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Lost Diara/世界滅亡日記2

全体公開 Lost Diara 15067文字
2022-02-09 07:11:36

ジノとリヴィウィエラが出会うまでの話。出会った後。



 野生の獣が獲物を狙う時というのは、こういう面持ちになるのかもしれない。それがジノが抱いた最初の印象だった。目の前には子供がいる。地面の上にすっと姿勢よく立ち尽くして、こちらを鋭く睨んでいる。
……
……え、っと……
 不思議なもので、あれほど誰かに出会えればと思っていたのに、いざ遭遇してしまうと何をどうすればいいのか皆目見当がつかなかった。しかも相手からは明らかに敵意を向けられている。武器らしきものは持っていないようだが――と、そこまで考えてからようやくジノは右手の痛みを思い出した。そういえば先ほどの、あれは一体なんだったのだろう。ちらと見る限り傷も何もないようだが、未だにじくじくと鋭い痛みが続いている。
「お前、……アリューラか?」
……え?」
「それとも、単なる異物か? ……どちらにしても、自由にさせるわけにはいかない。消えるなら早く消えてくれ」
……いや、えっと……悪い、何を言ってるのか」
 一方的に話す子供に、動揺を明らかにしつつもなんとか口を開く。言葉がわからないわけではない。言語としては、おそらく通じているはずだ。なのに、相手が何を伝えたいのかが理解出来なかった。消えろと言われたことだけは、鈍い頭でも辛うじてわかったけれども。
「ええと、俺は、その……怪しい者ではなくて。なんというか……たぶん、迷い込んだだけだと思うんだけど」
……迷い込んだ……?」
「どうしてここにいるのか、わからないんだ。ここがどこかもわからないし、だからえーと、立ち去りたいのは山々なんだけど、……どこに行ったらいいのか、教えてくれないか……?」
 自分よりもだいぶ小さな子供に行き先を尋ねるのは躊躇もあったが、見たところ現地人であるようだ。何もわからない自分よりも、よほどこの辺りのことには詳しいだろう。
 子供――たぶん、少年だろうと思われる――は疑わしげに眉を寄せて、検分するようにジノを見ている。敵意を持たれたままでは、まともに会話も出来ないだろう。刺すような視線に、ジノは軽く両手を上げてしばらくの間大人しく耐えていた。やがて、少年が再び口を開く。
「外から来たのか?」
「え、……いや、うーん……ごめん、わからない」
「何もわからない? ……そんなことがあるのか?」
「そう言われても……
 わからないものはわからないのだから説明のしようがないのだが、反対にもし自分がこの少年の立場だったとしたら、これほど怪しく思う存在もないだろうと思う。じくじくと右手が痛むことも相まって、気を紛らわせようとジノは軽く息をついた。それでも、一人で彷徨っていた時よりはずっとマシだ。むしろこんなわけのわからない場所でようやく出会った人間と、言葉が通じて会話が出来るというのは運が良すぎるくらいだろう。
「アリューラじゃないのか?」
……なんだって?」
「知らないのか? まさか。……本当に外から来たのか?」
「外、がどこなのかわからないけど。まず、ここはどこなんだ? 君はこの辺りに住んでる子? 他に誰かいないのか、家族とか……
 子供よりも、出来れば大人と話したい。そう思って尋ねると、少年がジノを見る目が更に剣呑なものになった。威圧感すら覚えるような視線に、思わず口籠る。何か、まずいことを言っただろうか。しばらくの沈黙の後に、少年が言う。
……先に、ひとつだけ確認する」
「え、あ、ああ。なんだろう?」
「お前は、殺せば死ぬ生き物か?」
 唐突な言葉に、は、と疑問を持つより早く、地面を軽く蹴った少年が一気に間合いを詰めてジノの眼前に迫った。その大きな目が、夕日と同じ色の目が、明確な殺意を以て真っ直ぐに見上げてくる。
……ッ、!!」
 無音のまま少年が翳した右手に、強烈な気味の悪さを感じて反射的にジノは身を捩った。左手で目の前に迫った細い手首を掴み、関節を捻るようにして動きを止める。だが想定とは裏腹に、細い手はどうしてかするりと拘束から抜け出してしまった。再び間合いを詰められないように、慌てて大きく後ろに跳ぶ。少年も軽く腕を振り、体勢を立て直して再びジノを見据えていた。
「なん、なんだよ! 待て! 俺には攻撃の意思はない!」
「意思は関係ない。存在しているだけで害を成すものもある」
「んな、……っ、なんだよ、それ! 意味わかんねえだろ!」
「だからそれを、確かめないといけないだけだ。……すまない」
 こちらを睨み据える少年は、はっきりと殺意をその目に宿していたが――不意にほんの僅かに眉を顰めて、本当に申し訳なさそうに目線を下げた。その一瞬、ジノが唐突なことに思考が追いつかずにいるたった一瞬の間に、小さな体は再び音もなく至近距離に迫っていた。伸ばされた細い手が、指先が胸元に触れそうになる。そういえば、と今更ながらに思い出した。つい先程、未だにじくじくと痛む右手に触れたのは、確かにこの手だった。気配すら感じ取れない手が、見えない場所から叩くように触れた瞬間に激痛が走ったのだ。理屈は全くわからない、けれどもだから絶対にこの手は不吉で、危険だ。
……ッ、やめろ!」
 衝動に突き動かされるように、ジノは上体を捩ると至近距離にあった子供の体を逆手で殴りつけた。制御も何もあったものではない、全速で全力の攻撃だった。相手も反応が出来なかったのか、僅かに目を見開いただけで、まともにその頭部に拳がめり込む。生身の手よりも遥かに強度で勝る人工躯体、その最も硬い強化骨格の、強く強く握られた節の部分が。
 あ、と思う間もなく、見た目通りの軽さの肉体が一瞬ふわりと浮いたかと思うと、次の瞬間には容赦なく地面に叩きつけられた。ごぎん、と鈍い衝撃があった直後、バキバキと何かが砕ける音が耳に突き刺さる。ぞっと背筋が粟立つよりも早く、ジノは何故か砕け散る光の幻影を見ていた。反射する衝撃のままに、少年の体が地面を跳ね、転がる。
 辺りには僅かな砂埃が立ったが、他には目立った変化は起こらなかった。呆然と腕の力を抜いたまま、ジノが立ち尽くしているばかりだ。矮躯が叩きつけられた地面に、他のものよりも一際大きな罅が入っている。少し離れた位置で倒れ伏したままの体は、ぴくりとも動かない。
――ぁ、……
 握り締めていたままだった拳の痛みを、今更ながら思い出してぶるりと全身が震えた。少年は動かない。見た目には何も変化がないが、変化がないからといって、何も起きていないなんてことは有り得なかった。人間を殴った生々しい感触がはっきりと残っている。生身の、それも、まだ背も伸び切っていないような子供の体を。
 ひゅう、と息を呑む。一気に血の気が引いて、目の前がぐらりと揺れた。恐怖に駆られた、と言えば簡単だが――そもそも一体、何をそんなに恐れたというのだろう。触れられただけで激痛がしたから? 命の危機を感じたから? ……そんなのは全部、単なる勘違いだったのではないのか? 有りもしない恐怖の為に見知らぬ子供を殴ってしまった。殴っただけならまだいい、拳に残った感触が確かであれば、おそらく彼はもう――
 ぱきり、と足の下で音がする。目眩がするような混乱に陥っていたジノの意識を、微かな音が辛うじて現実に繋ぎ止めた。現実、果たしてこれは現実だろうか。全て夢だったらいいのに、鮮明すぎる実感が逃避を許してくれない。ふらり、定まらない足取りで、何をどうすればいいかもわからないまま、ジノは倒れた少年の方へと一歩を踏み出す。
「やれやれ、やってくれたなあ」
 その時突然、頭の上で声がした。そう思ったと同時に、バシッと強く背中を叩かれるような感触。次いで、一瞬のうちにぐるりと世界が反転した。視界の急激な攪拌にぐらぐらと脳が揺らされ、過負荷に意識がブラックアウトしていく。その既視感。つい最近にも、どこかでこんなことがあったような。
 ジノの体が地面に無様に倒れ込む。目の前が真っ黒に塗り潰される直前、ぴくりともしない子供の姿が辛うじて見えた。その隣に誰かが立っている。夕日に照らされて、鈍く光る赤い髪。それから太陽のような金色がこちらをふと見て、にやりと笑った。
 何故かはわからないがそれは心底、嬉しがっているように見えた。



 ***


……痛え!」
 バチッ、と音がしそうなほどの勢いで、ジノは目を開いた。同時に全身に走った激痛に、あられもない悲鳴を上げる。なんだか少し前にもこんな目覚め方をした気がするが、感じる痛みは今の方がずっと酷かった。少しでも体を動かすとそこから放射状に激痛が広がり、全く身動きを取ることが出来ない。
 何がどうなっているのか、と自己診断を始めたが、結果は【原因不明】だった。傷があるわけでも組織が壊れているわけでもなく、神経にも何も異常はない。なのにただ痛みだけが存在しているらしい。そんなことがあるのだろうか。
「くそ……っ、……なんだよ、これ……!」
 じりじりと焦燥感が募り、歯を食い縛りながら必死に体を動かす。痛い。腕をついただけで脂汗が滲み、もう一度横になりたい気持ちをどうにか堪えてなんとか上体を起こした。ひゅうひゅうと短い呼吸が溢れ出る。そうしながらも視線で周囲を見回した。きりきりと微かな音を立てて義眼が動く。
 ここは、どこなのだろう。いつの間にか、ジノは全く知らないところに寝かされていたようだった。痛みのせいで体の感覚は正常でなくなっているが、手のひらに感じるのは固い地面の感触とは違っていた。すごく柔らかいわけではないが、冷たい石のようでもない。
 首を動かすだけでも骨が軋むように痛む。それでもなんとか視線を持ち上げると、予想に反してそこには灰白色の天井が見えた。空が見えるとばかり思っていたが、どうやら何かしらの建物の中であるらしい。壁にも、床にも同じ色の建材が使われているようだった。石で出来ているのだろうか、ぴたりと組み合わされた繋ぎ目を意味もなく視線で追っていると、ふと、ほとんど全ての石に細かな罅が入っていることに気づいた。つい先程まで嫌というほど見ていた、白っぽい地面と全く同じだ。
……捕まった、のか……?」
 なるべく体を動かさずにいると、次第に痛みにも慣れてきた。眉根を寄せつつ、状況の把握に努める。記憶を辿ってみたが、思い出せるのは突然倒れて意識を失ったらしいことまでだ。あの時は何が起きたのかわからなかったが、他にもう一人誰かがいたように思う。恐らくは、そのもう一人が自分を気絶させたのだろう。この場所に運んだのも同じ人物だろうか。
……
 思い出して、ジノは表情を曇らせた。気が滅入る。何しろ、子供を一人殺してしまったのだ。こちらからすれば防衛反応だったのだが、殺された側はそうは思わないだろう。ジノ自身ですら、本当に必要な行動だったか判断が出来ないのだ。何しろ相手は武器も持っていなかったし、対してこちらは存在自体が武装と見なされる【S型】だ。客観的に見て、どちらに非があるかは一目瞭然だろう。
 想像するに、後から現れたもう一人は、あの子供の身内か何かだろうか。ジノが子供を殴るところをたまたま見かけて、慌てて気絶させて捕らえたのかもしれない。そう簡単に気を失ってしまったことも信じ難いが、これだけ理解の及ばない出来事が続いていると、そんなことはどうでもいいように思えた。
 大きく息を吐き出す。なんだかどっと疲れてしまったが、これからのことを考えるとじっとしているわけにはいかなかった。もしあの子供を殺したとして捕まったのであれば、この先どうなるかわかったものではない。正式な裁判にかけられるならまだいいが(そうだとしてもジノが圧倒的に不利な状況で、重刑に処される可能性は大だが)、下手をすればこのまま私刑として殺されかねない。常識的に考えれば許されないことだが、常識の通じる場所でないことは嫌々ながら理解し始めている。
 罰ならいくらでも受けるが、殺されるわけにはいかない。というよりも、死ぬのは絶対に嫌だ。ぎりぎりと奥歯を噛み締めて痛みを堪えつつ、ジノは更に体を動かした。横たわっていた場所は床よりも一段高くなっており、どうやら一応は寝台らしきところに寝かされていたらしい。床の上に両足をついたところで、ぜいぜいと息が上がる。動けば動くほど痛みは強くなるが、このまま寝ていても殺されるかもしれないのなら、どうにかしてここから出なければ。
 必死にもがいていたその時、部屋の四方を囲んでいた壁の一部が突然溶けるようにかき消えた。視界の端でその現象を捉え、ジノは慌ててパッと首を向けたが――全身を襲った激痛に、声にならない声を上げてその場に崩れ落ちた。体の内側に鋭い針がギチギチに詰まっているようだ。動くこともままならず、蹲って痛みを堪えることしか出来ない。
「おや、起きていたのか。……どうした?」
 床に落ちてぷるぷると震えているジノの背中に、鷹揚な調子の声が降る。だが激痛に堪えているジノは声がしたことに気づかなかったし、気づいたとしても返事をすることは出来なかっただろう。声の主は一瞬不思議そうにジノを見つめていたが、やがて「ああ、」と得心がいったように頷いた。
「済まない済まない、忘れていた。メムを解除していなかったな」
 そう言うと、声の主は真っ直ぐにジノに近づくと、片手で軽くその背中を叩いた。瞬間に、あれほど強烈だった痛みが嘘のように消滅する。
……っ、……あ、あれ……?」
 ぱ、とキツく閉じていた目を開いて、ジノはゆっくりと体を起こした。ぱしぱしと何度か瞬きをし、両手を持ち上げて体を検分する。どこにも異常はないようだった。痛みは、完全に消え失せている。
「悪かったな。暴れられると困るので、動けんようにさせてもらった。……それにしても、やはり外のモノは生命力に溢れているなあ。あの状態でもそこまで動けるか」
……誰だ……?」
 痛みは消えても、疲労感は無くなりはしなかった。床に座り込んだままではあるが、気を張り詰めさせてすぐ側に立つ相手を見上げる。
 背の高い、赤毛の女だった。長い髪をきちりと結い上げ、金色の目を向けてくる。誰何しつつ、姿を見てジノもすぐに思い出していた。倒れた時、あの場にいたのは恐らくこの女だ。ジノが殺した子供の身内なのだろうか。少なくとも、不意打ちとはいえ一瞬で自分を気絶させられる手段を持っていることは間違いない。油断は出来なかった。
「レゼ」
……レゼ?」
「シェルル・リヴァのレゼだ。そう呼んでくれ」
……はぁ……
 唐突に名乗ったらしい相手に、困惑して曖昧な返事をする。レゼと名乗った女は笑みを絶やさなかった。害意は感じないが、感情が読み取れなくて無気味だ。何を考えているのかわからない。
 立ち上がろうとすると、片手で制された。座るようにと促され、迷った末に自分が寝かされていた寝台の上に腰掛ける。レゼは立ったままにこりと笑みを深めた。安心感を与えようと意図された笑顔だった。
「さて、外のモノよ。まずはようこそ、我らの母の地へ。あのまま上に置いておくとどのような影響があるかわからなかったのでな、一先ず回収させて貰った。異論はあるか?」
「え? ……え? いや、えっと……
 つらつらと語られる言葉は、聞き取れているはずなのにどうにも理解が及ばない。少し前にあの少年と話していた時と同じだった。もしかしたら聞き取れていると勘違いしているだけで、全く別の言語を話しているのだろうか?
「あー、その。ええと……まず聞きたいんだが、俺の言葉は、わかるんだろうか」
「うん? もちろん」
「本当に? 何て言っているのかわかるのか?」
「何を言っているかわかるか、と問われている。問題があるか?」
 要領を得ないのか、レゼが不思議そうに首を傾げる。それを受けて、ジノもまた内心で首を捻った。こちらの言っていることは通じているらしい。ではやはり、言葉が伝わらないわけではないようだ。
「問題はない、と思う……。すまない、あなたが何を言っているのかわからなかったものだから」
「ああ! ははは、成程。それで、言葉がわからないのではないかと?」
 ころころと声を上げて笑うレゼを見上げて、どうにも気恥ずかしくなったジノは眉を下げた。そうまで笑うことでもないのではないか。そもそもこちらとしては、全く笑うどころの話ではない。
「いや、済まない。わからないのは当然だ、お前は外のモノだからな」
……確かに、俺はこの辺りの人間じゃない。全く知らないところに、いつの間にかいて……たぶん迷い込んだんだ。それで……
 居た堪れなくなって、足元に視線を落とす。彷徨った挙句ようやく出会った人間を、何を狂ったのか自分は誤って殺してしまった。そのことがずっと頭から離れないので、今目の前で笑みを絶やさない女が正直言って恐ろしくて仕方がない。
「委細承知している。……ああ、そういえば先程はリヴィウィエラが済まなかったな」
……え?」
「私のきょうだいだ。会っただろう? 見ていたぞ」
 びくり、とジノの心臓が跳ねた。言いながら、レゼがまたにこりと笑う。膝の上に置いていた拳を握り締める。耳の奥でざわざわと血の流れる音がする。
……っ、その……あの子のことは、本当に」
「本当に、普段は落ち着いているのだがな。どうもあれは上のこととなると、向こう見ずで浅慮が過ぎる。ここ最近は特にそうだ。よく言い聞かせておくから、私に免じて許してやってくれ」
「いや、完全に俺の――……って、……え?」
「後で本人からも謝罪をさせよう。勿論それで済むことではないが」
 ふう、と溜め息をついたレゼの顔を、弾かれたように見上げる。目を見開いたまま瞬きすら出来ないでいると、それに気づいたレゼが不思議そうに腕を組んだ。
「どうした、マデルがシャクヨウ草でも食ったような顔をして」
 例えの意味が全くわからない。だがそんなことを訊いている場合ではないことは、働こうとしない頭でも瞬時に理解出来た。口を開こうとしたが、なかなか声が出ず……カラカラの喉でつっかえながらもようやく唾液を飲み込んで、震える声で尋ねる。
「あの、あの子供は……
「リヴィウィエラか? 何か用事か? 流石にまだ、起きてこないと思うが」
「い……生きているのか?」
「うん? 勿論」
「勿論……?」
 ひゅう、と喉の奥で妙な音が鳴った。まさか、とは思うが、見上げた女の顔は嘘をついているようには見えない。だがジノの手には今もまだ、少年を殴った時の記憶が残っていた。ただ殴ったのではない、はっきりと骨を砕いた感触があったし、それ以上の手応えも――
「ぶ、無事なのか!? でも……
「でも?」
……っ、ぜ、絶対……死んだと思うんだが……
 ふむ、と顎に指を添えるレゼは至って冷静なように見える。それはその通りであったようで、すぐにまたにこりと人好きのする笑みをジノに向けた。
「まあ、あの程度の損傷ならば問題ない。そうか、それでやけに暗い顔をしていたのだな」
「怪我……はさせたよな。それは、大丈夫なのか……?」
「ああ。頭が半分ほど陥没して潰れていたが、大丈夫だ」
……えぇ……
 がくりと膝から力が抜けて、中途半端に浮かせていた腰を再び寝台に下ろす。ぐるぐると目の前が回って、目眩を堪えるように片手で額を押さえた。いよいよ理解が及ばない。脳はこの場所に来てからというもの、全く働くことを放棄していた。考えたところでわからないものはわからないのだから、無駄に働かないほうがエネルギーの節約になっていいのかもしれないが。
「どうした、体がおかしいのか?」
……いや、大丈夫……では、ないかも、しれない」
「そうか。休みたければここで休んでいて構わんぞ」
……体は、大丈夫だ。その……そういう、ものなのか?」
「そういうもの?」
「そういう……それくらいの怪我では、死なないように出来てるものなのか?」
 ぐるぐる回る視界に半ば酔いながら、ジノはなんとか顔を上げて問いかけた。もしかしたら自分が生身の人間だと思い込んでいただけで、本当は頭部を含めて人工の躯体だったのかもしれない。それにしてはあまりにも出来が良過ぎるが、そういった技術が存在していないとも言い切れない。
 他に誰もいない土地といい、これまでの奇妙な状況を加味して考えるとそれが正しいような気がした。ここは人間と見分けのつかないような人造躯体を秘密裏に作っている、何らかの組織の研究施設なのではないだろうか。そうすると記憶もないままそんな場所にいる自分は、やはり何かの任務を受けて潜入でもしているのだろうか。
 わからないなりに整合性をつけようと必死に考えていると、側で見ていたらしいレゼがふと顔を上げた。パリパリと、微かな音が開かれたままの扉の向こうから近づいてくる。次第に近づいてきた音に気づいて、ジノもまた顔を上げた。聞き慣れてしまったこの音は、例の、地面が薄く罅割れる音だ。
「レゼ」
 落ち着いた響きの、高めの声がすぐ近くにいる女の名を呼ぶ。聞き覚えのある声だ、ジノの心臓が大きく跳ねた。扉の奥の暗闇から、するりと静かに少年の体が部屋の中に入ってくる。
「おや、よくここにいるとわかったな」
「中央のに聞いた」
「そうか。もういいのか?」
「もう治った。……酷い目に遭った。こんなに気持ち悪いのは久しぶりだ」
「だから、待てと言ったろうに。気を抜きすぎであるし、この件は全面的にお前が悪い」
……わかっている」
 片手でこめかみの辺りを揉みながら、淡々とした調子で少年が言う。それを諫めるようなことを口にしつつ、レゼは再びジノの方を見た。
「済まないな、見ての通りだ。もう少しかかるかと思っていたが、これだけ喋れるのだから問題ない。安心してもらえたか?」
「あ、ああ……
 呆然と、ジノは目の前の光景を見つめていた。そこにいるのは、確かにあの時出会った少年だ。見た目には何も変わった様子はない。本当に死んでいなかったらしい。それどころか、傷ひとつ残っていない。
……そうか、よかった……
 はーっ、と深く息をついた。生きているのなら、それに越したことはない。ようやく胸のつかえが取れてほっと背を丸めたジノの頭の上から、堅い声が降ってくる。
「いや、良くはない。そもそも先にお前を殺そうとしたのはリヴィウィエラの方だからな」
「え?」
 レゼは先程までの笑みを消して、少年の方をじっと見据えた。リヴィウィエラ、と呼ばれた子供は一瞬だけジノの顔を見て、それから真っ直ぐにレゼを見つめ返す。
「アリューラかどうか、訊いても答えなかったんだ。確認しなければいけないと思った」
「だからとて、そんな確かめ方があるか、馬鹿者。本当に死んでいたらどうするつもりだった?」
……それならそれで、別にいいかと」
「馬鹿め。何がいいものか、外のモノだぞ。我らにとっても邪魔にしかならん。……お前がそんなにサーヴァ・プラティカの状態をわかっていないとは思わなかった」
「わかってるに決まってる! ……反省している。浅慮だった」
 目の前で繰り広げられる剣呑な応酬を、ジノは黙って見つめていた。二人が何の話をしているのかは全くわからないが、最終的には少年の方が一方的に叱られた形になったようだ。レゼはきょうだいと言っていたが、確かに傍目からは年の離れた姉と弟のように見える。
 ふん、と鼻を鳴らして腕を組んだレゼが、視線だけでジノを見る。促されるように、少年――リヴィウィエラがジノに向き直った。真っ直ぐにこちらを見つめる目からは、敵意は消えていたものの未だに疑念の色が窺える。
……本当にアリューラじゃないのか?」
「違う。ただの外のモノだ」
「間違いなく?」
「間違いない。一通り体は調べたが侵食はされていない。何より、メムが正しく作用していた」
……そうか」
 もう一度、二人が言葉を交わす。やはり内容はジノには理解出来なかったが、その問答によってようやくリヴィウィエラは納得を得たようだった。ふ、と一瞬だけ視線が逸らされたかと思うと、再び目が合った時には、もうそこに疑念は残っていなかった。
「本当にすまない。わたしの思い違いで、君に大変なことをしてしまった」
……ぇ、……っあ、え!?」
 寝台に座ったままのジノの前で、リヴィウィエラが静かに床に膝をついた。下方からじっと見つめられて、突然のことに思わずたじろぐ。動揺しすぎて妙な声が出てしまった。まともに返事が出来ないまま、どうしたらいいかもわからずにただただ大きな目を見つめ返す。見上げてくる視線は全く逸らされることがない。一旦状況を把握するべく、ジノは片手で額を押さえた。
「ええ……っと。ちょっと待ってくれ。一つ確認したいんだけど、君はあの時やっぱり、本当に俺を殺そうとしてたのか……?」
「間違いない。殺してみなければわからないと思ったので」
「ま、……な、なるほど……? じゃあ、俺がその……殴ってしまったのは、あれは反射的にやってしまったんだが、間違ってなかったってこと、か?」
「むしろ、そうしてくれてよかったということになる。謝罪して許されることじゃないだろうが、一先ず謝罪させてほしい。気が済まないようなら、もう一度殴ってくれても構わない」
「はっ!? いや、いやいや、勘弁してくれ!」
 とんでもない提案に、ジノは慌てて立ち上がると床に座っているリヴィウィエラの手を取って引っ張り上げた。立った状態では随分と身長差があるが、仰ぎ見てくる視線はやはり逸らされないままだ。
「妙なこと言うのはやめてくれ。別に俺は、腹が立ったから殴ったんじゃないよ。殺されると思ったから咄嗟に手が出ただけで……だいぶ、当たりどころは悪かったけど……
 体の横で、ぎゅっと握った拳を開く。詳しいことはわからないが、どうやら何か根底に、大きな勘違いがあったらしい。そして様子を窺う限り、その疑いは晴れたようだった。襲われることがもうないのなら、それで構わない。
「とにかく、もういいよ。むしろ俺の方が、……てっきり君を、殺してしまったかと思ってたんだけど」
 真っ直ぐ過ぎる視線に居た堪れなくなって、ジノの目が泳ぐ。リヴィウィエラはそこで初めて、驚いたようにぱちりと瞬いた。小さな手がぽすりと自分の頭に触れる。どうやらそこがちょうど、拳が当たった場所らしい。
……確かに、だいぶ当たりどころは悪かった。まだなんとなく気持ちが悪い」
「そ、そうだよな……本当にごめん、ちょっと払い除けるくらいのつもりだったんだ……
「人間だったら間違いなく死んでいた。油断したとはいえ、外のモノというのは動きが速いし、力も強いんだな。正直、驚いた」
「そうか…………ん? え?」
 謝罪を経てなんとなく和やかな空気になったところで、リヴィウィエラの言葉にふと引っかかるものを感じてジノは首を捻った。
「何だって?」
「え?」
「何て言った? 『人間だったら死んでいた』って?」
「ああ、そうだな」
 それがどうした、と今度はリヴィウィエラが首を傾げる。その反応に眉を寄せつつ、再び頭を整理しようとジノは指先でこめかみを押さえた。心なしか頭痛がしてきたような気がする。
……人間じゃないのか?」
「そうだ。……そういえばまだちゃんと名乗っていなかったな。わたしはリヴィウィエラ。シェルル・リヴァのリヴィウィエラだ」
「リヴィウィエラ……ええと、なんだ。やっぱり、君もS型なのか。シェルル・リヴァ? っていうのが、躯体名か? それともブランド名?」
「くたい? いや、生き物としての名前だ」
「生き物としての、名前……?」
 ぐるぐると混乱しながらジノが首を傾げると、それを見ているリヴィウィエラも同じ方向に首を傾げた。なんだか稚いその動きに少しだけ心が和むが、いよいよ何もかもわからなくなって頭の奥がじりじりと痛む。
「よし、そこまでだ」
 ふらふらし始めたところで、突然ぱしん、と軽快な音がした。ハッとして視線を向けると、レゼが軽く両手を打ち合わせた音だったらしい。目が合うと、にこりと笑顔を向けられた。
「済まないな。話が弾んでいたようなので口を挟まずにいたのだが、そのせいで無意味に混乱させてしまったらしい」
「はあ……
「リヴィウィエラ、どうせ彼にははじめから何も説明していないのだろう。私もそうだ。だから会話にならないのは当然のことだ」
「え、……そうなのか」
 ジノを見るリヴィウィエラの目が、労るように僅かに細められる。表情のあまり変わらない少年だが、目が思いの外雄弁であるのでレゼよりもよほど親近感があった。
「まだ、何もわからないままなのか」
「ええと……うん」
 リヴィウィエラが確かめるように尋ねるのに、心許なく頷く。事実そうであったから、虚勢を張る必要もない。そうか、と細い首が上下に動く。
「それは大変だな。違う世界にいるのは不安だろう。しかも、よりによって今ここに落ちるなんて」
「うん……うん?」
「また混乱させているぞ。まあ、一先ず落ち着け。良いか、外のモノよ」
 ジノに再び寝台に座るように促して、レゼは口元に湛えていた笑みをふと消した。急にピリッと張り詰めた空気に、思わず肩に力が入る。
「まず大前提として、お前はお前の生きる世界とは別の世界の存在を信じなければならない。それが可能か?」
……は?」
 近くに立ったままのリヴィウィエラが、気遣わしげにジノを見る。だがその視線に気づける余裕は今のジノにはなかった。どんな重大な機密を明かされるのかと身構えていたのに……世界とは、何だ?
「世界って……世界? どういうことだ?」
「そのままだ。お前にはお前の生きている世界があるだろう。お前の家、きょうだい、他者、大地、生命、惑星、宇宙、善きこと、罪……お前が生まれ育った中で触れたもの全て。それがお前の世界だ」
……それが、なんだって?」
 眉根を寄せると、レゼの腕がすっと伸びて一方の壁を指差した。瞬間、扉が開いた時と同じように壁の一部が溶けて消える。窓のようにぽかりと開いたその向こうには、何もない空間が見えた。ややあって、それが空であることに気づく。真っ暗ですぐにわからなかったが、いつの間にか夜になっていたようだ。だが、それが一体何だと言うのか。
――え?」
 真っ暗な夜の空を不思議そうに見つめていたジノは、やがてその光景の違和感にようやく気づいた。慌てて立ち上がり、足早に窓に近づく。ガラスも何も嵌められていない窓は随分高い位置にあるようで、限界まで身を乗り出して空を見た。きりきりと音を立てて義眼を動かし、景色を拡大する。片方を見て――それから、今度はもう片方を。
……月が、二つある……?」
 星の見えない真っ暗な夜空には、左右それぞれに二つの月がぽかりと浮かんでいた。どちらもやけにくっきりとした輪郭で、まるでそこだけ空を切り取ったようにも見える。
「君の世界には、月はいくつあるんだ?」
 いつの間にか近くに寄ってきていたリヴィウィエラが、窓枠とジノの隙間から同じように空を見つめた。純粋な疑問、といった調子の問いかけに、ほとんど無意識のまま答える。
「月なんて、一つに決まってる」
「そうなのか。……でもわたしの知っている月は、三つだ」
……三つ?」
「そう。今は見えないが、もう一つある。だからこの世界の月は三つだ」
 そう言って、大きな目がじっとジノを見上げる。真っ直ぐすぎて、たじろいでしまうような視線だ。
「自分の生まれた世界とは、全く別の世界がある。そしてここは、君の生きるべき世界じゃない。……理解してもらえるだろうか」
……
 世界、と口の中で反芻するように呟いて、もう一度ジノはそこにある知らない空に目を向けた。出来の悪い冗談のようだ。自分を騙して、一体何の得があるのだろう。それともこれはやはり夢なのだろうか。夢ならもう随分と長すぎる。醒めるチャンスはいくらもあったと思うのだが。
「なんで……
 呟く。自然と溢れた声はいやに恨みがましくて、情けなくなるほどだった。だからそれ以上は外に漏らさないように、唇を強く噛み締める。これは現実なのだと思い知らせるように、傷ついた粘膜がじくじくと痛む。
「基本的に、我らの世界が他の世界と繋がるようなことは有り得ないのだが――
 背中の向こうからレゼの声がした。ジノは無言のまま頷く。承知とばかりに、言葉は続く。
「厄介なことに極稀に、『穴』が開いてしまうことがある。これは不吉な、忌むべき穴だ。あらゆる境界を貫き通し、どこへ繋がるのか誰にもわからない。もしも一度落ちてしまえば、あらゆる場所へと散らばることになる。故に」
 ぽん、と背中を叩かれる。振り返ると、リヴィウィエラの小さな手が宥めるように触れていた。
……故に、お前のように全く違う世界へと、突然放り出される事故が起きてしまう。そして……これが最も厄介なことなのだが、そうして落ちてきたものを我らは元の世界に返す術を持たない」
……それは、」
 淡々と語られる内容から、辛うじて理解出来た結論を口にしようとして――そう出来ずに、ジノは声をなくして俯いた。見開いた目に、細かく罅割れた床石が見える。説明されても尚納得出来ない。告げられた言葉はもっと納得し難かった。返す術を持たないということは、つまり。
 黙り込んでしまったジノに、二人は何も言わなかった。背中に触れているリヴィウィエラの手だけが、はっきりとした現実を伴ってそこに存在しているように思われた。



 ***

 のろのろと寝台に座ってから、少し休ませてくれ、と外のモノはようやく言った。恐らく、レゼはその言葉を待っていたのではないだろうかと思う。彼に休息が必要なことは疑う余地もなかったから、部屋を出るレゼの後を追ってリヴィウィエラもその場を離れた。
 部屋を出る直前、背後を振り返る。項垂れた様子でこちらに背を向けて、外のモノは座り込んでいた。するり、膜でも張るようにして部屋の窓と扉が閉められる。彼はこの扉を開ける方法を知らないから、目を離しても勝手にどこかへ行ってしまうことはないだろう。
「閉じ込めてしまったみたいで、大丈夫だろうか」
 先を歩く背中に追いつき、隣に並んでぽつりと呟く。レゼはちらりとこちらを見下ろして、何が面白いのかふと笑った。
「随分心配しているな。はじめは殺そうとしていたのに」
「それはもう謝った。誤解だったから、せめて良くしてやりたいと思っているだけだ」
「成程、殊勝だな。まあ、扉を開けたままでもよかっかもしれん。どのみちここより外には出られんし、他に誰もいないのだから」
 パリパリと、廊下を歩く度に音がする。聞き慣れたとはいえやはり不快な音だ。先程のレゼの言葉を借りるなら、不快な上に不吉で、忌むべき音である。
「レゼ。わたしは後で、もう一度ウサギ穴を見に行ってくる」
「うん? 大丈夫なのか?」
「近くには行かないから大丈夫だ。……それより、どうして一番大事なことを言わなかった? 帰れないことよりも、わたし達が」
――この世界が明日にも滅ぶかもしれないと、あの時伝えるべきだったと思うか?」
 ひたりと視線を向けられて、思わず押し黙る。レゼはすぐに笑って、ぽんとリヴィウィエラの肩に手を置いた。
「まあ、明日にもというのは言い過ぎか。確かに急ぎ伝えるべきことではあるが、……少なくとも今ではない。そうだろう?」
……そうだな」
 尤もだと頷く。外のモノは背の高い大きな人間なのに、つい先程見た背中は随分と縮んで見えた。たくさんのことを一度に受け入れるのは難しいことだ。ヒトも自分たちも、それはあまり変わらない。
「心配するな、まだ猶予はある。それにどちらにせよ、あのモノには我らと共にあってもらっては困る。異物はサーヴァ・プラティカの害になるだけだ」
……それも、そうだな。サーヴァは、何か方策を持っていないのだろうか」
「どうだろうな、調べてはみるが……やれやれ。本当になんて厄介で、迷惑極まりない穴だ」
 ふう、とレゼが溜め息をついた。この『姉』がそんな風にするのは珍しいことだ。だが、溜め息のひとつもつきたくなる気持ちはわからないでもない。本当に何故、よりによって、今なのか。
――そういえば、まだ、名前を聞いていなかったな」
 ふと思い出して、リヴィウィエラはぽつりと呟いた。彼にも名前はあるのだろうか。大事なものだ、落ち着いた頃に教えてもらえるといいのだが。
 いつの間にか、殴られた頭に残っていた違和感も消え失せていた。もう一度こめかみの辺りを軽く撫で、レゼに声をかけてから、穴の様子を見に行く為にリヴィウィエラは地面を蹴ってその場から姿を消した。



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