明治11年、そろそろ晩秋に差し掛かって、急に寒くなったある日の剣薫。いい夫婦の日にUPですが、まだ夫婦じゃありません。いーんだ!!夫婦になるの決まってるから!!
@tachik_k
「……さむぅっ」
剣心と薫が揃って出掛けた、買い物からの帰り道。
遮るものが何もない土手を歩く二人をめがけて容赦なく吹き付ける冷たい北風に、薫は咄嗟に首を竦めた。そのまま薫は襟巻の中に顔を半分ほどまで埋めてしまう。
そんな薫の様子に剣心が面白いものでも見るかのように目を細めた。
彼の首元にも襟巻きは巻かれているが、薫とは逆にそれ程寒そうな様子はない。それどころか、まだまだ平気そうだ。
剣心はおかしそうにくつくつと喉を鳴らした。
「朝の稽古はまったく寒そうに見えなかったのでござるが」
「稽古は別」
キッパリと薫が断言する。
毎日毎朝、稽古に打ち込んでいる彼女にとって、その時ばかりは暑さ寒さも大した障害にはならないのかもしれない。
――その剣術に対するまっすぐさは、薫の美点のひとつだ。
けれど――確かに今日はずいぶんと冷える。
ツイ、と空に視線を向ける。
剣心の頭上に広がる空には鼠色の雲が重く垂れ込めていて、あたたかな太陽の光はまったく届かない。
太陽が見えないから、余計に寒く感じてしまう。
「今日は急に冷え込んだでござるからなぁ」
「ほんと。こんな急に寒くなるなんて聞いてないわよ」
ぷぅと薫の頬が膨らむ。
ほんの数日前まで、冬も近いと言うのにポカポカした陽気が続いていので油断していた。
おかげでまったく冬仕度ができていない。
二日程ぐずついた天気が続き、ようやく雨が上がったと思ったらこの寒さだ。
しかも昼を過ぎても空はまだ厚い雲に覆われていて、太陽は隠れたまま。
本当に勘弁してほしい。
襟巻の中で、薫は小さなため息をひとつついた。
「家に帰ったら、早速冬支度しなくちゃ。こんなに寒くちゃ風邪引いちゃう」
今日はあまりの寒さにあわてて襟巻きを引っ張り出したものの、このままでは早々に凍え死んでしまう――のは言い過ぎでも、寒くて敵わない。
晴れたらすぐに虫干しができるように冬物を出して。火鉢ももう出しちゃおうかな。ちょっと早いかもしれないけど。
それから……――――」
「えーと」と、視線を虚空にさまよわせて指折り数え上げる薫にひとつひとつうなずきながら、「そうでござるな」と相づちを打つ剣心。
薫は不思議そうに目を瞬かせた。
いつも笑顔を絶やさない剣心ではあるけれど、今は何だか……
「……なんか剣心、楽しそう」
「おろ」
「剣心、もしかして冬が好きなの?」
こんなに寒いのに?
剣心を見つめる薫の表情が、信じられないと如実に語っている。
剣心は戸惑ったように顎を引いた。視線が軽く宙をさ迷う。
「そうでござるなぁ」
やがて、そう前置きをした剣心はへにょりと眉を下げた。
「冬が好きと言うより、冬支度をするのが楽しみなんでござろうな。季節を迎えるための準備をするのは初めてだから」
――剣心にとって、季節は気がついた時にはすでに訪れているものだった。
そして、はたと我に返った時には過ぎ去っている。
幕末の頃はそれだけ慌ただしい日々を送っていたとも言えるし、季節を気にする余裕もなかった。流浪人になってからの己の身ひとつで流離う日々には、季節ごとの準備などまったく関係ないものだった。
だから、こうして一カ所に留まって季節を迎えると言うのは、剣心にとってどこか心躍るものだ。
心の中でうなずく。
そうだ。自分はこうして季節を迎えるのが楽しいのだ。ワクワクしていると言ってもいい。
「あのね」
そんなことを考えて一人で納得する剣心の思考に、唐突に薫の声が割り込んできた。
足を止めて何気なく振り返った剣心は、薫の真剣な視線にぶつかって小さく息を飲む。
「今はまだ途中だけど、本格的に寒くなる前に剣心に綿入れを仕立てようと思ってて。父さんのお下がりじゃなくて、剣心の綿入れ。きっとあったかいわ」
「おろ。それは」
「それでね、夏になったら今度は浴衣」
まっすぐに薫が剣心を見つめる。
剣心も薫を見つめ返した。
――それは、いつかの夕暮れのように。
剣心のどこか不思議そうな視線を受けながら、薫は胸元で手を握り締めた。
冷えた手のひらに、軽く爪が食い込む。
本当は――――
――綿入れのことは、完成するまで秘密にしようと思っていた。
完成した物を見せて、剣心を驚かせたかった。
でも、こんな剣心を見たら言わずにはいられない。
こんな――――季節ごとの準備が楽しみだと嬉しそうに笑う剣心を見たら。
自分にとって当たり前だった季節ごとの準備が、彼にとっては当たり前ではないと言うこと。
その事実に胸が締め付けられた。
剣心に、冬だけではなく、これからもずっと季節をともに越えていきたいと伝えたかった。
芽吹きの春も、心躍る夏も、彩りの秋も――ずっと。
はは、と剣心が楽しそうに声を出して笑う。
「夏には風鈴も出して置かねば」
返される言葉に緩みそうになる頬を引き締めて、けれど薫はわざと胸を張る。
「そうよ。浴衣を着て、弥彦や燕ちゃんたちも一緒に、夏祭りに行きましょ」
「ずっと先でござるなぁ」
「うん」
――そんな先のことを、当たり前に話すことができるように。
「まあ、夏支度は早すぎるから、とりあえずは冬支度でござるな」
「今日は帰ったら冬支度をして、桜のつぼみが膨らみ始めたら冬仕舞いをして、梅雨が終わったら風鈴を出して……これから剣心が飽きるくらい、季節の準備をしていかなきゃ」
歌うように紡がれる、薫の言葉。
そこにある紛れもない幸せのかけらに、剣心はまぶしそうに目を細めた。
「ね」と笑いかけてくる薫の笑顔がただ愛しい。
剣心の目元が柔らかくゆるむ。
「何度やっても飽きるなどありえんよ。薫殿が一緒にしてくれるのだから」
二人で季節を迎え、送る準備に飽きることなどないだろう。
それが薫とならば、なおさら。
「え」
薫は瞳を瞬かせた。
ほんの一瞬、思考が止まる。
――剣心の言葉はまるで。
まるで……――――?
目を丸くして剣心を見つめる薫に、剣心がやんわりと笑みを返す。
「さて」
手を差し出すと、薫の頬が淡く染まった。
季節はずれの桃にも似たその頬をかわいいと思う。
「帰ろう、薫殿。帰って冬支度をせねば」
「――うん」
重なった手を、それより一回り大きな手がふわりと包み込んだ。
晩秋の冷たい空気に冷えた手は、それでも互いの体温でだんだんと熱を帯びていく。
薫は少しだけ顔を俯かせた。
――頬が熱い気がするのは、きっとそのせい。
そうに決まってる。
「冬支度、まずは何をしようか」
「火鉢、出したい」
「蔵の中でござったかな」
「うん。あ! それで今夜はお鍋してもいいかも!」
「ははっ。そうでござるなぁ」
たわいのない会話は、けれど楽しげな響きで身体と心に熱を灯していく。
――あたたかい冬は、もう、すぐそこだ。
おわり
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