@saeki_f
この世には吸血鬼が存在する。人の血を吸い、他のどの生物よりも遥かに長い時を生きる生物だ。彼らがどこから現れたかは定かではないが、ごく僅かながら一定の数を保ち続けて世界の片隅で生活している。
人間と対立していたのも今は昔の話。現代を生きる吸血鬼は、人間と手を取り共存の道を歩んでいる。人間一人から一度に吸っていい血の量は制限され、吸血鬼の方は金銭によって対価を払うというルールが出来てからもう二百年以上が経つ。これは人間、特に貧困層にとって非常にありがたいビジネスとなり、吸血鬼が食料に困ることも、また一人から血液が抜かれすぎて事故が起こることも今では滅多に起こらなくなっていた。
さて、とある国の地方都市にも一人の吸血鬼が暮らしている。名前は東。人里から少し離れた丘の上で、広い庭の付いた屋敷に住んでいる。
そしてこの家にはもう一人、吸血鬼の食料兼庭師として長期契約を結んでいる少年が居た。こちらの名前は荒船。二年ほど前から住み込みで働いている。
荒船の仕事は、広大な庭のほとんどを埋め尽くしている薔薇の世話だ。水をやり、虫を取り、常に花が健康であるよう気を配る。慣れてしまえば楽しい仕事だが、いかんせん範囲が広すぎて気付けば日が暮れてしまう。
今日もなんとか日が落ちるまでに仕事を終え、道具の片付けをしているところだ。
(そろそろ東さんが起きる頃か)
荒船の雇い主は日没で目覚め、日の出と共に眠る。顔を合わせていられるのは荒船が寝るまでの数時間だけ。同じ家に住みながら、とても気楽な付き合いである。
荒船は手に持っていた鉢を置いてハサミを拾った。今日十分咲きになったばかりの薔薇を十本ほど切り落とし、屋敷の中へ戻っていく。
薔薇は一本ずつ丁寧に棘を落とした後、花瓶に活けて食卓に置いた。机の周りに香りが広がる。今日は黄色の花で、花弁はそれほど多くないが甘い香りが強い。
東は仕事で出かけるから早めに起きると言っていたはずだが、そんな気配のない階上。仕方なく、荒船は階段を上って東の寝室前へ向かった。
音の少ない屋敷である。荒船が階段を上る音で目覚めるかと思ったのだが、布擦れの音ひとつ聞こえないということはまだ夢の中なのだろう。扉を軽く三度叩いて声をかける。
「東さん。食事の準備ができたんで起きてください」
流石にそれには反応したのか、ごそりと何かが動く音がした。が、すぐにまた静かになる。
荒船は穏便に起こすのを諦め、大きく息を吸った。
「さっさと起きろ!」
元気良く扉を開いて一喝。毎夕のことだ。ここへ来たばかりの頃は雇い主の部屋に入るだけでも躊躇ったものだが、今は遠慮がない。というか、容赦がなくなってきた。
「う……」
東の部屋は真っ暗だ。陽光を浴びたからといって灰になりはしないが、苦手ではある。暗闇の中を歩くのも慣れたもので、荒船はつかつかとベッドに向かっていった。灯りをつけて布団を剥ぎ取ると、温かな寝床を荒らされて悲しそうな顔が浮かび上がる。
「もう少し優しく起こせないかな……」
「優しく起こしても起きないでしょう」
未練がましく欠伸をする東を横に、荒船はカーテンを開いた。ちょうど夕日が沈みきったところだ。
「早く着替えてください。今日は出かけるって言ってたじゃないですか」
「そうだな。ごめん、下で待ってて」
仕事のことを思い出して、流石に東も上半身を起こした。荒船もそれを見てもう大丈夫と判断し、部屋を出ていく。
着替えを終えた東が下りてきた頃には外はすっかり闇に包まれていた。ここは人里から遠いので、この家の外に灯りはない。
「待たせたな。じゃあ早速頂こう」
東が食卓について食事に手を伸ばした。荒船ではなく、荒船が活けた薔薇に。
東が一本それを吸えば、はらはらと崩れるように花弁が散っていく。その様子が幻想的で美しく、荒船はこれを見るのが好きだった。
「今日のは甘いね」
「甘いのを用意しておけってメモ残してたのは東さんじゃないですか」
「そうだった。昨日すごく疲れてたから」
東は次々に花を散らしていく。空腹だったのか、今日は食べるスピードが速い。
吸血鬼は薔薇の精気を吸う。だからその家の庭には薔薇がたくさん植えられているし、それ管理する庭師が必要なのだ。
一方で人の血はどうやら吸血鬼の中でメインディッシュ扱いらしい。東曰く、人間だって寝起きに肉料理なんて食べられないだろうとのことだ。
東は寝起きに薔薇を食べ、荒船が寝る前に血を飲む。たまに間食として薔薇を摘んでいるようだが、基本的には毎日その二食で過ごしている。そんな量では足りないのではないかと荒船は思うのだが、東が特別少食なわけではなく、大抵の吸血鬼はこれで十分らしい。
荒船が出した全ての花が散って、東の食事が終わった。散らばった大量の花弁を片付けるのは荒船の仕事だ。
東はその足でふらりとキッチンに入っていく。吸血鬼には必要ないものだが、ここで暮らす人間のために備え付けたのだった。そこで東は料理を始める。無論自分のためではない。荒船の夕食を作るのは東の仕事なのだ。
荒船が東を起こす理由はここにある。朝昼は自分で準備するのだが、夕飯は東が作ってくれるので起こさないことには食事にありつけないのだった。手際よく調理をする姿はおよそ吸血鬼とは思えない。
「なんで自分では食べないのに上達するんだろうな」
「毎日人に食べさせてるからだよ。栄養にはならなくても味の良し悪しくらいは分かるし」
今日のメニューは昨日余分に作っておいた野菜のスープと鶏のグリル。味がちゃんとしているだけでなく、いつの間に学習したのか栄養のことも考えられているらしい。こんな吸血鬼も珍しいだろう。
「自分だけのためだとつい適当になるからな……」
「お前はちゃんと食えよ。血を作ってもらわないと俺も困る」
「はいはい」
東も荒船が食事をする様子を見るのが好きだった。食べている間は、よほど忙しくない限り話をしながら横で荒船を眺める。その表情はまるで子供を見守る親のようだ。
主人と庭師、捕食者と餌とは思えないほどの気安さが二人の間にはある。東がそれで構わないと言ったし、荒船もこれが心地いいと思っているので、周りから何と言われようと変えるつもりはないのだった。
夕食を終えたら荒船の自由時間だ。東の話し相手をすることもあるが、今日はもう出かける準備をしているので邪魔はしない。
東は人間で言うところの役所仕事のようなものをしているらしい。荒船はそれ以上のことを知らない。そもそも人間の社会とは別の世界であるし、別段興味もなかった。
「出かけるって、戻りは深夜ですか?」
「日付が変わる前には帰ってくるよ。悪いけど、それまで待っていてもらえるか?」
「了解です」
吸血鬼は眠っている人間から血を吸ってはいけない。毎回ちゃんと本人の同意を得る必要がある。それも人間との間に決められたルールだった。荒船は別に寝込みを襲われても構わないのだが、ルールを破ると罰せられるのは東の方だ。よってこういうときは律儀に起きて待つし、東もできるだけ早く帰るようにしているのである。
街中に比べれば少し不便だが、適度な距離感の相手と美しい庭、そして穏やかな時間に囲まれた生活。そんな日常が続いていたある日のことだった。
いつものように薔薇を食べ終えた東が荒船に声をかける。
「今日は何か届いていたかな」
今日は週に一度の郵便配達の日だった。集落から離れている上にここは山の上なので、郵便物はまとめて届けられる。午前中にそれを受け取るのも荒船の仕事だ。
「ああ、東さん宛の手紙が二通。あと俺宛の手紙が来てました」
「荒船に? 誰から?」
この家で荒船に手紙が来るのは珍しい。学校に通っていた頃の友人から年の変わり目に二、三通送られてくる程度なのだが、今はそんな時期でもない。友人の他には手紙を送ってくるような知り合いも居なかった。
「まだ開けてないんです。封筒には差出人が書いてなくて……友達じゃなさそうでしたけど」
「ちょっと見せてもらっていい?」
荒船は懐に入れていた手紙を渡す。宛名以外は何も書かれていない、ただの白い封筒だ。しかし裏返して封蝋を見た瞬間、東は目の色を変えた。凍りつくような空気が走った気がしたが、それは荒船の気のせいだろうか。
「……荒船、これは俺が預かるよ」
「えっ、俺に来た手紙なのに!」
荒船の抗議の声も聞かず、東は部屋の隅に掛けてあったマントを手に取る。なにやら急いでいる様子だ。
「出かける用事ができた。帰ってきたら内容を教えてあげるから」
「まだ開けてもねえだろ!」
その言葉とほぼ同時に東は飛び立ってしまった。いつになく強い風によろめきながら、荒船は頭の上に疑問符を並べる。差出人の手掛かりといえば封蝋しかないが、東はそれを見てその中身まで分かったらしい。なんのことだか荒船にはさっぱり理解できず、ただ主人の帰りを待つことしかできないのだった。
東が帰ってきたのは夜明けの直前だった。その音で目を覚ました荒船はまず空腹の東に血を与え、ベッドに横たわるまで待つ。遠くまで飛んできたのか、とても疲れているようだ。
「それで、あの手紙は」
一息ついたところを見計らって声をかけた。東も眠いだろうが、昨夜のことを話してもらわなければならない。東が帰ったら話すと言われたから荒船も一晩待ったのだ。
追及を忘れない荒船を見て東も観念したようで、ベッドで横になったまま静かに話を始めた。
「あれはこの国の軍からだよ。封蝋に印があった」
「軍? なんで」
荒船はどきりとした。軍から手紙を受け取るようなことは何もしていないはずだ。となると一層内容が気になる。
「外では戦争を始めるらしい」
「戦争って……どこと?」
「さあ。相手はひとつではないようだし、俺たちは人間の社会に干渉してはいけないから」
確かに東は干渉しない。だが相手がどこかという情報くらいなら知っていてもいいはずだ。荒船は、東が意図的に情報を与えないようにしていると感じた。
「軍はとにかく人手が欲しいから、国中の男性に手紙をばらまいているのさ」
「えっ、そんなの東さんが勝手に開いちゃダメじゃないですか!」
要は軍への入隊を勧める手紙だ。吸血鬼には関係のない話だし、そもそも人の手紙を勝手に没収していくのはいかがなものか。荒船も別に戦争に参加したいわけではないが、不満を露にしていると東の手が頭に乗せられた。
「お前はまだぎりぎり十八未満だろう。今は一応、俺が保護者ということになっているからね。少しくらい融通はきくよ」
仕事を持っているとはいえ荒船は未成年扱いだ。何をするにも保護者の同意が必要になる。吸血鬼が人間の保護者になるというのは聞いたことがない話だが。
しかし東の話ぶりから、荒船に来ていた入隊の話は立ち消えになったと思っていいのだろう。人間社会に干渉しないと言いつつ矛盾しているが、どうやらそれで話が通ってしまったらしい。
「一体どんな屁理屈こねたんですか……」
東は頭が良い。そのうえ何百年も生きているのだから、人間くらい簡単に手玉に取ってしまえそうだ。一体どんな話術で軍人を惑わせたのか。
「たった一人の食料まで連れて行かれたら俺が餓死してしまうから、見逃してくれとお願いをしてきたんだよ」
それだけ言うと、もう眠気の限界だと東は毛布を被ってしまった。そしてすぐに静かな寝息が聞こえてくる。こうなると荒船もそれ以上は追及する気になれず、静かに部屋を出て行った。一応、最も聞いておきたかった話は聞けたのだ。頼んだわけではないが、荒船のために随分と疲れることをしてきた様子だし、今は寝かせておいてやることにする。
別に食料役は荒船だけでなくてもいいはずなのだが、東は他の人間に手を出そうとしない。これ以上人を雇う余裕がないのだと東は言うが、これだけの土地を持っていてそんなことはないだろう。たとえば荒船が体調を崩したらどうするつもりなのか。
仮に荒船が死んだとして、他に代わりはいくらでも居る。この仕事は結構人気があるのだ。確かに新しい庭師を教育するのは面倒だろうが、吸血鬼の長命を考えれば傍に置く人間が替わるのは当然で、仕方ないことではないか。
だから荒船には、妙に自分にこだわるこの吸血鬼の考えがいまひとつ分からないのだった。
荒船は東をただの変な吸血鬼だと思っている。だが吸血鬼社会では、東の評価は全く異なるようだ。
時は少しだけ戻って昨日の深夜。東が去った後の軍本部上空を三匹のコウモリが飛んでいる。コウモリらは屋根に降りるとみるみる姿を変え、三人の若い男女となった。
その内の一人、金髪の女性が楽しげに口を開く。
「面白いくらい震えてたわね。ちょっとあの人が気の毒になっちゃった」
「人間とはいえ東さんの持ち物に手を出そうとしたんだ。当然だろう」
茶髪で長身の男性が淡々と答えた。無表情を少しも変えることなく黒いマントの襟を立て直す。
「……東さんが命令するなら、それこそ眷族総出で狩りにいくのに」
こちらは他の二人よりも少し若い。少年と言っても差し支えないだろう。黒髪で、鋭い視線を軍本部に向けている。
「あの東さんが人間一人のために戦争を始めると思うか?」
「思わないけど、なんだかいつになくご執心よね。あの子の前まではいつも二、三人くらい屋敷に置いてたのに」
三人は東がここで何をしていたか、その一部始終を見ていた。東が荒船に何と説明したか聞いたら三人とも驚き呆れるだろう。「お願い」だなんてとんでもない。ここで行われていたのは、もっと一方的なやり取りだった。
「確かに……あの温厚な東さんがこんな所まで来てあそこまでするなら、何か特別なんだろう」
荒船は知らないが、彼らは何度か東の家を訪れたことがある。二人がどんな生活をしているか知っているし、東がどれほど荒船を大切にしているかもよく聞かされている。ただ訪問は荒船が寝ている時間のことが多いので、素性はあまり知らないのだった。
今日この三人は東に付き合ってここへ来た。もし「何か」が起きた場合にすぐ援護できるように、である。幸いなことに心配していたような事態は何も起こらなかったし、東はここを去って十分距離をとった。軍に尾行されることもないだろう。これで彼らの仕事は完了だ。
「帰るぞ」
「命令しないでくれるかしら?」
「はあ……」
気は合わないが、息は合う。彼らは同時にコウモリの姿に変身し、あるべき場所へと飛び去って行った。
辺りは再び闇と静寂に包まれる。