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結婚前夜

全体公開 2133文字
2021-10-23 20:30:25
Posted by @uk_plus_



 私、お嫁に行きます。そんな歌があったような気がする。いいえ、私は明日、本当にお嫁に行きます。弦一郎の、お嫁さんになるんです。




 「明日から名前は真田姓か」
「そういう言い方やめてよ、なんか違うよ」

冷やかすように言う蓮二にげんなりしながら、私は梅酒のソーダ割を一口飲んだ。梅の香りと炭酸が喉を駆け抜ける。
がやがやとうるさい花金の居酒屋は、湿っぽいかもしれない話をするにはある意味うってつけだ。いや、特に湿っぽくなることはないのだけれど。

私は弦一郎に、友達と飲みに行くと伝えて、こうして居酒屋で蓮二と飲んでいるのだから。

「いや、長い付き合いの二人がついに結婚すると思うと、な」

悪いと言いながらも上機嫌らしい蓮二は、全く悪いと思っていないようだった。どこかいつもより酔っているようにも感じた。

「ついに、なのかな」
「ついに、だよ」

弦一郎とは中学からの友人だったが、実際付き合いだしたのは大学生の終わり頃からだ。それも弦一郎からの告白で。どうやらずっと私を思っていてくれたらしかった。

「本当に大変だったんだぞ、弦一郎に告白させるのは」

骨が折れた、そう言いながら笑う蓮二に、私は苦笑した。

「その話何度目なの」
「何度だってしてやるさ、墓場までな」
「弦一郎、可哀想に」
「それくらい俺は尽力したつもりだが?」

尽力したついでにたこわさを頼むと言い出して、蓮二はそばのメニューをさらりと広げた。

そう、たしかに蓮二は弦一郎と私をくっつけるのに尽力してくれたらしい。前に弦一郎本人から少し聞いたことがあった。なかなかデートに誘わない彼に、それなら自分が誘ってデートをすると蓮二が脅したこともあったらしい。

「あー恐い恐い」
「ん?何がだ?」

思わず口から飛び出た感想に、蓮二が反応をしてしまった。

「なんでもないよ」
「恐いのか?たこわさが?」
「蓮二、あんた酔ってるでしょ」
「酔ってなどいないさ」

そう言ってメニューを戻した彼の手が傍にあったグラスに当たって、まだ少し残っていた中身をこぼしてしまった。カチャリと少し大きめな音を立てたグラスと、テーブルに広がっていく飲み物に、私は慌てて手元のおしぼりを当てた。

「あーあーもー何やってんの蓮二」
……
「蓮二、もうお店出よう?」
……
「蓮二?」

意外と大きかった音に驚いたのか、蓮二は俯いたまま動かなかった。

……蓮二、出よっか」

さするように彼の肩に手を置くと、蓮二はゆるりと頷いた。私は軽くテーブルを拭いて、店員に声をかけた。

 立て付けの悪い居酒屋の引き戸を閉めて退店する。私は未だに黙ったままの蓮二の背中に軽く手を当てた。

「蓮二、大丈夫?」
……
「タクシー呼ぼうか?」
……
「水でも買ってくる?」

あ、出る前にお水もらえばよかったかな、なんて独り言を続けていると不意に蓮二が口を開いた。

「名前」
「なに?」
「ずっとお前は、俺の名前を呼んでいるな」
「当たり前だよ!だって急に静かになるんだもの」

何かあったか心配になるよ、と少し不貞腐れたみたいに私は言った。すると蓮二は小さく笑った。

「これから名前を呼んでくれることも、なくなるか」
「なんでよ。なくならないよ」
「なくなる。いや、無くなったほうがいい」
「れん

蓮二どうしたの

その言葉は蓮二の唇に飲み込まれた。ふっと触れた一瞬は、やんわりと私を傷つけた。

……蓮二」
「どうして弦一郎に、友人と飲みに行くと言ったんだ。どうして俺と飲みに行くと言わなかった」
「それは
「あいつが告白するよりも先に、俺がお前に触れたからか」
……

思い出すことは、弦一郎が私に告白するよりもずっと前のこと。大学からの帰り道。並んで歩く私と蓮二。
二人で何気ない話をしていた。弦一郎の話題も出た。ふとした瞬間だった。さっきみたいに。蓮二は私にキスをしたんだ。そして今みたいに、はぐらかして話題を変えて何もなかったような顔をしたんだ。

「何も、言わなかったじゃない」
「そうだな」
「今だって、何も言わないじゃない」
「そうだな」

弦一郎は言ってくれた。好きだと、一緒にいてくれと、言ってくれた。

あの時なら、あの時ならまだ

「蓮二がいいって、言えたかもしれないのに」

言う隙すら与えてくれなかったのに。

「それなのに、選ばなかったって、責めるつもりなの?」
「すまない」
「謝らないでよ……今更」

謝られても過ぎた時間は戻らないんだ。掻き抱いた、金曜日に疲れたスーツには、蓮二の匂いが詰まっていた。私より大きな体が、震えながら、そして遠慮がちに私の肩を抱いた。

 私は明日、お嫁に行きます。弦一郎の、お嫁さんになるんです。臆病な彼を心の中に秘めながら。


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