黄昏シリーズ
M.E.753 レイヴス25歳。不穏な関係の始まり。
@aburami_b
ミスリルがぶつかり合う音が空に届いていた。対戦者のがむしゃらな振る舞いを、レイヴスが最小限の動きでもって跳ね返す。一方的に手玉にとっていることが容易にわかる剣戟は、試合というより見世物であった。
不意にレイヴスが剣を引いた。それを隙と見た対戦者が咆哮をあげながら突進する。次の瞬間には愚鈍な剣は空高くはねあがり、コロシアムの地面に突き立った。敗者の目の前には切っ先が、ほんの少し前進すれば目を抉る距離にある。
試合終了の鐘の音を皮切りに、観客席はまばらな歓声よりも落胆のため息や舌打ちで充満した。
「今年も優勝は神凪野郎かよ、涼しい顔しやがって!」
「どうせよそ者だ。勝ったところで賞品なんざ換金もできやしねえメダルだけだってのに、何ムキになってんだ?」
レイヴスは好きに物を言う下級兵士達のほうへ視線を向けた。正確には、蟻の群衆に混じり、一人だけ異彩を放っている男のほうだ。ニフルハイム帝国宰相、アーデン・イズニア。くちもとに貼りついた笑みは好意的とは言い難く、レイヴスを見つめる目はほんの少しも笑ってはいなかった。
帝国軍内で執り行われる武術大会は、兵士たちの出世に関わる一大行事だ。
剣術だけではなく、魔導アーマーに搭乗しての試合、知力や適性を測るためのテストも同時に行われる。通例として優勝者はその年のうちに昇進したものだが、数年間すべての部門でメダルを総なめにしてきたレイヴス・ノックス・フルーレは、未だ一等兵止まりだった。今や剣の腕において対等に渡り合えるのはグラウカ将軍くらいではないか、とさえ囁かれているにもかかわらずだ。
「おつかれさま。優勝おめでとう」
レイヴスがプレハブ造りの控室に戻ると、ベンチで待ち構えている赤毛の男の姿があった。試合のあいだもずっとねばついた視線を向けてきた男だ。ご丁寧に人払いをしたのか、室内には本来いるはずの他の出場者達が一人も見当たらない。
「でも、今年の剣にはちょっと焦りが乗ってたね」
宰相がこうして直々に現れちょっかいを出してくるのは、珍しくない事だった。レイヴスは黙したまま、自分のロッカーから荷物を引きずり出す。アーデンは構わず続けた。
「こんなに頑張ってるのにねえ。君の実力なら、本来ならもっと覚えもめでたいはずなんだけど」
この男は放っておいても延々と喋り続けるだろう。レイヴスはロッカーの扉を閉めると同時、アーデンに一瞥も寄越すことなく短く答えた。
「出世に興味はない」
「そお? 出世そのものに興味はなくても、君の志や守りたいもののためには、必要なことだと思うんだけど」
レイヴスの脳裏にルナフレーナの顔が浮かんだが、すぐに払った。この男の見透かす先に可愛い妹を据えたくはない。
「ねぇ。軍を自由に動かす権限、欲しくない? っていうか、それがなくちゃ、わざわざ入隊した意味ないでしょ」
レイヴスは顔を傾けた。薄暗い室内のたった一つしかない窓から注ぐ光が室内の色をふたつに分けている。アーデンはその暗いほうにいた。
皇帝の狙いはクリスタル、及び、光耀の指輪にある。真の王となり代わり、世界を掌握すること。対し、クリスタルが選んだ王ノクティスの神凪として、命を削り使命を全うすることに疑いを持たぬルナフレーナ。双方はそう遠くないうち、明確に敵対することとなる。妹を死へと向かわせる誓約を阻止するため。また、妹を脅かすこととなる帝国から守るため。いずれにしても、アーデンの言う通り権力が不可欠なのは事実だ。だが、腕を磨き、大会で勝ちを得て、前線でどれだけ活躍しようとも、属州の、それもルシスと密接した関係にあるフルーレ家への風当たりは厳しかった。
「君を邪魔してるのは生まれだけ。仮にも神凪の一族でありながら、その使命をソデにして本当にルシスを裏切る覚悟ある?」
暗がりから注がれる視線は居心地が悪い。しかし逸らせば主導権を完全に明け渡すようで癪だ。レイヴスはアーデンを見据えたまま答えた。
「裏切ったのはルシスの方だ」
「いいねえ、その調子」
アーデンが腰を上げ、ゆっくりと近づいてきて、その姿が光の中に現れる。彫りの深い顔立ちは、片側に濃い影を作っていた。光は闇を払うものとされているが、この男を見ていると、逆に光は闇を濃くするもののようにも思える。
「じゃあ、優勝したご褒美に面白いこと教えてあげようか……グラウカ将軍の秘密」
レイヴスの眉間に深い亀裂が走った。
グラウカを見たことがあるのは、ただ一度だけ。
だが忘れられるはずもない。
目の前で母の命を奪われた瞬間なのだから。
ソルハイム文明の遺産とされる鎧に全身を覆われ、顔はわからなかった。帝国軍に入隊しその正体を探れども、本人に会うことはおろか情報の一つも出てこなかった。その見た目の通りすべてが謎に包まれ、この頃は存在すら怪しんでいた。
「これはオレと陛下しか知らない国家機密なんだけど。あ、もちろん他言無用だよ。興味あるでしょ?」
憎き帝国軍に与したのは、妹を守りながら生きる道がほかになく、母を殺した男への復讐心からでもある。レイヴスの無言の是を受けて、アーデンは唇の端をつり上げた。
「彼。ほんとは王の剣なんだよねぇ。それもルシスの将軍様」
レイヴスは双眸を見開いた。言葉の意味を咀嚼する暇もよこさず、アーデンは続ける。
「しかもかれこれ10年以上、ずーっと兼任。すごいよねぇ。戦争してる国同士のアッチとコッチ両方で将軍様してるなんてさ。だから誰も彼の素顔や出自を知らないのも、帝国内で見かける機会がほとんどないのも無理もないってこと」
荒唐無稽な話ではあるが、だとすれば、かつて極秘でテネブラエに訪れていたはずのレギスとノクティスを狙って攻めこまれた事に説明がつく。そしてそれが事実ならば、母は王の剣に殺されたことになる。
とんだ裏切り者を腹心に飼った愚王……レギスは人を見る目すら持っていなかったのか。全身が震えるほどの怒りが乗算されていく。レイヴスは、もうずっと恨みの矛先を、母を奪った張本人だけに留めることができずにいた。救いを求める声を顧みず走り去った王の背中を絶望の眼差しで見送るしかできなかったあの時。腕のなかでは、無情にも母のぬくもりが失われていった。母の血のにおい、皮膚が焼け焦げるにおい……生々しいフラッシュバックは胃の底が焼けつくような吐き気をもたらした。
「おお。顔色悪いよ? 大丈夫?」
伸ばされた手を強く跳ねのけても、アーデンは笑っていた。
「グラウカ将軍の望みは、ルシスに捨てられた故郷を救うこと。要するに家族のためなんだよ。君にならわかるんじゃない? その気持ち」
ルシスが魔法障壁の範囲を狭め、その恩恵から除外されてしまった国や都市は必然的にニフルハイムの属州となった。そして自治が認められているアコルドやテネブラエを除き、完全なる支配下にある地域の人々はおおよそ人間らしい権利を認められず、捕虜も同然であるという。
「故郷の自治権をエサに釣られ、ルシスを裏切ったということか」
「そういうこと。君と彼、どちらがより家族への想いと覚悟が強いんだろうねぇ。あ、決闘でもする? お膳立てしてあげようか。勝てば君は仇を討てるし、将軍の椅子も空く。非公式戦だけどさ、チャチなメダルしかもらえないお遊戯会よりよっぽど有意義じゃない?」
「焚き付けているつもりか? そもそもグラウカの裏切りが事実ならば、絵図を描いたのは宰相……他ならぬ貴様であろう」
アーデンは肩を竦めながらも、奇妙に楽しげだった。
「……あれぇ。バレちゃった?」
レイヴスが生まれるより以前。かつてのイドラ・エルダーキャプトは民に慕われる賢帝であったという。それが現在のような暴君へと様変わりしたのは、この男の登壇以降であると。それも、この男を知れば知るほど納得がいく話だった。
アーデンの打ち出す策は、一息に仕留めるものではない。逃げ道を塞ぎ、毒を流すようなやり方だ。じわじわと苦しめ、弱らせたルシスを確実に潰そうという意図もわかる。王の剣に裏切らせるなど、内側から瓦解させる強烈な一手であると同時に王家への嫌がらせとしても悪趣味が極まっている。
「偽りの停戦協定しかり。いかにも貴様の考えそうな策だ」
アーデンは感心したように笑った。
「へえ~! ソレ、知ってたんだ。まだ水面下の計画なのに、しっかり情報収集してるんだねぇ」
金属の摩擦音が空気を震わせた。レイヴスは、鞘から抜いた剣をアーデンに向けていた。テネブラエへの侵攻もこの男の画の一部だったのだと確信した。ならば、目の前の男は真っ先に討つべき仇だ。
アーデンは両手を広げ、その顔は愉快そうに歪んだ。
「オレを殺すの? いいね。切り刻んでみなよ」
微塵も動じた様子がない。レイヴスの背筋に冷たく汗が流れた。この男を前にすると、怒りは煮えたぎるようなそれではなく、ひどく冷えきったものになる。まともに対峙することを本能が拒絶するのだ。このまま突き殺せるものなら、と剣の柄をきつく握るが、実行に移すことはなかった。何にせよ、今ここで殺してしまうのは悪手だ。
「君にとってもオレには利用価値があるはずだよ。君にはまだ守るものが残ってるんだからさ」
アーデンの指先が剣の切っ先に触れ、軌道をずらした。
「復讐ってさぁ。失うものが何もない、真っ暗闇の深淵まで堕ちないと、果たせるものじゃないんだよ」
お前はヌルい。と、その目が語っている。返す言葉もなかった。残されたたった一人の家族である妹を守ること、その最も重要な目的のためならば、時に我を忘れるほどの怒りや復讐は足かせになる。
「話、続けてもいいかな。本題はここからなんだ。取引をしよう」
結局は主導権を握られっぱなしになるのは、立場の違いではなく、アーデンのほうが遥かに役者が上だからだ。レイヴスは舌を打つのを堪え、黙って剣を鞘にもどした。
「君にならわかるよね。生まれや血筋にこだわるお国柄のニフルハイムが、よりによって敵国の将軍を自国の将軍に据えるなんて、本来なら絶対にありえないことだって」
「そのありえないことができたのは、貴様の進言あってこそ。もう前置きは十分だ。私に何をさせたい」
本来は宰相の立場では軍への直接的な関与はできないが、皇帝はアーデンの傀儡だ。鶴の一声で、人事など思うがままだろう。
「そうだねえ。色々あるんだけど、まあ、それは追々。とりあえず、出世のために身体を張るっていったら、アレでしょ」
レイヴスは言葉の意図がわからず逡巡した。自分の利用価値と言えば、剣の腕くらいのもの。或いは神凪の血か。冷静に自身を値踏みをしていると、アーデンは目を丸くして笑いだした。
「えぇ? 分かんない? ずいぶん清純なんだねえ。ますます気に入っちゃったよ」
唐突に顎を掴まれた。レイヴスは反射的に納めたばかりの剣の柄を握るが、その手も掴まれ、アーデンの顔が迫ってくる。顎も拳も砕かれるのではないか、それほどに強い力がこめられ、身動きができない。唇が柔らかいもので塞がれた。濡れた生き物が口内になだれこみ、蠢くそれが男の舌だと気付くと戦慄し、身体と思考が凍りついた。しばらくでたらめな動きで口内を犯されたあと、唾液が糸を引きながら唇が離れた。耳元にぴたりと男の頬が密着し。そして囁きというには低すぎる、唸るような声が骨に伝わってくる。
「今夜。君の部屋、行くから」
それから、覗き込まれた瞳の中に歪な闇を見た。シガイと対峙する時によく似た、だがそれとは比較にならないほどの脅威にレイヴスは寒気をおぼえる。
「君も知る例の計画。まぁまだずっと先のことだけど。調印式には君も参列するように。ね? レイヴス“准将”」
足元にひどく冷たい水底が広がっているようだった。わきあがってくる嫌悪感は、憎むべきグラウカ同様、なりふり構わず悪魔に魂を売らんとする自分自身に対するものだと察した。