@nabibi47
それは、何の気なしに呟いた言葉がきっかけだった。
「ダンデくんって、私がまたバトルしたら、喜ぶんですかね」
とある早朝、幼馴染の婚約祝いは昨夜のこと。
大いに祝い騒いだ朝、ホテルのロビーで偶然鉢合わせた幼馴染の旦那様と話をしていた。
皆はまだ眠りについている。
がらんとしたロビーには、ホテルマンが疎にいるのみで、利用客の姿はなかった。
二人、ロビーのソファに腰掛けて幼馴染の思い出話をして、その一端でお祝いの品の話になって、それから、なんだったっけ、そう、あの夜を思い出した。
子供の頃だって弱音ひとつ吐かなかった幼馴染が、初めて私に弱音と恨み言をぶつけた。
私がコートを降りた時、泣いてしまったと話してくれた。
だからもう、失いたくないと願った結果、ちょっとした騒動が巻き起こったがあれもまた遠い記憶になったものだ。
その切れ端で私が呟いた言葉に、幼馴染の旦那様、最高のライバル、ナックルジムリーダーキバナさんは唖然とする。
目を見開いて固まった姿に、あぁやっぱり的外れもいいところだったと恥ずかしくなる。
慌てて弁明しようとしたところで、キバナさんはぶんぶん首を横に振ると私の手をとった。
大きな手、何もかもを掴んできたろう掌に目が取られた。
力強く握り締められている。
だけれども、痛くはなかったし、怖くもなかった。
だって、見上げた先の顔が、子供みたいな期待に揺れてできていた。
「博士、そっその、なんというか」
「あ、はい」
「戻る気、あるんですか」
徐々に上気していく頬の色に目を瞬かせる。
ひっくり返る声はどきどき緊張しているようにも聞こえた。
あ、嬉しそう。
幼馴染、ダンデくんも近年稀に見るバトル馬鹿だが、この人も大概らしい。
曖昧に微笑めば、キバナさんはずずいと前のめりになるのだった。
しかし、戻ると言っても。
私はふるりと首を横に振る。
「いやいや、ブランク何年単位だと」
「俺が!コーチに入ります!」
「ジムリーダーが直々にってだめでしょ!?私ジムトレーナーでもないのに!」
「あなたはもう家族みたいなもんだから問題ない!」
「私ダンデくんのただの幼馴染ですけど!?」
「ダンデにとってあなたは家族同然だ!問題ありません!コーチに就かせてください!」
「嬉しい!でも勢いが怖い!」
その後もぎゃあぎゃあ、静かなロビーには二人分の応戦が行き交う。
ホテルマンが、お静かにと間に入ってくれなかったら終わりはしなかったろう。
それだけ、キバナさんの情熱は凄まじかった。
手は放された。
じんじん、キバナさんの熱が移っていた。
しょぼりと申し訳なさそうに肩をすくめて小さくなるキバナさんに、私は苦笑する。
そうして、小さくほろりと言葉を落とす。
「そもそも、ダンデくんだって私のことはもう、待ってませんよ」
彼には、二度とその前を退かない運命がいる。
そう、今目の前で項垂れる、この人こそ。
ぱすぱす肩を叩く。
キバナさんはゆったり顔を起こしては、顔をグジュッと潰した。
あらやだ何その顔、イケメンってこんな時でも可愛くなるだけなんだ。
ちょっぴりジェラシー、しかして、続く言葉に目を丸くする。
「待ってます」
断言する。
キバナさんは私の言葉を否定する。
言葉を噤んだ。
そうするべきだと、思った。
キバナさんは真摯にもまっすぐと、私を見つめてあった。
「ダンデは、今でもあの場所で、博士のことも待っています」
あまりにも真剣なものだから、私は思わず吹き出した。
そうまで言ってもらえるのは嬉しいものだ。
私はホップのように博士とトレーナーを両立しなかったけれど、期待されるというのは悪い気がしない。
だからくすくす笑って頷いた。
「じゃあ、やっちゃおうかなぁ」
本当にちょっとした気まぐれの産物だ。
けれど、これですこしでもダンデくんが喜ぶならいいのかな。
キバナさんはひゅっと喉を切る音を立てる。
見開いた目、ぶんっと振り上げられたガッツポーズ。
これまた私は笑ってしまう。
今度は怒られないように声は上げないで、無言で一連の動作は行われたのだからなんだかおかしい。
サプライズにしましょうね、なんて二人でした作戦会議はなんだかとっても楽しいものに思えたのだった。
バトルタワー挑戦者の管理は基本的には手持ち及びトレーナー名のみの確認となっている。
ランクが上がれば誘導、それも機械上のもので直接案内には出向かない。
あくまでもサポート、円滑にバトルを行う環境整備が我々の職務である。
本日もまた滞りなく、我らがガラルが更なる飛躍へ向かうため、適切な処理に励むばかり。
そう、あくまでもこれは職務であって。
廊下を走っていた。
伝令を頼まれたのだ。
先輩も自分も、後輩たちもだが、我々はガラルの一大興行たるバトルを愛してやまない。
トレーナーとパートナーが繰り広げる技の応酬の美しさを、野蛮さを、我々は広く多くに知ってもらいたい。
だから、この仕事を選んだ。
沢山の人が挑戦できる場を支える立場になりたかったのだ。
つまるところ、皆、バトルフリークと言っても差し支えはなく、ジムチャレンジのシーズンなど仕事終わりの飲み会は捗って仕方ない。
我々は、バトルタワーのスタッフであり、同時にリーグのファンなのだ。
生まれてこの方、親の世代から、リーグを観戦し参戦もしてきた。
同年代には、元チャンピオン、現在の我らがトップオーナーがいた。
その年の決勝戦、自分は元チャンピオンを応援はしていなかった。
ファンだった、だけど、彼を応援することはなかった。
ならば誰を応援したか、それは彼がライバルと認めた少女。
彼女の賢い戦略と目まぐるしく変化させられる盤上、敵わない強敵を前に、それでも尚、パートナーたちの可能性を無限大にも引き出そうと立ち向かう姿に、勇気をもらった。
勝てないだろう、誰もが思った。
けれど、誰もが思ったことだろう。
負けるな、そうとばかりに誰もが思った。
頑張れ、まだ負けてない、まだやれる、勝てないかもしれない、でもキミを応援してるから、頑張れソニア。
あの決勝戦の声援は、実のところ半分以上は劣勢強いられた彼女に向けられていたことはガラルの多くが知ることだ。
本人にこの声援が届いていたかはわからない。
彼女はその年の決勝戦を最後に、バトルの舞台から消えた。
代わりに、彼女は偉大な博士となった。
ポケモンを愛する姿勢が変わらない。
そんな彼女をまた、多くが応援した事だろう。
そう、あの決勝戦はきっと彼女の最後だった。
コートという戦場にある、最後の瞬間だった、そのはずだった。
走る、走る、走る。
駆け抜ける廊下の先、ノックも忘れて飛び込んだのは執務室。
いつもならば挑戦者の昇級戦は内線で伝えるものだ。
けれど、そんなもの待っていられない。
確実にオーナーの予定を抑えてこい。
任された伝令を頭の中で巡らせる。
本日の担当者は自分と先輩、それからまだ研修中の新人三人で、その三人で確認した挑戦者の登録名と登録パーティに目を剥いた。
間違うわけもない。
あの決勝戦を忘れていないものならば、誰も彼もが間違えるわけがないのだ。
小気味良くもぐんぐん上り詰めていく戦績に、三人で歓声を上げたのは職務放棄だったかもしれない。
それでも嬉しくて仕方なかったのだ。
ドアを開いた先、驚いた様子のオーナーがいる。
自分は肩で息をしながらつかつかオーナーのデスクへ向かった。
オーナーを後悔させたくない、それは勿論、だけれどやはり実現を待ち望んでいた。
何十年も前の決勝戦、あの続きが叶うのならば、それは奇跡に等しいだろう。
自分は思わず笑顔にも、オーナーに交渉するのだ。
「オーナー、後悔はさせません。ですので、何を置いてもすぐにこちらへ来てください」
完全非公開、誰の目にも止まらない。
けれども、閉じられた夢の続きを描きたい。
自分は見れないとしても、動かずにはいられない。
あの時確かに輝いていた、最高のライバルだった少年少女の夢の続きを、ただ、描く手伝いがしたかったのだ。
突然何なのだろうと、驚いた。
普段なら内線で呼び出されるものを、直接乗り込んできた常勤スタッフ。
はて、VIPでも来たのだろうか、しかし、ここバトルタワーでは皆が平等たるトレーナーだ。
誰であろうと贔屓はなく、その腕のみで勝ち上がる場所である。
怪訝に思いながらも、今度調整試合に付き合いますからとまで言われれば俺も折れないわけにはいかない。
彼はフェアリータイプにおいて、実に面白い戦略を立ててくれる有望株なのだが、中々受けてくれないのだ。
絶対だせと約束させて向かった先、俺は一度、息の仕方を忘れていた。
「はぁい、ダンデくん」
いつもの白衣を見に纏い、けれど、その腰にはいつもにはないホルダーがある。
気軽にも片手をひらりと振って微笑む先に、彼女がいる。
もう二度と、戻らなかったはずの、彼女がいる。
俺との勝負に彼女の姿はなくなった。
失われたものだった。
それは、仕方のない事だと思っていた。
だけれど、現実は覆る。
目の前が、ぐずりと潤みに歪んで見えた。
口を開いたまま、俺は唖然に動けない。
だってキミが、ソニアが、博士ではなくトレーナーとして、俺の前に立っている。
ソニアが、ここにいた。
「ふっふっふー!おっどろいた?私めっちゃ頑張ったんだから!ここまでくるの大変でさぁ!ほらほら昇級戦やっちゃおうよダンデくん!」
構える、ソニアがボールを構えて、笑ってる。
俺と、バトルをしてくれる。
もう二度と、叶わないはずだった未来が、ここにはあった。
「う、ぁ」
ぼろっと、溢れたものは涙だった。
ぼろぼろ止まらない涙に対面上、ソニアがえぇ?!と驚き声を上げる。
駆け寄ってくる足音が聞こえたが、俺はキャップで顔を隠してしまうので距離がわからない。
弟たちの前では泣いたことなんてないけれど、どうにも、キバナやソニアの前だとダメだ。
己の感情に従ってしまう。
涙の止め方がわからない。
ぼたぼた床に落ちていく涙を、キャップの影から見送った。
その間に辿り着いたのだろう、ソニアは俺の肩を撫でていた。
どうしたの、なんて心底戸惑って聞くからソニアは酷いやつだ。
人のことを置いていって、そうかと思えば、あっけらかんと帰ってきて、嬉しいけれど憎たらしい。
きっと眦を釣り上げながらもぼたぼた泣く目元を見せた俺に、ソニアは盛大なため息をついた。
「もぉ、泣き虫、何よそんなに駄目だった?」
「だ、っめな、わけ、ない、っだろ」
「まーまー、泣きながら喋っちゃって、ほら涙拭いて」
ひきつる喉に伝えた言葉をやはりソニアは呆れて受け止める。
肩をすくめて白衣の袖口で目元を擦られた。
痛い、少し乱暴だ。
ソニアは俺の相棒たちにたいあたりを命じるくらい結構乱雑なところがある。
人のことは言えないが、思いながらもぐずっと鼻を鳴らした。
ぼろ、また溢れる涙に、目が溶けちゃうよ、なんてソニアは笑う。
溶けない、無言で首を横に振ればぱらりと涙が散った。
ソニアは手を引く。
それから、困ったように微笑んで首を傾けた。
俺を覗き込む彼女の瞳は、柔和に解けてある。
「ダンデくん、ジラーチにお願いした夜、言ったでしょ?」
「な、っにを」
不思議な七日間を思い起こす。
キバナを失いたくないと、願った俺が起こした七夜の体験。
あの時、言ったこと。
兎角、キバナがガラルを出るのが嫌だと喚いた気がする。
気恥ずかしさにまたキャップで顔を隠そうとすれば、ソニアの指先がちょんと動きをとどめた。
目元は晒されたまま、見つめた先のソニアは笑う。
「置いてかれたって、言ってた。寂しいって、言ってた。だからね、会いに来たの」
キャップが少しずつ下がっていく。
完全に下ろした先、きっと俺の頬は濡れて情けないできだったろう。
けれど、ソニアはそこには突かずくしゃりと無邪気にも皺を作って笑っていた。
十歳のジムチャレンジ、あの時に俺の隣にいた、ライバルのソニアが見えた気がした。
「こんな遅刻して、怒っちゃったかな」
遅いなんてことはない。
俺が待つ場所で、またキミが現れたならそれは、いつだって最高の瞬間だ。
ぶんっと首を横に振る。
俺は掠れた声に心を返す。
「う、れ、しい」
「あっは!もぉ子供みたいになっちゃってるじゃん!ほらほら泣いてちゃできないでしょ!なーきーやーんでー!」
吹き出したソニアに俺も小さく笑ってしまった。
頷き、ソニアの腕をとって、ごしごしそこで目を擦ればぎゃあと悲鳴が上がる。
先程自分でもここで拭ったんだからいいじゃないか。
きょとんとする俺に、そういうとこだよ!と叱られた。
ソニアの腕を離せば、彼女はとたとた向かいに戻っていく。
肩越し振り返るソニアは楽しそうに声を弾ませていた。
「私がバトルするくらいで大袈裟だなぁ!ダンデくんは!」
あっけらかんと返されて、俺は目を見開いた。
もしかしたら、もっと気軽に誘えばソニアは俺とまた、バトルをしてくれていたのだろうか。
これはもう、触れてはいけない領域だと思っていた。
でも、そうじゃなかったのか。
息を吐き出す。
そうして、ほとりと声を落としていた。
「大袈裟なんかじゃない」
対面に立ったソニアに俺の声は届いていたろうか。
多分そうだ。
だから少し困り顔に笑っていた。
俺はもう一度、大きな声を張り上げる。
「大袈裟なんかじゃないぜ!ソニア!俺は今!とびきりはしゃいで堪らないんだ!」
なくした魂の欠片を、どこか見つけたような気がした。
大いに喜び構えたボールに、彼女は答えてくれる。
そういう場所にソニアはいる。
俺はわっはと声を弾ませ、ボールを放った。
さぁ、夢の続きを、今ここで。
「で、どーだったよ、オレさま渾身のプレゼントは」
「はーい!プレゼントのトレーナーソニアちゃんでーす」
じゃじゃーんとソニアを両手で指し示すキバナに、大いにはしゃいでポーズを決めたソニア。
そんな二人をバトル終わりで座り込み見上げていた。
本来バトルタワーフィールドには第三者は入室できないのだが、何やらスタッフが手を回したらしい。
現れたキバナからのネタバラしに目尻が下がる。
息が上がっているのは、年甲斐もなくはしゃいだ構成を立てたせいだ。
俺は一人で立ち上がる。
そうして二人に飛びつくようにして、倒れ込むのだった。
「最高だぜ!二人とも!」
「ば、ばか!あぶなっ」
「ちょちょちょ!成人男性は無理だって!」
慌てふためく声もまた、俺の鼓膜を華やがせる。
大切にしてきた人がそこにいる。
そんな当たり前は、何にも代え難いほどの幸福であると知る。
至って普通の、至って普遍の、なんともありきたりな日のことだった。