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Magic Trick Chocoholic!

全体公開 1 6428文字
2022-06-01 23:23:30

バロ龍(現パロ) 2019年2月1日投稿
法廷7無配

Posted by @saeki_f

 チョコレートには、人を幸せにする魔法がかかっている。



(今年も混んでるなあ……朝一番のチケット取れて本当に良かった)
 ぼくこと成歩堂龍ノ介は、都内にある大きなビルの展示会場前で行列に並んでいる。前から数えて大体百人ほどの位置だろうか。この日のために仕事を休んで早朝から来たお陰でかなり前の方に並べた。
 今日から始まるのは、年に一度だけ行われるチョコレートの祭典だ。世界各国……主にヨーロッパの有名ブランドが一堂に会し、このイベントのために新作や限定商品を用意する。チョコレートを愛する人のためのイベントなのだ。
 初日の朝一番に入場できるチケットは毎年十分ほどで売り切れる。ぼくもチケット戦争を勝ち抜いたとはいえ、入場時間別の整理券のようなものだから、入場時間ギリギリに来ればその分出遅れてしまう。ここまで来ればとりあえずは一安心だ。
(カタログでも見ておこうかな、暇だし)
 受付で貰った小さな冊子には出展ブランドや目玉商品が載っている。事前に調べてはいるけれど、開場まで時間を持て余しているのだ。目当て以外のブランドをじっくり見ておくことにした。

 最も出店数が多いのはフランス。次いで日本。ベルギーやイタリアもそこそこの数がある。ぼくが購入を決めているのもやっぱりフランスと日本が中心で、それ以外の国のブランドはチェックが甘い。
(イギリスからも結構来てるんだ。懐かしいなあ)
 学生時代、ぼくは一年間のイギリス留学をした。今思えば確かにチョコレート屋が多かった気がする。料理は今ひとつと言われがちな国だけど、お菓子はどれもおいしかった。中には王室御用達の店もあったはず。
 ぼくが行ったことのある店が来ているかもしれない。そんな思いでイギリスのブランドのページを開く。二、三枚ページを捲ったところで手が止まった。
(あっ、ここ! 知ってる店だ)
 ロンドン市内にあるこぢんまりとした店だ。ぼくが食べたのは頂きものだったから実際に行ったことはないけど、個人的にすごく思い出深い。そうか、この店も来てたんだ。

 この祭典には大抵の場合ショコラティエ本人が来るから、カタログにはショコラティエの顔写真も載っている。忙しくなければ写真を撮ったり話をしたりもできる。ここのチョコレートには留学当時に助けられたから、もし余裕があったら直接お話してみたい、のだけど……ここのショコラティエはすごく顔が怖い。いや、チョコレートに情熱を注いでいるのだからそれだけで素晴らしい職人さんなのだろう。それにしても顔が怖い。
(この人が居るかもしれないのか……
 おっと、失礼なことを考えてしまった。ご本人はともかく、チョコレートがおいしいことは知っている。買わない選択肢はない。
 例年、長蛇の列ができるのはフランスと日本のブランドばかり。イギリスの店なら、よっぽどの人気店じゃない限りは混まないはずだ。ショコラティエ本人と話をするなら、開場後すぐの忙しい時間帯は迷惑になるだろう。まず当初の目的の列に並んで、買い物に余裕ができたら覗いてみる作戦が良さそうだ。



 そして午前十時、開場の時間だ。大きな扉が開いて、待ち望んだチョコレートの香りが会場いっぱいに広がった。遂に祭典が始まる。ここからは戦争だ。早く完売しそうなものを予想して、どれだけ早くそこの列に並べるかに全てが懸かっている。
 まずは日本未進出の店の新作二つ、次に人気店の新作一つ。それ以外は近い順に回るか、列の様子を見ながら。何年も参加しているのだ。自分の勘を信じて、そして完売しないことを祈って、戦場へと足を踏み入れた。
 なんとか目的の物は買えた。というか、余計に買い過ぎてしまった。ここに来るといつもそうだ。財布の紐はゆるゆるだけど、この日のために働いていると言っても過言ではないから良いのだ。

 さて、遂にあの店に寄ってみよう。壁沿いの小さなスペースは思った通りあまり混雑していなくて、ゆっくり見られそうだった。遠目にはあの怖いショコラティエも居ないみたいだ。安心したけど少し残念。
 売り場の前に辿り着いた途端、ロンドンの思い出が蘇った。今となっては遥か昔のようにも感じる。
 ショーケースの中に記憶と違わぬ姿を発見して思わず凝視した。そう、まさにこれ。
「このシャンパントリュフ……!」
 ピンクの丸い箱の中にピンクの丸いトリュフが詰まっている。ぼくが貰って食べたチョコレート。
「よかったらご試食されますか?」
 じっくり見ていたら販売員のお姉さんが声をかけてくれた。このイベント、たくさん試食させてくれるから好きだ。
「お願いします」
 半分に切ったトリュフを受け取った。断面からシャンパンの良い香りがする。口に入れて噛んだらもっと強い香り。甘くて、少し大人の味だ。これを食べた時の境遇も思い出して、なんだか泣いてしまいそうになる。
「ど、どうかなさいましたか?」
「あっ、すみません。実はぼく、イギリスに居た間にこれを食べたことがあるんです。それで懐かしくなってしまって」
「泣きそうなほど美味かったか?」
 目の前のお姉さんが発した声ではない。後ろから、低く迫力のある声が。そっと振り向くと、カタログで見たあの怖い顔がぼくを見下ろしていた。背が高い。声が低い。想像の何倍も圧がすごい。
「あなたは……
「この店のショコラティエ、バロック・バンジークスだ。ご来店いただき感謝する」
 このブランドの名前はクリムト&バロック。兄弟で経営していて、日本には弟だけが来ているとカタログに書いてあった。

「すまない、驚かせるつもりはなかった。人に怖がられやすい自覚はあるのだが」
 振り向いたまま固まったぼくを見かねたのか、職人さんに謝られてしまった。違うんです。いや、驚いたのは確かだから違わないか?
「い、いえ! そんなことは!」
 顔は確かに怖かった。でもこうしてしょんぼりとしている姿を見ると全然怖くない。声にも迫力があるけど物腰柔らかで、努めて人に威圧感を与えないようにしているのが分かる。上品な味のチョコレートを生み出せそうな職人さんだ。写真でひたすら損をしているな。
「なら良かったが……なぜ君があんな顔で試食していたか気になってな」
 それもそうだ。自分が作ったチョコレートを妙な表情で食べている人が居たら気になるに決まってる。せっかくご本人と話すきっかけができたのだから、この際全て話してみようか。
「ぼく、ロンドンに留学していたことがあるんです。その間に実家の犬が死んでしまったと連絡が来て……すごく落ち込んでいた時に同居人がこのトリュフをくれたんです。これのお陰で元気が出てきたのを思い出しました」
 長い間一緒にいて可愛がっていた犬だったから、最期を看取れなかったショックは大きい。そんな心の傷を、このチョコレートが少しだけ癒してくれた。甘くて良い香りで、それをくれた同居人の優しさも染みて、あの時は食べながら本当に泣いてしまった。
「ここに参加されると知って、直接お礼を伝えられるかもと思って来たのです。おいしいチョコレートを作ってくださってありがとうございます」
 店の人にとっては単なる客の一人だろう。こんな謝辞も聞き飽きているかもしれない。でもぼくがこの味に救われたことを、作った本人に伝えられた意義は大きい。
「すみません。個人的な話を長々と」
「いや、客から直接話を聞ける機会などそう多くないからな。私としてもありがたい」
 バンジークスさんは驚いた顔の後に少しだけ笑った。なんだ、笑えるんじゃないですか。この顔で写真を撮れば良かったのに。

「話ついでに、私の思い出も聞いていただけるだろうか」
 思い出深いピンクのシャンパントリュフを一つ買わせてもらうと、バンジークスさんがそう切り出した。
 他のお客さんもちらほらここを覗いているけれど、その対応は販売員のお姉さんたちがやっている。話しかけられないのを良いことに彼はそのまま続けた。
「数年前、私はスランプの最中にあった。店は兄に任せざるを得ず、その申し訳なさと自分への嫌悪感で悪循環に陥ってしまい、精神を病む手前だった……そんな時、見知らぬ外国人がいきなり私にチョコレートを渡してきてな」
 今時、知らない人からいきなりお菓子を貰うシチュエーションが怖すぎる。それにショコラティエにチョコレートを渡すなんて、変わったことをする人が居たもんだ。
「有名な店のものでも何でもない、市販のキャンディーチョコレートだった。彼は私がイライラしているように見えたからと言って、それを押し付けるとどこかへ消えてしまった」
 なんかこの話、妙にデジャヴというか……そういえばぼくも買ったばかりのチョコレートを知らない人にあげたことがある。あまり人のことは言えないな。
 スーパーを出たらやたら怖い人が居て、でもどうしてもその前を通らないといけなかったから、先手を打ったつもりで一つを押し付けて逃げた、というのがぼくの場合なのだけど。あれ?
「赤の他人から貰ったものだったが捨てるのも忍びなく、結局それは食べた」
「えっ、食べたんですか!」
 思わず声を上げてしまった。警戒心の強そうなこの人が? しかもショコラティエなのに、市販のチョコレートを?
「買ったばかりだということは分かっていたし、食べ物を粗末にはできなくてな」
 じわじわと感じていた予感が確信に変わった。この人、すごく好い人なんだな。
「だがそれを機になぜか調子が良くなって、最終的にはこうして仕事にも復帰できた。当時はまるで魔法のようだと思ったものだ」

 だんだん記憶が蘇ってきた。ぼくもその人に声をかけたと思う。確か、イライラしてるならどうぞ、とかそんな感じで。経験上、怖い人には先にこちらから話しかけた方が余計な敵意を向けられなくて済むからだ。
 子供ならともかく、知らない外国人にお菓子を渡したとか受け取ったとか、そんなことが頻繁に起こるだろうか。
……なんだかその話、他人事ではないような」
「何?」
 どうしてバンジークスさんがこんな話をしてくれたのか分からないけど、ぼくはこの人に何か運命めいたものを感じ始めている。
「ぼく、ロンドンで似たようなことをしたことがあるんです。そういえばあの人もすごく背が高かったような」
「それはいつの話だ?」
 ぼくの言わんとしていることが伝わったらしく、ちょっと食い気味に身を乗り出された。迫力がすごい。
「ええと、留学中ということは……三年前の冬?」
「場所は」
「グリーンパークの近くだったかと」
 バンジークスさんが塞がらない口を手で覆う。心当たりがあるんだろう。ぼくも信じられないけれど、もしかして本当にそうなんじゃないか?
「もしや、君が?」
 ぼくがあげたチョコレートでバンジークスさんが救われ、バンジークスさんが作ったチョコレートでぼくが救われた。そして今日ここで偶然の再会。すごいな、これが男女なら恋でも始まってたんじゃないか。
「その可能性が高そうですね」
「なんということだ……
 人違いの可能性が残っていないわけではないけど、もうお互い本人だとしか思えない。これがドラマなら出来過ぎだと笑ってしまいそうなほど。
「これもチョコレートの魔法ですかね?」
「かもしれんな」
 次第にこの店の前で立ち止まるお客さんが増えてきた。ショコラティエの様子を窺っているような人もいる。ぼくがショーケースの前に居るから、サクラみたいになっているんだろう。随分と長居してしまった。
「ぼく、そろそろ離れた方が良いですよね」
 この会場で彼を独占するわけにはいかない。本当はまだ話したいけれど、彼はぼくと話をするのではなくチョコレートを売りに来ているのだ。
「君とはまだ話したいのだが……そうだ、名前は?」
「成歩堂龍ノ介です」
 遂に個人で認識されてしまった。それに、バンジークスさんも同じように思っていてくれているのか。ぼくの鼓動が少し早くなった。
「ミスター・ナルホドー、閉会後に時間はあるか? 待たせることになってしまうが、一緒に食事でもどうだろう」
 ぼくは夢でも見ているんじゃないだろうか。会社は休んでいるから時間はいくらでもある。というか、有名店のショコラティエと食事ができるならどんな予定もキャンセルしてこじ開ける。それくらい価値のあることなのだ。ぼくに断る理由はない。でも。
「時間はありますが……良いんですか? 会期中はお忙しいのでは」
「構わぬ。ここには来年も来れるのだからな。これほど運命的な再会に比べれば雑務など些細なこと」
 あれ? ぼくは口説かれているのか? 彼の熱意があまりに強くて勘違いしそうになる。
 ほんの三十分前までは他人だったのに。こんなチャンスは二度とない。それに貴重な個人の時間を割いてまで話をしたいと言ってもらえるのは、正直とても嬉しい。
「じゃあ、ぼくの電話番号を渡しておきますね」
 鞄から取り出した手帳に番号を書いて、千切って渡した。名刺とか持っていれば良かったんだけど。
「私の番号も君に教えておかねばな」
 胸ポケットからペンを取り出して、彼は一瞬固まった。そして何か思い付いたような笑みを浮かべる。
「失くさぬよう、ここに書いておこう」
 そう言うとバンジークスさんはぼくが買ったシャンパントリュフの箱を取り上げた。華麗な手つきで一筆、数字の列と彼のサインが並んだ。格好良いことをしてくれる。
「終わったらこちらから連絡する。ではまた後で」
 受け取った箱をまじまじと見てしまって反応が遅れた。バンジークスさんは柔らかな視線を向けている。もう彼のことを怖いとは感じなかった。
「はい、お待ちしています」


 ぼくが離れると、バンジークスさんはすぐに後ろで待っていたお客さんの相手を始めた。箱にサインをしてほしいみたいだ。三、四人の列が出来ている。
 ショコラティエが箱や袋にサインを書くのはこのイベントでよくあること。今日ぼくが買ったチョコレートも、半分くらいはサイン入りだ。でもバンジークスさんのだけは違う。ぼくだけのために書いてくれた特別仕様。素晴らしいチョコレート職人と連絡先を交換してしまった。まだ信じられなくて、顔がにやけるのを止められない。
(また後で、か)
 夜にまた会えるんだ。約束したから当然だけど、その事実だけでものすごい優越感がある。ただの一般人がこんな思いをして良いんだろうか。

 夜に会ったら何を話そう。聞きたいこともたくさんある。だって個人的なショコラセミナーみないなものだ。こんな贅沢なことはない。来日できなかったお兄さんの分までチョコレートの話を聞かせてもらえたら。期待は膨らむばかりだ。
 ああ楽しみだ。夜が待ちきれない。これが魔法なら解けないでほしい。
 電話番号が書かれた箱を大事にしまって、ぼくはイベント会場を後にした。
 この時のぼくはまだ知らないのだけど、翌年のイベント後に彼ら兄弟のブランドは日本進出を発表する。
 ぼくは留学経験を活かして海外ブランドの誘致をする会社で働いている。担当は食品で、もちろん英語圏が中心。ここまで言えばもう分かるかもしれないけど、その日本誘致にはぼくが一枚噛むことになるのだ。

 彼のお兄さんには妻も子供も居る。そしてぼくとのパイプの関係もあって、日本に来るのは弟だけ。個人的にだけではなく、ビジネスパートナーとしても長い付き合いになる。イベント会場での僅か十分ほどの時間がビジネスを動かす話に繋がるのだから、本当に人の縁は侮れない。

 更に次の年にはぼくとバンジークスさんの間に大変なことが起こるのだけど、その話は秘密だ。


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