店を訪れた客から、マナ石の調理を依頼されるネロさんのお話。CP無し。
@suimyaku_flow
『店主さんの脚は何本?』
視界の端に差し込まれた小さな紙片には、短い質問が記されていた
──こりゃまた面倒なお客さんで。
この手の客はそう多くはないが、数年にひとりはあらわれる類だ。
ネロは内心ため息をついたが、表情は極力動かさず、フライパンをあやつる手を止めることもなかった。バターの弾ける音がさざなみのように細やかになる。焼き上がりが近い。
「……こういうの困るんだけど。お客さん、もしかして旅の人? 東ははじめてです?」
過不足なく作った愛想を向けながら、これ見よがしに紙片を拾い上げポケットにしまいこむ。他の客に文面を見られてどういう意味かと問われることがあれば、それこそ面倒きわまりない。
「あ、ええ。今日の午後、この街に着いたところで。さっそくいい店が見つかって幸運でした。明日の商談にも希望が持てる」
「じゃあ、幸運ついでにこの街の作法も覚えてってくださいよ。東の法典のことは、聞いてるでしょ。きっと商談にも役立つと思うし」
ごく自然に笑みを逸らして、頃合いのオムレツを皿に移した。水に放ったハーブをちぎり取って添える。
「まず、店で店員を口説くのは違法、罰金なんですよねえ」
「は?」
「えっと、日替わりのオムレツはこちら、だったかな」
そうそう俺だよ、と皿を受け取った馴染み客がネロに同調する。
「罰金にもいくつか種別があるが、ここは特に高い部類だ。こう見えて、店主さんが偏屈だからな」
両隣の客が同時にうなずくのに及んで、旅の男は表情を固くした。
「え……」
しんと静まった店の真ん中で身を縮める姿に、ネロは片目をつむって見せる。
「なーんてな」
「へ?」
男は気の抜けた声を漏らし、すました顔で食事を続ける周囲の客を見回した。そうして最後に縋るような視線をネロへと向ける。
「同じことをおもてでやったら問題だけどさ。うちの店ではちょっとくらいのおイタなら罰金沙汰にはしねえんで。安心してくださいよ」
「実際、このあたりで一人客同士が雑談してるような店、ここくらいのもんだよ。あんた、本当に幸運だったな」
「ここは、飯も文句なしに旨いしな」
「はは、いつもどうも」
だが店主さんにちょっかい出すのはやめときな……愛想いいけど“話して”くれない人だから……それこそ「東」のたしなみさ……。声を低くしてのおしゃべりはネロの耳にも届いたが、聞こえなかったことにする。これもまた、東のたしなみである。
ネロは、昼のデザートに焼いたパイ皮の残りを取り出した。もう火を落としていたオーブンに入れ、余熱で軽くあたためる。そのあいだにゆるめのカスタードを仕立て、軽さを取り戻したパイにルージュベリーを合わせて盛り付けた。
「どうぞ。さっきからかったお詫びだよ」
旅の男は目を丸くしてしきりに頭を下げたが、ネロはそれを片手でいなしつつカウンターを出た。店主の奢りを冷やかす声を背中で聞く。
入り口を細く開いて半身すべりこませると、夜の空気がひんやりと肌に張りついた。石畳には通り雨の痕跡があったが、もう降ってはいない。ドアプレートを『closed』に返す。そろそろ店じまいの頃合いだ。
ゆるいクリームを挟み込んだパイ生地は、さぞ食べにくいことだろう。
「あんた、魔法使いなんだろ?」
口火を切ったのはネロだった。旅の男はナイフとフォークで、まだデザートと格闘している。もうとっくに、他の客たちの姿はない。
もぐもぐとクリームを含んだまま、男は顔を上げて頷いた。
あなたの脚は何本? という質問は、魔法使いのあいだで使われる符牒だ。人間だろうと魔法使いだろうとおおむね脚は2本だが、3本目としての箒の存在を匂わせたものではないかと伝わっている。
「っ、よ、よかった。ちゃんと通じてくれて」
「いや。そっちこそよく知ってたな。まだ百にはならないくらいだろ。最近じゃこんな合言葉、知らない魔法使いも結構いる」
どちらかというと年嵩の魔法使いが好む言いまわしなのだ。こんな方法で探り合うやり方自体が、最近では廃れてきている。とはいえ、魔法使いであることを隠して暮らすものの多い東の国では、知っている方が何かと都合がいい。
「店主さん、意外と長生きの魔法使いなんだな。俺はあんまり魔力が強くないし、店主さんがいくつくらいか見当もつかないけど」
「なあに。たいして違いはしねえよ」
ネロは傍らのグラスを取った。仕事中の渇きをおさめるための、ただの水だ。少し考えて、菓子用のラム酒を少したらす。ダークラムを水で割るなんて邪道だなと思う。だが今は、旨い酒を飲みたいわけではなく、ただ、ほんの少しのアルコールが欲しかった。
「で? 旅先でいきなり脚の数なんか訊いて。どういうつもりだ? 東の国で客商売やってるんだ、俺が人間のふりをしてるってことくらいは、わかるだろ。暗号とはいえヒヤヒヤしたぜ」
「あっ、それは、その……ごめんなさい。どうしても確かめたくて」
口ごもりながらも、男の視線はまっすぐにネロを射る。揺るぎない意図を持った目だった。素知らぬふりで帰してしまったほうが、よかったのかもしれない。
「探してたんだ、ずっと。料理の腕の立つ魔法使いを」
ネロは深々とため息をついた。今のネロに魔法使いの知り合いはそう多くはない。ましてその条件では、押し付ける先がありそうにもなかった。
マナ石を料理してほしい、と男は言った。
「はあ?」
ネロは思わず大声を出したが、男は躊躇するそぶりもなく、懐から小さなケースを取り出した。ワイン色のベルベットが張られ、黒の細いレースに縁取られた美しい小箱だ。これが恋人同士の場面なら、求婚のための指輪でも収められていそうな。
だが、止める間もなく開かれた箱の中には、親指ほどのマナ石のかけらが入っていた。
「いや……うーん……」
ネロは眉間に皺を寄せて首を捻り、薄い薄い酒をひと口含んだ。
「難しいですか?」
「難し、くはないかもしれねえけど、なあ……」
料理に魔法は使わないと決めているが、かつて魔法使いだったものを料理しないと決めてはいなかった。考えたこともなかったのだ。それに。
「その様子じゃ、大事なマナ石なんだろうに」
「大事だからこそ、です。魔法使いならマナ石を食べて取り込むことができるって聞いて。それなら、失くす心配もないし、この先ずっと一緒にいられるようなものかと思って。でも、石を食べるってちょっと想像がつかないし、それに少し怖いような気もして」
「……なんで?」
あまりにも冷えた声音がカウンターに落ちて、ネロ自身、少し戸惑った。自分は怒っているのだろうか? いったい何に?
「なんで、怖えの? 大事な相手なんだろう?」
言葉は勝手に口からこぼれる。
「それを食うのは、弔いだろ。知らないヤツのなれのはてってわけでもない。それが、なんで怖いんだ」
石になる瞬間を目の当たりにする方が、よほど怖い。それは自分の力が及ばなかったあかしでもあるからだ。まなうらに浮かんだいくつもの古い記憶を払うように、ネロは軽く頭を振った。ずいぶん中身の減っていたグラスにラムを注ぎ足し、半分ほどをひと息にあおる。
旅の男は、ネロの剣幕にも引く様子はなかった。どころか、身を乗り出してくる。
「店主さんは、食べたことがあるんだな。マナ石。さっきはそうでもないみたいなこと言ってたけど、やっぱり長生きの魔法使いなんだろ? 昔はみんな食べてたって、本で読んだんだ。けど、最近はそんな風習も廃れてる。やっぱり俺には、怖いんだよ。でも食べたい。食べなきゃいけないと思う。だから、店主さん、お願いだ。この石を料理してくれないか」
つまりだ。この男が言っているのは──。
ネロは男の目を見返した。濃い茶の瞳の奥のほうに血のような赤が潜んでいる。梃子でも動かない覚悟がうかがえる。なかなか面倒なのに目をつけられたもんだと、もうひと口、グラスの酒を喉に落とした。
「わかったよ。こっちも商売なんでタダってわけにはいかないが」
賭けのつもりで提示した高値に、男は即座に頷いた。ネロの負けだった。
日を改めてもいいと男は言ったが、ネロの方から断った。気の進まない仕事ほど、勢いで済ませた方がいい。日を延べれば延べただけ、夢見の悪さが続くだけだ。
「食べ口のいい、さっぱりしたデザート風でどうだ?」
「おまかせします。料理のことも、マナ石のことも、店主さんの方がはるかに詳しそうだ」
違いない、とネロは内心で自嘲した。料理はともかく、マナ石の口当たりをありありと思い返せる人生なんて、ろくなものではないのだ。きっと。
手渡された小箱をよくよく見れば、内張りはまさに指輪を収めるつくりをしていた。誓いを交わした相手だったのかもしれない。水を向ければそれなりの身の上話が始まりそうだと思ったが、死別で終わることが分かりきっている物語だ。暇つぶしにでも聞きたくはなかった。黙々と砂糖を煮溶かし、ワインを開ける。
アルコール分を残してゼリーを固めるにはコツがいる。慎重に頃合いを見はからい、出来上がった赤い液体を薄くバットに流した。氷水にあてて固まったものを、スプーンで削いでゆく。
ちらりと目を遣ると、旅の男は、手帖を取り出してめくっていた。思い出を眺めているのか、先の予定を確かめているのか。どちらにせよ、ネロにはかかわりのないことだった。
作り置きのコンポートと砂糖漬けの果物、刻んだナッツを混ぜ込んだクリーム、赤ワインのゼリーを層にして、中心にマナ石を埋め込んだ。スライスした群青レモンとハーブを飾り付け、甘い蜂蜜酒をひとたらし。
「きれいなもんだな……」
目の前に置かれた器を見下ろし、男が短い感想を述べる。
そりゃあ、きれいに作ったからな。それがあんたのお望みだろう? そのままの「死」を飲み込むのが怖い、と言った。だから、酩酊と甘露で包んでみせた。
ふいに笑いが込み上げて、ネロは肩を震わせた。こらえることができなかった。
「っふ……はは……」
「店主さん?」
「いや、悪い。気にしないでくれ。ちょっと、思い出したことがあってさ」
空になっていたグラスにラム酒を注いだ。とうとうストレートの濃さである。調理に使っていた氷水から、溶け残りをいくつか拾って放り込む。ロックと言うには貧相な氷だ。傾ければ、酒にまじって流れ込んだ氷片が、舌の上で溶ける。
胃が裏返るような感覚が込み上げ、それを必死に飲み込んだ。
たぶん、店でなければ吐いていた。
そのままの「死」を、マナ石の重たく絡む舌触りを、知っているからって何だっていうんだ。
──結局、俺は、大事なものから、見たくもない死から、逃げたのに。
吐き気でうるんだ視界がにじむ。スプーンの銀。その上できらきら光る赤いゼリー。甘いワインにやわらかく包まれたマナ石が、男の唇に差し込まれ、喉から臓腑へと落ちていく。神妙な表情で、それでいて、あっけなさそうに放心してゆく名も知らぬ魔法使い。
そういえば、氷の貯蔵庫をもう少し広げたいと思っていた。床に埋め込むつくりのほうが、低温を保ちやすいと聞くし、この際、新調してやろうか。氷の入手と保存にはそれなりに費用がかかるのだと、これは、北を出てから知ったことだ。
割に合わない仕事だったと恨めしさを感じながらも、ネロは、臨時収入の使い途を算段しはじめた。