@tachik_k
――眠りから覚めると、吐息すら届きそうな程近くに薫の寝顔があった。
喉がひゅっと音を立てる。
息すら止まったかもしれない。
瞬きすらできず、剣心は穴が開くのではと言うほど、少女の寝顔を凝視した。
ほのかに色づいたふっくらとした頬。
柔らかく閉じたまぶたと、それを縁取る長いまつげ。
小さく開いた唇は赤く、零れる寝息が彼の首筋を微かにくすぐる。
わずかに布団から出た肩は、宵の闇に浮かび上がる白。それは、昨夜初めて触れた彼女の肌の感触やぬくもりを容易に思い出させた。
……そうだった。昨夜は。
止まっていた思考がゆるゆると動き出す。
昨夜――そう、昨夜。
自分は、はじめて、薫、を……――――
「……」
色々とよみがえってくるアレコレに、顔がカッと熱を持つ。
咄嗟に顔を覆いたくなる衝動を、奥歯を噛みしめて無理やり押さえつけた。
不用意に動けば、薫が目覚めてしまうかもしれない。こんなに気持ちよさそうなのに、それはかわいそうだ。
それに薫が目覚めたとして、いつも通りを装える自信はまったくない。
何より――できるならもうしばらく、薫の寝顔を見ていたかった。
そろりと伸ばした指先で、頬にかかる絹の黒髪をそっと耳にかける。
夜の空気にひんやりと冷えた、しなやかな黒髪。
安心しきった寝顔に、薫がどれほど自分に心を明け渡しているかが伝わって来るようで、胸の奥に優しい熱が灯った。
そう言えば――こんな至近距離で誰かの寝顔を見るのは初めてかもしれない。
夫婦として暮らしていた巴とは、同じ布団で眠ったことはなく――ただ一度だけ抱きしめて眠った最後の夜。朝目覚めた時には、すでに彼女の姿は消えていた。
以来、誰かの隣で眠りについたことはない。
時を前後して、幕末の京都にいた頃も遊女を買ったことはあったが、朝まで蓐を共にしたことは終ぞなかった。
だから目覚めてすぐ、同じ布団の中に自分ではない誰か――それも心から大切だと思う人がいるのは、三十年近く生きてきて初めての経験で。
――喉の奥が熱い。
ワケもなく涙が出そうになって、思わず薫の頭に顔を埋める。
「ん……」
その時、薫が小さく吐息を漏らした。
はっと薫の顔をのぞき込む。もしかして起こしてしまっただろうか。
しかし剣心の心配をよそに、薫の寝息が乱れた様子はない。それどころか剣心の肩に甘えるように頬をすり寄せた薫は、その頬をほにゃりとゆるませた。
「……」
再び喉の奥にこみ上げてきた熱い塊を、ぎゅっと目を閉じてやり過ごす。
愛しすぎて、どうにかなってしまいそうだ。
ふわふわと柔らかな身体と、鼻孔をくすぐる甘い香り。
そして優しすぎる彼女の体温を感じて、体からほっと力が抜けていく。
胸に満ちる、たとえようもない安心感。
薫が腕の中にいることが、こんなにも剣心を満たしていく。
……こんな幸せがまさか自分に訪れるなんて、半年程前は想像もしていなかった。
薫のぬくもりを全身に感じながら、そっとまぶたを下ろす。
夜明けはまだもう少し先だ。いつもならもうそろそろ起きる時間だが、このまま起きてしまうには余りにも惜しい。
すでにうつらうつらし始めた意識の縁で、彼はふいにあることに気づいた。
――そう言えば、二度寝も初めてだ。
くすりと漏れた、吐息のような笑い。
薫といると、自分はいくつもの初めてに出会う。
それは本当にたわいのないことで――けれど、そのたわいのないことが泣きたくなるくらい嬉しい。
きっとこれからも、いろんな『はじめて』を薫と一緒に経験していくのだろう。
想像を巡らせることがこんなにも楽しく、そして愛しい。
――意識が柔らかくあたたかな眠りの中に沈んで行く。
穏やかな寝息が二つ重なるのに、そう時間はかからなかった。
――それは、愛しさと幸福に満たされた、はじめての朝。
剣薫top