@11_syzygy
風は湿って生暖かい。
今にも崩れてきそうな灰色の空の下、潮はシオンとバス停に向かっていた。
手には当然、いつもの黒い傘がある。自警団、鴉のトレードマークであり、護身用にもなる特殊な傘だ。
「潮さん、早く。降りだしますよ」
「本当に降るのか? この間の曇りの日も空振りだった」
「そういうときもあります。が、今日は誰がどう見たって確実に雨でしょう」
雨が降るときだけ外の世界と繋がる雨織町では、人の往来が天気によって左右される。
雨天時にだけ運行するバスは、どこを走るかも道の気まぐれだが、町を行き来する人々が乗っている。その出入りの確認は、潮とシオンの主な仕事の一つだ。
「ふぁ……」
「あくび、三回目です。いい加減に起きてください」
「今日は久々の休みだったんだ」
「それは御愁傷様でした。天気はぼくらのシフトまで考慮してくれませんから」
「わかってる……」
「ていうか、もう午後ですよ。何時まで寝るつもりだったんですか」
穏やかな休日のまどろみ。それは趣味のない潮が最も愛するものだった。雨が降れば仕事が入るのは仕方がないが、この日はいつもと違っていた。
潮が居候している探偵事務所、その所長のミナセが、昨日からジグソーパズルに熱中していて静かだったのだ。
鴉の仕事が休みでも、潮は探偵業の手伝いに奔走するか、またはミナセに叩き起こされて遊び相手にならなければならない。真の休日は貴重だった。
「早く終わらせて寝たい」
四度目のあくびをこらえていると、頬にぽつりと水滴が落ちた。
「降り出しましたね。急ぎますよ」
シオンが走り出した。
バス停に着くと、いよいよ雨が本降りになる。町の外れから続く平坦な道の先から、いつもの古いバスが姿を現した。
降りてきたのは男が一人。三十代ほどの中肉中背。服に赤茶色の染みがあるが、それ以上の特徴もない。潮が雨織町で見たことのない人だった。久々に戻ってきたか、迷い込んだ人だろうか。
記録用の書類とペンを手に、シオンが一歩前にでる。
「こんにちは」
「……」
男は黙ってうつむいたままだ。
「雨織町は初めてですか?」
「……」
「バスを間違えたとか? それとも何か用があってここに来ましたか?」
「……」
「大丈夫ですか? 具合が悪いとか、言葉がわからないとかですか?」
「……」
困り果てたシオンが潮に振り返った。
「潮さん、英語とかできます?」
「無理だ」
「そういうときだけ自身ありげに即答しないでくださいよ。どうしましょう」
二人で頭を悩ませていると、男はだらりと下げていた手を前に伸ばした。緩慢な動作で、潮もすぐには気づかなかったほどだ。
そして、シオンの腕を掴むと、打って変わって素早く引き寄せた。顎が外れそうなほど口を開いて、噛みつくような素振りを見せた。
「うわっ!?」
「シオン!」
とっさに潮は二人の間に割って入った。シオンから男の腕を払い、傘で牽制する。男は反動で上体を大きく反らしたが、体勢を戻すと今度は傘に食いついてきた。
「ええぇっ?」
「こ、この人はなんなんだ。腹が減りすぎてるとか?」
「ぼくだってわかりませんよ! とにかく、増援を呼びます!」
「頼んだ」
シオンが非常用の笛を思いきり吹いた。雨音を切り裂くように町に響き渡る。
広げた傘を盾のようにして男と対峙していると、同じ傘を手にした仲間が駆けつけてきた。
「どうした?」
「この人の様子がおかしいんです。急に襲いかかってきて……!」
「わかった。仔細は後でいい。一旦、退避してくれ」
その場を仲間に託すと、二人はバス停から離れて町の方へと走った。傘はあくまで護身用。警備は担当していないので、トラブルや戦う場面からは外れなければいけない。
「ど、どうしましょう。本部で晶さんに伝えますか?」
「いや、探偵事務所の方が近い。あまり雨の中を移動するのは……」
道の先の風景が、靄がかっているように不明瞭になっていた。このまま行けば外に繋がってしまう。雨織町の道の変化は予測がつかず厄介だ。
遠回りでも、角を曲がって別の道から向かうしかなかった。シオンは道の変化に人一倍鋭いが、雨の日に町を歩くのは常にリスクが伴う。
「そうですね。一度、雨宿りしてから報告しましょう」
そのとき、再び笛が鳴った。バス停ではない、別の方角からだった。
「なにが起こってるんだ……?」
不気味だった。嫌な胸騒ぎを抱えたまま、二人は事務所へと急いだ。
*
「ただいま」
「お邪魔します」
事務所の中は薄暗かった。
いつもならシオンが来たら大喜びでミナセが飛びだすはずなのに、物音ひとつしない。
「……ミナセ?」
「お出かけ中、ですか?」
「いや。雨の日は遊びに行かないはずだ」
困惑しながら潮はリビングへと歩みを進める。一歩一歩、足音が妙に大きく聞こえる。
部屋の明かりはついている。きっと、つけっぱなしで昼寝でもしているのだろう。可能性をあれこれ浮かべて、ざわつく神経を抑えようとする。
「ああーーーーっ!!!」
リビングに入った瞬間、かん高い絶叫が耳をつんざく。潮は思わずのけぞった。
「うおっ!?」
リビングに入ってすぐ、入口からは死角になる位置の床にミナセはいた。ふくれっ面に、緑色の丸い瞳が怒りに燃えた眼差しで見上げてくる。
「そこ! ピースを分けて並べてたのっ! 潮が踏んじゃったからやり直しじゃん!」
潮の踏み出した足の周辺に、細かいパズルのピースが散らばっていた。
「えっと……いや……すまない」
「もー。やっと次のところに取り掛かれるのに。 ひどいよー!」
「玄関からの通り道だし、別の場所でやった方がいいと思う」
「床がひんやりしてるから、ここがいいの!」
「そ、そうか……」
「あ、シオンくん。いらっしゃーい。今日はボク忙しいから、潮と遊んでね!」
ミナセが潮の背後に向かって、ひらひらと手を振る。
「忙しいもなにも、ただパズルやってるだけでしょう! あーもう、びっくりさせないでください」
どうやらシオンは先程の絶叫で床にへたり込んでいたようだ。壁を伝うようにゆっくりと立ち上がる。腰は抜かしてないらしい。
潮は改めてミナセの取り組むパズルを見た。サバンナにいる動物の風景写真だが、ピースが細かく、青空など単色でわかりにくい部分も多い。
商店街の雑貨屋から、依頼の礼品として貰ったジグソーパズルだが、なかなかに難易度が高いみたいだ。潮の外出前に比べれば進んでいるが、完成には程遠い。
「うーん。ここが近そうなのに、形がちがう〜」
一人で唸りながらパズルを続けるミナセの横をそうっと通り抜け、潮はシオンと二階に上がった。
「なんか疲れました」
潮の部屋に入るなり、シオンがげんなりした顔でため息をついた。
「俺もだ」
「バス停のあの変な男、どうにかなっていたらいいんですが……」
「早く雨が上がるといいんだが」
「まだまだ降りそうですね」
窓の外からの雨音は途切れる気配もない。この様子だと当分は降り続きそうだ。
きぃん、と町中につけられているスピーカーから音が漏れた。
「町内放送?」
いつもは雨の降りはじめにしか鳴らない。胸がさらにざわついた。
『緊急放送。緊急放送。鴉本部より、雨織町内の全員に告ぐ』
「晶さん!」
流れてきたのはおなじみの録音音声ではない。鴉のカシラ、晶の硬い声だった。
『これより一切の外出を禁じる。随時、町内放送を流すので、その指示に従うように。以上』
それだけを告げると、ぶつっと音を立ててスピーカーは沈黙した。
「晶さん……?」
シオンの顔がみるみるうちに曇っていく。
「化物が来たときとは違う。様子がおかしい」
「外にでないほうがいいのはわかりますが、晶さんが……」
「今は放送に従った方がいい気がする」
「ですが……」
「きっと、雨と一緒になにかが町に来たんだ」
「さっきの男?」
「かもしれないが、別の場所でも笛が鳴った」
沈黙が降りた。考えたってわからないことだらけだが、なにか話しておかないと不安で押しつぶされそうだった。
「そんな、町に一度に大勢の変質者がやって来るなんてありえませんよ」
あの生気のない顔。ゆっくりとした動作。噛みつくような素振り。思い当たった存在が、潮の口をついてでた。
「……まさか、ゾンビ?」
「ゾンッ……ええっ? あれって実在するんですか?!」
「俺も映画やゲームの中だけだと思っていたが、一番似ている。あの人の服についてた染みも、今思えば血かも……」
「嫌ですよ! 怖いです!」
シオンが耳をふさいでわめいた。
「雨の日に化物も紛れて来る町だ。ゾンビが来たっておかしくないのでは……」
「それとこれとは怖さの種類が違います! 化物の方がまだ日常的です!」
「日常に化物が含まれてていいのか……?」
なんだかよくわからなくなってきた。とりあえず潮は、ゾンビと仮定した上でシオンと話し合った。
映画で少し見たくらいで、特に知識があるわけではない。大事なのは噛まれないことだ。できるのは籠城戦しかない。無力なのがもどかしくとも、戦いや情報収集は鴉に任せた方がいい。
晶はシオンを心配しているだろうし、潮と探偵事務所にいると推測するはずだ。きっと助けは期待できる。
幸い、まだ食料品はストックがあった。数日なら乗り切れられる。あとは町の方針次第だ。
「俺らはそれでなんとかなる。……問題は、ミナセだな」
「ですね」
「パズルに熱中している間はいいが……」
「ミナセさんが、その、ゾンビに出くわしてしまって、噛まれたり影響を受けるようなことがあれば……大惨事、どころじゃ済まないですよね」
「……ああ。一巻の終わりだ」
話しながら潮は血の気が引くのを感じていた。あのとき、満ヶ原で見た光景がまざまざと浮かぶ。シオンも同じように青ざめていた。
もし悪い予想が当たれば、想像できないほど恐ろしい事態になる。野良猫さながら気まぐれに遊びに行くミナセを、いかに事務所の中に留めるか。難題だ。潮は髪をくしゃりと掻いた。
「ぼくらがミナセさんと室内で遊び続けられるかどうかに、雨織町の命運がかかってたり、します?」
「……たぶん、する」
足音を忍ばせて、リビングのミナセの様子をもう一度見に行った。
「やった! ここのシマウマは完成〜!」
相変わらずパズルに夢中に取り組んでいた。ゆっくりと、だが着実に絵は埋まってきている。
「どうしましょう」
「鴉の笛も、さっきの町内放送も聞いてないみたいだ。まだ町の異変に気づいていない」
「パズルが終わるか、ミナセさんが飽きたら?」
「……おやつがある。朝からあの様子で昼飯もろくに食べてないから、腹は減ってるはずだ」
「じゃあ、その次は」
「今日は依頼も入ってないし、雨が上がっていれば散歩だな。そうでなければ昼寝か、別の遊びか……」
「天気のことはわかりません。とりあえず、散歩を阻止しましょう」
ひそひそ声の作戦会議で、二人は真剣に頷きあった。
「……だが、どうやって?」
「そこは助手の潮さんがしっかりしてくださいよ!」
「ええと……数日間耐久大富豪大会、とか?」
「嫌すぎます。潮さんのアイデアに期待したぼくが間違っていました」
そのとき、ミナセが猫のように伸びをした。さすがに同じ体勢で床に長時間いるのはきついようだ。
「ねーねー、さっきから二人でなんのお話してるの?」
宝石のように透き通る緑色の瞳は、二人をまっすぐに射抜いてきた。
「べつに大したことじゃないですよ! ね、潮さん!」
「ああ。ただの世間話だ」
ふーん、とミナセはそれ以上の追求をやめて、パズルに視線を落とした。が、つまんだピースを嵌めずに戻した。
「おなかすいちゃったな」
さっそく来た。冷や汗が背中を伝う。
「そろそろおやつの時間だもんな」
潮は台所の戸棚で買い置きしていた菓子類を眺める。念の為、少しずつがいいだろう。
クッキーの箱を取りだしたところで、外のスピーカーが再び高音を発した。
『鴉より通達』
「あれ、晶の声だ」
初めて放送に気づいたミナセが小首をかしげた。
「ほ、本当だーどうしたんでしょうねー」
焦りすぎて、シオンは完全に棒読みになっている。必死の形相でこちらに助けを求めているが、潮に気の利いた言葉がとっさにでてくるはずもない。
『現在、町内で起きてる事態の対処には鴉が向かっている。……信じたくないが……これは、ゾン……』
後半はノイズが入って、鮮明に聞こえないまま放送は終了した。ミナセはきょとんとしている。
「ゾン?」
「ぞん、ぞん、存外に雨が降るってことじゃないですか。晶さんも忙しそうです」
「もしかして、事件? ボクらの出番かなっ!?」
色めき立つミナセを遮って、潮は目前にクッキーをつきだした。
「鴉の担当する事件は邪魔してはいけないと、晶さんからも言われている」
「邪魔じゃないもん、調査だもんー」
「こうも雨がひどいと、俺らもしばらく外にでれない。シオンも来てるんだ、事務所で遊ぼう」
不服そうに、だがクッキーはしっかり掴み取ってから、ミナセはソファに飛び乗った。
「はぁー……」
シオンが疲労のこもった重いため息をついている。
外にはゾンビ、事務所にはミナセ。こうなったら、落ち着くまでとことん誤魔化し続けるしかなさそうだ。
ミナセ探偵事務所の長い長い雨宿りが始まった。
続……かない!
エイプリルフール2022