X以外のSNSでの投稿にはPrivatter+がおすすめです
Xフォロワー限定公開・リスト限定公開の停止について

愛という名の信念と共に

全体公開 1 5051文字
2022-03-27 20:41:43

孫権×陸遜
推しカプ交換で書かせていただきました

 騒々しさにふと足を止める。気になった陸遜は声のする方角へと、山のような竹簡を抱えたまま向かった。
 仕事に必要な資料を書物庫から持ち出してきた帰り道。真っ直ぐ執務室に戻るならば、そちらに行く必要はない。けれど、お節介気質の働いた陸遜の足は、ついつい様子を伺いに向かってしまうのだった。
「おっと。……大丈夫ですか?」
 騒ぎの発端らしき部屋の前。通りがかりの陸遜を最初に出迎えたのは、可愛らしい悲鳴と共によろけ出た一人の侍女だった。倒れそうになった華奢な肩を、陸遜は咄嗟に片腕で支えた。代わりに、抱えていた竹簡の一つがコロリと腕の中から転げ落ちていった。
「いったい、何事ですか……?」
 陸遜が侍女に状況を訊ねた矢先、お次は物凄い勢いで何かが目の前を横切っていった。すぐにパリンと耳をつん裂く鋭い音が響き渡って、廊下に小さな破片が散らばった。目の前の柱に陶器のうつわがぶつかり割れた音だと、陸遜が理解するまでに左程の時間は要さなかった。
……その、孫権様が」
 おどおどと会釈をして、助けられたことへの謝辞を表したあとで、侍女は陸遜へと事情を話すべく薄い唇を開く。
 だが、その一言のみで説明は不要となった。告げられた名前と状況を照らし合わせれば、陸遜はすぐに解答を導き出せた。そして、それはおそらく正答だろう。
「貴女は下がっていなさい。ここは、僕が」
 不安がる侍女へと柔和に微笑みかけ、自身より後ろへと移動させる。扉の前でつっ立っていては、また何が飛んでくるやら分かったものではないから。
……さて」
 廊下の隅っこに邪魔な荷物を一旦下ろして、陸遜は内部からの投擲に注意しつつ中を覗き込む。その部屋のど真ん中に彼は居た。
 普段着の着物の前をだらしなく肌蹴させ、酒壺を抱え込んだまま胡座をかいていた。それはまさしく、陸遜の主・孫権の姿であった。
「また、昼間から深酒をなされていますね。孫権様」
 小さな溜息を一つ吐いてから、陸遜は嗜めるような口調で語りかける。すると、孫権は億劫そうに首を傾け、眠たげな目でこちらを睨む。
「んだよ。りくそんじゃねえかあ……
 一瞥するや、彼は不貞腐れ気味に唇を尖らせた。邪険な扱いを受けた陸遜は、しかし、不満を示すでもなく、ただ困ったように眉根を下げる。
 見るに明らか、孫権は酩酊していた。が、幸いにもまだある程度の判断力は残っているようだ。これが陸遜を陸遜とも判断できないほど酔っ払っていた場合、いよいよ手がつけられない。
……もう。いけませんよ。お酒はほどほどになさらないと。また、張昭殿からキツいお叱りを受けてしまいますよ」
「うるせー……
 まずは優しく、幼子に言い聞かせるように叱る。呂律の怪しい口調で、孫権は悪態を返した。
 辺りに転がった空の酒壺を避けつつ歩み寄り、陸遜はその傍らへと膝をついた。半分落ちた瞼の隙間から、綺麗な青の瞳が覗く。
「ああ、もう。……ほら、ここ。濡れていますよ」
 自身の着物の袖を掴んで、陸遜はその唇の端を拭う。酒を溢したのか、それとも彼のよだれだろうか。どちらにせよ、陸遜はそれを不快とは少しも思わなかった。
「やめろって……!お前まで俺を子供扱いすんなっ…… !!」
 思いの外、彼がその手を強く払い除けた。きっと、酒のせいで力の加減が効かなかったのだろうが。陸遜はじんと少し痛む手の甲を摩りながら、それでも尚、怒りはしない。
「すみません。そんなつもりでは、なかったのですが……
 どうやら、主の機嫌はすこぶる悪いようである。悪酔いをしている時は決まってそうだ。胸の内のモヤモヤを、孫権は酒で誤魔化す癖があった。
「深酒はお身体に障りますよ。それに、皆も不安がっています」
 孫権の気持ちを落ち着かせるため、陸遜はその手をそっと握る。また振り解かれる可能性もあったが、そうはならず、ひとまずは安堵する。
 酒で火照った手のひらを、陸遜は自分の胸元へといざなう。感情の昂りは、得てして人の心音を聞くことで落ち着くものである。
……どうせ、お前も俺を兄上に比べてまだガキだと思ってるんだろう」
 先ほどまで怒気を孕んでいた語気が、わずかに和らいだ。相変わらずの不機嫌そうな声音ではあったが、孫権の感情の波は一旦、落ち着きを取り戻したようだった。
「何か言われたのですか。孫権様は孫権様です。誰かと比べたりなど致しませんよ。僕は」
 努めて優しく語りかけて、彼の心が解れるのを根気強く待つ。
 孫権は劣等感の塊のような人だった。父も兄も立派な人物だったから、それと自分自身を比べてしまうのだろう。陸遜からしてみれば、彼とて兄に勝るものを持っているのに。どうしてなかなか、自信を持ってはくれないのだ。
「こんなだらしない君主より、兄上のような……
「孫権様」
 ようやく、口を開いたかと思えば吐くのはまた弱音。酒が入っている時の彼の口から溢れるのは、暴言か愚痴のどちらか。
 語気強めに、陸遜はその名を紡いで言葉を遮る。同時に、その鼻先をツンと指で突く。戯れのような叱責。
「そんな悲しいことを仰らないで。僕の今の主は他の誰でもない、貴方なのですから」
 陸遜の言葉はお世辞でも何でもなく、心からの本心であった。それを孫権も分かっていて。だからこそ、面映ゆげに表情を歪めたのだろう。
……自分で言うのもなんだが、お前は俺を甘やかし過ぎだと思うぞ」
「そうでしょうか。そんなことはないと思うのですが……
 皆は陸遜のことを甘いと言うが、彼を甘やかしているつもりは少しもなくて。肯定的な台詞ばかりを口にするのは、本当に彼のことを信じているから。
「あーあ。お前と話してると、悩んでるのが馬鹿らしくなってくるわ」
「ふふ。それは何よりです」
 皮肉を微笑みで返したら、孫権は大袈裟にむくれ顔を作った。幼子みたいなあどけない表情が可笑しくて、陸遜はクスリと笑う。それを合図に、ようやく張り詰めていた空気が和らいだ。
「皆が貴方に厳しい言葉をかけるのは、貴方に期待しているからです。孫権様」
……どうだか。少なくとも、張昭爺のお小言は趣味だろ。趣味」
 嫌味っぽい口調には異常なまでの怨念が篭っていて、陸遜は少し苦笑いする。しかし、機嫌はすっかり直ったようで安心した。
「あーあ。俺だって頑張ってるのになあ。んな、目の敵みたいにガミガミ言わなくてもいいだろう。なあ?」
「そうですね。孫権様はよくお考えになられて、決断なされる方ですから。あまり短気にならず、長い目で見守って差し上げて欲しいものですが」
 古参の家臣達が孫権に口煩いのは、恐らく親心のようなものなのだろう。孫堅の代から支えている者たちからしてみれば、彼は我が子にも似た存在。
 しかし、孫権にはそれが子供扱いをされているようで面白くないというのも事実。その鬱憤が溜まりに溜まった結果が、この悪酔いだったのか。
「そうそう。俺のことを本当に理解してくれるのはお前だけだよ。陸遜」
「また、そのように調子の良いことを仰る」
 甘えるみたいにじゃれついて、孫権はごろんと寝転び陸遜の膝を枕に変えた。口先だけの戯れと知りつつも、主に信頼され悪い気がする者などいない。お世辞に近い彼の台詞を、陸遜は素直に嬉しく思う。
「ホント、ホント」
……もう。しょうがない人ですね」
 俯き加減に視線を落とせば、こちらを見上げる彼と視線が交わる。主従にはあるまじき距離感。今、此処にいる孫権は孫呉の主としての彼ではなかった。ただ、陸遜の愛おしい人。
 その額を大事なものへ触れるようにそっと撫でる。少し低い陸遜の体温が心地良かったのか、孫権は眠たげに目を細めた。
「はあ。思い出したら、また腹が立ってきたぞ。あのクソジジイ」
「こら。口が悪いですよ」
 目を閉じたら、張昭の顔でも浮かんでしまったのだろうか。孫権は分かりやすく不機嫌口調で悪態を吐いた。
「いいんだよ。あんなやつクソジジイで充分だ」
 一過性の怒りと知りつつも、彼の罵詈雑言ぶりはさすがに張昭のことが不憫に思えてくる。考え方が合わないから衝突してしまうだけで、誰も孫権を嫌って口煩くしているわけではないのだ。
 そう。全てはほんの少しのすれ違い。そして、それは陸遜の身にも起こり得るかもしれない不幸と言えた。
「ああ、くそっ。考え始めたらイライラしてきたぞ」
 しばらくは大人しく陸遜の膝に甘えていた孫権であったが、どうやら、まだ腹の虫が収まっていないらしい。唐突にガバリと飛び起きたかと思えば、孫権は近くの物を適当に掴む。そうして、それを力の限りぶん投げた。
 物に当たるのは良くない。そう、嗜めるつもりだったのに。何故だか、孫権は陸遜が叱るよりも先に顔面を蒼白にしたのだ。
……え?」
 パリンとまた、ついさっき聞いたのと同じ音がした。床を見れば、先程まで盃だったものが粉々に砕けて散っていた。そこへポタリと落ちる、赤い雫。
「あれ……?」
 女性の叫び声がこだまして、陸遜が振り返ってみれば、騒音を耳にして駆けつけてくれた侍女の姿があった。そして、彼女もまた血相を変えていた。皆、何をそんなに驚いているのだろうか。陸遜は状況を正しく理解するのに、少々時間を要した。
「り、陸遜……ち、血が………
 孫権の指差す箇所に触れてみる。陸遜の手にはべっとりと、赤い血が付着した。そこでようやく、自分が頭から出血していることに気が付く。
「あ……
 どうやら、孫権の投げた盃はこの至近距離で陸遜の頭に直撃したらしい。恐らく、全然違う方角に投げたつもりが、酔いのせいで手元が狂ったのだろう。
 痛みも感じないまま、陸遜の意識はそこで途切れた。孫権の声が何度も、自分の名を呼んでいた気がした。

―――

「ほんっとうにすまん!」
「もう、良いですって。悪気があったわけではないのですから。……ほら。そんな顔をなさらないで」
 土下座する勢いで、孫権は陸遜に詫びた。その表情は、こちらの方が困惑してしまうくらい後悔に満ちていた。
 包帯を巻いた額をやんわり摩りながら、陸遜はいつも通りに柔和に微笑む。
「だけど、顔に傷が残ったりでもしたら……
「構いませんよ。女性ではないのですから。気にしません」
 陸遜の額は予想以上に、ぱっくりと割れていた。だが、幸い出血はもう止まっていたし、命に別状があるわけでもないのだから、そこまで深刻になるほどのことでもない。
……俺が気にするんだよ。お前の綺麗な顔に傷なんか残したくない」
 今度は孫権が、包帯の上から陸遜の額に触れる。労わるような優しい手つき。それだけで陸遜は報われた想いに浸れるというのも。
……反省しておられるのでしたら、今後はお酒はほどほどにお願いしますよ」
「するする!もう酔い潰れるまで飲まないって約束する!」
 けれど、一応、形だけでも釘は刺しておかねばなるまい。怒ったようなフリをして陸遜が叱れば、いつも以上に孫権は深く反省の意を示す。
 ―――嘘。どうせ、口ではもうしないと言っても、彼が飲酒を止めることは絶対にできないだろう。
「それと、もう一つ」
 守れない口約束と知っていて、それでも彼の言葉を信じてしまうのは陸遜が甘すぎるからだろうか。
「もっと、自分をお信じになられて下さい。僕が信じる貴方を信じて」
 否。多分、陸遜が信じたいと強く願っているからなのだろう。
 彼はきっと、立派な孫呉の主になる。自分がそう信じたのだから、元より約束など必要なかったのだ。
……分かった。約束する」
 だって、もしもこの約束が裏切られたとしても、きっと陸遜は彼を責めはしない。もしもこの先、自分と孫権との間にすれ違いが起きたとして。彼が自分の望まぬ姿に変わってしまったとして。それでも陸遜は孫権を信じ抜くだろう。
 その確たる自信があるから、だから何もかも笑って許してしまえるのだ。
―――孫権様。ずっと、お側に」
 主従の垣根を越えて、孫権が陸遜の唇に触れた。それが約束の証であるかのように。
 形だけの誓いでも構わなかった。どこまでも、彼を信じ抜こう。彼を信じるとは、彼を選んだ自分を信じるということだから。たとえ、この先何があろうとも、きっと、全て赦してしまえるから。

―――だから、そんな顔をしないで。孫権様


投稿にいいねする


© 2026 Privatter All Rights Reserved.