@nikogori_san
チャイムが鳴る、終業の刻。
お疲れ様です、と互いに声を掛け合いながら一人一人自分のペースで職員室を出て行く。
今日は金曜日だ。週末の訪れに何処となく皆頬を緩ませているような気がする。
「梵先生お疲れ様です!休日ってわくわくしますよね〜」
隣の机の圷先生がせっせと帰り支度を整えているのをぼんやり眺めていた。
「…圷先生は確か部活の顧問ありましたよね。」
「う、そうなんですよね…あんまり休んだって気にはならなくて。でも体力だけはありますし、楽しいから良いんです!じゃ、お先です!梵先生、良い週末を!」
笑顔で手を振りながら、彼は颯爽と走って出て行った。他の教師から「圷先生!廊下を走らないでください!」と怒られているのが遠くで聞こえる。
……良い週末を、か。私も、街に出かけようかな。
教科書と資料を数冊、鞄に押し込めると同じように職員室を後にした。
すっかり陽も落ちた街中。
居酒屋の看板や、引っ切り無しに瞬くネオンサイン。人々の話し声、喧騒、雑踏。
此処は夜なのにとても明るく、騒がしい。
当てもなくふらふらと歩いていると、見覚えのある人影が目に入った。
「あれは…」
声をかけるか否か。
迷ったが、特に何かする気もおきずただ暇を弄んでいたので、私は彼に近づいた。
「皇先生」
名を呼ばれた彼は振り返ると、長い前髪の隙間、少しばかり驚いた表情を浮かべてからその瞳を細めた。
「…梵先生。こんな所で会うなんて奇遇ですね。夕飯ですか?」
「まあ、そんな感じです。」
彼の笑顔は何処となく人を安心させる反面、自らの底を見透かされているような気がして安易に直視できない。
目を逸らした先、彼の後ろ…まるで隠れるように立っている人の影に気がついた。
「……そちらは?」
「ああ、俺の彼女です。……ほら、結。」
よくよく見れば二人は手を繋いでいて、仲が良いのだなと察する事ができる。
結、と呼ばれた彼女はびくりと肩を揺らし少しだけ身を乗り出した。
「…ぁ、…はじめ、まして…妃結、です…」
潤んだ瞳に、少しだけ赤らんだ頬。細く長い綺麗な髪にスタイルも良い。…なるほど、可愛らしい女性だ。
軽い自己紹介をして、彼女はまた皇の後ろに下がった。彼と手を繋いでいる腕にしがみついて、若干震えている。
「…怖がらせてしまったかな。私、背が大きいですし。」
「………いや、すみません。結はちょっと恥ずかしがり屋なもので。」
「こちらこそ、デートの邪魔をしてしまったみたいですみません。私はそろそろお暇しますので。」
「…梵先生。」
「…?はい。」
「良い週末を。」
そう言って、二人は喧騒と眩しさが混ざり合う雑踏の中へ紛れていった。
私にもあのような可愛らしい彼女がいたら…等の考えがちらりと脳裏を過ぎるが、早々に振り払うように掻き消した。
女性にはなれず、かと言って男性というものを一部否定する私に、そんなものがいても傷つけてしまうだけだと目を伏せる。
良い週末か…私にもいつかくるのだろうか。
「お姉さん…うわ綺麗じゃん!背高いねモデルさんか何か?ねえねえ、暇なら俺らと遊ばない?」
不意にかけられた、見知らぬ「物」の言葉に瞳を細めた。
誘われるままにその手を取り、暗がりへと歩み出す。
忍ばせた鈍色の其れに手を掛けながら、いつその喉元を裂くかと思案を巡らせる。
…先程の二人、とは真逆の方向に進み出した自分に、僅かながら自嘲気味た笑みが溢れた。
◆
「…っ…も…だめ…」
薄暗い路地裏。手を繋いで歩いていた男女の、女の脚が止まる。震える脚の下、ぽたり、ぽたりと地面に幾つか水滴が落ちるのを、男は眺めていた。
「おねがい、…れん…これ、じゃなくて、っ……れんの、…ほしい…」
繁華街とはうってかわって、静まり返った其処に響くのは鈍い振動音。噛み締めた女の唇からは、時折熱を帯びた吐息が漏れる。
「…じゃあ、そろそろ散歩は終わりにしようか。」
薄い微笑みを浮かべたままの男がゆるりと手を引く。まるで踊りにでも誘うように、女を抱き締めた。
「…もう少し頑張ったら結のお願い聞いてあげる。……さ、帰ろう?」
耳元に吹き込まれる甘い言葉に、思考すら蕩かされるような錯覚に陥る。
そのまま静寂が広がる住宅街の仄暗い片隅に、二人は消えていく。
夜の帳が落ちる頃
眩く輝く街、賑やかに行き交う人の群れ。
誰も知らない、人目を憚るような隙間で
ヒトのようで、ヒトならざる物を彷彿とさせる
まるで化物のような影が
歪み
溶け
闇の中へと消えていった。