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Lost Diara/世界滅亡日記6

全体公開 Lost Diara 14168文字
2022-03-28 00:56:50

ジノとリヴィウィエラが引き続きわちゃわちゃしています。続きます。




 気がついた時、ジノは見知らぬ場所に立っていた。そう感じるまでに少しの時間を要し、更に理解するまでにまたしばらくの時間がかかった。ぱちり、と両方の目を瞬かせる。見上げると明るい日の光が目を刺して、眩しさにすぐに視線を落とした。
 足元にはふかふかとした土の地面がある。その土の色を覆い隠すように、背の低い緑色の草が生えていた。さわさわと心地のよい風が、草を靡かせて吹き渡っていく。風の軌跡を追うように再び顔を上げると、辺り一面に緑の土地が広がっていた。ざああ、と風の鳴る音が鼓膜を心地よく震わせる。どこからか、仄かに甘い蜜のような香りが漂ってきていた。
……どこだ、ここ」
 ぼんやりと立ち尽くしたまま、ぽつりと呟いて周りを見る。どうにも記憶が定かでなかった。一歩足を踏み出そうとして、ジノはふと違和感に気づく。地面を踏んだ感触が、何故だか少しぼんやりとしている。
「あー……なるほど。夢だな、これ」
 呟く声も、自分が話しているのには間違いないのに、どこか他人の言葉のようにも感じられた。訓練用のシミュレーションに参加した時のことを思い出す。ただ、作り物の映像に比べると、今目の前にある光景はとてもリアルだった。はっきりとしたものではないが、感覚も伴っている。
 さくさくと草原を歩きながら、ここに至るまでの記憶を辿ってみた。確か、昨夜はなかなか寝付けなかったのだ。あの村で起きたことをつい考えてしまい、目を閉じても全く眠気がやってこなかった。しばらく寝台の上に横になっていたところまでは覚えているのだが、いつの間にか眠りについていたようだ。
「でも、知らない場所なんだよなぁ。資料か何かで見たのかな」
 試しに、片手でちょっと頬をつねってみた。古典的な確認方法だが、あるはずの痛みはやはりどうにもぼんやりしている。この風景に伴う感覚はそれなりにはっきりしているのだが、自分の体に刺激を与えても、フィードバックが上手くされないようだった。
 首を捻りつつ、ジノは何気なく右手側に視線を向けた。遠くにあるものを見て、あっと小さく声を上げる。どこまでも広がる草原の向こうには、青く霞む山々が見える。そうしてその更に向こうには、糸のように高く長く伸びる、あの山があった。青い空を半分に区切り、雲を貫いてまだ伸びていく山の頂上は、ここからは見えない。
……あれがあるってことは、ここはあの世界なのか。でも、こんな光景は見たことないけど……
 独り言のつもりで疑問を口に出す。すると、背後から不意に静かな声が聞こえた。
「左様、此処は我等の母の地。遥か昔、まだ地の上に知獣たちの栄えるよりも、ずっと以前の我等の記憶だ」
 は、と一瞬息を止めて、それからジノは慌てて後ろを振り返った。草原に立つ自分の後ろに、いつの間に現れたのか、人影が佇んでいる。手を伸ばせば届くほどの距離だ。驚いたジノが反射的に一歩後退ると、人影は軽く首を横に振った。
「恐れることはない。我等は貴殿に害を加えぬ」
……はあ、……え? ええ……?」
「貴殿がクオヤだな。成程、良い面構えをしておられる。レゼは何やら言っておったが、我等は貴殿を気に入った」
 レゼ、と覚えのある名前が出てきたところで、混乱していたジノはようやく現実感を取り戻した。レゼを知っているということは、彼女の関係者なのだろうか。それにしても、どうして誰も彼も、突然姿を現すのか。
「レゼの、知り合い……なのか? 貴方は、一体」
「勿論、知っておる。貴殿のことはレゼに聞き及んでおるからな。是非直接話してみたいと思ったが、あちらでは我等は形を保つことが困難だ。故に、貴殿の方にこちらへ来ていただいた。ここは」
 人影は腕を広げて辺りを示した。瞬間、ざわりと風が吹き抜けていく。足元の草が波のようにざわざわとうねり、日の光を反射してキラキラと光る。
「此処は、我等の夢の世界だ。幾重にも束ねた記憶の織り成す地。貴殿を招くのには相応しいと思い用意した。気に入って貰えただろうか?」
「えぇ……? ……まあ……そう、ですね。綺麗なところだとは、思います」
「そうか、それは、重畳」
 どうにも要領を得ないが、話を信じる限り、やはりここは夢の中であるらしい。それもどうやら自分の夢ではなく、今目の前にいる人影の夢の中なのだと言う。俄には信じられない。それも含めて、夢なのかもしれないと思う。
 改めて、ジノは相手の姿をまじまじと見つめた。全体の形としては人間のように見えるのだが、ジノの知る人間と同じものかと言うと、絶対に違うだろうと思われる。頭から被っている薄布に隠されて、顔は口元しか見えない。すらりと伸びた体躯も首元から足先まで長衣に覆われているから、男か女かも判別がつかなかった。聞こえる言葉ははっきりとしているのに、声自体は奇妙な響きを持っている。得体の知れない存在なのに……恐ろしいとは、不思議と思わなかった。
「それで……貴方は、一体誰なんです?」
 戸惑いと警戒をひとまず置き、問いかける。人相も性別も、人間かどうかもわからない。だが、確かに本人の言う通り害意は全く感じなかった。雰囲気はひどく柔和で、危険はないように思う。けれども何故だか、相対していると妙な緊張感があった。恐ろしいわけではないが無意識に背が伸びるし、言葉も自然と改まってしまう。
 ジノの問いに人影はにこりと笑い、両手を胸元に置いて答えた。
「我等は――わたくしは、サーヴァ・プレ=インテレクティア」
「サーヴァ……?」
「左様。わたくしはこの世界の原初の純粋知性、第一紀活性にして、全ての命の複合母体であり、ただひとつの雫」
……ええと、その」
 全く意味がわからない。ジノが眉を顰めて首を捻ると、人影は更に深く口元を笑ませた。
「無理もない、貴殿は我等とは在り方の異なるモノ。理解の及ばぬことは忘れたがよろしい。そうさな、我等のことはサーヴァ・プラティカと……或いは、ただサーヴァと呼んでくれればよい」
「そう、ですか。……え、それで、俺に、何か話がある……んですか?」
 具体的なことは何一つわからないが、とにかく何かしらの理由があって自分は今ここにこうしているらしい。招いたと言うのだから、用事があるということなのだろう。結局名前以外にはどこの誰なのかも全くわからなかったから、心当たりは何もないのだが。
「話があると言えばあるが、無いと言えばない。クオヤ、我等は貴殿と言葉を交わしてみたかったのだ」
……用事があるわけじゃないんですか?」
「なければ話をしてはならぬのか?」
「いや、そういうわけでは」
「ならば、よかろう」
 両手を軽く広げて、サーヴァ・プラティカはくすくすと喉を鳴らした。よかろう、と言われても、一体どうしたらいいものやら。ジノが眉を下げると、尚も笑い声が上がる。悪意は感じないのでさほど嫌な気にはならないのだが、どうにも対応に困った。
「まあ、まあ、よいではないか。どのみち、そう長く貴殿を此処に留めておくことは出来ぬ。少しばかり、我等の供をしておくれ」
「はぁ……まあ、俺でよければ。夢の中だって言うのなら、どうせ暇ですし」
「そうか、有り難い」
 相変わらず無害な笑みを浮かべながら、サーヴァ・プラティカが徐に歩き始める。一瞬戸惑ったが、ジノも少し離れて後を追った。足元の感覚はどうにも浮ついていて落ち着かないが、草を踏む度にさくさくと軽快な音がする。
「賑やかなところだろう」
「賑やか……ですか?」
 楽しげに語りかけられて、足元を見ていたジノは顔を上げて首を傾げた。広い草原以外に、辺りには何もない場所だ。少なくとも「賑やか」という形容はそぐわないような気がした。むしろ、静かで穏やかで居心地がいい。
「そうとも。多くの命がこの地に根付いて、好き勝手に暮らしておられるのだ。貴殿の足元にも、そら」
「え? ……あ」
 すっと長い指で示されて、慌てて足を止める。よくよく目を凝らしてみると、草に隠れるようにして小さな虫がちょろちょろと動き回っていた。
「うわ、……気づかなかった。踏んでしまったかな」
「彼等の方が先に貴殿に気がついておられよう、案じなさるな。それに、此処は我等の記憶の世界。貴殿の存在が影響を及ぼすことは無い」
「あ、そうか……そうでしたね」
 夢の中だから、仮に虫を踏んでしまったとしても問題ないのだろう。とは言っても、気づいてしまったからには歩みが慎重になるというものだ。妙なもので、敵を殺せと命じられればそうすることもあるというのに、ただそこにいるだけの小さな生き物を殺すことには抵抗がある。
「どうだ、賑やかな世界だろう?」
 サーヴァ・プラティカが楽しげに喉を鳴らす。言葉の意味をようやく朧げに理解して、ジノは頷いた。
「貴方には、この虫たちも全て見えているんですか」
「感覚と呼ぶものが、我等のそれと貴殿のそれとは異なる。見えるとは正確ではないが、存在を感じてはいるな」
 くすくすと笑う声を聞きながら、なるほど、と再び足元を見た。一見何もないようなところにも、多くの生き物が存在している。もしそれらの存在すべてを感知出来るとしたら、この何もないように思える草原もさぞかし賑やかに感じられるのだろう。
「彼等のみではない、草も木も、土や水の中にも、命が存在している。喜ばしいことだ。最早ただの、記憶の中でしかないのだとしても」
「あ……
 空を見上げるサーヴァ・プラティカの口元は、やはり笑みを湛えている。翳りのようなものは窺えない。それがジノには不思議だった。この景色が過去の記憶に過ぎないのであれば、現実の光景はあの荒涼とした滅びかけの世界だ。無数に罅割れ、賑やかさとは程遠い、限られた命しか存在していない大地。今目の前にある景色とは比べるべくもない、壊れかけた、死にかけの世界。
「クオヤ、この世界のことをどう思われる」
「っ、え!?」
 突然の問いに、どくんと心臓が跳ねる。まさか思考を読まれたのかと息を詰め、拳を強く握り締めた。
「どう、っていうのは……
「うん? そのままの意味だ。外のモノである貴殿の目からは、我等のこの地はどう見えるのかとな」
 サーヴァ・プラティカの声音に変化はない。他意もないようだった。心を読まれたわけではないらしい、とジノはそっと肩の力を抜く。しかし、どうにも漠然とした問いだ。どう答えるのが正解なのだろう。
……そう言われても、俺はそんなに、いろんなところを見たわけじゃないんですが」
「構わぬ。元より、限りある身で全てを知ることなど不可能だ。それほどまでを望んではおらぬよ。それに申したであろう、クオヤ。我等は貴殿と話がしたいのだ」
「話……
 ひらひらと手を振りながら話すサーヴァ・プラティカには、やはり曇りがない。本当にただ、ジノと会話をしたいだけなのだろうか。ますます、目の前にいる存在が何なのかわからなくなる。何も求めていないのであれば、どうして。
……今のこの風景は、とてもいいなと思います。俺にとっては、静かで落ち着くし。だけど人がいないのは……もしもここでずっと暮らせと言われたら、困りますね」
 迷った挙句、ジノは諦めて、思っていることを素直に口にした。自然そのものの光景は魅力だが、あまりにも野性的に過ぎる。機械に囲まれた便利な暮らしに慣れた人間には、とても厳しい環境だ。
「ふふふ、そうであろうな。だがクオヤ、知獣も元はと言えば、皆ここから生まれたのだ。幾多の苦難を乗り越え、血を流し、また血を繋いで育っていった。全ての生命がそうなのだ」
「知獣?」
「貴殿がヒトと呼ぶモノ達だ。そちらの言葉で、どう聞こえているかはわからぬが……不思議なものよな、クオヤ。全く異なる世界に、何故これほど似た生物が育ったのか。貴殿は疑問に思われぬか?」
 問いかけと共にサーヴァ・プラティカが首を傾げる。その身長はジノよりも少し高いのだが、表情はやはりほとんど見えないままだ。読めない意図についてはもう深く考えずに、ジノは同じように首を捻った。確かに、不思議なことではある。
「何だろう……収斂進化、というものがあるから、そういったことなのかとも考えられますが」
「ふむ? どういうことだ?」
「生き物は、環境に合わせて形を変えるということです。別種の生き物が、よく似た環境に適合した結果、よく似た姿に進化することがある。だからもしかしたら、この世界と俺のいた世界の環境がよく似ていて、それで結果的に同じような姿の生き物が生まれたのかも」
 実際のところ、滅びかけているという状況を除けば、環境自体は二つの世界にほとんど違いはないように思われた。大気も重力も、水も食物も、ジノが受け付けないような状態にはなっていない。
 水の中を泳ぐものがいれば、水を掻くための鰭を手に入れるだろう。空を飛ぶものは何らかの翼を生み出すだろう。人類が脳を成長させるには二本足で立つことが不可欠だったとも言われる。全く違う世界の生き物が似たのではなく、世界自体がそもそもよく似ているのだ。それが何故か、と問われれば……わからない、としか言えない。
……興味深い話だ。異なる世界でありながら、我等は同じ道筋を辿っているのかもしれぬな」
「いや、でも、単なる想像なので」
 そう本気で受け取られても、何の裏付けもない話だ。だが、サーヴァ・プラティカは片手でそっと唇に触れて何やら考え込んでいるようだった。
「クオヤ、ひとつ尋ねさせていただく」
「はい?」
「貴殿は、命というものが……ひいては世界というものが、何の為に存在していると思われる?」
 唐突な問いだった。この時ばかりは、サーヴァ・プラティカも笑みを消してジノを見ていた。はっきりと、見られているのがわかる。
 質問の意味が理解出来ずに、ジノはしばらく言葉を詰まらせた。考えたことのない問いに、答えをすぐに見つけることが出来ない。――否、考えたことがないというのは、正確ではなかった。いつも、ずっと、何度も感じていたことだ。
 けれどもそれは大抵、どうしようもない無力感に苛まれた時だったから、答えるのは躊躇われた。何故ならジノの胸に浮かんだのは、この場で口にするにはあまりにも悲観的で、幼稚で、無気力な答えだったからだ。
「俺は――……
 返す言葉に窮していると、しばらく黙ってジノを見ていたサーヴァ・プラティカが、不意ににこりと唇を笑ませた。すっと差し伸ばされた両手が、握り込まれていたジノの手を取る。
「もう夜が明けるな。クオヤ、残念だが時間切れだ。貴殿と話せたことを嬉しく思う」
「え、あ、ああ……はい」
「話したいことはもっと幾らもあるのだが、貴殿が目を覚まさぬではリィが心配するだろうからな。あれを悩ませるのは我等の本意ではないし、レゼにも叱られる」
……リィ?」
 誰のことだ、と疑問符を浮かべた時、急に周囲の景色がぼんやりと霞み始めた。まるで突然深い霧に包まれたように、全てのものの輪郭が曖昧になる。
「心配はいらぬ。全てはただ有る。クオヤ、貴殿のことは必ず在るべき場所に帰すと、このわたくしが約束しよう」
「え、……っえ!? ほ、本当に……? いや、でも」
「今しばらく、猶予を戴くことになるが。だが、必ずだ。故に来たる日まで、どうか健やかに」
 サーヴァ・プラティカは両手でジノの手を握ったまま、にこりと笑って頷いた。目は見えないはずなのに、真っ直ぐな視線が向けられているのを感じる。温かい視線だった。不思議と、正面からだけではなく、その温もりに全身を包まれているかのような錯覚を覚える。
……あ、ありがとうございます。あの、でも」
「うむ。――ああ、だが、一つ。クオヤ、気をつけられよ。蛇ノ目がずっと貴殿を見ておる」
「えっ? ……ジャノメ?」
「道化だ。あれは貴殿にとって害にしかならぬ。どころか、最早我等にとっても何の役にも立たぬ。悪しきモノだ。ゆめゆめ注意を怠られることの無きよう」
「えっと……よくわからないけど、わかりました。身辺に気をつけます。それで、その」
 言葉を次ぐ前に、目の前にいるサーヴァ・プラティカの姿が大きくぶれた。輪郭が歪み、ジノの視界もどんどん暗く曖昧になっていく。夢が覚めるのだろうか、けれどもその前に、どうしても確認しなければならないことがあるのに。
「それから、リィのことを宜しく頼む。どうか、心穏やかに過ごされるようにと」
 サーヴァ・プラティカの優しい声が、霧の向こうから聞こえてくる。いや、とジノは朧げになりつつある意識の中で思った。だから、それは誰なんだ。というよりも、そもそも貴方は結局、一体どこの誰なんだ。
 何一つわからないままの邂逅が、夢の出口へと収束する。ぐるぐると回って、沈んで、溺れていって――



……っ!!」
 ひゅ、と大きく息を吸うのと同時に、ジノは勢いよく目を開けた。ばち、と頭の奥で何かが弾けたような覚醒。次いで、どくどくと耳の奥で血の流れる音が煩く鳴り響き始める。
 がばっと跳ね上げるように体を起こし、辺りを見回した。白い壁、白い天井、白い床。相変わらず殺風景ではあるものの、少しずつ生活感の出始めた部屋は、眠りにつく前と変わらずそこにあった。窓と扉は少し前から開けられたままになっているので、ぼんやりした朝日が差し込んでいるのもわかる。
「ぅ、……っ、水……
 喉がカラカラで、唾液を飲み込もうにもそのままではえずいてしまいそうだった。慌てて寝台の側に置かれたテーブルに近づき、器に水を汲んでゆっくりと飲む。一杯分飲み切って、ふうっと大きく息をついた。そのまま側にある椅子に腰掛ける。
……なんだったんだ、あの夢は」
 夢にしては、全く知らない相手が出てくるのも、全く知らない場所が出てくるのも奇妙だった。勿論どこかで見た記憶を組み合わせているだけの可能性も大だが、それにしては現実感があったような気がする。
 夢の中の自分は、夢を見ているという自覚を持っていた。明晰夢と呼ばれるものだろうが、それが本当だったのかどうかを判断する術をジノは持っていない。だから全てが単なる夢である可能性の方が、やはり高いと言わざるを得ないだろう。それにしても、奇妙であることには変わらない。寝つきが悪かったこともあるし、精神の疲労が反映されたのだろうか。
 朝食代わりの果物を齧りながらそんな風に考えていると、やがて廊下の向こうから聞き慣れた足音が近づいてきた。小さな両足はなるべく音を立てないように歩くのを心がけているようで、実際に聞こえるのはパキパキと床の表面が罅割れる微かな音だ。
「起きていたのか、トール。よく眠れたか?」
「よく眠れたよ。おはよう、リヴィウィエラ」
「おはよう……?」
 やがて顔を見せたリヴィウィエラが、ジノの挨拶を受けて不思議そうに言葉を返す。こうした日々の挨拶というものが、彼らの習慣の中には存在しないと聞いたのは昨日のことだ。きょうだいであっても毎日顔を合わせたりはしないと言っていたから、それも仕方がないのかもしれない。
「朝の挨拶だよ。昨日話しただろ?」
「あ、……そうか。忘れていた。ええと、おはよう、トール」
「うん」
 慣れない様子で挨拶をするリヴィウィエラを見て、ジノはそっと息をついた。妙な夢を見たせいか、昨日と何も変わらない彼の姿に安心感を覚える。食べかけの果実を再び口にすると、微かな酸味と甘みが口の中に広がる。
 リヴィウィエラは布が何枚も入った籠を抱えていた。自由に使えるように、と用意してくれたものだ。使い道はいくらでもあるので、正直に言って有り難い。どれだけの期間この世界で生活することになるかわからないのだから、環境を整えることは急務と言っていいだろう。そもそも本当に帰れるのか、ということはなるべく考えないようにしていたが――と、不意にジノは夢の中であった出来事を思い出した。
 必ず帰す、と約束された。だがその相手が一体どういう存在で、どんな意図でそう言ったのかがまるでわからない。根拠のない口約束であれば何の意味もない。或いはやはりただの夢で、ジノの願望が反映されただけなのだろうか。
 寝台の上に布を積んでいるリヴィウィエラの姿を見つめる。そういえば、レゼの名前を口にしていたような気がした。あれがもしも単なる夢の産物ではなく、レゼの知り合いである可能性があるのなら、リヴィウィエラもまたあの人物のことを知っているのではないだろうか。
「なあ、リヴィウィエラ」
「なんだ?」
「サーヴァ、って名前のヒト、知り合いにいるか?」
 口に出してから、ヒトではないのだったかとジノはぼんやり思い直した。だからリヴィウィエラが瞬間的に息を呑み、表情を強張らせたことに一瞬気づかなかった。がたんっ、と大きな音を立てて、リヴィウィエラの両手がテーブルの上を叩く。ほとんど同時に、ジノは驚いてびくりと肩を震わせた。
「ど、……どうしたんだ、リヴィウィエラ」
……すまない、急なことで、驚いてしまって」
「ああ……そう、なのか」
「そうだ。いや……そんなことはどうでもいい。どうして君が、サーヴァのことを知っている?」
 じっ、と正面から見据えてくる視線は、見慣れたものとは違い僅かに険を含んでいた。初めて会った時のことを思い起こさせるような目に、ジノは戸惑いの言葉をぐっと飲み込む。この反応からして、リヴィウィエラは知っているようだ。ということは、夢の中の産物ではないのだろうか?
「じ、……実在するのか? その……サーヴァ・プラティカって」
「どうして知ってるのか、先に答えてくれ」
「ああ、うん、そう……だよな。ええと、何て言ったらいいのか……
 真っ直ぐに向けられる視線から目を逸らすことが出来ない。誤魔化そうにも嘘の言い訳すらすぐには思い浮かばず、仕方なくジノは正直に全てを説明しようと重い口を開いた。
……昨日、寝た後にな。夢で会ったんだ」
「夢……?」
「ああ。草原があって、風が吹いてて、山が緑で……空まで伸びる山があった。それは記憶の中の光景だって、突然現れたサーヴァ・プラティカが言っていた。俺と話をしたかったから呼んだ、らしいんだ。レゼの名前を出していたから、知り合いなのかなと思って」
……そうか」
 ジノの予想に反して、リヴィウィエラはそれだけの説明で納得したようだった。小さく頷くと、張り詰めた気配がスッと消えてなくなる。そのことに安堵しつつも、ジノの疑問は消えなかった。
「本当に、知ってるのか?」
……ああ。サーヴァが自分から君に会ったのなら、隠すようなことじゃないな。わたしは知っている。勿論、レゼもそうだ」
「そうなのか……俺は、てっきりただの夢なのかと」
「夢であることには違いない。サーヴァは今、こちらに出て来られる程の力を持っていないからな」
 そう言って、リヴィウィエラは水差しを手に取ると器に水を汲んで飲み干した。ふう、と彼が一息つくのを確かめてから、ジノは話を続ける。
「実在するヒトなんだな」
「そうだ。でも、ヒトではない。サーヴァはこの世界のプレ=インテレクティア……原初知性と呼ばれる存在だ」
「あ、そうか。……なんか、それ、本人にも言われたんだけど……結局、どういう意味なんだ?」
 夢の中では曖昧にはぐらかされて、教えてはもらえなかったことを改めてリヴィウィエラに問いかける。リヴィウィエラは少し困った様子で視線をテーブルの上に向けていた。
「たぶん、サーヴァは君を信用したんだろう。わたしも、君だったら構わないと思う。でも、どう言ったらいいものか」
……言いにくいことか?」
「そういうわけじゃない。サーヴァは、複合母体なんだ。この世界の全ての命は、サーヴァから生まれた」
「全ての……? え、あのひとが、全部の生物を作ったってことか? そんなこと、出来るのか?」
 創造主、と呼ばれるものだろうか。熱心な宗教マニアが喜びそうな話だったが、あまりにも理解の範疇を超えている。眉を顰めると、ジノの戸惑いが伝わったのか、リヴィウィエラはすぐに首を振った。
「たぶん、君の思っていることとは違う気がする。ええと……生き物というのは、親がいるだろう。その親にはまたそれぞれの親がいて、それぞれの親には更にまた別の親がいる」
「うん……? うん」
「そうして辿っていくと、最後には、最初の生命に辿り着く。厳密にはそこまで単純な話ではないが、要するにそれが、サーヴァ・プラティカだ」
…………えっ? それって、めちゃくちゃすごいんじゃないのか?」
 所謂、即ち、生命の起源というやつなのではないだろうか。全くそんな風には見えなかったが――何しろジノが学んだ生命の起源と呼ばれるものは、形があるのかどうかもわからない至って単純極まりない生命体らしいので――その話が本当なら、とんでもない相手に出会ってしまったことになるのだが。
「そうだ。だから、君がサーヴァに会ったという事実にこんなに驚いている」
「いや、だって……向こうから来たんだぞ? 俺は何もしてない」
「もちろん、それもわかっている。……何かよほど、伝えなければならないことがあったのだろうか。一体何の話をしたんだ?」
「え? いや、大した話はしてないよ。用事があったわけでもないらしいし……
 夢というのは目覚めた途端に記憶から薄れていくものだが、今回の夢はまるで現実であったかのように交わした会話まで覚えていられた。そう多くを話したわけではないが、その中で一番重要なことと言えば――
……そういえば、必ず帰す、と言われたよ」
「え?」
「もう少し時間がかかるけど、必ず帰すと約束するって。そう言われたんだ。大事なことって言ったら、それくらいかな」
「サーヴァが? 君に約束すると言ったのか? 本当に?」
「う、うん……
 再びテーブルに手をつき、身を乗り出して、リヴィウィエラがジノに迫る。今度こそ彼は、明らかに驚いているようだった。ジノが頷くと、しばらくの後に「そうか、」と引き下がる。一瞬だけ垣間見えた、幼い面には似合わない苦々しげな表情がどうにも気に掛かった。
……サーヴァがそう言ったのなら、それが正しい。恐らくあちらでは何かもう、方法は見つかっているんだろうな」
「そう、なんだろうか? レゼはまだ、何も言ってくれないけど」
「レゼはそういう性質だ、確かなことしか口にはしない。でもそれは、サーヴァの方がもっとそうだ。だから嘘を言うはずがない。信用していい」
……そうか、そうなのか……
 リヴィウィエラにそう断言されると、じわじわと、言葉が実感として滲んでくる。見知らぬ世界に突然放り出されて、帰る方法がないと言われて――その上もうすぐ世界が滅ぶと告げられて、どうしたらいいのかとずっと気掛かりだった。だが、帰る方法があるのだとわかるだけでも心がずっと軽くなった。隠しきれない喜びに、思わず口角が上がってしまう。対面にいるリヴィウィエラが、ふと表情を緩ませた。
「よかったな、トール」
……うん」
「どんな方法なのか、わからないのが気にかかるところだが……可能性があるなら何よりだ。わたしも嬉しい」
「うん。……ありがとう」
 やっと少しだけ、先の展望が見えたというところだろうか。確かに具体的な方法に関しては何も聞かされていないから、これだけで安心することはまだ出来ない。だが、何もないままにただ時が過ぎるのを待つよりずっとマシだ。どれくらいの時間がかかるのかわからないが――どんなに時間がかかったとしても、帰れるのであれば帰りたい。このまま死んでしまいたくない、と強く思う。
「でも、どちらにしてもまだ時間はかかるってことだよな。それまで、何をして暮らせばいいのやら……
 その日まで健やかに、などと言われたが、健康に関しては今のところ心配はしていない。思い悩まずに過ごせということだろうか。それならば、これからの生活の仕方は少し考えなければならないかもしれない。じっとしていると考え込んでしまうので、なるべく体を動かしていたいところだ。また何か、手伝いでもさせてもらおうか。
 夢の中の会話を改めて思い返して、ふと、ジノは正面に座っているリヴィウィエラを見た。
「なあ、リヴィウィエラ。サーヴァ・プラティカとは親しいんだよな?」
「ああ。わたしにとっては……きょうだいたちもそうだが、直接の親のようなものだから」
「なら、リィっていうのはもしかしてきょうだいの中の誰かか?」
 問いかけた瞬間、小さな木の実の殻を剥いていたリヴィウィエラの動きがぴたりと止まった。ひどくゆっくりとした動作で首が動き、手元に向けられていた目がジノを見る。
……どうして、それを」
「いや、サーヴァ・プラティカに言われたんだよ。リィに伝えてくれって」
「伝える? ……何をだ?」
「確か……心穏やかに、とか。知らない名前だし、宜しく頼むって、たぶんそういうことじゃないかと思うんだけど」
 肝心の相手に思い当たる節がない。そう言いかけて、ジノはふとリヴィウィエラの様子が変わったことに気づいた。宙に浮いていた手がぱたりとテーブルの上に落ち、大きな目が僅かに見開かれている。心なしか、頬が紅潮しているように見えた。肌の色が濃いのでわかりにくいが、目が潤んでいるようにすら思える。
……リヴィウィエラ、どうした? 大丈夫か?」
……わたしの」
「え?」
「わたしの、ことだ。……リィ、と。そう呼んでくれたのは、サーヴァと、きょうだいたちだけで」
 静かな声が、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。泣いてしまうのでは、とジノは一瞬慌てたが、予想に反して溢された声音には喜びが満ちていた。緩く目を閉じ、口元を緩ませてリヴィウィエラが笑う。今までに見たことがないくらい、本当に嬉しそうに。
「よかった。サーヴァは、何も変わりないんだな。……よかった」
 そうしてそっと、安堵の息をつく。ジノはしばらくじっとその表情を見ていたが、やがて体の力を抜いて静かに椅子に座り直した。目元を緩めて、彼の笑顔をじっと見つめる。深い事情はわからないが、何故だか自分まで胸の内が温かくなった。
 サーヴァ・プラティカとの邂逅はほんの僅かな時間だったから、詳しい為人などはわからない。だが少なくとも、リヴィウィエラにとってはとても大切な存在なのだろう。そして恐らくはサーヴァ・プラティカにとっても、また。だからこそ伝言を頼まれたのだろうし、それだけ彼のことを案じているという気持ちの表れなのかもしれない。
「よく、わからないけど……良いことだったなら、よかったよ」
「あ、……ああ、そうだな。すまない。今日はなんだか、驚かされてばかりだ」
「それは俺もそうだよ。でも……リヴィウィエラは、普段は話したりしないのか? こちらに来られない、みたいなことは言っていたけど」
 察するに、夢の中で言う『あちら』と『こちら』とは、現実と夢とを指しているのだろう。夢の中にいるサーヴァ・プラティカは、あちらでは形を保てないと言っていた。逆に言えばそれは、現実ではなく夢の中でなら会えるということなのではないだろうか。誰かの夢の中に行く、ということが簡単に出来ることなのかどうかはわからないけれども。
 安易にそう考えただけなのだが、リヴィウィエラは目を閉じてそっと頭を振った。
……トール。君も知っている通り、この世界は滅びかけている」
「え? ……あ、うん……
「サーヴァは、この世界の命の要だ。正しい循環の具現だ。でも、それは随分と乱されて、壊れかけている。だからサーヴァも、今はとても弱ってしまっている」
「循環……? ええと、つまり……あのひとも、死にかけている、ってことか……?」
 わからないなりにどうにか噛み砕いて確認する。リヴィウィエラは静かに頷いた。表情は既にいつもの落ち着いた面に戻っていて、噛んで含めるようにジノに語りかける。
「こうなってしまってからは、もうずっと眠り続けているんだ。それこそ、夢も見ないほど深く。もしもサーヴァが死んでしまえば、何もかも終わりだ。だから君と会ったと聞いて、本当に驚いたし……正直なところ、腹が立った」
……眠っていなきゃいけないのに、何をしてるんだ、って?」
 それは、ジノにも何とはなしに理解出来る感情だった。自分でも、今の話を聞いて少なからずそう思ったからだ。腹を立てるほどではないが、疑問だった。本当にそんな状態であるのだとしたら、どうして何の目的も無しに、夢の中で自分と会うようなことをしたのだろう。……そもそも本当に、目的は何もなかったのだろうか?
「まあ……サーヴァのことはサーヴァにしかわからない。わたしたちとは感じるものが違うんだ。意図を考えても、あまり意味がない」
「そういうものか」
「そうだ。……少なくとも、君を招いてもまだ健在であるということは、今すぐにどうこうなってしまうことはないんだろう。それがわかっただけでも、よかった」
 リヴィウィエラが、珍しく大きな溜め息をつく。今日はいろいろな表情が見られて、新鮮な気持ちだ。そんなに弱っているようには見えなかった、とは言わないでおいた。夢の中での邂逅について、リヴィウィエラが複雑な感情を抱いていることは理解出来る。サーヴァ・プラティカに関しても、目に見えるものが全てというわけではないだろう。そもそもジノが出会った姿が、本来のものであるとは到底思えない。何と言っても夢の中なのだし、本当に原初の生命体だと言うのなら尚更、ジノにとってヒトのように見えただけの可能性もある。
「でも、そうだとするとリヴィウィエラは、サーヴァ・プラティカと長く会っていないのか?」
「ああ」
「そうなのか。それは……寂しいな」
 大切な相手が大変な時に、会うことすら出来ない辛さはジノにも覚えがあった。相手のことを思えばこそ、動くことの出来ないもどかしさ。リヴィウィエラはじっとジノの目を見ていたが、やがて視線を逸らして無言のままそっと頷いた。しくり、と胸のどこかに小さな棘が刺さったような痛みが走る。
 サーヴァ・プラティカは、必ず帰すと約束してくれた。他に縋るものがない以上、ジノはそれを信じるしかない。だが、リヴィウィエラはどうなのだろう。この世界はもうすぐ滅びる。滅びなければならない、と彼は言っていた。正しい循環を取り戻す為に、全ての命は一度死ななければならない。
 その時、彼らはどうなるのだろう。全てが死んでしまった先に、一体どんな救いがあるというのだろう。




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