@mimizukug
押しかけ番な三果浪編
父が死んだ。実家を相続した。土地付きだがあまりの古さに静以外の係累が相続を拒否したせいである。道玄坂の父はアルファであり、それなりの資産家であった。父の兄弟には換金しやすい有価証券のほうが魅力的だったのだろう。弟は兄さんがぼうっとしているから一番悪いのを押し付けられたと主張していた。
引っ越しのトラックを見送って家に戻る。父の死は突然だった。そのせいか、まだ家には人間が生きていた気配が残っている。雑然と本やチラシが積まれたテーブル。食べかけのおかきの袋。それらを横目に、静はゆっくりと居間を横切る。
「いいと思うんだけどな」
庭に続く窓を開けた。びゅうと冷たい風が吹き込んでくる。縁側を挟んで広々とした庭がある。母が生きていた頃は美しかったはずだが、今はただの草地だ。枯れた草は根本から刈り取られ、庭の隅に積まれている。
網戸にしたまま家をあらためていく。外から春の乾いた草の匂いが入り込み、薄く残る父のフェロモンを洗っていく。鼻をつく不快臭が薄らぐ気がした。
アルファはたとえ親子であっても近距離に住むのを好まない。母系——血族のオメガには反応しないのと同様、近親婚の抑制と血脈を広げるための本能だろうと言われている。静も例に漏れなく、大学卒業を機に家を出ざるを得なかった。
実家は二階建てである。二階の物置には遺品整理の名目で親族が金目のものを漁った後があり、静の部屋には引っ越しで持ってきた段ボールが押し込められている。弟の部屋ばかりがこざっぱりとしていた。それぞれの窓を開けて、簡単に床を掃除用シートで拭いていく。掃除機はこの家にもあるはずだが、場所がわからないのだ。
階段をきれいにしていく。親族会議の折にも掃除はしたが、すぐに埃が積もっている。一階は居間と台所、洗面所、父の部屋がある。父の部屋は弟が片付けてくれていたが、まだ匂いが強くて忌避感がある。あとでフェロモン除去剤を使うしかないだろう。
風が吹く。ちりん、と鈴の音がした。
どこかで気の早い風鈴を出しているのだろうか。音に誘われるように足が動いた。庭に面した網戸から生暖かい空気が入り込む。夏の匂いがする。湿って青臭くて爽やかな濃い緑の匂い。
匂いの源、縁側に男が寝ていた。細い首にオメガ性を示すカーボンの首輪が付いている。留め具に太陽が反射してきらりと光った。こざっぱりとした半袖シャツとストレートパンツ。素足にサンダルを引っ掛けた初夏の装いだ。静は思わず上着を脱いでいた。
「ありがとう」
ぱかりと目を開けて、その人は当然のように静の服を受け取った。ほとんど渡す前にひったくられたような状態だ。彼は上着を羽織って、ふと静を見上げた。
「居心地のいい家だな」
「はい。……失礼ですがどちら様ですか」
父の知り合いですか、とは聞けなかった。違う、という確信があった。その人は面白がるように目を細めた。
「三果浪という。お前の番だ」
傲岸不遜に放たれたその一言に、静は不思議と納得してしまった。濃い夏の匂いを深く吸いこむ。これが自分の番だと本能が言っている。
「じゃあ、そんなところにいないで中にどうぞ」
「おれが言うのもなんだが、いいのか?」
「うん。その代わり、あなたのことをもっと教えてくださいね」
三果浪は目を瞬かせた。それでもぽんとサンダルを脱いで、猫のようにするりと部屋に入ってくる。最初からこの家の住人だったように、ダイニングの椅子に座った。
「そういえば、お前の名前は?」
「道玄坂静。……名前も知らないのに入ってきてよかったの?」
窓を閉める。錠をゆっくりと、音を立てないように閉める。
「うん、お前の番だからな」
嫣然と笑い、番だと主張するオメガはしかし、頸を守る首輪を取ろうとはしていない。真に心を許してはいないのだろう。
番が成立するのはアルファがオメガの頸を噛んだ時だ。オメガ側から番を解除することはできない。一生の契約だからだから彼も頸を守ろうとする。当然ながらその鍵も首輪も頑丈で、家庭用の刃物で切ることは難しい。
その首輪をいつか外すのだと、出会って間もないのに決めていた。
本能のもたらすその苛烈な衝動を、運命と言う。
鈴と三果浪
——どこにいてもわかるように鈴をつけるよ。
運命の相手が言った。だから三果浪の手首には鈴がついている。くすんだ真鍮の鈴だ。
昔々、相手の顔も名前も覚えていられないくらい昔の話。
小学校にあがった直後、生体検査からオメガ、アルファが確定した子供を集めた交流会がある。畜産の品評会みたいなものだ。オメガの腹からはアルファが生まれやすい。第二性徴を迎えたアルファが集まるとフェロモンの相性によっては攻撃的な雰囲気になるから、その前に相性の良さそうな相手を見繕うという。
自我というものが芽生えたての子供に、相性も何もないだろうに。結局は親同士のやりとりだ。
雌は雄より精神的に早熟である傾向が強い。男性オメガと診断されていた三果浪もその多分に漏れず、なんとなく場の雰囲気が気持ち悪い——自分の意思を無視しているのに気づいた。アルファと診断された子供が、大人よりももっとあけすけに、オメガの子を自分のものと主張するのも怖かった。ここでの交流が全てではないという話は最初に聞いていたけど、同じ学年で見たことのある子供もいる。もしそれに気に入られたら、なんとなく悪いことが起こりそうな気がする。
だから三果浪は同じように交流に消極的なオメガの群れから逃げ出し——どうにもアルファの群れから狙われている気がした。集団で行う鬼ごっこの時のあの雰囲気だ——ポツンと離れたところで様子見をしているアルファに話しかけたのだ。男の子だった。
「ひとり?」
「うん」
「あのね、ぼくね、こういうのよくわかんないから、なんか別の話したい」
「番のこと、ぼくもわかんない」
お互いに自覚の薄いところが良かったのだろう。ぽつぽつと、何して遊ぶかを話していたように思う。三果浪は隠れるのが得意とか、そんな話をしたはずだ。
「どこにいてもわかるように鈴をつけるよ」
だから、相手の子が言ったのだ。ちょうどその場で配られたクッキーの飾りの鈴を渡してきた。
「はい」
「うん」
くれるものはもらうたちだった。三果浪は自分ももらったお菓子にもついてることは言わず、彼がよこした鈴をもらった。
「見つけるからね」
約束ともいえない、場の熱気に浮かされた子供の戯言のようなものだ。
「というわけで鈴をつけている」
古い鈴を鳴らして見せると、静は酢でも飲んだような顔をした。だいたいのアルファがそう言う反応をする。他の雄の気配を感じて不快なのだろう。
外して捨てろと言うか、新しいのを買うからそれをつけろと言うか、三果浪は静の言葉を待った。
彼はしばらく、三果浪のはじめてのアルファとの遭遇を噛み締めるように黙っていた。アルカイックスマイルで固まっているのが少し怖くて、わくわくする。
「首輪を外してくれませんか」
「ふはっ」
おもわず笑ってしまった。
「頸を噛ませてください」
「うん、ヒートが来たらな」
情念が絡みついてくる。三果浪は笑みを隠せなかった。あの子供が静であればいいと思った。
設定
アルファのフェロモンは親族であれど反発しやすい。ただし母系の(特にオメガの)フェロモンはその限りではない。
アルファとオメガからはアルファまたはオメガが生まれやすい。
静さんは父親の死後実家を相続している。
三果浪も静さんも成人済。静さんの職業未定。
三果浪は静さんちに来るまで色んなアルファまたはベータの家を転々としていた。番になると仄めかし宿を借りて逃げるタイプの詐欺師。ホルモンのバランス異常かうさぎ式に、相手の子供が欲しいとおもわないとヒートが来ない体質。静さんがフリーのアルファだったのでいつものように一時的に宿にしようとしたところ捕まる。逃げられなかった。
首輪の鍵は廃棄済。開けられない。
多分ほんとにヒートがきたらなんで噛んでくれないんだってべそべそする。