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愛憐より

全体公開 8170文字
2022-02-23 16:10:13

1日1うぃるきょー
18日目

Posted by @pome_tktk

 今夜は月が綺麗だ。
 窓際に僅かに重なった布を手で少しだけ捲りながら、キョウは黒い空に、白く散らばるまばらな星屑と、美しい円を描いた満月を見上げていた。しばらくその夜空に見とれていると、部屋の扉が開いた。
……おや、まだ起きていらっしゃったのですか。お体に障りますよ、主」
 様子を伺う様子で窓際へ赴いた執事は、諭すように主人に声をかけた。
「なんだか眠れなくて」
「仕方ありませんね、寝付けるまでお隣にいましょう」
「それよりウィル、見てみろよ。今夜は月が綺麗だ」
 己の従者の申し出も聞かず、キョウは窓の外を未だ眺め続けた。言われるがまま、ウィルもその隣で窓の向こう側の空を見上げた。吸い込まれそうな美しさに、息を飲む。
「本当に美しい」
「だろ」
 しばらくそうしていた二人の間には、穏やかな空気が漂っていたが、やがてウィルは半分かけられた布で窓を多い、キョウを抱きかかえ、寝床に包み込んだ。
「さぁ、明日に備えて、ゆっくりとお休みなさいませ、主」
……ウィル」
「どうしたんですか」
……なんでもない。おやすみ」
 キョウは言いかけた言葉を飲み込んで、ウィルに背を向けて布団を深く被った。その言葉は、ウィルを傷つけてしまうのではないかと、幼心にも気づいたからだ。
 ――ウィルと初めて出会った日も、こんなに綺麗な夜空だった。
 キョウは、ウィルをこの世の誰よりも大切に思っている。けれどウィルは、きっと自分と出会った運命を、呪いたいほど憎んでいるはずだ……キョウがそう思ってしまうのは、あの日自分を見つめる翠色の瞳が、憎しみの炎に燃えていたことを、今でも鮮明に覚えている。

 その日は、ツクヨ王国たった一人の王位継承者であるキョウが五歳の誕生日を迎え、盛大に祝われた。国中のあらゆる貴族や商人が、キョウへの……もとい、それを管理する皇帝への献上品を持ち寄った。
 豪華絢爛な装飾品、珍しい動物、遠方の国の武具や兵器。そのどれもに、キョウの心が惹かれることなどなく、ただこの長い一日が一秒でも早く終わって欲しい、そんなことばかり考えていた。
 そんな時、キョウが唯一目を奪われたものを持ってきたのは、国一番の奴隷商人だった。
「この度は、世にも貴重な種族の生き残りを献上しに参りました。なんとこちらは、強い生命力と高い身体能力を有しており、並大抵の人間ではとても耐えられないような傷でも死ぬことはなく、その高い身体能力からあらゆる拘束具も破壊し、捕獲されることはとても困難とされてきた種族の男でございます」
 重たげな檻の中に入れられた褐色肌の男は、ぼろぼろの布を一枚身にまとった、裸同然のような格好のまま、手枷と足枷で拘束されていた。長い前髪から僅かにこちらを見上げる瞳には光は宿らず、じっと空虚を見つめている。
 その男に、キョウが目を奪われていることに気がついたらしい父親は、満足気に頷いた。
「お前はこれが気に入ったのだな?」
「これはこれは光栄です。ならば、ご覧にいれましょう。この奴隷の強靭な生命力を!」
 高らかに宣言した奴隷商人は、懐から取り出した銀色の剣を構える。その姿を見たキョウは、全身から血の気が引くのを感じた。その奴隷商人が今目の前で行おうとしている行為を、是が非でも止めなければならない。そう思って檻に駆け寄ろうとするが、父親の大きな手がそれを許してはくれなかった。
「やめ……ッ!」
 叫ぼうとした声を遮り、銀色の剣は檻の中の男の腹部を貫いた。真っ赤な鮮血が飛び散り、檻の中で男は拘束された手足を痙攣させながら、獣のような雄叫びを上げた。
 男の悲鳴を合図に、奴隷商人は剣を引き抜く。引き抜かれた剣は、柄から剣先まで、元の銀色が見えなくなるほど、赤色に染まっていた。剣を抜かれた腹部の傷から、どくどくと血が流れ出す。しかし、間もなくして血は止まり、男の悲鳴も収まったかと思うと、奴隷商人は傷口を布で拭う。そこに、先程突き刺さった剣の傷跡は、あとかたもなく消えていたのだ。
「どうです? 素晴らしいでしょう!」
 誇らしげに胸を張る奴隷商人に、父親が拍手を送るのを、キョウは見ていられなかった。下唇を噛み締めるが、父親の機嫌は損ねさせないよう、震える声で告げた。
「父上。あの奴隷を私にください」
 今までつまらなそうにしていた息子が、やっと自分への贈り物を喜ぶことに機嫌を良くした父親は、二つ返事でそれを承諾した。
 直ぐに奴隷の身なりを整えるよう、使用人に命じ、奴隷商人は褒美を受け取って、空になった檻を押しながら帰って行った。

 その後キョウが部屋に戻ると、先程までのみすぼらしい姿からは一変、髪をさっぱりと整え、一般的な従者用の衣服を身にまとった男の姿があった。しかし、両手足は相変わらず枷を嵌められ、鎖に繋がれている。
 しかし、先程とは目付きが違う。変わらず瞳には光は宿っていなかったが、空虚を見つめていたそこには、確かに黒い炎を抱いている。そのギラついた視線に、少しだけ怯みそうになるのを抑えながら、キョウはメイドから預かっていた鍵で拘束具を解いた。
 予想もしなかったその行動に、男は動揺を隠せなかった。
「ほら、行っていいよ」
 ――自分の膝までしか身長がないような小さな少年は、そう言って扉を開けると、逃げるように促した。
「なぜ、おれを逃がすような真似をするんだ」
「さっき、痛いことしてごめん」
 そう言って、キョウは男の腹部をそっと撫でる。
 手を伸ばされ、男は一瞬身体が強ばった。しかし、その優しい手つきが自分に危害を加えないことを訴えかけてくる。
「お前にされたわけではない」
「でも、オレのせいでこんな目にあわされてるんだから」
 そして、再度「ごめんなさい」と告げた。
「今日はオレの誕生日で、お前もオレの誕生日の贈り物。……でも、お前には家族がいたのに、故郷があったのに……引き離されて、痛いことされて、本当にごめん。オレのせいだ」
 小さな少年が男を見上げ、慈しむように「だから、お前は逃げてもいいんだよ」と語りかけた。しかし、男はゆっくりと首を振った。
……いや、いい。家族は殺されたし、故郷は焼かれた。俺には逃げ帰るところなんてないんだ」
 そう言って男はしゃがみこみ、小さな主に視線を合わせた。
「だから、もしお前がどうしても俺を要らないから捨てたいとでも思わないのであれば、俺は奴隷でも愛玩物でも構わん。俺を傍に置いてみないか」
 男の告白に、キョウは小さく頷いた。
「お前、名前は?」
「ウィルだ」
「そっか、ウィル」
 そしてキョウが最初にウィルに命じたのは、「一緒の寝床で眠ること」だった。
 所詮奴隷である自分が主人と同じ布団に潜ることは、果たして許されることなのかと戸惑うウィルに、「これは命令だ」と言い張って布団の中に引きずり込んだ。そんな夜、寝床の中から見えた窓の外は、美しい星空に煌めいていた。

 それから、ウィルが正式にキョウの従者として雇われることになったのは数年後。差別主義思想の強い父親は奴隷上がりの従者を酷く嫌ったが、キョウは父親の言うことなど聞かず、ウィルを自身の従者にすることを決めたのだ。
 国王の反対や城で働く使用人達の怪訝な視線とは裏腹に、ウィルの従者としての働きは予想以上に優秀だった。
 座学、剣術、商談、工芸、何から何まで完璧にこなすウィルは、王子であるキョウを、他の指導者よりも的確に、そして丁寧に導くことすらできる教師にすらなった。
 故に、気がつけば彼に怪訝な目を露骨に向ける者はほとんど居なくなっていた。それだけの実力を証明することが出来た。
 しかしそれはあくまでも表面上でのことだ。
 ウィルの実力に比例して、キョウへの期待は下がっていく一方なのだ。それでも、キョウは自身への評価よりもウィルの方が大切だと思いながら、10年の歳月が過ぎた。
「ウィル、午後の予定は?」
「遠方の国より訪問される貿易商との商談、その後は剣術の稽古と、近衛兵団訓練場の見学ですね」
「その後は?」
「特に何も」
 昼食をとるキョウの傍らで、ウィルは淡々とした口調で告げた。
「なら、城下町に向かう」
「お言葉ですが殿下。最近は国の内情も不安定です。王族が街を歩いていると知られれば……
「だからこそ、自分の目で見たいんだ。……それとウィル」
 空になったグラスに、飲み物を注ごうとするウィルの手を、キョウが制止するように触れる。
「二人きりの時は、その堅苦しい口調をやめろって言ってるだろ」
 ウィルを見上げるキョウの表情は、いつにも増して険しい。
……今日は随分と機嫌が悪いな」
「あぁ、そうだよ。朝からクソ親父の横暴な政治のやり方を見せつけられて気分が悪い」
「横暴も何も、昔からそれがこの国のやり方なんだろう。あらゆる国と領地を奪い合って戦争を繰り返し……やがて全ての国を一つにするという理想を掲げて」
 いつだってウィルがキョウに語りかけるのは、キョウの感情論では否定できない事実ばかりだ。ウィルの言葉に、キョウはぐっと口を噤んだ。
「まぁ、どうしても民衆の様子を見に行きたいというのなら、なるべく目立つような行動はするなよ」
「分かってるよ。所詮オレにできるのは……学びを得て時の流れに身をまかせることくらいなんだから」

「その戦争のせいで、国民が苦しい生活を強いられてることに目を背けてまで、その理想は達成されなきゃいけないことなのか」
 城下町の庶民的な酒場で、キョウは徐に口を開いた。ざわめく店の中で、ひっそりと身を潜めながら。
 ウィルの支えを受けながら見て回った城下町のスラムでの惨状を目の当たりにし、随分と気が滅入っているらしい。
「さぁな」
 安いワインの注がれたジョッキに口をつけながら、ウィルは吐き捨てるように言った。それはまるで、思わず吐いてしまったようなため息のような声の低さだ。
「俺は今の……戦争ばかりの世界のせいで家族も故郷も失ったようなものだ。今の地位だって、お前が与えてくれなければ今頃は……血と汗と涙やら、泥水やらを啜って生きていただろうな」
「オレが国王になったら、戦争なんかさせない。国がひとつにならなくなって、人が幸せに生きられる道は沢山ある。叶うかも分からない遠い未来の理想のために大勢の人間が苦しむくらいなら、些細な幸せで満足していけたら、それでいいのに」
 キョウの掲げるものもまた、夢見がちな理想に過ぎない。ウィルは内心でそう思ったが、それを口にするような野暮なことも出来ず、黙り込んだ。長く続く戦争も、国王の惰性も含まれている。崇高な理想を掲げ、大勢の国を侵略して、大勢の人間の命を奪ってきたその行為。今更になってやめた所で、荒れた国同士の対立が直ぐに収まるはずもない。
「いっそ親父がくたばれば……
 悔しげに呟いたキョウの口に、ウィルはチーズを無理やり押し込んだ。
「自分の国の名産品だぞ、よく味わえ」
 話の腰を無理やり折ろうとしているということには、キョウにもすぐに勘づいて、訝しげな目を向けた。しかし、そんなキョウの言いたげな言葉も、ウィルは遮った。
「滅多なことは口にするな。できることなら全面戦争は控えたいというのは陛下もお考えだろう。お前が無闇矢鱈に首を突っ込んだら、陛下も黙っていないぞ」
「まぁ……さすがに民衆の反感を買いまくってることに気づいてないワケじゃないだろうけどさ……
「それに、戦争に使われる軍や兵士だってどんどん力を失ってきているんだ。戦争で領地を略奪する力はこれからどんどん衰退していく」
「だったら尚更……!」
「今の国王陛下に逆らえば、最悪お前の首が飛ぶぞ」
 湾曲な表現もせず、ウィルのストレートな物言いに、さすがのキョウも青ざめて黙り込んだ。
……そういうわけだ。陛下が大人しく今のやり方を考え直してお前に冠を託すまで……お前も大人しくしていた方がいい。本当に心から、国や世界の平和を願うならな」
 腑に落ちないまま、二人は酒場と街を後にした。

 ……その日の夜、見上げた月は雲に隠れ、朧気に揺らめいていた。美しい月だった。けれど、妙な不安を煽る。何となく嫌な予感はしていたのだ。
 眠りにつこうと目を閉じた矢先、爆発音の様なものに叩き起さた。
 ピリピリとした空気に、動悸が激しくなっていく。
「な、何が起こってるんだ……?」
 転がり込むようにウィルが寝室に駆け込んできた。
「キョウ、無事か!?」
「ウィル……! どうしたんだよ、何が……
「話は後だ、直ぐにここから逃げるぞ」
 寝巻き姿のキョウの服を、まるで手品のような素早さで取り替えさせるウィルの手つきは、酷く焦燥していた。ウィルがキョウに着せたのは、自身が普段仕事の際に着用している、使用人用の衣服だ。
「な、なんでお前の服なんか」
「ここから訓練場から城を抜けたところに馬を呼んである。この国から出ろキョウ」
「待てってば、そんなのなんの説明もなしに」
「民衆が反乱を起こして、城を攻めてる」
 言葉を失う。
 それでも、ウィルは続けた。
「お前も見つかれば拘束は免れない。俺もお前も守ってやれない……そのまま処刑だって有り得るんだ」
 ウィルの言葉が受け入れられない。頭が事実の処理を拒否する。手を引くウィルの手が冷たいことばかりがキョウの頭の中を占めていた。
 気がつけば、馬は目の前にいた。キョウを逃がすための支度を手短に済ませ、ウィルはもはや口で支持することすらせず、馬にキョウを乗せた。
「馬の乗り方は大丈夫だな? とにかく国から遠く離れろ。外れに国との接触を避けている閉鎖的な村がある。そこに話をつけてあるからお前の身の安全も保証できるはずだ」
「ま、待てよ……ウィル。なんでそんなに手際がいいんだよ。まるでこんなことになるのを予想してたみたいに」
 不安げなキョウの眼差しに、ウィルは優しく微笑んだ。
……なぁ、キョウ。俺はお前に救われたんだ。だからこそ……俺はお前に返さなきゃいけないと思う」
 悟ったように語るウィルに、キョウは今この瞬間を最期に、もう二度とウィルに会えなくなる予感がした。思わず、ウィルの腕を掴んだ。
「い、いやだ……お前も一緒に逃げよう、お前が一緒じゃなきゃ嫌だよ……! 世界を平和にしたいなんてもう言わない、国なんかもうどうでもいいよ、オレは……!」
 両の目の縁から、熱い水が零れて止まらない。
「お前と何も心配せず、誰にも白い目で見られず、ただ笑って過ごせるのを願っていただけなのに……!」
 その涙を、ウィルは優しく拭った。
「俺は一緒に行けない。俺はここに残る」
「そしたらお前は……!」
「聞け、キョウ」
 静かに、ウィルはこうべを垂れた。
「我が主よ、どうか涙を拭ってください。私は必ずあなた様の元へ還ると誓います。……この騒動が終われば必ず」
 その言葉を最後に、馬が大きくいななく。
 互いの胸に抱いた、約束してくれ、という願い。言葉を待たず互いの距離はどんどんと引き離されていく。
 やがてウィルの姿も、民衆の反乱により燃やされた城の炎も、崩壊していく国も……キョウの目に見えなくなるほど、小さくなって行った。

 そして今日もまた、のどかな朝を迎える。
 眩しい朝日を背に、キョウを起こしてくれる人間はもう居ない。
「おはようございます、キョウさん」
自ら寝床から身を起こし、顔を洗いに井戸へ向かうと、牧草を抱えた少女にこえをかけられた。
……ん、おはよう」
「今日から旅に出るんですよね。身支度はお済みですか? お忘れ物はございませんか」
 キョウよりずっと小さな、年端も行かぬ少女だが……世間知らずであったキョウよりも、ずっと強かで、力強い命だ。
「大丈夫だよ、旅と言っても……少し里帰りをするだけだから」
「あぁ……キョウさんはツクヨから逃げてきたんでしたね。民衆の反乱により王家が崩壊したという」
「うん。あれから、もう世界は戦争をしていないって風の噂で聞いたから。……故郷がどうなったのか見に行きたいんだ」
「でも……キョウさんの家族は……
 家族、と言われキョウが真っ先に思い浮かべたのは、国の崩壊の元凶である父親よりも、ウィルのことだ。
……もしかしたら、今頃平和になった故郷で幸せに過ごしてるかもって希望があってさ」
「でも、それでもし……
「分かってる、誰もいなかったら、そんな希望すら抱けないってことくらい。……でももし、そこに魂があるなら、ちゃんとお別れを言うこともしなきゃね」
 そして、覚悟を決めたキョウを、少女は強い眼差しで見送った。
……どうか、お気をつけて」

 かつての自分の国が変わり果てた姿を見て、キョウは目を瞬いた。そこには、自分がかつて思い描いていた理想が実現されていたのだから。
 容姿、年齢、人種も種族も……何もかもがバラバラの者たちが、当たり前のように幸せそうに暮らしている。
 これで良かった。そんな安堵と同時に、この国に王家の人間である自分自身は、やはり必要がなかったのだと……土を踏みしめる度に自覚した。
「よお兄ちゃん、旅人さんかい」
 街に出店を構える行商人の男に、明るく声をかけられた。
「はい……まぁ、そんなところです。……会いたい人がいて」
 そう言ってキョウは、ウィルの特徴を告げた。もしかしたら、今のこの国で幸せに暮らしていたら……そんな希望を胸に。
 すると、男はキョウの話に頷いた。
「そうだな……その男については俺も詳しくは知らねぇが……多分、この国じゃ一番有名なやつだな」
……! 本当ですか?」
 その男の言葉に目を輝かせたキョウに、男は憐れむように首を振った。
「まぁ、見てきた方が早いんじゃねぇかな。詳しいやつの住所を教えてやる。訪ねてみるといい」
 そう言われて紙に書かれた住所は、戦争の後に建てられたのであろう教会だった。キョウは、ウィルに会えるかもしれない期待を胸に、教会のもんを叩いた。そして、教会から出てきた神父に、ウィルの話を聞かせた。
 どうしても会いたい、話がしたい……そう訴えかけるキョウに、神父は微笑んで、教会の奥へと案内された。

 そこに、周囲より一際大きな墓石が佇んでいた。
「あなたの言う男性は、この国の英雄のことでしょう。……十年前、この国が共和国政を確立させる時……当時の王国軍を滅ぼしたという一人の男です。その特徴的な褐色肌と緑色の髪……そして金色の瞳は、燃えるような魂を宿していたと言います」
 ツクヨの英雄、ここに眠る。
 そう書かれた墓石の文字を、キョウは指先でなぞった。
 あの男は……たった一人、主人の最後の命令にすら背き、キョウの願いを叶えるためだけに、その命を捧げたのだということを語る。
 喉の奥が熱くなるのを感じながら、キョウは神父に告げた。
……少しだけ、彼と二人きりにしてください」
 キョウの言葉に、神父は深く頷いた。
 そして、神聖な墓地で、ただ静かな時間だけがゆっくりと過ぎていった。長い長い時間が過ぎて、やがて日が暮れる頃になって、初めてキョウは……墓石に寄り添いながらその頬を濡らした。
「なぁ。お前はあの時、誇りを胸に抱いていたか。もし聞こえていたら、俺を叱ってくれよ。傲慢で弱虫な俺のそばにいてくれよ」
 届くことの無いその言葉に、キョウは己の魂を込めた。
 ……ずっと願っていた、平和な日々を。
 あの日の誕生日、自分のために銀の剣でその身を貫かれたウィルが、少しでも幸せに笑っていてくれるように。
 ウィルさえ幸せでいてくれたら、本当は他に何も要らなかった。ウィルのためだけに、ずっと世界の平和を願っていたのだから。
 もし神様がこの世にいるのなら、どうか魂を救ってくれるなら。
「もう一度ウィルに会いたい」
 涙ながらに呟いて、キョウはウィルの墓石に寄り添いながら眠りに落ちた。

fin.


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