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忍者同好会小話まとめ -忍者と愛に導かれ

全体公開 14 19130文字
2021-11-16 19:49:49

忍者同好会のSSです。全話こちらのシリーズ(https://privatter.net/p/8170738)と同軸です。恋愛感情はありません。[最終更新 / 2022.3.5]

新しく追加したものは “NEW!” が付いてます。

2≫ 彼のあおいろ
マヨイの瞳の色について考える忍くんのお話

3≫ 捕らえるならば
学院の廊下で海洋生物部の部室を見かけたふたりのお話

4≫ にこにこ、にんにん!
てとくん視点のふたりのお話

5≫ 雨降りの特権
雨の下校時、傘を持ってきていたマヨイだが……

6≫ 猫と変態に愛されし忍者 〜放課後の愛憎劇〜
222記念のにんにんにゃんにゃん話

7≫ 宝物がこうしてまたひとつ、
忍くんが四つ葉のクローバーをプレゼントするお話

8≫ 忍法・暖をわけあうの術 NEW!
年の瀬の部活中、お片付けの依頼をこなすふたりのお話




彼のあおいろ



 さんさんと降り注ぐお日様の光に一瞬、忍は頭がくらりとした。インドア派の忍者ゆえ、突然浴びせられる眩しさにはついつい怯んでしまう。本日の忍者同好会目安箱への依頼は『グラウンドと庭園の掃除をして欲しい』というものが1件。さっそくマヨイとふたりで、未だ残暑の厳しい外へと出ていったところだった。
 忍以上に外へ出ることに抵抗のあるマヨイは大丈夫だろうか。声を掛けるべく振り返る。マヨイは思った通りげんなりとした様子で外の、主に太陽のほうへと恨みがましい視線を向けていた。その瞳の色に思わず息を呑む。

 透きとおった青色が陽の光を受けて、いつもよりいっそう澄んで見えた。目を眇めているせいできらきら輝くとまではいかない、控えめな青い煌めき。
 艶めく睫毛が簾となって影をなし、それでも遮れない光だけがその瞳に映り込み、マヨイの青をよりいっそう美しく魅せていた。CMなんかでよく見るような綺麗な海のエメラルドグリーンとも違う。あの青よりはもう少し空の青に近い。けれど空よりもっと深く、緑に寄った青色なのだ。

 海でもなく空でもない、それならば――と忍は考えて、これだ、とひとり納得した。前に見た忍者特撮番組に出てきた獲物の宝石。暗い洞窟で人知れず静かに佇んでいたあの宝石のような、慎ましやかなあおなのだ。
 いつもは光の当たらない場所に潜み、その青色本来の美しさは形を潜めている。けれど表に出て光を浴びた瞬間、マヨイの青の美しさは姿を変え輝き出す。「こんなに綺麗な色だったんだ」と、みんなが気づいて惹き込まれる。そんなマヨイの佇まいそのものにもマヨイの瞳の青色は近いのだと思った。

 闇の中で密やかに生きる緑青が、光を浴びて輝きを得ると鮮やかなターコイズに――ALKALOIDの色に変わる。マヨイらしい不思議なあおいろ。変化の術の使い手みたいでかっこいい。すごく、すごく忍者っぽい。

「あうぅ……やっぱり外は眩しすぎますぅ……太陽なんて滅んでしまえばいいのにぃい……

 頭上から、呪詛でも唱えんばかりのマヨイの忌々しげな呟きが耳に届いてきた。
 いつの間にかマヨイは太陽から顔を背けるように俯いていた。その瞳の青も、忍の見慣れたあおいろに戻っている。一瞬だけ見られた光の中のマヨイの青。そんな貴重なところもあの青いお宝みたいだと、忍は「にひひ」とこっそり笑った。



捕らえるならば



 学院の廊下でマヨイは不思議な光景に出くわした。
 半開きになっている扉。その奥の真っ暗な空間に青い光が浮かんでいる。確かここは海洋生物部の部室だ。五奇人のひとりのテリトリーだった場所。去年まで学院へこっそり忍び込んでいたときにスルーしていた部屋のひとつでもある。人もほとんど訪れないし、マヨイの興味の範囲からは外れていた特殊な部屋だ。そもそも『あの』五奇人に関連する場所など、畏れ多くて近づけなかった。

 だから、こうして中の様子を見たのはこれが初めてだ。想像していたものとはかけ離れた、学校の教室とは思えない不思議な雰囲気を醸すその室内。思わず通りすがりに目で追ってしまった。

「あっ、海洋生物部も今日は活動日なんでござろうか」

 マヨイの横で、忍が弾んだ声を上げた。同じく歩きながら遠慮がちに覗き込み、そのまま通り過ぎていく。

「ちっちゃい水族館みたいでござるよね! 拙者もたまにお邪魔させてもらうけど、いろんな海の生き物がいて見てて楽しいでござる!」
「なるほど、水族館というものはあんな感じなんですねぇ」

 水族館、アクアリウム。地下でひっそり生きてきたマヨイは行ったことなどない。
 水の世界で暮らす生き物を陸地で眺めるために生捕りにし、透明な箱に閉じ込め欲望の赴くままに鑑賞する――そんな発想に親近感を覚え調べたことはあるけれど、マヨイの嗜好とは少し外れていたからその程度の知識で止まっている。
 どうせ閉じ込めるなら、水の世界の生き物じゃなく――

「マヨイ殿は水族館って興味あるでござるか?」

 忍の無邪気な声に振り向く。向けられる他意のない無垢な瞳に思わず頬がゆるんだ。

「はい。あんな堅牢な箱まで用意してじっくり眺めつつ付きっきりでお世話するなんて、私も真似してみたいなぁって昔からずうっと思っていました……ふふふ」
「あはは、あんな大掛かりなのはちょっと厳しそうでござるけど……もっと手頃なのだったらきっとマヨイ殿も用意できるでござるよ!」
「そうですねぇ、確かにやろうと思えば……ですがやっぱり私のポリシーに反しますし、妄想内で留めて楽しむことにします♪」
「ふふ、マヨイ殿は生き物にもやさしいんでござるね」

 あっ、次の任務はここの荷物の配送でござるな! と、忍は廊下の隅に置かれた段ボールを見つけ駆けて行った。マヨイも足取り軽やかに、その小さな背中とまるい頭を追いかける。

 今はこうやって一番近くから眺めてお世話することができるから。マヨイにはあんな堅牢な檻なんて必要がないのだ。



にこにこ、にんにん!



 とある秋の日の放課後。学院の昇降口を出た鉄虎へ、ひゅうと清々しい風が吹き抜けた。もうすっかり夏も終わったんだな――などと、思わず少しばかり感傷的な気分に浸ってしまう。
 今日はこのまま翠といっしょにESビルへ向かう約束をしている。部活でちょっと呼び出しがあったから先に行っててと言われたけれど、特に急ぐ必要もないため翠の用事が済むまで適当に時間を潰すつもりだ。

 せっかくならその辺で軽く走り込みでもしようかと、グラウンドの方へ目を向ける。すると、その手前の木々の辺りに見慣れたまるい後頭部を見つけた。忍くん、と声を掛けようと片手を上げたところで、彼の前に誰かもうひとりいることに気づいた。鉄虎はすんでのところで喉から出掛かった声を飲み込む。

 忍と向かい合って話をしている人物――先月、忍者同好会へ入部してきたという礼瀬マヨイ。忍繋がりで縁があり、鉄虎もいっしょのステージに立ったりもした。だから別に彼らが部活中だとて、あるいは単に会話を交わしている最中だとしても挨拶をする程度のこと、気を遣う必要などないのだけれど。なんとなく、……なんとなく、マヨイのあの満面の笑みを見てしまったら、声を掛けるのも気が引けてしまったというか。

 まるで周りに花が咲いているような、とでもいうべきか。とにかく唯々たのしそうなのだ。ここからでは声までは聞こえないけれど、にこにこしたまま忍とお喋りしている。それはもうしあわせそうに、へにゃりとした笑みを向けて。

 正直なところ、鉄虎のマヨイに対する第一印象はあまりいいものではなかった。一彩や忍の話を聞く限り決して悪い人というわけではないのだろう。ただそれは天然の一彩や懐の深い忍からの評価であるわけで、先日のモーターショウでのマヨイの忍に対する振る舞いを見てしまったからにはいろいろ心配だというのが本音だ。

 けれど今のこのマヨイの笑顔を見たら、そんな心配は杞憂だったかなと思ってしまった。それほどに、ただ純粋に、忍といっしょに過ごす今この瞬間がたのしくて嬉しくて仕方がないように見えたのだ。

「鉄虎くん、お待たせ……
「あっ、翠くん。お疲れッス!」

 しばらくそんなことを思いながら忍とマヨイを眺めていると、用事を済ませたらしい翠がやって来た。鉄虎がじっと何かを見ている様子に気づいていたのだろう、翠はさっきまで鉄虎の視線が向いていた方を目だけで確認すると、ああ、と小さく呟いた。

「部活中かな、忍くん。ふふ、すっごいニコニコしながら話してるんだろうね……聞いてる方があんな状態だし」

 あんな状態。それを聞いて、改めて鉄虎は忍者同好会のふたりへと目を向けた。
 相も変わらずにこにこしているマヨイは少しだけ屈んだ格好で、それを仰ぐように小さな頭がぴょこぴょこ揺れている。なにかを熱く語っているのか、それとも教授しているのか。

 いずれにせよ、マヨイが『あんな状態』になってしまう理由が鉄虎にもわかった気がした。好きなもの、特に忍者のことを語るときの忍はいつにも増して大粒の目を輝かせ、周りが見えなくなるくらい暴走してしまう。その勢いに少し引いてしまったこともあったけれど今ではそんな忍をとても微笑ましく思うし、その情熱が羨ましいとも思っている。

 むふんと得意げに胸を張って忍者関連の道具だかなんだかを自慢したり、『見て見て!』と頬っぺたを紅潮させながらなにか忍術らしきものを披露したり。そんなことをマヨイも今まさに目の前で繰り広げられているのだなとは、今更ながら想像にたやすい。

 鉄虎は、おそらく翠も、しばしそんなふたりの様子をほっこりとした心地で眺めていた。

……よかったッスね、忍くん」

 こんなに、心の底から自分の好きなことをいっしょに楽しんでくれる仲間ができて。鉄虎が思わず零した呟きに翠も小さく頷く。そして静かに、ふたりは忍者同好会のささやかな陽だまりの空間を後にした。

 後日、『やっぱりこの人ヤバいッス……!』と再認識せざるを得ない出来事が起こることを、このとき無性に心が満たされてしまった鉄虎は知る由もなかった。人の内面は鉄虎が思っているほど単純なものではないのである。



雨降りの特権



 忍者同好会の活動後、忍といっしょに下校しようと昇降口で靴を履き替えたマヨイは、窓を打つ雨音に眉を顰めた。昼頃まではすっきりと晴れていたというのに、いつの間に陰り出した空はふたりが帰路につくまでは待ってくれなかったようだ。同じ寮室の友也が『今日は夕方から天気悪くなるみたいですよ〜』と今朝、いつも時間ギリギリまでベッドでぐだぐだしているマヨイに律儀に教えてくれたので傘は一応持ってきている。

 自分ひとりだったら多少濡れても気にしないというか、濡れないような場所を通ってさっさと帰ってしまえばいいのだけれど、今日は大事な大事な部活動の日なので。むしろそのために学校へ来ているわけで。もし忍が傘を忘れて濡れてしまうなんてことになったらいけない、風邪を引いてしまうかもしれない。そしてあわよくばいっしょの傘に入って密着して帰れるかもしれない――などという純粋な心配と邪な願望がごっちゃになった結果、マヨイは寝起きのぼんやりした頭のままに、鞄へ折り畳み傘を突っ込んで登校したのだった。

「むむ、けっこう降ってきたでござるな」
 同じく外履きに履き替えた忍が、タタタとマヨイの元へ駆けてきた。
「そうですねぇ、さっきまではここまで降る感じはしなかったんですが」

 言いながら昇降口の扉を開け、忍に先に出るよう促す。ありがとうでござる! と素直に元気よく飛び出した忍の後につづいてマヨイも外へ出た。

 校舎を出るとひんやりとした空気が肌を撫で、湿った土やらアスファルトやらの匂いがいっそう強くなる。しとしととした秋の控えめな雨音に耳を傾けながら「お頭、傘は――」と言いかけたところで、隣で忍ががさごそと鞄を漁っているのに気がついた。

「じゃーん!」
 明るい声音とともにマヨイの目の前に掲げられた小さな折り畳み傘。むふん、と得意げな様子で傘を手にする忍は、きらきらと大粒の瞳をマヨイに向けている。
「朝、神崎殿が〝今日は雨が降るであろうから傘を持って行くといい〟って忠告してくれたんでござるよ!」

 本当だったでござる、さすが神崎殿! と無邪気にはしゃぐ様子に自然と頬が緩む。加えて、忍も今朝の自分と似たような状況、ルームメイトに助言をもらって傘を持ってきたのだということを知れて、そんな些細なことでも忍と共通点があったことがうれしくて、マヨイのテンションは一気に浮上した。

 そんな浮かれる気持ちのまま、自分も実は同じなのだと伝えようとして――慌ててそれを飲み込んだ。
 これはチャンスなのでは。当初思い描いていた流れとは違うけれど、これはふたりでいっしょの傘に入って忍と密着できる、絶好の機会なのでは。

 それに気づいてしまった瞬間、マヨイの頭の中でめまぐるしく思考が回転しだした。

 忍の傘は少し小さく見えるから、ふたりで入ったら身体が濡れてしまうかもしれない。けれどそうなったらなったで雨に濡れた忍をお世話することもできるし、それを口実にもっと長い時間くっついていられるかもしれない。雨を吸った制服を乾かす任務も勝手に請け負って、それから艶めいた濡れ髪やいつも以上に潤いを帯びた玉の肌を丁寧に拭かせてもらって。ついでに少し冷えてしまっただろう小さな身体も温めてあげて――

 その間おそらくコンマ数秒。マヨイの頭が深い思考の海から一瞬で現実世界へ戻ってくると今度は口のほうがくるくる回り出していく。

「もしお頭がびしょ濡れになったら私が責任もってお世話します! だから私もお頭の傘に入れてくださいっ! ……じゃなくてっ、あのえっと、私は傘を忘れてきてしまって、だから決してお頭とぴったりくっつけるからとかそういう理由ではないんです本当ですぅうう!」

 本音を隠すための建前をせっかく瞬時に組み立てたのに、考えていることが素直に飛び出す悪癖はどうすることもできなかった。あわあわしながら釈明したその内容すらツッコミどころ満載だったけれど、本人は必死なせいで気づくはずもない。

 そんな己の醜い心情が忍にばれてしまったらどうしようと心中穏やかでないマヨイに対して、忍はなぜかぱっと表情を明るくさせた。

「うむ! 拙者にお任せでござる! マヨイ殿が濡れないように、寮まできちんと送り届けるでござるよ〜っ!」
 しっかりお頭にくっついておくように! と胸を張って、バサリと傘を開き両手で高く高く持ち上げた。さぁどうぞ、と言わんばかりの期待を持った瞳のきらめき。さっきまで渦巻いていたマヨイの不安は、消し炭と化してどこか遠くへ散っていった。
「はぁいお頭! ぴったりべったりくっついていきまぁああす♪」

 マヨイは小さな傘の下に飛び込んで、そっと忍の薄い両肩に手を乗せた。さながら子どもが電車ごっこをしているようなその格好。少し身を屈めなければ傘の骨に脳天がぶつかってしまうけれど、忍の頭の匂いを思う存分吸い込めるからむしろ都合がいい。足元はぐちゃぐちゃだし忍もマヨイもそれなりに濡れてしまうだろうけれど、それすらもなんだか楽しくて心が満たされる。忍といっしょに為すことすべてが、今のマヨイにとっての最上の至福だから。

 ――あぁ、こんなに心地良い雨の日は生まれて初めてですぅうう!

 すりすりと、つるんとしたまるい頭に頬を当ててみる。
 ぴょこぴょこ揺れる忍の動きが、目で見なくてもよくわかった。全身で味わえる忍の愛らしい仕草を星奏館に着くまでの間、マヨイは全力で堪能した。
 こうして寮に戻って計画通り忍のお世話をして、マヨイはしあわせな時間を過ごしたのだった。

 星奏館の玄関で偶然出会った友也に「礼瀬先輩、傘忘れちゃったんですか〜」と苦笑されてしまったけれど、持ち前の人のよさで深くまではつっこんでくれなかったことに救われた。せっかくの善意を無駄にさせてしまったことを心の中で謝りつつ、空気を読める最高のルームメイトに出会えたことにマヨイは心の底から感謝した。

 ああ、人とはこんなにもあたたかく愛おしいものなのですねぇ――と、この日はマヨイにとって、体温と心、ふたつの異なる『人の温かさ』を全方位から感じられる、とてもいい雨の日となったのだった。



猫と変態に愛されし忍者 〜放課後の愛憎劇〜



 放課後の夢ノ咲学院、校舎裏にて。マヨイは素早く周りを見渡し、シュバッと物陰に隠れる……ということを繰り返していた。

 今日の忍者同好会の活動は隠密修行。マヨイが一番得意としているものだ。忍に見つからないよう忍を探し追い求め捕まえるという、趣味と実益までもを兼ね備えた最高の修行とも言える。さぁ今日はどんな風に驚かせましょう、とほくそ笑みながらマヨイが次のターゲットの木陰に入り込んだ、そのとき。

「んににに〜っ!!」
「ハッ!? この声はっ……!」

 マヨイに聞き覚えのある、というか血の滲むような努力をしてまで毎日聞こうとしている愛らしい鳴き声。ではなく、お声。いや、可愛すぎて勘違いしそうになるけれど、これはどちらかといえば悲鳴に近い。
 マヨイはその声の方向へと全速力で走った。

「お頭ぁああっ、いま悲鳴が――
「あっ、マヨイ殿っ! 助太刀を頼むでござるよ〜っ!!」

 校舎とフェンスに挟まれた狭い小道。そこに忍の姿を見つけた。手を胸の前できゅっと握りしめ、涙目になってぷるぷると震えている。そしてマヨイに助けを求めている、あんなに縋りつくような顔をして。なんて愛らしい。
 マヨイは図らずもゆるゆるになってしまった自分の頬をぺちんと叩いた。苦境に追い込まれあんなに弱っている忍きゅんに、こんな邪な思いを抱くなんて。いけませんよマヨイ……

「んひぃっ!? の、上らないでっ……! 堪忍でござるっ……!」

 どうやら忍の足元に『なにか』がいるらしい。私のいない隙を狙って、お頭をあんなに怯えさせる不届き者がいるなんて! と、マヨイは心の中で憤慨した。
 涙でうるうるの忍の顔を近くで拝むべく、半べそ状態の忍を救出するべく再び走り出す。

「お頭っ、不届き者はどこですか!? すぐに私が撃退してあげますからね……!!」
「し、下にっ、……ひゃっ、いま、足、のぼってて……!」
「足に上って……

 私だってまだ膝枕なんてしてもらったことがないのに……
 そんな醜い嫉妬を振り払い、マヨイは忍の足元に目をやった。するとそこには茶色のもふもふとした小さな生き物の姿があった。おや、なんて愛らしい。

「にゃ、にゃんこがっ、離れてくれなくてっ……!」
……えっ?」

 そう、忍をこんなに怖がらせている『不届き者』は1匹の茶トラの子猫だった。マヨイなら片手で掴めてしまいそうなくらいのちいさな、キャラメル色をした子猫だ。それが健気に忍の『てっぺん』を目指し、よじよじと短い手足を動かしている。今は第一関門の靴部分を乗り越えて、忍のスラックスにへばりつき格闘している真っ最中のようだ。

 そんな子猫の愛らしさと忍の怯え方とが一致せず、マヨイは目を疑った。けれど忍は必死である。震える両手はマヨイの制服の裾をきゅっと握って離さず、ぴったりと頬っぺたをマヨイの胸元へくっつけている。極め付けに涙まで浮かべている有様だ。

 ――あぁ、ここは天国でしょうか、忍きゅんのやわらかなもちもちほっぺがこの身に惜しげもなく押しつけられているなんて。この魅惑の感触、ぬくぬくでふわふわできっとお味もマシュマロのように甘やかなのでしょう。もうこのまま忍きゅんと体温を分けあいながら、永遠にふたりきりで佇んでいたい――……

 マヨイの欲望に塗れた魂は、天国へと昇りかけた。

「ふぇえん、堪忍っ……堪忍でござるよっ……!」
 そんな弱々しい声音が耳に届き、煩悩だらけのマヨイの意識は現実へと戻された。
 そうだ、今は忍を助けることが自分の任務なのだ。この光景と感触は記憶に焼き付けて、あとでまたじっくりと美味しくいただくことにしよう。マヨイはそう意気込んでから、改めて忍の半身を見下ろした。

 子猫はもう忍の膝下のあたりまで、うんしょうんしょと上ってきている。忍のほうも膝をかくかく笑わせて、もう限界が近いようだ。産まれたてのか弱い子鹿を思わせるその姿に、興奮のあまりふたたび呼吸が荒ぶりそうになる。すうはあ深呼吸することでなんとか抑え込んだ。

「いたっ、いたたっ……!」
 ついに爪を立てられてしまったのか、忍が声を震わせ控えめに叫ぶ。マヨイは慌てて忍の足元へと両手を伸ばした。忍に傷痕を残すような戯れまではさすがに許せない。

「ほぉら、お頭が困っているでしょう? いい子ですから、こっちへいらっしゃい……?」
 そうっと子猫の両脇を掬い上げ、忍から引き離す。「みゃー!」とふわふわの毛を逆立て、可愛らしくご立腹されてしまった。

 愛らしいお頭にくっつきたい気持ちは、正直死ぬほどわかる。けれど今回ばかりは許してあげてほしい。「ふぇえ……」とマヨイの肩口に寄りかかっておでこをぐりぐりしている忍は、この通り限界を超えてしまったようなので。あぁ、子ども体温が身体に馴染んでとっても心地がいい。
 マヨイは忍のあたたかな重みを噛み締めるように堪能しながら、そっと子猫を地面へ降ろし離してやった。

「至福のひとときと貴重な情報をありがとうございましたぁ……♪」
 愛らしい子が愛らしい生き物に怯える光景、無垢なもの同士だからこそ成り立つ黄金比の絶景――そんなものを与えてくれた彼もしくは彼女に、小声でこっそり感謝を伝える。マヨイにしあわせを運んでくれた『不届き者』はにゃあとひと鳴き、トットットッと弾むように歩いて去っていった。

「も、もう大丈夫でござろうか……?」
 いつの間にかマヨイの背後に移動していた忍が、肩越しに覗き込む。はい、と答えると、忍はマヨイの前へぴょこんと飛び出した。

「本当に助かったでござるよ! ありがとうマヨイ殿っ!」
 ちょっと情けない姿を見せちゃったでござるなと、忍は頬をほのかに染めて恥ずかしそうに笑った。むしろ愛らしさに拍車が掛かって眼福でした。口から飛び出しそうになったそんな言葉をなんとか飲み込み、こほんと咳払いで邪念を誤魔化した。それよりも、マヨイには気がかりなことがひとつだけあるのだ。

 ちょっと失礼しますね、と一言断りを入れてから慎重に忍のスラックスの裾を捲っていく。短い靴下の上、さっき子猫がしがみついていた脛のあたりに目を凝らす。

……あぁよかった、傷にはなっていないようですね」
 つるりとした玉の肌は傷ひとつなく無事のようだった。ひとまずほっと胸を撫で下ろす。ほっとしたところで、この至高の光景に今になって目が釘付けになってしまった。

 すらりと程よく引き締まった、けれどまだ子どもらしいまるみも残るかたちのいいふくらはぎ。マヨイの指が吸い寄せられるようにじりじりと伸びていく。あと少し、あと数センチでこの理想のつるつるすべすべ御御足の感触を我が手に――

「うひゃああっ!?」
「ハッ!? すすすみませんすみませぇええんっ、違うんですっ、お頭のつるすべ滑らかおみ足にスリスリしたいなぁ膝枕されたいなぁなんて、これっぽっちしか思ってませんからぁあああ――あれっ?」

 突然上がった忍の可愛らしい悲鳴でマヨイは我に帰り、必死に弁解した。けれど途中でパッと忍の足が視界から消えたかと思うと同時、両肩にきゅっとしがみつかれた。それとどこかから、「シャーッ!」という可愛らしい威嚇の声も聞こえてきた。肩に乗せられたぷるぷる震える忍の手に自分の手を重ねながら、マヨイはきょろきょろと辺りを見回した。

 すると少し離れた茂みで、さっきの『不届き者』が敵意剥き出しでマヨイを睨みつけていた。いや、もはやあの状況ではどちらが不届き者かわからなくなってしまった感じだけれど。

 これ以上忍を怯えさせないためにも、きちんとお帰り願わなくては。忍のことを気に入ってしまった、その気持ちはとてもとても、痛いほどよくわかるけれど。これだけは絶対に譲れないのだ。マヨイは静かに子猫に語りかけた。

「大丈夫ですよぉ、このとおり私はお頭に危害など加えませんから。ただほんのすこぉし、ちょっとだけ、思う存分愛でたいなぁなんて思っているだけですので……

 だからお頭のことは私にすべて任せて、あなたは安心して自分のいるべき場所へお戻りなさい♪ 忍がいる手前、こんな醜い牽制は心の中に留めておいたけれど。
 しばし、子猫と無言のやり取りを繰り返したのち――今度こそ、小さい身体は茂みの奥深くへするりと入っていった。

 はひぃ、と弱々しい溜息がマヨイの耳元を擽る。あぁ、もういっそ、忍きゅんから吐き出されるこの甘やかな二酸化炭素だけを摂取して生きられたらいいのに。
 何度も何度も襲いかかるこんなろくでなしの煩悩を、軽く咳払いして追い払う。こんな腐れ外道の醜い願望なんか今はどうでもいいのだ。なによりも大切なものが、今のマヨイにはある。
 気を取り直して、マヨイは忍の顔を覗き込みながら改めて口を開いた。

「では、修行のつづきをしましょうか? 日没が刻限でしたよね」
 マヨイの言葉に、忍はぱっと表情を明るくさせた。
「うんっ! この前伝授した忍術をうまく応用するでござるよっ!」

 マヨイ殿なら絶対にできるって信じてるでござるからっ! 忍はそう言い残し、さっきの萎れかけていた姿が嘘のようにシュタタと元気いっぱいに駆けていった。

「はっ、はいぃっ! 精一杯頑張りますぅううう!!」

 忍の眩い笑顔の応援に、マヨイのテンションはますます浮上した。
 絶対に忍を捕まえてみせる。タイムリミットの夕暮れまでに。この任務を達成できたら、きっと忍はマヨイよりもずっとずっと、うれしそうに笑って喜んでくれるはずだから。

 忍の無邪気な笑顔をこの手で咲かせて、心ゆくまで鑑賞するためにも。マヨイは大きく頷いてから目を瞑った。いち、にい、さん――30まで数え終わったら、楽しいたのしいふたりっきりの修行の再開だ。



宝物がこうしてまたひとつ、



「見て見てっ、マヨイ殿っ!」
「あぁっ、お頭の無邪気な『見て見てっ♪』いただきましたぁあああ♪ ハァハァ……おや、これは……

 放課後の空き教室、忍者同好会の活動拠点にて。いつも通り目安箱の確認をしようとパソコンへ向き合ったマヨイに、忍はなにかをそうっと取り出し見せてきた。忍の小ぶりな手に収まる、さらに小さな可愛らしい。

「四つ葉のクローバーでござる! 今日のお仕事の帰りに見つけて、ちょっと頂戴してきたんでござるよ」

 午前中、忍は保育施設からの依頼で流星隊の一員としてヒーローショウを演じてきたという。そしてその会場である公園にクローバーの茂る芝生があった。だから帰る前に探してみたのだ、と。

「クローバーと言えばやはりマヨイ殿でござろう? だからこれは、お頭からマヨイ殿へのお土産でござるっ!」
 忍はむふんと得意げに、手にした四つ葉のクローバーをマヨイへと差し出した。

「お、お頭から私に贈り物だなんてっ、うううれしすぎてどうにかなりそうですぅう……!!」
 やわらかな茎をやさしく持つ、マヨイよりひと回り小さな指先。それに誘われるようにマヨイの長い指がゆっくりと伸ばされた。そっと、恭しげに両手で受け取る。言葉の勢いに反して壊れ物を扱うように、繊細な手つきで。

 喜びと興奮のあまり震えるマヨイの指の先で、つられてクローバーもふるふる頭を揺らす。マヨイが感動に浸り揺らめくクローバーを涙目のまま見つめていると、あっ、と忍が小さく声を上げた。

「でも、マヨイ殿はトランプの〝クラブ〟であるからして……ここはやっぱり三つ葉のほうがよかったでござろうか……
 そこまでは考えが至らなかったでござる……と、忍はがっかりした様子で肩を落としてしまった。

「あぁっ、そんな悲しげなお顔をなさらないでくださいっ……! あっでもそんな憂い顔もいつもと違った魅力に溢れてとっても愛らしいっ、このままじっとり眺めていたぁい……っていけませんいけません、そうではなくてっ!」
 忍から図らずも笑顔を奪ってしまったマヨイはいろんな意味で狼狽えた。

 たしかにユニット内でマヨイは”クラブ”のスートを担当している。忍もそこから発想を得て今回こんな可愛らしいお土産をこさえてきてくれたのだし、それは大前提ではあるわけだが。

 『クローバーと言えばマヨイ殿』だと忍が四つ葉のクローバーを差し出してくれた瞬間、マヨイは思ったのだ。三つ葉のクローバーがALKALOIDでのマヨイだと言ってくれるのなら、この忍の可愛らしい『お土産』は。

「四つ葉のクローバーは、お頭と出会ったあとの私……のように幸せに溢れているなぁなんて、とっても浮かれてしまいましたから」

 長い冬を越えてようやく芽吹いた三つ葉の中に、またひとつ大切な葉が増えて――忍と出逢って、もっともっとマヨイはしあわせになった。恐れながらも、まるで自分に訪れた過ぎたる〝幸運〟を体現しているようだと。忍がこのちいさなクローバーを大事に大事に手にしているのを見て、それをわざわざマヨイのために探し持って帰ってくれたのだと知って、マヨイはそう思わずにはいられなかった。

「ですから、私にとっては最高のお土産です。ありがとうございます、お頭」
 一生、大切にしますねぇ。そう、マヨイは忍に微笑んだ。いっそう愛おしげに目を細め、手にした四つ葉のクローバーへやわらかな眼差しが注がれる。

 そんなマヨイの様子に、忍の心もぽかぽかとあたたかい気持ちで満たされていった。こんなに喜んでくれるだなんて思わなかったから、忍にとってはうれしい誤算というものだ。ふとした思いつきだったけれど、みんなに先に帰ってもらってでも探してみて本当によかった――と。さっきの落胆から一転、忍の顔もふたたびふんわり綻んでいった。

「それじゃあ今度こそ、今日の活動を始めるでござるよっ!」
 なんだか特別な任務を遂行したような達成感に包まれて、忍は意気揚々とパソコンを立ち上げた。さて、今日の目安箱への依頼は――

「忍きゅ……お頭っ、」
 どことなく弾んだ声音で呼ばれ、忍はそちらへ振り向いた。さらりと右耳に髪の毛を掛けられ、こめかみの辺りにマヨイの指先がやさしく当てられる。きょとんと不思議そうな顔をする忍に目もくれず、マヨイは真剣な面持ちのまま熱心に、忍の耳元で指を動かしつづけた。

 マヨイの指と顔がゆっくりと忍から離される。少し遠目から忍を眺め、なにかを確認するようにマヨイは大きく頷いた。それから満面の笑みで、ひとこと。

「とってもよくお似合いですぅ……♪」
 マヨイは満足げに破顔したまま、そうっと忍の右耳の上あたりに手を伸ばした。それで忍も、マヨイの指が示す場所――視界の右端に微かに映り込む、緑の〝それ〟に気づいたのだった。

 マヨイのふにゃふにゃにゆるんだ視線の先で、愛らしい忍の耳元を“マヨイ”がささやかに彩っている。

 夕日色に染まった空間と忍と、深い緑のクローバー。その色彩の妙に、マヨイは思わず小さく溜息を吐いた。じんわりと1日が閉じていく、秋の貴重な十数分間。今このとき、忍とマヨイふたりしか浴びることのできないオレンジ色のひかり。その中に佇む忍と、それを綾なすマヨイと。こんな僥倖、絶対に、一生忘れてなんてなるものですか――マヨイはそう、人知れず心に誓った。

 それでも、人の記憶と脳内再現力には限界があるものなので。マヨイはいそいそとスマホを取り出し、忍に向けた。

「お頭っ、弾けるようなスマイルをくださいっ! 愛らしいポーズもセットでお願いしますぅううう♪」
 頬をほのかに染め、はぁはぁと息を荒げるいつものハイテンションなマヨイ。そんなマヨイにつられて忍もまた、元気いっぱいの笑顔で印を結ぶ。そうして今日もあっという間に日が暮れて、忍者の闇夜がやってくる。

 今年最後のクローバーがふたりの“しあわせ”をかたどった、ある秋の日の出来事だった。



忍法・暖をわけあうの術



 夕陽の差し込む廊下を、マヨイと他愛ない話をして歩く。
 すっかり恒例となった、目安箱への依頼確認をしたのち任務へと向かうこの流れ。今日の依頼は『1年生のロッカーの上に放置されている私物のお片付けをしてほしい』というものだった。

「これは、なかなか……
 遠目で目的地のロッカーが見えてきたとき、マヨイが小さく呟いた。
「む〜ん、思ってたのよりだいぶ手強そうでござるな」
 ロッカーの真ん前までやってきて、忍も上を見上げながらそう応えた。

 ロッカーの上には、おそらくなにかのイベントの装飾としてつくったのだろう謎の物体や、グッズの試作品だったものと思われるガラクタがいくつも置いてあった。一体いつから放置されていたのか、日に焼けてしまい色も褪せているようだし、埃まみれで廃棄物としか呼べないようなものばかりだ。『もう誰でもいいから捨てておいてくれ!』と言わんばかりの惨状。

 確かにこれは誰かがやらなくてはいけないけれど、自分の益にはならないような、誰もやりたがらない厄介な案件だろう。去年までなら校内アルバイトで募集していたような、アイドル活動とは全く関係のない雑用。反面、困っている人を助ける正義の忍者同好会にはうってつけの任務だとも言えよう。ついでに学院にも恩を売れるし、一石二鳥だ。

「あのぅ、お頭。この椅子、使われてなさそうでしたので……
 マヨイの声に振り向く。いつのまにかマヨイは、古びた教室椅子を両手に抱えていた。踏み台にしましょう、と言いながらロッカーの前にふたつ並べてくれる。
「ありがとうでござるマヨイ殿!」
 忍も手に持つゴミ袋をばさばさ広げ、上履きを脱ぎ、椅子にシュタッと飛び乗った。

「あっ、お頭、ちょっとお手々を貸してください!」
 マヨイのぶんのゴミ袋もばさばさしようと構えたとき、マヨイがそう声をかけてきた。「ん? 手?」と、振り向きながら反射的に両手を差し出す。
 するとマヨイはどこから取り出したのか、軍手を手際よく着けてくれた。右も左もしっかりと。ありがとうでござる――と開きかけた口にもマスクをサッとつけたマヨイは、最後に忍のほっぺをぎゅっと両手で包み込み、満足げに笑みを浮かべた。

「さすがはマヨイ殿、用意周到でござるなぁ♪ ありがとうでござる!」
「うふふ、お頭のかわいいお手々も愛らしいお鼻も元気いっぱいなお声も、大切にお守りするためですから! ……この前みたいにお鼻がぐしゅぐしゅになったかわいいお頭をお世話できなくなるのは、ちょっぴり残念ですが……

 そういえば少し前の依頼で校舎内清掃をしたとき、そんなことがあった。埃やカビを一気に吸ってくしゃみが止まらなくなった忍を、マヨイが献身的にお世話してくれたのだ。鼻をマヨイにチーンされながら「マヨイ殿は大丈夫でござるか?」と尋ねたら、「ああいった場所で埃を極力吸わないよう過ごすことには慣れていますから」と少し困ったように笑って返された。危うくそのときと同じ轍を踏んで、またマヨイに世話を掛けてしまうところだった。

 そんなことを忍が思い返しているうちに、マヨイも手早くマスクと軍手を装着し、忍に倣って上履きを脱ぎ椅子に立った。忍も今度こそばさばさと手に持ったゴミ袋を広げ、マヨイに手渡す。
「さぁ、今日の任務を開始するでござるよ〜!」
「はい、お頭♪」
 号令をかけ、本日の任務に張り切って取り掛かった。



 そうして任務に集中すること数時間。ようやくすべてのゴミを片付け終える頃には、すっかり日も沈んでしまった。冬も間近なこの季節、下校時刻ともなればもう一番星だって見つけられるくらいに暗くなる。オレンジ色だった廊下は今や、LEDの無機質な明かりが煌々と灯っている。

 忍は最後に、雑巾掛けまでしてピカピカになったロッカーの上を眺めてみた。自分の心までピカピカに磨き上げられたような充実感に、むふんと口元がゆるんでしまう。

 ふたりでやるには少々大変な任務だったけれど、ひとりぼっちだった過去を思えばなんてことない。こんな雑用のような任務でもマヨイはいつでも楽しそうに付き合ってくれるし、それだけで救われる気持ちになる。忍が気兼ねなくこういった任務を請け負いこなせるのも、この忍者同好会の発展をマヨイが心から願い尽力してくれているのだとわかるからだ。

 忍はぴょんと椅子から飛び降り、そのまま上履きへと着地した。あとはこのゴミ袋たちをゴミ置き場まで運んでいけば任務完了だ。ぎゅうとゴミ袋の口を縛り直し、マヨイのほうを振り返る。

「マヨイ殿、拙者は先に椅子を戻して――うわっ、とと……!」
「お頭……!?」
 足を踏み出そうとした、そのとき。上履きの踵がすぽんと抜け、前につんのめった。両手に掴んだゴミ袋に突っ込む――と思ったけれど。ぼすんっ! と頭から突っ込んだ先は、マヨイの胸元だった。まるで最初からそこにスタンバイしていたかのような俊敏な動きで、真正面から抱きとめられる。そのお陰で、ゴミ袋に倒れ込み破裂させ中身を撒き散らす……という大惨事はなんとか免れた。

「あ、ありがとうでござるマヨイ殿! 怪我はないでござるか?」
「いえっ、それはこちらの台詞ですぅ……! お頭のほうこそお怪我は――
 ぺたぺたと、忍の腕や肩や手の平や……、最後にほっぺまで、軍手を外したマヨイの手が確かめるように次々触れていく。掃除に一生懸命で身体が温まっていたせいか、いつも以上にマヨイの手の平が冷やっこく感じる。

「拙者はこの通り、なんともないでござるよ。マヨイ殿のおかげでござる!」
「はいぃ、よかったですぅ……
「うん、本当に感謝でござるよ♪ ……ん、んむ、むむ、ま、マヨイ殿?」
 むにむに。もみもみ。忍がこうして胸を叩いて無事を伝えても、マヨイはほっぺから手を離さない。それどころか、むにむに両頬を包んだままやさしく揉んでくる。そう、まるで忍から暖を取るように、カイロのようにもみもみと。忍の体温が上がっていたのかと思ったけれど、もしかしたらマヨイのほうは冷えてしまったのかもしれない。

 こんなことでお役に立てるのなら、忍も満足ではあるけれど。下校時刻も迫っているし、いつまでも悠長に突っ立っているわけにはいかない。
「マヨイ殿、刻限も差し迫っているからして。そろそろゴミ捨て場に行かねば、先生たちに怒られてしまうでござる」
「あうぅ、そうですよね、わかっています、わかってはいるんですが一度覚えたこの魅惑の感触……やわらかなのにしっかり弾力のある『男の子感』が堪らない最上級のもち肌……手が吸い付いて離れないほどの理想の手触りで……ハァ、ハァ……けれどそうですよね、私の醜い煩悩のせいで忍者同好会が大目玉を食らうわけにはいきませんから……

 しばらく苦しげな表情でなにやらぶつぶつ呟いていたマヨイだったが、ふぅ、と大きく息をついたところでようやく忍のほっぺを解放した。そんなに自分の頬はカイロとして優秀なのだろうかと首を捻るも、もう本当に時間がない。

「じゃあ行くでござるよ、拙者は先に椅子を元に戻しておくので――
「あっお頭、ちょっと待ってください!」
 踏みつけたままになっていた上履きに急いで爪先を突っ込むと、慌てた様子のマヨイに止められた。そして遠慮がちに忍の足元を指さして、
「えっと、そのぅ、上履きなんですが。今お頭が履いているのは、私のものでして……
「うん? ……わっ、本当でござる!」
 指摘されてようやく気づく。履き慣れたいつものサイズと全然違う。
 たまたま色が同じだったということもあるけれど、任務を終えたテンションのままにろくすっぽ確認せず飛び乗ってしまったから気づけなかったのだろう。これでは踵がスポンと抜けるはずだ。

 忍に上履きを取られて、マヨイはこうしている間もずっと冷たい廊下に靴下一枚で立つ羽目になっていたはずだ。忍から暖を取りたくなるほど身体が冷えてしまったのも、そのせいだったのかもしれない。
 忍は「堪忍でござる!」と謝って、ぶかぶかサイズのマヨイの上履きを脱ぎ、マヨイの足元へササッと並べた。……のだけれど。

「うむ? もしやマヨイ殿も間違えてしまってたでござるか?」
 マヨイは靴下一枚ではなく、上履きを履いていた。というより、立っていた。忍の上履きに爪先だけを突っ込んだまま、踵を浮かせて。他があまりにいつも通りの自然な立ち居振る舞いだったから、こっちのほうも全然気がつかなかった。

 忍の疑問を受けたマヨイはぱちぱちと数回瞬いたのち、
「あっはいそうです、私もついうっかり! 別にこの隙にお頭の愛らしい足のサイズ感を直に堪能しようかなと思ったわけではなくですね、ついでに上履きを温めておこうかなぁなんて思っただけで、えぇ!」

 マヨイは更に「ですが転んでしまうかもしれないことまで思い至らなかった私が愚かで浅はかでしたっ、ごめんなさいぃいい」とつづけ、シュタッと忍の上履きから飛び退いた。マヨイはいろいろ忍のことを気に掛けてフォローしてくれたようだけれど、なんにせよ最初に間違えたのは忍のほうだ。だから「気にしなくていいでござるよ」とだけ伝えて、今度こそ自分の上履きを履き直す。
 冷たい廊下に熱を奪われてしまった足裏が、じんわりと心地よいぬくもりに触れた。あぁ、なるほど。

 ――『上履きをあっためておく』というのは、こういうことでござったか……

 それならきっと忍が間違って履いてしまっていたマヨイのほうも、いい具合に温まっているだろう。『忍法・ほっぺカイロの術』をしてあげることはしばらくできないけれど、代わりの暖は提供できそうだ。

「マヨイ殿も冷めないうちに上履き、ちゃんと履くでござるよ!」
 椅子、戻してくるでござるね! と告げ、忍は両脇に椅子を抱えて空き教室へと戻しに走った。

 片付けを終えてシュタタタとマヨイの待つ廊下へ戻ってくると、マヨイはトントン爪先で床を叩いていた。頬っぺたをほのかに赤く染めて、もうすっかり身体も温まったようだ。足元に目をやったままステップでも踏むかのように軽やかに跳ねるマヨイに、暖を分けた忍のほうもなんだかうれしくなってしまう。

「マヨイ殿、せっかくなのでゴミ捨て場まで忍足の修練をしようと思うでござるが、いけそうでござるか?」
 さっきの間にマヨイが締め直してくれたのだろう、硬くかたく口が結ばれたゴミ袋を両手に取ってマヨイに問うた。少々挑戦的な忍の声掛けにも、マヨイはますますぱぁっと表情を明るくさせ、ガサッとゴミ袋を掲げてみせてくれた。それはもう、やる気満々といった様相で。

「はいっ! ゴミ袋の音も鳴らさずしっかり忍んでみせますぅ!」
「にしし、マヨイ殿ならそう言ってくれると思ったでござる♪」
 なんたって、忍者同好会・期待のホープなのだから。
「では、いざ! 参るでござるよ〜!」
「はいお頭っ、どこまでもついていきますぅううう♪」

 最初の掛け声だけ忍んでないのはご愛嬌。本日最後の任務、『廃棄物投棄隠密ミッション』をこなすため、忍とマヨイは音もなくその場を後にした。

 そうして下校時刻を告げるチャイムの音に紛れるように、「シュタタタタ……☆」なんてはしゃいだ声音が月明かりの差す無人の校舎裏に響いていたとか、いないとか。


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