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羅小黑戦記 単発ss4

全体公開 26679文字
2022-04-25 00:05:08

28.ただいま/洛竹、天虎
29. 夏の水辺/风息、洛竹
30. 回顧/虚淮、モブ妖精、风息
31. 芒種/モブ妖精、虚淮 ※2021年芒種に寄せて
32. 蓮花/洛竹、紫羅蘭 ※31の対
33. わかれる/虚淮、风息 ※「あずける」と同軸
34. 七夕に寄せて/離島組 ※謎時空過去捏造
35. あたたかい国/風息、モブ
36. その手は、
37. 無題/風息
38. 晩安、小黒/小黒
39.決意/虚淮、諦聴、子風息
40.無題 /虚淮、風息

Posted by @satomi8429

28.ただいま/洛竹、天虎

 洛竹はこの時期になると毎年旅に出る。
 旅に出ようと初めて思い立ったのは何年前だったろう。国内から始まり、世界に足を伸ばし始めたのは持ち前の好奇心からだ。アメリカにもブラジルにもカナダにも行った。この世界のうち人間の支配を免れている場所はもう数少ない。それでも、人間が『自然遺産』と名付けた場所は、昔のままの姿が保たれているのだった。飛行機を降り立つと、港まではバスに揺られていく。高速船に乗り込んだ洛竹は、席に座るとシートベルトをしめ、巨大なバックパックを前に抱えて顎を乗せた。週のど真ん中、ただの平日なせいか、乗客はまばらだ。毎年年が明ける頃に行き先を決める。今年は日本にした。今向かっている島には、ものすごく昔からある巨大な樹が生えているのだという。どんな樹なんだろうな、と誰にも聞こえないように呟いた。
 船着き場で、気の良さそうな白髪の男が、良い旅を、とにこやかに言い、洛竹も笑顔で手を振った。商店でペットボトルのお茶を買い、手拭いを首に巻いて登山道に向かう。
 風息が故郷に還ってから二百年。いつの間にか、風息と過ごした年月よりも風息なしで過ごした年月のほうが長くなっていた。人間と同じ場所で生きることにもずいぶん慣れ、妖精館の妖精にまるで人間みたいだなどと言われても、笑顔でさらりと流せるようになった。以前はぐっさりと刺さった刃も、今では掠り傷にもならない。図太くなったっていうのかな、と洛竹は思う。長く生きるって、きっとそういうことだ。
 まだ初夏にもならないのに、照り付ける陽ざしの中を徒歩で登る山道はとても暑い。さらさらと流れる川沿いの登山道を、手拭いで額を拭いながら一歩一歩踏みしめた。
 何時間歩いただろう、洛竹はとうとう老齢の大木の前に辿り着いた。
「もういいぞ」バックパックを降ろして声をかけると、黄色い弟が転がり出てきた。ころんと一回転して巨大な姿に変化する。
「すごい樹だなぁ」
「ん」
 ふたりして見上げた先には、濃淡の緑の天井が広がり、降り注ぐ陽を和らげていた。
「いい匂いだな」
「ん」
 目を閉じて深呼吸する。
 湿度の高い、それでいて新しい命の清々しい匂いがする。萌え出たばかりの若葉の匂いだ。あの頃は、どこもかしこもこんなだった。長い長い時が経った。この二百年の間に開発は更に進んで、俺たちはもう、風息の声も顔も思い出せない。
 でも。
「風息の匂いだ」
「ん」
 風にそよぐ、きらきらと揺れる若葉たち。その生命力、森の息吹きが運ぶ香りは、まぎれもなく風息の匂いだった。声も顔も忘れてしまっても、この匂いに包まれたらたちどころによみがえる。風息の温かさも、温かい記憶の手触りも。
 世界中のどこの森でも、春の匂いは変わらない。そして、春の森の奥深く、風の休むところでは、いつだって風息を感じられるのだ。
「風息、ただいま」
「ただいま」
 緑の森に背を預け、目を閉じて声に乗せる。
 風息、ただいま。
 今年もまた、会いに来たよ。


29. 夏の水辺/风息、洛竹

「あーもう!やだぁ!」
ほかほかと太陽に温められた地面から手を離した洛竹が、叫びながらひっくり返った。水中から顔を出していた妖精が、突然の大声に驚いて身をひるがえし、尻尾で水面を叩きながらぱちゃんと水中に潜ってしまう。妖精と遊んでいた小さな天虎は、帽子にしていた蓮の葉をすばやく盾にしてそのしぶきを防いでいた。
練習場所に河辺を選んだのは风息だ。樹を生やす練習をするのに、水の近くはもってこいだからだ。土も柔らかく、栄養も種子も豊富な土壌。ふんだんに差し込む陽の光も、植物の成長を促してくれる。
「そう言うな、洛竹。まだはじめたばかりだろう」
眉を下げて笑う风息の地面についた手、その少し先からは、太くて立派な幹の樹が洛竹の腰丈ほどに茂っていた。さっきまでは生えていなかったそれは、风息の能力によるものだ。洛竹も同じ木属性のようだったが、洛竹の手の先からずいぶん長い沈黙ののち生えてきたのは、ひょろりと細い若緑の蔓のみ。ちらちらと小さな葉が何枚かついているものの、その背丈は洛竹の膝にも届かない。
「だって何度やってもこうなんだもん。おれだって风息みたいに、ドーンとして、うわっとなって、わさわさ~ってした木を生やしたい!!!」
全身で擬音を表現しながらじたばたしている洛竹はなかなかの駄々っ子だったが、风息は溜息をつきながらも笑ってしまう。少し前まではあんなに小さかったのに、手も足もずいぶん伸びた。ただし、ぷくっと膨れた頬はまだまだ丸く柔らかくて愛らしい。昔のように、可愛いなぁと頭をぐりぐり撫でまわしたかったが、そんなことをしたらますます頬を膨らませてしまうだろう。思い直した风息が洛竹の隣に腰を下ろすと、洛竹も素直に起き上がって膝を抱えた。
「洛竹は俺と同じ木属性だけど、まったく同じって訳じゃないのかもしれないな。でもきっとそのうち、洛竹だけのやりかたがわかるようになる」
おれだけのやりかた?と、大きな目がこちらを仰ぐ。ぴんとした眉毛が持ち上がって、どうやら機嫌が直ったようだ。
「ああ。洛竹だけじゃない、みんなそれを見つけていくんだ。でもそれは、何度も何度も繰り返し練習しないと見つからない」
……わかった!練習する!」
「その意気だ」
うん、と洛竹は再び意気込んで飛び上がり、さっきの地面に手をつくと、ううんと念を込めていた。額に汗の粒が浮く。こちらも息をつめて見守っていると、しばらくして、ぽん、と何かが弾ける音がした。視線を上げると、洛竹が生やした細い蔓の向こう、风息の生やした樹の葉の間に、小さな黄色い花が咲いていた。それをみとめてまばたきを二度する間に、ぽん、ぽぽん、と花はさらに顔を覗かせた。
「花が、咲いた……?」
青々と繁った樹に咲いた小さな花は、あたかもずっと以前からそこに咲いていたような顔で揺れている。洛竹と花を交互に見ている风息をよそに、洛竹は立ち上がって花に顔を近づけた。
「おれが咲かせた花……
額の汗をぬぐうのも忘れて花に見入る洛竹の口に、みるみる笑みが広がっていく。それを見守る风息も、頬を緩ませずにはいられなかった。
「やったー!风息みたいなかっこいい樹じゃないけど、花が咲いた!『おれだけのやりかた』ができた!」
満面の笑みでぴょんぴょんと飛び跳ねている洛竹の横で、天虎もにこにこしながら鞠のように飛び跳ねている。
「やったな、洛竹」
风息は風になびく袖を広げて、洛竹をぎゅっと抱きしめた。


30.回顧/虚淮、モブ妖精、风息

この川の行き着く場所はどんなところだろう。なぜそう思ったのかは思い出せない。ただふっと、そんなことが浮かんだだけだ。
虚淮は生まれてこのかた、この地を離れたことがない。広大で豊かな森の、川でしぶきを上げ、木々の間を縫い、空に遊ぶ暮らしは性に合っていた。精霊はどこにでも浮かんでいた。だから取霊はいつでも、どこででもできた。虚淮は口数の少ない妖精だった。他者とつるむことを好まず、川の水が流れるように静かに暮らしていた。それでいて実力もあった。もめごとは好まなかったが、喧嘩を吹っ掛けられればあしらう程度に対応はした。それなりに修行はしたから、虚淮に敵う妖精は、今のところこの地には存在しなかった。しかし自身の腕前をひけらかしたいという願望はなく、虚淮はただ淡々と、のびのびと、思うままに暮らしていた。だからつまり、この場所に不満があったわけではない。ただある時ふと思いついたのだ。この森の果てはどうなっているのだろうと。思いついたら実行しない理由はない。この場所を空けることに不都合はなかった。虚淮に対抗意識を燃やす妖精が縄張りを奪おうとする可能性は、まあなくもなかったが、そんなことは取るに足らないことだ。奪われたものは奪い返せばよい。
――それは虚淮が龍游の森でもっとも強い力を持つ妖精だった頃、まだ百歳やそこらの若造だった頃のことだ。

翌朝、虚淮は靄のかかる森を抜けて上空へ出た。青々とした森が眼下に広がり、慣れ親しんだ川が地上を走っているのが見える。樹々の間から見える水面に沿って、森の上を滑るように飛ぶ。夜明け前のしんと薄青い空気の中を、時折身体をうねらせながら飛ぶのは実に気持ちが良い。気まぐれに一回転すると、天地がぐるりとひっくり返る。谷があればくだり、滝があればのぼる。鱗の一枚いちまいが、つめたく気持ちの良い大気を満喫していた。そうしてどこまでも続くように思われた森はいつしか途切れ、まもなくなだらかな草原と険しい山々が交互に現れだした。
ずいぶん遠くまで来た。太陽は真上から自身と地上とを照らしている。振り返ると、爪の先ほどに遠く小さくなった龍游の濃い緑が見えた。虚淮は一度中空で立ち止まった。はるか下には草地があり、ところどころに点在している樹が見える。広い河が滔々と流れたこの地もまた、霊力に満ちた土地のようだった。しかし、故郷から遠く離れた地である。自分の身体にしっくり馴染んだ霊力というわけにはいかないだろう。現在の龍の姿は、飛行速度は抜群だったが、姿を維持することも高速で飛ぶことも霊力を激しく消耗する。見知らぬ土地を行くならば慎重であるべきだ。そう結論付けると、虚淮は浮遊したまま二足歩行の簡易な姿に変化した。
明け方から夕方まで飛び、夜には手近な森に降りて霊力を補充する。何日飛んだか数えてはいなかったが、気づけば視界に入る植物の姿かたちも見たことのないものに変わっていた。空気の手触りもずいぶん違う。果ては、まだ見つからない。
そうして数日。昨日と同様地上を眺めながら飛んでいた虚淮の目に、見慣れないものが映った。そこは草地で樹はまばらにしか生えていない。その平野に、四角い箱のようなものがいくつも見えた。どれも同じ形で、くっきりとした輪郭の、動物でも植物でもない何か。障害物がないのをこれ幸いと、虚淮は高度を下げた。よく見ると、四角い箱より樹木のほうが目を引いた。樹は、生えていないのではなく切り倒されたのだとわかった。樹が根本近くから折れたような跡があり、しかし折れた先の幹や枝葉はどこにもない。虚淮は違和感に首を捻った。大風や雷であれば、倒れた幹は根のすぐ側にあるはずだ。しかしそれらはまったく見当たらない。さらに近づくと、折れた跡も不自然だった。一定の範囲だけがすべて切り株で、しかしそのすぐ隣の樹々は何事もなかったように幹や枝を伸ばしているのだ。自然の力でなぎ倒されたのであれば、周囲の樹もなにかしらダメージを受けているのが普通だ。切り株と普通の樹が隣り合っていて、その形状がこんなにはっきり分かれているなんて。折れ方も、自然が引き裂いたような跡ではなく、真横から力を加えられたかのような折れ方だった。不思議に思いながら飛んでいると、いつの間にか目の前に山がそびえていた。間もなく日も暮れる。虚淮は高度を上げると、そびえる山の頂上付近に降り立った。
今日の寝床をそこにしたのは、滝があったからだ。山の頂上から落ちてくる澄んだ水のしぶきが、絶え間なく弾んでいる。飛沫に混ざって精霊がほよんほよんと踊っていた。虚淮は地上に降り立った。水の傍は気を集めやすい。滝の傍らで霊力補給の瞑想をするべく脚を組む。陽は西に傾き、山全体が黄金色に染まっている。萌え出たばかりの若葉が、午後の光を浴びてつややかな表面を反射させていた。両手を膝に落として背筋を伸ばす。周囲を見回し、息を吐きながら目を閉じたその時、正面からしわがれた声が虚淮の耳に飛び込んだ。
「よう。おぬしどこから来た。見慣れない顔だの」
驚いた。さっきまでなんの気配もなかったのだ。虚淮が視線を彷徨わすと、滝の反対側にひとりの妖精が、にんまりと笑みをたたえて座していた。狸くらいの大きさで、苔むした石のような体の上に同じ質感の頭が載っている。蛙のような大きな口で、目を三日月型ににやけさせ、周囲には濃厚な山の気が充満していた。相当な高齢なのだろう。ほとんど山と同化しているような佇まいは、仙といってもよさそうだ。とはいえ虚淮は、そういった妖精には礼を尽くさねばなどという思考回路は持ち合わせていなかった。
「誰だ」
虚淮は誰に対してもするように、いつも通りの平坦な調子で相手に尋ねた。
「わしはこの山の古い妖精だ」
古の妖精は、三日月の目を一層細めて答えた。

夜。繊細なしぶきがきらきらと舞う。落ちた水の向かう先は広い川になっており、丸々と太った金色の月がその姿を水面に映している。岩山に囲まれた月明かりの滝は、虚淮の故郷にはない種類の美しさがあった。取霊を終えた虚淮は、客人が嬉しいのだと微笑む山の妖精と向かい合い、ぽつりぽつりと言葉を交わしていた。ここへは動物も妖精もめったに来ないらしい。なに、ひと晩くらい年寄りの話に付き合ったとておぬしの何かが減る訳でもあるまい。
虚淮は、そういえば、と昼間見た謎の物体について妖精に尋ねた。
「あんな風景は初めて見た。あの四角いものは一体なんだ。周りの樹も不自然に折れていて不気味だ」
虚淮の知る風景は、森、山、川に滝、谷に丘に草原、そこに住む動物、妖精、精霊だった。皆自然の力でできたものだ。自然でないものは見たことはなかったが、だからこそ自然でないことは解る。
「ああ、あれは人間の巣だ」
古の妖精が杯を傾けながら、ゆっくりと言った。
「巣?人間というのは動物の名前か」
「知らぬのか。それはそれは、めでたいやつよの。人間てのは、まあ、動物の一種だ」
「初めて聞いたが、」と虚淮は少々むっとして答えた。もっとも虚淮は声に感情が載らないタイプだったから、相手に伝わってはいないだろうが。
「動物なら巣くらい作るだろ」
山の妖精はかすれた声で笑い、吐く息に混ぜたようなその笑い声が闇に響いた。
「そうだの。だがあやつらは他の動物とは違うぞ。人間という動物は、樹を切り倒して巣を作る」
樹を利用して巣を作る動物がいるのは虚淮も知っている。鳥や獣の一部は枝や葉や倒木を使って住まいを作る。だが、
「あれが巣なのか」
あの四角い箱が。そんな動物は見たことがない。
「そうだ。人間は火を操り、刃を使い、他にもまあいろんなものを使って……、ああ。刃ってのは、ええと、鋭い石のもっと鋭いようなやつだ」
なるほど、あの根元だけ残った樹々は、この妖精のいう刃というものを使って切り取られたものなのだ。合点がいった。
「それに、まぁあやつらは数が多い。すごい速さで増える。どんどん増える。わしも昔は、おぬしが見てきたあたりに住んでおったが、いかんせん人間が増えすぎた」
「住まいを追われたのか」
鋭い視線を向けると、妖精は意に介さずにこにこと続けた。
「まあ良いのだ。あやつらとて動物だ。それにとても弱い。病だの怪我だのですぐに死ぬ。険しい岩山で暮らすのは難しいだろう。住みよい場所を譲ってやったのだ。なに、わしはこの山だったらどこででも生きられるからな」
山の妖精は虚淮に杯を勧め、虚淮も形だけ受け取った。正直、この小さな窪みに満たされた液体――酒というらしい――は初めて見るもので、一体なんなのかわからなかった。真似して口をつけたが自身の性質上何も感じない。それはただの水として虚淮の喉を滑り降りた。あたりはしんとして、滝の落ちる音の他には虫の羽音が数える程度だ。虚淮の知る、所狭しと植物の生い茂った森と比べると、随分と音が少ない。動物も植物も、この岩山ではなかなか居つかないのだろう。
「まあわしから見れば、熊も狐も人間も同じ動物だがな」
妖精は上機嫌に笑った。
「そうだ。人間を知らんおぬしに教えてやろう。人間の童というのは面白いぞ。童というのは、生まれて数年の子どもらのことじゃ。やつらはわしら妖精を見ても逃げないどころか一緒に遊ぼうなどとぬかしよる。わしは見ての通り動物とは思えん見た目だがの、人間の童は、にっこりしてやればもう仲間じゃ。あやつらの遊び仲間には、人間も獣も妖精も関係ないんじゃろう。懐かしいな、昔はずいぶん子守りもしてやったわい」
「面白いのか」
少し興味が出てきて上体を傾けた虚淮に、ああでも、と妖精は急に表情を翳らせて続けた。
「人間と言っても大人はだめじゃ。あいつらは、自分たちの知ってるもの以外は認めようとしない」
山の妖精は眉をひそめ、悲しいことにな、と言って頭を振った。
「わしも興味本位で、山の上に引っ込んだ後も時々里に降りて様子をみとったんじゃ。そうしたらいつだったか、何人もの人間の大人に棒を持って追いかけ回されたことがあってな。それから、里へは不用意に近づかないようにしとるんじゃ」
皆昔は童じゃったというのに、残念じゃの。妖精はしゅんとして言った。
「おぬしの里に人間はいないのか。そうか。だがあいつらの繁殖力は馬鹿にできん。おぬしの里にもそのうち行くだろうよ」
妖精は虚淮の視線を捉えて言った。
「うまく立ち回らねばいかんぞ。特におぬしには立派な角がある。人間たちは自分たちと違うもの、しかも自分たちより強そうなものには容赦しない。自分らとは別物だと知れたが最後、あやつらは熊よりも獅子よりも狂暴になる」

翌朝、虚淮は山の妖精に別れを告げ、故郷に帰ることにした。いつまで経っても現れない「果て」から、昨夜妖精に聞いた「人間」に興味が移ってしまったからだ。かといって、人間を観察するためにここに留まるには居心地が悪かった。どうせそのうち来るのなら、それを観察するのでも問題ないだろう。来た時間と同じだけの時間をかけて、虚淮は故郷に帰った。
何十年の月日が過ぎた。
あの妖精の予言通り、虚淮の故郷にも人間がやってきた。虚淮は注意深い妖精だった。人間の様子を遠くから観察し、人間の生活圏が近づいてきたらそっと住処を変えた。あの妖精の言う「童」も見たが、妖精の話を聞いていた虚淮は近づくことはしなかった。観察の結果、童は必ず夜になると「大人」の所に帰っていく。「大人」に繋がるものには注意をしなければいけない。虚淮は池に映った自身の角をみて、それから昼間見た人間の造作を思い返す。彼らに角はなく、彼らにとって角のある生き物は狩りの対象だったからだ。人間にとって獣は自分たちに害を成す宿敵、なおかつ追い回し攻撃して命を奪った後、食物として食べる相手だった。とはいえ人間の数は少なかったから、そんなことは取るに足りないことだった。広大な森の中の一角を間借りしているような人間に場所を譲ったとて、森のほとんどは動物と妖精と精霊の住処だったからだ。
さらに何十年かの月日が過ぎた。
虚淮は小さな獣の妖精と出会い、共に暮らすようになった。しかし、ひとりでの生活がふたりでの生活に変わった後も虚淮の習慣は変わらなかった。人間が近づいてきたら場所を譲ってやり、今まで通り人間の近づかない場所でのびのびと暮らしつつ、時々見つからないように里に降りては人間を観察した。人間とは出会わないように暮らしていたのに、獣の妖精――风息という――はどこからか人間のことを嗅ぎつけてきて、会ってみたいと虚淮をせっついた。変化術の未熟な风息を止めるのは、なかなか骨が折れた。なにしろ鉄砲玉のような元気のある妖精だったから。虚淮は、あの時の妖精の受け売りで风息を説得した。人間は自分と違う者を許容しない、特に獣のかたちをしたものは攻撃されて傷つけられる。风息は、元気があるだけでなくとても賢い妖精だった。风息は大きな目をくるくる動かし、いいことを考えた、という口ぶりでこう言った。じゃあ、人間と同じ形に変化できるようになったら行ってもいいよね、と。
さらに月日が過ぎた。
変化術が上達した风息は、改めて虚淮に、人間の里に連れて行ってほしいと言った。人間だと思ってもらえれば害を成されることはないだろう、と虚淮は考えた。
「どんな時でも絶対に変化を解かないと約束できるか」
「できる!」
鼻から息を吐きながら风息が意気込んだ。
「会うのは童だけだ。守れるか」
「もちろん!……でもさ、ねぇ虚淮、なんで童だけなの?」
甘えるようにふにゃりと姿勢を崩した风息が問う。
「大人は自分たちと違う形のものを受け入れない。特にお前は獣だ」
「獣だからって、おれは別に何もしないよ」
风息が不機嫌に頬を膨らませた。
「お前のその爪や牙は、たとえお前にそんな気がなくても、人間に恐れられるものだ。やつらはお前に命を取られると考える。そして人間はそういう相手に容赦をしない」
「なんで?その大人だって昔は子どもだったんでしょ?昔はいいけど今はだめなの?」
……昔と違って、守りたいものが増えたんだろう」
风息はよくわからないという顔をした。虚淮も以前は同じ顔をしていただろうと思う。だが今は人間の大人の考えもよくわかる。自分の大切なものに害を成すかもしれないもの、それを避けるためならあらゆる手を尽くそうとする思いは、守りたいものができないとわからないものだ。
結局のところ、虚淮は风息の里行きを許可した。絶対に変化を解かないこと。大人には会わないこと。日没までには帰ること。风息はすっかり人間のようになった手の指をひとつずつ折りながら約束を確認すると、喜び勇んで飛び出して行った。
また、月日が過ぎた。
虚淮と风息には、洛竹と天虎という妖精の仲間ができた。风息は弟分たちを可愛がる傍ら人間とも交流を深めているようだったが、虚淮の言いつけ通り、日没までには帰ってきていた。弟たちを交互に里に連れていくこともあった。人間に見つからないために、二人同時には連れて行かなかった。洛竹は目を離すと飛び出してしまいがちだったし、天虎は人間のかたちへの変化ができなかったからだ。どちらも同時に無事に連れて行き帰ってくることはひとりでは難しい。守りたいものが増えたって、わかった気がするよ。风息は以前よりずいぶん大人びた顔をしてそう言った。
いつしか风息は、人間に「神」などと呼ばれるようになっていた。時々虚淮に内緒で人間の営みに手を貸してやったりしているらしい。人間と交流はするが、その日のうちに人間の前から居なくなるようにしていたことも、人間を超越した何かだと思われる要因だったのかもしれない。それについて満足そうな风息に、虚淮は複雑な気持ちを抱いた。もともと、他者に何かしてあげて喜ばれるのが好きな妖精だ。人間にも同様なのだろう。今はまだいい。だがこのまま人間の数が増えた時、人間に害を成すものとみなされないだろうか。胸の片隅の嫌な感じを、虚淮はそのまま胸の奥底へ押し込めた。
また月日が過ぎた。
人間は増えに増え、虚淮たちはいつものように移動を繰り返したが、いつしか森のなかに虚淮たちの居場所は減っていった。以前は里にいくたび「人間って面白いんだ。いろんなものを作り出すんだよ!」と喜んでいた风息も、人間の作り出すものをただ黙ってじっと見つめるようになっていった。
更に月日が過ぎた。虚淮たちは故郷を離れた。

ビルの屋上は風が強い。今居るビルは最近できた。龍游市と隣り合ったエリアで、背の高い総合ビルが立ち並んだ一角だ。人間はこの風景をコンクリートジャングルなどと言うらしい。ジャングルだと。こんな一片の緑もないところで、可笑しなものだ。虚淮は長い髪が強風にあおられるのも構わず、遠くに見えるひとかたまりの大木を見つめていた。风息公園というらしい。神と祀られたり公園になったり忙しいやつだ。
大木の向こう、はるか彼方へ視線を向ける。足下からさざ波のように広がるネオンの海は、どこまでも続いているように見える。あの妖精はどうしているだろうか。人間の描く水墨画のような、静謐な岩山で出会った老齢の妖精。何百年も前に出会って以来、あの妖精には一度も会っていない。虚淮に人間のことを教えた古の山の妖精。仙のようだったから、未だどこかで生きているかもしれない。
今会ったら、あの妖精はこの事態を何と評するだろう。人間は、妖精は、これからどうなっていくのだろうか。聞いてみたいような気もするな、と虚淮は思った。


31. 芒種に寄せて/モブ妖精、虚淮
 
 氷雲城の一角にここ数年収監されている妖精が、あるものを所望した。
 普段何も言わず姿勢を崩さず何の要求もしないその妖精が、初めて自分の希望を言ったのだ。たったそれだけのことで、氷雲城の妖精の間にはざわめきが広がった。これにはなにか裏があると勘ぐる妖精もいる一方、意志のあるひとりの妖精らしい望みに胸をなで下ろす好意的な妖精もいた。慌てふためいて妖精館龍游支部へ電信を送る者もいた。連絡を受けた龍游支部の妖精は、すぐに希望を叶えるべく、街の花屋に電話をすると言ったらしい。そして翌朝、まだ太陽が昇るまで一時間はかかると思われる早朝にそれは届けられた。
 誰がそれを手渡すかで譲り合いが発生し、いつも世話をしているからという理由で自分が押し付けられ――もとい、選ばれた。空気のようにおとなしい妖精とはいえ、その強大さは誰もが知っている。術が使えないようにされているとはいえ、普段と違うことをするのは緊張するのであろう。
 そんなわけで、今自分は花の活けられた水盤を両手に廊下を歩いているのだった。
「虚淮さん、ご所望のものをお持ちしました」
 まだ暗い廊下から扉越しに呼びかける。水盤を床に置き、そろそろと扉を引くと、虚淮はいつものように座を組んで閉眼していた。自分の声に振り向いた瞬間、氷のような鋭い目が花をみとめて見開いた。それから、いつもの固い空気がほんの僅かに緩んだ気がした。通常は虚淮の放つ無言の空気に圧され、用件を済ませたらすぐに退室するのだったが、その綻びに勇気を得、昨日から抱いていた疑問がつい口から出てしまった。
「いつもは希望を聞かれても勝手にしろの一点張りなのに、今日はどうしたんですか」
 龍游の街の花屋は、虚淮と親しい間柄だと聞いている。花屋の妖精からは頻繁に花木が届き、また本人にどんな花がいいか聞いてほしいと言伝を預かっていた。自分はそれを伝えはしたが、虚淮の返事はいつも素っ気ないものだった。
 虚淮は向き直り、水盤を挟んで、膝をついている自分と相対した。それからだいぶ長い沈黙のあとにぽつりと言った。
「もうすぐ雨が降る季節だろう」
 そう思ったら少し懐かしくなったっだけだ、と。
 懐かしい、という情緒を含んだ言葉が意外だった。調書で見た内容を思い浮かべる。龍遊事件の首謀者であり、主犯の風息とはとても親しい間柄であったと。冷酷非道な手段で執行人を攻撃し、捕縛後も危険人物として厳重注意を受けていたと。
「懐かしいとは?」
 完全な興味本位だったが、部屋の空気はかつてないほどに柔らかく、気が大きくなっていた。下っ端所員の出過ぎた質問を気にするふうもなく、虚淮はそのまま続けた。
「遠い昔、長い生の中でほんの一時だけ、人間の真似事をしたことがあった」
 虚淮はぽつりぽつりと話し出した。薄闇の中、まだ眠たげな花をじっと見つめながら。
「人間の真似をしようと思ったわけではないが、結果的にあれは人間の真似事だったのだろう。着いてくるのを待ってやり、求められれば手を繋いでやり、水に落ちれば引き上げてやった」
 窓の外がゆるゆると白みはじめ、それを受けて花がやわらかに色づいていく。手のひらを合わせて開いたような、ふうわりとした桃色の、天上に咲くと言われる花。
「妖精はひとりで生まれてひとりで死ぬ。それが当たり前で、それが俗にいう幸せというものだと思っていた。あれと出会わなければ、人間の真似事をすることも、当たり前が当たり前ではなくなることも、こんな思いをすることもなかったのではと、思う」
 今度は自分が目を見開く番だった。ここ数年で聞いた虚淮の発言を全部足しても、こんなに多くはならないだろう。
「館の妖精に言われたことがある。あれに言いたいことはないのか。恨み言はないのか、と。馬鹿馬鹿しい。今更言いたいことなどあるものか。ただ、」
 あれとは、と問うたが、虚淮は答えず続けた。
「私から妖精としての当たり前を奪ったのはお前だ、と一言詰ってやりたい気もしたが、……でもこれは、恨み言ではないのかもしれん」
 虚淮は話を切り、立ち上がって水盤を窓際へ運んだ。静かに落ちる瀧のような髪がさらさらと揺れる。凛とした背中はずいぶんと小柄だった。
 喋りすぎた。忘れてくれ。
 そう言ったきり、虚淮はもう振り返らなかった。
 
 
32. 蓮花/洛竹、紫羅蘭 ※三一の対
 
 その日、いつものように店番をしていた洛竹は一本の電話を取った。
 よく晴れた昼下がりで、太陽の光が新緑越しに柔らかく落ち、時折吹く風が心地よい日だった。突然鳴りだす店舗用プッシュフォンの機械的な音にもずいぶん慣れた。この店には配達の注文がよく入る。メモとペンを取り上げながら受話器を上げると、電話の主は妖精館龍游支部の者だと名乗り、虚淮さんからの依頼です、と言った。
 虚淮からの依頼。洛竹は頭の中で復唱しながら固まってしまった。捕縛されて以来会っていない兄。何度面会を申し出ても拒絶され、花木を送れば受け取ってこそすれ、伝言してもリクエストを聞いても反応のなかった兄が、依頼をしてきたのだと。
 もしもし、洛竹さん? 聞こえてます? と声量を上げる電話の相手に気付いた紫羅蘭が、横から電話を代わってくれた。はい、はい、わかりました。そうですね、そうしたら明日。ええ、できる限り早い時間がいいですね! ……はい、ではいつもの転移門に。はい、ありがとうございまーす!
 そうして電話を切った紫羅蘭は向き直って笑顔で言った。
「明日は張り切って早起きですよ!」
 
 紫羅蘭に指定された時間は早朝も早朝、元々宵っ張りの洛竹から言わせればまだ深夜の時間帯だった。普段店で使う防水エプロンに軍手、バケツ、はさみ、ビニール袋、銀色の謎の物体、店になぜかあった藍色の水盤と生け花道具。それらを全部入れたリュックサックに、動きやすいジーンズとロングTシャツ。外に出たら思ったより寒かったので、ナイロンのジャケットも追加した。待ち合わせ場所に着くと、紫羅蘭はすでに着いて待っていた。郊外にある小さな森林保護地区、その奥に踏み込むと小さな池が現れる。そこには大きな葉を広げた蓮が一面に繁っていた。高く低くぽつぽつと、桃色のつぼみが天を突いている。それは薄青い空気の中、もやをまとってしんとして、思わず息をひそめてしまう光景だった。
 紫羅蘭はてきぱきと道具を揃え、バケツに水を満たすと、水中に手を突っ込んで、つぼみのついた茎を一本切り取った。切り口に指をあて、水中で茎に蓋をしながらそろそろとバケツに入れる。洛竹も紫羅蘭に促されるまま、同じようにやってみた。蓮の池に両手を浸した時、視界に映った光景に、思い出した感覚があった。あ、と思うと同時に目の奥がつんとした。
 バケツを持って岸を離れると、平らな地面を選んで水盤を置き水を入れて、紫羅蘭が花を活けた。銀色の謎の物体はポンプだという。蓮は水を吸い上げるのが苦手なので、ポンプで茎に水を満たしてあげるのだそうだ。慣れた手つきで活ける紫羅蘭の横で、使い終えた道具を拭く。手を動かすことは良い、と洛竹は思った。目の前のことに没頭できる。あの日々を失ってから今まで、洛竹はそうやって生きてきた。
「どうして蓮の花だったのかしらね」
 目と手は花に注ぎながら、紫羅蘭が言った。どうして急に見たくなったのかしら。
 どうして蓮なのだろう。どうして見たくなったのだろう。紫羅蘭の手元を見ながら反芻する。それは頭の中で、さっきの感覚と重なった。引っかかった微かな記憶の糸を手繰る。太陽。湿度を含んだぬるい空気。時折吹くきらきらした風。大きな桃色の凛々しい花。敷き詰められた巨大な葉。隙間から覗く水面に映った青空。それから覗き込む自分の顔。ちょっと遠くに揺れる蓮の実。伸ばした手。崩したバランス。水しぶき。
「昔、蓮の実を採りたくて、池に落ちたことがあって」
 洛竹は記憶をなぞりながら呟いた。口に出したら鼻の奥までつんとしてきた。
「落ちた俺を風息が引き上げてくれて」
 落ちたことにびっくりして、吞んでしまった泥が不快で、びしょびしょになったのが悔しくて、わんわん泣いて。
「そしたら風息が、昔自分も同じことをしたんだって。その時は、虚淮が引き上げてくれたんだって、言って」
 目の奥が熱くなって、洛竹はどうしようもなく言葉を切った。
 風息が笑ってて、虚淮が隣で頷いてて、俺は、風息とおんなじだっていうのが嬉しくて、涙が止まった。空の青と葉の緑と花の桃色が溶けあって、風息が、虚淮が、天虎がいて、精霊がきらきらしていて、それが世界のすべてだった。
「虚淮、あの頃のこと、想い出したのかな」
 いつの間にか涙と鼻水を垂らしていた俺の横で、紫羅蘭はじっと黙って聞いていてくれた。いつの間にか活け終わっていた蓮の花は、あの時の風景を切り取ったようにそこに在った。数時間後にこれを目にするはずの虚淮のことを想った。
 蓮の花よ、伝えてほしい。
 あの日々はもう戻らないけれど、俺はここにいる、世界はまだ、ここにあるよと。


33.わかれる/虚淮、风息 「あずける」と同軸

 その夜、その時間に起きていたのはたまたまだ。ふと夜半に目が覚めて、眠れないので外に出た。鳴いているのは虫と蛙ばかりで、しかし耳を澄ませば遠くに波の音が聴こえる。外気はいつものように湿り気を帯び、風が吹くとひやりと涼しかった。微かに混ざるのは雨の匂いか。虚淮は二百年前に身に着けた嗅覚でもってそう判じた。この風が連れてくる重たい雲によって、明日は雨になるのだろう。水辺に座り、そんなことをぼんやりと考えていたら、背後から声をかけられた。
「久しぶりに一献どうだ?」
 低くささやく声の主は風息だった。その声は落ち着いていたが、いたずらっぽさが奥底にひそむようでもあった。振り向くと風息がふわりと笑う。見慣れた風息の顔はほんの少し困ったようでもあり、虚淮を見ていながら遠くを見ているようでもあり、月明かりに照らされてなんとも不思議な表情に見えた。視線を下げると、服装も普段のものではなかった。薄い藤色の単衣に紺の帯。いつもの注意深い風息からは考えられないような――まるで寝巻きのような――簡素ないで立ちだ。こう言ってはなんだが、こんな隙だらけな格好の風息を見るのは実に久しぶりだった。それに、こんな夜更けに一献とは。
「久しぶりだな。なんの真似だ」
「いいから。今夜は付き合ってくれ」
 先に立つ風息を追って歩くと、着いたところはかつて人間が暮らしていたであろう石造りの広場だった。もちろん見知った場所だ。緑の豊かなこの島の中で、そこだけが人工物で埋められた場所だった。森の中を好む風息の指定する場所としてはだいぶ違和感がある。生い茂る枝葉の天井の代わりに、なにものにも遮られない白銀の月が静かにふたりを見下ろしている。
 広場の真ん中で、風息が示したものを見て虚淮は目を瞠った。葉の皿ではなく黒塗りの脚付き膳に、木の実を利用した器ではない小さな小さな陶器の盃。それはかつてこの島に来たばかりの頃、人間の住処跡で発見したものだった。その時の風息はそれらを無言で一瞥したきりだった。人間の遺物になど、なんの興味もないそぶりだったが。
 目の前の膳には、虚淮の片手ほどの大きさの燻した魚や、熟れた大小の木の実がこんもりと盛られている。
「どういうことだ、これは」
 意図がわからず、思わず固い声が出てしまった。不審が滲んでいたと思う。こんな風に人間の模倣をするなんて、普段の風息からは考えられない。しかもこんなに手の込んだ形で。虚淮の問いに風息はすぐに答えず、盃に酒を注ぎながら薄く笑み、それから、お別れだ、と呟いた。
「人間の世界では、葬式というらしい」
 人間の文化に詳しい風息が言い、人間の文化には疎い――否、興味が薄い虚淮が「そうしき?」と尋ねた。
「死んだものと別れる儀式なんだと。気持ちにけりをつけるためだと言っていた」
 誰が、と風息は言わない。虚淮は昔むかしに風息が言っていたことを思い出した。寿命の短い人間はたびたび同胞の死に直面する。大切な相手を失い悲しみ嘆き、しかし生きていかねばならない。その悲しみに区切りをつけて前に進むため、生きている者同士で故人を悼みながら、肴をつつき酒を飲み交わすのだと。親しくしていた人間からの情報なのだろう。
「だからさ、付き合ってくれよ、虚淮」
 風息は仕草で虚淮に杯を持つよう勧めると、虚淮の盃に酒を注いだ。小さく揺れる水面に歪んだ月が映りこむ。失った悲しみに区切りをつける、気持ちにけりをつけるための儀式。風息、お前は何の葬式をしようというのか。死んだのは誰なのだ。何を失い何にけりをつけるのか。胸の中の虚淮の問いに風息が気づくはずもなく、その大きな手が魚をつまむ。虚淮も食えよ、と促す横顔に、幼い風息の面影が重なった。人間に出会ったばかりの頃の、人間と交流していた頃の、人間と親しく、今となっては泡沫の夢のような『共存』を愉しんでいた頃の。それから、度重なる裏切りに傷ついた目、嘆き悲しみ怒りを燃やした口元。しかし今目の前にある風息の顔はそのどれとも違っていた。凪いだ夜の海のように、冬の朝の氷柱のように、しんと静かにそこに在った。
 それから風息は、人間の真似事をするのはこれが最後だ、と言った。
「洛竹はいいのか」
 しばしの沈黙をやぶったのは虚淮だった。洛竹も、そして天虎も呼ばなくてもいいのかと問う。あえて虚淮だけを誘ったのだろうということは察しがついていた。ただ意図がわからなかった。何がしたいのか。何をしてほしいのか。ところが、風息の返事は虚淮の質問の答えとしてはどうにもどこかずれていた。
「洛竹には、あずけてきた」
「何を」
「俺のいいところ全部」
 風息は寂しそうに微笑んだ。虚淮は少々憤慨して、どういうことだ、と言った。そう、この瞬時に湧き上がった感情は憤慨だ。しかし虚淮の質問には答えず風息が言った。
「これで心置きなく計画を実行できる」
 計画とは、領界の能力を持つ妖精を探すことだ。仲間に引き入れ、我々の意向通りに領界を展開させ、そこを妖精の安全な住まいとする。行き場のない妖精を住まわせ、人間とは断絶した世界を作る。
 そこまでは、洛竹にも天虎にも知らせてあった。ただしそれには、問題なくことが運んだらという条件があった。もし想定から外れるようなことがあれば、その妖精の命と引き換えてでも、風息の隠された能力を発動する。それは虚淮と風息だけが共有する内容だった。
「洛竹には、本当に何も言わないのか」
 天虎はともかく、洛竹は風息とずっと行動を共にしてきた。計画を話さない方がいいのかどうかについては、虚淮個人としても悩むところではあったのだ。有事の際、話していなかったことが逆に計画の妨げになるのではという懸念だ。計画の遂行という面での障害になり得るのはどちらなのか。
「十分だ。これ以上話すのはかわいそう……いや、俺がつらい」
 風息の見解は自分とは違うようだ。
「つらい?」
 聞き返しながら、虚淮は今日初めて風息の気持ちを聞いたな、と思った。洛竹は風息が育てたようなものだ。隠し事をされていたことがわかったら。もしくは非道なことをする兄を見たら。その状況での、洛竹の情緒面を心配しているのだ。それはおそらく、自分が風息のそれを心配するのと同じようなのだった。
 風息が眉を下げ、寝転がって言った。
「洛竹に知られて、酷いやつだと思われるのが、軽蔑の目で見られるのがつらいんだ。……なんて、何を今更保身してるんだろうな」
 最低だ。そう自嘲する風息を、虚淮はじっと見つめた後、視線を空に転じた。迫る星空と白い月とが見下ろす空だった。ずっとずっと変わらない。
「風息、」
 虚淮は風息を真っ直ぐに見つめた。風息が顔を向ける。
「来い」
 虚淮は座を組んだまま、両手を前に差し出した。昔よくこうしてやった。虚淮が図らずも人間の真似事をしていた時代、小さな黒豹の妖精とふたりで日々を過ごしていた頃のことだ。風息は一瞬躊躇うような表情を見せたが、結局獣の姿に戻ってごろりと起き上がると、虚淮の両手にそっと顎を乗せた。
「お前がどう在っても、どうなっても、俺はお前を赦す」
 昔のように額を撫で、それから顎首にかけて撫でてやる。目を閉じた風息の豊かな毛並みは、まるで夜のようだった。
「だから、お前の思うように、生きろ」
……ありがとう、虚淮」
 人間のかたちに戻った風息が照れたように笑って言った。胡座をかいたまま肩をすくめる。
「かなわないな、虚淮には」
「かなうと思ったか」
「はい」
 自分の背よりだいぶ高くなった風息の頭を、虚淮は再びわしわしと撫でた。もうあの頃のように、気持ちいいからと喉を鳴らしたり、ごろんごろんとくっついてきたりはしないけれど。
 お前がどんな選択をしても、お前の全部を受け入れるから。
 心の中で呟いた言葉は、夜の風に溶けて消えた。


34.七夕に寄せて/離島組 ※謎時空過去捏造

風息が里で「七夕」という風習を仕入れてきたのは、洛竹が風息の腰ほどの背丈で、天虎はその洛竹が抱え上げられるくらいの大きさだった頃だ。短冊に願いを書いて飾ると、その願いが叶うのだという。
「おれはね、おれはね!風息みたいにでっかい木が出せますように!」
「おにく!!」
下の弟たちが口々に願い事を言い、風息が筆で紙に書き付けた。夕暮れ時の草のにおいに墨の匂いがほんのり混ざる。風息の短冊にはすでに文字が書かれていた。みんながしあわせでありますように。
風息が筆を持ち上げて振り向いたのは、虚淮は短冊を摘んでまじまじと見ている時だった。
「虚淮も何か書くか?」
虚淮の短冊は白紙である。
「もう書いた」
「なにも書いてないじゃないか。俺が書いてやろうか?」
風息がする提案を、虚淮はにべもなく断った。
「書いてある。見えないのか。お前の目は節穴か」
話を聞いていた下の二人も顔を寄せて覗き込むが、何も見えないと首を捻っている。
「これは大人の妖精にしか見えない字だ。お前たちが見えるようになるには、まだ百年はかかるな」
虚淮は得意げに言うと、さっさと自分の短冊を笹につけた。不思議そうな顔をした弟たちが後に続く。
天の川の流れる夜空の下。
四枚の短冊は風にはためき、笹の葉とともにさらさらと揺れた。


はたして、虚淮は本当に何も書いていなかった。
面倒くさかったからではない。変わることを望まなかったのだ。
願いとは、こうなってほしいと思うこと。
ここではないどこかへ、今ではないいつかへ、身を置きたいと思うことだ。

虚淮はそうではなかった。
そのまま、このまま、ここに居たい。
世は移り変わってゆく。変わらないものなどありはしない。
だから白紙の短冊は、世の理へのせめてもの抵抗であり、虚淮の願いそのものなのだった。
どうかこのまま、なにひとつ変わらずに。
叶うはずのない願いをのせた短冊は、
やがて風に吹かれ、笹の葉に紛れて見えなくなった。


35.あたたかい国/風息、モブ

夢を見た。
夢の中での俺は、虚淮の腰ぐらいの背丈だった。
よくそのひんやりした手を繋いでもらっていた頃だ。
しかし、その夢の中で俺は、誰か知らないひとと手を繋いでいた。そのひとは大人で、背が高く、恰幅がよかった。見上げても顔が遠すぎてよくわからなかった。
俺とその人はじりじりと太陽に照らされたあかるい地面を歩いていた。空はきっぱりとした水色で、時折吹く風が汗をかいた肌を乾かしていく。道には元気のいい草がたくさん生えていて、見たこともないカラフルな花がところどころに溢れていた。なんて華やかな世界なんだろう。俺は夢中になってそれらを眺め歩いた。あれはなに?と聞けば、その人は淀みなく答えをくれた。
どうだ、いいところだろう、とそのひとは言った。ここは一年じゅうこんなふうにあたたかいんだ。いつも太陽が照って、植物は生き生きしている。
そうだね、いいところだね、と俺は心から答えた。
わくわくして楽しい気持ちだったから。飛び跳ねたくなるような高揚感だった。
どうだ、ここで暮らさないか。
その人はそう続けた。俺はうん、と答えそうになって、慌てて飲み込んだ。
ここで暮らす、ということは、あそこでは暮らさないということだ。
ここで?
そうだ。
でも、ここは一年じゅうあったかいんでしょ?
そうだ。
立ち止まって下を向くと、足の間を蟻が一匹歩いているのが見えた。
じゃあ、おれはいいや。
一年じゅうあったかいんじゃ、虚淮が暮らせないよ。
虚淮が居られないところには、おれも居られない。
そっと繋いだ手を離すと、そのひとは残念そうに何か言ったけど、俺を捕まえたりはしなかった。早く帰って虚淮に会いたいと思ったが、一応礼儀として俺はそのひとに向き直って言った。
「じゃあ、おれはうちへ帰るね」

そう言ったところで、目が覚めた。

ここは俺のふるさとだ。
ずっと昔も、今も。これからも。


36. その手は、

その手はかつて伸ばされていた
 なんの疑いもなく繋いでもらえると、
 それを当たり前とした
その手はいつも掬い上げてくれた
 よちよちと登れば、
 大輪の笑顔が目の前に咲いた
その手はすぐに抱き上げてくれた
 その中ではどんな高い場所も、
 暗い場所も怖くなかった
その手は大きかった
その手は強かった
その手は森を護り、森に生きるものを護った
その手はたくましかった
その手は優しかった
その手は同胞の未来を憂えた
その手は悪い人間を倒し
その手は差し伸べられた
その手はむやみに触れたりせずに
その手は一度だけそっと頭を撫でた
その手は仲間たちを護り
その手は固く握られた
その手は悲壮な決意の果てに
その手は、


37. 無題/風息

風息がそこへ到着した時、切り倒された木々は積み上げられた後だった。
昨日までそこへ堂々と根を張っていた木は、同じ長さで切り揃えられ積まれていた。競うように葉を広げ陽光を享受していた枝々は、その横に無造作に積み上げられていた。
真っ白になった脳裏に、『後の祭り』『覆水盆に返らず』と、人間に教わった諺が浮かんで消えた。風息は、己の過信を悔いた。

風息は昨日もここへ来ていた。昨日はまだ森と言えたそこは、龍游の南側、人間の住むエリアに近くはあったが、樹々が生い茂り動物も精霊も共に住む豊かな森だった。仲良くしている小鳥の夫婦も住んでいて、彼らは抱卵中だった。
まだまだのどかな場所ではあったが、人間の開発はすぐそこまで迫っていた。風息はそれを知っていたので、彼らには産卵前から何度も移動を勧めていた。人間が近くにいては気も休まらないだろう。万一人間の手がここまで及んだら、夫婦にも生まれてくる子どもにも命の危険がある。しかし夫婦は、礼を言って断った。ここは生まれた頃からずっと住んでいる森なのだと。だからここがいいのだと。
最終的には風息の方が折れた。気持ちは痛いほどわかるからだ。それに、しばらく前から人間の開発領域は広がっておらず、それ以上広げてこないようにも思われた。何か事が起こっても、いざとなったら自分がその巣を抱えて、移り先を探してやれば良い。
その後、夫婦は無事に産卵し、抱卵後も順調に暮らしていた。近頃は、こつこつと殻を内側からつつくささやかな音が聞こえ、そろそろ孵化かと夫婦と微笑み合っていた。殻を破って産まれる雛は、さぞかし小さく可愛かろうと。
そして今日。いつものように森を巡って馴染みの動物たちと話していた風息は、断続的で地鳴りのような振動に顔を上げた。耳をそばだてると、それは自然の起こす大地の響きではなく、人為的な何かだった。風息が音のほうへ急行すると、すでに音は止んでおり、そこら一帯は丸裸になっていたのだ。
小鳥の夫婦の巣を含め、その森はすっかり伐採されていた。刈り取られた地の隅に、木の幹が整然と積まれていた。枝は隣に無造作に積まれ、その中に、泥と枝で拵えたあの巣の跡がちらりと見えた。小鳥の姿は見当たらない。
風息は、体中の血が沸き上がるのを感じた。
彼らは鳥だ。逃げたに違いない。そう思おうとする自分を、もう一人の自分が否定する。卵をいくつも抱えて逃げられるのか。ましてや、産まれたばかりの雛を連れてなど。
風息は彼らにここから離れろと言った。だが彼らは離れたくないと言った。ここはずっと住んでいた場所、他で暮らすなんて考えられないと。それはそのまま風息の気持ちでもあった。だから許容した。間違った判断だった。
このようなことは、今回が初めてではなかった。今までに幾人も妖精が消えていくのを見た。物言わぬ植物は問答無用で引き抜かれ、切り倒され、焼き払われ、彼らの住処は奪われた。精霊も、動物もだ。飛ぶものも、這うものも、駆けるものも。
このままでは。このままでは。
怒りで頭が煮えそうなのに、風息の目からはぽたぽたと涙がこぼれ落ちた。ひとつふたつと溢れるたび、昔に仲良くなった人間たちの顔が浮かんだ。一緒に遊んだ童たちの顔、会話をした青年の、壮年の、老年の、男や女。
人間は弱い。自然に翻弄されて生きている。時々気まぐれで困っているのを助けてやると、彼らは本当に嬉しそうな顔をした。それから、消えていった森や原や動物や妖精を思った。彼らは人間に生きる場所を奪われた。
あれは間違いだったのか。小鳥の夫婦に手を貸すように、人間と仲良くなり、助けてやり、笑い合ったことは、人間以外の生きものの首を絞める行為だったのか。人間の生活はどんどん豊かになっていった。その結果がこれかと思うと体が震えるようだった。
風息は赤くなった目を上げた。自分の行動が破滅の一助となっていたのなら、これは自分がなんとかしなければならないことだ。
風息は流れる涙をそのままに、地面にしゃがんで手をついた。自分がここにいる限り、これ以上、この地を人間に汚させない。
風息が気を放つと、龍遊の地が底の底から共鳴をした。地鳴りのような音とともに、眠っていた植物の種根が一斉に覚醒する。一拍置いて地中を這い地上をうねった巨大な植物は、轟音をとどろかせ、意志を持った手のように人間の建造物を薙ぎ倒し、捻り潰し、人間の作り出したものたちの息の根を止めた。
人間が悪でないことはわかっていた。ただ、ものには限度というものがある。
風息は遠くで慌てふためく人間たちを一瞥した。昔のように、地を、川を、空を、分かち合って生きられれば、それでよかったのに。
風息は目を伏せると、黙ったまま森の奥へと姿を消した。


38. 晩安、小黒/小黒

最近のぼくの毎日は、師匠と修行の日々から、小白や山新との学校生活に変わった。
勉強は難しいけど、新しいことを覚えるのはなかなか楽しい。大勢の人間の子供の中で、そのうちのひとりとして存在するのも新しい体験だった。
たまに妖精館に顔を出すと、いろんな妖精から学校は楽しいかと聞かれるけど、学校が楽しいかと言われるとぼくにはまだわからない。楽しいというより、なんだかそわそわむずむずする感じ。それからわくわくしたりドキドキしたり。そういうのを楽しいっていうのかもしれないけど。
師匠は、毎朝ぼくを学校へ送り出してくれる。火を使わない朝ごはんも用意してくれるしーーここは『とかい』なので、火を使わなくても大抵のことは『でんき』でなんとかなる。電気ポットとか、電子レンジとか、オーブントースターとかーー、帰ってきたら宿題を見てくれる。それからお風呂とか歯磨きとか人間が毎日することを一緒にして、夜になったら師匠とおやすみを言い合って、隣の布団で一緒に眠る。
師匠の「おやすみ」は、どっしりとして安心で、でもちょっぴり楽しそうに響く。師匠の声が、ぼくはとっても好きだ。
ぼくは師匠が大好きだけど、ひとつだけ師匠には言ってないことがある。

師匠が仕事で帰らない夜、というのが時々ある。今日もそうだ。ぼくは人間の子供じゃあないので、留守番なんて全然平気。そういう時、ぼくはよく自分の霊域で眠る。
狭い霊域には自分でこしらえたささやかな部屋があって、そこにはひっそりと干し草の寝床が置いてあるんだ。柔らかく乾いていい匂いがする寝床。ぼくはいつも、猫の姿に戻ってそこに飛び込む。小さな小さな霊域の、小さな寝床に丸まって、鼻から息をいっぱい吸い込む。それから目をぎゅっとつむって、頭の中であの日のことを思い起こす。隅から隅まで事細かに。
あの日は星のきれいな夜で、近く遠く虫の声がしていて、外は少し湿った草の匂いがしていた。時折強い風が吹くと、潮の香りがかすかに混ざった。案内された部屋の中はだいだいの灯りがふんわりして、濃い木の匂いがして、気持ちよく乾いていて、見上げると精霊がふわふわと漂っていた。
お腹も心も満たされて、明日も明後日もずっとずっとここで暮らせる安心感で胸がいっぱいだったあの日。もう人間の残り物を漁ったり、じめじめと臭い場所で寝たりしなくていいんだって。嘘みたいだけどほんとなんだよって何度も自分に言い聞かせて、そのたびにほこほこした気持ちになった。
そしてぼくは、背中に意識を向け、そっと背中に触れたあたたかい手を想像する。想像というより捏造だ。今もうここにはない手のひらだけど、この霊域の中なら、ぼくが願えばそれはふわりと現れる。目を少しでも開けたら、意識を一瞬でもそらしたら容易に消えてしまうから、目を閉じたまま慎重に思い描く。
そこまで準備が整うと、ようやくそれは降りてくる。ぼくの耳元に、冬のこもれびくらいのささやかさで。それは、生真面目で温かくて安心な声だった。

ーーおやすみ、小黒。

ほら、ね。
低くて優しいまあるい声。いつでも。
だからぼくは、目を閉じたまま返事をするんだ。
そうしてそのまま心地よい眠りに落ちる。あの日のように。

ーーおやすみ、風息。また明日。


39. 決意/虚淮、諦聴、子風息

ーーー
※注意書き※

■webアニメふんわり履修済、藍渓鎮未履修者が書いています。
■そのため諦聴や過去の妖精館の設定がほぼ捏造かつふんわりです。
■この話は以下設定で書いています。何度も言いますが全部捏造です。
 ・諦聴と虚淮は知り合い以上友達未満
 ・諦聴は妖精館当事者ではないが、妖精館の内容は知っている
 ・強奪がやばい能力だということも知っている
 ・古の妖精館は人間云々ではなく治安維持組織として在った
 ・妖精館は強奪の能力者に対して措置を講じている
 ・虚淮は風息の強奪の能力を知っている

上記大丈夫な方のみご覧頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。
ーーー


龍游の森に春がきた。
雪解け水は陽射しによって温められ、川はごうごうと気持ちよさげに流れている。あちらこちらで草木が芽吹き、緑が風に揺れている。木を生やせるようになった風息が張り切って、森のいたるところで芽吹きを手伝ってやっているので、この近辺では例年以上に植物が繁茂していた。ゆるんだ空気のなかに、時々山から涼やかな風が吹き下ろす。うらうらとした春の昼、生き物たちのそわそわした雰囲気を感じながら、虚淮はいつものように川辺で集霊していた。
半眼となり座を組んでいると、急に目の前が翳るのを感じて顔を上げる。視界にくすんだ紫色の炎の渦巻くのが映り、やがてその中から人影が現れた。長い髪に長い衣、一角獣のような角を生やした、背の高い、
「諦聴か」
静かに言うと、影の主も表情を変えずに「ああ」と言った。

諦聴は旧知の妖精だった。特に親しい訳ではないが、会えば訥々と会話をし、特に予定のない「またな」を告げ合う程度の間柄だ。互いに表情筋を動かす習慣がなく、最低限の言葉しか発さず、その上抑揚のないしゃべり方をするので傍目には仲が悪いと思われそうだが、不思議に相性が悪いとは感じなかった。少なくとも会話のテンポは合う相手だと思う。
「久しいな」と諦聴が言い、だいぶ間をおいて虚淮が「そうだったか」と言う。なお、この間二人は微動だにしていない。双方真顔である。
うららかな春の野に突如出現した見知らぬ人物を見て不審に思ったのか、風息がとてとてと駆けて来た。泥だらけの両手が虚淮の背にぴたりと張り付く。
虚淮?と言いながら、興味津々で諦聴を見つめている。でかいので驚いているのだろうが、虚淮の後ろから覗きながらも怖気づく様子はなく、むしろ知らない妖精にわくわくしているのが手に取るようにわかる。
「これは諦聴。……友達だ」
「虚淮のともだち!」
目を輝やかせる風息に、虚淮は東の森を指をさした。
「風息、さっきあそこでりすの赤ん坊を見かけた。朝はまだ巣の中で身を寄せ合って眠っていたが、そろそろ起きているかもしれん」
「ほんと!?見てくる!!」
風息は言うが早いかくるりと背を向けると走って行ってしまった。
「友達……?」
諦聴が風息の背を見つめながら呟いた。どう考えても知人レベルの諦聴に、虚淮は訂正した。
「許せ。あいつの中では『友達』と『見ず知らずの者』の二種類しか存在しないんだ」
「なるほど」
「で、何の用だ」
虚淮は改めて尋ねた。諦聴は風息の去っていく背中を見ながら、まだあれと居たんだな、とため息のように呟いた。
「なんの話だ」
「さっきの、黒豹の妖精」
「ああ、」
なんだそんなことか。世間話でもしにきたのか、と続けようとする虚淮を遮って、諦聴はしっかりした口調で言った。
「あれは、舘に引き渡したほうがいい」
「館?」
意味が解らず聞き返す。じろりと睨むような視線になってしまったが、諦聴はいつもの無表情を崩さなかった。
「妖精館という組織だ。どんな組織かと言うと……妖精界の治安維持みたいなことをしている、らしい」
「歯切れが悪いな。だが、引き渡すというのは物騒な話だ」
虚淮は静かに憤慨した。
「まだ子どもだろう。あいつが何かしたとでも?」
治安維持だかなんだか知らないが、森に暮らしているだけのただの子どもを引き渡せなどと。治安を乱すようなことは何ひとつしてないではないか。
眉をひそめた虚淮に諦聴は鋭く言った。
「あれは禁忌の能力を持っているだろう」
「何を言う」
「『強奪』」
諦聴が遮り、虚淮は続きの言葉を呑みこんだ。
「『強奪』は禁忌、妖精館も危険視している能力だ」
……仮にお前の言う通りだったとして、引き渡したら、どうなる」
諦聴は、俺は関係者ではないから知らないが、と前置きして言った。
「行動制限か、もしくは何らかの形で能力を制御させるんだろう。『強奪』を発動しないように」
虚淮は目を丸くした。風息に行動制限。
あんな子どもに。あんなに天真爛漫で、優しさと正義感に満ちた妖精に。
何も悪いことなどしていない。ただのびのびと生きているだけの、あいつの行動や能力を縛るだなんて。
しばらくの沈黙の後、虚淮は喉から声を絞り出した。
「必要ない。あいつはただの、黒豹で木属性の、妖精の子どもだ。危険などない」
「連れていかないのか」
「無論」
諦聴は虚淮の顔をしばらく見つめてから、感情のこもらない声で、そうか、と言った。背を向けた諦聴の周りに、さっきと同じ炎が地面から湧き上がり、渦を巻く。
「忠告はしたぞ」
「ああ。感謝する」
心からの言葉だった。今まで知らなかった新たな見識を得た。そして、自分の役割もまた。
「問題ない。……もし万が一、あいつの能力で何かが起こったら」
諦聴が振り向き、視線がぶつかる。
「その時は、俺が責任を取る」
「そうか」
諦聴の全身が炎に包まれ、やがて炎は小さくなって中空で消えた。
取り残された虚淮の目の前には、いつもの春の川辺の風景が広がっていた。


40.無題 /虚淮、風息

危惧していたことが起きた。
眉をひそめて一部始終を見届けると、虚淮は地面を蹴った。一刻も早く風息に会わねばならない。風息を、他の誰とも接触させてはならない。
風息の気を追って大急ぎで移動する。木の間を縫って飛んでいると、北の森に向かう風息が見つかった。風息の駿足を上回る速さで飛行し、風息の前に降り立つ。足を止めた風息は、ずいぶん青い顔をしていた。
「ずいぶん派手にやったな」
虚淮はいつも通りの声でまっすぐに風息を見上げた。
風息の中に溜まりに溜まった、人間の行動への怒りが爆発したのだろう。ここ最近、人間の自然への干渉は苛烈ではあった。それは人間という生き物の生態として仕方のないものなのだろうと虚淮は思っていた。理不尽と思わないこともなかったが、獣が餌を狩るように、蔓草が地を這い覆うように、その生き物の理であり自然な営みのうちなのだろうと。ただ、風息が憂えるように、それが他の生き物の生きる権利をじわじわと侵害しているのもまた、事実ではあった。
ざわついているであろう風息の感情に呑まれてはならない。己の内心を気取られてはならない。咄嗟にそんな風に考えてしまうこと自体が、尋常でなく焦っている証拠なのだろう。頭の奥に平常な部分が残っていないわけではないが、普段の自分から考えると随分冷静さを欠いていると思う。
背は、もうだいぶ昔に抜かされた。術力も体力も戦闘技術もすでに虚淮を追い越している。しかし、それでもなお、風息を見守り助けるのは己の役割だった。
「見てたのか」
風息が来た道を振り返って言う。
「だいたいな」
虚淮はまっすぐ風息を見据えて言った。吹いてきた風に、ふたりの長い髪が煽られる。その時、ふ、と違和感が風に混ざっているのを感じた。風の吹く方角、風息の視線の先に虚淮も意識を向けた。おそらく同時に異変を感じた風息が耳をそばだてる。よそ者の気配だ。これは妖精。しかも、人数が多い。
「騒がしいな。妖精か」
龍游の外から、無関係な妖精が、この混乱のさ中に飛び込んでくるというのは考えにくい。さすれば、と虚淮は思い出す。
「お前は表に出るな」
虚淮は風息を見上げ、前触れなく言った。
人間の発展は目覚ましい。人間の創り出す様々な技術は、自然現象を次々と解明していく。そうしてそれは、自然の営みを超える現象を『自然界の怒り』と受け止める器を人間から削いでいった。人間たちはこの事件についても原因を究明しようとするだろう。身につけた知恵を駆使して、自分達とは違う生き物の存在を突き止めんとすることは想像に難くない。大地をけずる以外の面でも、人間は妖精を脅かす存在になり得る。遠い昔に古の妖精が語っていたことも、自分が人間の目を避けて暮らしていることも、自分たちの存在を人間に認識されたら厄介だからという理由に基づいている。
虚淮はかつての旧知の言葉を思い出していた。

――治安維持をする妖精の集団がいる。名を、『館』と言う。

治安維持という観点において、この件は介入するに値する内容だろう。妖精の存在を知らしめ得ることは、妖精が生きる上での治安に関わる。そして、治安維持部隊が介入してくるとすれば、風息の存在が彼らに認知されることは避けられない。
いや、避けなければならない。なんとしても。
あの時の旧知の言葉が、耳の奥に反響する。
館は強奪を持つ妖精を危険視している。その妖精を館に引き渡せ。引き渡したら、身柄の拘束か、能力の抑制か――
虚淮は目を閉じ、そして開いた。
「よそ者がこのことで何か言ってくるかもしれないが、何があってもお前は表に出るな」
風息が口を開こうとしたが、虚淮は言わせなかった。
「俺がうまくやる。お前は隠れていろ」
「よそから妖精が来ているからといって、なぜ隠れなければならない」
風息は昏い顔のまま言った。
「俺は恥ずべきことはしていない。同じ龍遊に暮らすものとして、人間にこれ以上の破壊をしてほしくないだけだ」
今の龍游で風息に敵う妖精はいない。それでいて、すべての生き物を気にかけ、寄り添い、なんでもかんでも懐に入れ、それらに誠実であろうとするのが風息だった。それは自らの首を絞めるぞと、お前の仕事ではなかろうと、ことあるごとに伝えはしたが、護る力が自分にあるのだからと言ってきかなかった。
拳を握りしめた風息を眺める。この森を統べる責任か。まったく、度が過ぎる真面目さだ。虚淮はため息をついて白状した。隠しておいても仕方がないか。
「大挙して動いているのは、おそらく館という組織だ。治安維持をしている妖精群らしい。館はお前のあの能力を危険視していると聞く。どんな能力者がいるかもわからない。お前のことを知られるのはまずい」
「能力を、隠すことはできる」
頑なな表情だ。隠すことも隠れることも、もう嫌だと全身で言っているようだった。
……そうか。なら、勝手にしろ」
 虚淮がぎゅっと睨んだことも、おそらく風息には見えていないだろう。どうせ何を言っても聞かないのだ。さらば次の手を考えるだけ。
「くれぐれも、あれは隠しておけよ」
虚淮はそう言い置くと、間髪入れずに現場へと飛んだ。



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