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春には光彩と出会いがある

全体公開 8744文字
2022-05-01 19:34:36

透輝さんが、因縁のある子孫の子に出会う話

黒い豹が、上から降ってきた。
その光景に、エヒャは重たい瞼をぱちぱちと瞬いた。
春のやわらかな日差しにまみれる黒い毛は、つややかに反射して白く見える。とさ、としなやかな四肢で黒い獣がエヒャの前に着地し、口にくわえたものを落とす。
首に青いリボンを巻いた豹は、顔を上げると、紫の目をゆるりと細めた。
欄干に腕を置き、回廊の上から春の祭りに浮かれる人々を見下ろしていたエヒャは、困惑して言葉を探した。
「えっと……
エヒャが口ごもると、黒い豹はみしりと音を立てて、人間の姿に体に変化していった。筋肉のついた前足はしなやかな腕に。力強く地面を蹴る後ろ脚は人間の足首に。
気が付けば、女としてはなりかけのような少女が裸でその場に座り込んでいた。白い体に肉はなく、よく食べるようになっても、彼女の体は薄いままだった。
彼女はエヒャを見て機嫌よく笑い、落とした荷物をほどくと、服を取り出して上からばさりと被った。ぼさぼさになった黒い短い髪を整えることもせず、彼女は持ってきた荷物を整理した。
……シーメイ」
すこしは身なりを気にしたら、などとはエヒャには言う権利がなかった。エヒャと同居してなんとか人間性を身に着けた元奴隷の少女は、今ではエヒャよりもきちんと生活をしている。
それでも目上の人間として、一時は彼女の保護者としてあった癖で、エヒャは彼女の名前を非難するように呼んだ。
「エヒャ、今日は朝から飯を食ってない」
結局言葉遣いは矯正しきらず、シーメイの言葉はそのままだ。見た目は愛らしい少女になったと思うのに、もともと剣奴という戦うことに特化していた生きざまのせいで色々なことが治らなかった。
「飯を持ってきた。食え」
……えぇと、」
隈のついた目を細めて困惑を隠さずにいれば、彼女は立ち上がり、ん、とサンドイッチを差し出した。
「お前は昨日の夜から、ろくに食べていない。良くない。飯は食え」
彼女は真剣なまなざしでエヒャにそう言う。
相変わらず同居を続けているせいでエヒャの生活のひどさは筒抜けだ。ここ最近の仕事の忙しさのせいで、食事すらろくにとっていない。
あまりにも食べていないせいか、目の前に食事を差し出されても食欲がわかなかった。
エヒャはいつもの癖でへらりと笑い、ごまかそうとして言葉を探した。
……シーメイは、城下に行った?春の祭りだから、いろんな出店が出てるよ」
「ごまかすな」
エヒャの下心は筒抜けで、彼女はいい加減にしろ、と紫の目を細めた。
しかしすぐにうつむき、サンドイッチを引っ込める。
……これは食べたくないか。なら、なにを食べたい?買ってくる」
そう言ってから、ちがうな、と彼女は首を振った。
探るように見上げ、じっとエヒャを観察する。
「何なら、食べれそうだ?」
……チュリトー」
食欲不振を見抜かれ、ついエヒャはそう零していた。
多数の品種改良がされた果物は、図書館では様々な味がある。けれどエヒャは、水気の多く含まれた薄味の果実が好きだった。指でつまめるサイズの皮のついた果実は、食欲がなくとも口に入れることができる。
そしてすぐにはっとして、エヒャはへらりと笑った。
「やっぱりサンドイッチを食べるよ、シーメイ」
「買ってくる」
サンドイッチを押し付けたシーメイは、くるりと背を向けると、すぐに欄干から飛び降りた。
「ちょっ……
止めようとした手は、彼女を捕まえることなく空中で置き去りにされる。
空中に躍り出た体は、あっという間に服を脱いだ。白く細い腕はたちまち黒い獣のそれに代わり、彼女は颯爽と四つ足でかけていく。
遠目でその姿を見つめながら、エヒャは所在なく立ち尽くした。
……なにをしてるんだ、俺は)
じわじわと自分の情けなさを自覚して、エヒャは顔を覆った。
自分を心配そうに見上げる視線に、耐えられなかった。
好物をねだって、年下の少女に甘えてしまった自分が情けない。彼女の献身にあまえる自分はどう考えても、だめな大人だ。
(こどもにあまえて、生活もろくにできない。おまけに、)
ピィ、と泣き声がして顔を上げると、薄桃色の大きな鳥がばさりと翼を広げて、近寄っていた。止まりたいのだとわかって片手を差し出すと、鳥は鋭い爪を指にかけた瞬間、ばさん、と色とりどりの花になって形を失う。
春を祝うと精霊が花をよこした事実に、エヒャは手のひらにのった大ぶりの花を見つめた。いくつもの花弁をたたえた花は、それだけでひとまとまりの塊だ。隆盛と栄華を誇るかのような祝福は、一段と大きい。
(あぁ、忌々しい)
栄華を詰めた花びらの塊を眺めていると、喉の奥にしまい込んだ言葉がこぼれてしまいそうだった。
普段は枯葉色の瞳が、鈍く赤く光る。
祝いの印。幸福と安寧を祈る、人ならざる者からの愛。あるだけで愛しいと、どの生き物もエヒャにまとわりつき、彼らの愛を差し出してくる。
手の乗った大ぶりの花をぐしゃりと握りつぶし、ぱっと手のひらを開く。
手に乗っていた花はぐしゃりと形を崩した。
ひらひらと指の間から落ちていく花弁は、命の終わりだ。雪のように降り積もるそれらが、エヒャには握りつぶしてしまいたくなるくらい目障りだ。花の盛りは栄華の証。しかしそれらも散れば儚く消え去ってしまう。
(この眼も、元をたどればとある王族が持っていたとか)
栄華も過ぎれば、歴史の中に埋もれて忘れ去られる。
エヒャが抱えた魔眼は、どのようなものなのかもうわからない。古くは砂漠の国の王族が持っていたものだというのも、この国の学者が解き明かした事実だ。
すり切れるほど読み返したヨハンニティウス・イツハークの著書を思い出して、エヒャは寝不足と労働による徒労感で久方ぶりにぼんやりとした。
花をうつくしいと思う気持ちはとうにない。
降り注ぐ花びらが、人ならざるものからの好意の証だと知って、余計にうつくしいと思えなくなってしまった。
そうしてぼんやりとしていると、続々と色とりどりの花が降り注ぐ。
視界では金の蝶がひらりと漂っていた。
春の祝いに我先にと祝福を振りまく精霊たちに取り囲まれ、エヒャは目元を抑える。
気が立っているせいで、自分の魔力が漏れているのだ。
おかげでこんなにも精霊たちを引き寄せる羽目になっている。
すこし落ち着こうと、ひらひらと足元に落ちてく花を見やると、べしゃ、と音がした。
がしゃん、と金属がこすれるような音に視線を向けると、エヒャのすこし先で、男が倒れていた。
「あたた……なんでこんなところに花が?」
……俺のせいか)
春の祭りの際に、出店も少ない本棚ばかりの回廊にやってくる人間がいることが珍しい。
今日ばかりは学者も街に繰り出しているというのに、一体こんなところに来るのはどんな人間か、とエヒャは首をかしげた。
己の本分を思い出し、エヒャは静かに近寄る。
掌からするりと花が零れ落ち、花のなくなった手を差し出した。
「大丈夫ですか?」
そうして手を差し伸べると、男はがばりと顔を上げた。
へら、と口元を反射的に緩めた直後、彼は大きく目を見開いた。黄色がかった薄緑の目は、水晶に入り込んだ異物のような色をして、そして信じられないものを見るように、限界まで見開かれる。

……シュ、ド……メド』

わずかに聞こえたそれは、精霊言語に似ていた。
エヒャの耳はわずかにそれを拾い取るものの、その言葉がどういう意味なのかわからない。
彼は降り注ぐ太陽の光のような薄い色素の髪の間から、唖然としたようにエヒャを眺めていた。
……あの?」
いつまでたっても手も取らずに固まり続ける男に、エヒャはさすがにすこしだけ眉根を寄せた。
そうするとはっとして、彼は笑顔を作った。
「ああ、すまない」
彼は差し出した手を取らずに、すくりと立ちあがった。
改めて立ち上がると、男はかなり大きかった。ひょろりとしているが、その実、身長はエヒャより頭一つは大きい。
だが、肉付きはあまり良くなく、そのせいか立ち上がっても背が高くは見えなかった。
すこし時代遅れの古びたマントを羽織り、最低限の身なりだけを整えた姿は薄汚れた旅人だ。
だが、穏やかに目を細める顔はどこか浮世離れしている。疲労感すら滲まないその顔は旅慣れたようには見えなかった。
彼は聖職者だといわれたほうが、いくぶん納得もできそうだ。
巡礼者のようでいて、それでいて信仰を厭うような、世捨て人のようだ。彼は、おおよそ人間らしい欲が見当たらない。砂に埋もれた骨董品のような男だった。
「すこし、驚いてしまって」
苦笑しながらも、その顔には困惑が滲んでいる。
エヒャも似たような笑みを返しながら、どなたかに似ていましたか、と問いかける。
「え」
「誰かの名前を、口にされていたようなので」
……
目を見張り、笑ったまま表情を固まらせた男に、エヒャは内心で失敗したとため息をつく。
今日はなんだかうまくいかないな、とエヒャは目元を抑える。
「こちらには何か目的が?今は春の祭りの時期ですから、祭壇に行けば勇者様にお会いになれますよ」
気分を切り替えて、出店もあるのだと言うと、男は困ったように頭の後ろをかいた。
「それが、迷ってしまって……食事ができるところを探していたんだけど」
「なるほど……これ」
良ければどうですか、とエヒャは手にしていたサンドイッチを差し出した。
「いや、でも」
彼が断ろうとした瞬間にした、ぐぅ~という音にエヒャが目を丸くすると、男はじわり、と頬を染めた。
「その、なんというか……ほんとうに……たべていなくて……
言い訳がましいと思ったのか、彼はす、と視線をそらした。
「魔物に襲われて戦い通しで、ようやく街にでたと思ったんだけど、なんというか、この街はひどくわかりにくくて……おじさんには難しいな、この街は……ハハハ……
乾いた笑いのあと、はあ、と困ったように息を吐いた男は、ちらりとエヒャに視線を向けた。
(このまち?)
エヒャはその言葉に、内心首をかしげた。
巨大な図書館の奥深いところまで迷い込んでおきながら、この男は、ここを街か何かだと思っているのだろうか。
「ここは図書館ですが」
「え?いや、しかし……
前にきたときは、そんなことなかった、とつぶやいた言葉に、男は慌てて首を振った。
「あ、そうか、勇者……ここには勇者がいるのか……
あごを指でさすった男は、ふ、と目を細めた。
……せっかくだ、君のそれ、半分いただいてもいいだろうか」
首を掲げて見下ろす男に、エヒャはもちろんです、と微笑んだ。
(図書館を知らない旅人、前はそんなことなかった、だと?)
笑顔の裏で警戒心を募らせ、半分と言わず、と差し出すと、男は何事かを唱えた。
『春運ぶ隣人よ、花と戯れる風のいななきぞわたる。祝いに花を届けねば、さあ、遠く。遠くから、言祝ぐ声の淡い並びが響く』
エヒャが聞き取れたのはそんな一部だった。
しかし、とたんに淡い光とともに、エヒャの手の中にあったサンドイッチが、二つに切れる。
エヒャの眼は、風の精霊が彼の言葉に応じて、サンドイッチを二つに切ったのが見えた。
……忌々しい)
思わずサンドイッチを握りつぶしたいほどの悔しさに襲われて、エヒャは笑顔を取り繕った。
所詮エヒャは好き勝手に愛という名の力を向けられるだけだ。
この男のように精霊に協力を仰ぐことなどできはしない。
エヒャの眼は、基本的には己の魔法以外のすべての使用を拒むからだ。
……ずいぶんと古い魔法をお使いになられるのですね」
そうしてサンドイッチを差し出すと、男は苦笑しながら、半分を受け取った。
「君はこれが古いとわかるのか」
その言葉に、ばかにしているのだろうか、とエヒャは笑みの裏でひりついた。
(ここは図書館だぞ?そこの司書相手に、魔法の年代を問うような……
いや、とエヒャは思い直す。
(この男は、それが何かも理解していないかもしれない……
国土の7割が図書館という巨大な国のありようを理解していない人間は、近隣諸国を含め、現在の世界でもほとんどいないだろう。普段は天地を揺るがせる勇者も魔王も、この図書館に住む勇者の知識の前では、みな等しく大人しくしている。
だからこの国は平和で、争いもない。ただびとが生活していく上では、とてもいい国だとエヒャは思う。
それを成り立たせているのは、ただ読書に明け暮れる一人の勇者なのだ。
その偉業を、その神聖を。
その異形を、その真性を。
この国の図書館の司書として働く人間は、誰一人として疑わず、そしてそれを知るために努力を怠らない。
この国におわす勇者は、研鑽を望むからだ。
『ここは、何の権利も侵されることなく、利益すら考える必要はなく、己の探求心に従える場所』
そう勇者が唱え、学者を庇護し、本を蒐集し、製本する。
ここはそういう国だ。
……魔法には詳しい方なんです、使うのは苦手なんですが」
エヒャはそう言って、笑顔を作り直した。
勇者のことを考えると心が落ち着き、ひりついた悔しさも、無念さも消えていく。
彼はサンドイッチをばくりと口に含むと、ふたくちほどで飲み込んだ。
そしていぶかしげに首をかしげる。
……えぇと、でも、僕が使ったのは、かなり古くて、それも最果ての東の……
「精霊言語でしたね」
エヒャもばくりとサンドイッチを飲み込んで食べきると、目を細めた。
爛、と瞳に力を込める。あたりの魔力を吸い上げ、己の眼が赤く染まっていくことを自覚しながら、あたりに走り出した火花のような線に視線を向けた。
その線を強制的に捻じ曲げ、線を走らせた人物相手に向けて差し戻す。
常人には捉えきれぬ光線の流れを捻じ曲げ、支配下においたエヒャは、苦笑する。
……いや、)
思い直したエヒャは、その光線を、目の前にいる男に向け直した。針に通した糸を縫い付けたように、服の袖に向けて線を引き直す。
「まぁ、どうしましょう?」
軽やかな声に振り向くと、赤い髪をした女性が、うっそりと笑って立っていた。
淑女の微笑みで華やかなドレスをまとっている姿は、祭りに参加している上位貴族そのものだ。
彼女は、はちみつを煮詰めたような黄金に、とろりと滲む焔のような赤橙色の瞳を細めて、困ったわ、と頬を当てた。
「我が国の司書に問い詰められている男……不審者がいるわね?」
おっとりとしたような仕草に反してかなり好戦的な性格をしている彼女は、エヒャの背後にいる男に美しい笑みを向けた。
ゆるりとはちみつを火であぶるような蠱惑的な微笑みの裏には、かなりの敵意と警戒心が含まれていた。それを悟らせない笑顔の完成度の高さで、彼女はいつも恐ろしい商人たちと渡りあい、いくつもの商談を成立させる。
普段の仕事と変わらない笑みで、男を不審だと断じた彼女に、エヒャは苦笑した。
彼女はかなり仕事ができるが、少々、先走る癖があった。そしてその好戦的な性格でもめごとも起こしがちなのが、彼女の悪い癖だ。
「劫火、延焼、焦渇にして、灰燼と化す」
静かな命令は、彼女得意の火炎系魔法の発動を意味していた。
(まったく、それじゃ大爆発になる)
エヒャは先走っていた彼女の魔眼の力をかなり抑えて小火程度になるよう威力を落とし、苦笑した。
人間一人、丸焦げにするほどの敵意を向けたメリーは、明らかにやりすぎだ。
「メリー、いくらなんでもやりすぎですよ」
びり、と走る魔法を視界の端でとらえ、エヒャは慌てたように振り返った。
「すいません、離れて」
ください、と背後の男に言おうとした瞬間。
ぼ、と彼の服が燃え上がるのと同時、ぶくりと膨れ上がった水の塊が、火を飲み込んだ。水の塊ですぐに火は消され、水の塊は、その後の魔法も飲み込んで消し去ってしまった。
宙を浮かぶ水の塊は、ゆっくりと魚の姿になって、男にまとわりつく。ほめてと言いたげにぐいぐいと腹に頭を押し付けられると、男はすこしよろめいた。
「うわわ、濡れてしまう……ありがとう、助けてくれたんだね」
彼は自分にまとわりつく水の塊の魚の頭をなで、懐から何かを差し出した。
砂糖の塊をとりだして、それを水の中に入れると、魚は満足したように離れていく。
「すこし焦げてしまったなあ……
やがて服の裾を確認した男は、のんびりとそんなことを言って、顔を上げた。
……また精霊だ。というか、)
いま、この男は詠唱をしていたか、とエヒャは思い返す。
古臭い魔法を使うには、長い詠唱が必要だ。
実際、彼がそうしていたのをエヒャは見ている。
魔法を使ったのでないとしたら、精霊が彼の危機を悟って、正しく助け船を出したというのだろうか。
……ありえない)
精霊に人間の言葉は伝わらない。交流ができるのは上位種族だけだ。上位種族だとて、人間の常識に寄り添ってくれない。彼らは契約者の命令に漠然と従うだけだ。
あんなふうに、意識もない精霊が、正しく助ける行動を起こすわけがない。
(なんなんだ、こいつ)
メリーの攻撃の威力を抑えたことを、エヒャはすこし後悔した。
彼女の攻撃をそのままぶつけていれば、この男の正体がわかったかもしれない。
手を一手誤ったことに顔を歪めたくなりながら、エヒャはよかったと微笑んだ。
……どちら様なのかしら?お尋ねすれば、答えてくれまして?」
メリーは顎をあげて、男を見下ろした。
身長は、彼女のほうが低い。だというのに、圧倒的な支配者の威厳を漂わせているその行動は、下から見ているのに上から見下ろしているような圧力があった。
冷ややかに見える表情には、混じる敵意と、正体不明な男への侮蔑を隠しもしていない。汚らしい、と見下ろす冷ややかな眼差しに、エヒャはそっと視線をそらした。
(本当に気が強くて困ったひとだ……
もうすこしやり方があるだろうと言いたいが、それが彼女の長所でもあるので難しい。
彼女のその強さは人を引きつけ、この国を動かす力でもある。彼女は階級化された人間の中で、生まれながらに上層の人間だ。
この国の勇者という王のそばにいることに慣れている。自分の上には勇者しかいないと知っており、他はすべて彼女の下であると疑いもしない。
彼女は、王に忠誠を誓う黄金の血をした貴族だ。支配層の傲慢さは隠しもしないが、それに溺れることもない。彼女は、上位者ゆえの権利と義務を正しく理解している。
最下層に近いエヒャとは正反対の存在だ。
「えぇと……
男が困ったように笑い、言葉を濁らせると、彼女はその眼をきつく眇めた。
「わたくし、気が長い方ではないの。燃やして灰にして海に撒いてしまいたくなってしまうわ」
ねえ、そう思うわよね?と彼女は一点して笑みを作り、傍らに視線を向けた。
のそり、と彼女の背後から姿を見せた黒い豹は、ぐるる、と低くうなり、牙をむき出しにしている。
どうやら彼女はシーメイが連れてきたらしい。エヒャの護衛としては、見知らぬ男がそばにいるため、離れろと言いたいようだ。
彼女がかなり好戦的なのは、シーメイに何かと言われたせいかもしれない。
(俺の事情に巻き込んだんじゃないか?これ)
いくら正体がよくわからないとはいえ、ここまでの敵意を向けられることはないはずだ。
図書館を知らないとして、エヒャとしては納得がいかないが、この国の勇者を知らないとしても、ここまで害される必要はない。
エヒャは顔をあげて、彼女と向かい合った。
「メリー、やりすぎです。迷い込んだ旅の方に、失礼でしょう?」
「あら、誤解ですわ、エヒャ様。迷い込んだ旅のお方でしたら、わたくしだって、ここまでいたしませんもの」
ころころと少女のように笑ったメリーは、高等魔法も使いこなす、普通の魔法使いだ。エヒャと同じように体に組み込まれた血による魔法、『血族魔術』を持っていても、彼女は様々な魔法を使いこなす。
「正体を隠しているお方に、我々は歓迎なんてしませんでしょう?」
魔力感知能力も高く、素の能力は並みの人間としてはずば抜けている優秀な魔法使いが、正体を隠している、と言ったことにエヒャは軽く目を見張る。
(あぁ、本当に)
エヒャの眼は、威力が強いが、使い勝手がきかない。
魔力感知能力もあまり高くなく、頼れるのは眼で視ることだけだ。
自分の無能さが嫌になる、と事実を改めて噛みしめ、エヒャはうつむいた。
「隠していたわけでは、ないんだ」
ぐい、と肩を掴まれて後ろに引かれ、エヒャが顔を上げる。
すると、背後にいたはずの男が前へと身を出していた。
エヒャが顔を上げると、彼はすこし痛ましそうな顔をした。
世を捨てたような男がわずかに見せる表情に、なぜか見たこともないのに、見たことがあるような気がして、エヒャは眼を瞬く。
……なんだこれ)
普段だったらイラつくような表情のはずだ。
同情など反吐がでる。己の無能さをあざけられているようで、平素であれば、不愉快にしかならない。
だというのに、遥か遠くにいった友人が、久しぶりに顔を見せたような、そんな懐かしさと、漠然としたさみしさが胸を占めた。
久しぶりに顔を見かけたような、それでも話しかけることすらできないような寂寞に、エヒャは覚えはない。
「だから、許してはくれないだろうか、お嬢さん」
私は、と低い穏やかな声が、夜の星空のしたで話を始めるように、口火を切った。

「勇者なんだ」

そうして宝石のような目をした男は、エヒャの前で正体を明かした。


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