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こうふくをとかす

全体公開 2 5086文字
2015-06-29 23:53:42

金福村・長雨のワークショップ金福演習2【http://privatter.net/p/868062】

アパートから20分ほど歩いた先に須永神社がある。祀られている神のことも由来も知らない。時代と共に丸く削れた石造りの階段と、その先にぽつねんと光る赤い鳥居だけを知っている。
参拝する人間がいるのかどうかもわからない、古い、古い神社だった。階段はいつも濡れて滑りやすそうで、老人はもちろん若者も、とても登ろうとは思えない。ただ、この季節になると、傾斜の急な階段を風が吹き降り、両脇の竹林が涼しげに揺れて、それだけが印象に残っていた。この竹林は、手入れする人がいないのか常薄暗く、陰鬱な有様なのだが、夏風が通る間だけいやに涼しく匂うのだ。真冬の寒さに耐えかねて、枯れて茶色い笹の葉が一枚、二枚と落ちて行くのはなんとなく恐ろしく感じるのに、青々とした夏の間は見た目から凜として、竹影に湿った石階段の苔の緑さえ神々しく思えるのだから、不思議なものだった。
この、須永神社の竹林を横目に更に奥、細く狭い路地を曲がると、アパートの隙間に押し潰されそうになりながら、ひっそりと暖簾をかける甘味処に辿りつく。店の名を、竹鳴堂、という。この店は、クーラーがない。涼を求めて窓を開けると、須永神社の笹の音が鈴のように聞こえてくる。そういう店だった。見事な白髪を短く揃えた、品の良い老人がひとりきりでやっていて、甘味処、といっても出すものは季節によってひとつきり、夏であれば、かき氷だけしかない“という”。
そのかき氷が、うまい。
氷の純度というものはよくわからない。ただ、よくよく濾過した透明度の高い、本物の氷の塊を惜しげなく使っていて、古びた茶色い、店主と同じだけの年だというかき氷機から、さらさらと器に盛られる細雪は空気を含んで繊細で、口に入れるとほわりとほどけ、広がるのだ“という”。咥内でとろけた氷の粒が、ほんのりと甘い。そこに、市販のものではない、手作りのシロップをたっぷりとかける。白砂糖と蜂蜜を、氷と同じ純粋の水で焦がさないよう鍋で煮た、みぞれの白蜜が有名で、これはもう、氷の山にかけると同時に、蜂蜜の甘みが肌に染みこんでいくような、なんとも表現し難い、優しい匂いがする“らしい”。他にも、丸々と大きな苺の、煮込まれて形の崩れたのが、とろとろとみっつもよっつも乗っかった苺味のかき氷だとか、水がうまければ抹茶もうまい、その抹茶に小豆と練乳をかければもっとうまかろうと欲張った宇治金時だとか、「竹鳴堂にいけばかき氷の贅沢は一通り味わえる」と言われるほど、周辺では有名な店なのだ“そうだ”。
―――――― というのも、金城はその店に行ったことがない。ここまでの話も全て福富から聞いた話であり、故に「という」「らしい」「そうだ」というしかない。
「どうにもならないな………
こうして福富の話を思い出していても、出て行った男が戻ってくるわけではない。もうじき七月がくるという。水無月の空は真昼に近く、炎天下に燃えている。裕福な学生、とは言えない金城は、まだクーラーを使うわけにはいかないので、風も通らぬ室内はむしむしと暑く、茹だるようだった。こうしてぼんやり、汗を掻いた緑茶の表面を眺めているだけで、顎から首に汗が伝う。
福富が例の竹鳴堂とかいう店に行ったのは、金城がバイトをしている間であった。大学がなんかの記念日だとか、改装工事で部活もできないとかで、うっかりと三連休を手に入れた福富が、なんの予告も無しに金城のもとへやってきたのだ。金城は、如何にも懐の広い恋人らしく、突然の訪問を快く受け入れた上、俺がバイトをしている間、たったひとりでいるのもつまらないだろう、と、大喜びの荒北に福富を任せて、遊びに行かせてやったのである。
流石、付き合いが長いだけあって、荒北は福富の好みを熟知していた。竹鳴堂の話をする福富は随分この店が気に入った様子で、うきうきと弾んでいて―――――― それがかえって、面白くなかったのもある。無意識なのかどうなのか、忌まわしい記憶を封印してしまおうというかのように、話の内容も竹鳴堂のことも、金城の頭の中からすっぽりと抜け落ちてしまった。
だから、この脳味噌から茹だるような暑さに「冷たい物でも食べたいな………」そう漏らした金城に、深い意味はなかったのだ。跳ね起きた福富の「かき氷を食べに行こう」という弾んだ言葉に気の無い返事をかえしたのも、「じゃあ、コンビニ行くか」と言ったのも「いや、この前荒北が教えてくれた竹鳴堂へ、」という福富に、

「わざわざそんなところまで食べに行かなくても、かき氷なんてコンビニで十分だろ」

そう返したのも、深い意味はなかったのだ。むっとした福富と何をどう言い合ったものか、気付けば奴は財布だけポケットに突っ込んで、荒っぽく玄関を閉めたのだった。
福富というのは、幹となる神経は逞しいくせに、枝分かれした感情が妙に繊細で、金城がちょっと笑いかけてやっただけで花を咲かせるわ、少し溜息を吐いただけで葉っぱを落とすわ、とにかく難しい人間なのだった。まだ、金城の一挙一動に一喜一憂して、喜んだり悲しんだりしている内はかわいげがあったのに、あんまり神経を揺すられすぎたせいか、繊細だった感情の枝までもが逞しくなりだして、たまにこうやって、金城の言葉や行動に腹を立てて、大きな葉っぱで金城の顔面を、ぱちん、と叩いたり、引っ掻いたりする。追いかけるのも癪に触って、金城はだんまりを決め込んだまま、汗を掻いたコップの表面を水の粒がひとつ、ふたつ、伝い落ちるのを眺めつつ、気まずそうな福富が戻ってくるのを待っているのだった。
どうせ、ひとりでなんて食べに行きやしない、その辺をうろついて、結局帰ってくるに違いないのだから。そうは思っても、図太い福富のことだから、ひとりでのこのこと竹鳴堂まで歩いて行って、こうして待っている金城のことなどすっかり忘れて、かき氷をぱくついているのかもしれない。それを考えると腹の底から苛立ちがちくちくと這い上ってくるのだが、荒北に福富を任せたのが自分であるというのと、一応、福富としては、俺と一緒に食いに行きたかったのだろうとも思い、そうすると今度は罪悪感が足の裏を擽ってくる。もっと言いようがあった、話しようがあった、と思うのである。なぜ俺が、だとか、どうとでもすればいい、だとか、投げやりな気持ちはもちろん、湧いてくる。しかし、なんというか、福富には俺から譲ってやらねば、という妙な気分にもなるのである。心のままに揺れた福富が、雨に打たれた犬の顔で戻ってくるからかもしれない。
ぬるい緑茶を一気に飲み干し、金城は思い切って重たい腰をあげた。どうせ、こうして座っていたって、福富のことが気になって、何も手につかないのだ。だったら、ここは俺が折れてやって、その辺にいるだろうガラの悪い金髪男を捕まえて、ご近所の迷惑にならない内に部屋の中にいれてやろう。福富が素直に謝るのだったら、竹鳴堂とかいうのまで歩いてやってもいい。そう考えた金城が財布を探した時である。
タイミングの悪いことに、福富がひょっこり、なんでもないような顔をして戻ってきた。本当になんでもないような顔をしているので、金城はなにも言うことができず、中途半端にあげた腰をもう一度元通り、床におろしなおした。一旦、仕方がないとほどけかけた心が、ぎゅぅ、と固くなるのを感じる。これではまるで、恋人を追いかけもしなかった、薄情な奴みたいじゃないか…………
そんな金城の思いも知らず、福富は外で買ってきたのだろう、ふたつぶら下げた袋のうち、ひとつを金城に押し付けて、腕まくりをしながら台所に立った。コンビニの袋である。金城がそっと中を覗くと、宇治金時のかき氷が“ひとつだけ”入っていた。――――――― なるほど? 詫びの品かと思ったが、そうではない。お前はひとりでコンビニのかき氷でも食っていればいい、という、幼稚な挑発であった。金城は立ち上がると、冷凍庫を思い切り開け、中に袋を放り込んだ。流しに立った福富はもうひとつ、百均の袋から硝子のポットを取り出して、がちゃがちゃと洗っているところだった。ちら、と金城に視線を向けたが、かき氷について、なにを言うでもない。さっとポットの水を切って、布巾で拭いて、それから、昼はそうめんでいいか、などと聞いてくる。
「なんだ、俺に腹を立てているんじゃないのか」
「腹を立てているから、手間暇かけたくないんだ」
なんだと。しかしここで腹を立てて感情的になるのは、それこそ福富とおんなじような気がして、金城はむっとしたまま、そうめんでいい、と子どものように答えるしかない。それをいいことに福富は、眼を三角にするでも、唇をへの字に曲げるでもなく、鍋に湯を沸かしながら、
「お前は、さみしいやつだ」
などとぬかした。金城はハリネズミが胃の中ででんぐり返ししているような気分になりながら、これは口を開くと負けだぞ。そう思って、ぎゅっと唇を結んだ。いつも、言いたいことの半分も言えない福富が、しゃきしゃきとキュウリを刻みながら、ふふん、と小鼻を膨らませるのが癪だった。
「ようするにお前は、かき氷なんて簡単に作れるものに、時間をかけたり金を出したりしたくないんだろう。簡単なものこそ、そこに味がでるんだ。お前は舌の経験の足りないさみしいやつだ」
だから、俺が教えてやる。というのである。なるほど、そう来たか。金城は頬を引き攣らせ、できるものなら、とギリギリ、怒りだすギリギリの声で言った。
とはいえ………、である。
手間暇かけたくないと言ったわりに、福富の作ったそうめんは十分すぎるほどおいしいのだった。汁を作らず、そうめんの水気をしっかり切って、細く刻んだキュウリと玉葱、ワカメを乗せて、酢味噌をかける。物珍しいそうめんだったが、酸っぱさと冷たさですいすいと箸が進んだ。こうなると金城は、やっぱり俺が折れるべきなのだろうと思ってしまう。こんなそうめんぽっちで舌が肥えたなんて誰が聞いてもひっくり返ってしまうだろうが、福富の望み通り腹を見せて降参してやって、俺の舌が貧しかったですと謝ってやって、かき氷を食べに行ってやってもいいかもしれない、と思うのだ。器が空に近づくにつれてそんな気持ちは大きくなって、ごちそうさまが済んだら、ごめんのひとつくらい、俺から言ってやろうと金城は覚悟を決めた。で、あるのに福富は、先程の言葉などさっぱり忘れたかのように、汚れた器を引っ込めて、がしがしと洗い出すのだった。
「おい、」
「なんだ」
「いや…………
俺に教えるんじゃなかったのか。今こそ勝ち誇るべきなんじゃないか。などと、まさか自分から言い出せるはずもなく、金城は冷蔵庫から緑茶のペットボトルを取り出して、コップに注いで、福富の帰りを待っていた時のように、心ここにあらずで座り直すしかないのだった。
福富が動いたのは、それから三時間後のことであった。ちょうど、昼に食べたそうめんが消化されて、小腹のすいてくる時間帯である。雑誌をめくっていた福富がさっと立ち上がったのを見て、金城は少し緊張して、口の中で何度も繰り返した台詞をもごもごと練習した。うまい、すごいな、俺が悪かった、許してくれ。何が出てきてもそう言うつもりで、乾いた喉をごくりと動かす。
しかして福富は、コップを片手に戻ってきた。机に置きっぱなしにしていた空のコップを、立ち上がった時に攫っていたらしかった。緑色の液体が歩みにあわせて揺れる。緑茶だった。まさか、それか。金城はなんとも言えない顔をして、喉が渇いただろう、という福富に頷くと、冷たく冷えたコップを受け取った。ぐい、と一気に煽る。

「うまい…………

悔しくて仕方がない。そんな響きになったのは、練習など関係なく、心の底からうまい、と出てきてしまったからだった。甘くて、芳醇で、緑茶の香りが全身に広がった。
それ以上何を言うでもなく、金城は立ち上がるとポケットに財布を突っ込んだ。福富はコップを片付けると、出しっぱなしだったポットを冷蔵庫にしまった。硝子の表面にたっぷりと汗を掻いて、水の滴る様子が涼しげだった。茶葉を底に敷いて、たっぷりの氷で、じっくりじっくり溶かしていく。
「じゃあ、行くか」
「あぁ、行こう」
結局俺に一番手間暇かけているじゃぁないか、なんてことを言えばまた臍を曲げてしまうんだろう。ようやく折れることのできた金城は案内を福富に任せ、熱いアスファルトをじんわり、踏みしめたのだった。


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