@tachik_k
「それにしてもしっつれーよね! 斬左のヤツ! 剣心のことなんだと思ってるのかしら!!」
「まぁまぁ薫殿」
相当腹に据えかねているのか、背中から聞こえてくる薫の文句はなかなか終わりそうにない。
剣心は苦笑を浮かべつつ、ほんのり染まった太陽に視線を向けた。
まだ春の浅いこの季節、太陽が沈み始めれば落ちて見えなくなるのはすぐだ。
いつの間にか見慣れてしまった川沿いの道は、沈みかけた夕陽で淡く染まっていた。
不思議な感慨が胸に迫り、剣心は目を細める。
けれどその感慨――感傷かもしれない――を胸の中に押し込めるように、剣心は小さく唇を歪めた。
それなりに怒涛の一日だった。
喧嘩屋斬左に「喧嘩」を仕掛けられて打ち負かした帰り道。
喧嘩の依頼人である比留間兄弟を再度警察に突き出し、見事にぶっ倒れた斬左を病院へと投げ込んで、腰が抜けたままの薫を背中に負ぶった剣心は、神谷道場へと続く道を歩いていた。
ちなみに弥彦は薫を寝かせる布団を敷くために、先に道場へと帰らせている。
薫は腰を抜かしたことを恥じているようだが、至近距離で拳銃の発砲を見たのだから、それも仕方がないだろう。
だがその直後、地面にへたり込みながらも闘志むき出しの斬左に向かって啖呵を切ったのは大したものと言うか、無鉄砲と言うか――まあ、薫らしいと言えば薫らしい。
そしてその理由が剣心のことだと言うのだから――――剣心はもう、苦笑するしかない。
未だ文句を言い続ける薫を宥めるように、剣心は口を開いた。
「まあ、斬左や喜兵衛の反応は、そうおかしくもござらんよ」
たとえ『元』と言っても、剣心が人斬りだったのは紛れもない事実。
――人斬りに対する人々の反応はよく似たものだ。
恐れるか、相手によっては目をギラつかせるか。
『幕末の維新志士 緋村抜刀斎』と闘おうとした斬左と、『抜刀斎』を恐れたが故に、斬左を雇った喜兵衛。
神谷道場の騒ぎを収めた時、引き留めた薫に対して「拙者は止しておいた方がいい」と言ったのは、決して誇張でも脅しでもない。本心からのものだ。
人斬りが居座っていると分かれば、道場によくない噂が立たないとも限らない。
それに。
「人斬りなど、ロクなものではござらんからね」
零れおちた嘲笑は、紛れもなく自分へのもの。
どれほど時間がたとうと、不殺を誓おうと、染み着いた血のにおいは落ちることはない。
斬左が調べてきたと言う『維新志士 緋村抜刀斎』は、あくまでも【知られている事実】でしかない。
それですら、正直、肝が冷えた。
薫や弥彦にしても、いつか彼の人斬りとしての本性を知ってしまったら、今のように無邪気に笑いかけてはくれなくなるだろう。流浪人をしている間、人斬りだったと知られたことで自分に向けられていた笑顔が歪んでいく様を何度も見てきた。
できればそんな事態になる前に出て行きたいところなのだが……――――
物思いにふける剣心の背後で、薫が首を傾げる気配がした。
「……それは、剣心も?」
「…………まあ、否定はせぬよ」
「どうして?」
あどけない、薫の問いかけ。
「剣心は抜刀斎に戻りたいの?」
直球すぎる言葉に、思わず言葉に詰まる。
「……いや、そんなことは……」
返した声が、ひどく頼りなく聞こえた。
戻るつもりもないし、戻りたいとも思わない。何より【抜刀斎】には戻らないと決めている。
けれど自分は、今も間違いなく【人斬り抜刀斎】なのだと思っている。
その矛盾を――薫に言い当てられたような気がした。
しかし、戸惑う剣心にはお構いなしに、薫はあっけらかんと言い放った。
「なら、問題ないじゃない」
あまりに簡単な言いように、剣心はどう答えていいか分からなくなる。
「剣心が抜刀斎に戻らないって決めてるなら、大丈夫よ」
「……」
何の疑いも混じらない、力強いとすら言える薫の断言。
剣心はもう、絶句するしかない。
お得意の口八丁も、薫の前ではまったく意味をなさない。
返す言葉を探して視線をさまよわせた剣心は、やがて諦めたようにひとつ息をついた。
――そうだ。
これが、神谷薫だ。
元人斬りもスリの少年もあっさり受け入れてしまえるおおらかさ。
そして、一度懐に入れた相手には甘いとすら言える、その懐の深さ。
今回の首謀者である喜兵衛に対してもそうだ。偽抜刀斎事件であれほど手ひどく裏切られておきながら、しかも、さらに裏切りの言葉を投げかけられながら、薫が示したのは怒りではなく悲しみだった。
少し前にあった、元門下生たちの裏切りにしても同じだ。
どんな状況にあっても、薫は人を信じようとしている。
十年と言う間流浪人をしてきた剣心の目には、そんな薫がとても尊く、そして愚かな程に危うい存在に見えた。
「……呑気でござるなぁ」
こぼれ落ちたのは、いつかも口にした言葉。
「なんか言った?」
「いや、薫殿らしいなぁ、と」
「本当?」
「本当でござる」
よく聞こえなかったのか、それとも聞きとがめたのか――訝しげに訊ねてくる薫に、何食わぬ顔で答える。
「ふぅん」と、納得がいかないように薫が鼻を鳴らすが、幸いなことにそれ以上はツッこんではこなかった。
今度こそ薫に気づかれぬように、剣心はひっそりと苦笑する。
優しい娘だ。
そして、愚かな娘だ。
喜兵衛だけではない。剣心のことに関してもそうだ。
本人ですら信じられない「緋村剣心」と言う人間を、薫は信じてくれている。
そのことが嬉しく――そうして、ひどく切なかった。自分が彼女のような人間に信じてもらえるような存在には、どうしても思えなかったから。
胸の中にある感傷を断ち切るように、剣心は少し歩調を速める。
きっと全部この夕焼けのせいだ。そうに決まっている。こんなきれいな夕焼けの中では、まるで独りきりになってしまったような気がする――薫がいると言うのに。
いつも通りに聞こえることを意識して、剣心は薫へと話しかけた。
「さて、薫殿。帰ったら今日はおとなしく休むでござるよ」
「もぉっ、分ってるわよ!!」
案の定、年相応に――もしくはそれよりも幼く、わかりやすくむくれる薫に、剣心は声を立てて笑った。
「ははっ、まあまあ薫殿。今夜は薫殿の好きなものを作るから」
「ほんとっ!?」
「もちろんでござる」
何でもない、何の変哲もない日常が、二人の後にぽつぽつと落ちていく。
その『あたり前の日常』があるありがたさに、剣心はそっと微笑んだ。
願わくばどうか――この優しく愚かな人が、いつまでもそのままであり続けることのできる世であるように。
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