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Après la pluie,

全体公開 5 9221文字
2022-02-23 23:04:06

◆ヴィルルク

絵:sawa(スペース番号:ヴィルルクう4)
小説:とじょ(スペース番号:レオルクえ3)

 いつの間にか、窓の外から聞こえる音の幕がひとつ増えている。室内において外に注意を払わずにおけば雨の気付きなどそんなものだ。人によっては気圧変化に伴う頭痛やカーテンから差し込む光の薄さ、目覚めた瞬間の部屋の暗さ、髪のうねり。そういったものでも雨の気配に気付くだろう。普段と少しだけ異なるその違和感に耳を澄まし、窓の外の幕のように覆い被さる音のレイヤー、或いは窓を叩く水音、そういったものを聞いて、あぁ、雨かと納得する。外に居ない限りは雨の寒さも雨足の強さもほとんど関係がない。屋根というものは実に偉大である。
 ヴィルは自分の頭を締め付けるような頭痛を覚えながら寮へと帰ってきた。せっかく仕事もなく部活もない、さらに課題も終わっている本当の休日だと言うのに、校舎の食堂の方へ昼食を取りに行き、寮へ帰ろうと出たところで突然の雨だ。外の部活をしていた生徒たちがわあわあと慌てながらも楽しそうに屋根の方へと走るのを傍目に、魔法で雨を避けながら悠々と鏡舎へ行ったのはいいものの、気圧は魔法でどうにもならず湿気を吸った毛先は重い。髪質によっては湿気により爆発と表現されるような事態になる者もいるが、ヴィルの場合は少しうねり全体的にしっとりとまとまって重くなる。パッと見て乱れていると見えないのは爆発タイプに比べれば得ではあるのだろうが、鬱陶しいことに変わりはない。それは頭痛と相まってヴィルの機嫌を緩やかに下降させた。

 鏡を抜けて寮へと戻るも、こちらもまた雨である。寮のある空間は基本的に適温が保たれているが、それぞれの寮でコンセプトになっている土地があり、それらの気候が再現されている。たとえばサバナクローは夕焼けの草原の乾燥して温暖な気候、スカラビアは熱砂の国のからりとした暑さと涼しげな夜、といったように適温の範疇ではあるが完全に一定に保たれている訳ではない。これは人間の体温調節機能が損なわれないためでもあり、基本的にはその季節にその土地で多い気候がそのまま採用されている。
 ポムフィオーレは輝石の国の気候を採用しており、ある程度の湿度と寒さが特徴的な雪国の気候だ。輝石の国出身であるヴィルには慣れ親しんだ過ごしやすい気候ではあるが、熱砂の国の出身者や夕焼けの草原出身のルークなどは慣れるまで幾度か体調を崩すなどした。それでも一年の頃に比べればその体調不良は年に一回あるかないかという頻度まで下がるのだから、人間の体温調節や体の慣れというのは律儀なものだ。いくら文明が発達して快適な気温で過ごせることが増えたとしても、やはりわざわざ体温調節機能を育む意味はあるらしい。
 輝石の国は広い国ではあるがこの星でも北側に位置し、国土の大半は深い雪と針葉樹の群生地の広がる雪国だ。雨の頻度も少ないことはなく、こうして雨もよく降る。ポムフィオーレは特に庭やりんごの木の森を有し、薬草や毒草の栽培なども行っているため、水やりの手間が省けると生徒からの評判もいい。同じ数だけ気圧性の頭痛や体調不良の報告もあるが、二、三年もすればある程度は自分で薬を調合したり、慣れたりしてくるので結局気候調節機能の改修には至っていない。余談ではあるが、談話室には薬を作るのが上手い生徒による頭痛薬などが常備されており、まだ数十年ぐらいは気候の改修もされずこのままだろう。環境を変えるより人間が工夫した方が早いこともままあることだ。

 頭痛を意識の外にやるべくそんな他愛もない事を考えながら、ヴィルは魔法で雨を避けて寮の扉をくぐった。実践魔法で美しく手早く寮服へと着替え、さて、と考えを巡らせる。本当なら外でジョギングをしたり栽培している薬草の状態を見たりとやる予定があったが、この雨にこの頭痛だ。無理して体を動かすより別のことをした方がいいかもしれない。書庫の整理、ボールルームの掃除、来月の寮長会議のための資料作成……と選択肢を思い浮かべながら談話室に入り、そこにいた生徒たちからの挨拶を返しながら何気なく寮内施設の予約表を見たヴィルは、珍しい部屋に珍しい名前で利用予約が入っているのに目をとめた。
「八番をルークが使うなんて珍しいわね」
「ハント副寮長なら、雨が降る少し前に帰ってこられて八番に向かわれました」
 ヴィルの呟いた言葉に生徒の一人が言う。ポムフィオーレ寮にはいくつかのボールルームやレッスンルーム、音楽室などが備えつけられているが、八番は最も辺鄙なところに位置する小さな音楽室だ。もっと使いやすい場所に使いやすい音楽室があることもあって、文化祭の前やコンクールなどで使いたい生徒が同時に複数いる場合を除き、施設の予約表の中でも八番に名前が書いてあることは非常に珍しい。見たところ他の音楽室は同じ時間帯でも空きがある。ならばルークがその部屋を選んだのは不可抗力ではなくそこではないといけない何か理由があったのだろう。ふぅん、と生徒の言葉に相槌を打ったヴィルは予約表を戻すと踵を返し、談話室を出た。

 廊下を歩く寮生からの挨拶に挨拶を返し、時折相応しくない姿勢や身なりの生徒がいれば注意をしながら歩くヴィルがあまり生徒とすれ違わなくなってから少しして、彼はふとピアノの音を聞いて顔を上げた。この寮の施設の多くは防音室となっており、普通にしていればどれだけ大声を張りあげようと廊下に音が届くことはそう無い。あまりの防音性の高さにいじめなどの行為がそういった部屋で行われたことがあったそうで、今ではそれぞれの部屋を定期的にゴーストが不可視状態で見回ってくれているほどだ。
 ポムフィオーレは奮励の精神に基づき、独特の美意識を持つ者が多く集う分、排他的な思想を持つ者もそれなりにいる。ヴィルが副寮長になってからこの二年、自分の顔に泥を塗るなという名目でそういった行為は禁じているが、それでも目を盗んでやる者はいる。そんな無粋な輩は勿論目のいい副官が見逃す訳もないのだが。
 美しき女王の奮励の精神に基づく最も麗しい女王の寮は、完璧でなくてはならない。
 ヴィルのその言葉を誰よりも尊重し、理解する男がこの寮にはいる。同じものを目指す旅の同伴者として、彼は最適な人材の一人だ。忠実な狩人に憧れ、光を際立たせる圧倒的な闇を更に美しく見せることに余念がなく、自ら率先して舞台装置として動く、奇特な男。
 美に対する絶対的な感性と審美眼を持ったあの同級生は最も辺鄙な音楽室に何の用があったのだろう。階段を上がるヴィルはふと見た窓の外、別の壁に嵌められた窓の一つが開けられているのを見た。脳内の地図を参照してそれが目的地であることに気付くと小さく息を吐く。防音性は高いとはいえ、窓を開ければ音が響くのは必然だ。雨風が吹き込みでもすれば濡れて汚れてしまうだろうに、何を目的としているのだろう。
 その音楽室の辺りはいつも通りだった。ただ一つ、ピアノの音が聞こえることを除けば。廊下を歩き、目的地の扉についた小窓を覗くとピア
ノの前に座った男とばちりと目が合う。分かりきっていたというように細められたハンターグリーンに嘆息して、入っていいと見なしたヴィルはその扉を開けた。
「ボンジュール、麗しのヴィル。こんな所まで来るとは珍しい、エペルくんへのレッスンは今日じゃなかったと記憶しているし、声を使うような仕事も直近にはなかったと思っていたけれど?」
「御機嫌よう、ルーク。珍しい部屋を珍しい名前が使うみたいだったから気になったのよ」
 成程、と呟いてルークは微笑んだ。ヴィルは後ろ手に扉を閉めると部屋を見回す。開いている窓はルークの横にあり、雨は吹き込んでいないようだった。ピアノの譜面台には何も置かれておらず、けれどルークの両手は鍵盤の上にある。元々狭い部屋だ、すぐに部屋の全ては把握出来てしまった。ルークはふと思い立ったように立ち上がると少し椅子を左後ろに下げ、浅く座り直す。何かと思って見ていれば、どうぞ、と招くように後ろを手で示された。この部屋にある椅子はピアノの前にある長方形のスツールしかないからだろう。ヴィルは少し考えてから足を進め、空けられた空間に腰を下ろす。ぎ、と椅子がきしんだ。
「アンタが音楽室使うところなんて初めて見たわ。しかも八番なんて」
「ふふ、私もたまには楽器に触れたいと思う日があるんだ。この部屋はピアノを置いている音楽室の中で、一番雨音が近いから選んだんだよ」
 へぇ、そう、と相槌を打ちながら、ヴィルは窓の外を見た。土を濡らす雨はまだ止む気配もなく、雨の日特有の少し冷たい匂いがする。肩に触れているのはルークの肩だろうか、背中だろうか。演奏の邪魔になってしまうかと思いながらもヴィルはそのままでいた。譜面台も置かれていないピアノを前に二人並んで座るのもなんだかおかしくて、それにルークは横ではなく後ろにスペースを作るようにして椅子を動かしたのだから、背中合わせでもいいだろう。もしかするとルークはヴィルのそんな気持ちを察して椅子を動かしたのかもしれないとすら思った。己の副官は常人離れした観察眼で無言のうちに意図が伝わってしまうことがよくある。それは毒に思えるほどに居心地がいい。
 不意に、ぽぉん、と音が鳴った。シとソとレの音だ、と服越しの体温を感じながら思う。それからも思い出したように、戯れのようにルークは鍵盤を押して音を響かせていく。それらは最初のように三つの音を同時に鳴らすこともあれば、子供がたどたどしく階段を下りるように一音ずつのことも、両手でどの音かも分からないような複雑な和音を響かせることもある。それらは何かの曲を弾いているというよりも、即興で、気まぐれで音を鳴らして遊んでいるだけのようにも思えた。
「雨の匂いがしたんだ」
 その言葉はあまりにも自然で、一瞬、ヴィルはそれがルークの発した意味のある言葉だと気付かなかった。返事や相槌を待たずに、ルークは続ける。
「森の中で雨の音を聞いたことはあるかな。雨が葉を叩く音に包まれて、時々枝葉の間から落ちてくる雫に髪を濡らしながら聞くあの音は心地がいい。それで森に入って雨を待とうかと思ったのだけれど、先日キミがピアノを弾いていたのを思い出して、この部屋に来たんだ」
 ルークの言う先日というのは恐らく自主的なボイストレーニングをしていた時のことだろうとヴィルには見当がついた。確かに数日前の放課後、音感のトレーニングを兼ねてピアノを弾いた。あの時ヴィルは一人で他に誰かが来た訳でもないのだが、なんといってもルークのことだから知っていたとしても不自然ではなかった。元より神出鬼没な男だ、フィールドワークの道中に通りがかっていてもおかしくはない。
「音の響きは水面に浮かぶ波紋に似ているから、似合うだろうと思って」
 きん、と高い音が響く。水の冷たさに似ている音だ、とヴィルは外を見ながら思った。服越しに触れた体温が暖かい。
「確かに、どっちも伝わっていく振動ね」
「ウィ。響きというものはそれ自体は目に見えないけれど、それが周囲に残す模様は実にボーテだ」
 ルークの指が静かに、戯れのように雨音に伴奏をつける。普段元気で何処へでも行くような彼が静かなのはそういう気分だからかもしれないし、ヴィルがそういう気分だからかもしれない。或いは今日が雨だからかも。ヴィルはそっとルークの頭に自分の頭を寄せながら思考に沈む。


 色んな生徒から変わり者だの猪突猛進だのと評されるルークは狩人に憧れそれを目指していると公言しているが、同じ美しき女王に仕えた存在の中ではもう一つ彼に相応しいものがあるとヴィルは思っている。いついかなる時も真実を告げた鏡だ。
 ルークの観察眼も、それによる指摘も、ヴィルは他の誰よりも信頼がおけると自覚している。目に見えるものに関して、彼以上に的確な者はそう居ないだろう。背後関係も私情も何もかも挟まず、ただ映すものそれだけを評価することは並大抵の人間には出来ない。一切の偏見なく、一切の差別なく、ルークはそれの持つ美を見出すことが出来る。ただ眼前のものを映す鏡のように。
 それだけではなく、彼は時として傍にいる者を映すように、それに呼応することがあった。例えば今のように。芯は何にも揺らがず侵されることのない確固としたものでありながら、彼はどこにでも馴染む男だ。森育ちの狩人でありながら、同時に貴人のような品性を見せる。ヴィルの傍にいる時、レオナやトレイ、エペルの傍にいる時、ルークはそれぞれに見合った雰囲気を醸し出す。あれはいっそ才能の一つだろう。馴染む、というのは名脇役の必要条件だ。
 背後関係も私情も何もかもを挟まず、その美しさだけを公正に示す、鏡のような男。背後関係や私情による偏見や批判に苦しめられてきたヴィルにとって、それらを持たないルークの傍は居心地がいい。決して甘やかすことなく、けれど軽んじることも蔑むこともなく、自分の求める物への道を支えてくれる。
 ヴィルにとって、ルークは必要な存在。共に歩き、同じ物を見たい相棒のような、大切な片割れのような存在だ。けれど彼は鏡だから、二人を照らすスポットライトの光を反射させて、もっとヴィルを輝かせようとする。自分はただの舞台装置として、さらにヴィルを際立たせる存在であればそれでいいというように。
 ヴィルにはそれが、少しだけ寂しい。

「ルーク、アンタって鏡みたいよね」
「オーララ、どうしたんだい? 急に」
「いつも聞いたら答えてくれるし、アタシのことを見ているじゃない? 美しき女王の魔法の鏡みたいでしょう」
 ヴィルはわざとルークへ体重をかけながら悪戯をふっかける子供のように少し明るい声で言った。擽ったそうに笑いながらもルークは難なくヴィルの体を支えて鍵盤を押す。先程よりも少し明るい和音だ。ぎ、と椅子がきしんだ。
「確かに、私はキミよりもキミを見ているし、知っていることならなんでも答えるとも! 他でもないキミからの問いかけに無言で返すなんて、心臓に破片が突き刺さったって有り得ないことだ」
「そうよね。鏡よ鏡、教えてちょうだい、明日の天気はなぁに? ……なんてね」
「明日はまだ少し雲が残るけれど午後には晴れ間が見えるから安心しておくれ。でも洗濯物を乾かすには日照時間が足りないかな」
「思ってたより性能が高い天気予報ね……
 ヴィルのしみじみとした言葉が面白かったのか、ルークは肩を揺らして笑った。冗談だと言わないので、恐らく本当に明日の天気予報なのだろう。あはは、と年相応に笑う声につられてヴィルも笑みをこぼした。ルークはくすくすと笑いながら和音を鳴らす。
「明日は気圧も安定しているから、頭痛の心配はないよ、ヴィル」
 笑う声の間で聞こえた柔らかな声にひとつ瞬きをして、ヴィルは窓の方を見た。雨はまだ止む気配はないが、頭痛はだいぶ薄れた。気圧の変動に慣れてきたのだろう。あえて友との語らいのおかげ、だと言ってしまってもいいのだけれど。ヴィルはそんなことを思い口角を上げながら、なんでもない事のように平然と口を開く。
「あら、気付いてたの」
「キミのことはなんでもお見通しさ。酷いようなら薬を飲んでゆっくり休んでおくれ、今日は何も用事がない日だろう? 休息も必要だからね」
 言わなくても分かっているだろうけれど、と付け加えてルークはまた和音を鳴らした。そうね、と相槌を打って彼にもたれかかる。顔に見合わず逞しい体だ、身長で勝るヴィルがもたれかかったところでビクともしない。
「アタシがオーバーブロットしてから、アタシの健康面に口出すことが増えたわよね、ルーク」
「キミを心配するのは普通のことだろう? ヴィル。あの時のことを私は未だに悔やんでいるんだよ」
 ぐ、と響いたのは先程までよりも少し低く、短調の和音。まるで感情表現のようだとヴィルは微笑んで肘で彼の背中を小突いた。
「呪いのジュースを口に出来なかったことかしら」
「それもあるけれど、もっと早くキミの力になれなかったことにさ」
 それもあるのね、と呆れが半分、それがルークだからという納得が半分。元々好奇心が旺盛で危険意識が変に狂っているのもあり、あの時カリムが止めなければ本当にルークはあれを飲んでいただろう。それでもきっとヴィルを嫌いになったり、それを後悔することは無いのだろうなと想像して、そうならなかったことにそっと安堵する。自分のためにそこまでしてくれる存在をそんなところで失うのは大きな損失だ。彼とはきっと、人生の大半を共にするパートナーこそが相応しい付き合い方だという思いがヴィルの中には確かに存在する。
「私が一番キミを見ていたのに、キミを止められなかった。しかし次は必ず同じ轍は踏まないと約束しよう」
「あら、奇遇ね。アタシも二度と同じ過ちはしないと決めてるの。万が一アンタもオーバーブロットしそうになったら、その時は責任もってアタシが正気に戻してあげるわね」
 ヴィルの冗談めかした言葉にルークは小さく笑って礼を口にした。真面目な話もいいが、せっかく二人きりなのだから年相応の男子学生らしくお茶目な話をしたっていい。ヴィルはふと立ち上がると窓辺に立ち、外に手を伸ばした。まだ雨が降っていて手にはたはたと水滴が落ちてくる。素肌に触れた濡れる感触が擽ったい。手や、外のあちこちに降る雨音に耳を澄ませれば、ああ確かにこれもこれで良い音だ。しかしルークのことだから、きっとヴィルが聞いているよりもずっと広く、深くその音を聞いているのだろう。それが少し羨ましいような気もする。
「鏡よ鏡、鏡さん。今日の夕食のおすすめは?」
「今日の日替わりディナーはひよこ豆の冷製スープがついてくるそうだ。さっぱりとしたほのかな甘みは実にセボンだろうね」
「あら、それはいいわね。それじゃあ、鏡よ鏡、今日のバスソルトは何がいいかしら」
「ティーツリーなんてどうだい? 先日寮生が作ってプレゼントしてくれたものだ。あれは私も使ったけれど、なかなか涼やかでいい匂いだったよ」
「アンタが匂いを褒めるならそれなりなんでしょうね。えっと……あぁそう、鏡さん、それなら、明日の朝のスムージーは?」
「エペルくんが今晩あたりご実家から送られてきたリンゴを持ってくるだろうから、それに決まりだね!」
 片手を雨に濡らしながら振り返って尋ねるヴィルに、律儀にルークが元気よく答えていく。良いわね、とヴィルが笑えばピアノの前の彼も嬉しそうに笑って頷いた。窓のサッシに肘を置き、もたれかかって微笑みを浮かべたまま、ヴィルは再び口を開く。
「鏡よ鏡、答えてちょうだい。世界で一番美しい人は誰?」
「それは答えられない。拒否ではなく、不可能という意味でだ」
 ルークは真っ直ぐに微笑みを浮かべたヴィルを見つめ返して答えた。ヴィルが静かに彼を見つめていれば、彼は視線を外さないまま喉を震わせる。
「世界というのは人の数だけ存在する。キミの言う『世界で一番』はその総数が最も多い、という意味だろうけれど、それだって主観的にしか認識出来ないものだ。絶えず流動する境界の曖昧なものだから、私はキミがキミを世界一美しい人にする方法しか答えられない」
 ヴィルといる時のルークは、真摯だ。それはヴィルが美を求めるのに真摯だから。それ故に彼はヴィルが美を求める過程において、妥協や必要以上の甘言を用いない。良いところは褒める、悪いところは咎める。それをそう行える人間がどれほどいるだろう。
 あぁ、だからこそ自分はルークが好きなのだろうな、とヴィルは思った。芸能人でもなく、ただの一人のヴィル・シェーンハイトという男の友でいてくれる彼が。同じ物を同じように見てくれる彼が。隣を歩いて、支えてくれるルーク・ハントという彼のことが。
 仕切り直すように微笑んで頷き、ヴィルは明るい声で言う。
「意地悪なこと聞いたわね。じゃあ今度はもっと簡単なことを聞こうかしら」
「ダコール、いつでもどうぞ!」
 にぱっと明るく笑って鍵盤の上の手を膝の上へと置いたルークに笑みを深めて、鏡よ鏡、とヴィルは唱える。
「アタシが……世界で一番優秀な鏡と共に世界で一番美しい人を目指して、世界で一番美しい人は自分だと胸を張れるようになって、世界で一番美しい人になれた時……世界で一番美しい人の、世界で一番美しい愛は、誰に向けられていると思う?」
 こつ、こつ、とわざとヒールの音を鳴らしながらゆっくりと歩きつつ彼へ問えば、ルークは少し面食らったようだった。その問いが回りくどいからか、想像していた質問とかけ離れていたからか。彼が口を開く前に笑って、ヴィルはその唇に指先で触れる。雨に濡れたままの手から水滴が伝ってルークの唇を湿らせた。
「あら、アタシ何も難しいことは聞いてないじゃない。こんなの答える必要だってないわ」
 ルークの瞳に美しく微笑む自分が映っているのが見えた。ならばきっと、ヴィルの瞳にも戸惑いながら見上げるルークの顔が映っているだろう。ねぇルーク、と触れさせた指を滑らせるようにして形のいい輪郭をなぞり、顎をくいと持ち上げる。仰け反るように晒された喉が上下するのが見えた。ハンターグリーンの瞳が美の前に輝くのを見た。うっすらと紅潮した頬は美に対する興奮か、言葉の意味を理解した照れか。
 彼が鏡なら、それらはきっとヴィルの顔にも同じものが浮かんでいるに違いない。ヴィルは愛おしそうに目を細めて、背をかがめ、くちづけるようにそっと囁いた。



「アンタは名乗るだけでいいの」

 頭痛はすっかり消え失せていた。


◆後書き

・sawa
はじめまして、sawaと申します。
とじょさんと一緒にペアの企画に参加しました。とても楽しい時間でした!とても素敵なヴィルルク小説のイラストを描くことができてとても幸運だったと思います。
早く皆が見る事を期待しています!

・とじょ
素敵な御縁をいただきまして、sawaさんと素敵な作品を作る事が出来ました!ヴィル様の美しさとルークの表情が最強最高ボーテなイラストを全人類見てください。
タイトルはフランス語で直訳すると「雨の後は」。同語ことわざの「雨の後はいい天気」の前半部分です。
書いててとても楽しかったです、本当にありがとうございます!


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