@saeki_f
ある時期から蔵内が一部の隊員から「会長」と呼ばれるようになった。それが「進学校の生徒会長」を意味すると水上が理解するのに、大して時間は必要なかった。
「そういや蔵っち、生徒会長になったんやろ? 勉強も大変そうやのにようやるなあ」
人が増えてきた本部のラウンジで、水上は隠岐を、蔵内は王子を待っている。どちらの待ち人もなかなか来ないので二人は宿題を取り出した。水上は数学、蔵内は生物。学校が違えば課題も違う。
「ボーダーで誰かに話した覚えはないんだが」
「いや進学校組に会長て呼ばれとるやん。バレバレや」
生徒会の役員選挙が終わった日から、荒船や犬飼はすぐに呼び方を切り替えた。それに続くようにして後輩たちもぽつりぽつりと「会長」と呼ぶ人数が増え、その呼び方は浸透しつつある。もちろん以前と同じように呼ぶ者も多い。数としては五分五分といったところか。
「ああ、アレか。まだ少し恥ずかしいんだよな……別にそれほど大変ではないよ」
「はあ~優等生やなあ」
実際、生徒会の仕事は多くない。基本的には毎週の委員会に出て、たまに生徒代表としてスピーチをする程度。しかしそれですら水上からすれば避けたい仕事のようだ。
そもそも進学校は普通校よりも課題が多く、授業が進むスピードも速い。それだけで普通校組からは充分大変そうに見えていた。現在蔵内が取り組んでいるテキストもレベルが高そうだ。
「でも、水上から『勉強が大変そう』なんて言葉を聞くとは思わなかった」
「え? フツーに思とるけど」
「いや、勉強で困っているところを見たことがないから。こっちの学校の課題でも楽勝なんじゃないか?」
「まあ成績は別に悪ないけど、進学校の奴らとは比べられへんて」
蔵内の成績がどれほどのものか水上が聞いたことはないが、生徒会長になるくらいなのだから相当だとは想像できる。何かと誰からも頼られがちな荒船などが目立つが、実は蔵内の方が成績は良いのかもしれない。
だが蔵内も知っている。水上は勉強もできることを。いつだったか同級生の何人かで集まって勉強会をしていた時、進学校の課題を難なく解いていたのだ。水上の得意科目だったとはいえ感心したことを蔵内は覚えていた。
「そうでもないと思うんだが……あ、隠岐が来たぞ」
蔵内の視線を追って振り向くと、制服の隠岐が小走りに向かってくるところだった。
「すんません、日直の仕事が長引いてもうて」
「まだイコさん来てへんけど、来たらすぐ始めんで。はよ準備しいや」
「了解ですわ」
水上はテキストを閉じ、鞄にしまいながら立ち上がる。今日は隊で集まって何かするようだ。水上が換装していないということはただの作戦会議か。いや、生駒隊のことだからその線は薄いかもしれない。
「ほなな。暇潰しに付き合うてくれておおきに」
「ああ。またな」
二人はいつも通りの賑やかな関西弁で話しながらラウンジを去っていく。そろそろ王子も来る頃だろう。蔵内は王子が来たらすぐに動けるよう、机の上に広げた荷物を必要最小限にした。
それからおよそ一週間後のこと。
「会長さん~」
蔵内をそう呼び止めたのは進学校の生徒ではなかった。真っ赤な隊服にサンバイザー。どこに居ても目を引く所謂イケメンだが、この隊服だと輪をかけて目立つ。
「えっ、どうして隠岐が」
呼び止められた理由も聞かず、反射的にそれだけが口から出ていた。隠岐は普通校に通っているのだから、蔵内を会長と呼ぶのは妙だ。生徒会長になったことは誰かから聞いたのだろうが、それだけで呼び方まで変えるものだろうか。
皆まで言わずとも、隠岐は蔵内の言葉の意味を理解したらしい。
「ああ、水上先輩が最近たまに『会長』て呼ばはるんで、うつってしもたんです」
「……水上が?」
蔵内の目が自然と鋭くなった。隠岐はその変化を敏感に感じ取る。自分で変なことを言ったつもりはなかったが、水上が蔵内を「会長」と呼ぶのはまずいことだったのだろうか。その程度は想像できる。
「あれ? これ言うたらあかんやつやった? とりあえず、カシオが探してましたよ~」
「ああ、分かった」
蔵内が隠岐を追及することはなかった。彼を問い詰めたところで何も情報は引き出せないし、何も悪くないのだから。
隠岐が去った後で蔵内は考える。いつの間にそう呼ぶようになったのか。本人から直接呼ばれたことはないから、隠れてこっそり呼んでいるのか。だとしたら蔵内としては悲しい。陰口ではないにせよだ。
しかしひとまず今は樫尾のもとへ行かなければ。水上に会うのはその後だ。
「水上」
「お、会長」
出会い頭にいきなり呼ばれて思わず脱力した。別に隠れていたわけでもなんでもない。単に直接会って呼ばれるタイミングが無かっただけだったのである。それだけで少しは蔵内の気が楽になったが、本題はこれから。
「どうして会長と呼ぶんだ」
「えっ、それ聞きに来たん? ええやん。別に悪口とちゃうで」
蔵内の問いに、水上はあっけらかんと答えた。これくらいのことは何でもないという様子である。水上としては「蔵内」から「蔵っち」に変えた時のような感覚なのだろうが、蔵内からすればまったく違う。
「俺は水上の会長じゃない……」
よほど悲しいのか蔵内はしゅんとして俯いてしまった。まさかそんな反応をされるとは思わず、水上は慌てる。
「そんな拗ねるほど嫌やった!?」
今の蔵内は犬のようだ。主人に構ってもらえず、しょんぼりとしている犬。見ていると罪悪感がちくちくと胸を刺してくる。それほど落ち込むことかと水上には疑問だが、他人の物差しと自分の物差しは違う。
「嫌というか……水上は俺のことを『蔵っち』と呼んでくれていただろう?」
「おん」
「そっちの方が好きだ」
「おっ……おう……」
ストレートに好きだなどと言われて水上は思わず照れた。蔵内は言葉選びがストレートというか、直接心を揺さぶってくる。それが彼を生徒会長たらしめる理由か。
「だから、水上には前みたいに呼んでほしい」
そこまで言われては、「会長」呼びを通すのがただの意地悪になってしまいかねない。それは水上の本意ではない。これほど呼び方にこだわられたのは初めての体験で、水上も少し戸惑う。荒船や犬飼は良くて、水上が駄目な理由は何なのか。しかし今はそれを追及する時ではなさそうだ。
「しゃあないなあ。ほな蔵っちに戻したるわ」
「ありがとう」
蔵内があまりにも嬉しそうに微笑むものだから、水上は少し悪いことをしたなと反省した。本当に悪気は無かった。会長と呼ばれるのは格好良いし、蔵内によく似合う呼び方だと思っての行動だ。しかし本人が望むなら仕方ない。
それにしても。
(なんやこのイケメン……隠岐も裸足で逃げ出すで)
素直でいられることは美徳だ。水上の目を真っ直ぐ見て礼を言う姿は、眩しいという言葉以外に何と表現したものか。
それが自分には無いものだと水上は知っている。だから余計に強く輝く。今の蔵内は、きっと女子が喰らえば一撃で落とされてしまうであろうビームを放っていた。男の水上でさえぐらりときたというのは秘密である。
蔵内をあだ名で呼ぶ者は同級生をはじめとして何人も居る。何も水上限定の呼び方ではない。しかしその中の誰かが「会長」と呼ぶようになったとしても、蔵内は別に気にしないだろう。
誰も知らない。蔵内がさりげなく水上と話す時間を稼いでいることなど。待ち時間など最たるもので、同ポジションの同級生という立場を存分に利用して個人的な時間は積極的に水上と過ごすようにしている。水上本人さえ気付いていない、蔵内の秘密。
水上は蔵内の特別だから。
(『会長』なんてよそよそしい呼び方は嫌なんだ)