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夫婦の時間の過ごし方3

全体公開 21 2456文字
2022-04-22 17:25:06
Posted by @uk_plus_



 首から下げていた社員証を外して鞄にしまいながら、最寄り駅までの道を越知は歩く。駅前に差し掛かった頃、越知の目に入ったのは一軒の花屋だ。そして店前の路上に置かれているスタンド看板を一瞥した越知は、今朝玄関で見送りをしてくれた最愛の妻の顔を思い出していた。一月三十一日、愛妻の日という文字列を見て。



 慣れた手付きで取り出した家の鍵で自分よりも少しだけ小さな扉を開くと、温かな空気とそれに乗って恐らく今日の夕飯の香りが漂った。何かを焼いているその香りに鼻先をひとつすんとさせてから玄関をがちゃりと締め切れば、その音に続くように廊下の先からおかえりという声が響いた。最愛の我が子と最愛の妻の声だ。

「ただいま」

その声に返事をひとつして、弾丸の如く自分の足元に飛び込んできた我が子の柔らかい髪をひと撫でする。その間にぱたぱたと足音をさせて、恐らくキッチンにいたらしい妻もそばにやってきた。

「おかえりー。いつもより少し早かったね?」
「早く片付けられたので、早めに」
「そっか。ちょっと待ってね、すぐにご飯用意する」
「ゆっくりで構わない。ありがとう」

未だに越知の足元に抱き着いている子を優しく抱き剥がしながら、にこにこと彼女は廊下を歩いてキッチンへ戻っていく。その顔はやはり少々青かった。今朝見た時よりも幾分かましになっていたようだったが、越知が観察するに完全にいつも通りではないようだった。そして何より自分が後ろ手に持っていたものに、いつもは敏い彼女が気付かなかったのだ。

どこか具合でも、悪いのだろうか。

朝よりも心配が募る胸中を抑えながら、越知は靴を脱ぎ自室へ入り着替え始めた。


 「行ってくる」

いつも通りに返すはずのいってきますの一言が一拍遅れたのは、越知にしかわからない程度に青い顔をした彼女のその声が少々覇気なく感じられたからだった。後ろ髪引かれる思いで通勤路を歩き出した越知は、半休なり全休なり取ってしまえばよかったと後悔した。そして仕事をしていてもちらつく今朝方の彼女の顔に、自然と急いた手元はあっという間に必要なことを済ませてしまっていた。ともすれば彼の行動はたったひとつしかなかった。

「お疲れ様です」

さっさとデスクの片づけをしてしまった越知は、部署の部屋に一言挨拶して早々に退勤をしたのだ。それが夕刻の頃の話。



 「どうしたのパパ」
「何がだ」
「いや何がって

かちゃりかちゃりと食器棚に皿やグラスをしまっている越知を見ながら、ソファに座る妻は少々訝し気に声をかけてきた。そしてひとつため息を吐きながら彼女は更に続ける。

「だって、なんかこう、私がやろうとしてること、全部こう、取っていくっていうか
「気のせいだろう」

食器棚の戸をぱたりと閉めて越知がそう言えば、未だに不服そうな彼の妻はそうかなぁとソファへ身を深く沈めた。

「助かるけどさ、月光だって、お仕事から帰って大変なのに」
「俺の方が体力はあるほうかと思うが」
「そういう問題じゃないの」

背を向けられていてもわかる、彼女が頬を膨らませているであろうその表情を想像して、越知は口元だけで小さく笑う。その声が聞こえたのか否かはわからないが、彼女は振り向きながら今一度越知へ言った。

「何かあるの?」
「何か?」
「よく言うじゃない。後ろめたいことがあると、旦那さんは優しくなるって」
「心外だな」
「じゃあ何?どうしたの?」

なかなか疑り深い己が妻に再び苦笑してから、越知は玄関に置いたままだった物を取りに行った。そしてそれを手にしてリビングへ行けば、ソファの上で体育座りをしていた彼女の瞳がゆっくりと開かれていく。その視線は巨躯の越知自身よりもその手元にあるチューリップの花束に釘付けになっていた。

「え、な、なんで、花?え、花束?」
「俺も帰りに知ったことだが」

五本ほどまとめられた未だ蕾のチューリップを持って越知も彼女の隣に腰掛けて、言葉を続ける。

「今日は愛妻の日だそうだ」

言い切ってからゆっくりと彼女の胸元へそれを差し出せば、おずおずと出された小さな両の手はそっと受け取った。

知らなかった。そんな日もあるんだね」
「ああ」

すらりと伸びるチューリップをまじまじと見つめていた瞳がほっと綻んだかと思えば、越知の目の前の妻はふと優しく微笑む。そしてその綺麗で明るい表情のまま越知へ顔を向けた。

「ありがとう、月光」
「こちらこそ」

そんな表情に一安心しながら、越知は彼女の鼻先へ顔を寄せてそっとひとつ唇を重ねる。

「それから
「なあに?」
「どこか、具合が悪いのか?」

唇を離しただけの距離で静かに越知が問えば、目の前の彼女は甘く返事をする。それに対して越知は至って普通に聞いたのだが、何故か彼女は頬を赤くさせてから視線を逸らした。

「気付いて、たの?」
「少々青い顔をしていたからな」
「えっと、その少し、ほんの少し貧血だったの」
……そうか」

少々引っかかる物言いではあったが、ひとつ安堵を得た越知はそのまま最愛の妻を胸元に収めて抱きしめた。そして背中をさすりながら耳元で静かに呟く。

「少し、安心した」
心配性だね、うちの旦那様は」
「お前にだけだ」
「そっか」

花束を持たない手で越知の背に手を回しながら、腕に抱かれる彼女はくすくすと笑っていた。その温かさと声音に更に安心した越知は、もう少しだけ抱く腕の力を強めた。




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「それでも今日は早く休め」
うん」


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