ジノとリヴィウィエラがわちゃわちゃしている話。続いています。
@harunoyoiyami
目を開くよりも早く、小さな手がぺたりと頬に触れるのを感じた。ぺたぺたと、軽く叩くように何度も触ってくる。叩くとは言っても、ジノにしてみればほとんど撫でられているようなものだった。幼い頃、まだ赤ん坊だった妹に何度も顔を触られていたことをふと思い出す。
「トール、もう目を開けてもいいんじゃないか?」
言われてから最初に見えたのは、白い石で出来た床だった。あちこちに罅割れがあって、すぐ側に小さな足が立っている。顔を上げると、目の前にリヴィウィエラがいた。案じる様子で、僅かに眉を顰めてジノを覗き込んでいる。
「……悪い、転んだみたいだな」
「感覚が狂ったんだろう、よくあることだ。体調は問題ないか?」
「ああ、ちょっと眩しかっただけで、平気だよ。酔ったりはしてない」
少々の目眩はあるが、大人しくしていればそのうち治るだろう。足が縺れでもしたのか、いつの間にか床に座り込んでいたようだったが、問題なくその場に立ち上がる。
「急かしてしまってすまなかった。部屋に戻るか?」
「ああ……そうしようか。リヴィウィエラは、他に何かやることがあるのか?」
「特には何もない。それなら……」
立ち上がった、のだが、突然ふらりと足元が揺れた気がした。膝の力が抜けて倒れそうになり、ジノは慌てて一歩踏み込んで体を支える。こちらを振り向いたリヴィウィエラが手を伸ばして肩に触れた。
「どうした、トール。まだ調子が戻らないのか?」
「いや、……そんなはずは、ない、んだけど」
頭がふらついていたのは事実だが、それはもうとっくに治っている。体調にも問題はないはずだ。にも関わらず、脚に力が入らなかった。ともすればそのまま倒れてしまいそうになり、仕方なく再度その場に座り込む。
「ええ……なんだろうな。悪い、ちょっと待っててくれないか」
「大丈夫だ。他にはここを使う者もいないし、ゆっくり休んでくれ」
気遣うように、リヴィウィエラも対面に座る。小さく笑って返して、ジノは右の手首を返すと親指の付け根の辺りを軽く押さえた。自己診断のシステムが起動し、躯体に異常がないかを確認していく。ふう、と溜め息をついて体の力を抜いた。全身のチェックだが、怪我もしていないのだし結果が出るのにそれほど時間はかからないだろうと踏む。
「そういえば……ここに住んでるのは、二人だけなのか? 随分広いし、部屋もたくさんあったけど」
「ああ……今は、そうだ。あの部屋自体は、住む為のものというわけではないんだが、以前はきょうだいたちがいた。と言っても、なかなか顔を合わせるようなことはなかったが」
「一緒に住んではいなかったのか?」
「いや、帰る場所はみんなここだ。でもそれぞれに役目がたくさんあるから、偶然居合わせた時でなければ出会わなかったな。わたしも昔は、用事がある時にしか戻ってはいなかった」
なるほど、とシステムの進行を確認しながらジノは頷いた。進捗は順調だ、この分ならすぐに終わるだろう。
「そっか、仕事があるとそういうものだよな。そのきょうだいたちは、今はどうしてるんだ?」
何気ない世間話のつもりで口にした言葉を、しかしジノはすぐに後悔して慌ててリヴィウィエラを見た。表情自体はさして変わらないが、こちらを見ていた視線が床に落とされる。ジノが何か言うよりも先に、リヴィウィエラが口を開いた。
「もういない。みんな先に、サーヴァの元に還ってしまった」
物悲しさを感じる言葉に、何と言えばいいのかわからなくなったジノは同じように床を見つめて押し黙った。しかし直後に頭の奥でピピ、と微かな音がして、全身スキャンの完了が知らされる。慌てて軽く左目を押さえ、結果を確認したが――。
「え!? ……嘘だろ」
思わず声を上げ、視界に映し出された表示を再度確認する。だが、間違いなど有り得ないことは自分が一番よく知っていた。言われてみれば、確かに症状としては正しいような気がするが……自覚は全くと言っていいほどなかった。隣で様子を窺っていたリヴィウィエラがぱちりと瞬く。側から見ているだけでは、ジノが何をしているのか彼には全くわからないだろう。
「どうしたんだ?」
「いや……調子がおかしいから、検査をしてみたんだ。そうしたら」
「そうしたら?」
「……動力不足。だから、要は、その……空腹だ」
リヴィウィエラの大きな目がぱっと見開かれ、同時にジノの顔を見上げた。自分でも驚いているのだから、彼にとっても予想だにしない答えだったのだろう。
「そうだったのか。すまない、気がつかなくて」
「いや! ……いや、でも、変なんだ。結果はそう出てるんだけど、全然そんな感じはしないんだよ。腹が減ってるっていう感覚もないし」
それは今に限らず、この世界に落ちてからずっとそうだった。思い返してみれば、初めは確かに疑問に思っていたのに、いつからか忘れていたように思う。だが今の今まで補給を全くせずに活動していたのだから、考えるまでもなくいずれ動けなくなるのは当然のことだった。
一先ず、と上着の内側を探り、栄養補給剤の小瓶を取り出す。リヴィウィエラがそれを見て不思議そうに身を乗り出した。
「それは?」
「栄養剤だよ。これ一つで一回分の補給が出来る。と言っても今持ってるのは予備だから、応急処置くらいにしかならないけど」
「不思議なものだな。それを食べるのか?」
「いや、これは直接注入が出来るから……」
言いながら、袖を捲ると前腕の中程に小瓶の蓋部分をぐっと押し付けた。密封された蓋は二重構造になっており、針が予め取り付けられているのでそのまま薬液を注入出来るようになっている。使い捨てだが、元より他に用途もない代物だ。
リヴィウィエラが興味深げに見守る前で、ジノはじっと栄養剤の投与が終わるのを待った。いくらもしない内に小瓶の中身が減っていき、やがて空になったところでふう、と小さく息をつく。
「よし、これで大丈夫」
「……え、終わったのか?」
「ああ、すぐに動けるようになるよ。悪い、面倒かけたな」
「面倒だとは思っていない。心配はしたが。……満腹になったのか? 今ので」
空になった小瓶を仕舞いながら、改めてうーん、と唸る。補給をしたので体の力は戻りつつあったが、やはり空腹感というものは全く感じていなかった。第一、携行用の補給剤は食事を取れない状況でも職務を続行する為のもので、胃に物を入れるわけではない。空腹を満たす効果はないのだから、腹が減って動けなくなったのだとしたら、補給剤を使ったところで当然それが消えるわけはないのだが……。
「そもそも、別に腹は減ってなかったんだよなあ。今もそうだし、何かを食べたいっていう気持ちにもならないし」
「そうか。それも、別の世界に来たからだろうか。わたしにもわからないが……ということは、何か食べなくても平気なのか?」
「そうだな……あ、でも」
再度内ポケットに手を突っ込み、残りの栄養剤の数を確認する。そもそも非常時の予備として所持しているだけなので、大した数を用意しているわけではないのだ。案の定、一本使ってしまって残りは三本しかなかった。つまりもしも使い切ってしまえば、後は補給も出来ずに飢え死にするという最悪の結末を迎えることになりかねない。
「まずいな……」
「それだけしかないのか? 一本で一回分だったか……少ないな」
「ああ、一体どれだけの期間ここにいることになるかわからないけど……一日一本使うとしても、余裕があるとは言えないな」
「そうか……」
暗い声でジノがそう答えると、リヴィウィエラは唇に指を当てて何やら考え込んでいるようだった。なんだろう、と思いつつ、足首を何度か動かしてみる。萎えていた脚も問題なく動くようになったので、一先ず今は大丈夫そうだ。その様子を見ていたのか、ふと顔を上げたリヴィウィエラが小さく頷く。
「とりあえず、部屋に戻ろう。もう夜だし、ここにいても休まらないからな」
「あ、ああ。それもそうだな」
床に手をつき、ゆっくりと腰を上げる。いくらか動いてみたが、体の不調はすっかり失せたようだった。やはり補給が足りなかったことに間違いないらしい。首を捻りつつ、ジノは先に立って歩き出したリヴィウィエラの背中を追った。真っ直ぐに進んで、廊下の先にある小部屋へと向かう。
室内は最初に見た時の印象と大して変わらなかったが、いつの間にか家具らしきものが増えていた。目が覚めた時にリヴィウィエラが座っていた椅子の側には、丸いテーブルと思われるものが置かれている。掛け布も何もなかった寝台にも、知らないうちに毛布らしき布が掛けてあった。わざわざ用意してくれたのだろうか?
「なあ、リヴィウィエラ。なんか、物が増えてる気がするんだけど……」
「ああ、君の必要なものがわからないから、とりあえず思いついたものから持ってきてみた。人間の生活の細かいことを、だいぶ忘れてしまっているから……何か欲しい物があれば言ってくれ。この世界にあるものなら用意する」
「いや、全然、いいのに。気を遣わないでくれ。俺は体は丈夫だし、どこでも寝られるように訓練してるから。雨風凌げるだけでも十分だよ」
「そうなのか? まあ、君のいいようにしてくれていいんだが。……あ、それよりも」
ぐいぐいとジノを室内に追いやって、何事かと思うよりも早くリヴィウィエラはパッと入口に取って返した。
「悪いが、少しだけ出てくる。すぐに戻るからここにいてくれ」
「え?」
「扉と窓は開けておく。外を見る時は気をつけて、落ちたら死んでしまうだろうからな」
細い手が対面の壁に向かって、中空を撫でるように動かされる。サッと一部が溶けて消えたかと思うと、ぼんやりと明るい壁を切り取るように黒い窓がぽかりと浮かんだ。
「それじゃあ、少しだけ待っててくれ」
ジノが何か言葉を返す前に、リヴィウィエラは片足でトンと地面を蹴るとそのまま一瞬のうちに姿を消してしまった。後には薄い光の残滓のようなものが舞ったが、それもいくらもしないうちに消えてしまう。
一人残されたジノはどうしたものかと頭を掻き、寝台の上に腰を下ろす。近くにあった椅子を何気なく引き寄せ、座面を手で軽く叩いてみた。表面にはやはりうっすらと罅が入っているのだが、地面にあったものほどではないだろうか。『地上』で見たもののように、叩いたくらいで壊れてしまったりはしないようだ。
何度か丈夫さを確認し、改めて椅子の方に座ってみる。レゼと話した部屋にあった椅子と同じもののようだ。固くもないが柔らかいわけでもない感触に納得しつつ、側に置かれていたテーブルの上に肘をつく。少しだけひんやりとした表面を手のひらで撫でた。
この世界には季節というものはないのだろうか、とふと思う。外に出て動いていても、特に暑いとも寒いとも感じない。太陽の光も妙にぼんやりしていて、明るさはあるものの暖かさはなかったように思う。不思議なことを考え始めるとキリがなかった。
テーブルに置いた腕の上に、頭を乗せて軽く目を閉じる。眠たいわけではないが、他に誰もいないととても静かな世界だった。都市の雑音や騒音に慣れた耳には、静かすぎるくらいだ。
「……何日経ったんだったかな」
朝起きて出勤しようとして、エレベータの中で穴に落ちて。それからどれくらいの時間が経っただろう。あまりにもいろいろなことがありすぎてわからなくなっていたが、指折り数えてみてもまだ四日ほどしか経っていないようだった。思ったほど時間が経っていなかったのは、果たして良いことなのかどうなのか。
「あー……定期報告。出来てるわけ、ないよなぁ。どうするかな……」
ごろん、と頭の向きを変えて、ジノは大きく溜め息をつきながら唸った。服務期間の有る無しに関わらず、【S型】には半日に一度自分の居場所を報告する義務がある。帰れなくなっただけであれば、このまま行方不明ということで登録抹消と処理されるのだろうが……もしも帰れたとして、果たしてその時はどんな処分を下されることになるのだろう。
「……最悪だ、めちゃくちゃ嫌だ。……けど、このまま死ぬのはもっと嫌だしな……」
報告を怠ったとしても、他には何の罪も犯していないのだからそれほど重罰にはならないと思いたい。見通しが甘すぎるのは重々承知のうえだが、最悪のことばかりを考えても仕方がないではないか。
もしも帰ることが出来たなら、その足で本部に出頭しようとジノは決意した。『刑期』は延びるかもしれないが――たぶん間違いなく、当然のようにそうなるだろうが――それで済めば御の字だ。とにかく死ぬのは嫌なのだし、罰されることが確実でも絶対に帰りたい。その意志だけは揺らぐことはなかった。
ふう、と再び溜め息をつき、頭を起こして立ち上がる。そのままジノは部屋を横切って、リヴィウィエラが開けていった窓に歩み寄った。いつの間にか外は真っ暗になっていて、夜の景色が窓の外には広がっている。
とはいえ、見えるものと言えば空に浮かんでいる二つの月くらいだ。リヴィウィエラは月が三つあると言っていたが、今は姿が見えなかった。同じ空に浮かぶことはないのかもしれない。
「……はあ」
こうして景色を眺めていたところで、何が起きるわけでもないのだが……出来ることが何もないのも確かだった。落ちないように気をつけながら、ジノは灯りのない暗闇をじっと見下ろす。こんなに暗い夜景を見るのは生まれて初めてだった。文明が発達していないことを差し引いても、本当にこの世界には人間の生活というものがもはや存在していないらしい。
しかしそうだとすれば、夕方に見たあの人々は一体何だったのだろう。姿形は人間であるように見えたが、リヴィウィエラは人ではないと言っていた。本人も人間ではない彼がそう言うのだから、見た目通りの生き物ではないのだとしてもおかしくはない。少なくとも否定するだけの材料をジノは持っていないし、頑なにそうする理由もなかった。
「……不死者、とか言ってたな」
暗闇を切り取ったように、ぽかりと浮かぶ月を何気なく見つめる。死なないもの、というのは、言葉通りの意味なのだろうか。あまりにも突飛すぎて、俄かには信じがたい。
疑う気持ちの方が強かったが、一方でジノは頭の隅に浮かんだ感情をなかなか無視することが出来なかった。もしも、全てが事実だとしたら? もしも本当に、この世界には死なない生き物がいるのだとしたら――それはとても、羨ましいことだ。
「トール」
「うわっ!?」
突然後ろから名前を呼ばれて、ジノは全身をビクッと跳ねさせる。勢いよく振り返ると、こちらも驚いたように目を丸くしてリヴィウィエラが立っていた。腕に何か布包みを抱えている。
「……すまない、驚かせたか。普通に声をかけたつもりだったんだが」
「え、あ、いや。悪い、考え事してたから、気づかなかった」
「そうか、邪魔をしてすまない」
「いやいや、大丈夫。一人で暇だっただけで、大したことじゃないよ」
窓から離れて、寝台の側にあるテーブルに近づく。リヴィウィエラはと言うと、両腕で抱えていた包みをテーブルの上にそっと乗せていた。なんだろうか、と疑問符を浮かべるジノの目の前で、包みが解かれる。生成り色の布の中には、いくつもの色鮮やかな木の実らしきものがころころと収まっていた。
「……それは?」
「一応、食べられるものだ。この世界の生き物にとっては、だが」
「……――えっ、わざわざ持ってきてくれたのか!?」
確かに空腹だなんだという話はしたが、一応の解決はしたのだし、まさかこんな短時間の間に用意出来るとは思ってもみなかった。リヴィウィエラは頷いて、でも、と木の実を手にしながら言う。
「採ってきてはみたが、実際に君の食べられるものがあるかどうかはわからない。水は飲めても、食べる物は体に合わないかもしれない」
「ああ……そうか、それはそうだな。でも、この世界では普通に食べられるものなんだよな?」
「わたしの知っている限りでは、そうだ。味は好みがあると思うが、食べて害になるようなものじゃない」
なるほど、と頷いて、ジノは椅子に座ると木の実の一つを手に取ってみた。水の時は混乱の勢いで思わず口にしてしまったが、考えてみれば随分と危険な橋を渡ったものだ。食物となると、水よりもずっと危険性が増すだろう。一般的な毒物であれば口にしたところで即座に影響はないだろうが、それ自体が未知の物質となると果たしてどうなるかわからない。
「ちょっと、調べてもいいかな」
一応確認を取ってから、端末を取り出すと付属の検査器を木の実にひたと触れさせてみた。そのまま小さな針を内部に突き刺す。本来ならばこれで食品に含まれる成分を検出できるのだが――ややあって、端末は甲高い音と共に赤くエラー表示を出した。やはり別世界のものを機械で判断するのは難しいようだ。
「どうした?」
「うーん、駄目みたいだ。やっぱり食べて判断してみるしかないかな……」
改めて、手にした木の実を見つめた。瑞々しい外見からは、果物という呼び名の方が相応しいように思われる。赤茶色の皮がつるりとしていて、鼻に近づけると仄かに甘い匂いがした。
「まあ、でもいい匂いだな。美味そうだ。これは、そのまま食べられるのか?」
「アンニだな、それは甘いから、そのままで平気だ。ただ皮が少し厚いから、好みでなければ剥いて食べる方がいい」
「そうか、わかった。こっちは? なんか、随分色が青いな……」
ふと目についた、鮮やかな青色をした小さな実を指す。リヴィウィエラがいくつかあるそれをひょいと取り上げて、ジノの目の前に並べるように置いた。
「これはスィクク。そのままでも食べられるが、よく煮て食べる者も多い。火を通すと柔らかくなるから食べやすいんだ」
「確かに、ちょっと固いな。味はどんな感じだ?」
「味は……わたしにはなんとも言えない。ヒトの間でも好みが分かれるな。でも体にはいいらしい。食べてみるか?」
「うーん、じゃあ、ちょっとだけ……」
綺麗な青色は、まるで着色料で色をつけたかのようだ。一応匂いを嗅いでみたが、特に気になるほどの刺激臭などはしない。指先で小さな実を摘まんでみて、しばらく考えた後、思い切って口に放り込む。
「……? ……――ッ!!」
かり、と軽い食感だった。歯応えはいいな、と思うが、噛んだ瞬間には特に味はしない。不思議に思い、しかしすぐにジノはグッと喉を詰まらせて口を押さえた。反射的に吐き出してしまわないようにしたのだが、考えてみれば未知の食べ物なのだから、そうしてしまった方がよかったかもしれない。
「〜〜〜〜ッ、なんだ、これ、……辛っ!」
「辛い? ……そうか、今日は辛かったか、これ」
「み、水くれ……!」
「大丈夫だ、味はすぐに消える。一応水もあるが」
リヴィウィエラが落ち着いた様子でそう言うのとほぼ同じタイミングで、口内を襲った強烈な辛さはスッと波が引くようにどこかへ消えていった。後に残ったのはカリカリとした食感の破片だけで、警戒しつつジノはそのまま木の実を飲み込む。
「消えただろう? ほら、水だ」
「あ、ああ……ありがとう」
差し出された器を受け取り、口の中を洗うように水を含んで飲み込む。悶えるほど辛かったのが嘘のように、今はもう何ともなかった。首を捻るジノの前で、テーブルに肘をついたリヴィウィエラが青い実を再び手に取る。
「……辛いんだったら、先に言ってほしかったな」
「いや、それが……これは、時期によって味が違うんだ。辛い時もあれば、甘かったり苦かったりする時もある」
「ええ? ……変わった実だな」
「だから好みが分かれるんだ。わたしは食べないからな……味が変わることは知っていたが、ヒトはいつの実がどんな味なのかまで大体わかっていたらしい。さっき言ったように他のものと一緒に煮ると柔らかくなって、味が溶け出すから調味料としても使える」
言いながら、リヴィウィエラは手の中で転がしていた青い実をぽいと口の中に放り込んだ。何度かもぐもぐと口を動かし、何事もなかったかのように飲み込む。
「……確かに、今日は辛いな。でも、わたしはこの実が嫌いじゃない」
「へえ、刺激が強いのは平気な方なのか?」
「味に関しては、嫌いなものはない。とは言っても、わたしたちは普段ほとんどものを食べないから……だから他の生き物のようには、いろいろな味を知らないだけだろうが」
「食べない? ……腹が減ったりしないのか?」
話しながらも、ジノはずっと自分の体の状態を注視していた。未知の木の実を飲み込んでしまったが、今のところ消化器官その他に異常は何も見られない。それなら、と赤茶色の実を再び手に取る。皮を剥いた方がいいと言われたので、軽く爪を立ててみると思いの外簡単に皮が剥けた。
「空腹は感じないな。水を飲んでいればそれで済むから、ものを食べるのは完全に娯楽だ。それもわざわざ採りに行くことは滅多にしない。他のモノの取り分が減ってしまうから」
「はー……なんか、羨ましいような、大変なようなだな。じゃあ、飢え死になんかとは無縁なわけか」
赤茶色の皮の中には濃い紫色の果肉があった。色鮮やかだなあ、と思いつつ、少量を齧ってみる。予想に反して酷く柔らかい果肉は、言われた通りに甘い味がした。人体に有害であることを示すような刺激は特に感じない。
「ああ、少なくとも食べないことで死ぬことはない。そういう体だ。……アンニなら、食べられそうか? よかったら他のものも試してみてくれ。君の好みのものをまた採りに行く」
「え? ああ、これか。うん、これは甘くて食べやすいよ。……でもなんか、悪いな。水も食べ物も用意してもらうのは。俺が自分で行けるなら、そうするんだけど」
リヴィウィエラはやることがないから、と言っていたが、だからといって何でもしてもらうのは流石にそろそろ抵抗がある。体が動かないわけでもなし、小さなリヴィウィエラよりは余程力仕事にも向いているはずだ。
だが、リヴィウィエラにはそのことについてまだ思うところがあるようだった。何かしらを考えている様子で唇に指を当て、軽く頭を傾ける。
「……そうだな、君になら、いいかもしれないが……。今この世界には、飲める水も、食べられる物も、採れるところは本当に限られているから」
「あ、……そうなのか。じゃあ、俺みたいな部外者が近づくのはよくないかな」
そういえば、と頭から抜けていたことを思い出す。そもそもが、滅ぶ寸前の世界だと言われていたのだった。確かに今日見た土地にも草木はほとんど見当たらなかったし、まして実が成るような木がどこに生えているのかなど見当もつかない。恐らく、生き残っている者達の秘密の場所があるのだろう。外から来ただけの人間が足を踏み込んでいい場所ではなさそうだ。
そう思ったのだが、リヴィウィエラはしばらく考え込んだ後に、否定するように首を振った。
「いや、……別に構わないと思う。必要なモノの為に、と残されているのだから。君にだって、水や食べ物が必要だ。ただそれは、君だけというわけではないから……滅多にないだろうが、他のモノと遭遇する可能性がないとは言えない」
「他のモノ? って……もしかして今日見た、あいつらみたいな?」
思い出したようにジノが言うと、急に苦いものでも口にしたかのようにリヴィウィエラがぎゅっと目を細めた。表情の変化を目の当たりにして、まずいことを言ったかと息を呑む。
「違う。アリューラが食べられるものは限られている。もっと他のモノだ。中には急に君を襲う可能性のあるモノもいる」
「えっと……それは、なんだろ。野生動物みたいな……?」
「野の獣ならまだ楽だな。聞き分けもいいし、他に食べる物があるのにわざわざ襲ってきたりはしない。それにもう、いなくなってしまったから」
「ああ……そうなのか」
人間がいないと言っていたのだから、他の動物だって生き残ってはいないのだろう。静かに頷きながら、リヴィウィエラはまた違う実を手に取った。ぱき、と音を立てて、薄い殻を剥いている。
「厄介なのは、もっと他のモノだ。頭はいいんだが、プライドが高くてなかなか話を聞いてもらえない。体も丈夫で器用だから、武器を持っている可能性もある」
「それは……人間とは違うのか?」
「違う、わたしたちはノーバルと呼んでいる。人間と見た目はよく似ているが、近くで見ればわかると思う。まだいくらか、生きている者がいるんだが……彼らはアリューラを狩ろうと躍起になっている」
その時だけはいやに老成した雰囲気で、リヴィウィエラはふう、と深く溜め息をついた。少しばかり、疲れているようにも見える。房になった黄色い大きな実を食べながら、ジノは言われたことを反芻していた。酸味があるが、食べられなくはない。それにしても、『狩る』とは穏やかでない言葉だ。
「……アリューラ、っていうのは、あの時の人間――いや、人間じゃないんだったか。とにかく、あの時に見た連中だよな。それを、どうして攻撃するんだ? 敵同士なのか?」
人間同士ですら争うのだから、よく似た生き物同士で争っていたとしても何もおかしなことはない。だが、世界が滅びようとしている時にわざわざすることだろうか。それに戦争であるのなら、『狩り』という表現は正しくないような気もする。
リヴィウィエラが無言のまま少し視線を揺らがせて、徐にジノの目の前に手を差し出した。先程の殻の中身が手渡される。食べろというのだろうか、大人しく受け取ると、彼は再び口を開いた。
「元々、ヒトとノーバルの仲が悪いのは確かだ。相性が悪かったんだろう。ノーバルはヒトよりも長く生きるが、ヒトのようには数が増えなかった。だからヒトが暮らす領域がどんどん増えるのが、気に入らなかったらしい」
「なるほど、まあ、わからないではないな」
「ああ。わたしたちも、そうした争いには関与しない。自然に起きたことだからな。だが……問題は、アリューラだ」
木の実の中身を口に入れてみる。青い実と同じようなカリカリとした食感だが、ほんのりと甘い風味が広がった。どちらかと言えば、豆類にも近いような気がする。
「……なあ、結局、そのアリューラっていうのは何なんだ? さっきは、不死者だって言っていたけど」
ずっと気になっていたことだ。思い切って尋ねてみると、リヴィウィエラは視線をテーブルの上に落とす。思った通り、言いにくいことのようだった。だがしばらくの後に、意を決したのか再び真っ直ぐにジノを見上げてくる。
「死なない生き物というのは、いないんだ」
「え?」
唐突な言葉に面食らって、ジノはぱちりと目を瞬かせた。それに構わず、リヴィウィエラの話は続く。こちらが理解するのを待つ余裕などないと言うかのように、矢継ぎ早に言葉を繰り出す。
「ヒトも、ノーバルも、野の獣も。シェルル・リヴァも、宇宙も、世界も、神だって、死なないモノはいない。そういう風にはじめから造られているんだ。……だから、死なないモノは異物だ。存在を許されない、存在しているはずがない。なのに、アリューラは現れてしまった。彼らは不死者だ、死ぬことがない。在るはずがないから、そのうちに、世界の方がおかしくなってしまった」
「……えっと、その」
つまり、どういうことなのか。問いかけるよりも早く、リヴィウィエラはふと勢いを失くすと口を閉ざして俯いてしまった。背中にかかる長い髪がさらりと流れて、細い首筋が露わになる。何故だかそれが妙に不安に思われて、ジノは慌てて立ち上がるとリヴィウィエラの肩にそっと手を置いた。
「な、なんか……ごめんな。話しにくいことだったら、いいんだ。無理に聞こうとして悪かった」
「……いや、大丈夫だ。すまない、わたしの方が、……改めて説明したことなんてなかったから、迷ってしまった。でも、平気だ」
大丈夫、と言いながらも、リヴィウィエラには迷いがあるようだった。話すことを躊躇っているというよりは、本当にどう説明したらいいのかわからないといった風だ。
もう一度椅子に座り直し、ジノも少し考え込む。むしろこちらが知りたいことを尋ねた方が、答えやすいのかもしれない。
「……えっと。死なないっていうのは、その通りの意味なのか?」
「その通り?」
「なんていうのかな……何かの喩えとかじゃなくて、本当に文字通り、死なないのか? その、アリューラは」
「ああ……そうだ。彼らは生き物として、死ななくなっている。体にどんなに傷を負っても、飲まず食わずでも死ぬことはない」
そうか、と頷きつつも、ジノはやはり半信半疑だった。死ににくいというだけならば、例えばリヴィウィエラだってそうなのではないだろうか。明らかな致命傷を負っても死ななかったし、食事はほとんどしないとつい先程本人から聞いたばかりだ。
「死ににくいだけじゃなくて、本当に死なないのか? どんなに怪我をしても?」
「そうだ。少なくとも、人間が受ければ死ぬような方法では死ななかったと聞いている」
「でも、リヴィウィエラだってすごい怪我をしたのにすぐに治ってただろう? 同じような生き物ってわけじゃないのか?」
「わたしは……」
返事を途切らせて、リヴィウィエラは再び悩むように眉を顰めた。視線がテーブルの上に向けられていて、目が合わないことを不思議に思う。話をする時にはいつも真っ直ぐに見つめられていたから、なんだか妙な違和感があった。
「……シェルル・リヴァは、傷を負っても肉体を復元することが出来るから。でも、復元出来ないほどに損傷を受ければ死は免れない。だがアリューラは、そもそも『死ぬことが出来ない』んだ。だから仮に肉体を失っても、死なないままでい続ける」
「死ぬことが出来ないって? ……体が死ねば、それが死ぬっていうことだろう?」
もっと言えば、人間であれば、脳が死んだ時点がその人物の死だろうとジノは思っていた。どうにも、リヴィウィエラの言うことがいまいちしっくり来ない。訝しげに問いかけると、噛み合わないと思ったのは彼の方も同じだったようだ。答えに悩むように、リヴィウィエラがテーブルの上で腕を組む。
「何と言えばいいのか……君にとっては、死というのはどうやら『状態』なんだな。だがわたしたちにとっては、死は生命の循環の中にある『活動』だ。生き物は死んで終わるのではなく、生の活動が終われば死の活動へと移行する。そして死の活動が終わる時、再び生へと戻ってくる」
「……生まれ変わる、ってことか?」
「そう、それだ。なんだ、知っていたのか」
「知ってる、っていうか……」
話が通じたことに少しだけ安心した様子のリヴィウィエラを見て、けれどもジノは返す言葉を見つけられずに首を捻った。輪廻、転生、生まれ変わり。宗教の領域には未だに存在するし、信じる者も比較的多い概念ではあるが、果たして本当に存在するのかと言われると疑問だった。死のプロセスは研究によって解明されているけれども、あくまで肉体の話に限ると言われればそれまでだ。かと言って、『それ以外のもの』の存在を示す科学的な証拠は未だにない。
とはいえ、一般的に言われる程度の知識は持っているのは確かだ。話を合わせるべく、ジノは頷いて返した。
「つまり、その……普通は、死んでも生まれ変わってくるっていうわけなんだな。他の生き物も、シェルル・リヴァも?」
「……ああ」
「でも……不死者は、死ぬことが出来ない? てことは、生まれ変わることも出来ない……のか?」
「そうだ。それが、彼らが不死と呼ばれる所以だ」
「うーん……」
テーブルに肘をついて、再び考え込む。果たしてそれは、良いことなのか悪いことなのか。仮にジノの知識の中にある生まれ変わりと同じなのであれば、全くの別人になることと同義であるはずだ。だとすれば、やはり死なないでいることの方がいいのではないだろうか。少なくとも、自分のままでいられるのだから。
けれども、それが許されないのだとしたら……何か、そうなってはならない理由があるのだろうか。
「……死なないっていうことは、まずいことなのか?」
「世界にとっては、最悪のことだ。正しい循環を阻害することになる」
「循環?」
リヴィウィエラはちょっと間を置いて、テーブルにあるいくつかの実を手に取った。ぐるりと輪を描くように、小さな実を並べながら滔々と語る。
「全ての生き物は、生と死を繰り返すことで自分の存在を強くしていく。肉体は借り物だ、だからいつかは返さなければならない。そうすることで、今度は別の生き物が新たな肉体を得る。循環することで世界は成り立っているんだ。自分のものは自分だけではなく、全ての生き物のものでもある」
「……難しい話だな」
「そうか? 簡単なことだ、トール。考える必要はないし、理解していなくても問題ない。みんな、あるべき形をはじめから与えられている。それを損なわないように生きればいい」
そう言うと、小さな手が木の実の一つを手に取る。殻のついた黄色い実だ。器用な手つきで、リヴィウィエラは果肉から殻を外していく。
不死者は、と静かな声が言った。
「彼らは、そこから外れてしまった。仮にもし、アリューラが生まれた時から不死だったのなら……恐らくそれは、世界にとって問題のない出来事だっただろうと思う。だが、そうではなかった」
「そうじゃない、ってことは……不死者は、後から不死になったのか? そんなことが出来るのか?」
ぴた、と動きを止めて、リヴィウィエラはじっとジノの目を見た。そのあまりにも率直な視線に、ジノは思わず息を呑む。
「……トールは、不死になりたいのか?」
「え!? いや……その」
はっきりと言葉にされると、図星を突かれたようで上手く声が出てこない。リヴィウィエラの目はしばらくじろじろとジノの顔を見ていたが、やがて小さな溜め息と共にテーブルの上に逸らされた。
「……まあ、そうだろうな。前にも言ったが、死にたくないと思うのは、生き物として当然のことだ。それはこの世界の生き物だって例外じゃない。死にたくないと思うモノがいて――だからこそ、不死になるモノが現れてしまった」
「不死になりたいと思って、不死になったってことか? ……一体、どうやって」
ちら、とまた赤金色の目がこちらを見たが、今度は先程のように鋭く睨めつけられたりはしなかった。だって、どうしても気になるではないか。もし本当に、願うだけで不死になれるなんて話があったら……。あまりにも上手い話に過ぎるが、もしもかつての自分だったら、一も二もなく飛びついていたかもしれない。実際に起きたことだって、それと大差はないのだが。
「……詳しい原理は、わたしにもわからない。不死はある時突然この世界に現れた。わかっているのは、そのことと……不死者の側にいると、他の者にも不死が感染するということだけだ」
「感染……?」
まるで伝染病のようだ。不死になった者の近くにいると不死になるなんて、あまりにも簡単すぎる。それとも不死とは、何らかの病のようなものなのだろうか。
「じゃあ、もしも家族の誰かが不死になったりなんかしたら、他の家族もそうなる可能性があるのか」
「可能性どころの話じゃない、実際にそうなったんだ。特にその頃は悪い病が蔓延っていて、大勢が命の危険に晒されていた。……死にたくないと思う者が多かったんだ。そのせいで、瞬く間に不死は人間の中に広まってしまった」
じくり、と胸に何か刺さるような感覚に、ジノは無意識に胸元を掴んだ。病に侵されて、死にたくないと望むことは当然のことだ。死に瀕している時に不死になれるとしたら、誰だってそう望むだろう。リヴィウィエラはそれを否定したわけではない。だが、不死について語る彼の声音は、どうしてもどこか批判的に感じた。
「……でも、そうだとしたら、人間なんてほとんどが不死者になってしまうんじゃないか? 望んで死にたいと思うような人間は、滅多にいないだろ」
自分だってそうだ、と細く息を吐き出す。だがリヴィウィエラはジノの言葉に対して、引っかかるものがあるようだった。
「それはおかしいな、トール。不死を望まないことと、死を望むことは同じじゃない」
「……そう、かな」
「そうだろう? ……それに、現実には不死を望んだからといって全員が全員そうなったわけじゃない。どうも、不死には感染する者としない者がいるようだった。絶対的な数で言えば、不死になった者の方が少なかった。そうすると今度は、不死者とそうでない者とで争いが起きるようになった」
「……それは、そうかもな……」
ざわつく感情を誤魔化すように、ジノは手元にあった小さな木の実を手に取った。薄皮に包まれている果肉は柔らかく、口に入れると仄かに甘酸っぱい香りが広がる。
不死になれる者となれない者がいるとしたら、当然そこには差が生まれるだろう。それも身分や貧富の差などといったものよりももっと明確な、生物としての圧倒的な違いだ。違いは軋轢を生み、対立を生む。それはどうやら、どこの世界でも変わりはないらしい。
「不死になれない人間は不死の存在を許さなかった。あらゆる手段で彼らを殺そうとしたが、アリューラが死ぬことはない。次第にアリューラたちは集まって、自分の身を守ろうとした。人間はそれすらも許さない。……そうなればもう、戦争だ」
「でも……相手は不死なんだから、戦えば圧倒的に有利だろう。人間は死ねば減ってしまうし、どうしてそんな無謀なことを」
「……わたしにはきっとわからない。君の方が、わかるんじゃないか? トール」
組んだ腕の上にぺたりと頭を乗せるようにして、リヴィウィエラはそっと息をついた。やはり疲れているのだろうか。微かな息遣いを聞きながら、ジノはもう一つ果実を口にする。
死に瀕した時、死にたくないと思う気持ちは、誰にでもあるものだ。けれどももし他人にはそれが叶えられて、自分には与えられなかったとしたら。他人がのうのうと生きているのを眺めながら、自分は死にゆかなければならないのだとしたら――。ずきん、と心臓が痛んだような気がして、ジノは眉を顰めた。もう心配はないはずなのに、いつまで経ってもこの痛みはなくならない。
「……たぶん、腹が立つだろうなあ」
「腹が立つ?」
「だって、不公平じゃないか。自分は死ななきゃいけないのに、そうじゃない誰かは生き続ける。腹が立つよ、やっぱり。……間違ってるとはわかってても、そう思うのはきっと止められない」
無謀だとか、勝ち目のない争いだとか、そんなことはわかっていても……一矢報いてやろうとするだろう。死なないのであれば、死ぬよりも辛い苦しみを与えてやりたい。だって、自分は死ななければならないのだから。
「不公平じゃないか。運が悪かっただけだとしても――だったら俺じゃなくて、他の誰かでもいいじゃないか、って」
もしも仮に、どうしても誰かが死ななければならないのだとしたら、自分ではなく別の人間であってほしい。口にすることは躊躇われるが、きっとそれが偽りのない本音だ。運が悪かっただけだ、と言われた。だから尚更恨めしかった。自分が悪かったのであれば、もっと素直に諦めることが出来たかもしれない。
生きることを諦められなかった。死にたくなかった。運が悪かっただけなのであれば、そう望んだからって非難される謂れはないはずだ。だって、何も悪いことはしていない。自業自得だと言うのならともかく、運が悪かっただけなのだから。たとえそれが、他の誰かを犠牲にすることだとしても――
「トール? 大丈夫か?」
「……ッ!」
案じる声がやけに近くから聞こえて、物思いに耽っていたジノは慌てて顔を上げた。ばちっと音がするほど近くで視線が合う。いつの間にか立ち上がっていたらしいリヴィウィエラが、屈むようにこちらを覗き込んでいた。
「あ、……ああ、悪い……。なんか、考え事してしまって」
「疲れているんじゃないか? 今日はいろいろと話をしたし、『上』でも大して休めなかったからな」
「そう……かな。そうかも、しれない」
どくどくと、心臓が変な風に鳴っている。ただ驚いたという以上に、何かが鼓動を速めていた。リヴィウィエラの言う通り疲れているのかもしれないと、ジノは大きく息を吐き出す。
「もう休むなら、わたしはこれで下がる。話は、また明日でもいいだろうか」
「え? ……ああ、そうだな。そうした方がいいかもな」
意識して呼吸を繰り返していると、次第に鼓動も落ち着いてきた。そうしてふと、思い出す。どうやら疲れているようなのは、リヴィウィエラの方もそうなのではないだろうか。であればやはり、今日のところはここまでにしておいた方が、彼のためにもいいかもしれない。
「リヴィウィエラも、疲れてるよな。ずっとあちこち行ってもらってるし」
「わたしが? いや、そんなことはない」
「そうか? ……まあ、いいか。それなら、話はまた明日にしよう。今日は休ませてもらうよ」
「ああ、わかった。これはここに置いていくから、好きなように食べてくれ。気に入ったものがあったら教えてほしい」
そう言うと、リヴィウィエラはテーブルの上に置かれていた木の実を並べ直した。代わりに剥いた皮や殻を拾って小さな布で包んでいく。
「なんかほんと、悪いな。雑用なんかは俺に出来ることがあったら言ってくれ。いくらでも手伝うから」
何度か言っているが、世話になりっぱなしなのはやはりどうにも居心地が悪い。とはいえ、またやんわりと断られるだろうか……と思っていると、予想に反してリヴィウィエラは何か考え込んでいるようだった。少しの間を置いて、小さな頭が軽く頷く。
「……そうだな。君も、何もやることがないのでは退屈だろうし。何かあれば、その時は手伝いを頼む」
「あ、ああ、任せてくれ。力には自信があるから」
「知っている。存分に頼らせてもらうとしよう」
ふ、と口元を綻ばせて、リヴィウィエラが笑う。笑った、とはっきりわかる表情だった。ジノが思わず目を丸くしているうちに、本人はさっさとテーブルを片付けて部屋を出ていこうとしていた。
「あ、ちょっと、待っ……」
慌てて声をかけてしまってから、ジノははたと気づいた。特に何か用事があるわけでもないのに、思わず呼び止めてしまった。当然ながら、部屋の出入り口にいたリヴィウィエラが振り返る。一瞬迷って、急に思い浮かんだ問いを口にした。
「その、さっきの……戦争の話なんだけど」
「? ああ」
「結局、その。どっちが、勝ったんだ?」
咄嗟に問いかけた内容に、自分自身で内心首を傾げた。どうしてもそれを知りたかったわけではないのに、何故そんなことを尋ねたのだろう。
リヴィウィエラは小さな包みを手にしたまま、きゅっと唇を引き結んだ。先程とは打って変わって、何の感情も見えない表情だ。
「……今のこの世界が答えだ。君にも見せた、その通りになった」
そう言い置いて、リヴィウィエラは軽く手を振るとそのまま廊下の向こうに姿を消した。残されたジノは反射的に手を振り返し、やがてのろのろと立ち上がって寝台の上に突っ伏す。
「……何やってんだ、俺は」
聞かなくとも、答えは明白だったのではないだろうか。この世界にはもう人間がいないが、不死者はいる。当然だ、不死者は死なないのだから。戦えばどちらが勝つのかなんて、考えるまでもなく明らかだった。わざわざリヴィウィエラに、彼の口から答えさせる必要のないことだった。
「……だめだ、もう寝よう。考え事ばっかりしてるから駄目なんだ」
倒れ込んだまま眠りにつこうとしたが、ふと思い出して体を起こす。そういえば、わざわざ掛け布を用意してもらっていたのだ。毛布らしき大きな布を手に取ってみると、思ったよりもずっと温かいものだった。動物の毛を織ったものだろうか、自分の住んでいた世界では、とてもお目にかかれない代物だ。
「なんか……本当に、駄目だな」
布に包まるように、再び寝台に横になる。枕がないので、次は枕が欲しいと漠然と思った。散々世話になっているのに、この上何かを要求しようとする自分の図太さに自嘲する。やはり何か、手伝いくらいしなければ申し訳がない。
自覚はないが疲れていたのだろうか、スッと息を吸うと、ジノはすぐに睡魔に襲われた。無意識に手元にあった毛布に顔を寄せる。不思議と幼い頃に家族で行った、植物園によく似た匂いがした。
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