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ディカイオスの天秤 第2話

全体公開 20447文字
2022-05-28 08:33:42

第2話 偽りのピース

Posted by @dika_bal

■1/BAR Eden

上品な調度品がうるさくない程度置かれている、シンプルでありながら中々に高級感のある店内。客層も落ち着いており、聞こえてくる話し声も密やかなものだ。
薄暗い店内は間接照明の淡い光で照らされている。客の顔は見えにくいが、どこか幸福感のある雰囲気だけは感じられた。
皆どこか陶酔するかのような微笑みを浮かべており、心底楽しげで すこぶる心地良さそうだ。はっきり言って異常とも言えるほどに。
生理的に同じ空間で呼吸することを嫌って、入店早々バーテンに声をかける。
仮面でも被っているのかと思うほど綺麗に作られた笑みを貼り付けたバーテンは「ご注文は?」と機械的に返事をし、それに対して「レメゲトン」と前情報通り静かに答えれば「奥の席へどうぞ」とあっさり通された。

店の奥にあるドアを開けて、そこから続く細い階段を降りていけば更にドアがある。
階段上にあるものよりも重厚感のある映画館の扉のようなそれを押し開くと、熱っぽい声や嬌声混じりの歓声めいたクソッタレ達の弾む声があちこちから響いた。
ジャラジャラとコインやチップの落ちる音、ルーレットの球が滑る音、薄暗くとも綺羅びやかな室内には上の階よりも楽しそうな人々で溢れている。
積まれたチップがあっちこっち、カードが行き交い、声が飛び交い、澱みある空気はタバコの煙なんかでぼんやり霞んでいるようにも感じられた。

まぁ、簡潔に率直にこの場を定義するのならば、つまりは認可のない非合法な賭場である。



⚖第2話 偽りのピース




■2/GRIMOIREオフィス

「『ソロモンの鍵』?」
丹所が近くの及川を見るが、揃って首を傾げる。
「近年よく話題に上がる、所謂 組織犯罪グループの名称だ。一時期、全ての犯罪の裏にはソロモンの鍵が関わっているのではないか等という笑えないジョークまで飛んでいたこともあるくらいだ」
苦笑い気味の木端の言葉に微笑みつつ「国家転覆を目論む組織とも言われていますけどね」と鳳条が巷で伝え聞く憶測の1つを付け加える。
「つまり、テロリストってこと?」
首を傾げたままの丹所が近くの柚葉を見ると、彼も無意識に丹所と同じ方向へと首を傾げた。
「構成人数、目的、手口、拠点……その他全てが謎な組織だ。本当に存在するのか眉唾ものだが、少なくとも警察省に属してるならその名前くらいは覚えておけ。どこで出てくるかもわからないからな」
「大鷹くんの言う通りだ。何かしらの事件で名前が上がるかもしれないから覚えておくように」
木端の言葉に、丹所・柚葉・及川の3人はそれぞれ「はーい」と素直に返事する。

「ソロモンの鍵っていえば、ココ近年ではアレで聞いたかなぁ? 数年前の連続殺人事件。犯人が被害者の小指収集してた~ってヤツ」
「未環子、それ関わってたんだ」
「いやいや、直接関わりはないんだけど……熱心な現場刑事志望が近くにいましてネ。その辺りからの情報なのです」
「その事件は確か誤認逮捕があって……
「問題は前回の件でその名前が出たことですよね? 佐藤 陽二の口からはっきり出たんですか?」
不寝喰・鈴丸・鳳条の班の会話に被せて、急に桐野が口を開く。

「一応出たには出たのですが、曖昧っていうのが適切でしょうか」
そこまで言うと、局長は紅茶のカップに口をつけ、しばしどう言葉にすべきか思案した。
……佐藤 陽二の供述は概ね正常だったのですが……記憶があやふやな部分もあり、精神干渉系の異能力者が関わっている可能性があります」
「それがこの佐藤の供述に出ている『あの人』ですか」
「はい、その『あの人』から『ソロモンの鍵』の名前が出たということで、全体的に少し問題になっていまして」
なるほどと桐野は供述書のコピーに目を落とす。彼のつらつら語られる話に興味はないが、『ソロモンの鍵』という大物は別だ。
刑事になって名前はちらほら耳にしていたし、その前から聞き及んだ名だ。
なんせ"全ての犯罪の裏にはソロモンの鍵が関わっている"なんて途方もない話があるのだから。刑事になる前、5年前の"あの日"以降からその名は耳にしていた。

「それでなんですが、GRIMOIREの方に2件の依頼が回ってきていますので、2班ずつに分かれて担当をお願いしようと思っています」
「前回くらいから思ってたんですが、うちの課って小間使いみたいですね!」
丹所の悪気ない一言。「口が過ぎる」と大鷹は丹所の後頭部に軽くチョップを入れる。
「うちのがすまんな」と木端が軽く謝罪を入れつつ「それで、事件の詳細は……」と局長に向き直った時、オフィスの扉が轟音を響き渡らせた。
一部は呆れ気味に、一部は驚いて、一部は渋々といった様子で各々が扉の方へ視線を移すと、そこには扉を豪快に開け放ち仁王立ちする白鳥と後ろに控える野焼の姿があった。

白鳥はお約束のようにフンッと鼻を鳴らし、ずかずか室内へと侵入するとGRIMOIREメンバーの揃っている会議机へ資料の紙束を叩きつける。
「近年流されている違法ドラッグ『マグメル』、通称『M2』の出どころと疑わしき場所が出てきた」
「あぁ、前々に丹所クンが捕まえてくれたアレ」
アレと不寝喰に言われ丹所は首を傾げるので、隣の及川は「丹所さんが白バイで追ってた」とGRIMOIREに連れられたあの日のことをしどろもどろ説明する。
「ぴんぽんぴんぽーん。その時の子から色々話を聞き出せたみたいで、捜査が進展して数か所の特定に至ったみたい」
「薬師寺さん!」
いつの間にか現れて、しれっと会議の輪に混ざっている薬師寺に柚葉が驚いて立ち上がる。
彼女は未だにあちこちぐるぐる巻かれた包帯やガーゼを気にした様子もなく、いつも通り微笑んだ。
「怪我の具合は?」と柚葉が駆け寄るが、薬師寺は「大丈夫大丈夫」と軽く受け流す。

話の中心が自分からズレて、白鳥はわざとらしく咳払いをし、少し声を大きめに話を続ける。
「M2は違法ドラッグの一種で、形状はチュアブル錠というタイプの錠剤。製造国は不明だが税関などで上がっていないことからヒノモトで作られている可能性が非常に高い。真っ青なラムネ菓子のような見た目をしており……他ではあまり見られないのだが、M2自体の完成度にかなり大きな差がある」
「差?」と丹所が素直に疑問を口にする。
「粗悪品も多いんスよ。つまり、製品品質が全然一定じゃなくて、同じM2でも薬物の強さみたいなものに結構バラツキがあるんス。でも粗悪品もヤクはヤクっスからね~。厄介なことが、粗悪品の方はかなり安価で売買されているから、若年層も手を出しやすいってことっス」
「均質性のない品質、不揃いの売買価格、統一されているのは見た目だけと厄介な代物だ」
野焼と白鳥の話に薬師寺が続く。
「実はそのM2って前々から『ソロモンの鍵』の資金源になってるんじゃないかって言われててね。出どころを押さえることができれば、その謎の組織にまた一歩近づく可能性はあるってことで……そんでこの話がGRIMOIREの方にもきたってわけ」
普通ならマトリが動く案件だけどね、と軽く付け足しつつ薬師寺は会議机に寄り掛かる。
「はい、そういうわけで捜査に赴く場所が少し特殊でしてね、潜入しても違和感のないメンバーにお任せしようと思いまして
局長が一拍置いて、それぞれの顔を見渡した。
「無27班、よろしくお願いしますね」
……ハァ?!」


■3/繁華街路地

桐野藍は細長く息を吐く。バレないようにつくため息だ。すぐ目の前ではガラの悪い男と、それと言い合いしている己の旧友兼同僚。
この3人で潜入捜査など無謀の極みだろう……そう思い、局長に進言はしたがあっさり流された。
普段の服装から若干様相を変えた3人は揃って目的地に向かって歩きはしているが……。タートルネックの首元を無意識にいじりながら、桐野藍は再び細いため息をつく。
「何度でも言うが単独での判断・行動は控えろ。問題があればすぐ局長に報告上げるからな」
「いちいちうっさいんじゃボケ。口から生まれたんかてめぇは」
「おい、そういうところだぞ。現場で軽率な言動は
「はいストップ。大鷹の気持ちもわかるけど、そこまで言わなくても大丈夫でしょう。燃々焼さんだって仕事はわかってるんだから」
大鷹は「でも」の言葉を飲み込み、少し不服そうに小さく頷く。一方燃々焼は隠す様子もなく「胡散臭い」といった目を桐野に向けていた。
「18班もサポートについているし、今日は下見ついでの軽い偵察なんだから、まぁそんな気負わず、ねぇ?」
「俺が心配なのはこいつだけだよ」

大鷹がジトっと目線のみで睨みを効かせるが、燃々焼はハンッと鼻で笑う。
「36、45班も大変だろうからね、こっちもしっかりやろう。でもまぁ、無茶はしないようにね」
桐野藍はBAR『Eden エデン』の扉に手をかけた。


■4/オフィス

「いやはやさすがの不寝喰チャンもこれはちょっと……
「いいじゃん未環子! 似合ってる! かわいい~よ」
いや年齢的にと若干口籠る不寝喰をよそに、鈴丸はにこにこと楽しそうに彼女を着せ替え人形にしている。

「うちの班はサポートだしさ、いつ現場に追加投入されるとも限らないし準備しとくに越したことないと思うけど?」
「それは物は言いようって感じがするにゃ~……
「いや未環子、そこは『ぴょん』じゃない? うさぎだし」
「うさぎは声帯がないから鳴かないゾ~?」
「未環子ってば物知りさん♪」
取り留めのない会話を軽い笑いで切り上げたところで、コンコンとドアがノックされる。2人が視線をそちらへ移すと、開きっぱなしの扉横で鳳条がにこやかに立っていた。
「げ」と鈴丸は反射的に笑顔が引き攣る。まるで担任の先生に悪戯がバレた小学生男児のようだと不寝喰はそっと微笑んだ。
「鈴丸さん」
あ、あー……俺~、白鳥さんに~追加の捜査資料取りに来るように言われてた~」
「説明口調の棒読みありがとうございます。不寝喰さん、着替えてからでいいので薬師寺さんからのメール確認してください」
「お、もう資料送られてるんです? 流石お仕事が早い」
「じゃあ俺 行きますね~」
鈴丸が素早く扉から出ていく。その後を追って鳳条も扉から廊下へ出て、不寝喰を置いたオフィスの扉をそっと閉めた。

人の気配や微かな話し声は遠くから聞こえてくるが、だだっ広い廊下には鈴丸と鳳条の姿しかない。
鈴丸はついて出てきた鳳条を気にする様子もなく足を進める。
「鈴丸さん」

先ほどと同じトーンで鳳条が鈴丸の名を呼ぶ。返事をする代わりに鈴丸は立ち止まった。振り返ることはない。
「あまり不寝喰さんで遊ばないであげてくださいね」
「あはは~、すみません。つい可愛くって」
……そうですか。そうですよね。今まで後輩がいらっしゃらなかったみたいですしね」
…………。」
「今までは鈴丸さんの方が後輩部下の立場で、上司を立てていらっしゃったんですよね」
……ははっ、そんな優秀なもんじゃないですよ、俺なんて」
「ご謙遜を」
「白鳥さん怒らせちゃうんで、もう行きますね」
返答を待たず鈴丸は歩を進めるが、鳳条は間髪入れずに「あぁそれと」と言葉を続ける。
「"弟さん"、お加減はいかがでしょうか」

その一言に鈴丸は思わず振り返る。
温度がなさそうな深紅の瞳と目が合った。宝石みたいなそれがじっと自分を見つめている。まるで腹の中を見透かすように。
嫌な汗が出る。自分は今どんな顔をしている? "鈴丸 誓"の顔か?
ゆっくり目を伏せ、意識して口角を上げる。冷静に、上擦らないように注意して、明るい声音を選ぶ。喉が焼けそうだ。
「お陰様で」
声を絞り出すと鈴丸は足早にその場を去った。その背中を鳳条は見送る。

しばしその後姿を見ていると、コンコンと小さくノックの音がした。
振り返ると不寝喰が控えめに扉を開いてこちらを見ている。
「ケンカしちゃいました?」
……ふふ、嫌われてしまったかもしれませんね」
「あ~らら……では残念賞の飴チャンを進呈いたしましょう」
「ありがとうございます」
棒付きキャンディーを受け取りながら「甘いものばかり」と鳳条が口にすると、不寝喰はそれに合わせて「摂りすぎないように」とセリフを被せる。
不寝喰は悪戯が成功したみたいに「にひひ」と微笑み、鳳条は一枚取られましたねと同じく微笑んだ。


■5/賭場(Eden地下)

"下見ついでの軽い偵察"とは何だったのだろうか。
それ以前に、潜入捜査なんてものは場に溶け込むことを求められる。しかし……
「ベット」「コール」「フォールド」「コール」「レイズ」
チップやカードが行き交う。そんな中に彼の姿はあった。
「レイズ」
彼の言葉に同じテーブルの男は笑う。「コール」とチップを更に積み、手札を開示する。フルハウスだ。
良い手だが、彼──桐野藍は表情を崩すことなく、何でもないかのように己の手札を晒す。
「ロイヤルストレートフラッシュ」

周囲がざわつき、歓声めいた楽しげな声があちこちで上がる。桐野の周囲には更にチップが積み上がり、とんでもない量に。所謂大勝ち状態だ。
野次馬に混じってその様子を見ている大鷹は頭を抱えつつ、(何で目立ってんだよ?!)と心中でツッコミを入れる。
燃々焼は賭場の隅、数カ所ある内の1つのバースペースの席に1人で腰を据え、遠くの方からその様子を眺め若干呆れ気味にうんざりと息を吐いた。

潜入捜査なんて疑わしくなるほど目立ちまくっている。
桐野は周囲でベタベタしてくる男女それぞれを躱しながら、燃々焼とは別のバースペースへと辿り着いた。
カウンターチェアに腰を降ろしつつ、バーテンに「ギムレット」と短く声をかける。バーテンは無言で頷くと手慣れた様子でジンの瓶を手にした。
「すごいね」
いつの間にか隣の席に男が座っていた。黒髪に赤のメッシュ、照明が控えめなバースペースでもチラチラ光が反射してピアスが目立つ。
居丈は友人の感じに近い。前髪が長くその表情は窺えないが、声音から無邪気で懐っこい雰囲気を感じられた。

たまたまツキが向いていただけだよ」
「それでも十分すごいことだよ。お兄さんここ初めてでしょ?」
そう言いながら男はバーテンに「ギムレット」と短く声をかけた。
「よくわかるね。君はよく来るの?」
「そうだね。よく来るよ」
「今日の調子はどう?」
「今日の調子はまぁまぁだよ」
ここまでの会話で桐野は微かな違和感を覚える。
カウンターテーブルにギムレットのグラスが2つ並んだ。
男はそのグラスに手を伸ばし、軽くテーブルを滑らせ桐野側のグラスに自分のグラスを当てる。
「ねぇ、名前教えてもらってもいい? できれば下の名前がいいな」
彼は無邪気にそう尋ねる。
藍。藍色の藍って書いて"らん"だよ」
「え? すごい偶然! 紺色の紺って書いて"こん"なんだよ」
彼は自分を指してそう言う。
すごいね、僕たち名前がそっくりだ」
「本当にね、"僕"たち名前がそっくりだ」
彼は無邪気に笑う。くすくす笑う。
「ねぇ、藍。僕と友達になってよ? もうこんなの運命的だと思うんだ」
……あぁ、"俺"なんかでよければ是非とも」
「わぁ、嬉しい。"俺"ここじゃ若造で友達少なくってさ、本当に嬉しいよ」
……そうなんだ。紺はいくつなの?」
……いくつに見える?」
「ははっ、女の子みたいなこと言うね。……そうだなぁ」
桐野は冷静に相手を見る。この冷静さを覆い隠しながら、彼を探る。
20代だろうが正確な年齢感はわからない。10代後半20歳手前だと言っても信じられる。
若造と言っていたのが本当ならば、20代前半くらいが妥当だろうが……あえて己と同じ年齢を口にした。
「うーん、26?」
「すごいね、当たりだ」
桐野の微かな違和感は徐々に大きくなっていく。
ミラーリングだろう。故意なのか無意識なのかはわからないが、この様子ならばお友達もさぞ多いのだろうと想像がつく。
もしも意識的にやっているのだとすれば、人の懐に入り込みたいという"目的"が見えてくるはずだ。
わぁ、すごい。"僕"も同い年でね」
頭の中を透かさないように無意識の仕草すら抑えて微笑みかける桐野。そんな桐野に男も微笑みかける。
「わぁ、すごい! そんなことあるんだね」
「運命的だね」
「運命的だね。"僕"もそう思う」
2人は楽しげに、くすくすと笑いあった。


■6/繁華街路地

「大鷹、俺と話してたやつの記録撮ってる?」
「あぁ、店内の人間は大体記録したけど」
一旦Edenから出て、つけられていないか確認しながら3人は近場の薄暗い路地へと入る。あつらえむきに人の姿はないが、あまり長居をしたくなるような場所ではない。
念のため口元を隠しながら話を続ける。
「俺と話してたやつについて洗って来てほしい」
「わかった。18班の方にも伝えておく。それから、店内で気になった他の人間もいくつか上げとくよ」
「助かる」
「燃々焼。本部に戻るぞ」
「ア? なんばゆっちょっとや。わしがてめぇに付き合う道理はなかやろう」
「はぁ? おい、これは仕事だ! ガキのお遊戯会じゃねえんだぞ!」
「すごすご引きこもっちょってもなんもできんわ。補助に18班がおるんやったら現場におってもええじゃろ。それに、こっちはこんまま残る気満々っちゅう顔や」
燃々焼が桐野を顎で指す。大鷹からも視線を向けられると、桐野は頷くように曖昧に小首を傾げた。
大鷹は桐野と燃々焼それぞれに厳しい目を向けるが、やがて諦めたように目を伏せてでかいため息をつく。
…………はぁ、わかった。俺だけ戻る。ただし、2人とも絶対目立つことはするなよ」
「はい、そっちもよろしくね」
こっちの方が先輩だぞ、と呆れながら、大鷹は微笑んでいる後輩をじろりと睨み見上げる。
それじゃあ、とそれぞれ分かれて路地裏から出るところで、大鷹はおもむろに燃々焼の首根っこをひっ捕まえた。
「何しよっちゃね! ばかすったれ!」
「話があるからちょっと残れ」
「じゃあ、僕はお先に。あんまり喧嘩しないでね?」
「業務の話だから問題ない」

ひらひらと手を振り、桐野を見送る。彼が角を曲がってから大鷹は燃々焼を解放し、とりあえずで急にひっ捕まえた非礼を詫びた。
「話は何や」
手短にしろという圧を発しながら燃々焼が大鷹を見やる。大鷹は引き止めたのはいいものの、言うべきかどうか少々迷っている様子だ。

はっきりしない大鷹にイライラする燃々焼は壁にもたれながら腕を組み、非難がましい視線を向ける。
……桐野のことだ」
「はぁ……
知ったこっちゃないって顔の燃々焼。大鷹は目を落とし、どこに視線を向けるか迷って自身の靴のつま先を見つめた。
いくらなんでも異能力者 こいつに頼むのはお門違いなのかもしれないが、それでも心配の方が勝った。
自分はもう、間違えてはいけないのだから。こぼれ落ちないように全てを囲わなければならないのだから。
……あいつは冷静に見えるが、まだ危うい部分もある。あいつに何かあったらすぐ俺に報告してくれ」
「知らん」
「は……?」
「何ば勘違いしとんのか興味なかんちゃけど、わしはきさんらの道具でもなけりゃあ しゃーしい親でもなか。そげん気にしたかなら、てめぇで直に気にせぇ。わしを巻き込むなや」
大鷹が燃々焼へ乱暴に掴みかかる。互いの視線が近距離で交わった。
俺たちは3人で1チーム扱いだ。互いがフォローを入れるのは当然だろう。チームプレイが求められてんだ! お前みたいに力のある人間が俺らみたいな一般人そっちのけでお前だけのワガママを通すっていうのならそれはただの傲慢だ!」
燃々焼はハッと鼻で笑い、顎を上げて大鷹を見下す。
「なあんが"チームプレイ"じゃ。てめぇの言うちょることは"てめぇ個人の話"やろ。それこそてめぇの勝手じゃ」
大鷹はぐっと奥歯を噛みしめる。
「わしは、己がやることやるために現場におるだけや。"てめぇの言うチームプレイ"が ほんに必要だとは微塵も思わんし、自分のケツは自分で持つもんやろが。そんなこともできんのじゃったら──」
掴みかかっている大鷹の手を振り払い、業火を写し取ったような紅蓮の瞳で真っ直ぐに睨みつける。
「──現場に立つんをやめろ」
静かにそれだけの言葉を残すと、燃々焼は上着を翻し歩き出す。そのまま一度も振り返ることはなかった。

大鷹はどうしようもない感情を持て余して拳を握り、それを力任せに壁へ叩きつける。
自分が言っていることは正しいはずなのに言い返せなかったのは、彼が言っていることも正しかったからだ。
…………"正しい"って、どうすればいいんだよ
もう答えてもくれないだろう人に、届かない呟きを絞り出すしかできなかった。


■7/桐野 藍

人間は生きていれば得ることもあるし失うこともある。当然のことだ。理解しているつもりだ。
しかしながら、それを完璧に受け入れることができる人間なんていないだろう。ただの人間である自分もその1人だった。

──5年前、両親を喪った。
どちらも殺された。異能力者に殺されたのだ。
何も知らない俺が帰宅したら、家の中に信じられない状態の両親が転がっていたのを未だにはっきりと覚えている。
ただの死体じゃなかった。骨を一本一本折られているような、およそ人体が曲がらない方へと捻じ曲げられている、人の形を失ったようなそれら。
何のために? 何故こんなことを? 全く意味がわからない。どうして自分が、自分の両親がこんな目に遭っているのだ。
受け入れることのできない現実を前に、更に非道な行為が行われてしまう。
信じられないが、ネットに両親の顛末が動画として上げられた。もちろん犯人の仕業だ。
椅子に縛られた男女。雑に粘着テープで口も塞がれ、悲鳴や嗚咽はくぐもっている。そんな中で犯人は楽しそうに笑っていた。
笑いながら母の右手を取って小指を軽く弾く。すると、いとも簡単にその指は手の甲側に跳ねた。ボキリと嫌な音。泣き叫ぶ母。
男は順に指を弾いた。まるで小枝を折るみたいに人間の手が簡単に変形していく。その度にくぐもってはいるが生々しい悲鳴が上がった。
右手の次は左手、それから腕、肩、足、股関節、続けて上半身……母も父も同じように蹂躙されていく。
世に流すべきでない残酷な光景。最後には首が弾かれ、捻れたり飛んだり。およそ現実とは思えない、そんな様子が全て動画には収められていた。
死者を冒涜するような悪魔の所業。同じ人間が行っているとは到底思えない。犯人が異能力者だから、自分が無能力者 ボーダーだからそんな違いを考えたくはなかった。
だが、両親は"異能力者"に殺されたのだ。こんなに簡単に、こんなに惨たらしく。

──桐野 藍は『異能力者』を酷く憎んでおり、嫌悪の感情を抱いている。
しかし同時に、元来持っていた彼の理性的な側面・他者を慮れる優しさや感情と、未だ忘れられぬ情動との間で揺れ動いている。

その心は、砕けた欠片を拾い集めた歪さで形成され、ずっと重くて抱え続けることはとても難しい。
彼の天秤のバランスをとったのは、他でもないANIMA 警察省の存在であり、犯罪者を等しく裁くという行為だ。
法を、ルールを犯す犯罪者を等しき裁きの前へと差し出すことで、彼は彼の精神の救いを見出したのだ。
復讐にも似た沼に足を取られて引きずりこまれないように彼が手を伸ばした先に掴んだのは、彼にとってのルールという名の着地点で妥協点であった。
彼の心に似た歪な忠義を仕事によって働かすことで、彼は"桐野 藍"という体裁を保つのだ。
未だ持て余すそれらで溺れないように、以来旧友より垂らされた一筋の命綱を離さぬように、心を繋ぎ止めるように大切なラペルピンを胸に、真綿のような希死念慮を柔く首に括りながら。


■8/ねぇ

「藍は後悔してることってある?」
「そりゃあ、人間だからね……いくらでもあるよ」
「そうだよね、人間ならいくらでもあるよねぇ」
まだ酒の残るグラスを手慰みにぐらぐら揺らしながら、紺と名乗った男がぼんやり笑う。
「僕もね、たくさんあるよ、後悔」
「例えば?」
「うーん、親孝行する前に親が死んじゃった時とか? はい、次は藍」
……え? あぁ、じゃあ一緒だよ。俺も親孝行する前に、両親が死んじゃった時」
……え? あぁ、藍もそうなんだ。愚問だけど、まだ引きずってる?」
「そりゃあねぇ……
「そっかそっか……
一瞬の沈黙。

「ねぇ」
口元でしか表情を判別できない男が口角を上げて楽しそうに語りかける。前髪の奥の目の色が変わったように肌で感じた。
「僕たち、何だか似てるね」
同じように足を組み、同じようにテーブルに手を置き、覗き込んでくるみたいに首を傾けるその人は、まるで鏡越しに話をしている人間のようだ。
……そうかもしれないね」
「ねぇ、もしも僕がその後悔を上書きできるって言ったらどうする?」
……どういうこと?」
「後悔ってさ、どう足掻いたって生まれるものだと思うんだ。人間は生きていく上で何かを常に取捨選択している。何かを得て、何かを失っている。でもふと立ち止まった時に、選ばなかった方のことを夢想するものさ。あの時ああだったら、この時こうだったら……きっといくらでもあると思う」
「そうだね、もしもなんて"たられば"は常に存在する。今より より良いものが別にあったかもしれない」
あの時、家に居たのが両親ではなく自分であったとしたら。そう思ったのは一度や二度ではない。
「異能力なんて選ばれた人間しか得られない才能すらもない、ごく一般的な大多数側の僕らは選択肢の幅すら狭い。その中で最良の選択をしたってどちらも不正解だったなんてザラだ。選んでいるつもりが、選ばされている。異能力者の選択の割りを食って、選択させられている」
…………。」
「力を持った人間ばかりが優位なこの世の中で、僕らのような一般的な大多数が失うばかりの人生を歩むのが普通だとされる世の中で、僕はもう1つの選択肢を提示できるように考えたんだ」
男は小さなチャック付きポリ袋を取り出し、テーブルの上に置く。中には真っ青なラムネみたいな錠剤が複数入っていた。
「ねぇ、藍」
桐野はそれをじっと見つめる。
「僕はね、どんな状況でも"逃げる"という選択肢を作ってあげられるんだ。つらくて苦しくてどうしようもないのに、世界は死ぬことを良しとはしていない。生きていれば良いことがある、これからだって希望はあるなんて確証もない無責任な望みを押し付けてくる。なら、新しく救いを見出すことだって、何かに縋って今までを捨ててしまうことも、それは悪いことではないでしょう?」
…………俺はあの人たちに何も返してあげられなかった。なにも」
「うん、つらかったね。でもここに居ればもう大丈夫。みんな救われてる、みんな幸せを感じることができる。だってここは俺の作った『Eden 楽園』なんだから」
男は桐野の手の甲をそっと撫でる。優しく、慈しむように。
桐野はその手にゆっくりと手を重ね、その細い指を握った。
「そっか……
あの日あの時あの場所で、それまで当然のように享受していた幸福というものは全てひっくり返されてしまった。何もなくなってしまった自分に残ったのは未練と、悔恨と……──憎悪だった。
男は桐野の手を握り返して柔らかく笑んだ。


■9/GRIMOIREオフィス

桐野・燃々焼と連絡が取れない。
あの路地裏で別れてから20時間以上経過した現在まで、2人と連絡がつかない状況が続いている。
すぐにでも現場に戻りたかった大鷹だが、燃々焼の言葉が小さな棘のように刺さっており、どうすべきか迷いを抱いていた。
「燃々焼さんはともかく、桐野さんまで連絡が取れないのは意外ですね」
まとめられた資料を大鷹の前に置きながら鳳条が微笑む。
「大鷹さん、ちゃんと眠られました? 顔色があまりよろしくないようですが」
大丈夫です。ちょっと調べ物に手こずっただけなので」
「コーヒー淹れますよ」
ありがとうございます、と大鷹は小さく礼を言い、置かれた資料に目を落とす。
Edenの、建物自体の調査資料だ。捲ると手書きのメモ書きが複数目に留まる。丁寧な資料だ。

「戻ったよ~……って、あれ? 荘次郎だけ?」
「局長は呼び出し。鳳条さんは今コーヒー淹れてくださってて、不寝喰は機捜の情報班の方に行ってます」
「鈴丸さんもコーヒーいかがですか?」
給湯スペースの方から鳳条の声がすると鈴丸は若干眉を寄せる。
「いや、いいです
自分の声から表情がつきすぎていることを感じて、片手で目元を隠しながら大鷹の方を見るが、資料に目を落としているためこちらを確認している様子はない。
感情が出すぎている自分の顔を見られなかったことを内心安堵しながら、鈴丸は大鷹の隣の席に腰を下ろす。
「結構な大物が大量だったよ。ま、隠蔽されないことを祈るだけだけど」
店内にいた人間たちの素性調査を担当していた鈴丸はタブレット内の資料を何気なく指でスワイプしていく。
政治家や有名人二世、企業の上役、そうそうたる名前が並んでいた。
全員がM2と関係あれば連日のニュースはお祭り騒ぎになるだろうことが容易に想像できる。
「隠蔽なんてさせませんよ。法のルールを犯すような人間を正すのが俺たちの役割なんですから」
「あははでも悪いことしてるやつほど、隠蔽っていう"更に悪いこと"をするのは得意なんだよねぇ」
「それを何とかするのが俺たちの仕事でしょう」
「藍や十焔がそうなっても?」

反射的に資料から顔を上げ鈴丸を見れば、頬杖ついていつもの微笑み顔を向けていた。
大鷹はぐっと唇を引き結び、鈴丸から顔をそらす。再び資料に目だけ落としながら、静かに口を開いた。
当然でしょう。だって俺は……警察官なんですから」
「同感ですね。ただ、何故そんな愚かな選択をしたのか等は気になるところですが」
コーヒーの入ったマグカップを置きながら鳳条がにこやかにそう言った。鈴丸は面白くなさそうにそっと目線を逸らす。
「仮に もしもの話として、桐野さんや燃々焼さんが背信行為を行うのだとすれば、それを捕まえるのは私たちですね」
「そんな事態にならないといいですけどねぇ~
鳳条と鈴丸の表面を撫でるだけの会話を大鷹は黙ったままコーヒーで飲み下した。



「全くもって面白いんだけど、わかんないってコトがわかりましたよ」
戻ってきた不寝喰を加え、4人で現状の報告会を行うこととなった。
不寝喰が楽しげに手元のタブレットをいじると、モニターに桐野が気にしていた男の写真が数枚と履歴書のようなプロフィールの表が映し出される。
しかし、ほとんどの欄は"不明"で埋め尽くされていた。
「名前は様々名乗っているみたいで、今回出てた『紺』ってのも偽名だネ。本名不明・年齢不明。オマケで戸籍自体存在しないっぽい役満。唯一わかったのが、このバーに居着く前は離島の孤児院にいたってくらいですな」
「経歴不明かぁ……素性の不明さも相まってソロモンの鍵っぽい感じはあるね」
「その孤児院の方へ連絡は?」
「勿論すぐに連絡入れたのですよ。結果は空振り三振。でも引き続き調査はするつもりなので」
「では、そちらは不寝喰さんにお任せするとしまして……問題は彼ですね。公的に記録がない以上データベースを参照して彼という人間を知る手がかりはなさそうです」
「直接対決待ったナシですな」
……だってさ、荘次郎」

大鷹は書類から顔を上げる。無18班の面々がそれぞれこちらを見ていた。
机の上で指を組みながら、鳳条はゆったり微笑んで首を傾ける。
「貴方が迷いを抱くというのも選択の1つでしょう。大切なことです。行動も選択も慎重であることが一番理想的で望ましい。全ての行動、選択には結果が伴いますから。……それはきっと、"貴方は"よくわかっていると思います」
…………。」
「私たち18班が今『選択』することは、貴方の行動・選択を最善にするよう手を尽くす、ということです」
「後方支援ならアタシたちの班が随一だと思うのですよ。27班に何があったってサポートしますので、安心して任せて欲しいですよ」
俺は荘次郎がやりたいようにやればいいと思うよ。君だから選ぶ行動、見せてもらうだけだしね」

すっかり冷めきったコーヒーを飲み干し、大鷹は立ち上がる。
ごちゃごちゃした考えも答えの出ない問題も片付いちゃいないが、やることはただひとつだけ決まりきっていた。
未だ正解のない己の正義を突き通すこと。己の手の届く範囲の人間を取りこぼさないこと。何かに気付けないままでいないこと。
──"また"間違えたくなんてなかった。

「出る。サポートは頼んだ、27班をよろしく頼む」
短く言葉を残して大鷹は歩きだす。
正解なんてわからないが、止まることは許されない。彼の長い後ろ髪を引く要素なんて数多あるけれど、苦しみも救いも痛みも後悔も呪いもこぼさず結い上げて、前を向くしかないのだった。


■10/X

僕は人間って種類の生き物、名前はずっとない。
気が付いたら孤児院で育ってたし、気が付いたら買い手がついて他人の元で育った。
僕は僕が何なのかわかんないんだけど、それでも他人が俺に対してはっきりした"何か"を作ろうとしているのはわかった。
わかったから、私は人に合わせて"他人が思う自分"になることにした。そうすることで役に立つこともあったしね。
俺の買い主は俺に忠実なる息子であることを望んでいた。心優しくて己を慕う可愛らしい息子。いつも笑顔でいられるような幸せ。
でもね、人間ってそんな単純な生き物じゃない。どんなに楽しいことがあっても、安心して眠ることのできる家があっても、何か心を痛める出来事があればそれだけで不幸になるもんだ。

私ね、買い主だとか関係なく人間の役に立つのが好き。だからかな、昔から「優しい」ってよく言われてた。
褒められるのは好きだったし、みんながにこにこ笑顔でいてくれることが嬉しかった。それで必要としてもらえるって承認欲求も満たされるし、Win-Winじゃない?
だから、悲しいことがあったりつらい思いをする人間が笑顔になる方法を探してみた。みんなにとってつらいことがなくなれば、みんなが幸せになれるんだと思った。

そんな時に面白い人と出会ったんだ。

その人は「面白い玩具をあげる」って俺にラムネみたいに真っ青なお菓子をくれた。
それを噛み砕くと苦くてザリザリなんだけど、段々楽しい気持ちになってくる。意味もなく気分が上がって、頭がぼやっとするけど妙に安心して、それでいて何だか幸せだった。
この気持ちを分け合いたくて他の人にもお菓子を配ったらみんな笑顔になったんだ。
どうしようもない気持ちも、忘れられないつらい出来事も、消しされない過去も、全部全部包み込んで人を笑顔にしてくれる。
僕はきっとこれが正解なんだって思ったよ。
俺はそれに『喜びの島 マグメル』の名前をつけて、私は僕の思う喜び溢れる天国みたいな場所を作ることにした。

ねぇ、何かに救いを見出すことがどうして悪いことになるの?


■11/瞋恚の炎

「幸せってなんだと思う?」
桐野の問いに男は意外そうにぱちくり瞬きをした。
しかしすぐに「そうだなぁ」と考えたのちソファにもたれていた背を起こして、隣に座る桐野の頭をゆっくり撫でる。
「笑顔でいられることかなぁ」
「なるほどね」
「藍は?」
「俺も同じだよ。誰かの役に立って、その誰かが笑顔になるのならいいことだと思う」
「藍ならそう言ってくれると思ったよ」
男は無邪気に笑顔を向けてくる。あまりにも無邪気で素直で、まるで大型犬のようだ。

「ねぇ、紺。M2は全部紺が製造しているの?」
「最初はそうだったけど、今はもう違うよ。一応あちこち工場があってねぇ……あぁでも、勝手に作られている分は関わりないなぁ。類似品、みたいなやつ」
興味あるの?と男が嬉しそうに尋ねるので、桐野は素直に首を縦に振った。
「そうなんだ! じゃあ藍には特別に見せてあげる」
何を、と聞く前に男はぴょんと立ち上がり、VIPルーム奥の壁に手をかざす。何かを読み取ったのか壁が小さく切り取られたように動き、そこからスマホサイズのタッチパネルが現れた。
男が慣れた手つきでそれに何かを入力すると解錠音が鳴り、近場の棚が自動で引っ込んで鉄の扉が出てくる。妙な仕掛けで呆気にとられる桐野へ「おいで」と男は手招きした。

鉄の扉を開くと、機械的な空間が広がっていた。自動で動く機械類と数名の働き手。
男を見ると工場職員のような数名はそれぞれ「お疲れ様です」「調子はどう?」など気さくに声をかけてきた。それに対して男の方もにこやかに気軽に返答をする。まるで学生の部活動の現場みたいに気安い。
机には書類やファイルがきちんと並べられていたり、室内は薄暗くはあるが清潔に保たれていた。
機械は淀みなく動き、青色の錠剤を作っては詰めている。
作っているものに目を瞑れば優良な工場とも思えるほどだった。

「えぇ職場じゃのう」
声に反応した数名が視線を素早く移す。上着を肩から掛け流した男が腕を組み、入り口の鉄扉の前に立っていた。
「動くな。動くやつから──潰す」
職員たちはざわりと粟立つ。しかしそんな言葉ひとつで全てを失うわけにはいかない。
燃々焼目掛けて工具を飛んでいくのを合図に、職員たちは燃々焼へと襲いかかる。
「警告はしたでな」
ニッと燃々焼の口角が上がる。
殴りかかられるも余裕ある動きでそれを避けて軽いステップを踏みつつ後退した。
扉の外のVIPルームに出て、その辺に飾ってあった壺をぶん投げる。それは職員の頭部に命中し、床で派手な音を立てて割れた。
素人らしい喧嘩パンチを腕の動きだけでいなし、お留守になっている足元を引っ掛けてやれば2人目が床に転がる。燃々焼から笑いをかみ殺す声が漏れた。
「お兄さん、同業者? それともマトリ?」
未だ繰り広げる攻防の外から場違いなほどのんびりした男の声がする。
「警察や」
「そっか、何か用?」
「きさんらに縄かけに来た以外何があっち思う」
襲いかかってくる人間の襟首を掴んで、手際よく背負ってそのまま投げ飛ばす。床に背中を強打した相手は呼吸に詰まって吐くように咳き込む。
「でも悪いことしてないよ? 必要としている人間に必要なものを渡しているだけ。病院の処方と何ら変わらないよ」
「ごちゃごちゃせからしか」
燃々焼は腕を激しく擦り合わせる。およそ通常の人間から発せられる音とは思えない固い摩擦音が響いた。
瞬間、腕から炎が吹き出し、ごうごうと彼の腕へまとわりつく。真っ赤な炎が室内を強く照らした。
「犯罪者と定義されるんやったらテメェは悪になるんじゃボケ。わけわからん理屈ごちゃごちゃ並べ立てても何も変わらんわ」

彼の炎に周囲の人間は恐怖や動揺の表情を浮かべる。
「一部の人間が有利になるだけの法が正しいって言うタイプ?」
「自分が正しい思うんやったらそんまま突き通してこい。わしもわしの正しさで相手しちゃる」
「ははっ、ならそれは、とっても傲慢なことだね。嫌いじゃないかも」
「わしはてめぇのようなやつが わっぜ好かんわ」
「あはは、何語?」
男が壁にあるスマホサイズのタッチパネルを操作すると、室内にけたたましい警告音が響き渡る。
ドタドタと騒がしい無数の足音が駆けつけ、室内には武装した人間がなだれ込んできた。
周囲を囲まれ、また燃々焼が心底楽しそうに笑う。はたしてどっちが悪役だかわからないほど不敵な笑みだった。

「おい、何もせんならてめぇも一緒にしょっ引くぞ」
未だ男の横で事態を傍観している桐野に燃々焼が睨みをきかせる。
「友達?」と男が聞けば、桐野は「まさか」と小さく笑った。
「ただの同僚だよ」
そう言いながら膝を抱えるように回転し、男の側頭部目掛けて踵を振り抜いた。
桐野の回し蹴りは既の所で躱され、男の鼻先を掠る。
近くに居た人間が庇うように男と桐野の間に割り込み、桐野に向かって迷いなく拳を突き出した。
まっすぐ向かってくるそれの腕を平手で撃ち落とし、連続して繰り出されるもう一発も反射的に掴んでから乱暴に振り払って、顎をターゲットにし下から蹴り上げる。
蹴り上げられた人間は地面から浮き上がり、そのまま床へと沈んでいった。



2対複数のはずの攻防戦は一方的な暴力の現場にさえ見えた。
燃々焼と桐野は向かってくる人間をいなしては投げ飛ばし、蹴り倒し、叩きのめし、周囲には倒れ伏した人間がごろごろ転がっている。足の踏み場がそろそろ怪しい。
「引火させるなよ」
「誰に言うちょる」
返り血を拭いながら言葉を交わすさなかに連続した発砲音。相手は銃まで持ち出してきたかと桐野が思うと同時に、燃々焼の炎が壁のように広がった。
こちらへ飛んできていた鉛玉は燃やし尽くされ、クズも残さず消え去る。
「うろちょろしとっと、きさんも燃やすぞ」
人の力では太刀打ちできそうもない炎を見て、桐野は忌々しげに眉を寄せる。しかし、口元は笑んでいた。
「口だけじゃないと良いけど」

「よそ見は危ないよぉ」
桐野の目前をショートブーツの踵が掠める。男は勢いのまま回転しきると、リズムを整えるように軽く飛んで、軸足を変えて逆方向から更に蹴りを繰り出した。
二撃目も桐野は上体を反らすのみで躱し、バックステップで距離を取る。
「ねぇ藍。僕たちがやっていることで人を幸せにできるんだよ。それなのにそれを悪だとするのなら、人間が幸せになることは、何かで救われることは全て悪になっちゃうのかな? 人間は何かに救いを見出しちゃいけないのかな?」
男は長い前髪をかき分ける。顕になった無邪気な表情には、善意よりも純粋な自覚なき悪意が滲んでいた。

「『誰かの役に立って、その誰かが笑顔になるのならいいこと』なんでしょう? 一緒に沢山の人を笑顔にしよう。ここから楽園を広げていこうよ。ねぇ藍、僕は君だって救いたいと思うよ」
……何かに救いを見出すことは悪いことではないと思うよ。人間は、俺は何か支えがないと立っていることも難しい。世界も他人も厳しいからね」
男の輝くアンバー色の瞳はまっすぐにこちらを見据えている。
「ただ、何に救いを見出すのかは個人の問題だよ。消すことのできない未練も悔恨も憎悪も俺を構成するもので、それで悩むことも苦しむことも全ては俺の一部だ。全て投げ出してどうにかなるような期間なんてもう とうに過ぎ去ったよ」
桐野はシニカルに微笑む。いつもの穏やかな笑みと違った、感情の乗った人間の笑み。
「俺を助けたいって言うのなら、傷を舐め合いながら泥啜ってでも足掻いて生きて、一生手を離さないだけの覚悟を持つんだな」
……残念。君とは良い友達になれると思ったんだけど」
「生憎、犯罪者と友情を持つことは未来永劫ないよ。それに──」
溶鉱炉の中身みたいな熱い飴色の瞳が静かに燃えているようだった。
「俺の親友を名乗れるやつは、この世で1人だけだ」

3歩の助走から前方に飛んで一気に距離を詰める。上半身を捻って無理やり回転し、後ろ回し蹴りを繰り出すが、流石にモーションが大きすぎるのでガードされた。しかしそれだけでも十分だ。

若干体勢が崩れた男の右手首を掴んで引き下げる。
ぐらりと揺れる男の体の重心移動を見逃さず合わせて踏み込み、右側面に体を添わせながら男の右膝上をもう片手で絡め取って、体ごと男の後方へと押し込んだ。
男はバランスを崩しながらも掴まれている脚を無理やり動かして、桐野の脇腹へと容赦なく膝をぶち込む。痛みで勝手にうめき声に似た息が口から漏れ出た。
緩んだ拍子、続けざまに男の左拳が桐野の腹に叩き込まれ、返しに桐野は裏拳で男のこめかみを狙うがそれは空振る。
負傷部分を狙われるだろう読みで桐野は腹部へくるだろう拳を払いでいなし、更に追撃しようと踏み込んだところで、ふと背後に熱を感じた。

「避きぃて!」
声にハッとし、桐野は何かを確認するまでもなく横に飛び、受け身の要領で床を転がる。
すぐに顔を上げて見た光景は、紅蓮の業火を纏った燃々焼が男目掛けて飛びかかっている姿だった。
ただの人間ではおおよそ太刀打ちできそうもない、力の象徴、異能力者のその姿。
膨れ上がる炎の拳一撃で男を床へと沈めた。あまりの強力さに思わず鼻で笑ってしまう。
「ふっ……だから、異能力者は嫌いなんだ」


■12/エピローグ

上のバーでも大捕物が行われていたようで、その中心には大鷹が立っていた。
ある程度ズタボロな2人が上がってきたのを目ざとく見つけ、ジロリと睨みを利かすが、すぐに仕方ないなという風に眉を下げ「お疲れ」と一言投げた。
外に出れば応援の車両が複数台停まっており、18班の面々や他部署の刑事たちでごった返している。
言い争いや怒声・罵声・泣き声様々な声が入り混じり、路地はお祭りのようににぎやかだ。逮捕者は次々に車両へと押し込まれていく。





「有り得ないからな、普通。常々報告と連絡は怠るなと」
「はぁー……こんうっさいの何とかしぃや」
「大鷹はそういう奴だから、そろそろ慣れなよ」
「おい、藍! どういう意味だよ。大体お前も今回燃々焼のこと言えないからな! 収まったからいいものの
くどくどと大鷹の説教が続く。
「クハッ、あーあー、巣から落ちっせ小鳥がぴいぴい鳴きよるわ!」
「心配してくれたんだよ。可愛いでしょう?」
「お前ら! 聞いてないだろ!! 始末書と反省文、絶対書かせるからな!」

燃々焼、桐野、大鷹、思想の違いや行動の取捨選択の順位、理想、何もかも違っており、今後もずっとその溝は埋まっていくことはないかもしれない。顔を突き合わせ衝突しあい、たがえることもこの先何度だってあるだろう。
それでも、彼らが彼らそれぞれの持つ信念を、己の正しさを貫き通すことやめることはない。

「あぁそうだ。燃々焼さん、俺 君のこと嫌いだよ」
「それはええ。わしもきさんのことは気に入らん」
「あーもう! 俺もお前らのそういうとこ嫌いだよ!」

ピース 欠片は噛み合わず、ひとつの美しい絵を完成させるパズルとはなりえないだろうが、偽りの平和を享受するよりよっぽど正しいだろう。
彼らは彼らの"正しさ"を突き進み、そしてそれぞれが個人だからこそ作れる美しい絵 正義を作り上げるのだ。
ここは、まだ途中。

足並みは揃わずとも、向かう先は同じだった。


⚖第2話 偽りのピース 了


【裏CS/HO内容】忠義


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素敵なスチルをいただきましたこと、心より感謝申し上げます。


※この物語はフィクションです。作中に登場する事象・思想・個人名・団体名などは全て架空のものであり、現実のものとは一切の関係がございません。フィクションとしてお楽しみください。


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