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なにも知らない10

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2022-04-19 09:43:00

△関係

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Posted by @uk_plus_



 いつもの図書室、紙の匂いが漂う奥の資料室。


 現金な奴だと言われても、あの時の私はそれで構わなかった。どんな気持ちで彼が私に言葉を投げかけてくれたのか、同情なのか寂しさなのか。どれだってもう理由など構いはしなかった。今はただ成り立ったひとつの現実を享受していたかった。必要とされること、近くにいることを許された事実を。離れてしまった時間が、私をより傲慢にさせていた。なんてことないたった一つの切欠で、元通りのようになった私と越知くんとの距離が
ただただ愛おしかったのだ。

 そして今日の放課後も馬鹿の一つ覚えのように、私は勉強道具がしっかり入った鞄を持って図書室へと足を伸ばした。

 たまに越知くんが入るという放課後の図書室の仕事に合わせて、私はそこへ通うようになっていた。放課後の仕事は図書室の施錠も含まれているらしく、その役割をこなすために越知くんは部活を休んでいると教えてくれた。初めにその話を聞いた時、ずる休みみたいだと私が笑えば、特権だろうと小さく笑った顔が忘れられない。
 また時間を共にできることがこの上なく私は嬉しかった。そう、とても嬉しかった。


////////////


 二年の初夏から変わった越知の見る景色は、日毎色づきが増していくようだった。月に二回もあるかはわからないことだったが、放課後の少しの時間を名前と過ごせることに越知は歓喜していのだ。
 人が少ない図書室で名前の姿を認めてから施錠の時間になった後、三十分ほどの僅かな時間を二人だけで過ごすことは越知の中で何より大事なものになっていた。それを守るために、越知は真面目なことも不真面目なことも全て片付けるように尽力した。たとえば相方の委員を先に帰すため日頃よりも多く図書室の仕事を請け負っていたし、施錠後の鍵を返却する際は教師に理由を付けて渡していた。日々の越知の態度から、それらのことに疑問を浮かべる人間はいなかったようだ。
 今日も名前が放課後に合わせて来る。そのために越知はいつも通り勤勉に業務をこなした。
 
 「越知くんがまんべんなくお勉強の出来る人で大変助かってます」
「それを期待されるのも困りものだが」

開かれた教科書とノートを互いに突き合わせて図書室の広い机に二人で座しながらなんとでもない言葉を交わし、出ている課題と受験に合わせた内容をこなす。そんなことを初夏から繰り返して、今はもう初秋を迎えようとしている。そのためか交わされる話題は度々文化祭についてよくのぼるようになっていた。

 「そっちのクラスは何やるの?」
「さあなんだったろうか」
「うわ、そんな言い方されたら気になる。明日そっちの友達に聞こう」
「さして興味はないからな」
「クラスの子が聞いたら泣くよそれ」

けらけら笑いながらページをめくる名前の顔を越知は見やる。少し前はこんな光景は想像も出来ないことだった。それが今では手を伸ばせば容易く届く距離に彼女が存在する。そんな簡単なことが、越知の胸を焦がした。

「そちらは何をするんだ」
「さあ?なんだったかな?」
「おい」
「冗談だよ。あーなんだっけな、プラネタリウム、だっけかな」
「あの教室でか」
「そう、あそこで。簡単にだけど星の説明とかするんだってさ」

自分を真似ておかしそうに笑う名前に越知は小さく苦笑する。そして楽し気にクラスの話をする彼女を見て、その流れのまま越知が言葉を続けた。

「特に何もなければ、空いた時間はここにいるんだが」
「え、そうなの?」
「友人に声をかけられなければな」

特権だと声を上げる名前にまあなと返して、越知は視線を教科書に移した。

「暇になったら、来るか」
「え」
「苗字が、迷惑でなければ」

突然の誘いは、今まで自然に繋がっていた会話を打ち止める。その訪れた沈黙に越知の心臓は早くなったが、それを更に早めるかの如く彼女がひとつくすりと笑った。

「越知くんが、嫌でなければ」


////////////


 昨年よりも慣れた準備期間は、思いの外するりと過ぎていった。ただひとつ私の心にずっと居座り続けるものが、日毎胸の高鳴りを増やしていく。越知くんと文化祭で一緒に過ごすことを約束したのだ。それがいつの時間の話だとか細かいことは何ひとつ決めてはいない。ただひとつ、時間が空いた時に図書室で会うということになっていた。

 そうして迎えた文化祭の開催期間。手慣れた同級生たちと各クラスの催し物を巡って、しかし気付けば最終日以外はなかなか私の時間は空かなかった。たまに顔を合わせる越知くんへなんとなしにそのことを伝えて、それに頷く姿を認めることしか私にはできないでいた。それを聞かされる彼は特に表情を変えている様子はなかった。

 そんな小さなことを少々残念に思いながら、最終日の片付けをしている時だ。

「ごめん名前!後夜祭、彼氏と約束しちゃってて

一年前も一緒に最終日を過ごした友人が、申し訳なさそうに手を合わせながら私に謝ってきたのだ。

「いいよいいよ。彼氏さん優先してあげて」
「ほんと、なんか
「いいんだってば!年に一回なんだから。その代わり、楽しく過ごしてね」

しゅんとする彼女の肩をぽんとひとつ叩けば、持つべきものは友だと叫びながら抱きしめられる。そんな可愛い姿を優しく抱きしめ返しながら、私は内心ほっとしていた。

ようやく、時間を作れた

 せっかく誘ってくれた越知くんの言葉を無下にしたくはなかったけれど、友人も放れない意気地のなさを救ってくれた見たこともないその彼氏に、私は大変感謝した。

 今度紹介してねと言えば、今日一番の笑顔で友人は手を振って駆けて行った。その背中に今の自分にはないものを感じながら、私はそれを見送った。


////////////


 「わ、暗い」
「日中ならそうでもないが、この時間ではな」

ガチリと開かれる図書室の鍵が回る音と、静かな越知の声が空間に響いた。他の生徒は外へ出払っているため、それがより鮮明に聞こえたのだ。

 開かれた薄暗い図書室の扉から停滞していた空気の流れを感じたらしい名前が少し肩を竦めているのを見て、越知は控えめにその手を握った。

「え、越知くん」
「暗いだろうから、繋いでおけ」
「う、うん」

 足を踏み入れた時間外の図書室は、並び立つ本棚たちが静かに息をしているかのようで昼間よりも存在感を増してそこに在った。そしてそれは薄暗さをより誇張していた。

 自分の足元をスマホで照らしながらも、越知の意識は繋がれた手に向いてしまう。久方ぶりに触れたその小さな手は、自身よりも幾分か体温が高く感じられる。

「室内の、灯りをつけることができないのだが
「あ、そ、そうだよね」

誰もいないはずの図書室が点灯していてはおかしいということを失念していた越知がふと思ったことを口にしながら歩を進めていると、名前も一寸戸惑ったように言葉を繋いだ。場所を移した方がいいだろうと思いかけていた時、図書室の奥にあるもう一つの空間について越知は思い出す。

「あるいは奥の資料室なら問題はないだろうが」
「え、あそこ入れるんだ」

吸音する絨毯の上を歩きながら意図せず小声で二人話していると、いつの間にか件の資料室の前まで来ていた。まじまじとその扉を見つめる名前に、越知がひとつ聞いてみる。

「入ってみるか」
「え、いいの?」
「ここなら最後に上がる花火も、位置的によく見えるだろうしな」

扉に近づいて鍵束から一本の鍵を掴み越知がそれを差し込めば、少々錆びついた音を上げて資料室の扉は容易に開いた。そしてその様子を見ていた名前が感嘆する。

「わー!すごい、本当に開いた!」
「あまり綺麗なところではないが」
「平気だよ。というか、正直すごく楽しいかも」

スマホだけの薄明でもわかる彼女のキラキラとした笑顔にそうかと越知が目を細めていると、そんな名前はすっと資料室の中に入っていった。越知もそれを追って入り、扉を閉めた。

 扉のそばにあるスイッチをばちりと越知が押せば、弱々しくも蛍光灯がつく音がした。埃っぽい空気が同時に漂い、そこには古めかしい紙の香りも混ざっている。

「越知くん、ここにもよく入るの?」
どうしてだ」

室内をまじまじと観察していた名前が何か思いついたように越知を振り返り問う。そして訝し気に返答する越知に、悪戯っ子のように笑いかけた。

「花火の位置」
……たまにな」
「結構悪い子だね」
「ひどい言われ様だ」
「冗談だって」

いつかのようにけらけらと笑いながら、彼女は窓際まで寄って行った。そして窓越しに空を見上げている。そんな姿にひとつ苦笑して、そのそばにあった椅子に越知は腰掛けた。

「あ、本当だ、皆集まってるの見える」
「存外見えるだろう」

窓からの景色に瞳を輝かせる名前の横顔を、越知は座りながら見つめた。そしてこの時まで考えていたひとつのことに、眉を顰める。

もし、今この時が正しいのなら

 始まってもいなかったことを動かすとしたら、今しかないのかもしれない。楽し気にしている目の前の名前の姿を見つめながらただひとつのことを思うと、越知の心音は否応なしに早まっていく。いくら以前のような距離に戻ったといっても、全てを肯定する答えにはなり得ない。それが越知にとって最大の恐怖だった。また彼女との関係が消失してしまうという可能性だ。いつ何時も感じたことのない感情に内心怖気づきつつも、越知は名前の名前を呼んだ。

「苗字」
「ん?何?」

 振り返られたその屈託ない綺麗な顔に言葉を詰まらせた越知が、再び口を開こうとした時だ。窓越しに煌々と花火が二発上がり、心の臓に響くような音がした。

「もうそんな時間なんだ」
「そう、だな」
「あ!そうだ越知くん!電気消してもいい?」
構わないが」

許可を得た名前が満面の笑みで窓から離れて、ドアそばのスイッチを押すと資料室の中は一気に暗闇になった。

「ほらー!やっぱり、すごく綺麗だね」

電気を消してから今一度窓際に駆け寄る彼女に小さく笑って越知が頷けば、もう一度名前は越知を振り返って笑った。

「越知くん、ありがとう」

それと同時に上がった花火が、そんな彼女の笑顔を優しく照らした。


////////////


 「これなら図書室の方でもしっかり見えたのかな」

窓ガラスに手を当てて花火を眺めたまま私がそう呟けば、打ち上げられる音の合間に越知くんの微かな返事が聞こえる。振動の如く音が響いて、その声の内容まではわからない。

 すると後ろから越知くんの手が重ねられた。ガラスのようにひんやりとした大きく薄い掌に、私の心頭が熱を帯びていく。

「越知く

驚いてその姿勢のまま首だけを少し後ろに向ければ、至近距離の高い位置から細められた青い眼光が私を捉えていた。そして私の背中は、それよりも大きな体に塞がれて逃げ場がない。あまりの距離の近さに、私は息を呑んだ。

 もし今から起こることが私を最も喜ばせることだったとしたら?そう考えが過った時、一年前に彼の声で聴いた言葉が私の脳裏をよぎった。

今はそういったことを考える余力がない。

彼が私へ一番に話してくれたこと。短い時間でも知っていった彼がどんな人間であるかということ。今までの全てが私の体中を駆け巡って、そして強欲な自分の真ん中にすとんと音を立てて落ちていく。自分が望むもの、越知くんが思うこと、二人の全ての始まり方。一気に去来した事実と現実。互いに何も確認せずに繋がってしまった、体のことも。

カンチガイを、シテイルのだろう。ツゴウガ、ヨスギルネ。

たくさんの出来事たちを理由にして、また一から始めることのなんとおこがましいことだろうか。弱くて狡く傲慢な自分が、どうしてこの人の隣で真っ当な顔をしていられるというのだろう。
 込み上げた気持ちを口を結ぶことで凝固させて、私は平静を装うことを決めた。


////////////

 打ち上げられた花火を見上げる名前に無遠慮に触れてから、越知は少々後悔した。昨年の校舎裏でのことを思い出したのだ。

「すまない」
何が?」
「怖く、ないだろうか」
「そんなこと、ないよ」
「そう、か」
「越知くんだから」

ぽつぽつと交わされるやり取りに混じる、以前彼女が言っていた言葉たちが、越知の脳裏から昔の名前の言葉を引き出す。

越知くんとは、友達、だよ。

ざわりと腹の底を撫でたその柔らかい刃が、越知の喉元から出かけた言葉をぐっと引き戻した。
 初めて互いの深いところを知った時同然に、彼女が優しさで自分のことを受け止めているだけだとしたら。いつぞや自分に大丈夫だと伝えてきたあの時と同じに。そう想像するだけで、越知はもう次の言葉を出せなくなった。変われたのなら、一年前にとっくに変わっていたはずだとそれが越知の落胆を誘う。

「私ね、越知くん」
「なんだ」

すると窓の外を見上げたまま、名前が小さく話し始めた。

「越知くんと一緒にいるの、楽しくて好きだよ」

好きという言葉に動揺しかけるも、それがかかるものは己自身ではないということを越知は素早く理解する。緩やかに言葉を紡ぐ彼女が何を思っているのか、見下ろすその姿からは読み取れない。

「越知くんは?」
……俺、は

言い淀んでしまった言葉の先を越知は続けられなかった。ずっと気丈でいる名前とは違い何度も立ち止まってはっきりとできない自分は、なんと情けないのだろう。

「私はね、それでも十分なんだ」

名前が越知に向き直り、朗らかに笑ってはっきりそう言った。
 それは越知にとって宣告だった。変わらない関係を望まれている証は、越知の高揚していた気持ちを突き崩す。しかしそれでも越知は腹の底で、己の貪欲さと向き合ってしまった。

それでも俺は

彼女がその先を望まなくても、それでも名前を自分のそばに置きたいと越知は傲慢にも思ったのだ。どんな形でもいい。それが他人からは後ろ指さされるものであろうとも。その方法が、たったひとつしかないのだとしても
 そんな気持ちが先行して、越知は何も告げずに目の前の名前を抱き寄せていた。

「構わない」
「越知くん?」
「俺はそれでも、構わない」

やっと出せた言葉がうまく彼女の耳に届いたか越知は自信がなかった。それほど小さな声だった。しかしそれは名前の二本の腕で返答が返ってきた。そして遠慮がちに回されたそれが、越知の背中を優しくなぞる。その感覚に湧き立つ歓喜が越知の背筋を突き抜けた瞬間、抱いた腕を緩めて名前の顔を覗き込み承諾も得ぬまま口付けた。今までのどの時よりも荒々しく彼女の唇を犯し続ける。恍惚と落胆が混ざり合って、花火の音すらも遠のいていくような感覚に越知は身を任せた。




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