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2021年アニメ振り返り(話数単位で選ぶ、2021年TVアニメ5選+α)

Posted by @nomu1214
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2021-12-30 09:16:20

 今年も本業の方が多忙であり記事どころかアニメ自体の視聴もおぼつかない1年ではありましたが、個人的な定期観測と備忘録のために、昨年に引き続き「話数単位で選ぶ、2021年TVアニメ10選」のフォーマットをならいつつ、今年も5選に限定して、2021年に僕が見たアニメを振り返る記事を残したいと思います。

※昨年からaninado様(https://aninado.com/archives/2021/12/20/876/)が話数単位10選企画の主催を引き受けてくださっていますが、もしこの記事を見つけてくださった場合には、この記事はあくまで自主的な性格が強いものですので、リンクの貼り付けおよび話数選出へのカウントの有無については全てaninado様にご一任いたします。
 おそらくこの企画は「10選」であることが非常に重要であり、「10選」で選ばれる作品と「5選」で選ばれる作品は明確に違ってくると思います。しかし、僕のアニメの視聴本数および文章を書く時間と熱量を考慮すると、僕にとっては「5選」が最も続けやすいフォーマットになっており、今年も「5選」にとどめさせていただきたいと思います。

ルール
・2021年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。


① ウマ娘 プリティーダービー Season 2 第13話 「夢をかける」

 ついに待望のアプリが開始し、大きな反響を引き起こしているウマ娘。そのアニメ2期は相変わらず非常に丁寧な作りでトウカイテイオーの劇的な競技人生を描ききった。2期全13話という観点からだと、勝負の舞台にいる者もいない者も含めての全ての競争者の関係性の総体を描くという基本姿勢を力強く宣言した2話が本当に素晴らしいのだが、ウマ娘というコンテンツ全体がたどった紆余曲折の歴史を踏まえて、その集大成となった最終回を選びたい。
 1期ではスズカとスペに振り分けられていた「怪我」と「敗北」というアスリートの業をトウカイテイオーは1人で背負うこととなり、ストーリーの進行とともに心身に不可逆的な傷を負っていく。そして、全盛期とは程遠い状態で迎えた有馬記念で、テイオーは身を震わせながら初めて「絶対」を願う。シンボリルドルフが言うように、実際のレースに「絶対」はないが、「絶対」を願う信念の次元において「絶対」はあるのかもしれない。だとすれば、逆説的ではあるが、勝つことが当たり前で願うまでもなかった絶対的な全盛期から遠く離れ、幾度の挫折を経てそれでも絶対に勝ちたいと願うまさにその時に初めて、テイオーの中に「絶対」が宿るのだろう。ここに、本作はあの「奇跡の復活」の根拠を見出しているのではないだろうか。
 以上がストーリー上の論理であるが、それに加えて、作品の根幹となるレース描写のみならず、謎要素(商売要素?)でしかなかったウイニングライブ、2016年のPVの段階では首を傾げざるをえなかった「うまぴょい伝説」、シュールなギャグなど、ウマ娘というコンテンツの歴史の新旧の要素が見事に混ざり合い、このコンテンツが歩んできた道のりがこの回には濃縮されているように思う。立案段階で意図されていた軽さとチープさ、そしてその後の経緯やアニメ化の中で身につけた重さと真摯さが高次で融合し、ウマ娘というコンテンツ自体が「奇跡」のような存在になったと言えるだろう。

② スーパーカブ 第6話 「私のカブ」

 閉塞感漂う山梨の田舎に住む「ないない尽くし」の少女が移動手段たるカブを得ることで広がる景色を豊かな美術と音響、ストーリーで表現した本作だが、そうした情感あふれる「素晴らしい作品」にお行儀よく留まらないことにこそ本作の特徴はあると思う。そうした秀麗なパッケージでも抑えられず時々ほとばしってくる本作の凶暴さや反秩序性が僕は大好きなので、その中でも決定的な回としてこの6話を挙げたい。
 「ルールやマナーを守って高校生として責任ある行動を」と小熊の担任教師は言う。スケジュールと移動手段を集団的に統制して秩序を守る良き公民として教育するという点で、修学旅行もまた学校の権力が行使される場に他ならない。小熊は発熱のために修学旅行の欠席を連絡するものの、昼に熱が下がると、自らの移動手段たるカブを駆って、勝手に修学旅行へ合流しようと行動し始める。それは、何も無かった一人の少女が移動手段であるカブと共に「移動する自由」を得て、自らの力で周囲の様々な抑圧に抗うようになる決定的な転換点となる。
 そして、その果てに彼女と礼子は道路交通法すら破ることとなり、大元の権力でもある国家権力にも唾を吐く。こうして、彼女たちは、学校にしても国家にしても権力行使の根本には人の移動の制限が存在すること、そしてそれゆえに移動することこそが秩序を根本から攪乱しうる行為であると同時に最も根源的な人間の自由の行使なのだと図らずも(作者としては確信犯的に)浮かび上がらせる。日常を超克する上での物理的移動の重要性が強調されてきたここ数年のアニメの流れという観点から見た時、そして何より人の移動の制限を通して権力による強大な抑圧が展開し続ける今現在において、本作の苛烈な自由の宣言は危ういほど大きな意味を持つのではないだろうか。

③ ゾンビランドサガ リベンジ 第7話 「マイマイレボリューション SAGA」

 ゾンビランドサガ2期は、鮮烈な映像で描かれるラストの駅スタライブから逆算してクール全体が構築されていたように思う。ただ、その結果として「佐賀」の「アイドル」という側面が強調された一方で、「ゾンビ」という主題は「アイドル」の下位主題に引き下げられた印象がある。実のところ僕はこの「ゾンビ」という主題に結構関心があったので残念な気持ちもあるが、それでもなおこの2期で最もフランシュシュのゾンビ性に向き合ったこの回を挙げておきたいと思う。
 ひょんなことからフランシュシュがゾンビであることを知った1人のファン・楪舞々は憧れのフランシュシュと肩を並べフランシュシュ7号として活動を共にしていく。当初はフランシュシュのゾンビ性をあまり気にしていなかった舞々だが、学校祭前日の教室での源さくらとの会話の中でそれに向き合うことになる。諦めた瞬間にただの動く屍と化すゾンビにとっての「生きる」こととは、かつて生き抜いた短い人生に、そしてゾンビとして過ごす長久の時間に意味を与え続けるべく、何度でも立ち上がり死んでも夢を追いかけることである。このことを悟った舞々はまずは自分に与えられた限りある生を必死に「生きる」ことにより憧れにふさわしい存在になることを決意して、フランシュシュと道を異にすることを選ぶ。
 11話でも示唆された通り、フランシュシュと佐賀県民・ファンの間には死者/生者という強烈な断絶があって、それはアイドルの虚構性と重なり合い、ファンはほぼ全員最後までその断絶を知ることはない。その中で唯一この断絶をきちんと認識し、令和の世を生きる生者として自分の時代・人生を生き抜く姿勢を明確にする楪舞々というキャラはこの2期の中でも非常に特異な存在だと言えよう。

④ ラブライブ!スーパースター!! 第1話 「まだ名もないキモチ」

 アニメにミュージカル要素を挿入する手法はすでに一般化されて久しく、今年も(特に劇場作品を中心に)いくつかの作品で効果的に利用されていたように思う。この点で、初代以来長年ミュージカル手法を活用してきたラブライブシリーズの第4弾である本作もまた非常に力強くかつ洗練された演出でもって物語の起点たる第1話を彩っていたように思う。
 冒頭、人前で大好きなはずの歌が歌えず受験に失敗してやさぐれ&卑屈が染みついた主人公・澁谷かのんは色彩豊かな原宿に溢れる楽しげな音楽から耳をふさぐようにヘッドホンを着けて最初の登校路を歩く。しかし、人込みと大通りから離れた裏道において、まるでたとえ耳をふさいでいても彼女の内側から歌と音楽が否応なく溢れ出てくるかのように、彼女は歌い出す。その「素晴らしい声」が唐可可に衝撃を与えることで本作の物語は起動する。
 そして最後のライブシーン。ヘッドホンや校門を利用した印象的な演出から、一度は可可の誘いを拒絶したかのんはついに「歌が好きだ」という抑え込んでいた気持ちを叫び、シリーズ恒例のライブシーンに移行する。ここで流れる「未来予報ハレルヤ!」が非常に素晴らしくて、その力強い歌詞・曲調と映像が共鳴して勢いを増しながら、場面はラブライブ空間から現実世界へと転換する。そして、この曲に背中を押されるかのように、ついにかのんは原宿の町の中で自らの大好きな歌を解き放つことに成功する。
 ふと考えると、澁谷かのんはラブライブシリーズにおいてもおそらく初めての歌にアイデンティティを持つキャラであり、彼女を軸とした物語を起動する重要な局面における音楽関係の仕事、そして何より一般公募で選ばれた声優・伊達さゆりの好演(これに関してはクール全体を通して素晴らしかったと思う)が光った回であった。

⑤ 小林さんちのメイドラゴンS 第10話 「カンナの夏休み(二か国語放送です!?)」

 やっぱりカンナちゃんはいいな(どうした急に)。正直メイドラゴンのムダな下ネタ・エロネタはあまり好きじゃないので、カンナちゃんが出てくるとそれらが減って助かるのである。ということで、カンナちゃん主役の2編からなるオムニバス回であり、大小のスケールの冒険を情感豊かに描いたこの回を選出したい。
 前半はカンナちゃんの家出アメリカ冒険の旅。昔の某アニメはロンドンに行くのに3クール分+劇場版までかかったのに、家出でニューヨークにひとっ飛びしちゃうのがスケールでかすぎて笑った。ここでは、カンナちゃんのドラゴンとしての異質性が強調され、たった一日の不思議な竜の友達との冒険が悩める家出少女・クロエに特別な体験と勇気を与えるという童話的な物語がマンハッタン、路地裏、そしてアメリカの夜の大空といったリアルと幻想を上手に使い分ける背景の中で印象的に描かれる。思わず頭の中でPuff the Magic DragonならぬKanna the Magic Dragonが流れてきて少し切なくなったよ
 そして、後半はドラゴン要素が全く見えないような小林とカンナちゃんの小市民としての夏の休日。スケールをミクロに寄せ切って、日常の何気ないワンシーンを少しだけ異化することによって見える風景の楽しさ・美しさを描き出す。雨が降った後の道端の水たまりにたまる油汚れを見て「虹」と表現できるセンスには本当に脱帽するしかない。近年は色々な意味でわりと技術力重視な傾向にある京アニだが、結構久々に日常のさりげなく儚い要素への深い洞察力・愛情といった、延々と受け継がれる「日常」の表現力の高さを再確認できた気がしてとても嬉しかった。



 他の作品に関して言えば、『はめふら』2期はストーリー全体としては新しい方向性を模索して四苦八苦していた印象がありますが(笑)、8話のニコルとフレイのお見合いシーンでのボスラッシュとも言えるようなあまりに美麗な花園の背景の連続は非常に強烈に印象に残っています。また、『白い砂のアクアトープ』は、若干お話が散らかったイメージがありますが、2クールの枠を活用して、近年では見られないようなゆったりとした展開の物語を通して、平坦にやりこなすしかない人生の日常とその穏やかな変化を美しい絵で繊細に描いていて非常に好みの作品でした。P.A.WORKSの作品ってわりといつもクール全体を通してきちんと物語を一歩一歩描いていく印象があり、逆に話数単位でコレと言える強烈な回は(よい意味で)それほどない気がします。この点で話数単位企画では若干割を食ってしまう作品群なのかもしれません。
 
 2021年のアニメ全体を通しての感想としては、あまり新しさはない気がしますが、以下の二点が個人的に気になるところでした。
 第一に、やはり1クールという枠は物語を語る上ではよっぽどうまくやらない限り短いと感じることが多くなりました。近年に求められるようになった物語の情報量を考慮すると、1クール作品だとどうしても非常に速くかつ激しいテンポで物語を展開させていく必要があり、正直そうした強度と速度の高い作品に疲れてしまってきている自分がいます。もちろん2クール枠を与えることのリスクも十分承知しているので難しいところですが、もう少しそれぞれの作品に相応しい枠とテンポで物語を語れる環境が整ってほしいなと思います。(もっともそうした自由な語り方を今一番実践できているのかいわゆるソシャゲのコミュ、ストーリーなのかもしれません。)
 第二に、いわゆる2期作品の難しさを強く感じた1年でもありました。やはり2期作品にとって最大のライバルはその作品の1期自身になるわけで、1期での完成度が高ければ高いほど2期の戦いは苦しくなるなと色々な作品を見ていて思いました。この点で、色々な意味で1期は形成途上であったウマ娘が2期でさらなる飛躍を遂げたのは印象的でしたし、上記の通り『ゾンビランドサガ』があの駅スタライブの映像を軸に物語を組み立てるという戦略を立てたのも、おそらくこうした背景のもとでの決断なのだろうなと思います。

 以上、今年のアニメ振り返りでした。今回も長々とお読みくださり、ありがとうございました。そして、来年も何卒よろしくお願いいたします。

※付録:本記事作成にあたっての下書き

https://twitter.com/i/events/1475234962223808516


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