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なにも知らない9

全体公開 24 5214文字
2022-04-19 00:44:37

△関係

名前変換
Posted by @uk_plus_




 校舎裏で人知れず合わせた唇と抱擁を最後に、二人は以前よりも“名前を知る程度のクラスメイト”になっていた。どちらからともなく距離を置いて、たまにする挨拶の時だけ唯一二人の視線が繋がった。
 そうして冬を迎え冬季の休暇を挟んでしまえば、学校だけの接点しかない二人の距離はあっという間にひらいてしまった。

 越知はなるべく名前のことを考えないように、より一層目の前のテニスへ打ち込んだ。彼女も毎日を一生徒として過ごすように努め、どうしても目に入ってしまう巨躯と時間が重ならないように学内に長居することを避けていた。


 「貼り出し見に行こうよ」
「うん」

二年次の春。寒い長期休暇が明けてクラス替えが行われた。
 名前は友人に腕を引かれて、廊下に貼り出されているクラス一覧から新しいクラスの確認をする。心の奥へ隠した微かな期待を寄せながらその一覧を見たが、それは叶うことはなかった。

「やった!名前、また一緒だね~!」
「う、うん」

隣で喜ぶ友人とは再び同じ教室に通うことに決まったが、小さな希望は隣のクラスに記されていることを認めて名前の返事は濁ってしまった。その行間の距離感は、今の名前と越知の距離そのもののように彼女は思う。

「名前、教室行こうよ」
「あ、待って

未だぼんやりとしている名前を置いて友人が目的の教室へと歩を進めた時、彼女が移した視線の先にひと際大きな影があった。

越知くん。

名前の瞳の虹彩が引き締まった。心の中で名前を呼べば、まるでそれに呼応するかのように越知も顔を名前の方へと向ける。変わらぬ巨躯はそのままで、しかし端正な顔と双眼は昨年よりも伸びた前髪に僅かに隠されていた。だがその奥の瞳はたしかに名前を見つめているようだった。

「名前!早くー」
「ご、ごめん」

一向についてくる気配のない名前を急かす声が聞こえて、彼女ははっと我に返った。友人に声をかけてから再び越知を見やる。そしてゆったりとひとつ彼に微笑み、何も言わずに友人の方へと歩みを進めた。


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 ついに名前との繋がりがほぼ消えてしまったことを悟って、クラス一覧を確認した越知はすぐに自身の教室へと向かった。立ち尽くしていても仕方がない。なってしまったものは仕方がないのだから。そう頭ではわかっている越知だったが、内心を誤魔化すように足を動かす他なかったのだ。

恐らくこれで最後になるだろうと受け止めた名前の柔らかい笑みが、越知の眼前に未だにちらつくようだ。

これでいい。

元より何も始まりはしていなかったのだと言い聞かせながら、越知は新しいクラスのドアを開けた。僅かに伸ばした前髪の奥に、固く本心を閉じ込めて。


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 「名前、どこ行くの?」
「昼のうちに本、返却してくる」

机を囲う談笑の輪から席を立つと、友人からぽつりと聞かれた。私は一冊の本を胸に抱いて友人に手を振り、教室を出て図書室へと向かった。

 新しいクラスで過ごす友人との昼休みも、初夏ともなれば皆慣れたようにしていた。私も例に漏れることなく、新たな友人を交えていつも通りお昼休みを過ごすようになっていた。

 あれから越知くんとは一言も話をすることはなかった。こうして私が必要なことを早めに済ませて学校に長居しないように意識していることも、功を奏していたのかもしれない。きっと彼も私を避けているのだろう。初めのうちは寂しさと後悔が何度も自分を悩ませていたけれど、時間は驚くほどそんな気持ちに優しく染み入っていった。

 昼休みの騒がしさから切り離されたような図書室に入って、吸音する絨毯を踏む私の足音だけが耳に響いた。本の香りとやんわりとした足音が私を包む。
 早速本を返すべく入ってすぐのカウンターに目を向けたが、私は驚いてそばの書棚の波に身を隠した。そこに見知った背中があったのだ。一年次の頃は彼がカウンターにいることはほとんどなかったから、きっと私は油断してしまっていた。あの大きな背中は間違いなく越知くんだった。

 バクバクとうるさい胸元を抱いた本で押さえつけながら、書棚の間を奥へ奥へとあてもなく歩く。

少し時間を置いてからもう一度カウンターへ行こう。
昼休みが終わるまで、まだ時間はあるから。

そう何度も心の中で言い聞かせて歩いていると、図書室の端、誰も訪れないような少々錆びついた資料室のドア前まで辿り着いてしまった。

ゆっくり戻りながらもう一度見てだめそうなら、放課後に

深呼吸しながら独り言ちた心ごとくるりと私が振り返ると、そこには大きな影の越知くんがすっと立っていた。

「苗字」
「ぅわっ

名前を呼ばれたのと同時だった。図書室で出してはならないほどの声量が出かけた口元に持っていた本を押し付け、なんとかボリュームを落とした私は思わずその場にしゃがみ込んでしまった。するとそんな様子を見て、眼前の越知くんは少し慌てたように私のそばにしゃがんで顔を覗き込んできた。

「平気か?すまない」
ううん、越知くんは何も
「せめて、声をかければよかったな」
「それはまあ……あれ?」
「どうした?」
「なんか前にもこんなやり取り、した気がするなって」
「そう、だったろうか」

互いに慌てた声音は、私が切り出した既視感への感想によって途切れてから、今度はどちらからともなく小さな笑い声になった。



///////////////////////


 静かな図書室の一角。委員の者だけが出入りのできるカウンターで、書籍と貸し出しについての管理をするパソコンのモニターへ目をやる。そして時たま図書室の出入り口を見て、越知は小さくため息を吐く日々を過ごしていた。

 一年から続けた委員会は図書委員。候補者もあまり少ないそれに、越知はすんなり所属することができていた。元来の本好きが転じて苦でもないその仕事は、越知にとってテニス以外で集中できる物事でもあった。
 しかし二年になってから少しだけ越知自身で変えたことがある。それは貸し出しの業務に多く付くことだった。自身の特徴である長身を活かして返却された書籍を元に戻すことを多く担当していたが、珍しく自分から要望を出してカウンターの業務に付くようにしていた。最初こそ周囲は少し不思議そうにしていたが、二年連続で所属している者からの提言はそれ以上異を唱えられることなく快諾された。

 それが幼稚なあがきを理由にしていることなど、越知はよくわかっていた。叶わなくともいい、言葉を交わすことができなくてもいい。ただ少しでも名前を、名前の元気そうな顔を見れたのならば。そんな小さい傲慢さからきていた。図書室の中で忙しくしていてはその機会があまり得られないと考えた結果だ。
 離れてしまった二人の距離を強引に戻そうという気は起きなかったが、それでも初めて彼女に触れたこの場所に、越知は心の奥底で何かを期待せずにはいられなかったのだ。

 しかし業務の内容を少々変えたところで、越知の思惑通りにそれは容易く叶うことではなかった。それでもという気持ちで、モニターと出入り口に視線を往復させる昼休みを越知は初夏まで続けていた。

 そしてそれはある日転機を迎えた。いつもの通りカウンターに座して業務をこなしている時だ。ふと後ろを向いている時、人が足を動かす緩やかな音が微かにする。そして振り向きざまに越知は見たのだ。焦がれた小さな背中を。

 「すまない。溜まった本を戻してくる」

そうとだけ伝えて、数冊本の積まれたカートを片手で軽く押してカウンターを出た越知は、背中にもう一人の担当の声を受けながら書棚に紛れた。

 カラカラと鳴くカートを押しながら視線は書棚と書棚の間を彷徨わせて、越知は奥へと歩を進める。高い身長で困ることも多々あるが、今この時ばかりはその特性に感謝をするばかりだった。

 そろそろ図書室の一番奥まで辿り着く頃、越知はゆっくりと足を止めた。一般の生徒が立ち寄ることがほぼないだろう古びた資料室前のところで、名前を見つけたからだ。丁度自分に背を向ける形で立ち尽くしていたその愛らしい背中は、よく見れば少々項垂れているようだった。
 カートから手を離して、越知は静かにその背中に近寄った。久方ぶりのその距離感に、容易く眩暈が起きそうな気持ちを奮い立たせる。そして浅く息を吸って、名前を呼んだ。

「苗字」
「ぅわっ

それと同時に振り返った彼女が顔面を本で隠してしゃがみ込んでしまったので、越知は肩を震わせて驚きながらも慌てて同じようにしゃがんで名前の様子を窺った。

「平気か?すまない」
ううん、越知くんは何も
「せめて、声をかければよかったな」

申し訳なく思った越知が謝罪をすれば、ゆっくりと本から顔を離した名前が不思議そうな顔をして声を上げる。

「それはまあ……あれ?」
「どうした?」
「なんか前にもこんなやり取り、した気がするなって」
「そう、だったろうか」

ぼんやりとした名前の声が耳に入り、そのくるりと丸い瞳がようやく自分に向けられたことを認知して、越知は小さく笑ってしまった。安堵したのだ。取り戻せないと思っていた時間が、簡単に巻き戻った瞬間を感じて。

「その本は返却か?」
「え、ああ、うん、そうなの」
「戻しておこう」
「あありがとう」

未だしゃがみ込む彼女から一冊本を受け取って立ち上がった越知がカートの方へと近寄れば、名前もそれに倣ったのか立ち上がり遠慮がちにそばへと寄ってきた。その様子を背中で感じて、越知は今一度安堵する。そして一か八かの話題を名前に振った。

「最近は週に一回だけ、あそこにいる」
「え、ああ、カウンター?」
「ああ」
「そうなんだね。えっと、珍しいなーって思ったんだ」

突然に振られたことへ遠慮がちにも返してくれる名前の寛容さに、変わらぬ温かさを感じながら越知は続ける。

「放課後はあまり入れないが、ごくたまに入ることもある」
「そう、なんだ」

その意図がどこまで彼女に伝わったのかなど越知にはわからない。歯切れの悪さと回りくどい自分の意気地のなさにうんざりもしたが、今の越知に吐き出せる言葉はこれ以上見当たらなかった。

「苗字は、忙しいのか?」

話を聞きながら不思議そうに首を傾げている彼女に問えば、一寸驚いたように目を見開いたが苦笑しながら口を開いてくた。

「越知くんみたいに部活もないから、毎日特にすることもないけどそうだなぁ」
「なんだ?」
「ううん、来年は受験だから、図書室で勉強する時間を作ろうかなって、思ってたんだ」
そう、か」

思わぬ返答が返ってきたことに込み上げた心拍が、越知の気管を窒息させそうになった。

 どんな気持ちを抱いて名前がそう答えたのかは、越知にはわからない。しかしそれはカウンターで吐き続けた越知のため息を取り戻すのに、十分な力を持っていた。

 「時間が合ったら勉強教えてよ、越知くん」
「教えることなどあるだろうか」
「ひどくはないだろうけど勉強が得意じゃない自信はあるからね」
「それは自信を持つな」

からりと笑いながら何とでもない話を続けてくれる名前に返事をしながら、越知はカートに手をかける。

「じゃあ私教室戻るね。友達が待ってるから」
「ああ」
「ありがとね、越知くん、その
なんだ?」

越知の様子を見た彼女がそう言って少し歩を進めてから、遠慮がちに何かを口にしようとした。そんな姿を見つめながら静かに問えば、名前はやんわり首を振って、またあの笑顔を越知に向けて言った。

「ううん。越知くん、またね」

朗らかに向けられたそれから視線を逸らせないでいる間に、名前は手を振りながら越知に背を向けた。

 ついこの前に固く閉じたはずのものは、越知の中でゆっくりと融解していく。
 明けない冬はないはずだ。


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