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Lost Diara/世界滅亡日記4

全体公開 Lost Diara 20338文字
2022-02-20 22:42:02

ジノとリヴィウィエラが出会ってからの話。まだ続きます。




「大丈夫か、トール。苦しいなら、少し休んでからにするか?」
 床に座り込んでいるジノの側に立って、リヴィウィエラが気遣わしげに言った。小さな手に背中を擦られながら、ぐったりと項垂れたジノはどうにか顔を上げて、ひらひらと片手を上げる。
「だ、大丈夫だから……ちょっと、酔っただけだ」
「水を持ってこようか。汲んできた分がまだ残っているが」
「いや、平気、平気。まさか、行きより帰りの方が酷いとは思わなかったから……
 ぐらぐらと視界が揺れるのを堪えながら、大きく深呼吸をする。そうしているとようやく目眩が落ち着いてきて、ふらつきが治まったところで何とか手をついて立ち上がった。側で見ているリヴィウィエラは明らかに心配している様子だ。表情自体はさほど変わらないが、こちらを見る目だけでも十分にわかる。
「もういいのか?」
「ああ、大丈夫。レゼが待ってるんだろう? 行こう」
 軽く頭を振ってみたが、バランスを崩すほどではない。大丈夫だ、と繰り返し言うと、リヴィウィエラもそれ以上は何も言わずに先に立って歩き始めた。『中央』の建物の中の、更に中心に向かって歩を進める。
 端末を探しに行く前にも一度赴いた場所だが、余裕がなかったのでその時は全く周りを見ることが出来なかった。ゆっくりと歩きながら改めて眺めてみると、やはり不思議な場所だ。ジノが寝ていた小部屋とは違い、居住空間としての機能は持っていないようで、どちらかと言えば学校や役所といった建物に近い雰囲気を感じる。
「そういえば、さっきはレゼにわざわざ来てもらって申し訳なかったな。見つけてもらえるんだったら、それを待ってから探しに行けばよかった」
 ふと思い出してそう言うと、リヴィウィエラが肩越しに振り返った。
「まあ、それも方法のひとつではあるが……確実に見つけられるとは限らないからな。それに、一度様子を見ておきたかったのは確かだ」
「ああ……レゼもそんなようなこと言ってたな」
「直接見なければわからないことも多いから。言い方は悪いが、君はこの世界にとっては明らかな異常そのものだ。ただ歩き回っただけでも、土地に何の影響も及ぼしていないとは言い切れない」
……なるほど」
 ジノは小さく苦笑した。思うところがないではないが、恐らくその通りなのだろうから異論はない。
「それで、問題はなかったのか?」
「そうだな、今のところは目に見える異変はない。この先はどうかわからないが」
「この先、か……
 一先ず何事もないようだから、喜ぶべきことなのだろう。だが、これから先のことを考えるとやはりどうしても憂鬱になる。本当に、元の世界に帰る方法はないのだろうか。
 リヴィウィエラが先導して開いた扉を抜けると、更に長い一本の通路が伸びている。視線を上げてそちらを見ると、通路の先には扉があり、その前にレゼが立っていた。
「ああ、来たか。体調に問題はないか?」
「少し酔ったらしいが、大丈夫そうだ。やっぱり、移動の手間を省くのは難しいな」
「慣れない内は仕方あるまい。すぐに治るだけ、やはり体は強いようだな。入ってくれ、クオヤ。話さなければならないことがいろいろとある」
「あ、うん……
 扉を指しながら、何故かレゼはそのまま後ろに下がった。不思議に思う間もなく、リヴィウィエラが扉を開いてジノを中へと促す。背を押されるようにして室内へ足を踏み入れ、振り返ると扉は既に閉められようとしているところだった。閉じていく扉の向こうでレゼがにこりと笑う。え、と声を上げようとしたところで、背中側――部屋の奥の方だ――から静かに名を呼ばれた。
「クオヤ、こちらだ」
 は、と思わず息を止めて体を反転させる。広い円形の部屋だった。足元には薄く水が張られているのか、ぼんやりとした灯りを反射して天井にちらちらと光が踊っている。その部屋の一角に、椅子が三つ置かれていた。側にレゼが立って、ジノの顔を見てにこりと笑う。
「え、……えっ、あれ!?」
 目を見張り、勢いよく背後の扉を見る。今通ったばかりの扉はしっかりと閉ざされていて、確かにその向こうで自分を見送るレゼを見たはずだ。もう一度室内にいるレゼを見る。一瞬で移動した? だが、そんなことをする必要があるだろうか?
「どうした、トール」
 少し先に立って、リヴィウィエラが不思議そうにジノを見る。彼にとっては何もおかしなことは起きていないらしかった。もう一度扉とレゼとの間で視線を動かして、小さく唸る。
「さっき、レゼが、外に……
……? ああ、いたな」
「いや、いたな、じゃなくて。……ええ?」
 リヴィウィエラを見つめたまま困惑を隠せずにいると、離れた位置で呵呵と笑う声が聞こえた。見れば、椅子の一つに座ってレゼが楽しそうに肩を震わせている。
「いや、済まない。迎えに行こうかと思ったのだが、お前達が来る方が早かったのでな」
「か、揶揄われたのか?」
「そうではない、たまたまそうなっただけの話だ」
 来い来いと手招かれ、釈然としないながらもレゼの元へ歩み寄る。促されて座った椅子は、昨晩の寝台と同じような感触をしていた。柔らかいわけではないが、硬くもない。
「何か、用事があったのか」
「いや、いつものことだ」
「そうか。トール、レゼは多重存在が可能なんだ。だからここにはいつもいるし、他の場所にもいることが出来る」
「今、扉の外で会ったのも外に出ていた他の私だ。驚かせてしまって済まなかったな」
……うん、……うん、そうか。なるほど」
 なるほど、と言いつつも、言葉の意味は半分も理解出来ていない自信があった。努めて表情には出さないようにしつつも、眉根を寄せてしまうのは防げない。くつくつとまたレゼが喉を鳴らして笑った。
「わからないならわからないと言え。理解した振りをしていると、後々困ることになるかもしれんぞ」
「ううん……それは、そうだと思うんだけど……
 聞いたところで説明してもらえるのか、説明してもらえたところで理解出来るのか。この世界に来てからというもの、理解不能な出来事が多すぎてジノはすっかり自信を失っていた。
……えっと、とりあえず先に、確認したいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「二人は、その……普通の人間じゃない、んだな?」
 何を言っているのだろう、と自分でも思うが、まずそこを確かめておかなければ話が進まない。恥を忍んで尋ねたジノに、レゼとリヴィウィエラは顔を見合わせて軽く首を傾げた。
「シェルル・リヴァという生き物だ、とは言ったと思うが」
「そうだな。普通の人間、がお前の思っているものと違う可能性はあるが……生物の種類としてヒトとは全く違う。それは間違いない」
……そう、か……
 ううん、と頭を抱えるが、この件に関しては最早そういうものとして受け止める以外になさそうだ。ここはフィクションがそのまま現実になったような世界なのだから、人間に見えて人間でない生き物くらいいてもおかしくはない。と、ジノは自分を無理矢理納得させた。有り得ない、と考えることはとうに止めている。
「うん……うん、わかった。人間として考えちゃいけないんだな。それで……なんだって?」
「レゼは多重存在が可能なので、複数地点に同時に現し身出来るという話をしていた」
……うん?」
「あー、平たく言えば、私は自分の体をいくつも持っていて、異なる場所に置くことが出来るんだ。そう難しい話ではないよ」
 こめかみを指でぐりぐり押しながら話を聞いているジノを見て、苦笑しながらレゼが易しく説明する。隣でリヴィウィエラは水差しから小さな器に水を移していた。どうやらレゼが用意していたものらしい。
「水だ、トール。飲んで落ち着くといい」
「あ、ああ……ありがとう。……ええと、つまりさっき外にいたのも、今ここにいるのも、どっちも間違いなくレゼだってことなんだな」
「そうだ。ついでに言えば、外にいる私はどこにでも移動することが出来るが、この場所にいる私はここから動くことがない。どれも正しく私ではあるが、そういう意味ではここに在る私が一番確実な存在だな」
 リヴィウィエラから差し出された器を受け取り、喉を潤す。ぐるぐると混乱する頭も水分を得て少しだけ落ち着いたような気がした。言語を翻訳してくれているらしい未知の力は、どうも万能というわけではないようだ。聞いた言葉をどうにか飲み込み、自分の理解出来る言葉に変換する。
……要するに、レゼはいろんなところにたくさんいるけど、用がある時はここに来れば必ずいる、……っていうことで合ってるか?」
「ああ、それはその通りだ。やれやれ、伝わっているようで安心した」
 横から無言で催促され、水を飲み干して空になった器をリヴィウィエラに返す。どうするのだろう、と何気なく見ていると、今度は自分で水を注いで自分で飲んでいた。その一連の行動をレゼに見られていたことに気づいて、ジノはパッとそちらに顔を向ける。微笑ましく見つめられると、どうにも面映い。
「上手くやれているようで安心した。水は口に合ったようだな」
「え、ああ……そうだな。いろいろと、世話になってしまってて」
「いや、それも我らの役目の内だ。殊にリヴィウィエラはヒトが好きだからな、お前が不愉快でないのなら気にせずにおいてやってくれ」
「不愉快だとかは、全然」
「そうか、それなら良かった。――さて、話は尽きぬが時間は有限だ。そろそろ本題に入ろうと思うが、構わないか?」
 そう言うと、レゼは長い脚を組んで真っ直ぐにジノに向き直った。急に雰囲気が変わったのを察し、居住まいを正して肩に力を込める。最初の夜に彼女と話した時と同じ空気感だった。一体今度は何を聞かされることになるのだろう、と息を飲む。
「まずは、そうだな。この世界が、お前のいるべき世界とは異なる場所だということは、もう納得してもらえただろうか」
「ああ……まあ、そう考えるしかないというか、そうなんだろうなって感じてはいるよ。夢とか妄想とかにしては現実味がありすぎるし、壮大な詐欺に遭ってるって可能性は否定出来ないけど……手が込みすぎてるし、そうまでして俺を騙す理由も全然わからない」
 頭からそう信じているか、と問われると、是とは言えないかもしれない。現実なのだろうと実感はしているが、まだどこか地に足がついていないようで奇妙な状態だった。素直にそう答えると、そうか、とレゼも神妙に頷く。
「ふむ、なかなかに頑なだな。だが、そういうものなのだろう。私はお前のように、別の世界に行ったことはないからな」
「そうなのか?」
 ジノには別の世界、などというものが存在するという認識すらなかったが、レゼやリヴィウィエラはそうではないようだから、一般的に行き来が行われているものだと勝手に思っていた。だがその口振りからは、どうもそうではないらしい。
「そうだ。此処ではない世界が存在することは知っているし、お前のように落ちてくるものも極稀にある。だが大前提として、我らの世界は個々に鎖されているのだ。例え神であろうとも、世界の内にあるものが自由意思によって境界を越えることは出来ない」
……神」
 また胡乱な言葉が出てきたな、と思ってしまったのが顔に出ていたのだろうか。レゼが僅かに目を細めたのがわかって、無表情を取り繕うべく慌てて頬の内側を噛む。
「クオヤは、神が嫌いか?」
「えっ、……いや、その」
「そういう顔をしていた。気にすることはない、どんなものでも、嫌う人間は必ずいるものだ」
……嫌い、というか……好きとか嫌いとか以前に、神なんて、存在しないだろう?」
 正直言って、一気に話が胡散臭くなってきたと思ったのは事実だ。今の時代――ジノが生きていた世界においての話ではあるが――宗教は存在してはいるものの、その神秘性はほとんど失われて、今は文化の一部として生き残っているばかりだ。神は死んだのではなく、元々いなかったのだと人々はもう知っている。未だに存在するとすれば、それは人間の心の中にあるものだけに限られていた。
 恐る恐るそう伝えると、レゼは少しだけ興味深そうに眉を動かした。かと思えば、横からリヴィウィエラが身を乗り出してこちらを覗き込んでくる。
「神がいない? じゃあ、どうやって世界が回っているんだ? 土や水は誰が保護している? 命はどうやって生まれてくるんだ?」
「え、ええ……っと……
「リィ、あまりそうやって問い詰めるな。困らせているぞ」
「問い詰めているわけじゃない。不思議なだけだ」
「何もかもを答えられるとは限らないだろう。……済まないな、クオヤ。気にしないでくれ」
 恐らく本当に、純粋な疑問だったのだろう。片手で制されたリヴィウィエラはすぐに身を引いたので、ジノの言葉に気分を害して食ってかかってきた、というわけではなさそうだった。レゼにしてみても、特に様子が変わったようには見えない。だが、自分だけが全く違う感覚を持っているらしいことはジノにも肌で感じられた。
……大丈夫だ。ええと……何か、おかしいことを言ったなら、すまない」
「いいや、何もおかしなことはない。世界が異なるというのはこういうことだ」
 そう言うと、レゼは考え込むように腕を組んで僅かに上方に視線を投げた。自分の理解を深めるためだろうか、ぽつぽつと呟くように言葉を続ける。
「そうか、お前の世界には神がいないのだな。思いの外、遠い場所から来たものだ。クオヤ、お前にとってはそれが当然なのだろうが、我らにとっては信じられないことのように感じる。それはわかってもらえるだろうか」
「ああ……そうだな。感覚としては、わかると思う」
 恐らくは、自分がこの世界に来てから何度も感じた疑問と同じようなことを、今レゼも考えているのだろう。ジノが未だに上手く埋められずにいるその違和感を、しかしレゼはすぐに飲み込むことが出来たようだった。
「となると……難しいことだろうが、一先ず理解して貰わないことには話が進まない。この世界には神という存在があり、それらの働きによってあらゆる事象が運行されている。空気や水、土や火、生と死、記憶、愛、憎しみ、善きこと、罪。その全てに事象を庇護し、司る神が存在するのだ」
「ああ……なるほど。うん、理屈としてはわかるよ」
 そういうタイプの神か、と内心でジノは納得した。強大な唯一神の存在を信じろと言われるよりは、まだしも理解しやすいと思う。つまりは原始的アニミズムの価値観だ。ジノの国にも同じように古来から続く宗教が未だに根強く残っている。尤もそれは最早熱心な信仰というよりも地域的な伝統であり、現代において保護されている文化的多様性のひとつに過ぎないのだが。
「でも、それは人間がそう思ってるってだけだろう? 信仰の一形態というか、自然に対する畏敬の念みたいな」
「いいや、違う。クオヤ、この世界には、先に言った神々が実在するのだ。神々は実態として世界の内側に存在している。時には実際に相見えることもあるし、意思の疎通をすることも出来る」
……それは……
 返答に窮して、ジノは眉を寄せながら唸った。言っていることは理解出来るが、素直に信じるかと言われるとやはり難しい。いよいよ以てフィクションの中の話だ、と妙に冷静な感想ばかりが浮かんでくる。
……実在する? 神が?」
「そうだ。そもそも、お前は私やリヴィウィエラがヒトとは違う生き物であることは認めるのだろう。それならば、他にも同じような生き物がいたところで、何かおかしなことがあるか?」
「それはそうかもしれないけど……え? そんな感じの扱いなのか? 神だろ?」
 レゼやリヴィウィエラとは実際にこうして接しているし、会話を交わしてもいる。その中でいろいろと現実には有り得ないような出来事を目の当たりにしたので、人間ではい未知のものなのだと思えるようになっただけだ。だがレゼの口振りからは、まるで神も彼女たちと変わらないものであるかのように感じられる。
「何か、おかしいか? 勿論、神にも様々なものがいるが、中には我らと同じ位置で暮らすものも少なからずいた。直接会うことは少ないが、近くに在るのは確かだ。隣人のようなものだな」
「そ、そうなのか……。俺の思ってるのとはだいぶ違うな。随分フレンドリーというか……
 或いはそうと知らないだけで、たまたま出会った相手が神だった、なんてことも有り得るのだろうか。そこまで考えて、はて、とジノは首を傾げた。そもそもどうしてこんな話になったのだろう。全く知らない世界に神がいたからといって、それが何だというのか。
「レゼ、話がどんどんずれている。今更その説明は、別に必要ないんじゃないか?」
 不意に、ずっと黙っていたリヴィウィエラが口を挟んできた。手持ち無沙汰なのだろうか、空の器を手の中でゆらゆら揺らしている。レゼがちょっと眉を上げて、大袈裟な動作で腕を組むとリヴィウィエラに視線を向けた。
「そうか? 必要なことだろう。事実、クオヤは神の存在すら知らなかったのだぞ」
「そうみたいだが、だとしても今更、どちらでもいいだろう。……どの道もう、神はいないんだから」
「え?」
 妙に投げやりな調子でそう言って、リヴィウィエラは僅かに低い位置から真っ直ぐにジノを見た。視線の強さに思わずたじろぐ。
「トール、レゼはいろいろ言っているが、どれも全部過去の話だ。確かにこの世界には神がいた。わたしも何度か会ったことがある。でも、過去の話なんだ。今はもう、この世界のどこにも、神は存在しないんだ」
「え、いや、……えっと」
「いなくなってしまったんだ。だからもう……
 言い放たれた言葉は、次第に弱くなっていった。悄然とした様子のリヴィウィエラに狼狽えて、ジノは片手を宙に浮かせたが――結局どうすることも出来ずに、ぐっと拳を握り締める。
 ふう、と大きな溜め息が聞こえた。考え込むように腕を組んで、レゼが困った風にリヴィウィエラを見ていた。
「だから、話すにも順序というものがあるだろうに。……だがまあ、もう仕方がない。クオヤ」
「あ、ああ……なんだろう」
 戸惑いつつも頷くと、レゼの金色の目がジノをひたと見据える。
「本来ならば、これは真っ先にお前に伝えなければならないことだった。だがお前は自分の状況に理解が及んでいなかったし、そんな状態で余計に混乱を与えるのは我らの望むところではない。だから今まで伏せていたが、非常に重要なことだ」
……前置きが長いのが恐ろしいな。わかった、聞かせてくれ」
「ああ、では単刀直入に言う。クオヤ、この世界にはもう先がないのだ。お前には悪いが、このままでは我らと共に滅ぶ以外に道はない」
 は、と思わず息が止まる。レゼの目は相変わらず真っ直ぐだった。言葉の通り、直截に事実を伝えているのだろう。だが、ジノの頭には言葉の意味がすぐに入ってこなかった。世界が、一体何だって?
「だが我らとしても、そうするわけにはいかないのも事実だ。だから安心しろとまでは言えないが、一先ずこの先の――
「ちょ、ちょっと待って。まだ、続けないでくれ。……世界が、どうなるって?」
 脳が言語を処理するよりも早く、レゼは話を続けてしまう。一旦ストップをかけて、ジノは片手で頭を押さえた。こちらを見る視線が僅かに和らいで、気遣わしげな様子を窺わせる。
……先程言った通りだが、この世界には神がいた。神は世界のあらゆる事象の運行を司るものだ。だが、それが今は失われてしまった。つまりは正常な循環を失ったと同義だ。だから」
「だから……世界が滅ぶ?」
「そうだ。現状を最も単純に言えば、そういうことになる」
「は、……はあ? いや、いやいや……
 意味がわからない。理解などというレベルを超えて、もはや笑い話のようにしか聞こえなかった。騙されているのでは、という疑いがここに来て一気に信憑性を増してきたようにすら思う。詐欺や冗談でなければ誇大妄想だ。古めかしい終末論を信じ込んでしまった、頭のおかしい人間の妄言でしかないのではないか。
「滅ぶって……一体また、何で。巨大隕石でも衝突するのか? それとも未知の伝染病とか、核戦争とか? もしくは環境汚染でどうにもならなくなったとか……
「理由は、一言で説明するにはあまりにも冗長になりすぎる。だが今お前が言ったことも、全て当たらずとも遠からずといったところだ」
……マジで言ってるのか? ……確かにここに来てから、全然人間に出会わなかったけど……
「ああ、お前も見ただろう。最早大地はあの有り様だ。生命が存在する土地としての力を失っている」
 混乱の極みにある脳裏に、砕けて散る光の破片の幻覚を見る。少し力を入れて叩いただけで、ガラスのように砕けてしまった廃墟。割れた結晶のように立ち枯れた木の残骸。歩くだけで罅割れる大地に、リヴィウィエラが握っただけで、粉々になってしまった小石。
 ハッとして、ジノはリヴィウィエラの方を見た。じっと足元を見つめていた少年も、視線に気づいて顔を上げる。大きな目はレゼと同じように金色をしていた。だが、リヴィウィエラのそれは彼女のものよりもずっと赤みがかっている。
……本当、なのか……?」
 問いかける声は、意思に反してみっともなく震えてしまった。それが余計に哀れに感じられたのだろうか、こちらを見るリヴィウィエラが悲しそうに眉根を寄せた。
……すまない、トール。君にもっと、早く言うべきだったのに。君はずっと混乱しているようだったから、どうしたらいいか迷ってしまって」
「じゃあ、本当に……そうなのか? ……なんだよ、それ。世界が滅ぶって……一体、どうなるっていうんだよ」
 滅亡、などと簡単に言われても、現実に何が起きるのかは全く想像が出来なかった。つい先程、自分が言った言葉を思い出す。病気、戦争、環境汚染、隕石の衝突。だが、そのどれにせよ、結局のところは――
「俺は、俺も、このまま死ぬしかないってことか……!?」
 ようやく思考が追いついたと同時に、一瞬で頭が真っ白になった。死ぬ? どうして、こんなところで自分が? どうしてだ――死ななければならないようなことは、何もしていない。死んでもいいと思えることにだって、まだ何も出会っていないのに!
 衝動のままに勢いよく立ち上がる。嫌だ。大きく音を立てて椅子が転がったが、全く気が付かなかった。どくどくと頭の奥で嫌な耳鳴りがする。嫌だ、死ぬのは嫌だ。ぶるぶる震える手を押さえつけるように、強く拳を握り締める。ぶつん、と心のどこかで何かが千切れたような音がした。
……ッ、ふざけんな! なんで俺が、こんなわけのわからないところで、巻き添え食って死ななきゃならないんだ! 俺は好きでこんなところに来たんじゃない、今すぐ帰してくれ!!」
「トール……落ち着いてくれ、まず話を」
「落ち着いていられるか!」
 宥めるように伸ばされた腕を反射的に掴む。細い手首に思った以上に力が入り、リヴィウィエラが顔を歪めたが、それに構う余裕は今のジノにはなかった。ずっと溜め込んでいた鬱憤が暴発したように溢れ出す。どうして、という憤りだけが体を支配していた。
「何なんだよ、わけわかんねえことばっかり……何が世界だ! 俺を騙して楽しいのか!?」
「騙してなんかいない、全部本当のことだ」
「じゃあなんで俺なんだよ! 他の奴でもいいだろ、なんでいつも俺なんだ! いつもいつもいつも、俺ばっかりが……、っ、どうして!」
 爆発した鬱屈は、けれどもそう長くは勢いを保てない。憤りはやがて萎れていき、ジノはリヴィウィエラの腕を掴んだまま力無くその場に膝をついた。
――どうして、せっかく、生き延びたのに……ッ、嫌だ」
「トール……
「嫌だ、俺は、……死にたくない」
 床に手をついて座り込む。涙は出ない。悲しいというよりも、酷い落胆に近い感情が胸に溢れていた。精神の昂りが落ち着くと同時に、むしろ、当然のことなのかもしれないと思い始める。
 当然のこと、なのではないだろうか。血を吐くような思いをして生き延びたのだから、死にたくないのは勿論だ。けれども、そもそもそれが間違いだったとしたら。元々生き延びるべきではなかったのだとしたら、こんな状況に陥ったこともただの帳尻合わせに過ぎないのかもしれない。
 死ななければならないのだろうか、結局は。だとしたら、いつ死んでも同じだったのかもしれない。無駄に罪を背負っただけだったのか。或いは生きたいと思うこと自体が、罪だったのだろうか――
「死にたくないと思うのは、生き物として当然のことだ」
 酷く冷静な声が、混濁する感情の中を割るようにジノの耳に届いた。ハッと息を呑み、俯かせていた顔をのろのろと持ち上げる。視線を合わせるように膝をついて、リヴィウィエラが繰り返した。
「当然のことだ、トール。何も間違っていない。……君が正しい、何もかも」
……いや、でも」
「リヴィウィエラの言う通りだ、クオヤ。まず何よりも、お前の気持ちに配慮出来なかったことを詫びよう」
 頭上にふと影がかかる。立ち上がったレゼが、静かに手を差し伸ばしていた。引き寄せられるようにその手を握り返すと、ぐんと強い勢いで引っ張られる。慌てて腰を上げる途中、リヴィウィエラの手首をずっと掴んだままだったことにようやく気づいた。
「あ、……わ、悪い! ごめんな、痛かっただろ」
「いや、大丈夫だ。これくらい、大したことない」
 何でもないことのように、リヴィウィエラは軽く手を振って立ち上がった。そのままジノが転がした椅子を取りに行き、再び座るように促してくる。大丈夫だとは言われたものの、ジノの手には細い手首を締め上げた感触がしっかりと残っていた。本人は平気そうにしているが、褐色の肌に残った手の跡は次第に青黒くなってきていて、更なる罪悪感に気分が悪くなってくる。
 ぐるぐると胃の辺りに重たいものを感じながら、ジノはなんとか改めて席についた。安心させようとしてのことか、レゼが微かな笑みを浮かべる。
「クオヤ、これも先に言っておくべきことだったが、この件に関してお前には一切何の非も存在しない。お前は本当に偶然ここに落ちたのだろうし、それによってこの地に悪影響が起きている事実も見当たらない」
……そう、なのか」
「そうだ。だが、逆のことも言える。お前がここに落ちてきたのは全くの偶然だ。だから我らが何を画策したわけでもない。少なくともその件に関しては、こちらにも何の非もないのだ。これだけは理解して貰いたい」
……そうだよな。そういうことになる、よな。……悪かった、身勝手に当たり散らしてしまって」
 一度思いきり感情を爆発させてしまったせいか、今度は酷く気分が落ち込んでいた。鬱屈を溜め込みやすい、限界を超えると急に怒りが抑えられなくなる。職場での精神査定の際にいつも言われることだった。直そうと努力はするのだが、持って生まれた性格なのだろう、そう簡単には改善されない。
「いいや、気にするな。むしろ今まで、聞き分けが良すぎたくらいだ。怒るなら怒れ、クオヤ。我らはそういうことには慣れている」
「いや、でも……だって、迷惑をかけているのに」
「言っただろう、ここに落ちたのはお前の非ではない。そして我らには落ちてきたものを管理する責がある。お前が何を気にすることもない」
 からからと、レゼは本当に何でもないことのように笑った。いっそ、聞き分けのない幼児に言い含める母親のようですらある。ジノはちら、と隣に座っているリヴィウィエラに視線を向けた。こちらもまた、何も気にしていないのかいつもの静かな表情でジノを見つめ返す。
「レゼの言う通りだ、トール。むしろわたしたちの方が、こんな状況に巻き込んですまないと思う」
「あ、……そうか。……そうか、そうだよな。誰も悪くなくても、結局俺は、死ぬんだよな……
「その事だが」
 一瞬忘れていたことを思い出して、ずんと心が重くなる。だが気持ちが沈み込みそうになる前に、ぴしゃりとレゼが強い声で言った。ぱち、と目を瞬かせる暇もなく、力強い言葉が続く。
「クオヤ、確かにこの世界はもうすぐ滅ぶ。全ての生命は無事に死を迎えることになるだろう。無論、我らも例外ではない。だが私は、そこにお前を含める気は毛頭ない。否――お前が含まれてしまっては困るのだ」
「え、……え?」
「今はまだ、そう思っているというだけで確かなことは約束出来ない。だから安心しろとは言えないが、この先のことは一先ず任せてもらえないだろうか。可能な限りの方策を案じようと思っている」
……え、でも……ここにいたら死ぬんだろ? 帰る方法は、無いって」
 急な展開に困惑しつつ、記憶を呼び起こしながらジノは首を傾げた。最初の夜にそう言われたはずだが、あれは何かの間違いだったのだろうか。ふむ、と腕を組んでレゼも軽く頭を傾ける。
「確かに我らは返す術を持たないとは言ったが、絶対に帰れないとは言っていない。……非常に困難であることは間違いないし、まだ確かな方法も見つかっていないのは事実だが」
「じゃあ、やっぱり帰れないんじゃ……
「まあ、そう結論を急ぐな。幸いまだ時間はある。だからクオヤ、お前には悪いが、しばらく待ってもらえないだろうか。出来る限り、良い答えを出せるように努力する。それだけは、必ずと誓おう。どうだ?」
 噛んで含めるように言われると、それ以上ジノには何も言えることはなかった。戸惑うようにじっとレゼを見つめていると、にこりと笑顔を向けられる。どうしたらいいのか、考えたところで今すぐ答えは出そうになかった。時間が必要だ、とレゼは言う。それは自分にとってもそうだった。
……わかった。どっちにしろ俺には、何も出来ることはなさそうだし。……貴方に任せる、レゼ」
「ああ。有り難う、クオヤ」
 ふ、と安堵したように笑うと、レゼはゆっくりと両手を差し出してきた。なんだろう、と不思議そうに見つめるジノの片手を取り、両手で包み込んで軽く額に押し当てる。
「え、……っ、と……?」
「お前の信任に感謝する。……さて、後は任せても良いか、リヴィウィエラ。誓ったからには、休んでいるわけにはいかないからな。私は仕事に専念しよう」
「ああ、わかった。ここにはあまり来ない方がいいか?」
「いや、それには及ばない。必要があれば訪ねてくれ。クオヤ、お前も遠慮はいらない。私は常に此処にいるからな。何もない場所だが、好きなように過ごしてくれ」
 ジノが大いに戸惑っているうちに、きょうだいの間でどうやら今後の話は決まってしまったようだった。流れに任せるままに、レゼに見送られて部屋の外に出る。隣に立つリヴィウィエラが、ゆっくりと扉を閉めてジノを振り返った。
「それで、どうする、トール」
「え、え?」
「まだ混乱しているな。大丈夫か? 少し休むか?」
「あ、いや……大丈夫、だと思う」
 衝撃的な話を聞きすぎて疲れているのは確かだが、休みたいと思う程ではなかった。とはいえその場にいても仕方がないということで、一先ず廊下の先に向かって歩いていく。
 休みたいわけではないが、何かしたいと思う程の元気があるわけでもなかった。考えることに疲れすぎて、無心のままぼうっとしていたい気分だ。隣を歩いているリヴィウィエラに何気なく視線を向ける。ふと、無意識に言葉が口をついて出た。
……外に行きたいんだけど、今、平気かな」
「外? ……ああ、『上』か?」
「えっと、地上、でいいのか? うん、それがいい、かもしれない」
 ぼんやりするだけなら部屋に戻ってもいいのだろうが、出来れば何にも囲まれていない空間で過ごしたかった。リヴィウィエラは廊下の外に広がる空を見て、考え込むように唇に指を当てている。
……そうだな、まだ、夜までには時間がある。暗くなるまでなら大丈夫だろう」
「そうか。なら、お願いしてもいいかな。俺は行き方がわからないし」
「わかった。……また酔うとよくないから、『門』を使おう。こっちだ」
 大きく頷くと踵を返し、リヴィウィエラが『中央』の建物の方を指し示した。先導する背中について行くと、先程レゼがいた部屋に向かう廊下とは別の廊下を真っ直ぐに歩いていく。初めは建物の他の部分と同じ建材で出来ていた廊下は、しかし次第にごつごつとした質感の石造りに変わっていった。興味深げに、ジノは天井を見つめながら歩く。
……なあ、リヴィウィエラ。ここってもしかして、あの山の中だったりするのか?」
「よくわかったな。中枢には程遠いが、確かにこの辺りはもう内部に入っている。『門』は内側に作られているんだ」
 やがて辿り着いた場所は、まるで古代に作られたトンネルのようだった。遺跡のような趣きを感じる隧道を抜けた先に、少し開けた空洞があり、床には白い石材が敷き詰められている。他には何もない空間だったが、ここが目的地であるようだ。はて、とジノは首を傾げる。『門』に向かうと言われたのに、周りは壁ばかりでどこにも外部への出入り口らしきものは見当たらない。
「こっちだ、トール」
 声をかけられて振り返ると、リヴィウィエラが壁の一面に向かって手を伸ばしていた。近づいてみて、あっと思わず声を上げる。ただの壁だとばかり思っていたそこには、何やら文字のようなものが細かく書き込まれていた。それからいくつかの小さな石を複雑に組み合わせた、アナログな目盛りらしきもの。いくつかあるそれらを触りながら、リヴィウィエラがジノを見上げる。
「ここから『上』に行けるんだ。それで、どこに行きたい?」
「どこ? あー、どこ、だろう。……ううん、俺はどこに何があるかも知らないからな……
 広いところに行きたいというだけで、具体的な希望は特に持っていなかった。どちらにせよ目的地があるわけでもないので、どこでもいいと言えばそれまでなのだが。
「うーん……でも、何もないところよりは、何かがあるところがいい、かな」
「何かがあるところ?」
「本当なら、公園とか、そういう感じのところがいいんだけど。何もないわけじゃないけど、あんまり賑やか過ぎないくらいの……
 自分で言っておきながら、曖昧極まりない注文だ。要はあまりにも何もないのでは寂しすぎるし、かと言って騒がしいのは嫌だという単なる我儘だった。難しいだろうな、とジノが内心で自嘲するのに反して、リヴィウィエラはしばらく考え込んでいた。やがて、徐ろにその手がいくつかの目盛りの石を組み替えていく。
「それなら、ここにしよう。君の希望通りかどうかはわからないが」
「え、決まったのか? ……それで、一体」
 どうやって、と口にする前に、床が突然発光し始めた。慌てて壁際まで下がるジノの片手を握り、リヴィウィエラが腕を引く。
「移動するだけだから大丈夫だ、トール」
「いや、移動って……――っ、え!?」
 目の前の床に、いくつもの光の筋が走る。見つめる先で、それらの光は次第に速度を増していき、やがて目では捉えられないほどに眩しくなっていった。網膜を焼くような強烈な光に、強く瞼を閉じる。思わずリヴィウィエラの手を握り締めると、同じだけの強さで握り返されるのを確かに感じた。



 ***

「着いたぞ、トール」
 光の洪水が瞼の裏で氾濫している。わんわんと二重三重に頭の中で耳鳴りが反響して、くらくらする意識をどうにか維持しながらジノはその場に立っていた。リヴィウィエラの静かな声が辛うじて聞こえる。
「つ、着いたって……どこに……?」
「『門』の外だ。地上に行きたいと言っただろう?」
 恐る恐る、キツく閉じていた瞼を開く。予想に反してその場の眩しさは既に失せていて、安堵しながらジノは肩の力を抜いた。初めこそ奇妙な目眩がしたものの、すぐに違和感は消えていく。最初にリヴィウィエラに連れられて移動した時に比べると、今回の移動はずっと楽なものだった。
「体調はどうだ。『門』は安定しているから、それほど悪くはないだろう」
「そう、だな。前のに比べたら、全然平気だ」
「それなら、よかった。ただ、『門』は行き先が固定されているんだ。だから安定しているんだが、目的地が遠いと少し不便だから」
 説明を聞きながら、辺りの風景を眺めてみる。一見何の変哲もない場所だが、よくよく見ると足元には先程の部屋にあったものと同じ石材が円形に並べられていた。石の表面にはやはり文字らしきものが刻まれていて、どうやら『門』というのはこの場所そのものを指しているようだ。
 それ以外には、相変わらず何もない大地が広がっているように見える。ただ以前見た場所とは違い、今目の前にある土地はわかりやすく土の色をしている。表面にはやはり細かな罅割れが見られたが、まだどことなくジノにも馴染みを感じられるような地面だった。
 背後を振り返ると、天を貫く巨大な山が遠くに見える。ジノが最初に見た時よりも、大きくはっきりとした姿だった。あのクレーターがあった場所よりも、ここはずっと山に近いようだ。
「この辺りは、まだ侵食の度合いが低いんだ。万全とは言えないが土も辛うじて生きているし、空気もそれほど滞っていない」
 こっちだ、とリヴィウィエラに促され、先を行く背中を追ってジノも歩き始めた。一歩踏み出す度にパキパキと音はするものの、踏み締める感触は確かに土の地面である。奇妙な感覚だったが、努めて気にせずに歩き続けた。石のサークルからいくらか離れて、リヴィウィエラは前方に見える小高い丘を登っていく。
……――あ!」
 続いて丘を登り切ったところで、ジノは思わず声を上げて立ち止まった。思いの外大きく声が響いたことに自分で驚いて、慌てて口を閉ざす。そうしながらも、急に現れた光景にどくどくと鼓動が激しくなるのを止められなかった。改めて、眼前の景色にじっと目を凝らす。
 小高い丘の向こうには、一面に広野が広がっていた。遠景に山々が連なっていて、地平線はここからは見えない。盆地のような地形なのだろうか、それでも十分な広さはあるようだった。草木のあるようには見えないが、見慣れた土の色が遠くまで広がっている。そしてその内側を陣取るように、複数の家屋が建てられていた。それも点在している、などという数ではない。目に見える限り、無数にだ!
……街だ……!」
 石を積んで作られた外壁で囲われた中には、居並ぶように建物が敷き詰められている。踏み固められた石の道路が何本も、絡まる糸のように建物の間をのたうっていた。咄嗟に丘を駆け下りようとしたジノの手を、リヴィウィエラが慌てた様子で掴んで止める。振り返ると、少年は申し訳なさそうにゆっくりと首を横に振った。
「行かない方がいい。あそこにはもう、誰もいないんだ」
……え」
「もう、誰もあそこには生きていない。建物はまだ残っているが、それもだいぶ脆くなってきている。だから、出来れば行かないでほしい。連れて来ておいて、勝手だとは思うが」
……そう、なのか」
 懇願するように引き留められると、小さな手を振り解いてまで行こうとする気は起きなかった。きりりと微かな音を立てて、義眼で眼下に広がる街を見つめる。しばらく探ってみたが、確かに、動いているものはどこにも見当たらない。
……本当に、誰も住んでいないのか」
「そうだ。それでもここは、長く保った方だが……もう随分前に、誰もいなくなってしまった」
 そう呟くと、リヴィウィエラはジノの手を離すとその場にぺたりと座り込んだ。恐らく彼自身は、もうここから先に進もうという気はないのだろう。ジノは少し迷い、改めて街を見つめて、リヴィウィエラの隣に同じように腰を下ろした。
 しばらくお互い何も言わずに、ただ目の前の光景を眺める。風と呼べるほどのものではないが、空気の流れがあるのは感じられた。静寂の中、隣にいるリヴィウィエラが呼吸をする度に微かな衣擦れの音がする。居心地は悪くはなかったが、なんとなく疑問に思ったことはあった。
……ここに来たのは、なんでなんだ?」
 静寂を破って問いかけると、リヴィウィエラはゆっくりと顔を上げてジノを見つめ返す。大きな目がぱちりと瞬き、不思議そうに首を傾げた。
「君が、何かがあるところがいいと言ったから」
「まあ……確かに、言ったな」
「そうだろう。とはいえ、危険なところには行くわけにはいかないし、ここなら誰もいないのはわかっている。『門』にも一番近いし、それに……
「それに?」
 こちらを見ていた視線が再び街に向けられる。片手がゆっくりと持ち上げられて、リヴィウィエラは眩しさに目を細めるように街の遠景に手のひらを翳した。何かを掴むように伸ばされた手は、けれども何も掴めないままに、再び力無く膝の上に落ちる。
「君に見せたかった。ここはとても賑やかな街だったんだ」
……そうなのか」
 外壁と山々に囲まれた街は、ジノにとってはそれほど大きなものとは思われない。だがこの世界は、どうやらそれほど文明が発達した世界ではないようだった。ジノの感覚で言えば、古めかしいを通り越して遺跡のようにも思える街並みを見つめる。自分が思っているよりも、人口もずっと少ないのだろう。それを踏まえてみれば、賑やかだったというかつての面影も窺える。
「もうわからなくなってしまったが、山越えの街道も整備されていて、ヒトの行き来も多かった。この辺りでは一番大きな街だったと思う。たくさんの人間が住んでいて、良いことも悪いこともたくさんあった。わたしはそれを、ここから見るのが好きだった」
「ここから? 街の中には行かなかったのか?」
「あまり、人間に直接関わることは出来ないからな。基本的に、わたしたちはただ見守るだけだ。……まあ、でも」
 不意に何かを思い出したのか、リヴィウィエラはほんの僅かに笑みを浮かべた。楽しそうに笑うのは初めて見たような気がして、ジノも一瞬息を止める。すぐに笑顔はわからなくなってしまったが、楽しい気持ちはまだ彼の中で続いているようだった。いつもよりも少しだけ弾んだ声音で、話を続ける。
「ずっと昔、まだこの街がこんなに大きくなる前の村だった頃には、何度かヒトの中に混じってみたことがある。祭りをやっていたんだ。みんな楽しそうだったし、遠方からもいろんなヒトが集まる日だったから、つい」
「なるほど。バレないと思って、遊びに行ったのか」
「と言っても、本当に見ていただけだ。でもやっぱり、近くにいる方がずっと楽しい。だから何度かやってしまって、それがきょうだいたちに知られて叱られた。それからは、ずっとここから街が大きくなるのを見ていた」
……そうか。思い入れのある場所なんだな」
 最初は、何もない場所にどうして連れてこられたのかと訝しんだが、どうやらリヴィウィエラにとっては十分に思い出の残る場所であるらしい。ぽつりとそう呟くと、リヴィウィエラは小さく首を振ってまた街を見つめる。
「でも、此処だけじゃない。他のどんな場所も、みんな大事だ。……みんな本当に、大事だった」
 それきりまた、隣からは何も聞こえなくなった。だからジノも何も言わずに、その場にただ座ってぼんやりと時を過ごす。感じることはいくらでもあったが、敢えてあれこれ考えることはしなかった。ただ一つだけ、どうしても気になってしまったことを、しばらくの時間の後に問いかける。
……リヴィウィエラは、一体何歳なんだ?」
「え。……ああ、年齢か。すまない、人間のようには数えていないからわからないんだ」
「そうか……数えてないんじゃ仕方ないな」
「わたしたちは時代に合わせて姿を変えるんだが、わたしが生まれた時には、きょうだいたちはまだ獣の姿をしていたから……たぶん、ヒトが増え始めるよりは前だろうと思うが、ちょっとわからないな」
……なるほど……?」
 わからないものは仕方ない、とジノは自分を納得させた。たぶん、いちいち考えているとまた頭痛に見舞われることになるだろう。考え込まないようにする為にここに来たのだから、今は何も考えないでいたかった。すごいことを言われたということだけ、覚えていようと思う。
 再び無言になり、ぼんやりとしたままジノは街をじっと見ていた。話しかけない限りリヴィウィエラも喋らないが、気まずいと感じるようなこともない。ゆっくりと過ごしたかったのは本当のことだったから、そうしていられるのは有り難い。十分に静かな空間を堪能して、だいぶ気分も落ち着いてきたところで、大きく深呼吸したゆっくりと肩の力を抜いた。
 悩んでも、どうにもならないことはどうにもならないものだ。先のことは考えたところで対策も出来そうにはないし、一先ずはレゼに任せると言ったのだから、信じて待つよりないだろう。ただ、それはそれで構わないとして――当面は、一体何をして過ごせばいいのだろう。ここには仕事も何もないし、自分には特別に趣味もない。普通なら、知らない土地に行けばあちこち見て回りたいと思うところだが、どうも観光気分でうろつける世界ではないらしい。
 どうしたものか、とぼんやり考えるでもなく思っていたその時、遠くを見ていた義眼が突然何かに反応してきりきりと音を立てた。何か動いた、とジノが感じるよりも速く、強制的にそちらにピントが合わせられる。もう片方の目も、自然と追随するように動いて焦点を合わせた。結びついたその視線の先で――再び、影のような何かが動く。
 は、と息を呑む暇もなく、ジノは腰を浮かせた。きりり、と義眼は其れを見逃すことなく動きを追う。動いている。移動している。それどころか、道路の陰を伝うように動いたそれは、建物のひとつに近づくとゆっくりと扉を開いた。自然な現象ではない、明らかに何かがそこにいる。
 思わず身を乗り出そうとしたジノの肩を、制するように小さな手が掴んだ。弾かれるように振り返ると、強い目で街を見ていたリヴィウィエラが静かに首を振る。
「動くな、トール。……見えているだろう」
 固い声に、動揺を隠せないままジノは頷くだけで返した。何かがいることに、リヴィウィエラも気付いていたらしい。じっと動かない小さな体に身を寄せるようにして、囁き声で問いかける。
……誰もいないんじゃ、なかったのか……?」
「その筈だ。……いや、むしろ誰もいないから、ここまで来たのか。山向こうには住めなくなったんだな……他にもいる」
 視野を広げ、ジノもそれを確認した。最初に見つけた影以外にも、街の中に散らばるようにいくつかの何かが動いている。やがてそのうちのひとつが、比較的開けた道路の真ん中に姿を現した。遠視でその形を確認して、ジノは慌てて手で口を塞いだ。そうしなければ、大声を上げてしまいそうだったからだ。
……人間、か?」
 口の中で、声にならないように気をつけながらそっと囁く。ちらと様子を窺うと、リヴィウィエラは固い表情のままじっと街の方を見据えていた。
 耳の奥で、ざわざわと血の流れる音が聞こえる。周囲は相変わらず無音なので、自分の心臓が動く音と、リヴィウィエラの潜めた呼吸音だけがはっきりと感じられた。見つめる先で、しばらくあちこちの家屋を探ってうろうろと動いていた『人間』たちは、やがてそれぞれに目当ての場所を見つけたのか建物の中に入ったきり出てこなくなった。目に見える限り、再び動くもののなくなった街並みを確認して、ジノはふーっと絞り出すように息を吐く。
……人間が、いたんだな。てっきりもう、どこにもいないのかと思い込んでたんだけど」
「いや、あれはもう人間じゃない。アリューラだ」
 リヴィウィエラは視線を外さないまま答えた。まだ警戒を解いていないのか、ジノの体を押さえつけるように肩に手が置かれたままだ。
「アリュー……? ……なんか、どこかで」
 はっきりとは思い出せないが、聞き覚えのある音だ。だがジノが記憶を探るのを待たずに、リヴィウィエラは周囲を何度か見回すと固い声で短く答えた。
「アリューラ。あれは、不死者だ」
……は?」
「すまない、トール。暗くなる前に、戻った方がよさそうだ」
 緊張した面持ちのまま、ジノの腕を引っ張りながらリヴィウィエラが立ち上がる。何もかも理解が及ばない状態で、存外に強い力に引きずられるようにジノもどうにか足を立たせた。
「なん、え、なんだ!? あれは何なんだ、人間じゃないって? 危険なのか?」
「君にとってはそうかもしれない。だから、今日はとにかく戻ろう。どちらにせよ、もう夜になる」
 確かに、言われてみればいつの間にか、辺りは夕暮れの光に包まれ始めていた。急かされるように背を押されて、『門』に向かって丘を駆け下りる。
「ふ……不死者、って言った、か? どういうことなんだ、一体」
「不死者は、死なないものだ。アリューラは伝染する危険がある。わたしは平気だが、君はどうなるかわからない。……後で説明するから、少し待ってくれ」
 『門』である石のサークルに辿り着くと、リヴィウィエラはぐいぐいとその中心にジノを押しやった。そうしながら自分は一際大きな石に近づき、その一部を軽く足で踏む。途端に、サークルを囲むようにして一条の光が走った。
「説明って、いや、でも」
「喋っていると舌を噛むぞ、黙って、トール」
 静かな声は至って真剣だった。走る光は次第に速度を増していく。見覚えのある光景に、ジノは慌てて歯を食い縛った。ぐらりと足元が大きく揺らぐ。
 二人を中心に、一瞬の閃光が柱のように立ち上った。黄色い、爬虫類のように光る目が、丘の上からじっとその様子を見ていた。


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