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レジェンディア考察

全体公開 8 5363文字
2022-03-10 21:01:36

レジェンディアを1本のストーリーとして読み取り解釈した感想及び考察です。

Posted by @nemu_Tol

レジェンディアはメインクエストまでは普通、キャラクエはこれが好き泣ける。
これは私のプレイ当時の感想でエピソード毎にぶつ切りで評価をしていましたが改めて考えると

メインはセネルとシャーリィのキャラクエでもありキャラクエはサブクエでなく、レジェンディア第2部で
最初からメンバーの私的な問題を解決しその延長に世界を守る事が繋がっている
という構造は一貫しているという事に気が付きました。

レジェンディアを1本のストーリーとして読み取り解釈した感想や考察は意外と見たことがなかったので書いてみます。

まずメインクエストはレジェンディア世界の設定や登場人物の紹介と、レジェンディアという物語を通しての大きな問題提起が成されます。
それは恐らく「人間は愚かな滅ぶべき存在」というテーゼです。
これはメインクエストのボスであるマウリッツの目的と、ラスボスであるシュヴァルツの目的から推測しました。

レジェンディアという物語はこのある意味での真理に反論します。
人間は愚かな滅ぶべき存在だと言われる面があるのも確かだ。
だが、それでも人間は生きるに値する可能性を残した存在なんだと絆と言うものを通して証明しようとする
謂わば、人間讃歌の物語なのです。

絆をもって陸の民、水の民含めた全人類を弁護し論客シュヴァルツちゃんと対話を試みる
神話的表現をするなら人類に対する神の審判が行われ、それに対し神殺しをするのではなく
神と和解し神の眷属とされる精霊と共に歩む新たな人類史が始まるのです。
実に神話的で伝説と呼ぶに相応しい物語じゃありませんか?

「絆が伝説を紡ぐRPG」
紡ぐとは2つの意味があります

比喩的に「物語を紡ぐ」という言い回しがありますが
もう一つは「糸を紡ぐ」という意味です。

綿や繭を錘にかけて繊維を引き出し、縒りをかけて糸にする事です。
糸は運命の糸と言ったり人同士の見えない関係性、縁についての比喩に用いられます。

これをレジェンディアで言い換えたら
人という綿や繭を対話という錘にかけて繊維という絆を引き出し、集め束ねて縒り強固にし紡ぎあげたものが
伝説(レジェンディア)というテイルズシリーズの中の1本の糸である。
というニュアンスでしょうか。
クロスオーバー作品は糸の織りなす絵巻物のようですね。

1部にあたるメインクエストでの回答は爪術の力を再び得る為、静の滄我に各々が表明した内容です。
「自分と自分の目的の為、死にたくないから抵抗する」といった
個人的かつ有る種利己的生存本能に基づいたアプローチで問題に立ち向かいました。

これも嘘偽りのないある種の真理です。
また静の滄我は元々は陸の民と共に宇宙移民船でこの星にやってきたという説もあるので
まだ生きていたいという切実な想いを汲んでくれたのかもしれません。
猛りの滄我を開放したいという目的もセネル達と一致していたので力を貸してくれましたが
この答えでは眼前の危機を退けただけで根本的な「人間は愚かな滅ぶべき存在」というテーゼは残るのでシュヴァルツというラスボスに繋がっていくのです。

このようにメインクエストは伏線のばら撒きという段階で、陸の民と水の民の問題やセネルとシャーリィの関係についてもまだ保留にしている状態です。
だから単体での評価が「普通」に留まるのかもしれません。

メインクエストでやりのこした問題を一つ一つ取り組み、人間最大の武器「絆」を紡ぐ過程を描いたのがキャラクエです。
キャラ毎の独立した話っぽく見えますが実は互いに作用しあっているので、ほぼこの時系列でなければ成立しません。

ウィルは実子であるハリエットとの問題を解消することで、以降PT未成年組に対しても一層父親のように接するシーンが増えました。
ウィル編は親子の和解がテーマですが、ウィル視点では父性の覚醒と言えるかもしれません。
そしてもう一つのテーマは他人を信じる事の難しさです。
「約束は守るために、守ろうと努力するために、互いを信じ交わすものなのだ」
というセリフが象徴しています。

ノーマ編では二面性、見えているものが全てではない事
いつも明るく誰かの為に振る舞う事の苦悩と難しさが示されます。
そしてもう一つのテーマは自分を信じる事の難しさです。
「師匠、あたし、もう迷わないよ。知ることを恐れたりしない!自分を信じて生きていく!」
というセリフが象徴しています。

ウィル編とノーマ編は鏡合わせのような関係が見えてきます。
父であるウィルと娘であるハリエット、娘のようなノーマと父のようなスヴェン
信じる事を描きながらも対象は他者と自分で逆なのです。

人と絆を育む為にはまず相手を信じ、そして相手の信じてくれている自分を信じる事が必要です。
「信じる」という事は絆を描く上での前提条件だから、ウィル編ノーマ編が最初なのかもしれません。

といった所で間奏が入りテューラが水の民として共和路線を推し進めるシャーリィにキレます。

次のクロエ編では、間奏で問題になった水の民に対して求める形になった、加害者側を許して欲しいという願いの傲慢さと残酷さ、許すことの難しさと、苦悩。
許すことで殺す事になる感情、その代償に得た未来の希望が描かれます。

陸の民はここまでずっと加害者として描かれましたがクロエ編ではクロエの人生を通して被害者の苦しみを描きます。
これまでの悪役と違いオルコットは父親や医者として善き面もあれば娘の為には他者を犠牲にしても何とも思わず
自分が生き延びる為には何だってやるといった身勝手な悪しき面もあるといった人物で
この善悪両方の側面を持つことは陸の民、ひいては人類全てのメタファーと言えるでしょう。

クロエに感情移入するあまりオルコットに怒りを感じたり、中には結末に納得がいかず憎むプレイヤーもいて読後感が良いエピソードでは無いのは確かです。
でもそのプレイヤーがオルコットを許せない心境こそが
テューラの怒りの正体であり、なぜ水の民が頑ななのかという事の答えで許すことの難しさを現しています。

オルコットを殺す選択をしていたら、自分は許さないのに陸の民や人間という断罪される立場に立った時だけ許して貰おうとする矛盾が生じ
ともすればオルコットと同じに堕ちてしまう。
またオルコットを殺すとエルザも殺すことになるという構造は、直接加害した人間を殺す為に何もしていない人間も殺すといったマウリッツやシュヴァルツのやろうとしている事とも重なります。
苦々しくも非常に重要な決断でした。
マクロな人種問題を個人のミクロな問題に置き換え、プレイヤーにも「罪を許すことの難しさ」を想像しやすくしたのが
クロエ編の役割だったのではないでしょうか。

このように考えるとクロエはセネルの恋愛方面だけでなく、セネルとシャーリィの水の民問題を別角度から描くキャラなので
レジェンディアのもう一人のヒロインとして扱われるのかもしれません。

モーゼス編では別れの肯定。
メインクエストでステラ、フェニモール、ワルターとの死別を悲劇として描きましたが
モーゼス編で描かれるのはいつかまた会いに行く、絶対に忘れたりしないと誓った上での別れです。
お互いにとって適切な距離をとる、という肯定的な形での別れ方を描きます。

誰かと出会い共に歩んでも、いつか何かしらの理由から別れる事になります。
別れに例外はありません。別れるのが早いか遅いかという違いしかないのです。
では、誰かと共に歩むことは無駄なのか。そうなった時絆は失われてしまうのか。
逃れられない定められた運命に対し人はどうしたら良いのか。

モーゼスは懸命に抗おうとしますが最後にはその運命を受け入れます。
結局の所、人はそうするしか無いのかもしれません。
ただ、1人で思い悩むより身近な誰かの助けがある方が少しだけ視野が開けより良い未来を築ける。
共に歩んだ時間の掛け替えなさ、お互いに与え合う影響は決して無駄ではなく別れて歩く後にも残ります。
そうして絆は残るのでしょう。

ジェイ編では加害者側の視点、勧善懲悪の元に誰かを加害した事のある者は破滅しなければならないのか
そうした者に救いは無いのかが描かれています。
ジェイはソロンの被害者である事は間違いないのですが加害者側の人間としても描かれ
この点が他のパーティーメンバーとの大きな違いとして表れています。
(セネルは少年兵としての初任務が水の民の里潜入で、一般人を直接加害した経験がない)

現代社会で生きるプレイヤーからすると異常に見える忍者世界の理論を振りかざすソロンの言い分ですが
「他人の幸せを踏み躙ってる人間が幸せになれるわけないだろ」という糾弾だけは正論で
薄々自分でもそう思っていたから、クロエ編で唯一ジェイだけがオルコットを断罪すべきと主張したのでは無いでしょうか。

彼が一線を引くように他人を遠ざけたり、救いの手を素直に掴めなかったりする姿は
自分には幸せに生きる資格がないからという思想に基づいた諦めからくる自罰的行動に思えます。

ジェイ編では冒頭シーンから彼の悲惨な幼少期が回想として繰り返し挿入されますが、全て自分がされた酷いことばかりです。
自分が任務で殺した人については一切出てきません。
オルコットに比べると自らの過去を開き直れず苦悩している様子が見られるジェイですら命を奪った一人一人の事は記憶に無い。
この事から被害者としての苦しみだけでなく、加害者としての身勝手さも描かれているのではと感じました。

ではジェイは幸せを掴む資格のない、生きる価値が無い人物なのか?
作中での答えの通り、多くのプレイヤーも「否」と答えるでしょう。

それはセネル達と同じようにプレイヤーもジェイの事を見てきたから。
罪を背負った人間であっても、変わろうという意思があるのならば手を取り合う事ができる。
絆を紡ぐことができるという証明なのです。

一方、ソロンは最期までそれができなかったから破滅を迎えることになった。
事実として人間社会で認めるわけにいかない断罪されるしかない人間も居るという事もシビアに描いています。
ただまあ、個人的には自分の信念を曲げないその生き様は、ある意味では魅力的で結構好きな敵キャラではあります。

そうして、シームレスに最終章。これまでの総決算を問われるグリューネ編へ突入していきます。
グリューネ編は「人間は愚かな滅ぶべき存在」というテーゼに対し
「人間には素晴らしい所も沢山ある」という今までの旅路で得た経験を元にしたアンチテーゼで反論します。
グリューネはその証人です。

最終的には「人間は愚かな滅ぶべき存在」という前提は事実として否定せず肯定します。
されど「過ちを認め良き方向に向かっていく事ができる」という人間が持つ可能性を訴えかえ続け、シュヴァルツを説得します。

私はこの、対話を続けるという部分が大事だと思っています。
大事なことなので繰り返しますが「神殺しではなく神と和解し、神の眷属とされる精霊と共に歩む」
つまり神との絆を紡ぎ直す事に成功したのがグリューネ編なのです。

そしてクライマックスではグリューネを共に生きた仲間として送ります。
それは悲しくもどこか晴れやかな旅立ちのようで、人生を生き抜いた高齢の人の葬儀を思わせました。
天命を全うして安らかにこの世を去るという点、送る側の方が受け入れがたく悲しんでいる点が共通しています。
ここでモーゼス編で描いた悲しいだけでない旅立ちとしての別れもある、という伏線が効いてきます。

セネル達はグリューネのことを正体が判明した後も神ではなく最後まで人として扱いましたが
私はやはりグリューネは神だなと思います。

レジェンディアが伝えている事は「人は一人では生きていけない」ということです。
そして、全く人の為だけにも人は生きていけません。
ただ一人の例外としてグリューネだけがそうできたのは、人でなく神だからではないでしょうか。

振り返ってみると、ラスボスが神なのも必然で
水の民も陸の民も同じ人間であり愚かさも貴さも可能性も持っている。
種族としても個人としてもです。
これを神の視点で肯定する事で人間讃歌の物語として完結するのです。

こうしてシュヴァルツもグリューネも個としての肉体は消滅しますが「死んだ」という表現は使われません。
空に還った、あるいは世界に溶け人間には見えなくなっただけでセネル達の紡ぐ未来をこれからも見守っているのでしょう。
少なくとも私はそう解釈します。

海のメインクエスト、天のキャラクタークエストであった事を示すように
またセネル達の未来を象徴するように海も空も青く果てしなく広がっている。

彼らが歩んだ道に、何一つ無駄なものはありませんでした。
楽しい事、悲しい事、腹立たしい事、恐ろしい事、愛しい事、全てが人との関わりの中で生まれ
全て彼らが成長する為の糧となった。

それは私達の人生に於いても同じなのではないでしょうか。


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