@kyuri_akita
(これは、どういうことだろう……)
彼は居心地悪く、上等な椅子の上に座っていた。
室内は広く、何人収容できるのかという広大なホールだ。その室内には様々な椅子と机が置かれ、彼はその一つに所在なく座っていた。
彼は、いつも己の足で歩いて世界を巡っている。そのため基本的に身なりは薄汚れており、このような高級そうな椅子の上に座ることはあまりない。
そもそも、勇者だと自ら明かすこと自体があまりなかった。明かして利のあることは、彼のような長く生きている人間にとっては少ない。
そのため、普段ならば、どんなことがあろうと、積極的に身分を明かすことなどない。
(……けれど、)
彼はわずかに目を伏せ、同じように室内にいて、横に立っている青年に視線を向けた。
今は無表情で、その顔には何も浮かんではいない。
疲れたように目元に隈を残す顔には、これまで味わってきた辛酸が伺える。うつむく表情に明るさはなく、消せない懊悩を滲ませる顔から、彼は視線をそらした。
(……君たちは、そんな顔は、しなかっただろう)
その青年の横顔があまりにも、苦しげだった。
記憶の中では見なかった赤い眼の苦悩があまりにも痛ましくて、つい彼は悪くないと釈明するように名乗ってしまった。
(……それがなんで、こうなるのやら……)
彼は頭を抱えそうな勢いで、小さく息を吐く。
勇者だと言ったとたん、敵意を向けていたドレスの少女は非礼を詫び、かつてよく見知った男によく似た青年は低頭した。
態度の急変に驚いていれば、彼はこの国の勇者に案内する、と言い出した。
そしてこんな部屋に連れて来られてしまった。
調度品はどれも高級そうで、椅子一つでさえ、薄汚れた身なりで座っていいものではない。だが、軽い食事と香りのいい茶まで出され、勇者が来るまで待ってほしいともてなされている。
これが勇者扱いされる、ということなのは、よくわかっていた。
だてに何年も長い時間を生きてはいない。
こういう扱いも、はるか昔にはされたことがある。
(けれど、)
だが、昨今は聖界を己の足で歩み、時に自身で食料を確保するような、冒険者と変わらない生活を送っている。
(はっきり言って、久しぶりすぎて、慣れない……)
慣れない空間と扱いに、彼は困り果てていた。
おまけに彼は、この国にいるという勇者が誰なのか、見当もつかない。
ここ2、30年ほどで台頭してきたはずで、街を大きく発展させたことは間違いがない。そんな勇者ならば、それなりの偉業をなしていそうだ。
だが、彼はその名前を聞いたことがない。いや、聞いていたとしても思い当たる勇者がとっさに浮かんでこないのだ。
だからこそ、わずかに違和感は残る。
これだけ大きな部屋と街を作る勇者が、彼がぱっと思い浮かばないほど名を轟かせていないということが、どうにも解せなかった。
(図書館、と言っていたな……)
彼は従者よろしくそばに立ち尽くす青年の言葉を思い出す。
ちらりと視線を向けても、彼はすこしも反応せず、ただじっとその場に佇んでいた。
枯葉のような、秋の終わりを知らせる色彩は、遥か遠い過去に、自分を友人と呼んだ国の人間たちに似ている。とくにかの王の、弟君に似ている髪色だ、とわずかばかりの懐古に浸る。
神に深く愛されていると言われた青年は、盲目ながら、朗らかな人柄だった。
『我らは、安寧に浸らねばならぬ』
それが彼らの一族に敷かれた誓約だった。
友人の弟は、一度、その眼に課された誓約を破り、感情を荒れさせ、国を滅亡の危機に追い込んだ。他国の侵攻もあってのことだが、その危機を乗り越えた後は、髪の色素が抜け、白くなってしまった。
『ごめんなさい、兄上のご友人』
友人の弟はそう言って、焼け爛れた目元を赤い眼で光らせながら、彼に謝った。
幼いころ、彼はその眼の力の強さで目を焼いてしまい、盲目になったのだ。
『私は、母上のあとに王になる天命なのです』
彼は自身の死後、そう言って、勇者である男に謝った。
『あなたの、仇敵になります』
申し訳ないと謝った青年の笑顔を見たときほど、彼は絶望へ打ちのめされたこともなかった。久しぶりに沸いた苦しみは、彼をその国から逃げさせるには十分だった。
彼が言う『母』とは『神』であり、そしてその『神』であり『母』である存在は、『魔王』だった。
弟の友人は、『魔王』に深く愛され、次代の『魔王』に選ばれたのだ。
(……どうしていつも、なにもかも、遅いんだろうな)
彼はぼんやりと、ずいぶんと久方ぶりに、そんなことを思った。
今更のことだった。
国はとうに滅んでいる。それも何百年も前に。
彼は魔王として存在しているし、自分は勇者だ。
あのとき、もっと早く真実にたどり着いていれば、友人の弟をそんなものにせずにすんだかもしれないなんて。
そんなのは本当に、どうしようもないくらい、今更だ。
いつも、村が焼けて、その焼ける明かりを前にして思う。
どうしてもっと早く、自分は真実にたどり着けなかったのだ、と。
「……立っていては疲れるんじゃないかな、どう?座らない?」
彼は口元を緩め、懐古を振り払うようにこの場にただ一人いる青年に顔を向けた。
彼はすこし神経質そうに、いえ、と首を振った。
「お待たせして申し訳ございません。なにぶん、勇者様は祝祭の行事の最中ですので」
「この国の勇者は、お忙しいんだね」
はい、と静かな声でうなずく青年に、彼はできるかぎり明るく笑いかけた。
「すこしばかり話し相手になっておくれよ。このあたりに来るのはずいぶんと久しぶりで、様変わりしていて、よくわからないんだ」
あわよくばこの街と、ここを作った勇者のことを少しでも知れれば、という淡い期待を抱いて朗らかに笑うと、彼は小さく息を吐いた。
「……僭越ながら、私でよろしければ」
その言葉を引き出したことに彼はさらに笑みを深め、近くの椅子を引いた。
「うん、じゃあ座ってゆっくり話そう。あ、君の名前は?お茶はいるかな?」
人のところに招かれているが、勝手知ったると言わんばかりにティーポットを手にすると、彼は困惑したように眉根を寄せた。
「席は遠慮しておきます。私は、……アウル・エヒャと申します」
アウルが姓で、と付け足されたことに、彼はびしりと動きを止めた。
「ア、 アウル……えぇと、君、生まれは?」
聞いた瞬間に、エヒャの顔がわずかに曇り、彼はしまったと顔を引きつらせた。
「あ、ごめん、なし!不躾だった!すまない!」
慌てて手を振ると、彼はどうでもよさそうに、お気になさらず、とつぶやいた。
「生まれはわかりません。母しかおらず、父も知りませんし、母ともずいぶん前に生き別れておりますので、詳しいことはなにも」
興味がなさそうに語られた真実に、久方ぶりに彼は喉が干上がりそうな気分を味わった。
彼はやがてすこし首をかしげ、私の姓になにか、と首をかしげた。
「あ、いや、気のせいだった。似ていたものだから、つい……」
そうしてごまかしながら、彼は何十年か前に起こった戦争を思い出していた。
アウルは、今では古ジョエ語と言われる言葉を起源とした、花露語を話す一族の苗字の一つだ。
彼らの文字はひどく芸術的で、花文字と言われるほど飾り立てられていた。そのため、王侯貴族のみが文字書き人を雇って書かせることができた。文字自体がひどく高尚なものになっている一族だ。
彼らは発音している言葉がほとんどで、文字というものは芸術のいったんでしかなかった。
そのことを考えれば、彼らの文字はほとんど残っていないだろう。
その彼らの言葉で、『アウル』とは、『赤い宝玉』を意味し、王族が使う苗字だ。
彼らは森の奥に住まう少数民族だったが、特殊な魔法を使っていたという。そのため彼らを巡って相当数の国が争い、一時期、聖界はかなり戦乱に荒れた。
(正統な王の血筋にこんなところで出会うとは)
それも、彼自身は己の生まれなど知りもしない。
ちらりと見えた赤く変わる眼球に、あの魔法が宿っていることは間違いない。
遥か昔、砂漠で栄えた王族が持っていた魔眼。
その名の通り、王族が持つにふさわしい『支配者階級の眼』。彼らは視界に入れたものすべてのものを支配下における。
それは魔法でする支配などという生ぬるいものではない。
されているという認識もなければ、違和感も生じさせることなく、すべてを意のままに操ることができる、脅威の力だ。
「……この街はずいぶんと広いんだな。どのくらいの広さが?図書館と言っていたが」
話題を変えてそう尋ねると、エヒャは思案気な顔をしてから、わずかに首をかしげた。
「……ここは国です。我がビブリオテカは、およそ国土の7割が図書館です」
「……は?」
思わず目を丸くすると、エヒャはわずかに眉根を寄せた。
「勇者様であればご存じかと……」
(こ、これは……)
覚えのある反応に、彼は思わず笑顔を引きつらせた。
(う、疑われている……)
本当に勇者なのかと疑念を向けられている。
よくあることではあるが、それを遠い友人によく似た顔にされるのは、少々心苦しいものがあった。
「すまない。本当に、このあたりに来たのは久しぶりで」
おまけに新たに生まれた勇者と言われても、あまり把握できていないのが実情だ。各地で騒ぎを起こしているのならまだしも、国を作っている勇者となると、偉業が耳に入りにくい。
「……我が国もまだまだ弱小国家ということでしょう」
「あ、いや、そういうわけでは」
慌てて弁明しようとすると、お気になさらず、とエヒャに微笑まれてしまう。
年下の青年にやさしくフォローまでされてしまい、思わず肩を落とした。
勇者の偉業を語ることを続けるあまり、そういう勇者の話ばかりあつめてしまうせいだ。ここにきて改めて、勇者の認知に偏りがあることに気づいてしまった。
「では、書館様のこともご存じではないのですか」
ひとりごちるようなエヒャの言葉に、彼は再度顔を上げる。
(書館?)
知らない名前が出てきたことに目を瞬くと、エヒャはここにきて初めて、うれしそうに微笑んだ。
「……そうかも、しれない」
その笑顔につっかえながら答えると、彼は光悦とした表情を浮かべた。
「我が国の勇者様は、すばらしいお方です」
その表情を、彼は見たことがあった。
女神に向けられるような、あるいは、自分に向けられることさえあるものだ。
そんな表情を友人によく似た青年がしていることに、彼はどういう顔をしていいかわからなくなった。
「あの、」
「待たせて、す、まない」
ぎぃ、とドアが開き、しゃべり慣れないような声がして、彼は開きかけた口を閉じた。
「あなた、が、勇者、か」
そう問うてきた幼いこどもを見た瞬間、彼はその名を冠する勇者を思い出した。
彼は、鮮やかな桃色や、陽に透ける緑のような色のものと、様々な色の布を重ね着していた。銀糸で刺された刺繍は上品で、何かの模様を示している。ところどころにある艶を消したコインのような黄金の飾りが、鈍く光に反射していた。
幼い子どもが身にまとうにしては少々重そうで、細い体に布が埋もれているようだ。
彼は重い服飾を引きずるように歩いたものの、すぐにべたん、と頭から突っ込んでこけた。
反射的に腰を浮かせた動作より早く、エヒャがかけていく。
しかし、そんなこけた少年の近くの床からしゅるりと茨の蔓が現れ、少年を起こした。茨は丁寧に彼の服を払い、そのまま目の前の席にまで運ぶ。
「……君が、書館の勇者か」
少年は上に向かって手を上げ、呼ばれて初めて、眠そうにした目を瞬いた。
「そういうあなたは、何と呼べば、いい、かな?」
「私は……」
名乗ろうとした瞬間、アァ、とひび割れたような悲鳴のような声がした。
ばさりと音を立て、少年の肩口にすり寄った生き物に、彼は絶句した。
それは、魔物だった。
前身を白い羽で覆った巨大な鳥で、顔は人間だ。裂けたような胸元の一文字の隙間から、ぞろりとこぼす茨をあたりに広げ、書館の勇者にすり寄っている。書館もその魔物の頬をとんとんとあやすように撫でていた。
魔物であるが、魔物ではない。
ばらばらのものを無理やりつなぎ合わせたような、悲鳴と苦しみを煮詰め、それでも愛をカタチとしてなしたような、歪な生き物だった。
感覚として訴えてくる強烈な違和感に、彼は思わず顔を歪めた。
「……」
名乗らないでいるうちに、ふわり、と勇者の証が浮かび、自然に書館の元へと引き寄せられていく。
詠唱もないままに魔法を発動したことに目を丸くしていると、彼は手の見えない袖口で証を確認してから、ふわりと証を戻した。
「ずいぶんと、長いかた、の、よう、だ」
「……最近の魔法はずいぶんと、速いんだね」
少年は空色の眼を不思議そうに瞬かせた。
「私は、長く伝えないと、聞き入れてもらえないからね」
そうして言ったあと、わずかに微笑んだ。
「私は、透輝の勇者だ」
そうして改めて名乗ると、書館は眼を輝かせた。
「ほうせきの、なまえ……翡翠さんと、おなじ、くらい古い……!」
彼は幼い少年のままに目を瞬かせ、うれしそうに笑う。
しかしうまく笑えないのかして、ひきったように口元が動くばかりで、笑い慣れていない、情緒のなさが伺えた。
(……これが、あたらしい勇者)
透輝は改めて年若い勇者に向き合った。
濃紺の髪はきれいに梳かれ、自分を見つめる空色の瞳は無邪気に輝いている。まるで幼い少年が尊敬する人物に会ったように喜ぶさまは、とてもではないが、勇者には見えない。
「……君は、翡翠を知っているのか?」
知己の名前を聞いてそう尋ねると、少年は静かにうなずいた。
「たまに、来る。そとのおはなし、たくさんしてくれる」
「外の話?」
その言葉に首をかしげると、うん、と書館はうなずいた。
古い知り合いが、いくら少年だとて自ら武勇伝を話すようには思えなかった。そういうことをする人間ではないことは、十分に理解している。
わずかな違和感に首をかしげていると、書館の勇者は、僕は出ないから、と付け足した。
「僕は、ここから、でない」
「は……」
その言葉で、この少年が何を言いたいのか、透輝は理解してしまった。
つまりこの少年の姿をした勇者は、国どころか、この図書館から一歩も出ないと言っているのだ。
(なん……だって……)
「ねえ、透輝さん、僕は本がすき、なんだ」
少年はそう言って、無邪気に笑おうとした。
けれどやはり彼の表情は上手く動かず、どうにもぎこちない。
「だから、あなたのことも、たくさん知っている。たくさん読んだよ」
巨大な図書館。もはや国として機能している勇者の拠点。そこから一歩も出ない幼い姿をした勇者。表情のうまく作れない子ども。勇者の従える歪な魔物。
そしてエヒャの向ける光悦とした表情。
並びたてられた事実すべてが歪で、透輝は久しぶりに気持ち悪さを感じた。
けれどその事実から、導き出されるものもある。
この巨大な図書館は、この書館の勇者を閉じ込めておくための檻なのだ。
彼は信仰を集め、そしてその信仰と存在だけで国として発展している。発展しているからこそ、彼に尽くす人材が集まるし、本も集まる。だからますます、彼は外へ出ない。
「……君にまで知られているなんて、光栄だよ」
なんとかそう言ってへらりと笑うと、書館はすこし身を乗り出した。
「あなたの眼は、真実をうつすんでしょう?ぼくはどう?」
その言葉に、透輝はぎくりとして頬を引きつらせた。
とっさにエヒャに視線を向けてから、すぐに視線を戻して苦笑する。
「……どうかな、お兄さんにそんな力があるように見える?」
「あなたは、宝石の名を冠する偉大な勇者だ。あなたの偉大さはこの図書館の膨大な書物にあふれかえっている」
だんだんとしゃべっているうちに滑らかに話すようになった書館は、つ、と視線をエヒャに向けた。
「……彼が邪魔?」
目敏く透輝の動きを見ていた少年がまっすぐに問いかけてきた。
透輝はこの目の前の子どもの評価を改めた。
彼は子どもではない。幼く利用されているだけの、無垢な生き物ではなかった。
「まさかそんな。でも、そうだな……君の魔物は、ずいぶんと歪だ」
「イルドリョウスは、人工物だから」
人と魔物が混ぜ合わさったのだと書館はあっさりと答えた。
「……君が作ったのでは、ないな」
この少年が感情にまみれた歪な魔物を作れるとは思わず、透輝はそう零した。
「すごいな。そのとおりだ」
透輝の長年の経験からの回答は、彼を満足させるものだったらしい。
いささか平坦にも聞こえる声で返した少年に、透輝は、君は外へ出ないのかい、と問いかけた。
「そと?」
「ああ、外だ。この図書館のね」
そう口にした瞬間、ぞわりとしたものを感じて、透輝は視線を走らせる。
視線の先にはエヒャがいた。
彼は黙り込んだまま、ぎょろりと赤い眼を光らせていた。憎悪が滲むその眼は、明らかに殺意が混じっている。
(な……)
反射のように殺意を向けられたことに、透輝は顔を驚きを隠せなかった。
彼から殺意を向けられたことに目を丸くしていると、書館は不思議そうに首をかしげ、エヒャに視線を向ける。
しまった、と思ったときにはすでに遅く、書館は布が重なった腕を持ち上げていた。
「アウル・エヒャ」
少年が静かに名前を呼んだ瞬間、エヒャは顔を上げ、そしてよろめいた。
「エヒャくん!?」
透輝が立ち上がると、エヒャは片膝をついて、手を向けた。制止を促す手に、そのまま立ち尽くしていると、彼は苦しそうに顔を歪め、片目を手で覆った。
「書館様……」
しかし苦しみに歪む顔は、ぐにゃりと曲がった。その顔は、光悦とした、ひどく尊いものを見上げるような、幸福に満ちた表情にねじれる。
彼はうっとりとした表情で書館の勇者を見上げ、膝をつき、申し訳ありません、と喜色を滲ませながら謝罪をした。
「いや、君の魔法が暴走してしまうからといって、ぼくもやりすぎたみたい……ごめんね?」
いたい?と聞かれると、彼は片眼から手を外し、とんでもない、と微笑んだ。
「問題ありません。ありがとうございます、書館様」
にここと笑うエヒャの赤い眼には、ヒビが走っていた。
つまり書館の勇者は、エヒャの魔眼に対してなにがしかの攻撃をし、エヒャはその攻撃が直撃した。
エヒャの体に宿る魔法陣は複雑に生身の体と結びつきあっている。
だというのに、この少年は魔法陣だけを破壊し、エヒャがしようとしていた攻撃の魔法陣を紙のように破り捨てたのだ。
「申し訳ございません……透輝様にもご無礼を……」
書館の勇者だけに意識を向けながらも、エヒャは取り繕ってそう言った。
透輝は問題ないよ、と朗らかに言って座りなおした。
「……僕は出ないよ。さいきん、知ったんだけどね?僕に外にでてほしくない人がいっぱいいるみたいなんだ」
「それで出ないのか?」
ううん、と書館の勇者は幼い子どもがするように首を振った。
「僕ね、時間に干渉したかったんだ」
遊んだよ、と言うように放たれた幼い勇者の言葉に、透輝は目を見張った。
(それは……)
自分に備えられた能力のひとつであるがゆえに、透輝はなんと答えればいいのかわからなかった。
書館にはその能力がないのだろう。だからこそ、彼は魔法か何か、干渉できる方法を確立し、試してみようとした。
エヒャへの攻撃や、無詠唱で様々なことをやってのけるこれまでの行動を見れば、彼であればそれくらいの方法は思いつきそうだった。
「僕、悲劇をなかったことにしたかったんだ。イルドリョウスが、人工物にならないようにしたかった。人間の姿にならなくてもいいように。アルバも死なないようにしたかったし、アベルも人間の体にしたかった。マリアは眠らなくていいようにしたかったし、ジャックも人間のままにしたかったし、バーデは壊されないようにしたかった」
訥々と語られる言葉に、透輝は思わず手を握りしめた。
「僕は僕が消えても、僕が王様を殺さなくてすむようにしたかった」
その言葉には、苦しみも悲しみも後悔もなかった。彼は人を殺したことがあると言いながら、それについては何も思っていない。
その言葉は、ただ周りの人間の苦しみが亡くなればいいのに、という純粋な願いだけが含まれていた。
(この子は……)
この勇者は、哀れな子供だった。
彼の周りには悲劇に見舞われた人間がたくさんいたのだろう。そしてその悲劇の終止符を打ったのがこの子供だった。
そして彼は、当たり前のように思ったのだろう。
過去の悲劇で起きたことを、なかったことにしたい、と。
悲劇に見舞われた多くの人を助けたい、という、『勇者』としてはふさわしく、まるで夢を見るこどものような戯言だ。
「でも、怒られたんだ。それをしたら、僕がいなくなったら、みんな悲しむって」
だから、僕はここにいる、と答える彼は、やはり子供ではなかった。
「そうなんでしょう?エヒャ」
そうして問いかけられたエヒャは目を丸くし、しばらく答えを探した。
しかしゆっくりとうなずき、もちろん悲しいですと答えた。
「書館様がいなくなられては、私はどうしたらよいのかわからなくなります」
その答えに書館はすこし安心したように、あとは本がないのも困るしねと言った。
しゃべりつかれたのか、置かれたティーカップの中身を両手で持ってすする小さな子供は、勇者だった。
出る必要がないのかもしれないが、それでも周囲のいてほしいを汲んで、外に出ない。とはいえ、彼を外に出さないのは、大人の策略もあるのかもしれない。
それでも彼は、閉じこもることで一般の人々の信仰を一心に受けているのだろう。
エヒャのうれしそうな横顔は、狂信者のそれに近い。
小さな子どもが宗教の対象にされていることに、透輝は一瞬、目を固くつぶった。
けれど、正統な王として庇護されないまま、一人で生きていくことになった『支配階級の眼』の保持者が、相当苦労して生きてきたことは想像に難くなかった。
そこでエスタブリッシュアイすら破れるこの少年の高度な魔法と、このように平然と他人を背負える気質を見て、それに縋りたくなってしまうのも、透輝にはわかる。
色々なことがわかるからこそ、透輝は女神の残酷さに、久しぶりに表情の作り方がわからなくなった。
(だって書館の勇者は、本来であればそんな他人から寄る辺にされることなく、きっと笑って空の下で遊ぶような、)
「透輝さん、だから僕に、外の話をたくさん教えてほしい」
そうして無邪気にねだる少年に、透輝はもちろんだよ、とうなずいた。
自分にできることは、やはりいつだって今更だと透輝は苦々しく思う。
それでも、せめて年若い彼らの行く末が、どうか明るいものでありますようにと透輝は笑いながら祈った。