束に隠れて図書室への返却日が今日になっている書籍があることに彼女は気付いてしまった。

いけない

もう一度時計を見上げてからまだ図書室が開いていることを確認し、名前は友人に先に帰ってくれと断りを入れて急いで教室を出た。




 「よ、よかった、開いてる」

なるべく廊下を走ってしまわないように気をつけながら辿り着いた図書室前で、名前はぜいぜいと肩で息をする。まだ明かりがつく図書室へふらふらと入ろうとした時、後ろから白く大きな手がにゅっと伸びて名前が腕に抱く本をひょいと取った。

「ひょっ!?」
「っ!?」

不明瞭な悲鳴を上げた名前の頭上から同じくらい声になっていない悲鳴が聞こえたと同時に、がつんという鈍い音がした。

「えっえ、越知くん!?」

ドキドキとまだ落ち着かない胸を押さえながら名前がゆっくり後ろを向くと、そこには片手で額を覆い沈黙している越知がいた。先ほどの音と彼の頭上にあるドアの上枠に合点がいって、名前はさっと青ざめる。

「や、え、越知くん、だいじょ、え、大丈夫!?じゃないよね!?医務室、医務室行こう!?まだ開いてる、開いてると思うから!」

早口にまくし立てて最早名前自身何を言っているのかよくわかっていなかったが、目の前で未だ立ち尽くしていた越知がゆっくりと先ほどの本を彼女の前に差し出してきたので口を止めた。

「いや、俺が悪かった。返却だったんだろう」

痛かったとも言わずに越知は申し訳ないと詫びてきたので、名前は差し出された本を急いで受け取ってひとつ頷いた。

「ありがとうね、越知くん」
「いや
「すぐ返してくるから、その、待ってて!」

越知に背を向けて、名前は勢いよく図書室のカウンターへと向かった。



///////////////////



 早急に本を返却した名前が図書室の入り口で突っ立ったままの越知を引っ張り、医務室へと向かったのは数分前のことだ。しかし放課後から刻限が経った医務室には明かりが灯っておらず、二人はそのまま昇降口へ向かっていた。

「ごめんね、越知くん

眉を下げて悲しそうにする彼女に見上げられて、そんな顔もするのかと越知は不思議な気持ちになる。

慣れている」
「慣れちゃだめだよ!?」

そんな彼女に対しいつもと変わりないトーンで返答すると、名前はまた驚いた時のような声を上げた。大声出した私が悪いんだけど、と肩を落とす彼女が面白くて越知は柄にもなくくすりと小さく笑ってしまった。

「わ、笑ってる?」
「ああ、いや、その」

あまり慣れない表情を見られてしまった気恥ずかしさでうろたえていると、今度は逆に彼女がくすくすと笑いながら越知にゆったりと話し出した。その表情はいつもの通りに朗らかだ。

「でも、ありがとう、越知くん」
「何がだ」
「だって、本、代わりに戻してくれようとしたんでしょ?」

どのみち図書委員だしとか言ってさ、と一つ笑った名前の唇に目が行ってしまい、越知は自分の口元を手で隠して彼女から目を逸らした。

「せめて、声をかければよかったな」
「まあそれはそうだね」

現れそうになった感情を濁すように越知が言葉を出せば、隣の彼女は同意と苦笑を漏らした。


 昇降口はだいぶ人が疎らになっていた。いくら文化祭の準備期間とはいえ、それであっても遅すぎる時刻になっていたらしい。

「もう遅い。家まで送っていこう」
「え、でも私の家、越知くんの家よりも先だし

当たり前のように越知がそう言えば彼女は申し訳なさそうに言葉尻をしぼませていったが、それを完全に封じるように越知は更に付け加える。

「距離にさして問題はない」

そう言い切ってしまえば、名前は遠慮がちにそれならと頷いた。ちらりと見えた頬はまたいつぞやの様に薄く赤い色になっている。そんな彼女を眺めながら越知は目を細めた。


 夜の時刻にしては急な雨だった。秋雨の割りに雨量と強さのあるそれは、体格差のある二人を平等に打ち付ける。名前の家までの帰り道、越知の家まであと少しのところで急に降った雨だった。
 クローズとプレートがかかった花屋の軒先テントの下に駆け込み、テントから少しだけ顔を出して越知と名前は黒い曇天を見上げた。

「あちゃ~急に降ってきたね」
「ずっとは続かないだろうが

濡れた前髪を手で軽く払いながら越知は名前の方を見たが、すぐに後悔して視線を元に戻す。自分と同じように濡れたシャツ越しに、いつもは見えないインナーと彼女の柔肌が薄っすらと浮き出ていたからだ。飛び跳ねた心音を一旦収めながら、越知はしまってあったカーディガンを鞄から取り出し顔を向けずに名前に差し出した。

「苗字、着ておけ」
「え、あっ……ありがとう」

何も言わずとも越知の言いたいことを察したのか、不思議そうな声音の名前は小さな声で礼を言った。そしておずおずとカーディガンを受け取ったようだったが、すぐに着ることを躊躇っているようであった。

「ぬ、濡れちゃうけど」
「構わない。着てくれ」
うん、わかった」

今の越知にとっては、名前の姿は目の毒にしかならなかった。自分でもわからない感情と下腹部を中心に這い回る感覚が越知を襲ってくる。大事そうにカーディガンの袖に腕を通す彼女をちらりと見れば、だいぶ大きなそれに身を包まれた姿が目に入る。隠してしまえば落ち着くかと思われた心頭は越知の思惑通りにはならず、また視線を空へとやることになってしまった。

「どう、しよっか」

ざあざあと叩きつけられる音から隔離されたように、名前の言葉がぽつりと二人の間に浮いた。連続的な音と暗がりが、あの日のフラッシュバックを越知にもたらす。だからこそ今自分が言おうとした言葉を越知は一旦呑み込んだが、ずぶ濡れの彼女を見ては放っておくことができず、ゆっくりと言った。

「このまま俺の家に寄るといい」

見ずとも隣の彼女がとても驚いていることが気配でわかり、越知は更に言葉を付け加える。曇天を眺めたままに。

「そのままでは風邪を引く。場所は近い、せめて拭いて乾かしていくんだ」

返答がない。流石に嫌な思いをさせてしまったろうか。そう思って今一度名前に視線を移せば、項垂れたように自身のつま先を見つめている。そして小さく小さく呟いた。

……わかった」



///////////



 明るい玄関は静かで、二人分の衣擦れとずぶ濡れた靴の音だけがした。

 「お、お邪魔します

自宅の玄関を開き彼女を招き入れ、越知はすぐに靴を脱いで風呂場にあるバスタオルを取りに行った。今起きている状況に内心はざわついているが、とにかく今は彼女に風邪を引かせないために動こうと越知は気持ちを律する。

「これを使え」
「う、うん、ありがとう」
「拭けたなら、上がってきてくれ」

未だ玄関に立ち尽くしたまま申し訳なさそうな顔をする彼女の頭にふんわりとバスタオルをかけてそう言えば、ようやく名前はホッとしたように笑った。その表情を見て、越知も胸を撫で下ろす。

 急なことを言って困らせてしまっていただろうと越知は心配したのだ。こんな遅くに自宅に招いてしまったことを。

「あ、あの、ご両親いるよね?こんなだけど一応挨拶させて?」
「ああ

そう言われて越知ははっとしてしまう。今日はどちらも不在の日であることを思い出したのだ。母は遅く帰宅するだろうが、父に至っては泊まりであった。

「今日は、二人とも、遅いな」
「えっあ、そう、なんだ」

ぴりっとした空気が、また二人の間に戻ってきた。それは家に誘った時と同じ空気感。

気にしなくていい」
「そ、っか」

雨で濡れてしまった髪をタオルで拭いながら、彼女が気まずそうに言う。越知も逡巡したが、とにかく今は彼女を風呂場に案内するべく着いてくるように促した。

 「制服を乾かしておく、ここに置いておいてくれ」

簡単に脱衣場の説明をして自分はリビングにいると伝え出ようとすると、名前の少し困惑した声が越知の背中を止める。

「あ、あの」
「どうした」
「し、下着どうしよう」

失念していた。今彼女が風呂場で体を温めるのなら、それを乾燥機に入れるのは男である越知自身しかいない。彼女が躊躇いがちに聞いてくるのも無理はなかった。

……制服の間にでも、入れておいてくれ」

見えないよう気をつける、と付け足して越知は彼女の方を見ずにリビングへと向かった。

 濡れた衣服を全て脱ぎ去り楽な私服に着替えてから、廊下などの水滴を拭き取り越知は今一度脱衣場へと向かった。
 シャワー音のする脱衣場へは入室が憚られたが、己の制服と共に彼女の制服も乾燥機へ入れてしまわねばならない。そっとドアを開けてから彼女に指示した場所を見ると、濡れているがやんわりと畳まれた制服が置いてあった。抱いた男物の制服と彼女の制服との差異に驚きながら、越知はドラム式の乾燥機に全てを一緒に放った。なるべく畳まれたその中を見ないように。

 またリビングに戻り、越知は彼女に出すための温かい麦茶を用意していた。ぼんやりとした思考でいると手元が雑になるようで、用意した二つのマグカップを二度ほどガチリとぶつけてしまう。自分ひとりだけの静かなリビングに響く陶器の音で、越知ははっとした。

何を考えている。

また煩雑になってきた脳内に頭を振って零に戻す。それを何度か繰り返していた時、脱衣場から風呂の扉が開く音がした。
 越知は脱衣場の扉に近づきながらそっと声をかけた。

「バスタオルは置いてあるのを使ってくれ」
「うん」
「着替えを

そこまで言ってそこに着替えを用意していなかったことを思い出し、越知は彼女に待つように言ってすぐ自室へと向かった。

 男物ばかりが並ぶチェストの中を見ながら、越知は逡巡する。自分の物では明らかに大きすぎるからだ。少し奥の方を見て、小さい頃に身に着けていたものがないか引っ張り出し丁度いいものを選んだ。
 自室から出て、今一度彼女がいるドア越しに越知は声をかける。

「待たせた。乾くまでこれで過ごしてくれ。それから

着替えの中に明らかに足りないものがあったが、それをどうにかする術は越知には考え付かなかった。自分だけならば替えがきくがそもそも一男である自分しかいないこの家では、そういったものは母の物しかもちろんなかった。それについて口ごもった越知の声音に、何か気付いたように彼女が苦笑をしてドア越しに言った。

「大丈夫だよ、あと少しの間だと思うし。なんかごめんね」

努めて明るく言ってくれたのだろう言葉に対し、越知はすまないと詫びた。そして少し開いた扉から衣服を持つ手を差し入れると、ちらりと細い手がそれを受け取るのが見える。そこからふわりと香った日頃と同じはずの石鹸の微香が、何故だか深く越知の嗅覚を刺激した。自室にいると伝えてから逃げるように扉を閉めて、越知はリビングに置いた二つ分のマグカップを持って部屋へ向かった。

 自室で落ち着いていると廊下の方から逡巡しているらしい足音が聞こえてきた。部屋のドアから顔を出して越知は彼女に声をかける。

「こっちだ」
「ああ、うん」

緩い衣服に身を包む名前を視認してしまい越知は再び動揺する。日頃はあまり見えない首筋とその下にくる鎖骨が、片側だけはっきりと見えている。躊躇いがちに部屋に寄って来た彼女を平静を装って招き入れ、越知は名前の鞄を差し出した。

「簡単に拭いただけだが」
「あ!ありがとう。全部させちゃってごめんね」
「構わない」

鞄を受け取り中身を確認する彼女へローテーブルに置いたマグカップを促せば、また朗らかに笑ってゆっくりそれに口をつけてくれた。その様子を見てから越知も同じように温かい飲み物を口へ入れれば、先ほどからずっと落ち着かない腹の奥が少し静まったようだった。

「あ、そういえば」
「どうした?」
「越知くん、おでこは?」

一息ついていたかと思えば、飛び上がるように名前は越知に尋ねた。一方の越知はといえば、そんなことは忘れていたくらいだ。

「別段、問題はない」
「本当?腫れたりしてない?」

自身の額に触れながらそう答えても、彼女は未だに心配そうな顔をしている。その頬が湯上りでいつもより緻密さを増して、越知の眼前にあることに少し眩暈を覚えた。

平気だ。だから心配しなくていい」

言い聞かせるようになるべく柔らかく言えば、綻ばせて名前が笑った。そっか、と。その認知してしまった笑顔といつも見る彼女とは違う様相に、収めていたはずの心音が急に越知の四肢全てに響き渡った。




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