@toshi_harun
第一印象は、『人形のような子』だった。
この世にある綺麗な物を、全て詰め込んだ無機物。
――もしくは、無慈悲な天使、だったのかもしれない。
その日は、一段と日差しが強くて、とても暑い日だった。
例年より早めに来た今年の梅雨も開け、六月も半ばに差し掛かったある日のこと。渚くんが突然、僕たち兄弟に紹介したい子たちがいると言ってきた。
管弦楽部の休みの日に合わせて、放課後、学校の近くにある公園で待ち合わせをすることになったのだが、僕はちょうど日直の当番の日だったので、双子の弟のシンジに、末っ子の保育園のお迎えを任せた。各々現地で落ち合うことにしたのだ。
僕が公園に着いた頃には、既に渚君が居て、弟たちの姿はまだ見当たらなかった。小走りで近寄りながら、「渚君」と声をかけると、彼はいつもの人好きのする笑みを浮かべて振り向く。
「碇君」
「ごめんね、遅くなっちゃって……」
「僕らもさっき来たところさ」
そう言って、渚君は視線を自分の後ろへとやった。
ひょっこりと彼の背中から顔を出したのは、渚君と同じような見た目をした小さな男の子だった。同じようなとは言ったが、温厚な渚君とは違い、無邪気そうな印象を受ける。
男の子が着ている制服には見覚えがあった。たしか、僕たちが通う中学校の近くにある、私立の小学校の制服だ。
「だれ?」
「言っただろう、僕の友達だって」
「ふうん」
そう言ったきり、興味が他にそれたらしい彼は、僕から視線を外し、キョロキョロと辺りを見渡している。
「碇君、紹介するよ。……カヲル、君もこちらにおいで」
渚君が、彼の後ろに隠れていたらしいもう一人の男の子の肩に手を置く。
最初の子と同じ制服を着ているその子は、帽子を深めに被り、こんな暑い日にも関わらず、長袖のシャツを着ていた。気候にそぐわないその格好も、確かに気にはなったけれど、それ以上にその男の子の容姿から何故か目を離せなくなる。
つまらなそうに伏せていた瞳が、徐にこちらに向けられた時、小さく自分の心臓が跳ねたのを感じた。
「僕の従兄弟なんだ。今年から、この子たちの両親が、仕事の都合で海外にいることが多くなるらしくてね。向こうに移住する予定だったけど、祖父がどうしても二人を指定の学校に通わせたいらしくて、彼らの学校が近い僕の家で、しばらく暮らすことになったんだよ。二人とも、シンちゃんと年齢が近いから仲良くしてもらえないかと思って……。それと彼らは碇君たちと同じ双子なんだよ」
「……はじめまして、カヲルです」
淡々と挨拶をする姿は、無機物感が極まり、ますます同じ世界の生き物であることに違和感を覚える。
渚君やもう一人の男の子も、同じくらい整った顔をしているのに、何故だろう。一際白い肌のせいだろうか。ゾッとするような美しさとは、こういう事なのかもしれない。心を揺さぶるような芸術品を見ている時、きっと同じ気持ちになるんだろう。
「碇君? 大丈夫かい?」
「え」
渚君の声にハッとする。
思わずじぃっと、その子を見つめてしまっていた。顔が熱いのは、おそらく気温のせいだけではない。
「あ、あの、ごめん……その……カヲル君、だっけ?」
「……、はい。よろしくおねがいします」
彼は、一呼吸置いて、にこりと微笑む。
(あれ、なんか……)
「うん、よろしくね」
笑っているのに、何故か違和感を感じる。子供らしくないというか。確かに笑っているのに、彼の感情が見えてこない。
それは、拒絶とまではいかないけれど、どことなく煩わしそうな雰囲気があった。
「向こうにいるのが、僕の弟です」
「……? ああっ、また……。全く……、ナギサはすぐ何処かに行ってしまうんだから……」
カヲル君が指差す方を追うように、渚君と僕が顔を向けると、もう一人の子がいつの間にか数メートル先の花壇の前で、しゃがみ込んで何かを見ていた。
あの渚君が、ため息をついている。学校ではいつも余裕のある彼の姿しか見ていないからか、小さい子に振り回される渚君はとても新鮮で、思わず小さく笑った。
それにしても……。
「双子……」
「どうかしたかい?」
「あっううん、あんまり似てないなあって……」
双子と聞いて最初に思ったのはそれだった。
全体的な外見は渚君も含めて三人とも似ているので、血の繋がりがあるのだろうなと、ひと目で判別は出来る。けれど、この子たちは双子にしては、パーツの節々にかなりの差があって、あまり似ていないようにも見えた。特に雰囲気、というか。あまり話してもいないが、二人の言動の差は端から見ても明らかで、おそらく性格もぜんぜん違うんじゃないかと思う。
「ああそれは……、」
「僕たちは二卵性双生児なので」
カヲル君は、渚君の言葉を遮るように、再びニッコリと笑ってそう言った。あ、そうか、と失念していた理由に納得するも、先程と同じような彼の笑い方に思わず萎縮する。
「……兄さん、まだここで待つのかい?」
「そうだね、碇君の弟さんたちがもう少しで来るはずだから……」
渚君の言葉を聞いて、小さく息を吐いたカヲル君は、俯き気味に言った。
「僕は、日かげで休んでるよ」
「ああ、そうか。じゃあ僕らもそっちに、」
「いい……、それよりカヲルを遊ばせてやってほしい。じっとしていられないだろうから」
二人の会話の意図がよくわからずに、黙って聞いていたが、カヲル君の表情が先程とは違い、少し辛そうにしているのだけはわかった。汗ばんでいるような気もする。今日は風もほとんど吹かないし、長袖はやはり暑いのだろう。
「僕は、あそこのベンチで本でも読んでいるよ」
「分かった」
ゆっくりと日陰にある近くのベンチを指差してカヲル君が言う。カヲル君は渚君が頷くのを確認すると、そろそろとそちらに歩いていった。それを渚君と二人で見届ける。
もしかしたら、僕は彼に対して失言をしてしまったのではないかと不安になり、渚君を伺い見た。
「あの……、もしかして僕、気に障ること言っちゃった……のかな」
僕がそう言うと、渚君はほんの少し目を丸くして、こちらに向き直って首を横に振る。
「そんな事はない。碇君が気にする事は何もないよ」
「でも」
気を遣ってくれているのだろうと思い、申し訳無さに言い淀む僕を尻目に、「それに」と渚君が言葉を続ける。
「あまり長い時間日光にあたるのは良くないからね」
「え? なんで?」
「カヲルは軽度の眼皮膚白皮症で、長時間の直射日光は避けるよう言われているんだ」
「がん、ひ……?」
「『がんひふはくひしょう』さ。アルビノ……って言ったほうが解りやすいかな? 僕たちはこんな風貌だから、分かりづらいのだけれどね」
「そうなんだ……」
渚君の説明を聞きながら、ベンチに座るカヲル君を見た。
木陰で休めたからか、さっきのような辛そうな顔はしておらず、黙々と本を読んでいる。たまに気休め程度の風で木が揺れると、木漏れ日の光が髪に反射して遠目からでもキラキラと光っていた。やっぱり綺麗な子だなと思う。
「あまり知識がない僕が言うより、自分のことはよく解っているようだし、元来周りにとやかく言われるのを嫌うタイプのようだから、普通に接してあげてほしい」
「うん、わかったよ」
「それと、あの素っ気なさは元々だよ。……あっ」
僕を見ながら話していた渚君は、ふと僕の後方に視線が移って、慌てたように声を上げた。「碇君ごめん」と言い、僕の横を通り抜けて走っていく。渚君の向かう先を見ると、ナギサ君が先程より随分遠くの方にいて、背伸びをしながら自販機のボタンを色々と押しているようだった。
「ナギサ! 勝手に一人で遠くに行ってはいけないよ」
「兄さん、ノドかわいたー」
そんなナギサ君の様子を見ていたら、なんとなく僕やシンジも小さい頃に、ボタンを見るとやけに押したがっていた時期があったのを思い出して、自然と頬が緩む。
しかし緩んだ頬は、すぐに元に戻った。ちらりと一人で読書をしている彼に、もう一度視線を向ける。
「…………」
渚君は、気にしないでいいと言ってくれたけれど、見た目の事を軽率に言ってしまった事は後悔している。
やはり本人には、謝っておこう。そう思い直し、決心したように一人頷き、足を踏み出した。
本を読んでいるカヲル君の前にそっと立つ。すぐに僕に気付いた彼は、本から顔を上げ、何も言わず僕をじっと見つめる。
「……隣、良いかな?」
「……、……どうぞ」
一言そう言うと、中心寄りに座っていた場所から少し端に避けてくれた。
一人分のスペースを空けて、そっと隣に腰掛ける。ついでに、少し気になっていた彼の読んでいる本の中身を盗み見た。そこに書いてある文章には、小学生が読むとは到底思えないような小難しい漢字が多用されていて、文字も随分と小さい。小説のような内容でもなさそうだった。
頭も良いんだなあ、と感心したところではっとして、首を振る。しっかりしろ、僕は謝りにきたんだ。
「えっと……ごめんね、弟たちもうすぐくると思うんだ」
「大丈夫です」
僕の言葉にそっけなく返して、また本に目を落としてしまう。
僕は静かにけれど大きく深呼吸をした。何故だろう、カヲル君と話すの、少し緊張する。元々小さい子と話すのはそんなに得意じゃなかったけど、流石に緊張したことなんてなかった。
やっぱり、カヲル君が綺麗だからだろうか。初対面の男にこんな事思われてたら、多分気持ち悪いだろうな。
……ううん、余計なことを考えるのはやめよう。
「あのっ、それともうひとつ、ごめん……」
「?」
僕の言葉に、カヲル君は首を傾げている。その仕草があどけなくて、やっと彼が年相応の子供に見えた。一度だけゆっくりと瞬きをして、不思議そうな顔をした彼の赤い目がこちらをじっと見つめる。
吸い込まれそうな赤の色。
渚君たちと何かが違うと思ったら、カヲル君は瞳孔の色が薄いんだ。まるで瞳が赤色一色のガラス玉のようだった。あまり詳しいことは知らないのだけれど、これもアルビノの特徴なのだろうか。
「似てないって言われるの嫌だったのかな、って」
「……、いえ別に、」
カヲル君は言葉少なであったが、はっきりと物を言っていた印象はあったので、目をそらし、口ごもっているところを見ると、何か思う所はあったのかもしれない。
「僕も双子の弟がいるんだけど、」
「……はい、従兄から聞いてます」
「そっか。……僕たちは、見た目がそっくりでね。小さい頃から色々比べられたり、間違えられたり……。弟も僕もうんざりしてた時期があったから……」
言いながら、当時のことを思い出す。
小さい頃、ずっと同じであることに拘っていた僕とシンジは、末の弟が生まれたのを機に、やたらと比べられたり、全く同じものを買い与えられるのを嫌がるようになった。母さんは「あれが反抗期だったのかもしれないわね」と言っていたけれど、本当にそうだったのかはよくわからない。
ただそれ以前の事、シンちゃんが生まれるよりも前の事を考えると、ふわふわと落ち着かない気持ちになる。それは、小さい頃にずっと感じていたことだ。
なんというか、現実味のない話ではあるのだが、幼少の一時期はあまりにも間違えられるものだから、自我というものが曖昧になる感覚がたまにあった。それが、今でもたまに感じるふわふわとした感覚だ。あれは本当に不思議な感覚だった。自分は自分であり、弟のシンジでもあった時期があったのだ。まるで、違う世界の、同じ自分という存在がそこにいるようで、地に足がつかなくなるような気持ちになると同時に、当時は感じなかったほんの少しの恐怖を今の僕は感じている。
もちろん、シンジが嫌なわけではない。小さい頃から一番近くに居た自分ではない誰かは弟だったし、今でも一番に頼りにしているのも、その弟なのだから。でも、あれは、僕が僕じゃなくなるような、心地が良いもので、今はそれが恐ろしい。
自然と眉間に皺が寄ってしまっていたことに気がついて、軽く指で眉間を擦った。
今となっては、あれが自分にとって、悪いものでも苦い思い出でも無かったからこそ、僕は自分とシンジが似ている事に複雑に思うのだ。
「だから、言い訳みたいになっちゃうんだけど、似てるより良いのかなって……ごめんね、君たちと僕たちは違うのに」
「…………」
黙ったままのカヲル君の反応に、肩を落とす。
やっぱり、嫌われちゃったのかもしれない。せっかく渚君に紹介してもらったのに、申し訳ないな。
そう思って気付かれないようにため息を漏らした瞬間に、隣から小さく笑い声が聞こえてきて、パッと顔を上げ横にいるカヲル君を見る。
キラリと光った彼の瞳が、今までの作り笑いとは違う事を示していた。いや、心からの笑顔とか、そうじゃないとかどうでも良くなるくらい、その笑顔が眩しく見えて何故か僕は、その時とても泣きたい気持ちになった。
なんでだろう、初めて会ったはずなのに、僕はこの笑顔がもう一度見たいと思っていたような気さえする。
「そんなことで、謝らなくてもいいですよ」
カヲル君は微笑みながらそう言って、開いていたページにしおりを挟み、本をパタリと閉じる。そしてそれを鞄にしまい、僕の方に身体ごと向いてくれた。
泣きそうになっていたはずなのだけれど、あまりのカヲル君の態度の変化に呆気にとられて、僕の涙はすっかり引っ込んでしまった。
「僕たちも、よく比べられるんです。兄弟である限り、似てる似てないは、周りからしたらきっとあまり関係ないんだと思いますよ」
「……そう、かな」
「…………」
じっと目を覗き込まれて、ぎくりとする。まるで心の中を全て覗き込まれているみたいで、でも、その赤い瞳から、目を逸らせなかった。
「あなたは繊細な人なんですね」
「えっ!? そ、そんなことないよ……」
カヲル君は僕の顔を見て、スッと目を細めて笑う。
(ち、小さい子に繊細って……)
僕のほうが、年上だよね……?と、疑いそうになるほど、カヲル君は落ち着いていた。小学生に『繊細』だと言われて、少しショックを受けながら苦笑いを浮かべる。
「僕のせいで気を遣わせてしまったのなら、ごめんなさい、碇さん」
「あ……、シンジでいいよ。それと、出来れば、敬語もなくて良い、から……」
「そう……じゃあ、シンジ君?」
「うん」
僕は、あまり人から敬語を使われるのに慣れていないから、そう申し出たのだけれど、いざ名前で呼ばれると、思っていた以上にしっくりきた。
カヲル君は人に気遣いが出来るし、きちんと謝れる。話す言葉もまるで同じ年齢ぐらいの子と話しているみたいだった。
(変だ。さっきから)
あの感覚に似ている気がした。でもこれは、恐ろしいというよりは、不安だ。さっきの感覚がふわふわと浮遊する感覚だとすると、今感じているのはガラガラと足元が崩れ落ちていくような、もしくはゆっくりと沈んでいくような感覚。
不思議と嫌悪感はなかった。むしろそのまま、落ちていっても良いと思えてしまうような気持ちになる。
これは一体、何なのだろう。
「僕は本当に気にしていないんだ。前は思うところもあったけれど、言われなれていたことだし。……君の話を聞いていたら、長年の疑問にも合点がいったからね」
「疑問……?」
飛躍しそうになる思考を抑えて、カヲル君の話を聞く。『疑問』という言葉に首を傾げるが、彼は「うん」と一つ頷いただけだった。
「もし僕の態度が悪かったのなら、多分今日の気候のせいだと思うよ」
「あ、うん……その、君のこともいろいろ渚君に聞いちゃった……」
「そうなのかい? なら説明はいらないね」
事情説明のためにとはいえ、体質の事を勝手に聞いてしまったので、少し後ろめたさがあったのだが、本人は特段気にする様子もなく、気を遣ってくれているわけでもなさそうだ。
「うん、勝手にごめんね」
「謝ってばかりだね、シンジ君は」
「あはは……」
僕の悪癖をくすくすと楽しそうに笑うカヲル君に恥ずかしくなり、空笑いで返してしまった。
カヲル君、あまり話さない子だと思っていたけれど、案外おしゃべりな子なのかもしれない。
それから、僕らの会話が途切れたのを見計らったかのように、カヲル君の弟を連れ帰ってきた渚君が、タイミング良く声をかけてきた。
「碇君」
「あ、渚君」
「すまない、ナギサが喉乾いたって聞かなくて……」
立ち上がり、渚君たちを出迎える。よく見ると、二人共飲み物を両手に一本ずつ持っていた。渚君は、僕に笑いかけたあとに続けてカヲル君に目をやり、少し驚いた顔をした後、肩を竦てめまた笑う。ナギサ君の方はというと、カヲル君に飲み物を片方を差し出していた。
「カヲ兄、紅茶?」
「……うん、ありがとう」
カヲル君に紅茶を手渡し、さっきまで僕が座っていた場所にナギサ君が座る。
「碇君、余り物ですまない。緑茶とスポーツドリンクどちらが良いかな」
「えっそんな悪いよ、……あ! お金! お金、払うから……!」
渚君は持っている二本の飲み物を差し出してそう言うものだから、慌てて財布を取り出そうとかばんを開けた。そんな僕を「良いんだ」と制して、ニッコリと笑う。
「カヲルのことを見ていてくれていたみたいだし、そのお礼だよ」
「見てたなんて……」
僕はただ話をしていただけで、そんな意識はなかったのに……と飲み物を受け取るのを渋っていると、渚君は小さい声で僕を呼び、手招きをする。不思議に思い首を傾げながら渚君に近づくと、僕の耳に顔を近付けて、耳打ちをしてきた。
「少し君たちの様子を見ていたのだけれど、カヲルは初対面の人とあんなに会話が続いたことはないんだ。彼がすぐ会話を打ち切ってしまうからね……」
「え」
「僕も初めは手を焼かされたよ。何を言っても一言二言しか話してくれないし、コミュニケーションの取りようが無かったんだ。ナギサに聞いても、カヲルはいつもそんな感じだと言うし……、よほど碇君の事が気に入ったんだろうね」
「気に入るなんて……、大した話はしてないんだけどな……僕、」
そもそも謝るために話しかけたんだし、むしろ、なんだか僕のほうが面倒見てもらった感覚があるくらいだ。本当に気に入ってもらえたのなら、それは嬉しいことだけれど……。
「……きっと、そういうところも含めてかもしれないね」
「え……、どういう事?」
「ふふ……何であれ、これからも仲良くしてあげてほしい」
「それは、うん。僕の方こそ……」
少し照れくさくて、人差し指で頬をかく。
なんだか、僕の気持ちを渚君に見透かされたようで、恥ずかしくなった。顔、赤くなっちゃってないといいな。
終
おまけ→
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おまけ
この人と出逢えたのは、運命だとカヲルは確信した。
生まれてから今まで、自分には何かが足りないと思って生きてきた。それは欠陥と言われた自分の見た目の話なんかじゃなく、もっと精神的な話だ。
喪失感は、いつも自分の隣りにある。
その喪失感の理由は、ずっと弟にあると、カヲルは思っていた。弟はカヲルにはないものを持っていたし、カヲルにあるものを弟は持っていなかった。きっと生まれてくるときにでも、手違いで二つに分かれてしまったのだ。
故に、他人に弟と比較されるとき、違いを指摘される時、いつも馬鹿馬鹿しいとすら感じていた。
だって、当たり前だろう?
一人が分かたれて不完全になり、この世に生まれてきてしまったんだ。何をどうしたって、今更この穴は埋まりはしない。弟は自分ではないし、自分は弟にはならない。
例え、住む環境が変わったとて、何も変わらないし、今回従兄から紹介したい人たちがいると言われても、どうせそれも取るに足らないことだった。
自分は一生、この喪失と向き合っていかなければならない。何事にも無感動なままで、生きていかなければならないのだと、諦観していた。
「それじゃあ、どちらにする?」
「あ、じゃあ、お茶にしようかな……」
少し頬を染めて、嬉しそうに従兄の差し出した飲み物を受け取るシンジ。
それをカヲルはベンチで見つめていた。
先程、従兄がシンジに手招きをして小声で何かを話していたが、話の内容は何も聞こえてこなかった。従兄が一瞬、視線をこちらに寄越し、目を細めて笑う。それが妙に癪に触ったので、そのまま従兄たちから視線をそらさずにじっと見つめていた。
「カヲ兄、顔こわいよ」
紅茶飲みなよ。
そう淡々と指摘してくる弟に、少しだけ動揺する。確かに気に食わないとは思ったが、自分はいつも通りに笑っていたつもりだった。
「……そんなに?」
「うん、初めて見た。変なの」
「変……」
弟は、従兄に買ってもらった炭酸ジュースを飲みながら、こちらを横目で見る。
(変、か……)
原因は明確だった。
初めに顔を合わせた時の、自分に向けられた好奇な視線も、その後に発せられた「似てない」という言葉も……。どうせこの人もまた、今までの他人と同じだと思っていた。この事はカヲルからしたらいつも通りで、呆れるほどどうでもいい事の筈だった。
それなのに。
わざわざ謝りに来たのも、多少は驚いたけれど、やはり一番は、話している時のその表情だ。カヲルはそこで確信した。
この人は、自分の喪失を埋めてくれる人なのだ、と。
シンジの話は、兄弟のいる人なら、よくあるようなありふれた話だったけれど、カヲルは、シンジのその話から垣間見えた、彼の大きな感情の動きが気になってしようがなかった。
自分とは違う、でもとても良く似ている。
そんな風に感じた人は初めてだった。
彼の感情がどんなものかを知りたくて、顔を覗き込むと、その時のシンジの瞳は戸惑うように揺れていた。それは、今にも逃げ出してしまいそうな小動物のようだったが、それでもカヲルからは目を逸らそうとはしなかった。繊細でいて、強い意志を彼から感じたのだ。
それは、どうしようもなくカヲルを惹きつけた。
もうそうなると、近くで見るとより分かるネイヴィブルーの瞳や、薄く紅潮し綺麗な曲線を描く頬、桃色の薄い唇、そのどれもが素晴らしく見えてくる。いや、きっと元々彼はとても魅力的な人だった。自分の目が曇っていたせいで、それに気付くのに少し遅れてしまったのだ。
彼の心に触れたら、一体どれだけ満たされるのだろう。こんな気持ちは、生まれてはじめてだった。ここまで何かを求めたことなんて一度だってなかったというのに。
再びシンジに視線を向けると、あちらもまたカヲルを見ていたようで、目が合った瞬間に、視線が甘く絡むような、そんな感じがした。
シンジは、慌てて一瞬カヲルと絡んだ目線を彷徨わせたあと、再度こちらをそっと見て、照れたようにカヲルに微笑みかけてくれた。
ただそれだけだったのに、それが妙に嬉しい。彼が、自分だけを見て、そうやって笑っていてくれたら良いのに。
彼の笑顔に気が緩み、思わずふふと笑い声が漏れてしまう。それを聞いた弟は「うわっ」と非常に失礼な声を上げ、愕然とした顔でこちらを凝視してきた。
人の言動にそんな反応をするなんて、血の繋がった家族といえど、失礼がすぎる。いい加減、デリカシーという言葉を覚えてもらいたいものだ。
しかし、今は機嫌がいいから聞かなかったことにしても良い。
――とさえ思ったのだが、
「カヲ兄、なにその顔……。今度はきもちわるいんだけど……」
「…………」
聞こえてきた弟の言葉に、考えを改めることにした。どうやら彼に慈悲は必要のないもののようだ。
とりあえずは家に帰ってから『親しき仲にも礼儀あり』という先人のありがたい言葉を弟の頭に叩き込む予定が増えてしまったことに呆れつつも、シンジにだけは聞こえないように気をつけながら、大きくため息をつくのだった。
終